2018年2月24日土曜日

内田樹「時間意識と知性」

https://lgsac.exblog.jp/
19730064/
久しぶりに「内田樹の研究室」を覗いてみたら、理化学研究所での講演内容が記されていた。とても全文を記することも出来ないし、その内容を要約することはかなり難しい。
http://blog.tatsuru.com/

しかし、ここに書かれてあることは実に面白い。原文を読んで頂く方がはるかに良いのだが、あえて要約に挑戦したい。講演の枕に使われているのは、ブレードランナーという映画の話である。中で語られているレプリカントというのは人造人間のこと。この映画では、人間の人間性を担保するものは何か?ということが問われていると内田先生は説かれている。(私はこの映画を見ていないのでここでエポケーするしかない。)ここで、一神教の起源についてふれられる。神を敬う心、自分の無能や無知の自覚から生まれる「我々を存在せしめ、その生き方を教えるはずの何者かが今ここにいないことを根拠にして現実の世界を秩序づけ、倫理を基礎づけること」を『時間的意識の獲得』と呼び、これが一神教的な意味でのsingulaeity(特異性・特異点)である、と。

さらに、話が孔子に飛ぶ。(このへんが内田先生らしい。)孔子の生きた春秋戦国時代は、文字が発明された紀元前10世紀のさらに後の紀元前8~3世紀頃。文字を知り、過去を認識できる人間と、文字を知らず今ここにしかリアリティを感じれない人間が混在していた時代である。春秋の智者は「時間意識を持て」と説く。(文字を知り)現実には見聞きしえないものの切迫感を感じるべきだと言ったのだ。この文字の獲得こそが中国のsingulaeityである。

内田先生は、孔子の仁は、一神教における神を怖れる心に近いものではないかと考えておられる。そして、孔子において、その神に構造的にあてはまられるのは周公である。周公は、当時文字を持たず時間意識のない(すなわち人間性をもたない)ゆえに、殷によって動物のように扱われ殺されていた羌人を救う。周公を支えた太公望(今日の画像参照)は羌の人であり、羌の人々は(おそらく太公望によって)時間意識を持つことが出来、反対に殷を滅ぼし周を支えた。春秋時代には「宋」と名乗った羌の人々は、後々宋という王朝をつくるまでになる…。
というのが、講演の漸(ようや)くの要約といったところである。

…孔子の仁は、たしかに定義が難しい。高校の倫理では「愛」であると教科書は説くのだが、そのカテゴリーにあてはまらないものも多い。今回の内田先生の説はなかなか面白かったし、周公と孔子の関係を、神と預言者という構造で見ているところもユニークだ。

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