2021年3月31日水曜日

三崎へ花見ドライブ9時間

 大阪から三崎に戻ってきました。近畿道から中国道へ入った後、明石大橋への道を間違えたおかげで、大回りになり、9時間の花見ドライブになってしまいました。とはいえ、中国道沿いの桜並木が美しい街をいくつも通り、やはり日本の川辺には桜並木が最高に映えるるという法則を発見しました。どの桜並木も満開でした。倉敷から、瀬戸大橋で四国に入りました。しまなみ海道経由という選択もあったのですが、ずっと高速道路で行くには、これがベストでした。(地図で確認すると、今治で高速が途切れるようでした。)高松道を初めて走り、松山道で帰ってきたわけです。着いたのは20時すぎ。今日の画像は、いろんなSAでの満開の桜集。午後からは黄砂がひどくなり曇ってきました。瀬戸内海もよく見えずでした。

さて、軽自動車で高速の登りは、なかなかしんどうものがあります。途中ふくらはぎに異常を感じて、持っていた湿布を張りました。齢です。(笑)最大の山場は、内子近くのトンネルで一車線。後続の車があおってくるわけではないのですが、どうしても気になりアクセルを踏み込み続けていて、さすがにギブアップ、PAで湿布の上から足をもみました。(笑)

ところで、あれだけ大回りしたのに、高速代金は淡路島経由より3000円ほど安くつきました。謎です。我々夫婦の推測は、明石大橋回避?阪神高速回避?よくわかりませんが、結果オーライというところです。

さて、明日から新年度。疲れたなどと言っている場合ではありません。

2021年3月30日火曜日

帰省/さらに障子張り替え


帰省のある意味最大の目的は自宅の確認である。帰省して外観を見ると、2階の障子が破れていて気になった。それはもちろん妻も同じで、プラスチックの壁紙を購入、2人で両面テープで張り替え作業をした。妻はまた、1階の駐車場の前の雑草を取ったり、玄関のつかなくなった蛍光灯を変えたり、風呂掃除をしたりと、あちこち動き回っていた。私は、4階の屋根裏部屋の倉庫に上がってみたが、息子夫婦の荷物もいっぱいあって、こりゃどうしようもないという感じ。

引っ越してきたときは、ほぼ新築だったのだが、今やあちこちに手を入れないとダメなようで、気が重い。(笑)三崎の2Kの教職員住宅は狭いが、住めば都。人のいない家は痛みが進むということを実感した次第。

2021年3月29日月曜日

帰省/次に戸籍謄本

戸籍謄本を手に入れるというのも今回の帰省の目的の一つであった。 年金の相談のために必要で、私の戸籍は、京都府京田辺市にある。枚方に来る前に住んでいたところだ。大阪市から戸籍を移動させたのである。まあ、枚方の自宅から車ですぐのところなので問題ない。久しぶりに京田辺の街を走ってみた。やはり変化が激しい。さらに午後は、京都に向かった。

せっかくなので、京都の桜を見に行ったのである。京都も枚方の自宅の横を走る第二京阪道の側道(高速ではない)を走るとそのまま堀川通りに繋がっている。便利になったものだ。京都は、日本人観光客(外国人観光客ではない)がそれなりに多かった。広沢の池で一休み。学生時代に住んでいた帷子ノ辻まで、嵐山経由で走り抜けた。変わらないのは、嵐電の線路のみ。私の住んでいた有栖川のアパートなど影も形もなく、三条通をさらに走ると地下鉄東西線の駅が出来ていた。

というわけで、車窓から昔を懐かしんだ1日であった。

2021年3月28日日曜日

帰省/まずは耳鼻科

今回の帰省で、まず行きたかったのは耳鼻科である。三崎には耳鼻科がないし、耳鼻科は当たり外れが大きい。そこで、信用できる耳鼻科と言えば枚方市駅前のK耳鼻科である。ありがたいことに、日曜日でも午前中は空いているし、予約も必要ないのである。マレーシア行直前に駆け込んで以来なので5年ぶりである。私は昔からよく外耳炎になる。ここ1か月ほど、左耳が聞こえにくくて難儀していた。K耳鼻科で見てもらい、一気に聞こえるようになった。万歳である。

その後、妻のタブレットを購入に出かけた。妻のタブレットもマレーシア行直前に購入したので5年目を迎えていた。さすがファーウェイ、バッテリーが膨らんできた。(以前、マレーシアでも妻のスマホが膨らんで買い替えた。バッテリーによる膨らみは実に危険であることをよく知っている。)妻が言うには、やはり日本製がいいということで、NECのものにした。(もちろん全ての部品が国産だなととは思っていないのだが…。)いろいろ購入する店を考えたのだが、ここはYデンキにした。大洲の店で電化製品を買いそろえたので、カードを所持しているからだが、枚方店はニトリモールの中にあった。(今日の画像参照)

前回、帰省した時は、マレーシアでのPBTのF42の卒業式に弾丸ツアー(1泊のみ)で行ったのみであるので、枚方の街並みの変化については、まさに浦島太郎である。こんなモールが出来ていたのは知らなかった。また、知っているいろんな店が流転していた。ハーレーダビットソンの店が葬儀会館になっていたのには驚いた。

さて、枚方市駅でかなり美味しいたこ焼きと551の豚まんを買って、帰宅後食した。うむ。これはやはり大阪の醍醐味。とはいうものの、どうも三崎にいるのとは勝手が違い、落ち着かない。

2021年3月27日土曜日

USBメモリでPC高速化

マレーシアにいるとき、今使っているPCを購入した。その前のPCは、SSDだったのだが、そんなに差がないような気がして、HDDでいいかと、このPCを購入したのだった。だが、どんどんアップデートされていくたびに、作業速度が遅くなってきた。正直、これはしんどい。

そんな中で、USBメモリを差し込むと、PCが驚異的に早くなるというネット上のCMがあって、6000円くらいで売っていることを知った。ちょっとした出費でPCが早くなるならと購入しようと調べていると、この商品とは別に、Windows10には、普通のUSBメモリを使って高速化できるという裏技があることを知った。この機能、ReadyBoostと言うのである。詳しいことは良くわからないがとにかくやってみた。最初は、私のPCとUSBメモリでは、この機能は使えないとコメントが出て、一瞬絶望したのだが、これを変える設定も調べたらあって、なんとか成功したのだった。

はっきり言って、かなり早くなった。というか断然早くなった。良く使うアプリなどは、この機能が自立学習するらしく、日進的に早くなった。実に優れた機能である。

http://faq3.dospara.co.jp/faq/show/4725?category_id=32&site_domain=default

http://faq3.dospara.co.jp/faq/show/4750?category_id=1&site_domain=default

慌てず、いろいろ調べて、6000円の出費を抑えたというセコイ話なのだが、大阪に帰省して(普段は差し込んだまま塾に運んでいるが、今回は一度抜いて運んだ故に)USBメモリーを差し込んでいる時、ふとこの件を思い出したのだった。

PCが遅いという悩みを持つ方も多いだろうと思うので、一刻も早くエントリーしておこうと思った次第。Windows10なら是非、お試しあれ。ちなみに私のUSBメモリーは、時折使っていた8GBの700円くらいの安物である。

大阪へ花見ドライブ8時間


 1年以上自宅に帰っていなかったので、町役場のお許しを頂いて帰省しました。ルートは、いつもの四国横断・淡路島・神戸経由です。朝8時過ぎに三崎を出て、休憩をしながら16時過ぎに着きました。

今回は、どこも道沿いの桜が満開で、花見ドライブという感じで、実に素晴らしいドライブでした。せっかくなので、妻にG1Xで197号線の上り(三崎から伊方町役場付近まで)をビデオを撮影してもらいました。残念ながら、朝は逆光。桜の美しさは完全に捉えられませんでしたが、記録としては実に良いものになりました。

イレギュラーはガソリンスタンド。吉野川SAで給油する予定が、工事中で休業。リスクをさけて、高速から徳島市内に降り給油しました。約20分間ほどのロスでした。四国の高速のSAはGSが少ないのでちょっと困ります。

自宅は、いつ何時帰っても電気もガスも水道も、そしてネットもすぐ使えるようにしてあります。(これはマレーシア時代からで、実に贅沢をしています。)基本料金だけでバカにならないはずなのですが…。

ともあれ、自宅に戻って、年賀状を確認したりしていました。今回は、町役場から友人との会食等に関して、かなり厳しい制限がかけられているので、自粛したいと思います。会いたい方はたくさんいるのですが…。うーん、実に残念です。(ところで、今日のブログの内容にふさわしいラベルがないので、一時帰国と国内の旅にしました。この組み合わせが今回の帰省の意味を最もうまく伝えている故です。)

2021年3月26日金曜日

離任式の日に。

離任式での校歌斉唱
離任式の日。三崎高校では、新任として赴任した3年目のH先生が転任するだろう事はがわかっていた。(愛媛県では、新任で3年間と決まっているからである。)驚いたのは、学校長の教育委員会への栄転である。1年で転任とは…。私は長い教員生活で、十数人におよぶ学校長にお仕えしてきた。K学校長は、その中でも三本指、いや一本指に入る方だと思う。校内の持久走大会で生徒と共に走っておられた姿は脳裏に焼き付いている。知的な方で理を通される方でありながら、非常に情に厚い方である。

私の提唱するユネスコスクール申請にも、学校長は大いに理解を示されていたのであるが、「(現状を鑑みるに)これ以上、TやK(地方創生をリードしている先生方)の仕事を増やしたくない。」と言われたのには、まいった。これ以上の理と情を止揚した言はない。今年度中の申請をあきらめた瞬間でもあった。

新しく来られる学校長は、前の教頭先生であるとのこと。三崎高校が最も危機にさらされていた(つまり分校化がほぼ決定していた)時期の教頭先生である。一度センター入試の時、愛媛大学でお会いしたことがある。現在、三崎高校は分校化を免れ、大いに世間にアピールしているわけで、意気高く来られることと思う。故事に倣い、三度目のユネスコスクール申請のお願いを、時機を見て新学校長にするつもりである。

学校長の挨拶の中で、「1年しか三崎高校にいることができなかったと考えるのをやめ、1年でも三崎高校にいることができたと考えている。」と言われたのが印象に残っている。

学校長の益々のご健勝をお祈りするばかりである。

2021年3月25日木曜日

F36の教え子の大学卒業

初心和するるべからず F36国費生が日本に向かった時 KLIAにて
私がPBT(当時はIBT)に入った頃の学生(F36)が留学していた日本の大学を卒業した。今回、私の誕生日を知らせるFacebookで、たくさんの教え子諸君からメッセージをくれた。実に懐かしくまた嬉しい。F36Aは、中華系の私費学生とマレーの国費生が混ざったクラスで、優秀だった。F36Cはほぼマレーの国費生で、これまた優秀だった。私の知る限り、最も勉強熱心だったと思う。今から思うと、私のEJU(日本留学試験)対策の社会科は、経験を増すごとにわかりやすくなっていった。日本ではベテランでも、マレーシアでは新人だったからだ。

今、四国にあって、関西弁のパーセンテージは、大阪にいる頃(完全100%)よりだいぶ少なくなっている。30%くらいではないだろうか。(もちろん妻と話すときは100%だが)これは、PBTで矯正されたものであると思う。日本語学習を始めて1年くらいの学生に、関西弁は難しい。授業では、かなり意識していたつもりなので、そのくせがついてしまった。(笑)

とはいえ、初期のF36では、関西弁がほぼ100%で、ずいぶんと聴解するのに苦労させたと思う。最初の授業など、関西弁でアジア通貨危機について大阪の高校生相手同様にバンバン話していたのだから…。ほんと、F36の学生諸君が優秀で良かったと思う。後の学生より難しく教えたのにF36Cの国費生は、EJUの社会で歴代最高平均点をたたきだしてくれたのだった。私は実に恵まれたスタートを切ったのだった。

そんな彼らがもう、大学を卒業する。一番日本語が苦手で心配したB君も無事T大学を卒業したという。彼は優しく、ムスリムとしても優秀だった。ラマダン明けの食事会の時、まずデーツ(なつめやし)から食べてくださいと教えてくれた。私がマレー人と同様、手で食べているのを満面の笑みで喜んでくれたのだった。ただ、日本語は苦手で、EJUと修了試験を経て日本留学が決定した時は感激して号泣していたのを思い出す。夏休みに日本人の友人と共にPBTに来てくれた。成長した日本語に実に驚かされもした。

彼らの本当の出発はここからだ。日本に残る者、マレーシアに帰る者、それぞれだが自分の進むべき道を歩んで欲しい。

2021年3月24日水曜日

三崎高校前の桜


三崎の桜は、今見ごろだと思う。山桜もあちこちで咲いている。実に日本らしい風景で美しい。ただ三崎は風が強いので、すでにだいぶ散ってしまった桜もある。そういう桜の木の前に立つと、ついつい70年代フォーク世代は、「風」の「ささやかなこの人生」を口ずさんでしまうのだった。♪花びらが散った後の桜がとても…。

三崎高校の前には桜並木があって、伊方町でも最も桜が美しいところのひとつである。地域の方が、道端に花壇を整備していただいていて、その濃いピンクの花とのコントラストも美しい。まだ満開とはいかないようだが、今日は青空だったので愛機G1Xで撮ってみた。



何故日本人は桜が好きなのだろう。妻と語りあっていたのだが、その風や雨などでいつ散ってしまうかわからない、諸行無常の典型のような存在だからではないだろうか。次見るチャンスは1年後。儚いからこそ、その美しさが倍増される。時間的に貴重な存在だからこそではないか、というのが夫婦の結論である。

マレーシアにいた時、桜を見たくて見たくて仕方がなかった。日本に帰ってきて、三崎でこのような美しい桜に出会えたことが嬉しい。

2021年3月23日火曜日

東北大震災時の南アRSA

アフリカの話をエントリーしたい。我がブログのタイトルにアフリカを冠した以上、アフリカウォッチャーであることを止めたくない、そんな思いで探していたら、いい記事を見つけた。先日10年が経過した東北大震災時に、南アから来たRSA(レスキュー・サウスアフリカ)の話である。https://news.yahoo.co.jp/articles/703562ea80ad5547a5f236efef754eadea544250?page=1

宮城県で1週間活動をしてくれた話で、被災者の混乱のなさや、被災者でありながら警備にあたってくれた警官との絆など、感動的な話が載っている。私が最も印象に残ったのは、彼らが日本の援助へのお返しという気持ちと共に、アフリカは援助されるだけではない、援助する側にも回れるのだということを内外に示したかったという部分だ。その意気が未来をつくっていくと私は思う。

実際、RSAは、マラウイ、ボツワナ、ナミビアといった周辺国で、レスキュー部隊を拡大することになったようで、これにはもちろん日本のJICAも関わっているとのこと。昔、JICA大阪でレスキューの研修を受けに来た消防士の方とよく出会った。パラグアイやメキシコなど中南米の研修員さんが多かった。日本の国際協力の中でも得意分野のひとつである。

まだまだアフリカのニュースで、明るいものは少ないのだが、この記事、是非読んでいただきたいと思う。

2021年3月22日月曜日

63歳の誕生日に。


 恥ずかしながら、本日は私の誕生日で63歳になったそうです。私はてっきり64歳だと思っていました。妻に訂正されました。(笑)齢を取ると、年齢などどうでもいいと思うものです。今日から、春季休業なので塾は11時から19時の時間帯にしました。まずはミーティングで週間進捗報告書の確認、その後生徒がぼつぼつと来てくれました。だいたい地元生です。新3年生の男子2人には、数学の共通テストを実施。未咲輝塾は今日から受験に向けて大きく舵を切りました。

Facebookに、かなりの数のメッセージを頂きました。どんどん入ってきて驚きました。私は果報者です。一人ひとり返信させていただきました。教師にとって、教え子諸君や先輩同輩後輩の方々の存在こそ財産だと思います。感謝の意味を込めて、伊方町地域おこし協力隊のサクラサクと卒業式の時のFacebook(これはほとんど私の友人はご存じないので)をコピーして投稿しておきました。

さて、今日は二名津(三崎から山一つ越えたところにある地区)出身のKさんとOさんの感謝の想いをこめての最後の吹奏楽部のコンサートがありました。私は塾を閉めてから行ったのですが、多くの地域の方が来られていて今は休校となった中学校の体育館は満員でした。三崎高校からも、学校長をはじめ管理職と若手の先生方が集合されていました。塾講師も全員集合で、生徒たちに喜んでもらえました。実にいいコンサートでした。Kさんの二名津の皆さんへの感謝の手紙も、卒業式の答辞同様素晴らしいものでした。地域の方々の協力で、こういうコンサートができる学校というのは、ほんと他にあるのだろうかと思います。(これは学校長の挨拶の要旨でもあります。まさに同感です。)

そんなこんなの誕生日でした。

2021年3月21日日曜日

ドンキホーテのKL進出

https://hallfield.jp/blog/detail/id=197
ドンキホーテが、KLに進出したようだ。YouTubeの映像から、ブキッビンタンのロット10(現地では、ロッテーナと言わねば通じない。)のようだ。ここには、伊勢丹が入っていて、日本の食材売り場や、日本食レストランが軒をつらねている、いわば日本商品の窓口である。

ドンキホーテが店を構えるにはもってこいの場所だが、伊勢丹との競合が気になるところ。私が、マレーシアにいた頃、セブンイレブンはすでに進出していたが、かなり現地化していた。マレーシア進出言えば、ファミリーマートが、ミッドバレイのメガモールの入り口に新規開店し、抹茶アイスが爆発的に売れていた。おでんも人気だった。(笑)マレーシア人はマレー系も中華系もインド系もみんな日本の商品が大好き。ダイソーなんかも大いに繁盛している。ドンキホーテもきっと成功するだろうと思う。

YouTubeでは、ハラル認証の話が出ていたが、当然のことである。また中華系にはノンハラルの商品も人気がある。この辺は実に微妙なところなのだが、マレーシアの人々はこの問題を鷹揚に捉えているので、はっきりと提示してあればあまり問題はないと思う。互いの違いをよく認識している。これはマレーシアという国の深い知恵である。

ちなみに、大阪の自宅近く、国道1号線にはドンキがある。しかし、ここ三崎からは松山まで片道2時間以上かけて行かねばならない。長いこと、行ってないなあ。

なお、マレーシアでの店舗名は、ドンキホーテではなく、DON DON DONKIというらしい。店舗内にかかっているテーマソングにあやかっているようだ。これはいいアイデアだと思う。もし、今度マレーシアに帰ることがあれば、ロッテーナのドンキホーテ、是非行ってみたいと思っている。

2021年3月20日土曜日

最後のビートルズ世代

私などは、最後のビートルズ世代だと言ってよいだろうと思う。中3の頃、最後のアルバム Let it beが発売され、町中に Let it beが流れていた。実は私は、中学時代はクラシック派で、有名どころをほぼ聞いていた。(これは後に教養として大いに役立った。)

ところが、高校時代は、一気に、ロックやフォークに親しむことになる。放課後には、軽音(楽部)が、ディープ・パープルのSmork on the waterを大音響で弾いていたし、クラスではフォークギターを弾けるのが当たり前という環境であった。いろんなカセットテープを借りては、聞きこんでいた。拓郎、陽水、かぐや姫。よって、70年代の彼らの曲はほぼ知っているし、ギターで弾ける曲も多い。彼らメジャー組以外に、加川良やアリス、高田渡、金森幸助、西岡恭三、そして上田正樹、憂歌団といった関西のフォーク・ロックに、クラスの友人たちの志向が枝分かれしていく。だが、ビートルズは誰もが知る存在であり完全に別格だった。

ビートルズは解散したが、その影響は強かったし、新曲がでない分、「教養」になっていた。それまでのクラシックを捨て、私は赤盤(前期の人気曲を集めたアルバム)を買い、後期の分は、サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドやホワイトアルバム、アビロード、そしてレットイットビーなどを買いそろえていた。ポールの作ったバンド・ウィングスのアルバムも買って聞いていたが、ジョンを失ったポールは一気に小さくなった気がした。それはジョンも同じだ。ジョージの影響で、インド音楽、特にラビシャンカールなども聞いていた。ほんと、教養としてのビートルズを学んだといってよい。中学時代のクラッシックと同様にこの頃、ビートルズを聞きこんでおいてよかったと思う。

今回の大阪帰省にあたって、ビートルズでも特に好きな曲を集め、CD1枚分入れてみた。そんなこともあってのエントリーである。

大阪への帰省に備えCD製作。


先日、町役場から大阪への帰省の許可が出た。L君がまだマレーシアを離れなられないので会うことはできず、喜びも半減以下ではあるが…。妻は、ミシンなど今回持って帰るものの整理をしている。私と言えば、長距離ドライブに備えて、新しい曲をCDに入れようと、昨夜から頑張っていた。(というわけで、昨夜はブログを更新できなかったわけだ。)


Craving Explorerというアプリを私は入れていて、先日ヴァージョンアップした。すると、アイコンが変わってしまった。気に入っている元のアイコンの画像を探し出し、これまたアイコンをつくるアプリを入れて画像をアイコン化、見た目はもとのヴァージョンに見えるが最新版。(私はwindows98以来、こういう遊びをやってきた。)
最新版は優れもので、YouTubeをmp3に変えるのが以前よりかなり早い。しかも簡単になった。以前mp3変換できなかったものもできるようになった。(あるいはできないものは最初から出ないようになっているのかもしれない。)今日の上の画像を見ていただきたい。取りたいページのの赤いアイコンをクリックするだけでmp3にほぼ2-3秒で変換できる。ちなみに青いアイコンはmp4(映像)変換である。

妻の希望曲を中心に結局、CD3枚分を焼いた。わが夫婦は70年代フォーク世代であるので、今流行っている曲はない。きっとレアな曲が多いと思われるはずだ。

たとえば、最初に入れた曲は、有山じゅんじの「気持ち」。加川良とのセッションをしている、今日の画像では上から2番目のものである。うん、かなり渋い。(笑)アリスも入れてみた。明日への賛歌と愛の光。私たちは大阪・阿倍野のアポロビルに、まだ売れてなかったアリスを聞きに行っていた世代。アルバムで言えば、アリスⅠ・Ⅱである。これまた渋い選曲である。

2021年3月18日木曜日

三崎高校合格発表にて


朝10:00から、三崎高校の合格発表であった。出前塾に行った伊方町内の三中学校の生徒や先生方が見守る中、全員が合格。Congratulations!

今回は、講師全員でこの合格発表を見守ることにした。これが出前塾の最終回だと私は思う。こういう人情の機微を若い講師陣には伝えたい。

さて、塾の総括書をみんなで見てもらい、意見をもらいながら、確認していった。今年度は、多数入学した1年生主体の塾だった。3年生の共通テスト受験志望者が少なかったからである。来年度は少し趣が異なる。講師陣の意識を受験対策中心に舵を切ることにした。すでに、口頭で伝えてあったので、スムーズにミーティングは進んだ。

その後、誤字の訂正をして、学校に提出し、プリペン、町教委にメールで送付した。町教委では、あらためて年度末の報告をさせていただく予定にしている。

2021年3月17日水曜日

県知事の来校・来塾

これまで、様々な方に三崎高校と塾に来ていただいた。学校関係の視察が多かったが、伊方町の教育長、愛媛県の教育長といった方も来られて緊張したこともある。そして今日はいよいよの県知事であった。総合探求学習を頑張っている三崎高校の視察である。ありがたいことである。昨日、総出で塾の大掃除をした次第である。(笑)

予定より10分遅れで、知事がこられた。ほんの2~3分であったが、質問にお答えした。

学校側も準備が大変であった。昨日2F職員室前には、わざわざ、せんたん部の旗(映画せんたんビギンズで最後に振っていた裂き織の旗である。昨年の大久のせんたん劇場以来である。)まで掲示されていた。(逆光で見にくいが、向かって左にある三角の旗である。)

さて、明日は合格発表である。出前塾で接した伊方中学・瀬戸中学・三崎中学の受験生を講師全員で迎えたいと思っている。

2021年3月16日火曜日

塾の総括をめぐって想う事


 今年度の塾の総括を先週から書き、何度も何度も推敲して仕上げている。たびたびミーティングを行い、少しずつ総括の内容を講師陣に伝えている。少し事情があって、正式な会議は木曜日に行う予定だ。今日は、2人の講師と1対1で話した。塾内の不満も聞いたが、あまり無いようで、それよりも来年度の取り組みを考えてくれていた。1年間かけて、いいチームになってきたと思う。学校と連携を重ねて1年間。昨年とはまるで違うようになった。実にありがたいことである。

これまでも、私は周囲に恵まれてきたと思う。最初の商業高校では、一番年齢が下の時代が長かったが、先輩に恵まれたし、工業高校時代は、先輩だけでなく後輩にも特に恵まれた。数々のイベントに共に汗を流した絆がある。進学校時代も、体育系普通科時代も、そしてマレーシアでも同様である。もちろん、いい生徒にも恵まれてきた。

もとより、私は金持ちではないが、こういう人間関係こそが私の財である。今日は、ここ三崎高校で、そして未咲輝塾で、そういう想いをまたまた確認できた。こんな人生を歩んできた私は実に果報者である。

2021年3月15日月曜日

マレーシアの5月


地域おこし協力隊の仕事の一つに、年4回、町図書館に掲示するポスターの製作がある。毎回頭を絞り考えるはめになる。今年に入ってからは、各隊員が、月ごとのテーマで作ることになった。前回は2月で、バレンタインデーの話にした。今回は5月である。

自分の紹介や任務の紹介にまつわる内容と言う縛りと、小学生が読めるような内容という縛りがある。最初は五月病について描こうかと思ったが、ネガティブすぎるのでやめた。ちょっとマレーシアのことを描こうかと思い、調べていると、今年はラマダーンは4月に始まり、5月に終わることがわかった。太陰暦であるから、太陽暦では、どんどん前倒しされるわけだ。

5月は、同時に釈迦の誕生日も祝日で、マレーシアはこういう宗教的な祝日が多いこと、自分の宗教を大切にするとともに、他者の宗教にも寛容であるという特長を知らせることもできると判断した。一応、5月以外のインド系の祝日もあり、国教はイスラム教だけど、クリスマスもあるよと言うカタチで結んでみだ。

2021年3月14日日曜日

三崎のコアラとハクビシン

三崎に、コアラが出現?昨日の朝のことである。妻が、「コアラがいるで。」と言った。私の住処の少し西にある大木にたしかに、コアラがいる。…ように見える。これは陽の当たり方が作ったいたずらである。1時間後にはコアラはいなくなっていた。(笑)

三崎にハクビシンがいる。これは本当だ。住処の玄関を出ると、目に飛び込んでくるのは、ビワの木である。前の畑のオジサンとオバサンが一昨年は食べきれないくらい出来たというビワの木である。しかし、昨年は、美味しそうに出来たビワが毎夜毎夜次々と消えていった。結局、全ての実は無くなった。おそらくハクビシンの仕業だと推測されている。佐田岬半島にもいるようだ。狸に似ているが、木登りが得意で果実に目がないらしい。

地域おこし協力隊に、最近、Iさんという害獣駆除を専門にしようとしている方が入られた。彼に聞くと、ハクビシンを捕まえるには、ビワの実がなる前に、もっとおいしい匂いがする果実を餌に捕獲機を置くといいそうだ。ただし、ハクビシンは自由に捕獲できる動物ではないらしい。許可証を持った人しかダメらしい。「役場の産業課の農林水産室に連絡した方がいいですね。」とのこと。なかなか難しそうだ。

すでに、小鳥なんかが飛んできて大分受粉され、青い実がどんどん育っている。すでに黄色くなっている実もある。別に食べたいわけではないが、去年のようになれば悔しいではないか。前の畑のご夫婦の楽しみが消えてしまう。で、先日お会いしたので、このIさんの言ったことをオバサンに伝えたのだった。すると、「ホウレンソウを是非。」と分けていただいた。こちらもイモけんぴをお返ししたのだが…。毎日見ているビワ…。やっぱりちょっと分けてほしいかな。(笑)

2021年3月13日土曜日

今再び愛媛県歴史文化博物館

 一昨年の12月に一度訪れた愛媛県歴史文化博物館を今日再訪した。理由は天気が良かったことである。というのも、入試の関係で3日間自宅勤務で家にいた。今日は「晴れて」自由に動ける日が訪れたからである。妻がこのところ、「村上水軍」のYouTubeを見ていたりして、行こうと提案したのだ。そう、前回は駆け足で回ったので、今回はじっくりと見ることにした。しかも前回はこちらに来て間もない時期であり、佐田岬半島に1年半住んで様々な予備知識が入っている。同じ展示でも大きく深みが増したし、新たな発見もあった。

その1つが、同じ公営塾のある「弓削島」が、中世、東寺の荘園であり、かの「不輸不入」の特権を得ていた場所だということである。塩を送っていたという話もある。不輸不入という日本史用語を属性を持って接することが出来たのは、ホント初めてである。

2つ目が、宇和島の伊達家博物館で探していた、「日本最初の蒸気船」の模型がここにあったことだ。(前回は不覚にも見逃していたようだ。)どんなものなのか、大いに興味があったので見つけることが出来て実に嬉しい。予想どおり和船を改造したもので、中央に外輪がついていた。(上記画像参照:拡大可能)

3つ目というか、廃藩置県の展示が面白かった。愛媛県はかなりの藩に分かれており、松山藩がそれに従い、次々と廃藩していく。宇和島藩の支藩としての吉田藩も同様だ。(吉田藩については、鬼北町の一揆記念館で知った。)この辺の視点は佐田岬半島が宇和島藩所属故に気になるところだった。

中江兆民と植木枝盛
また、第1回帝国議会(衆議院)の座席表や相撲の番付表のように議員名を配置した展示があって実に興味深かった。私は、高知県の当選者に「中江兆民」の名を探したのだが、そこに「植木枝盛」の名を発見した。(後で調べると、中江兆民は大阪の選挙区から当選している)そうか、植木枝盛も最初の代議士であったのかと、初めて知った。もう少し、詳しく解説すると、両者とも土佐の出身である。中江兆民はルソーの社会契約論を翻訳した人物で、倫理で出てくる。帝国議会で当選、その後再選前に辞職していることを教えたこともある。植木枝盛も自由民権運動で有名、大学の社会思想史で習った人物であるが、兆民に比べるとちょっと印象が薄いのだった。この発見も、意義深い。

https://ehime-c.esnet.ed.jp/soumu/kouhouehime/24kouhou_187/oshirase/oshirase.html
一方、企画展示として、おひなさまの展示がされていた。(これも楽しみにしていた。)大名所蔵のものは、調度品に至るまで超一級の工芸品でかなり凄いものだったし、明治天皇の変わり雛が展示されていて実に興味深かった。これは不敬に当たらないのか、という感想。(笑)

2021年3月12日金曜日

大阪に帰るつもりだが…。

経路となる鳴門大橋 https://tabi-mag.jp/ts0088/
この3月末には、大阪に帰りたいと思っている。昨年の2月にマレーシアへ行くため(F42の国費生卒業式)に帰って以来、1年以上帰っていない。理由は簡単、コロナ禍である。伊方町役場は、町内に高齢者が多いこともあって、非常に厳しい。

私事旅行で大阪へ行ったら、帰ってから2週間有休をとらねばならぬという可能性もある。ひえーである。そんな話になったら、塾のことがあるので帰ることはできなくなるが…。1週間体温を測るくらいなら…。

まあ、とにもかくにも私事旅行願を出した。3月26日には離任式があるので、次の27日から31日までの5日間である。もちろん、愛媛ナンバーの愛車で淡路島経由の最短経路で帰る。妻は、自宅の状況が気になるようだ。私は、3月中に来日する予定のL君に会いたいと思っている。何時、何処で会うかは未定中の未定。関空?京都?北千里?楽しみである。

2021年3月11日木曜日

今年度の塾の総括のために

先日からYouTubeで、信頼できそうな受験塾のページを見ている。この入試関連の閉塾・自宅勤務の期間を利用して、今年度の総括をしようと思っているのだが、そのうえでかなり参考になると思った。今日のエントリーはその備忘録である。

1.2年生から通うべき塾の特徴5選/①先取り学習ができる環境が整っている。(学校と並行するだけはダメ、少し先をずっと並行するのもダメ、先にどんどん進み、復習に戻る)②自分のペースでできる。③主要科目が全て取り扱える。④学習計画や方法に関して的確なアドバイスをしてくれる(受験勉強の方法を教えてくれる)⑤ちゃんとテストをしてくれる(講義や宿題など出しっぱなしにしておくとできない生徒が多い)オマケ:スタディサプリの利用・講師の学力は高ければ高いほど良い。

…この内容は実に参考になる。未咲輝塾にあてはめて考えたが、いいとこ行っていると思う。数学や英語、理科などは⑤もオリジナルでやってくれている。スタディサプリの利用をもっと考えようと思う。

高3夏偏差値50の生徒の受験戦略について/偏差値の意味:50が一番多い。偏差値は周りとの比較。他者が1日2時間やっていたとして同じなら偏差値は上がらない。上位程勉強しているので勉強時間を増やす以外にない。特に他者がまだやっていない春休みは上げやすい。半年間頑張れば5は上がる。+10を目指して、勉強の習慣をつけて効率よく質の高い勉強法をすればいい。浪人もいるので夏以降は上げにくい。偏差値45が50を超えるのは、抜く人数が多い。真剣にやらないとダメ、基礎をきっちやれば良い。

…これは頭が痛いところだが、厳然とした事実。肝に銘じたいし、塾生には伝えたい。

スタディサプリ攻略法/自分のレベルにあったものを選ぶために、第1回は分かりやすい授業が多い。真ん中あたりと最後を見てみる。内容はわからなくていもいいが、レベルを上げるのなら、この最後のレベルを見て判断すべき。教材はPDFで閲覧できるが、紙の冊子を買った方がいい。PDFテキストを見る前に予習すべき。1講座24コマくらいなので、短期決戦で2週間くらいで(遅くとも1か月)。同時に講座はたくさんはやらない。英語と数学は早めにやる方がいいので、この2教科の並行受講は可。社会などはゆっくりめでいい。簡単な練習問題ができないなら再度聞く。とにかくインプットが先、あとでテキストの問題を解く。成績が上がるのは講義を聞いてではなく、アウトプットの時。1日2~4コマ進めるが、倍速再生や1.5倍速も利用。復習の仕方:演習をして間違えた問題で、解答を見たり後で調べて理解できるのならそれでよし、理解があきらかにできていないものは質問。独学における最高のツール、効率はいい。基本とちょっと応用なら効果がある。誰も見ていないところで1人でやる際の自立が大事。

…これも重要な話である。他の若い先生方と議論したいところ。未咲輝塾は、純粋な受験塾ではない。しかし、4年制大学受験生への対応を来年度はさらに本格化したい。

3.11から10年

風の電話 https://miraikoso.or.jp/post-2072/
東日本大震災から今日で10年である。朝、伊方町の町役場から、黙とうの実施のお知らせがスピーカーから流れた。

10年前、私は大阪市立M高校の正門付近のベンチでタバコを吸っていた。(この頃は校舎外の喫煙は全く問題がなかった。)なにか体が揺れたので、血糖値が高いのかなと思っていたら、学校の前の畳屋のご夫婦が飛び出してきて、「先生、地震やで。」と叫んだ。電線をみたら、なるほど揺れている。大阪は震度3くらいだったはずだ。

職員室に戻っても、普段とは変わりなかった。1時間ほど国際交流部の仕事をして戻ると、状況は一変していた。TVで千葉の化学工場が大火災を起こしていた。津波の被害を聞いたのは、妻からのメールであった。帰宅後は、TVは全て震災の報道一色になり、その後ほとんどのバラエティー番組が無くなり、民間企業のコマーシャルも無くなった。政府広告機構の挨拶のコマーシャルだけになった。

そんな中で、3月下旬、私は秋田商業高校に視察に出かけたのだ。雪の残る秋田空港に着き、岩手の方角を向いて、まず黙とうをささげたのを思い出す。ちょうど、このブログを書き始めたことの話である。

被災された方々や支援に向かわれた方々の想像を絶するご苦労を想うと胸が苦しくなる。それは、10年たった今も同じだ。阪神大震災を経験した関西人として、東日本大震災を経験した日本人として、そして教育に携わる者として、生徒たちに、その経験と防災の重要性を伝えなければならない。いつまでたっても、この日を忘れるわけにはいかないと思う。合掌。

2021年3月9日火曜日

週間進捗報告書の話


 11日・12日が愛媛県立高校の入試である。その準備が明日10日午後から行われる関係で、塾は閉塾になる。大阪で何度入試準備をしただろう。学校によって対応は様々だったが、全ての教室に紙で封印したり、机の落書きを消したり、教頭・教務部長と共に府の教育センターに問題を取りに行ったりしたものだ。その場合、大阪では帰路は絶対にタクシー利用である。愛媛でそんなことをしたら、莫大な費用がかかるので、そんなことはないとは思うが…。

とにもかくにも、そんなわけで3日間は自宅勤務日になる。今週は2日間のみの開塾である。ところで、公営塾では、週間進捗報告書というものを毎週書いて(正確にはPDFに直して)いるのだが、今回は、3月1日から9日までを一括して報告というカタチで了承していただいた。提出先は、塾のオーナーである町教育委員会、クライアントである学校、そしてその間をつなぐプリマペンギーノという会社である。私が塾長になった今年度から、毎回塾講師がそれぞれグーグル・ドライブで生徒対応や教材研究の状況報告等を書き込み、ミーティングをして、承諾を受けたうえで提出している。手間がかかるが、関わった生徒の情報共有に有効だ。

先日から懸念していたことがある。来年度学校の通学バスが2台になる。ありがたいことなのでが、それだけ経費もかさむわけで、20:30発の塾生用のバスをどうするかという難題が重くのしかかっていた。詳細は書けないが、ミーティングで一応の結論を見た。こういうミーティングは実に重要である。すぐに提案を公文書風にして提出した。

というわけで、塾のマネジメントをコツコツとやっている。教え子諸君には「責任ある行動」しか言ってない。私のマネジメントは、その責任を全うすることしか考えていない。今のところ、全うできていると思うが、齢を感じることもあるのだった。(今日の画像は、内容に関係なく玄関から見える畑に咲く野草)

2021年3月8日月曜日

続・本年度最後のサクラサク


昨年度の塾生で、ある芸術系の公立大学受験に失敗したOさんという子がいる。砥部焼の窯元の子で、才能豊かな子だった。塾でもデッサンや着彩をしていた変わり種でもあった。彼女も無事合格したという知らせを今日受けた。実に嬉しい。1年間一人孤独にデッサンをしていたのだろうと思うと胸が苦しくなる。しみじみ、よかったなあと思う。彼女の志も知っているし、この大学はそれにふさわしいコースがある。彼女の未来に乾杯。

一方、塾生ではないのだが、公立大学に合格した地元生がいる。彼とは、共通テスト前にキットカットを渡しただけの関わりだが、やっぱり嬉しい。これで三崎高校としては、国立はなかったが、公立4校に合格したことになる。

私は、昨日エントリーしたが、比較的公立大学に好印象を持っている。神戸市立外国語大学以外にも、大阪市立大学や大阪府立大学、奈良県立大学にも教え子を送ってきた。要は、生徒自身がそこで何を学び、自分の実存を確立できるかである。もちろん私立大学も同様。どんな大学だって100点満点はない。私も受験に関わるようになって長いが、結局のところ生徒自身の問題だと思うのだ。

2021年3月7日日曜日

私のお勧め大学


YouTubeで、ある東京の個別指導塾の2人の番組があって、いろいろな大学の話をしていて面白かった。その中でお勧めの大学の話があった。もちろん、個人的主観なのだが、私にもある。本年最後のサクラが咲いたこともあるし、そんなエントリーもしておこうかなと思う。

大学は千差万別、旧帝大がもちろんいいのはわかっているが、ここでは省こうと思う。もちろん、私の経験に基づいた主観だし、文系ONLYの話である。

まず国公立大学編。北からいくと、北海道教育大学(ESD教育も盛んで僻地教育コースなどもある。PBTから1人行った。)国際教養大学(秋田にある、知る人ぞ知る、英語ONLYの講義の超実力派の大学。図書館は俊逸で大阪の教え子2人が行った。)秋田大学(国際資源学部がいい。経済学的な視点や文化人類学的な視点などなかなか多様で面白い。PBTからF36・38・42と送った。)筑波大学(元東京教育大学。最先端の学問が行われているイメージあり。PBTから2人行った。)一橋大学(文系の単科大学。ここの社会学は凄いと思う。PBTから1人行った。)横浜市立大学(ここに大阪の教え子2人が行った。かなりカリキュラムがいい。)都留文科大学(今年三崎から生徒が行く。公立の文系の単科大学。カリキュラムが面白い。)静岡県立大学(ここの国際関係はすばらしい。現在F40 のJ君在学中。)滋賀大学(経済・経営系の国立単科大学。近江商人の歴史がある。留学生への配慮が深い。PBTから2人行った。)神戸市立外国語大学(大阪外大が阪大外国語学部になってから、大阪の教え子多数とPBTからも行った。小さい大学なので、良きキャンパスライフは望めないが悪いことは聞かない。)奈良教育大学(関西でのESDの中心の教育大学。大阪から2人行った。)福岡女子大学(県立大学。PBTから2人送っている。留学生への対応は最高だと思う。)長崎大学(いろいろな面で他の国立大学と違う面白いコースがある。PBTから2人行った。)

私立大学では、関関同立はみんな教え子(大阪からもPBTからも)をたくさん送っているが、それぞれ良さがある。同志社のキャンパスも関学のキャンパスもいいし、教授陣も豊かである。同志社に入ったL君は、その自立した自由さに向いている。立命館はちょっと左派で、リベラルなF40のJ君好みか。H君の関学もKさんの関大もいい。総合大学の良さがある。関関同立の出身の先生もたくさん知っているが、微妙な差異があって面白い。ちなみに同志社女子大学もお勧め。もちろんESD絡みである。(大阪で1人送った。今は小学校の先生をしている。)

東京では、ICU(国際教養大学:リベラルアーツで語学が重視されている。早慶並みの難易度。PBTから1人行っている。)早稲田大学(私は福沢諭吉が嫌いなので、早稲田派。PBTから1人行っている。やはり人脈が凄いのが魅力。)MARCHでは、私は中央大学を推す。国際理解教育学会で行ったことがあるし、PBTに来てくれた中央大学のスタッフも懇意で、今回三崎から生徒が行くのが嬉しい。そして、昔大阪から送ったし、今A君が通う立命館アジア太平洋大学。学長が凄い人物なのと留学生が多く総合的に面白いカリキュラム。孔子学院があるのが気になるところだが…。

私の長年の進学指導で、教え子をお勧め大学に導いているのか、それとも偶然か?送りたい大学にかなり教え子が行っている。これもまた幸せなことである。

本年度最後のサクラサク 

 3年制で最後まで残っていた塾生が、K市立大学に合格した。いやあ、嬉しい。三崎高校は、地方創生の活動で今やかなり有名になっているのだけれど、その中心・せんたん部の部長として大きな貢献をした生徒なので、ほっとした。

塾がどれだけ関われたかはよくわからないのだけけれど、今回は共通テスト以後、集団面接があるということで、我が塾講師が数回参加した。これは大きかったように思う。普通の進学校ではありえない手厚い指導ではある。

これで、昨年中に合格した都留文科大学と合わせて公立大に二校合格させることができた。国立はゼロだが、国公立ということでオケラー(マレーシアの中華系の人々のOK)ということか。面白いのは、PBTの私費生担任の2年間、1年目のF38Aは合格した国立大学がそこそこあったのだが、2年目のF40Aは公立ばかりだった。私は、「2年目に公立大学」と縁があるのかもしれぬ。(笑)

これで、3年生の塾生で4年制大学志望者4名が全て決まった。後2人は、中央大学法学部と岡山理科大である。今年の進路指導もいろいろあったのだけれど、無事終わったわけだ。

2021年3月6日土曜日

米国の逆デモクレイジー〆

3月4日が過ぎた。米国の状況は実に不思議なままである。梅田じいさんは、本物かどうかわからないままであるし、ワシントンD.C.もどう見ても普通ではない。児童誘拐・売買等のニュースは次々に入ってくるし、逮捕者もいるようだ。だが、選挙の不正をただす方向には動いていない。なにかよくわからない仮想空間的な状況が続いている。一方の寅さんは、フロリダにあって共和党の中で頑張るような発言をしているが、陣営は選挙直後、1月6日後とは方向性が違ってきたように感じている。

結局、アメリカもまた民主国家ではなく(特に最高裁は機能不全で信じがたい禍根を残した)、その現実は教科書に書かれているようなものではない、という感覚が残った。また抵抗権という概念も生かされなかった。(内戦にならなかったことは良しとするが…。)マスコミも見事に報道管制をしている。民主主義の維持装置としての役割を放棄したままだった。そういう喪失感、アメリカへの失望感、不信感だけが残った。

もし、実際に信頼できる情報から、動きがあればこのシリーズは再開するが、イチローの背番号の次でとりあえずエントリーの〆をしておこうと思う。

ところで、今日の画像は内容とは全く関係がない。蒟蒻畑のライバル、ララクラッシュの杏仁ミルク味。これも実に美味しいので、蒟蒻畑コーヒー味とともに我が家では重宝している。今日も大洲・八幡浜に買い物に行った際購入してきたのだった。

2021年3月5日金曜日

塾のフライヤー改定

 6時限目に、ここ2日間の魅力化ネットワーク会議(全国の公営塾の会議)の塾内講師間の情報共有を行った。面白かったのは、3人の共通項は「違和感」だった。その理由は、他の公営塾では、総合的学習(1・2年生は探究学習という名に変わっている)で悩んでいる姿である。未咲輝塾では、塾生が多く講師陣は教科指導に追われていて、しかも総合的学習は高校側が熱心に活動しているのであまりサポートできる体制にないからだ。みさこうDAYでのイベントは、塾主催の総合的学習なのだが、まずなにより教科指導に忙しいのである。我が講師陣は、授業のプリント教材の内容を確認したり、各生徒に合わせた教材をつくったり、さらには出前塾の準備などで、この1年間を過ごしてきた。そんな彼らの違和感。未咲輝塾は、ちょっと他とは違うという発見が共通の感想だった。

この現実を私は、いい方向に捉えている。一方で、三崎高校と言う総合的学習の盛んな学校にあって、もう少し関われればいいなとも思っているのだが…。まあ、年度末から年度初めにかけて、塾の在り方について改めて皆で討議しようと思っている。

さて、そんな会議の後、事務長先生からフライヤー(塾のチラシ)を60枚ほど欲しいという要望がきた。60枚という数から推測するに、新入生向けだと考えた私は急遽フライヤーを見直した。ここにも「違和感」があった。昨年とは塾のやっていることがかなり変わっている。コロナ禍で出来なかったことも書かれてある。で、一気に改定したのだった。

三崎高校の先生方が我々に何を求めているのか、立場によって違うのだが、様々な面を考慮して書き直したのだった。まだ仮の姿だが、いずれ皆で再検討したいと思う。ああ、年度末だなあと思うのであった。

2021年3月3日水曜日

全国公営塾ミーティング

本来なら今年も東京で行われるはずの全国公営塾のミーティングが、2年連続でオンラインで実施された。ZOOMの使い方もだいぶ慣れてきた。今回は、ポスターセッションで塾紹介のパワーポイントを自分で開く(私にとってはニュースキルだ。)必要もあり、しかも3回も報告した。20の公営塾が参加しているけれど3回も発表したのは、未咲輝塾以外には2校だけ。それはそれで未咲輝塾の取り組みがが評価されているわけで、ありがたいことである。内容が今年の取り組みで「出前塾」の話であったため、当初から取り組んできた私がやったのだが、正直疲れた。(笑)来年は是非、他の若い講師にお願いするつもりである。

昨年は、いろいろと問題を抱えている公営塾が多かったのだが、今年は頑張っているなあという印象。1年目より2年目、2年目より3年目。徐々に歴史が作られて行く。もちろん、置かれた環境(学校の姿勢や、塾が校内なのか否か、行政との関係など)が違うので、評価は難しい。三崎高校は、教員集団が素晴らしいので、ひたすらサポートするカタチをとっており、それが正解だと信じている。学校からの要望に対して、我々にNOはない。YESあるのみ。やれるだけのことやらせていただければ、と思うのだ。

今日の画像は、軽井沢高校の取り組み。オンラインの利用がうまい。未咲輝塾もいずれ取り組んでいかねばならないと思う。

2021年3月2日火曜日

ターゲットからSDGsを視る

SDGsを理解するために、17のゴールを知っているだけでは不十分だと私などは思う。各ゴール実現のための169もあるターゲットを読むべきだと思う。今日、M中学で最後の出前塾・補充学習「ターゲットからSDGsを視る」を講じてきた。

内容は、先日エントリーした通り。ついついマレーシアの話が長くなって少し時間オーバーしてしまった。しかしながら、M中学の3年生はひたすら真面目に聞いてくれた。授業の後、みんなで記念撮影し、学校長と少しお話しした後、依頼者のA教頭先生からみんなの提出プリントをいただいた。これを見ると、「三崎からSDGsを視る」の内容など、なかなかよく理解してくれているようだ。高校生でも難解だと思うのだが、たいしたものだと思う次第。

正直なところ、今朝は花粉症がひどくて、軽く100回は鼻をかんでいた。万全の準備をしてM中学に向かったのだが、疲れるどころか元気をもらって帰ってきた。いいなあ、授業は…。M中学では、非常な歓待をしていただいたが、お礼をしたいのはまさに私自身の方である。

2021年3月1日月曜日

三崎高校第70回卒業式にて


 三崎高校の第70回卒業式が本日挙行された。塾でも講師全員スーツ姿で今日は勤務である。コロナ禍の関係で、在校生は教室でLIVE配信された画像を見るということで、我々もLIVEで参加した。やはり、卒業式は答辞で決まる。元生徒会長でせんたん部副部長、数々のイベントで大活躍したKさんが答辞を務めた。もちろん我が塾生である。しかも彼女は山梨の公立大学に合格している。将来は伊方に戻り、小学校の先生を目指している。当然ながら、実に素晴らしい答辞だった。

私は、彼女の答辞の「12年前、6年前、そして3年前から私たちは変わったでしょうか?」と保護者や先生方に問いかけたところで涙腺がゆるんだ。もちろん変わった。大きく変わった。青春とはそういう時期である。人生の中で最も濃い時間帯だと思う。

校歌斉唱。吹奏楽部も当日は参加できないので、ある日の朝6:00過ぎから録音したことも知っている。前奏が流れ、皆が歌う。三崎高校の校歌は実にいい。ほんと言霊がメロディーと合体してひとつの世界をつくっているようだ。LIVEで見ていて、3年生の肩が震えているのを見て、また涙腺が緩んだ。校歌が終わった瞬間、私は階段を駆け下り、体育館の出口に向かった。全くの予定外だが3年生の退場に拍手するためである。塾生は多くない。だが、様々な関わりを持った生徒も多い。

女子にはやりにくいが、男子の塾生や関わりを持った男子生徒と拍手の合間にハイタッチした。最後の最後に、エシカル甲子園で私のSDGs講義を受け、全国2位に輝いた女子生徒Wさんが出てきた。何故か彼女には素直にハイタッチできた。(笑)Kさんの答辞の中で「必ず、ここに帰ってきます。」という言葉が心に残っている。「かえって来るんやで。」そう心の中で言いながら…。

ところで、3年生に拍手を送って見送っている時、ふと体育館の後ろに在校生の顔が大勢映っているスクリーンが…。みんな拍手をしている。後で1年生に聞いたら、全員が携帯電話を使いZOOMで自分の映像を先輩に送っていたのだ。こういうことを考えつく三崎高校の若い先生方も凄いと思う。