2013年9月30日月曜日

妻が軍艦島に行ってきた

妻が撮った軍艦島
長崎に、軍艦島と呼ばれる元海底炭鉱のために作られた島がある。大正から昭和30年代にかけて、極めて高い人口密度を持ち、当時としては様々な新技術が駆使された島だ。高層アパートなどの外観から軍艦に見えるので軍艦島と呼ばれている。

この島、先日政府が新たに世界遺産申請した明治以降の産業文化遺産の中にエントリーされている。私は、いつか長崎に行って、軍艦島に上陸したいと思っていた。ところが、先日妻が先に行ってしまったのだ。くやしい。

上陸後、妻が撮った軍艦島
昨夜、ピーチ航空(これもくやしい。関空ー長崎往復でたった12000円だそうだ。)で帰宅した妻の口からでるわでるわ軍艦島のロケーションの素晴らしさ。もちろん今や無人島で廃墟になっているのだが、他の場所にはない素晴らしい趣がある。まさに芭蕉の「夏草や兵どもが夢のあと」なのだ。

あーあ。いいなあ。こっちは文化祭の疲れも取れないままなのに。ところが、罰があたったのか、ちょっと風邪気味のようだ。それはそれで心配している。

2013年9月28日土曜日

野球部の秋季大会を応援に行く

枚方市の陸上競技場から、私立K高校へバイクで走った。11:00過ぎに着いたのだが、なんと試合は始まっていた。K高校の野球グランドはすばらしい施設なので、一塁側に観覧席があるのだが、すでにほぼ満員だった。

試合の方は2点リードされていた。私が席に着いてからも1点追加されてしまった。0対3。うーん、前回の公立高校との試合でもいろいろなミスが出て、9回表まで2対3で負けていたのを、一気に10点取って大逆転したと聞いている。高校野球は何が起こるかわからない。

ところで隣に相手校の一般生徒が一列になって、大声で応援している。最初引退した3年生かと思ったが、1年生だと言う。後で気がついた。彼らはK高校の応援団だったのだ。球場ではないので応援団としての演技はできないが、声を出し続けているのだった。一生懸命に応援する姿に感心した次第。

控え選手の中にも我がクラスの生徒が。
さらに1点が入り、0対4のまま最終回を迎えた。それまで2回満塁のチャンスがあったのだが、まるで隣席の応援団の声に引きずられるかのように、ことごとく抑えられてきた。バッターボックスには、我がクラスのM君が立った。(今日は我がクラスから3人も背番号をもらい、頑張っていた。)それまで凡打が続いていたのだが、ついにM君のバットに快音が響いた。ライトとセンターの間を抜き二塁打となった。その後打線が繋がり、M君がホームベースをついに踏んだ。2アウトだが1・3塁となり、さらに快音。しかしそのライナー性のあたりはレフトに好守されてしまい、ゲームセットとなった。あー、惜しい。

本校の選抜出場の夢は、ここで断たれたのだった。グランドを後にすると、選手たちが集合していた。「ナイスゲーム。また夏は頼むで。」と言うと、ちょっとだけ笑顔が戻ってきたのだった。そう、この悔しさを胸に夏に向け、生徒たちの長い戦いが始まるのだ。

陸上部の記録会を覗きに行く

昨日の放課後、陸上部の長距離グループと出会った。聞くと、今日枚方の陸上競技場で記録会があるとのこと。5000m走は10時からスタートだと言う。自宅近くの私立高校で行われる野球部の秋季大会は11:10開始なのでなので、応援に行ってもぎりぎり間に合う。「よっしゃ、見に行くわ。」と約束したのだった。

陸上部は、長距離グループの他に短距離グループ、投てきグループなどに分かれている。我がクラスにも2人陸上部がいるが、短距離と長距離1人ずつ。2年生だけでなく、3年生も含めて顔なじみが多い。なかなか応援に行ける機会がなかったので、今日は絶好のチャンスだ。

早めに競技場に着いた。すでに長距離組はアップに出ていたが、短距離組はスタンドに集まっていた。突然私が登場したので、かなり驚いていた。(笑)顧問以外、あまり応援にくる教師はいないようだ。陸上の応援は1日仕事になるから、仕方がないと思うが、まあそれだけ喜んでくれたわけだ。

さて、長距離グループの5000m走はなかなか緊迫していた。本校の陸上部もよく頑張って上位入賞を果たしてくれた。これは記録会なので賞状もないレースなのだが、よく頑張っていた。陸上の生徒は、コツコツと努力する真面目な生徒が多い。相手は結局のところ、過去の自分自身である。個人競技だが、部として懸命に応援する。なかなかいい雰囲気だった。

時計を見ると10:45になっていた。「すまん、行くわ。」と言って陸上競技場を後にしたのだった。今度枚方でやる時は、短距離や投てきも応援してあげたいと思う。

2013年9月27日金曜日

朝日 ジンバブエ in CHINA

高橋朋子氏のジンバブエ理解の書
昨日の朝日新聞朝刊に杉山正記者の「ジンバブエ 中国台頭」という記事が載っていた。サブタイトルは「強制収容の白人農地 翻る深紅の旗」とある。

ルポは首都ハラレから北西に約100kmにあるチノイという農村から始まる。収穫が終わり乾期の枯れ草の風景に、突如スプリンクラーが水を撒く緑地が出現する。3年前から政府と契約した中国企業が運営している元白人の農地だ。そこは深紅の中国旗がはためき、スーツ姿の中国人が行き来する。現地の責任者によると、現在5000haの農地で小麦や大豆、タバコなどを年2回収穫する。20人の中国人と5000人のジンバブエ人が働くという。中国企業は直接運営する他に、現地農家と個々に契約し、全国に浸透しているという。

金やダイヤモンド、クロムなどの豊富な鉱産資源ビジネスにも中国企業が進出している。ハラレから北に60kmの金鉱山では、中国製のトラックや重機がフル稼働している。警備のジンバブエ人は、”中華人民共和国・保安”という腕章をつけている。12人の中国人が住みこみ150人のジンバブエ人を雇用しているが、公用語の英語が堪能な中国人はいないのだという。この鉱山は元イギリスの所有だった。鉱員の言によると、中国に経営が変わってから、給料も安全性も悪化したと言う。地下200mの作業でも落盤対策をしてくれないと嘆く。

ジンバブエ商工会議所のエコノミストは「中国による経済植民地化だ。中国系企業下の労働者は悲劇的だ。まるで奴隷のように扱われている」と語った。

この本もお勧め 衝撃のルポ
…ジンバブエの転落は、ムガベ大統領が独立闘争時に兵士たちに約束した白人農地を解放するという約束を、自身の大統領選挙の人気取りとからめ、過激な武装闘争的に行ったことから始まった。元宗主国イギリスとの穏健な白人所有から黒人所有への転換を破棄したわけだ。当然、白人は身の危険を感じ出国。有能な経営者と投資者を失ったジンバブエ経済は完全に破たんしたわけだ。私がジンバブエを訪れたのは、その混乱が一応ひと段落し、記録的なハイパーインフレの前夜という時期だった。まさに、ムガベの独り相撲のおかげで、ジンバブエの土台は崩れ去ったのだ。白人たちは穏健に黒人所有へ移行する長期的な計画を持っていた。それが大混乱したのだった。しかも為政者の非から経済制裁までくらうことにもなった。そんなジンバブエの一般の人々にとっては、白人に取って代わったのが、いまや中国人…という構図になる。

…ムガベが先日6選したが、高齢だ。彼を引きずり下ろすことはもうできまい。だが、彼が死去した後どうなるのか?ジンバブエの特にショナの人々は無茶苦茶人が良い。素直で明るく、素晴らしい人々だ。ンデベレの人々も接した経験はないが同様だと思う。今再びの武装闘争などは起こらないと私は思うが、中国企業はポスト・ムガベに備えた中長期的な展望を持つべきだろう。自国の利益だけを追求しすぎると、いくら人の良いジンバブエの人々でも黙ってはいまい。中国企業、悔い改めるべし。いくら稀代の独裁者の元にあるからといって、これ以上ジンバブエの人々を搾取してほしくない。私はそんな強い危惧を持っているのだ。よって、今日のエントリーのタイトルは、あえてこういう表現にしたわけだ。

2013年9月26日木曜日

日経 池内恵氏のシリア情報

アラウィー派をアラビア語で画像検索してみた
先日(24日)のエントリーで名前が出てきた池内恵東大準教授の論文が、今朝の日経に載っていた。「経済教室・シリア内戦と国際秩序/米国の覇権衰退で複雑化」というタイトルである。
なかなか有用な情報が載っていたので、モーニングで読んだ後コンビニで購入してしまった。(笑)以下、重要な情報をエントリーしておきたい。

まずシリアという国について。シリアには見るべき産業も鉱物資源もなく、人口も2100万人と少ない。エジプトやサウジ・湾岸諸国と比べて国際政治的・地政学的な重要性は低い。アメリカがシリアへの介入に二の足を踏む理由のひとつである。ただ、同時にシリアは放置できない国でもある。シリアの隣国は皆、紛争の火種をかかえている。シリアが属国扱いするレバノンの宗派・派閥対立をあおる工作を得意とし、暗殺や無差別テロを駆使して支配下においていた。シリアは、パレスチナ人組織の強硬派・武装闘争を支援してイスラエルを脅かしている。トルコとの国境地帯には少数民族のクルド人を多く抱えている。イラクにはジハード主義勢力を送り込み国家再建プロセスを妨害した過去もある。そのジハード戦士たちが現在は反アサド勢力になっているわけだ。アサド政権はこのような周辺諸国の紛争に介入する能力をちらつかせたり、時には行使しつつ、戦えば負けるイスラエルや米国、国際社会と直接対決を回避することで政権の安全保障と経済的見返りを得てきた。

シリア内戦の構図は、次のようなものである。大都市中心部の少数のエリートの「持てる者」と近郊や地方都市・農村の「持たざる者」の地域間・階級的対立がある。アサド政権は、ムスリムの中でも少数派のアラウィー派が軍や秘密警察を支配し、少数派のキリスト教徒や一部のスンニ派も取り込んで大多数の国民を恐怖で支配してきた。政治を自由化すれば政権崩壊は不可避であると見たのだろう。内戦はさらに宗派紛争の様相を濃くしてきている。アラウィー派やキリスト教徒は政権維持にすがらなければ報復を受けると考えている。さらにクルド人は反政府勢力のアラブ民族主義を恐れている。

グローバル・ジハード勢力(アルカイーダなどと関係する勢力)は、反政府勢力の多数派にはなっていないが、彼らの存在が欧米の支持や支援を阻害している。一方で、圧制者に対するジハードは義務であるという規範は多くの一般のムスリムに共有されており、シリア内外のムスリムが反アサドで戦う事が宗教的義務と見る状況になっている。

さらに、池内氏は、米国の抑止力低下によって、中東の米国同盟国は独自の行動を取りかねないと指摘する。イスラエルが、イランの核開発へ単独攻撃する可能性やサウジが独自の同盟政策や介入政策を取り、地域紛争の構図を複雑にする可能性もある。日本にとっても中東の不安定化は、エネルギーやスエズ運河の安全運航など、死活的な意味をもつと結論付けている。

…シリアという国は不思議な国だ。東アジアにもちょっと似た国があるが、それ以上に内戦の構造が極めて複雑である。しかしながら池内氏の解説は極めて明確で解り易かった。ちなみに、アラウィー派は、シーア派のアリーを神格化する宗派であるらしい。これにインドの輪廻思想なども入っていて、かなりイスラームの中でも特徴的な教義であると思う。私にはそれも興味深い。

2013年9月24日火曜日

ナイロビのテロについて

ケニアの首都ナイロビで、外国人が集まるウエストゲート・モールがソマリアの「アルシャバブ」に襲撃された事件は、このエントリーをしている時点で62人が死亡、200人以上の負傷者を出し、ケニア軍によって制圧されたという情報がツイッターでケニア内務省から流れた。容疑者3人を射殺、10人以上を逮捕したということだ。

ナイロビは私が初めて立ったアフリカの地である。心が痛む。訪問した時は、アメリカ大使館が襲撃された後だったので、何度か書いたが、JICAケニア事務所は我々に厳戒態勢を取った。だから危ない街であることは認識している。先日エントリーしたように「T.I.N」でもある。(本年9月16日付エントリー参照)だが、ものすごく魅力にあふれた街である。ソマリア内戦では、ケニア軍がアルシャバブの支配する南部で掃討作戦を行い、今回のテロは、その報復だというが、ケニアも大量のソマリア難民を受け入れ財政的な負担も大きい。どうみても、アルシャバブに非があると判断せざるを得ない。

ところで、昨日の毎日新聞の「風知草」(山田孝男氏の署名記事)に、シリアの空爆回避について朗報だがシリア問題の解決は意味しないのではないか、という主旨の論が載っていた。この記事には、池内恵(さとし)東大準教授(イスラム政治思想史・中東地域研究)の視点を大きく取り上げたものだ。池内氏は「シリア内戦への軍事介入をイラク戦争と比べて論じる傾向がありますが、適切ではない。むしろルワンダの虐殺など手がかりになると思いますよ。」とインタヴューで述べている。

この真意は、ルワンダ虐殺の時、先進国の無責任な施策によって虐殺が拡大したことを意味する。池内氏は、高校時代に『歴史の終わり』や『文明の衝突』を読んで、未来は今とはかなり違うものになると思ったという。前書の著者フランシス・フクヤマは、全体主義への民主主義の勝利を、後書の著者ハンチントンは、西欧優位を脅かすイスラムの台頭を論じた。

「現実に民主化とイスラムの波がぶつかりあい、古い秩序が揺らいでいる。(山田氏)」
「(アメリカが世界の警察官・裁判官として、規範を示し、軍事力を背景に国際秩序を保ってきたが、)イラク戦争のトラウマ、共和党のティーパーティー運動に代表される孤立主義の台頭、シェールガス開発に伴うエネルギーの中東依存度低下等によって、別の方向へ向かおうとしているんじゃないか。影響は中東にとどまらず、世界中に広がるでしょう。(池内氏)」

「アメリカの覇権の希薄化(池内氏)」を山田氏は、大いに危惧して、この署名記事のタイトルを「空爆回避でも地獄」としている。私も前々から、バクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)の終焉を危惧していた。時代はまさにハンチントンの予言どおりになってきた。また、それはドゥルーズの世界のコードのリゾーム化(中心的な概念:コードが崩壊し全てが勝手に動き出す。)という哲学理論とも類似している。

今回のケニアのテロも、西欧型民主国家を目指すケニアへのイスラム側からの反撃である。バクス・アメリカーナのような力による平和が善であるとは言わない。だが、先進国が見逃すと、ここでも無責任による紛争の拡大という「ルワンダの悲劇」が繰り返されるのではないだろうか。うーん。平和学の本義は、貧困の撲滅と地球市民の育成だと私は信じているのだが、現実的には、山田氏や池内氏のような様々な見方も必要だと思うのだ。

代休の日の午後、ナイロビの悲劇を想起しつつ、こんな思索をしていた。

2013年9月22日日曜日

ラグビーの試合に行ってきた8

さて、ラグビー部の試合である。相手は私学のK高校である。以前対戦した時は2トライ差で負けたらしい。ラグビーは地力の差を偶然性で補うのは難しいスポーツだ。強いものが勝つというのが監督のM先生の持論。私はラグビーの経験もないので、よくわからないのだが、何度か試合を見させてもらって、その通りだなと思う。この地力の差をどう埋めていくか、である。

3年生にとっては負ければ引退の試合である。気合いの入り方がいつもとは違う。何かを起こしてくれそうな気がしたのだ。開始早々、本校のバックスが相手校のディフェンスの隙をついて抜け出してトライ。キックも決まって、主導権を握ったのだ。しかし相手校の一人ひとりの体格、当たり、スピードが、まるで真夏のような日差しの中で本校のヒフティーンにダメージを与えていく。特にフォワードの足が止まりがちになる。同点にされ、その後もシーソーゲームの果てに、結局2トライ差で負けてしまったのだった。

本当に激しい試合だった。フォワードのユニフォームは、ドロドロになっている。顔や足に汗にへばりついた砂が光っている。敗れたとはいえ、本当にナイスゲームだった。3年生は号泣していた。彼らの3年間の苦しかったであろう練習を思うと、当然であると思う。そこを監督のM先生は、「1・2年生は、泣きたくなかったら、もっと強くなれ。」と言いはなった。3年生には一言。「よくやってくれた。」とだけ。深い絆で共に戦ったからこそ、短い言葉で十分なのだろうと私は思う。この時間と空間に言葉の装飾はいらない。私も、昨日のSHRでは、「ありがとう。」と言っただけだ。

多少無理してでも応援に行けて本当に良かったと思うのだ。3年生、御苦労さま。ほんと、ナイスゲームやったで。

アフリカへ古着を送ろう 11

文化祭では、ハランベープロジェクトも並行してヤマ場を迎えていた。実際のところ、2年生の委員メンバーは模擬店でも主力として活躍してくれている。とても張り付いているわけにはいかなかった。PTAの皆さんにご協力をお願いしたところ、快く引き受けていただけた。なんとバザーの真ん中に設置していただけたのだ。常に気配りをしていただけたうえに、最終片付けまでしていただけた。

全てが終わって生徒が回収にいってくれたが、かなり集まったようだ。まだ持ってきていただけるようなので、来週まで回収を延長しようかなと生徒と相談していたところだ。

いやあ、本当にありがたかった。PTAの皆さんに深く感謝申し上げたい。本校のPTAは最高デス。

2013年9月21日土曜日

模擬店は「海の家」 その8

我がクラスの海の家(8月28日付ブログの黒板の絵を再現) 
アドパネルもいい
文化祭第2日目。模擬店の本番である。朝から野菜を切る調理隊6名が早出してきた。7時すぎの話である。プロパンガスをセッテイングしたりして、いよいよ開始である。最初は、12時からの出番を控えたダンス部の女子が担当だ。以後入れ替わり立ち替わり、結局のところ、最終の1時まで我がクラスは焼きそば作りに頑張ったのだった。

ところが、他のクラスの「プルコギパン」や「チジミ」、「カレーうんどん」などの味が大きく評価されて、またまた佳作の人 (本年7月2日付ブログ参照)になってしまった。とはいえ今回はわりとサバサバしている。生徒も昨年同様SHRでくやしさを吐露させたのだが、自分たちが「少なくとも装飾においては1番だ」と確信しているので、比較的短時間で立ち直ってくれた。「5組はオンリーワン」という発言も飛び出した。それが嬉しい。

今回は、ほんと人づくりの模擬店だった。「イベントはサバイバルゲーム」が私の口癖だが、誰もサバイバルゲームから脱落しなかった。皆が自分のクラスを誇りに思ってくれている。それも嬉しい。
4Fの1年生の展示会場から中庭を望む

海の家に凄い行列が…
2年5組が一つにまとまった1日だった。改めて、生徒諸君にありがとうと言いたい。同時に、装飾において大きな壁となった我が5組を、大いに意識して頑張った他のクラスにもありがとうと言いたい。

明日は、ラグビー部の公式戦が、自宅近くの府立高校で行われる。どんなに体調が悪くても応援に行こうと思っている。野球部も台風で延期になった秋季大会府予選だ。SHR後、さっそく練習に走って行った。本校生は、まさに青春を謳歌していると思う。それも嬉しい。明日は、頑張ってほしいな。

2013年9月20日金曜日

模擬店は「海の家」 その7

昼休みに段ボールの補修 棟上げ準備
まだ誰も来ていない教室で、屋根の上に看板を建てるシステム(段ボールで屋根の角度に合わせて設置するように計算してある)を補強することから、私の今日の文化祭初日は始まった。舞台では3年生の劇が8クラス分行われる。私自身は、同じ青団の劇だけ見ることに決めていた。後は休息や、屋根の構造部分を固定するロープを買いにいったりしていた。昼休みには、男子に屋根の下に引く段ボールの補修を頼んでいた。

舞台が終わっていよいよ、クラス全員で棟上げ式である。安全管理も兼ねて管理作業員さんも協力してくださった。女子が持ち上げ、間に男子が入り、さらに渡り廊下の屋根に男子がいて引き上げる。無事引き上げ成功である。本校の渡り廊下は、上手く表現できないがジグザグ状になっているので段ボールを敷き、さらに足を踏み外さないようあらかじめマジックでマーキングさせておいた。こういう細かな配慮が安全性を生む。教師志望の男子を中心に、そういう配慮も伝えておくことにした。イベントはあくまで人づくりであるし、老い先短い私としては、少しでもイベントの進め方を伝えたい。

さらに看板、大招き猫、サーフボードと設置していく。これにスダレを設置していくのである。我がクラスの模擬店がどんどん完成に近づいていく。買い出し隊を派遣し、鉄板などレンタル商品も搬入。皆の顔が「一番」の誇りに満ち溢れていく。だが、私の狙いは別のところにある。他のクラスの壁になることである。他のクラスが、我がクラスの海の家を見て、がぜん張り切り出したのだ。予定になかった装飾、特に渡り廊下の上に何か設置しなければと、3年生の手伝い隊も大いに協力し、ガンガン頑張ってくれている。

棟上げ式 完成の写真は明日
実はそれが本当の狙い。別に我がクラスの順位などどうでもいいと私は思っている。2年生全体が、最後の最後で踏ん張って、人が育てばいいではないか、と思うのだ。「5組に追いつけ」中庭の空間が凄い熱気でスクランブルしてくれた。「5組にはやられました。でも負けたくない。」多くの生徒がそう言っていた。それが嬉しい。

老体に最後の鞭を入れて、明日を迎える。

2013年9月19日木曜日

模擬店は「海の家」 その6

体育祭である。台風一過の大晴天である。我が青団は、最初からきびしい戦いを強いられたが、我がクラスはリレーなどで、健闘していた。そういう生徒の名前を叫びながら応援するのも担任冥利である。(笑)期待の綱引きは結局第2位に終わってしまった。うーん、残念。

今日は安息日にしたかった。毎日毎日忙しく頑張っているし、なによりクラス代表のO君が発熱で倒れてしまった。とはいっても、結局細かい作業が残っていた。屋根の上に乗せる看板の工夫や、大招き猫の完成などである。結局夜は8時まで作業していたのだった。(笑)

明日はクラス全員で屋根を渡り廊下に乗せたい。そう思っている。ちょっと学園ドラマみたいで恥かしいが、それだけの苦労をしてきた。クラスの皆の心の中に「一番」という思いが根付いている。大きな自信をつかんでくれているからだ。こういうことは、学年や学校全体に大きな影響を与える。イベントで人をつくることに関しては、すでに成功していると私は思っている。来年に向けて、あえてデモストレーションをやろうと思っているのだ。

2013年9月18日水曜日

模擬店は「海の家」 その5

招き猫(小)=ポセイドン
今日は体育祭の予行であった。団活動も最盛期で20時完全下校。8時前に登校した私は結局12時間労働。(笑)あと2日。我が模擬店の装飾も90%くらい完成したのだ。予想以上に全員が入れ替わり立ち替わり残って頑張ってくれたので、ちょっとホッとしているところである。

看板二枚とゴミ箱2個は、ダンス部を中心に元気な女子がガンガン作ってくれた。招き猫(小)はおとなしい女子が中心になって可愛いのを完成させてくれた。招き猫というか、ポセイドン(青団のテーマである。)なのだが、なんとなくドラえもん。(笑)それに、真面目で元気な女子サーフィンボードもいいのが出来てきた。それに広告塔の一面となるアドパネルも美術部の女子を中心にみんなが手伝ってかなりいい出来のものができた。そして、男子である。すでに模擬店の予定地に屋根の骨格が置いてある。今日はだいぶ構造補強がされた。ここに置く招き猫(大)もようやく、ヒゲや手もついて完成真近である。

見ていると生徒は実に生き生きして楽しそうだ。予算はかなりオーバーしたが、生き金、生き金。

2013年9月17日火曜日

NHK 川原尚行氏の仕事の流儀

NHK HPより
昨晩、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀を見た。NGO代表の医師・川原尚行氏の「アフリカの大地 志で駆ける」である。舞台はスーダン。そもそも在スーダンの大使館の医官だった川原氏は、現地での医療活動を志して大使館を辞職し、NGOを立ち上げ医療活動に励んでいる。高校時代はラグビーのキャプテン、二浪して医学部に入ったという情熱の人である。

理屈よりまず行動。その行動力が凄い。無医村をどんどん回って行く。スーダンはイスラムの国である。現地の登場人物名を見ればよくわかる。私の読んだところでは、スーダンの人々は、もてなしの心が深い。川原氏のパートナーとして活躍したムスタファという青年の話が出てくる。川原氏は、彼にそのもてなしの心を教わったという。その彼が5年前に交通事故で他界していた。彼の墓は村の傍らの乾燥した地に石ひとつ。彼を思い涙する川原氏の姿に私は大いに感動した。

川原氏は、スーダンの人々の深くに飛び込んでいく。共にメシを食い、共に踊り、共に泣く。理屈じゃない。よくわからないことも多い。でもまず行動する。そういう人だ。

川原氏は昔、日本のある自治体から医療品を支援され、スーダンに運び入れた。しかしそれらは、スーダンでは認められたものではなく全て焼却しなければならなかったという経験をしている。その時、くやしい思いと共にどこか、支援という上からの視点でスーダンの医療活動を見ていた自分に気づいたという。支援ではなく、共にあるべきだと思いをあらたにしたのだと言う。

ふと私は宮沢賢治の有名な詩を思い出した。雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモジヅカニワラッテヰル 一日二玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食べ アラユルコトヲジブンヲカンジョウニイレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ茅ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ 北にケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ…

まさに、川原氏はこの詩の如く、自分の慾を捨て、乾燥した大地を、スーダンの人々のために医療以外の事(看護師育成のため女子教育の学校を作るとか、衛生面で環境提言するとか…)にも、全力で東奔西走していた。感動的な番組だった。こういう地球市民の医師が、日本人にいることに誇りすら感じる次第である。川原氏のますますのご健勝を心から祈りたい。

http://www.nhk.or.jp/professional/2013/0916/index.html

2013年9月16日月曜日

ナイロビの「T.I.N」

居間の掃除をしていて、埋もれていたDoDo World News(道祖神の月刊誌)9月号を発見した。今月号は内容がなかなか充実していた。少し紹介したいと思う。

船尾修氏(写真家で作家でもある。私は氏の本「アフリカ」の赤道編・南部編を読んだ経験がある。)のエッセイが特集になっていた。コンゴ民主共和国のムブティという狩猟採集民族の生活を「畏敬を通り過ごしてすがしすがしささえ感じられる。」と書いた氏の最後の言葉は、以下のようなものである。

『僕はこれからもアフリカへの旅を続けるだろう。いつも一方的に彼らから何がしかの気づきを得てばかりだけれど、自分自身の暮らしにそれを反映させていけば、いつかはそれがまわりまわってアフリカにも何か恩返しができるのではないかと思っている。』
いいなあ。と思うのだ。さすが本物のアフリカ通。アフリカに学ぶ姿勢に大共感である。

一方、ナイロビの駐在員の生野氏のエッセイも面白かった。ナイロビでは、よく「T.I.N」という言葉を耳にするそうだ。読み方は、「ティー・アイ・エヌ」、「ディス・イズ・ナイロビ」の略だそうで、何が起きても「T.I..N」。なぜならナイロビだから…。何の理由にもならない答えだが妙に説得力をもっているらしい。氏は、乗車中、停滞の中でウィンカーを素早く取られてしまったらしい。バキバキと見事に素早く取られたのである。修理屋のおやじは、ウィンカーを取り付けた後、勝手に車体に穴をあけて盗難防止用の金属片を取り付け、煙草をふかしながら「ビューティフル」と悦にいっていた。そして、言った言葉が「T.I.N」…。あいた口がふさがらなかったらしい。

大阪も「T.I.O」がたくさんある。大阪人は銃を打つゼスチャーをすると、必ず打たれるしぐさをするし、ボケとつっこみを常に考えている。大阪総芸人状況である。(笑)妙にプライドを気にせず、正味で生きているように感じるのだ。「T.I.O」…なかなかいいではないか。

桂川の氾濫

本当は今日は、近くの私立高校に野球部の秋季大会の応援に行く予定だった。我がクラスの野球部がレギュラーをつかみ活躍する姿を楽しみにしていたのだが、台風18号でそれどころではなくなったのだ。朝からNHKで、驚くようなニュースが流れていた。桂川の氾濫である。

TVでは、何度も嵐山・渡月橋の様子を流していた。嵐山は、私が大学4回生の頃アルバイトをしていたレストランがある。まさに渡月橋のすぐ傍である。夏の甲子園の際など、応援団の昼食場所にもなるようなレストランで、広い駐車場も完備している。まあ、そんな団体一見さん相手にも対応できるレストランである。アルバイト・ウェイターとして、クリーム・ソーダを作ったりもした。教員採用試験の一次試験(一般教養)に合格して、二次試験(専門教養と教職教養)に打ち込むために、バイトを辞めたのだが、私にとっては思い出の場所である。そのレストランも、氾濫の影響を受け水浸しになっている姿を見た。右京区、西京区を始め、南区などでも避難勧告が出ている。信じられない状況だ。

京都市内でも鴨川が凄い状況になっていた。宇治川も木津川もである。やがてこれらの水は淀川に流れ込む。大阪の様々な川は大丈夫だろうか。

もうひとつ非常に気になるのは、「桂離宮」のことである。京都の歴史遺産はそれぞれ素晴らしいものだと思うが、私は行ったことはないけれど桂離宮が最高傑作だと思っている。被害が大したことがなければいいのだがと心配している次第。

被害を受けた方々に、心からお見舞い申し上げたい。

2013年9月15日日曜日

沢木耕太郎の短編小説集を読む

この3連休は自宅で、疲れを癒している。もちろん我がクラスの模擬店の準備は、あらあじめ担任団で決められた当番の先生にお願いしてある。O君をはじめ、予定のつくクラスの皆が頑張っているはずだ。これまでなら必ず顔を出していたのだが、最近は「休んでください。」と生徒に言われるようになってしまった。(笑)たしかに足はパンパンになっていたし、週末の授業ではフラフラ、階段もよっこらせという感じで、この三連休は助かる。と、いうわけで昨日はエントリーしなかったのだ。

今日は、久しぶりに書評を書こうと思う。このところ通勤電車では目をつぶっていることが多いのだが、この本は短編小説集なので、すっと一編だけ読める。新潮文庫の新刊(9月1日発行)で、私の大好きな沢木耕太郎の「あなたがいる場所」である。

あまり内容にふれると営業妨害になりそうなので、全体的な感想だけ書こうと思う。9編ある短編小説は、その舞台はいずれも平凡で、普通の人々が主人公だ。物語は、心理描写を中心に静かに進んでいく。もちろん、小説だから、そこに書かれるべき事件が起こるわけだ。正直、不思議な読後感が残る。良かった面白かった、というのでもなく、悲しかった、泣けたというのでもない。奇妙な感動がある。沢木耕太郎の文章はいつもどおり平易な文章なのだが、それぞれになにかが残る、としか言いようのない短編小説集なのだ。解説には見事にこの小説集を分析されているが、あまり小説を普段読まない私自身は、不思議な読後感が残る、としか言いようがないのだった。

ちなみに私は、「天使のおやつ」と「白い鳩」が特に印象深かった。

2013年9月13日金曜日

ちょっといい光景

今朝は、妻ともども寝坊してしまい、いつもの普通電車ではなく、次の区間快速で登校した。疲れがピークに達していたのに朝から座れなったのだった。しかも私の前に座っていたのは、ムスッとした面構えのおっさんだった。最悪の状況だった。

ところが、ある駅で、国内旅行にいくのだろうか、機内持ち込みサイズのスーツケースを持った若い夫婦が乗車してきた。お父さんの腕には1歳くらいの女の子がいた。

そのおっさんは、やおら立ち上がると、女の子を抱いたお父さんに席を譲ったのだ。若いご夫婦は何度も礼を述べて、お父さんが私の前に座った。

女の子は、お父さんの腕の中でおとなしく座っている。それがなんとも可愛い。周りをちょっとほっとさせる空間が現出した。なかなかやるではないか、おっさん。私は今日一日、なんかハッピーだったのだ。

2013年9月12日木曜日

アフリカへ古着を送ろう 10

ユニクロHPより
アフリカの難民キャンプに古着を送ろうという本校のハランベー・プロジェクトも、いよいよ大詰めである。毎日着実に古着が集まっている。現在大きな段ボールに5箱分くらい集まった。企画委員の報告によれば、「仕分けが大変だと思いますが、頑張ってください。」という手紙が入っていたものもあって感動しそうだ。文化祭準備が多忙な中、委員のメンバーも頑張ってくれている。

と、いうわけで、いよいよ全校に向けてプリントを配布することにした。口頭で伝えるだけでなく、保護者の方にもドーンと訴えようというわけだ。私がワードで配布プリントの下地を作ったうえで、企画委員の生徒のイラストやコメントを集め、レイアウトしたものを今朝、職員朝礼時に全校に下ろした。

ちょうどPTAのバザーの担当のお母さん方と話す機会があって、是非協力したいとのこと。PTAとしてもプリント配布は嬉しいと言っていただけた。ありがたいことである。体育祭・文化祭に向けて、どんどん持参していただく方向性が見えてきたのだった。

2013年9月11日水曜日

模擬店は「海の家」 その4

模擬店 試作会 10人前の焼きそば
体調が良くない。今日などは朝1限目の授業だけの日なので、比較的楽なのだが、モーニングから出た直後、自転車がパンクしてしまった。結局自転車屋まで押して行って、歩いて学校へ向かうはめになった。風は心地よいが、まだまだ暑い。1時間目は空調も入っていないので、汗だくになった。サウナのような環境で、結局3時間分くらい疲れたのだった。(笑)

さて、文化祭準備である。昨日、今日と模擬店の料理を試作する日程である。4クラスずつ行うことになっていて、我がクラスは昨日だった。エプロン、三角巾が必須だったのだが、うっかり者が多い我がクラスは持参していない者が多かった。一大事である。結局自宅が近いY君が、6限終了後自転車を飛ばして足りない分を調達してきた。こういう細かいミスも模擬店の得点に影響するので必死のパッチだった。時間に間に合ってクリア。私は調理には全く経験がないので、アドバイスもできないのだが、男女ともわりとうまい。味もなかなかだったようで、試作会はなんとかクリア。

ところが、今日になって必要な提出書類(試作後に調達する食品等を再計算し調理計画を作成するのである。)がない。模擬店のチーフと調理する者が別々なのが災いしたようで、これまた危機。結局調理室に忘れていて、クラス代表のO君が平謝りしてGETした。なんとかクリア。おいおい、大丈夫か?

今日も7時前まで、多くの生徒が残って頑張っていた。ところがペンキが廊下に落ちていて、これまた減点の危機。新しい雑巾を出して、数人の生徒が一気にシンナーで拭き取る。ちょうど8組のO先生がシンナーを持っていて、薄氷の作業で減点をまぬがれた。

まさに減点の危機の三連発だったのだった。みんなの協力でなんとかクリアしてきた。これも大切な勉強である。もうちっと、しっかりして欲しいところだが…。(笑)

2013年9月10日火曜日

教え子の成長した姿をTVで見る

Eテレ HPより 大学時代のあだなはポチらしい。
昨夜11:30からEテレで「あしたをつかめ」という番組を見た。以前エントリーしたように、前任校で担任したY君を特集した番組だ。四国でツアープランナーをしている姿を追っていた。入社2年目の今は仕事が面白くて仕方がないといった感じだった。学生時代に1人で、ヨーロッパを多国籍のバスで周遊して、バス旅行っていいなと思ったらしい。さすが英語科出身だ。いろんな人とともに旅して様々な経験をしたようだ。その思いがツアープランナーとして、今、大いに生きているようだ。

一期一会のお客さんに楽しんでもらうために細かな配慮をしていたことも嬉しかった。自分の名刺にメッセージを書き込んで、思いを伝えていたのだ。もちろん、360度の視点で、お客さんの安全や表情を見ながら、次の手を打っていた。うん、いいね。

私にとって極めて、面白かったのは、最初の方に出てきたボツ企画。ジャイナ教寺院の訪問。これは神戸の北野町にあるジャイナ教寺院のことだと思う。残念ながら誰が行くのかとボツにされたらしい。ははは。私も中に入ったことがあるが、インドのように全裸でマスクをして、箒で前を掃きながら歩む行者がいるわけでもなし、よほど興味がなければジャイナ教ツアーは成立しないだろうなあ。本人からのメールでは、イスラムのモスクツアーは実施できたらしい。これも北野町の神戸モスクだと思う。ジャイナ教寺院のすぐ近くである。これは私の影響だと本人からのメールにあった。ちょっと誇らしいなあ。Y君、ならばユダヤ教のシナゴーグツアーはいかが?1年生の冬に、クラスの有志を連れていったが、完全英語の世界だった。(ラビは日本語がしゃべれない。)しかもモスクと違い、あまりウェルカムではなかった。選民としてのプライドがプンプン匂うぞ。(笑)

楽しいだろうなあ。ツアー・プランナー。体力勝負の一面もあるので、体には十分気をつけて自分の夢を存分に追いかけて欲しいな。

再放送は、9月14日(土)12:00。読者の皆さん、よければご覧ください。

<神戸のジャイナ教寺院の外部・内部の写真が掲載されたサイトです。>
http://search.babylon.com/imageres.php?iu=http://ayidabis.fc2web.com/banshu/pix/DSCF7072.JPG&ir=http://ayidabis.fc2web.com/banshu/jaina.html&ig=http://t0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSP6OlwllhBt5wnikhUb0tJLlCq6kuMCw4Nhomdtw9yz1NBiGgSuEuai70&h=324&w=243&q=神戸

2013年9月9日月曜日

7年後ということ。

東京にオリンピックがやってくる。7年後2020年。TVで、多くの人が自分の7年後を考えずにおれないのではないか、とあるスポーツコメンテーターが言っていた。全くその通り。私も自分の7年後を考えてしまう。

7年後と言うと、現役教師からリタイアしているはずだ。63歳という年齢になっている。どこかで非常勤講師をしているかもしれない。今のところ再雇用されることは考えてはいない。若い教師のチャンスを奪う事になるからだ。(と、言っても経済的な理由で頑張っている先輩方を揶揄するつもりはない。)

と、いうより果たして生きているのだろうか。最近の体調不良から導かれる答えは微妙である。正直、そんな事を考えていたのだった。常に前向きに生きてきた私だが、このところの疲れは尋常ではない。今日は月曜日で、5/7時間授業だった。適当に気を抜けばいいのだが、全力投球で頑張ってしまう。気温が微妙で空調が止まり、汗だくで5時間。うーん。きつい。

ハイデガーではないが、私の教師生活も「死に至る存在」となっている。常にいつ何時(なんどき)、教師生活が終わるかもしれないという思いがある。だからこそ手が抜けないのだが、それが体を痛めつけているという二律背反。うーん。でも最後まで自分の美学を貫くつもりだ。

ただ、引く時は美しくありたい。そんなことを考えていたのだった。

2013年9月8日日曜日

ラグビーの試合に行ってきた7

前半、トライの瞬間
このところ、野球部やサッカー部の試合を見に行っているが、私の本業はラグビー部の顧問である。今日は花園につながる公式戦を応援に行ってきた。

試合会場は北摂のセルハイ(スーパー・イングリシュ・ハイスクール)の府立S高校だった。残念ながら朝から雨でグランドは水たまりもあった。試合中は雨は降らず晴れ間ものぞいた。相手は合同チーム(単独で15人集めれない高校が合同でチームを組んでいる。)であった。本校も今年は1年生がたくさん入ったし、3年生も現役なので紅白戦ができるほどだが、合同チームはそういうわけにもいかない。練習もたいへんだろうなあと思う。
押せ、押せ

さて、試合の方は、開始30秒で本校のバックスが疾走。トライを挙げた。うむ。調子は良さそうだ。相手チームも合同とは思えないしっかりしたチームだったが、本校のほうがやはり一枚上のようで、久々に安心して応援できた。結局7トライをあげ、完封したたのだった。

雨上がりだったので、ラックの度にフォワードは泥だらけになる。バックスは比較的ユニフォームがキレイだが、それでもタックルされたらやっぱり泥だらけになる。(笑)でも、見る方としてはなかなかカッコよく目に映る。やっぱり、いいなあラグビーは…。うん、いい試合だった。

2013年9月7日土曜日

ジェッソを買いに行く。

我がクラスの模擬店での装飾で、大小二つの招き猫をつくることになっている。大は屋根の上に。小は店の前に。担当の生徒が、現在様々な工夫をしながら「張りぼて」を作っている。特に、屋根の上に置く大の招き猫は重量が問題になるので大変だ。

招き猫の張りぼては、最後の彩色が特に重要。絵具をいかにうまくのせるか?重要な問題である。そこで、私はジェッソを購入することにした。ジェッソというのは、アクリル絵の具の下塗り材である。紙だけでなく、コンクリートや布などあらゆるものに絵具(もちろん相性がいいのはアクリル絵具だが…)がのるようになるスグレモノである。

生徒に探させたのだが、普通科の生徒は画材店との関わりがない。仕方ないので、私が今日購入したのだった。画材店はいい。高校時代はデザインをやっていたので、なつかしい。なんか創作意欲が湧いてくる。

小招き猫製作中
この招き猫。昔工業高校に勤務している頃作ったことがある。電気科の3年の悪童どもが、私の所に来て、「先生、有志で模擬店をやりたいので顧問になってください。誰も引き受けてくれません。」と泣きついてきたのだ。たしかに危ないメンバーだった。カラアゲの店をやりたいと言う。仕方なしに引き受けたのだが、なんとなく招き猫でもつくって、悪童どもを喜ばしてやりたくなった。使われなくなったバレーボールなんかを土台に紙ねんどをはりつけて、ジェッソを塗り、かなりリアルなものを作ったのだった。悪童どもは大いに喜んでくれた。当日は人が変わったように懸命に模擬店を頑張ったのだった。(笑)

さてさて、我がクラスには美術の心得がある生徒も多い。どんな招き猫が出来あがるか楽しみである。

2013年9月6日金曜日

模擬店は「海の家」 その3

屋根の組み立て実験中の男子
今週は、水曜日から3日連続で午後は団活動であった。今日は体育祭の団対抗の「棒引き」「綱引き」の予選があった。4団ずつでまず1位から4位を決定し、体育祭当日にそれぞれの1位対1位で8団全体の優勝と2位という感じで順位が決定するわけだ。我が青団は、棒引きは3位(当日は勝てば5位、負ければ6位)だったが、綱引きは1位(当日優勝か2位)を取った。なかなか盛り上がったのだった。

ところで、今日のエントリーは、朝のSHRでの事である。昨日も6時くらいまで我がクラスの生徒は、店の看板やサーフィンボード、大・小の招き猫など様々な製作をしていたのだ。6時の段階で、とりあえず教室に全てを押しこんで下校した。朝のSHRの段階では、授業に支障がないように言っておいた。ところが、黒板の前にサーフィンボードが置いてあったり、発泡スチロールの切り抜きが机上にあったりであった。いつも通り、クラス代表のO君に「たのむわ。」と私が言う。「起立」とO君が声を出す。毎日の始まりだ。「顔と体。」と私が言う。皆が私に注目し、「礼」となるのだが…。

今朝は、全員が集中したままで私はこう言ったのだ。「この状態で礼ができるのかぁ。」

一瞬クラス全員の顔色が変わった。「この後始末は誰がするんや。いつも自分の出来ることを見つけてやっていくようにと言うとるやないか。さあ、どうする?」と、怒鳴るでもなく言ったら、ドドドッと皆が駆け寄ってきて、様々なものを片づけだした。その眼差しは真剣だった。野球部の生徒も、剣道部の生徒も争って後ろの席から走って片づける。もちろん、ダンス部の女子も、部活をやっていない女子も、今自分ができることを一瞬で考えて動いたのだ。

嬉しかった。もちろんちゃんと片づけてあったほうがいいのだが、一瞬の生徒とのやりとりは、我がクラスが1つにまとまった重要な儀式であったような気がする。

今日の6限も誰一人遊んでいる生徒はいない。生き生きと自分の仕事を探してやってくれていた。放課後は部活で頑張る生徒も多いのだが、6時前には、どんどん集まってきて、掃除をしてくれていた。嬉しいなあ。担任はいいなあ。と改めて思うのである。

2013年9月5日木曜日

小松基地の航空祭ツアー予約

毎日気ばかり忙しい日々が続いている。歳をとったなあと思う日々である。今日も6時すぎまで、文化祭の準備で生徒に付き合っていた。今年は模擬店だし、大金を預かっているので机に鍵をかけている。机の鍵も自転車の鍵も自家用車の鍵も、自宅の鍵や社会科準備室の鍵もいっしょくたにしている私は、今日駅近くの駐輪場まで戻った時点で気がついた。ありゃ?鍵がない。結局もう一度学校に戻ったのだった。見えない疲れが、体を覆っているような感じである。ストレスかなあ。

ところで今夏は、体調不良の日々でほんと、何処にも行かなかった。(京都の「八重の桜展」くらい。)妻も同様で、どこか行きたいなあ、行きたいなあとぼやいていた。先日、妻が新聞の折り込みチラシに、小松基地の航空祭ツアーが小さく載っているのを見つけて、速攻でメールしてきた。「行ける?」「行ける。」では、と秒殺である。ブルーインパルスが来るらしい。「申し込んだで。」「おお~。」

文化祭が終わった後、北海道修学旅行が控えている。多忙な日々が続くのだが、その合間に大きな楽しみができた。うふふ。で、ある。

2013年9月4日水曜日

日本人に贈る聖書物語Ⅶ・Ⅷ

世界史Bで、フランク王国の話をしている。西ローマ帝国がゲルマン民族の大移動以後、まるで日本の室町幕府のように消えていくのだが、その後ローマ人はキリスト教を基盤に、ゲルマンの中にローマ文化を融合していくわけだ。その中核となるフランク王国がそれまでのアリウス派を捨てて、アタナシウス派に改宗したことが大きい。

このアリウス派は、イエスを神の被造物としている。アタナシウス派は、神とイエスと聖霊を同位とする三位一体をその教義の根本にしているのだが、この辺、ブディストである私にはなかなか理解しがたい。先日読み終えた「日本人に贈る聖書ものがたりⅦ・Ⅷ」で少しだけ理解できたような気がする。

なかでも理解しがたいのが「聖霊」という概念だ。イエスが様々な奇跡を起こしたのは、神と同位だから出来たとも言えるし、聖霊が奇跡を起こしたともいえる。聖霊が降りたとして有名なものは、ペンテコステと呼ばれるペテロの説教の時に起こった異言である。会衆が、当然しゃべれるわけがない様々な言語で語り出したという話だ。パウロも同様の会衆の異言を体験している。生徒への説明ではかなり有効だと思う。

日本人に贈る聖書物語では、ユダヤ人が何故異邦人のキリスト教徒の迫害を受けることになったのかについても、きちんと説明している。ユダヤ人のキリスト教徒は、他の地域に住むユダヤ人や異邦人に対してかなり寛容だったが、異邦人のキリスト教徒はユダヤ教徒に不寛容だったというのが結論である。なるほどと、膝をうつ場面が数多くあった。

いずれにせよ、8巻にもおよぶこの本、なかなかのお勧めである。

2013年9月3日火曜日

9日夜のEテレに教え子登場。

アメリカ研修旅行 姉妹校から秋のアイオワの風景
Eテレの「あしたをつかめ」という番組に私の前任校の教え子(3年間担任をしたOG)のY君が登場することになった。前々からお母さんのメールで知っていたのだが、いよいよWEBでも予告編が出て、楽しみにしている。

Y君は3年間女子バスケット部で頑張った子だ。1年生の校内球技大会。バスケットではなく、ドッジボールに出場したので、何故?と聞いたら、中学校の球技大会で悪口雑言を浴びて、もうコリゴリだと言うのだ。ところが、実際に試合を見てみると、みんなの温かい応援が凄いことを知る。この高校では素直に自分を出していいのだということを彼女は学んだようで、以後2年も3年もバスケットで出場した。そんな事を思い出す。当時のバスケット部は、K先生という体育館に立つと君子豹変すといった監督の熱心な指導が行われていた。私も顧問だったので、時々見に行ったが、K先生は、Y君には全く遠慮がない指導を入れていた。Y君は、本当にバスケットが好きで、いくら罵倒してもついてくるからだったのだろう。同様の仲間もいて、進学校だったが、なかなか強かった。その仲間も番組に登場するらしい。

Y君の思い出はたくさんある。彼女は今ツアーを企画する観光業についているらしいので、アメリカ研修旅行のことを1つだけ挙げておこうかなと思う。アイオワ州デモインから、R80をシカゴに向かってバスで移動した。ミシシッピの上流を通過してから、現地ガイドさんに、アメリカのトラック運転手にバスの窓から、右手を上下してフォンを鳴らすように依頼するという事を教えてもらった。運転手が、そのアクションを認識したら、良い人なら、フォンを鳴らして答えてくれるのだという。生徒たちは、並走するトラックの横で、懸命に右手を上下してフォンを鳴らしてくれるように祈った。何度かフォンが鳴らされて、みんなで大喜びしたのを思い出す。このアクションに大いに燃えたのがY君だった。その笑顔を私は忘れない。

<本日より来週の9日月曜までの限定WEBページ>
http://www.nhk.or.jp/ashitsuka/

2013年9月2日月曜日

「腰ぬけ愛国談義」を読む 2

九六式艦上戦闘機
宮崎駿監督が引退するとの報道が流れた。もう長編アニメ-ションは作らないらしい。半藤氏との対談集「腰ぬけ愛国談義」を読んでいると、何故だか、やっぱりそうかという気がする。

この本の中には、戦闘機や軍艦の話も出てくる。宮崎駿氏は私同様戦争自体は大嫌いだが、軍事マニアであることは間違いない。戦闘機や軍艦は、不思議な美しさを持っている。宮崎駿氏は、零式より九六式艦上戦闘機が一番綺麗だと述べている。(P62)紫電改の話も出てくる。この20ミリ機銃はよく筒内爆発した話だ。(P74)

紫電改
私自身は、ちばてつやの漫画の影響もあって、九六式や零式などより、4枚プロペラの紫電改が最も美しいと思うのだが…。

ところで、この本の中では隅田川など東京の河川の話も出てくる。その歴史を描く短編アニメーションを宮崎駿監督は作りたいらしい。(商業映画としての)長編アニメはもう作らないと言っているが、短編のアニメも作らないとは言っていないようだ。「風立ちぬ」を私はまだ見ていない。久しぶりに(ウン十年ぶりに)映画館に足を運ぼうかなと思ってしまう。そんな宮崎駿監督引退のニュースだった。

2013年9月1日日曜日

ジンバブエのディズニーランド

ジンバブエのハイパーインフレ時の超高額紙幣
NewsweelのWEBページによると、先日ジンバブエとザンビアの共同開催の国連観光機関総会でジンバブエ政府は、ビクトリアの滝の近くに「ディズニーランド」のような欧米的テーマパークを建設すると大風呂敷を広げたらしい。総会自体は、両国共催ということだから、当然ビクトリアの滝をはさんで開催されたに違いない。ビクトリアの滝は両国の国境となっているからだ。

「人よし・気候よし・治安よし」だった頃のジンバブエの遺産が、ビクトリア湖の観光資源である。今でも多くの観光客が訪れる。空港も近くにあるし、ホテルも完備している。ここだけは、現在の失敗国家ジンバブエらしからぬ場所であるそうだ。(ザンビアの方は、観光産業においては、様々な国立公園構想を推進しているものの、ジンバブエよりは完全に出遅れている。)

多くの欧米諸国の観光関係者は、ジンバブエのこの構想を白眼視している。まあ、当然である。今や、ムガベ大統領=ジンバブエである。国自体が信用できないので、成功するはずがなかろうという気分が蔓延している。どうも投資は呼び込めそうにないと私も思う。それほど評判が悪いのだ。

アフリカに旅をする人は、およそ2種類に大捌されると私は思う。非日常を求め、大自然の中で優雅に野生動物を見たいという、欧米の金持ち。さらにアフリカの国際協力に関わったり、超非日常の旅を求める人々。彼らは世界遺産や観光地が主目的ではない。どっちにせよ、観光客にとって欧米的なテーマパークはおよびでないのだ。

私は、このジンバブエの「ディズニーランド」構想、大統領の老害の賜物で、全く非現実的だと思う。そんなことにカネを使うべきではない。ジンバブエでは、そのカネを使うべき課題は山ほどあると思うのだ。
<Newsweekの記事>
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/08/post-3026.php