2022年4月17日日曜日

耐エントロピーという視点

https://towatowa.net/entropy-increase/
佐藤優の「民族問題」でゲルナーの『民族とナショナリズム』の話が出てくる。ゲルナーは、エントロピーという熱力学の概念を使って、産業社会における民族問題・差別を説いている。エントロピーというのは、たとえば、同じ金属を熱すれば均一に熱くなるが、ある場所は鉄、あるいはアルミだったりすると温度が均一にならない。こうした特定の場所だけ温度が変わる状態を『耐エントロピー』とゲルナーは表現し、これをナショナリズムに適用している。

面白い話が出てくる。近代国家では、教育制度が社会の均質化を保証しており、国家以外の下位集団の中で学校を核としてナショナリズムよりも強力な紐帯が作り出されると困る、国家より強い絆で結ばれた集団は、学閥、起業であろうが、過激派ヤクザ集団であろうがみんな反国家的な存在である。国家を超えるような帰属意識を持を養成できる集団は、近代社会においては成立しにくい。もし成立するとすれば、そこには相当強力な耐エントロピー構造が必要になる。たとえば宗教。たとえばイデオロギー。こういうものを強力に持った集団出ない限り国家に対抗することはできない…と。

ふと頭に浮かんだのは、ユダヤ人の共同体である。近代国家以後は、それ以前より耐エントロピー的な存在になっていた。これは内田樹も指摘していた。

ウクライナ戦争は、未だによくわからない。プロパガンダの応酬のようで、何を信じていいのかわからない。ただ、ウクライナ東部のロシア系、ウクライナ系の対立も耐エントロピー的であるといえる。互いに反国家的だと認識しているからこそ、第三者から見て残虐すぎると思える話が現実味を帯びているのだろう。

中国共産党が行っている、ウィグルやチベット、内モンゴル、さらには法輪功への熾烈な弾圧も、耐エントロピーで説明が可能だ。私は、法輪功などの宗教団体への弾圧は、中国史における幾度も繰り返されてきた宗教団体を中心とした易姓革命から来ていると思っていたが、こういう視点のほうがわかりやすい。

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