2011年6月30日木曜日

秋田商業高校からDVD

秋田商業高校のモザイク画(HPより)
秋田商業高校のO先生(硬式野球部の監督でもある若手の国語の先生である。)から、今日郵便が届いた。開けてみるとDVDが入っていた。「H17~20年度の活動」、「アフリカ・スタデイツアー」、「ある生徒の作文」と題された、それぞれのビデオが入っていた。昨年6月に立命館大学で行われた国際協力キャリア・フェアにパネラーとて参加された際のデータらしい。3本とも素晴らしいものだった。これまでの秋田商業高校のユネスコスクール班の活動が、感動的に、しかもコンパクトにまとめられていた。いいなあ、凄いなあと改めて感激した次第。特に、ある生徒の作文のビデオを見ていて、私は泣けた。(秋田商業高校のHPにアクセスしたが、このビデオは掲載されていなかった。是非とも我がブログの読者に見ていただきたいと思ったが、やり方がわからないし、秋田商業高校のHPで公開されるのがふさわしいと思うので、コトバによる紹介に留めておきたい。)

今日から期末考査試験である。もう6月も終わる。転勤してまるまる3カ月。まずは、生徒の能力を見極めること。さらに様々な先生と良い人間関係をつくること、大局的な視点から本校の良いところと問題点を見つけようと、この3カ月努めてきた。およそ、うまくいっていると思う。
ESDの方もホチボチではあるが、アクティビティも実践してきた。だが、夢とロマンにかけているという感じではない。秋田商業高校のビデオには、それを強く強く感じたのだ。私のこの3カ月。ふがいないとまではいわない、それなりに着実にやっているかもしれないが、秋田商業高校の夢とロマンのパワーには、到底及ばない。

偶然だと思うが、私の”そういう3カ月”に「喝!」が入ったような気がしたのである。

O先生、本当にありがとうございました。新たな気持ちで頑張りたいと思います。
秋田商業高校のユネスコスクール班の活動がまとめられているページは以下のとおりです。是非アクセスしてみてください。
http://www.edu.city.akita.akita.jp/~akisho/

2011年6月29日水曜日

ピヨピヨ丼

本校の食堂の定食は、350円である。安い。塩分が高いので、先生方の利用率は決して高いとはいえない。暑い日が続き、妻は弁当がくさるといけないと外食を勧めるので、まあ定食にするかという日が多くなった。
定食は日替わりで、やはり野球部やサッカー部の連中を意識してか、唐揚げとか、トンカツとかが多い。で、今日は本校食堂のオリジナルメニューである『ピヨピヨ丼』だった。先日、一度だけこのピヨピヨ丼の日に食堂に行った。本日の定食と書かれた看板に、そう書いてあった。「?」と私は思案してしまった。そこに仲のいい理科のK先生がこられて、「ああ、鳥の巣丼です。」と謎の言葉を残して去って行った。(笑)どうやら不思議な丼らしい。

注文して納得した。見た目はまさに鳥の巣である。すこし炒めたキャベツの上に、ソボロがあって、温泉卵が真ん中に鎮座している。うまいのか、うまくないのか全く分からない丼だった。ところが、これがなかなかイケるのである。特に、炒めたキャベツが主役ではないものの、いい味を出している。

というわけで、ピヨピヨ丼の看板を見て、思わず職員室に戻ってG12をもってきてシャッターを押した次第である。…と、ここまでブログを更新して、画像を入れようと思ったら、またまたbloggerのシステムがおかしい。GoogleChormeだけでなく、 InternetExplorerでもできる限りのことを試したのだが、あかん。…あかんがな。後日システムが直り次第画像を入れようと思う。読んでいただいた皆さん、お楽しみに。

追記0:20:54 画像を入れることに成功しました。ふぅー。頑張れ!blogger!

追記1:JOCVのLILY君が、ニューヨーク経由で、ドミニカ共和国に無事到着したそうです。当分語学研修に励み、ホームステイするそうです。まずは、気候や水に慣れていくことやね。

追記2:ピヨピヨ丼などと、あほな話をしている場合ではない。東アフリカに干ばつによる大飢饉が迫っているらしい。これまでにない規模のようである。穀物の高騰、サンブルの人たちのような牧畜民にも大きな影響があるだろうと思われる。これまでの世界中の最高の英知をもって、対策を練って欲しいと心の奥底から訴えたい。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2809229/7440446?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

2011年6月28日火曜日

南部アフリカフォーラム2011

このところ私のブログのアフリカの話題は、文化人類学的なものが多くなった。京大の公開講座やそのれにまつわる書籍の関係かもしれない。久しぶりに、開発経済学的なことを書きたいなと思っていたら、今日の毎日新聞朝刊に「南部アフリカフォーラム2011」の記事が載っていた。要約はWEBにもあったので以下を参照されたい。
http://mainichi.jp/select/world/news/20110627ddm010030016000c.html

この中で、唯一私が注目したのはSADC政策局長の次の発言である。

『SADCは08年に域内をFTAとしたが、さらに障壁を排除し、競争力を高め経済パフォーマンスを上げていく。一方、SADCは他の二つの地域経済共同体との協力を進めている。COMESA(東部南部アフリカ共同市場)、EAC(東アフリカ共同体)と、より大きな市場を作ることで合意しており、FTAを目指している。3者を合わせると26カ国でアフリカ連合(53カ国・地域)の半数となり、3者の統合は大きな意味をもつ。他の2共同体と政策・戦略面での調和を図っているところで、3共同体は一緒になって貿易、投資を促進していく。』

以前、経済回廊の話を書いた(3月9日ブログ参照)が、南アフリカと東アフリカが大きく市場を統合しようとしているわけだ。南アの経済規模が突出しているので、他の国はおそらく戦々恐々というところだろうと思うが、私はこういう統合は必要だと思う。欧米列強による国境の線引きで、人口が少なく経済規模も、税収も近代国家となるにはあまりに小さすぎるパッチワーク的な国家群を、すくなくとも経済面から統合していくことは、アフリカ全体にとっていいことだと思う。スピルオーバー(波及効果)も期待できるからだ。

この南部アフリカと東部アフリカは、主に英語圏である。もうすでに英語は最大の国際公用語であるから、経済統合も進みやすいと思われる。エジプトから南アまで、経済回廊が整備されればかなりの期待ももてるだろうと思われる。ところで私は、エンクルマ(ガーナの初代大統領)のような、アフリカ統一のロマンを語れるような政治家の登場を夢想する。現在のアフリカの多くの大統領が「私」であり、凄みのある政治家が少なすぎるからである。エチオピアのセラシエ皇帝みたいな人物(2010年4月22日付ブログ参照)はいないのだろうか。
まあ、延命のための狡知しかない無能な首相をやめさせることもできない日本が、それを言ってもアフリカ諸国に届くわけないか…。

2011年6月27日月曜日

箕面市の原付のプレートの話

先日、Y夫妻のライブの帰路、171号線を使った。ふと前を見ると、箕面市の原付バイクのプレートが小粋なデザインになっているの発見した。右上の紅葉がなかなか良い。そもそも、私はアメリカの各州の車のプレートのデザインが多様で、なかなかいいと思っている。アメリカに行った際、もう使われなくなったのを1枚や2枚買ってくることが多い。日本の車のプレートは味気なくていかん。長らくそう思っていたのだが、なかなかやるではないか、箕面市、と思った次第。

一刻も早く、日本全国のプレートをデザイン化すべきである。大阪なら、くいだおれ人形とか、グリコとか、づぼらやのフグとか。通天閣とか。まあ、ありきたりやが大阪城とか。枚方市ならやっぱり、くらわんか船かなと思う。夢があっていいではないか。

サウスダコタ州のプレート
アメリカでは、その州を代表するデザインに、州のニックネーム(たとえば、1stステート:デラウエア州)やスローガン(自由を、しからずんば死を:ニューハンプシャー州)などが書かれていたりして、なかなか個性豊かである。大阪なら、「もうかりまっか」くらい入れたら面白いと思うのだが…。

追記:本日、ついにlily君がJOCVとしてドミニカ共和国に旅立ちました。夢を実現したね。なにより身体を大切にして欲しいと思います。体力があってこそ、気力も知力も生きるから。

2011年6月26日日曜日

タンザニアのマチンガの話 1

小川さんのHPから マチンガと小川さん
小川さやかさんの『都市を生き抜くための狡知ータンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(3月22日付ブログ参照)を読んでいる。現在で約半分読了した。毎日、400ページほどのハードカバーを持ち歩いている。これが、実に面白いのである。まだ書評とまではいかないが、どんな内容なのか、簡単に説明しておきたい。まあ、中間報告といったところである。
アフリカの都市、特に商業地区には、多くの若者があふれている。ナイロビにも、ハラレにも、そしてワガドゥグにも。彼らは、様々なモノを持って小額にしかならない儲けを求めて行商していたり、露店を開いていたりする。こう言う仕事を、インフォーマルセクターというのである。
アフリカの人々は、農村から都市へ移動することが多い。農業の生産性が低いのが最大の原因だが、『情の経済』という、地縁・血縁による共同体意識を基盤に、農村の実家の食料生産と都市の出稼ぎ者の現金収入にリスクを分散するという生きる知恵でもある。本当は、工業化が進み、安定した雇用があればいいのだが、実際のところはきびしい。そこで、都市に出た若者は日々の糧を得るためになにがしらの現金収入を求めてインフォーマルセクターに滞留するのである。

私は、ブルキナのワガのマルシェ(商業地区)で、Iさんを通じて、インフォーマルセクターにかかわる若者と接したことがある。気のいい連中だった。もし、私がフランス語に堪能なら、もっといろいろな話ができたのにと悔やんでいる。小川さんは、スワヒリ語、それも都市固有のスラングまで駆使してこの本を書いておられる。全く頭が下がるのである。
古着の「梱」
さて、この小川さんのフィールドは、ビクトリア湖沿いのタンザニア第二の都市ムワンザである。ここで、古着商を行う人々を研究したのが本書である。古着商というのは、先進国日本ではよくわかりにくいかもしれない。欧米では教会などが中心になって、もう着なくなった服を援助用に集めている。これらを集め、区分けし、輸出する業者が存在する。かなり価値の高いもの(ビンテージもの:たとえば、日本・大阪のアメリカ村などで売れそうなモノ)をピックアップした後、さらに着ることができないようなボロもピックアップする。ボロは機械用のウエス(油などをふき取る布)にするらしい。で、残りの服を、圧縮して45kg~50kgくらいの梱(bale)としてコンテナ船でアフリカへ運ぶのだ。モンバサやダルスに着いた船から、これらを買い取るのはインド人商人が多いらしい。(ケニアでも儲かる商売はインド系という同様の立場だった。)運ばれてきた梱を中間卸売り商がだいたい3万シリング(日本円で3100円ほど)で買い、小売商に分けるのである。もちろん彼らはアフリカ系の人々である。
*ちなみに、この先進国から古着が途上国へ流れるシステムについては、『あなたのTシャツはどこから来たのかー誰も書かなかったグローバリゼーションの真実』(ピエトラ・リボリ著 東洋経済新聞社)が詳しい。

この梱、だからどんなものが入っているかは、中間卸売り商の運のみである。(もちろんTシャツ、シャツ、スカートというふううに分別されているが、どんな色の、どんな柄の、どんなサイズの…といったことは全くのランダムである。)中間卸売り商は、これをグレード分けする。高く売れそうなグレードA、農村や漁村でしか売れないようなグレードC、その中間がグレードBである。これを、小売商に分けるのである。さあ、ここからが、いよいよ狡知を使ったマチンガ達の世界なのだが、これについては後述したいと思う。

2011年6月25日土曜日

大震災支援ライブで豊中へ

アンコールで かぐや姫を
ご近所のYご夫婦は、音楽好きで、よくライブをされる。奥さんは京かぐやという芸名をお持ちだ。ご主人も、オフコースの歌が無茶苦茶うまい。ご自宅には、防音の練習場まであるのだ。(かつて訪問したこともある。)面白いことに、2人ともキーボード奏者であるのだが、今回は、知人のギタリストとバイオリニストも参加して、東日本大震災チャリティーのライブを行うという。場所は豊中市、大阪モノレール小路駅近くのお好み焼きさんだった。妻と、出かけることにした。

最初に前菜とお好み焼きが出た。着いたのが早く、まだリハーサル中だった。例によって私は運転するのでアルコールは飲まず、妻だけビール&白ワインである。家ではなんにもしない夫なので、こういう非日常的空間では、私はサービスに徹するのである。(笑)時間がうまくとれず、なかなか他の二人と合わす(練習)ことができなかったとYさんのご主人の話だったが、なかなかいいライブだった。奥さんの声はすばらしく通るし、ご主人のオフコースも相変わらずよかった。

車をとめているタイムズ(駐車場)まで、30℃を超える日差しの中歩いた。途中、ミニストップでソフトクリームを買い求めた。いやあ、おいしい。今日って、ほんとに6月なんかぁ?

2011年6月24日金曜日

チーム「ブー・フー・ウー」

NHK ブーフーウーの三兄弟
突然であるが、私は、ちょっと太り気味の体型である。本校には、普通科教員では同様の先生があと2人おられる。数学のO先生と英語のK先生である。実は、このお二人と私は仲がいい。人柄がいい先生方である。先日3人で「血糖値の話をしていると、突然英語のY先生が、「ブーフーウーの三兄弟やね。」という発言をされた。で、それ以来、我々は「チーム・ブーフーウー」となった。(まるで、ブラフマンが自分を世界だと認識し、ブラフマンとなったというウパニシャッド哲学のような論理展開である。笑)
ちなみに、年齢順で私がブーとなった。(このブーフーウーは、昔々我々の世代が子供の頃、NHKのおかあさんといっしょでやっていた三匹の子豚の名前である。もちろん、白黒であった。)

ところで私は、前任校で血糖値が異常に上がって以来、非常に間食については自重してきた。しかし、H高校の職員室では、かなり頻繁に間食が行われている。体育系の先生方(体育科だけでなく、普通科教員でも運動クラブの指導に励んでおわられる先生方も含む)は、すぐ空腹になるようである。食堂の定食も、極めてカロリーならびに塩分過多である。職員室には、カップラーメンやお菓子などが、私の眼の届くところに山積みされている。

私は、非常に生存しづらい環境におかれているといっても過言ではない。しかし、頑張っている。結婚30周年を迎えた妻とともに、いつかピースボートで世界一周するという大目標のため、日夜我慢をしている。していれば。しているから。…していた。そう、本日ついに過去形になってしまったのである。それも、我がチーム・ブーフーウーの「ウー」さんであるO先生が、とろけるチーズケーキを配っているのだった。「うわー。おいそう!」とみんなの手が伸びる。私は、無視していた。無視すれば。無視すると。無視できれば。…無視できない。悪魔のような「ウー」先生の祝福を受けてしまったのだった。私自身としては非常に珍しい出来事だったが、破壊は一瞬である。

我がチーム「ブーフーウー」は、「やせようぜ」という共通認識はなかったことが判明した。「ウー」先生も、極めて脆弱な意思で、毎回「フー」先生の誘惑に敗北している。おーい!血糖値だいじょうぶかっ!

私は今、H高校の職員室で、非常に危険なバランス・ゲームの上に存在しているのである。次に「フー」先生の誘惑があったら、今度は絶対に妻の顔を思い出そうと思う。

2011年6月23日木曜日

久々に満足の授業

三宗教の神は同一である
2年5組は、火曜日の5時間目と木曜日の6時間目という最悪の時間割のクラスである。だから私も力が抜けていい授業ができる。期末考査のラス前の授業であるが、まあ、こっちもそれまでの授業の疲れもたまっていて、適当にいこうという気になる。生徒も、そのへんの私の気分を察して、気楽に応答してくる。ここが5組の良さである。意外に熱心に聴いている生徒もいるし、普段ガチャガチャしている女子生徒たちも、運動系のやんちゃな男子生徒もうまく乗せれば、いいツッコミもしてくるし、うまいホケもしてくれる。

今日は、H高校に来て、一番いい授業だったのではないかと思う。ヘブライズムの山場、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神が同一であることを証明する場面である。みんな、納得できるまで聞いてくる。質問の嵐である。分かった者から満足そうな笑顔になる。「へー。なるほど。」という声があちこちで上がった。「先生、面白い!」という声も聞こえてくる。盛り上がったのだった。教師冥利に尽きるところである。

実際のところ、期末考査でどれくらい点数を取ってくれるのか不安だし、直前の整理プリントをつくることにした。昔、工業高校時代に「愛のプリント」と呼ばれていた本番の試験の焼き直しに限りなく近いプリントほどではないが、かなりの量の学習内容だし、中間試験の際はどう勉強してよいかわからず欠点をとった生徒もも多かったので、サービスしようと思っている。この辺の加減が難しい。(笑)

追記:ensetebananaさん、読者登録ありがとうございます。よろしければコメントしてください。

2011年6月22日水曜日

10年ぶりのポロシャツ

WEBからいただいた画像(こんな感じです)
今日は今年初めての猛暑日だったそうである。10年ぶりに、ポロシャツを着て登校した。あまりの暑さと、職員室の状況(わりとラフな服装の先生方が多い。もちろん体育の先生も多いからだが…。)を鑑み、決断した。前任校では、普段の授業でポロシャツで行ったことはなかった。いつもワイシャツにネクタイだった。以前書いたが、私が生活指導部長だった時に、夏服時に長そでOKにした関係で、女生徒はネクタイ着用が義務付けられていたからである。生活指導部長を引いた後も、道義上私がネクタイをせずに登校することはできなかったのである。
その呪縛も今回の転勤によって解けた。実は、私はポロシャツが好きで、工業高校時代はずっとポロシャツで夏を過ごしていた。だいたい、工業高校では、フォーマルな時以外、ネクタイをすることはいいことではなかった。荒れていた昔、教員が生徒にネクタイを引っ張られるなどということがあったらしい。(当然私はそんな経験はない。)そういう意味では、元にもどったわけだ。

今日着て行ったのは、初めてアメリカに行った時泊まったシカゴのホテルのポロシャツである。プールで泳いだ後、素肌に着ると気持ちいいという感じの白いポロで、もちろんロゴ入りである。実は、私は白いポロシャツをアホほど持っている。それも全く同じデザインのものである。工業高校時代、よく生徒が「また同じポロシャツですね。」と言うたび、「よう見んかい。」と胸の刺繍を指差したものである。それは、Hard Rock Cafe のポロシャツで、下にその店の地名が書いてある。「昨日はサンディエゴ、今日はボルチモアや。」などと言って地理の勉強を無理やりさせていたのであった。私が買い求めたもの、お土産で買ってきていただいたものなど、かなりの数になる。(コレクターと言っても差支えないと思われる。)だから、無理をして続けざまに着たとしたら3週間以上もつはずである。”無理して”とわざわざ言ったのは、あれから太って着れなくなってしまったものもあるかもしれないという恐怖からである。(笑)

2011年6月21日火曜日

真珠婚式の日に

駅裏のマンションの私設公園にて
結婚して、今日で30周年である…らしい。実は長い間、私は結婚記念日がいつだったか知らなかった。怒った妻が長いこと教えてくれなかったのだった。それが、昨日急に「明日は何の日か知ってる?」と聞いてきた。息子夫婦が韓国経由でイスラエルに向かった後の事だ。「うーん。」と私が唸っていると、「30年目やろが!」と怒った。…で、判明したのだった。さっそく手帳にも、携帯電話にもメモしておいた。(ちなみに30年目の結婚記念日は真珠婚式というらしい。当然始めて知った。)

正月にも書いたが、我が家は季節感のない家で、正月もお盆も普段と変わらない。当然家族の誕生日も特別に祝うこともない。だが、なんとなく後ろめたいので、放出でケーキを買って帰ってきた。(笑)慣れないことをしたからか、駅を出ると、ふぅーと疲れが出てきた。駅裏のマンションの私設公園でちょっと座って、飴を舐めた。低血糖かもしれない。今日も暑かった。昨日今日と4時間授業が続いている。ついに今日クーラー使用にGOサインが出た。それでも汗だくになるのだ。期末試験も近くなったし、ついつい力が入るのだった。(笑)

さて、ブログでこんなことを書くのはハズカシイが、妻には感謝している。こうして好きな仕事を頑張れるのも妻のサポートがあってのことだと実感している。時々ちょっと怖いコトもあるけど…。

2011年6月20日月曜日

柔道部のインターハイ出場

今年のインターハイポスター
この土日、私も多忙だったが、本校の各クラブもインターハイ予選で多忙だったようだ。中でも柔道部(男子)は、団体戦、個人戦の日だった。なんとなく、柔道部のレギュラー全員を教えているし、個人的に応援していた。インターネットで何度も検索したのだが、結果がわからず、結局早朝になって顧問の先生に伺って知った。(思い切りメジャーな硬式野球などと違って、その辺イロイロきびしいんだなあと思う。)
結局、団体はダメだったようだ。先鋒が右手を怪我していたし、顧問の先生も「団体戦は、本校生は体が小さいので、なかなか厳しいのです。」と言われていたので、仕方がない。しかし、個人戦では、90kg級で、F君が優勝し、インターハイ出場を決めたのであった。彼は、顧問のW先生が期待する選手で、前回の大会でも優勝した選手である。教え子が、インターハイに出るというのは、30年教師をしているが、初めての経験だ。凄いよなあ。

ところで、ブログでは書いていなかったが、なぎなた部もソフトテニス部も既にインターハイ出場を決めている。硬式野球部の近畿大会出場ばかりが取り上げられるが、なかなかみんな頑張っているのである。もちろん出場を逃したクラブも多い。なかなか厳しい世界なのだ。

私は、運動が苦手で、高校時代もクラブ人間でなかった(大阪市野外活動指導者連盟という校外の組織に所属し、他校の友人とキャンプばかり行っていた。)関係で、教師になってからクラブに入れ込んだという経験がない。だから、クラブを頑張っている先生方を見ると、ちょっと羨ましい。だが、金銭的にも、家族との問題もかなりの犠牲をしいられておられることは容易に想像できる。まさに自分の教師人生をかけて頑張っておられるののだ。…凄いと思う。だから、羨ましいなどという感傷はふさわしくはないだろう。そう、いろんな教師がいて、それぞれ、自分の決めた得意な道を生徒と共に懸命に歩む、それが良い「学校」だと私は思うのである。

2011年6月19日日曜日

国際理解教育学会 2011

京都橘大学 正門
国際理解教育学会の研究発表(5月22日ブログ参照)のため、朝6時台に自宅を出た。出張申請する時、YAHOOで検索すると、京阪宇治線の六地蔵まで行き、地下鉄東西線に乗り換えるという意外な経路が出たのだった。案内には京都橘大学までは地下鉄駅から15分とある。坂道もあって、コンピュータをいれたバッグは重い。
早めに到着しプレゼンの準備をするのが礼儀である。すでに文教大学のI先生が準備をされておられた。私のパワーポイントもご自分のPCに入れ込んでいただいた。ご親切にただただ感謝する次第。その後、私の後で発表される千葉のM先生も来られた。しかし、うまくビデオが動かない。I先生はPCの専門家であられるので、テキパキと指示された。結局Window7ではダメだということで、私のVista搭載のPCを使うことになった。助け合って発表に備えたわけである。あの坂道を重たい、重たいと持ってきた意味があったわけだ。(笑)

I先生の発表は、Ipadを使った実践報告だった。デジタル教科書やICTを利用した一斉授業では、生徒が観ているだけで理解できたような気になり、注意が散漫になるとの指摘があるらしい。そこで、一斉学習と個別学習の組み合わせとして、Ipadの活用を実験的にやられてきたという。3~4人のグループ学習をしている様子をビデオで拝見した。なかなか面白そうである。公立高校にいる私としては、正直「問題はカネやな。」と思ったのだった。さて、I先生は、国際理解教育学会が民博と連携して行っているフィールドワークに関わっておられる。アイヌの文化を、このIpadを使って事前学習するという報告もしていただいた。いっぺん顔を出したいな、と思ったのである。(今夏は無理やが…。)

私の発表は、だいたい予定どおりだった。大阪の教師として、全国の先生方にその大阪人のDNAをうまく伝えれたと思う。(研究発表の中身の話ではない。なかなかウケたということである。笑)

最も印象に残ったのは、千葉県立の中高一貫校のM先生の発表である。同じ教員というスタンスだし、開発教育(途上国理解)の実践報告だったからだ。対象は中1・2の総合的な学習のゼミでの実践なのだが、これがなかなか面白い。日本政府役の生徒は、ブータンへのODAを検討する。統計資料等を参考にいろいろ考えるのである。一方、ブータン政府役の生徒は、ブータンの「国民総幸福」という立場で、日本に何をして欲しいかを考えるのである。次の時間で互いが対面したとき、見事な平行線的議論が展開されるわけだ。実際ブータンに行かれたことのあるM先生監修である。私は見事な展開だと思った。日本とブータンでは、価値観が全く違うわけで、シュブランガーの価値観の類型化基準を使ってみるとよくわかる。私も時々使うが、中学生に使うとはよほど優秀なのだと思う。
セネガル・カメレオン
さて、その後ゼミの内容等を発表する話もでた。様々な国際貢献案を中学生が考え、プレゼンテーションを行うのである。これには、元JOCVへのインタビューを行った上での話なので、現実と遊離していない。たとえば、セネガルへの国際貢献。マラリア予防ための蚊帳について、生徒は役に立つの?とJOCVに聞いたらしい。たしかに、蚊帳を漁の網につかう人もいるそうだ。(笑)子供の感性はするどい。で、この班は、セネガル・カメレオンをたくさん育てるという案に至ったそうだ。このカメレオン、蚊を食べるらしい。しかも日本でも高く売れるそうだ。一石二鳥の案…かな。(笑)
実は、私のPC、やはり調子が悪く、ビデオがうまくいかなかった。申し訳ない次第である。全ての発表が終わった後、名刺もいただいた。(H高校の名刺を私はまだ持っていない。2学期以降に中学訪問をするらしい。)M先生には、これからも、いろいろと情報交換をさせていただければと思う。

昼食は、奈良のみなさん(ピーター会のM先生、H国際高校のY先生、奈良教育大のN先生)とご一緒した。なんと、わが教え子の奈良教育大1回生のG君が言っていた「WHE(世界遺産教育)の授業」(4月18日ブログ参照)を教えておられるのはN先生で、H国際高校のY先生もこの前、特別講義をされたそうだ。Y先生にG君の提出したコメントまで見せていただいた。(今日のご自分の発表に使っておられたみたいだ。)N先生は、G君の名前をよく覚えていただいていて、熱心に聞いてくれていますよとのことだった。なかなか嬉しいではないか。この世界(国際理解教育)は決して広くない。

疲れたので、午後のプログラムもパスして、帰りは京都市営地下鉄東西線で、京阪三条へ向かった。
椥辻駅(なぎつじ)、御陵駅(みささぎ)、蹴上駅(けあげ)…強く京都を感じる地名だった。

2011年6月18日土曜日

京大 アフリカ研公開講座 6月

北側の近衛通りから京大稲森財団記念館を望む
本日は、国際理解教育学会の研究発表大会の第1日目だったのだが、すべてパスした。理由その1。土日のうち1日は休養日にあてないと体がもたないこと。理由その2、京大のアフリカ研公開講座と重なっていたからである。朝から山科の京都橘大学に行って、京大に向かうことも考えたが、どうも体が持ちそうもない。明日の自分の発表に十分余裕をもって臨みたかったのである。公開講座をパスすることは考えられなかった。今日は、前から楽しみにしていた『焼畑に生きる』という大山修一先生の講座だったからだ。

大山先生は、見るからに人の良さそうな(失礼)准教授で、最初はミオンボ林の研究をされていたらしい。その疎林の状況を始めて調べた93年から、ザンビアを中心に長年研究されている。前回の荒木先生と同様、チテメネという焼き畑の話だった。荒木先生は、土壌という視点から話された。今回の大山先生は、農村の生活という視点から話されたと言ってよい。これがまた面白いのである。大山先生のプレゼンテーションには、ビデオが挿入されている。たとえば、乾季に焼き畑を作るため若い男性が、ミオンボの木の枝を伐採するするのだ。「登って、枝を落として、降りるのにどれくらいかかるでしょう?」なんていうクイズが可能になる。木に登るまで32秒。パソコンの下に数値がでるから正確だ。正解は、なんと4分29秒だった。バランスを取るのが難しそうである。なかなかカッコイイ。上手く伐採できないと女の子にもてないそうである。(笑)一方伐採された枝葉は、女性が運ぶらしい。その切り方で夫の愛情がわかるらしい。(笑)こういうミクロな地域研究、いいよなあと思う。今回はソルガムやキャッサバの調理法やオカズについても言及された。後の質問会で、この時ふれられた虫食について質問があった。「街でも虫食は売られていますか?」農村から都市に出てきている人々の郷愁をさそうようで、よく売られているとのこと。私はジンバブエのハラレのスーパーで買った「幼虫を乾燥させたモノ」を思い出した。歯磨き棒の話も出た。私はブルキナのサヘルの村で運転手のズゥレが、使っているのを見た。今、インターネットで日本でも売っているらしい。230円とか。私はいらん。(笑)こんな面白い話が満載の公開講座だった。今回は、中学生も数人参加していた。後で知ったのだが、大山先生と同級生だったという塾の先生が希望者を募って来ていたのだった。難しい話もいいが、彼らにもわかるような興味深いビデオや逸話もあって、よかったと思ったのだった。

さて、大山先生のザンビアの焼き畑の話の核心は、「貧困」との関連である。彼ら(ベンバ人)は、基本的に自給自足で生きている。世銀やIMFの統計では、1日$1(最近はドル安で$1.25になっている)以下で生活する人数に入る。当然、ミレニアム開発目標の半減すべきヒトビトに入るわけだ。大山先生は、地域研究者として、それに疑義をはさんでおられるのだ。彼らは決して「貧困」ではない、というわけだ。貧困を削減するという国際社会のマクロレベルの開発思想は、ミクロから見ると反対に、生活を破壊している。「開発」の美名の元で、土地の私有化が計られ(ザンビアの新・土地法)、南アなどの資本が慣習地(協同保有地で村の長が管理していいる)を、超安価で使用許可を得ようとした例もあるという。このままだと、焼き畑農業はミオンボ林の自由な運用地が狭められ、その結果収穫も減少していくに違いない。実際、収穫が減少しているようで、ベンバが貧乏人の仕事と蔑む炭焼き生産も広く行われるようになってきたという。

私は、この大山先生の視点、極めて重要だと思う。ミクロな地域研究の視点から見ると、「貧困」削減、「開発」による所得の増加などのマクロな政策がが、実際には逆のベクトルになっているのだ。このところ、「援助じゃアフリカは発展しない」・「はしごを外せ」など、これまでの開発経済学のセオリーのコペルニクス的転回を図ろうとする論が出てきている。大山先生の今日の話は、少なくとも私にとっては、その同一線上にあったのである。

アフリカの貧困の主原因は、自然の過酷さからくる土地生産性の低い農業、それも主食となる穀物生産が、人口維持力以下であることから始まる。本来(資本主義の発達のセオリー)なら生産性が向上し、自由な賃金労働者として都市で工業生産に従事するはずの余剰人口が、インフォーマルセクターに滞留せざるを得ない社会状況。教育事情の悪さから、ガバナンスが悪く投資を呼び込めない経済状況。市場規模の小ささからくる飲料などの設備工業のみの工業生産。これに貿易自由化などの先進国からの強制と、資金援助により維持される政治体制。したがって、その貧困の根源を断つには、なによりまず農業の生産性向上という結論になる。
しかし、それは可能なのか。また「アフリカの開発経済学」はその方向性でいいのか。大きな疑問符を、大山先生は私に突きつけたのである。今月も、期待以上だった。行って良かったとつくづく思うのである。

2011年6月17日金曜日

秒読 アフリカ系新書その2

昨日に続いて、アフリカに関する新書の話を書きたい。『アフリカ大陸一周ツアー 大型トラックバスで26カ国を行く』 (浅井宏純/幻冬舎新書210・本年5月30日初版)である。海外留学に長くたずさわっていた55歳のアフリカ紀行である。この著者は、私とほぼ同世代で、長らくアフリカの野生動物への憧れを持って旅立つ。
正直な感想は、始めてアフリカを旅した”素人の紀行文”というものだった。誰もが、最初からアフリカに詳しいわけではない。私もケニアに始めて行った時の紀行文を読むと、自分の認識の浅さに赤面する。それと同じ恥ずかしさが、この本にはある。これは始めてアフリカを旅した紀行文には、当然のことであって、決して著者を責めているのではない。

さて、この本はイギリスの旅行会社が運営する「オアシス号」というトラック・バスで、欧米の旅行者(老若男女、国籍も様々)と共に、ジブラルタルからモロッコ、西サハラと南下し、モーリタニアからマリ、ブルキナ、ガーナから東へ。ナイジェリア、カメルーンと移動し南下。ガボン、コンゴ、アンゴラ、ナミビア、南アへ。次に北上しボツワナ、ジンバブエからマラウイ、タンザニア、ケニア、ウガンダ・ルワンダ、エチオピア、スーダン、エジプトと旅した記録である。
黄色いトラック・バスがオアシス号
当然ながら欧米的な価値観と、著者の日本的な価値観が随所でクロスオーバーする。その代表的な箇所が、以下の記述だ。かなりインパクトがある。ちょっと引用したい。コンゴ共和国(旧フランス領・首都ブラザビル)からコンゴ民主共和国(旧ベルギー領・首都キンシャサ)へとコンゴ川をフェリーで渡る場面である。
『波止場に到着したどの船も、荷下ろしと荷積みを同時に行うので、周辺はまさにカオス状態だった。そんな喧噪の中、ぼくたちはオアシス号と共にフェリーに乗り込んだ。突然ぼくの目の前で、積荷の石鹸段ボール箱をばらし、盗みを働いた少年がつかまった。警備員に棍棒と太いムチでボコボコにされた。目は切れている。血に染まった赤い歯、背中の皮膚は裂け、めくれていた。その傷口から血がにじみ出ている。汗や体臭の強烈な匂いと罵声がうずまくなか、少年はほぼ半殺しの状態で、フェリーからつまみ出された。その光景を見ても誰も止めない。これでいいのか。ぼくは固まってしまった。さらに驚いたのは次の瞬間だった。出航したとたん、何事もなかったように乗船客たちがみんなリズムをとって歌い出したのだ。まるでシュールな映画のワンシーンのようだった。「これはすごい!」とブライアンやスティーブが叫んだ。「これこそがアフリカだ。この体験をするためにアフリカに来たんだ」と興奮していた。クリスとカレンはそんな彼らを横眼で見て「バカみたい」とつぶやいた。』

これだけ長い旅の記録を、それぞれ各国別にまとめているのだが、やはり無理がある。本当はもっともっとイロイロな事があったのだと思う。有る意味「インパラの朝」ほど、ずばっと切り捨てていないが故に、ホドホドの紀行文になってしまっているのが惜しい。とはいえ、なかなか面白い記述がそこそこあって、「秒読」(一気に読んでしまった)となった次第。

そうそう、マラウイのところで、こんな一節がある。『マラウイ湖畔、カンデビーチを散歩していると、若い男2人と目があった。ギフトとシスコと名乗る自称高校生。「日本の車はいい」「昔この近くでウナギを探している日本人がいた」など、わけのわからないことを言いながら、しつこくつきまとう。…』
いやいや、太字の部分については、わけのわからないことではない。著者はご存じないようだが、『アフリカにょろり旅』という本がある。アフリカで、ウナギを探す話なのである。ちゃんとした水産関係の学術調査隊の話である。マラウイにも行っているのである。ギフト君とシスコ君は正しい情報を伝えているのだ。”こういう所にピン”とくる私は、かなりマニアック。アフリカ・フェチなのかもしれないと苦笑するのである。

2011年6月16日木曜日

秒読 アフリカ系新書その1

アフリカに関する新書を2冊手に入れた。今日は、その1冊、『日本人のためのアフリカ入門』(白戸圭一/ちくま新書900・本年4月10日初版)について書きたい。毎日新聞のアフリカ駐在特派員であった著者が、ジャーナリストの立場から、日本人のアフリカへの『まなざし』について書いた本である。これが、すこぶる面白い。タイトルで「秒読」と記したのは、面白くて、一気に読んだという意味である。このところ、通勤時間が短くなった関係で、本を読むスピードが遅くなってきたことは以前から書いているが、そういう事情の元での、「秒読」である。明らかに誇張であるが、ご勘弁願いたい。

第1章は、マスコミの「まなざし」について書かれている。『あいのり』という恋愛バラエティの話である。エチオピアの孤児院を舞台に、いかにマスコミがアフリカを”上から目線”で見ているかが述べられる。私は、この番組を見たことがない。そういえば、よく生徒が、『あいのり』でアフリカを旅しているとか、TVで見たから授業で私が話すことに共感できるなどと言っていた記憶がある。視聴率が命の民放がやりそうなことである。(NHKでさえ、以前プロジェクトXで崩壊した。)きちっとした取材で、番組の”やらせ”疑惑に迫っていく。

第2章は、新聞の国際面にアフリカが載りにくいことと、内乱や紛争が必ずといってよいほど『部族対立』というステレオタイプで説明しようとすることが書かれている。ケニアの大統領選などは、キクユ人のキバキ大統領とルオの対立が定説だったが、実際には一部の反キクユ暴動を扇動する者がいたことが、よくわかった。意識の高い特派員しか書けない内容である。白戸氏は、立命館大学探検部出身で、ニジェールに住み込んだ経験を持ち、アフリカ特派員も念願の結果だった。だからこそ面白いのだ。

第3章は、日本の外交の”まなざし”が、「アフロペシミズム(アフリカ悲観主義)から脱皮できない事」についてである。TICADの最初の頃はよかったが、今や日本の外交がアフリカの変化に対応し切れていないことを概説していく。その結果、国連安保理常任理事国入りをアフリカの支援が得られずに敗北したことを描いていく。その裏には、アフリカにすごい勢いで食い込んだ中国と、その先兵としてAUの総会でアフリカの世論を誘導したことが十分推測されるジンバブエのムガベ大統領だったという内容だ。無茶苦茶面白い。最悪の失敗国家を演出したムガベも、見方を変えれば、イギリス労働党のブレア政権によって追い込まれたわけで、イギリスの湾岸戦争協力の見返りとして、ブッシュが悪の枢軸と名指ししたと言われれば、説得性をもつ。

第4章は、アフリカに学ぶことはあるかという「新しい日本人のまなざし」構築の話である。白戸氏はアフリカ理解のための講演をよく行うそうだ。
たとえば、いじめによる子供の自殺について、JICAで働くコンゴ人スタッフは考えられないと言う。彼自身もいじめにあった経験があるが、「コンゴでは、学校を授業を受ける場と割り切っているし、いやなら行かなければいい。それに昼過ぎに家に帰ると親戚の子供や他の学校にかよう近所の子供と遊ぶ。コンゴでは家の事情で進級が遅れることも普通。だがら年齢が上の同級生もいる。年下の子が悪いことをすると年上が叱ったりするので、いじめがひどくならない。」それに対し、日本の子供の交友範囲はほぼ完全に学校に限定され友達は同年齢。中学以降は「先輩・後輩」が幅をきかせ、1・2才の年齢差で威張り始める。学校でいじめを受けたら逃げることができる安息の場が存在しないのだ。
また「日本の自殺率と、ソマリアの内乱による民間人の戦死率」を対比させ、日本の自殺率の方が高いことを示すという。『考えようによっては、日本人は世界最悪の紛争地の住民がさらされてるストレスに匹敵するストレスにさらされ自殺に追い込まれているということではないだろうか。高い経済水準を誇るにもかかわらず、日本人の人生がそこまで過酷で、それによって日本人の内面が崩壊しているとしたら、我々の社会のあり方は根本から問われることになるのではないか。』と結ばれる。

うーん、良かった。転勤してから、なんとなく胸ポケットに、スタンダール的2色ボールペンを常にさしている。電車の中でもガンガン赤のラインを引いて読んでいる。まさにそれにふさわしい新書だったと思う。超オススメである。

2011年6月15日水曜日

遊動民「レイディング」の衝撃

ウガンダの牧畜民 ドドス
「遊動民」をちょっとずつ読んでいる。河合香吏氏(現東京外大準教授)の論文『ドドスにおける家畜の略奪と隣接集団間の関係』には、いろんな意味で大きな衝撃を受けた。レイディング(家畜の略奪行為)の話である。表題にあるドドスというのは、ウガンダの東北部、スーダン、ケニアとの国境ぞいに住む牧畜民のエスニックグループの名前である。

レイディングとは何か?具体的に書かれている部分をまず少し引用したい。『レイディングの被害はけっして稀な出来事ではない。レイディングには武装集団を組織して、放牧中の群れを水場や放牧地で待ち伏せしたり、家畜キャンプや集落を襲撃する以外の方法もある。たとえば、放牧中に群れからはぐれた数頭を連れ帰ったり、幼い子供が牧童をしている仔牛群や個体数の少ない群れをねらい、牧童を追い払ったり縛ったり、稀には殺したりして、群れを連れ去る。あるいは、夜間に集落の柵を乗り越えて家畜囲いに侵入し、内側から門をあけるとか、家畜囲いの柵を1本1本外して、そこから家畜を連れ出す。囲いへの侵入や柵はずしは気付かれれば銃撃戦になるが、これらの行為はいずれも「盗む」という動詞で表され、基本的に銃や槍などの武器を使わずに家畜を奪い取る窃盗型の略奪である。』

河合氏は、このレイディングの実相を個人レベルから描いている。河合氏が調査をした家族は、何度もレイディングに遭い、全ての牛を失ってしまった。しかし、彼らも又レイディングを行いアチョリ、トゥルカナ、ジエといった近隣の牧畜民から牛の略奪に成功している。こう書くと、互いの復讐行為のように見えるのだが、そう簡単な話ではない。ドドスと他のエスニックグループは、敵対関係になったり、友好関係になったりかなり状況が変わる。敵対関係にあっても、友人間であれば、家畜の交換(たとえば、雄牛と雌牛とか、羊やヤギ、ロバとの交換とか)が行われたり、見ず知らずの他のエスニックグループの人物と交換したりすることもある。

平穏な関係時には、特に寛容である。ドドスは、よくトゥルカナ(ケニアの牧畜民)と敵対するが、彼らは、トゥルカナが、農耕を全くしないことに軽蔑とも哀れみともとれる指摘をする。(ドドスは、牧畜があくまで主であるが、家畜の獲得のため農耕も行う。)だが、トゥルカナの生活なり性向を肯定的に見ている。彼らは農耕をしないのだからと、ドドスランドにある牧草地や水場をあえて使わせることもあるのである。

結局のところ、彼らは、レイディングを善悪によって評価しようとしないのである。レイディングはなんらかの事情があっての行為であると考えている。ドドスは、レイディングの被害を語る際、「奪われた」という文脈より、結果として「喪失」を繰り返す。「牛がない」ことが重要であって、自分の家畜を奪った相手が誰なのかということは本質的な問題ではないらしい。その時々の状況を独立したモノとみなし、個々に個別に対処するという態度なのである。

とはいえ、彼らは過去を反故にしているわけでも忘れているわけでもない。敵対したエスニックグループに寛容でいられるのは、そういう様々なレベルの自己あるいは集団の表象をそぎ落とし、両者が共有する「今」の文脈に身を投じているのである。究極の現実主義とでも言おうか…。それが彼らの生存のための技法であるらしい。

こういう牧畜民的な生き方は、我々日本に住む人間の想定をはるかに超えている。私は面白くて仕方がない。十戒もまた、そういう生存の技法から生み出されきたといえる。異文化理解と、コトバでは簡単に言うけれども、そう簡単に理解できるものではないのである。

2011年6月14日火曜日

H高校 DE 初南北貿易ゲーム

武道科・体育科 DE 貿易ゲーム
教頭が全教員の授業参観をされている。今日の二時間目はついに私の番だった。講義を見てもらっても良かったのだが、どうせならESDの教育実践を見てもらったほうが意味がある。というわけで、南北貿易ゲームを武道科・体育科の政治経済でやることにした。本校生はどれくらい対応できるのかのも見たかったのである。なかなか、のってくれたのであった。意外なことに、途上国が、先進国と同様の富を築いた。(笑)どのような経過で、そうなったのか、次の時間に「ふりかえり」で確認しようと思っている。教頭もなかなか興味深いと感心していただいた。(とはいっても、教頭とは旧知の中で、私の方が年上なので私には常に敬語である。やりにくいやろうなあ、と思う。)

さて、昨夜は久しぶりにブログを休ませていただいた。先日追記で書いたように、前任校に教育実習に来ている教え子のN君のご苦労さん会をしていたのだった。仲の良いY先生や、キノコ先生も参加してもらえて、なかなか楽しかった。私もちょっと、肩の重荷を下ろせたような気がする。また4月初めまでアメリカのU校に短期留学していた生徒や、美術部の現役生たちも会えたし、久しぶりに前任校に寄ってよかったと思っている。後輩の口の悪いI先生とも、久しぶりにラーメン屋の前で喫煙した。ふっと里心がつくが、それもまたいい、と思える今日この頃である。すっかりH高校の教員になれたような気がする。

2011年6月12日日曜日

おじいさんと草原の小学校

ピーター会のN女子大付属中等学校のM先生より、「こんな映画があるらしいでぇ、関西にも来えへんかなあ。」というメールを受け取りました。ケニアの小学校に入学した84才のおじいさんの話で実話らしいです。アフリカ理解プロジェクトというところからの情報だそうです。

2003年のケニアでの教育の無償化で、是非文字が読めるようになりたいと、何度も門前払いを受けながら、その情熱に若い女性教師が動いて入学を許可される。しかし独立戦争での悪夢が毎夜のように彼を苛む。過去に打ち勝ち、未来を変えるための学び…。
http://www.klockworx.com/movies/movie_168.html

このおじいいさん、キクユ人でマウマウ団に入っていたのだろうか、などと推測する次第。うむ、是非見たい、と思いました。

追記:ところで、明日は、前任校に教育実習で来ているN君のご苦労さん会を後輩のU先生もお招きして開くつもりです。転勤で世話できなかった、せめてもの気持ちです。U先生から「よく頑張ってくれていますよ。」との連絡を受けています。楽しみです。

続 「はしごを外せ」書評

昨日の『はしごを外せ』の書評・続編である。今日完読したのだが、昨日のブログで書ききれなかった、著者の提言を押さえておきたい。でないと、この本がただ単に、先進国が自己利益のために途上国の関税を低く抑えている(事実で有ることは間違いないのだが)ことを指摘した本という印象を与えてしまうからである。例によって、かいつまんで私の得た部分を、私なりの理解(高校生にわかってもらえるようなレベルで)記しておきたい。

キャッチアップは、自動的に起こらないこと。すなわち、途上国の工業化には、様々な政策的な準備が必要である。先進国は、幼稚産業を育成するため、関税を高くし、自国の産業を保護し、熟練工を奪うなど、様々な悪辣な手段で、達成してきた。しかし、途上国が同様のことをする必要はない。教育の整備によって、教員養成や工業技術習得を行い、さらに外国の投資を呼び込むためのガバナンスの整備(金融や行政組織)を行うことがまず重要である。後進性の長所は、それまで先進国が暗中模索し得た成果(男女平等の普通選挙制や有限責任の株式会社、中央銀行のシステムなど)を、無駄なく学べることである。ただし、国によって状況は非常に異なる。その国に合ったシステム構築のために、時間をかけて行うべきである。先進国は、先進故に膨大な時間(1世紀以上)を費やした。早いことにこしたことはないが、現在の経済格差を考えると、数十年かかるような問題である。成功には、変化する条件に政策の焦点をたくみに合わせることである。

現在の世銀やIMFは、先進国の出資額によって投票権が与えられるようなシステムにある。今、彼らが『悪い政策』であるとしていることは、以前先進国が行ってきた政策であり、それに従わなかったインドや中国は発展した。ここにパラドックスがある。先進国は、自分たちが途上にあった頃、到達しなかった制度的基準を途上国に強制することによって、実質的にダブルスタンダード(二重基準)を適用している。その結果、途上国に大きな損害を与えている。事実上の不平等条約である。

途上国がとる政策について、先進国すなわち世銀やIMFは、『(以前先進国が行ってきた)悪い政策』を推奨せずとも許容しなくてはならない。それによって、かつて先進国がそうであったように、汚職にまみれるという事実があっても、そのような政策が決して使われてはならないということではない。墜落する可能性があるから飛行機に乗ってはならない、とはならないのと同様の理屈である。

世銀、IMFまたは先進国の政府によって与えられる資金援助に付加される条件は、ドグマチックに『(先進国に都合の良い新自由主義的な)良い政策』をあてはめるのではなく、国によって様々な状況にあること、また全ての国が従わなければならないという政策は存在しないという認識に基づいていなければならない。

WTOは規則とその他の多国間貿易協定は、幼稚産業育成の手段(たとえば関税と補助金)の積極的な活用を許すように書き改めねばならない。

途上国の発展段階と彼らが経験しているその他の条件に、よりふさわしい政策と制度を取り入れることを許すことによって、1960年代や70年代に実際そうであったように、途上国は、よりすばやく成長することができ、途上国に有利なだけでなく、貿易と投資の機会を増大させ、長期的には先進国にとっても有益である。

ハジュン・チャン氏は、最後に韓国人らしく、『小貧大失』(より短期間の利益を求めることで、長期的な大きな利益を失う)という諺でこの論を締めくくっている。ちなみに、氏はケンブリッジ大学教授、世銀・アジア開発銀行などのコンサルタント、多くの先進国・途上国の政府コンサルタントも歴任していることを付け加えておきたい。

うーむ。「援助じゃアフリカは発展しない」と「はしごを外せ」の2冊は、これまでの開発経済学のベクトルをかなり揺さぶっている。さっそく、私のテキストに反映させたいと思う。

2011年6月11日土曜日

「はしごを外せ」と鎮魂の森

ハジュン・チャン氏の「はしごを外せ」(副題:蹴落とされる発展途上国)を、ほぼ読了した。結局、「遊動民」は、通勤時に手に持つだけで運動になってしまうので、先に読みかけた「はしごを外せ」をまず読むことにしたのである。(笑)すばらしく、インパクトのある本だった。私なりの書評を書いておきたい。

私の「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストv4.01」でも、グローバリゼーション下でのアフリカ経済について触れている。90年代以降、新自由主義的経済の潮流が強くなり、アフリカの諸国も債務の関係で、貿易自由化を余儀なくされた。私は、基礎的な貿易自由化の理解のため、リカードの比較優位説を学ぶようにしてある。(常設ページ参照/P40・41・42)しかし、教えていて、いつも思っていたのだ。たしかに先進国にとっては、この自由貿易は有為かもしれないが、アフリカ諸国のようにあまりに差がある国としては、ただただ食い物にされるだけのような気がすると。幼稚産業(たとえば、日常雑貨や衣料品など、技術的に幼稚な工業/輸入代替工業ともいう。)の保護(関税を高くする)くらいは必要なのではないか、と思っていた。といっても私は経済学は全くの独学なので、声高に生徒に言えるべくもない。いつも「差が開くばかりだよなあ。」と言って、生徒の相づちを待つという感じだった。

この部分に、見事に答えてくれたのが、この本なのである。今日のトコロは、前半部の論点を中心に極めて概説的にハジュン・チャン氏の指摘を述べておきたい。要するに、先進国が、現在途上国に対して、「これは世界の常識だ。なぜこんなことができない!ガバナンスが不十分なんだ!」と指摘していることのほとんど全てが、長年にわたって先進国が途上国だった(変な言い方だが、資本主義や民主主義がまだ未発達だった時期)間に、苦しみもがいたことであったという事実である。
たとえば関税。現在、先進国は途上国に貿易の自由化を強要し、関税を上げることを悪だと見なしているが、先進国の多くが自国の工業化を関税率アップで図ってきたこと。特に、関税率については、アメリカがひどかったこと。工業化のためのキャッチアップは、技術の習得でもある。先進国はそのために産業スパイや熟練労働者の奪い合いをしきてきたこと。さらに、官僚制度や、金融制度、中央銀行や破産法など、さらに児童労働などの社会福祉制度にいたるまで、良きガバナンスを獲得するまでに、先進国はかなりえげつないことをしてきたこと、そしてその反省の上に今日があることが白日の下にさらされている。まあ、最大の問題が関税なのだが、帝国主義盛んなりし20世紀初頭の関税率と、現在を比べると、よくわかるのだ。以下は、本文よりの抜粋。

「今日の先進国と途上国の間にある生産性格差はきわめて大きく、今日の途上国がかつての先進国の産業にあたえられたものと実質的に同程度の保護を自国の産業に提供しようとする場合、かなり高い関税を課さなければならないことになる。」(126P)
「マディソンの統計によると、19世紀には最も豊かな先進国(オランダやイギリス)と最も貧しい先進国(日本やフィンランド)の間にあった購買力平価での1人あたり所得の比率は、およそ2、あるいは4対1であった。これは今日の途上国と先進国の間にある格差とはほど遠い。世銀の1999年のデータで、最先進国(たとえばスイス、日本、アメリカ)と最貧国(たとえばエチオピア、マラウイ、タンザニア)の間の購買力平価での1人あたりの所得格差は50もしくは60対1の範囲内にある。」(127P)
「19世紀末に、アメリカが国内産業に対して平均40%以上の関税による保護をあたえたとき、その購買力平価での1人あたりの所得は、すでにイギリスの4分の3であった。」「購買力平価での1人あたりの所得がアメリカの15分の1であったインドがWTO合意の直前まで続けていた71%の平均関税率は、インドを自由貿易の正真正銘の擁護者のように思わせるほどだ。」(128P)

これらの資料から、アフリカ諸国が、これまで先進国がやってきたのと同様の開発を行いたいと主張したときの関税率がどれくらいになるのか推測できるというものであろう。まさしく構造的暴力なわけで、まあ、ひどい話である。この本の最初にこんなことが書いてある。「健康上の注意:この本でこれから述べることは、間違いなく多くの人を知的また道義的に混乱に陥れる。彼らが当然だと考えていた、あるいは熱心に信じていた神話に、異議が申し立てられる。(中略)結論のいくつかは、何人かの読者にとって道義的に不愉快であろう。(後略)」…私は、不愉快というより、テキストをまた書き直さなくては…と思った。夏休みの研修課題となりそうである。

ところで、妻が「震災の後を鎮魂の森にするらしいで。ほら、あの有名な建築家が、発見されていない遺体が眠る土地の上に新しい街をつくれるわけないやないかって言うてた。」と今朝、話してくれた。建築家とは安藤氏のことであろう。「はしごを外せ」を読んで思うに、歴史上様々な問題を暗中模索しながら、進んできたのが文字道理の”先進”国である。日本も同様である。震災後、日本への信頼が、原発や政治状況などで暴落した今、道義的な原点に返っての「鎮魂の森」というアイデア、良いと思った次第。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110610-00000005-wsj-bus_all

2011年6月10日金曜日

毎日新聞の『記者の目』

拡大して是非読んでみてください
先週の土曜日、知事の君が代条例について、長文のブログを書いた。現時点で12のアクセスが記録されている。このBloggerの統計方法はおそらくクリックしたら1アクセスという方法なのだと思うので、おそらく23人いる読者のみなさんも含め、もう少し読んでいただいていると考えている。そのブログ、コメントもリアクションも全くない。教育関係者でないと、全く属性のない問題であるし、そう簡単にポッと感想も書けないし、という事だろうか、と考えている次第。私はあまり”2ちゃんねる”などは見ないのだが、この問題について、どんな意見が載っているか調べてみて、匿名の気軽さか、感情論ばかりで、説得力のあるロジックどころか自分の発言に責任のかけらも感じられない空疎な内容ばかりで、ずいぶんと気分が悪くなった。

そんな中で、今日の毎日新聞の朝刊に、この問題に対する『記者の目』が掲載された。是非ともご一読願いたい。この中で、取材されている私のほぼ同年代の府立高校の教師は、きっと私の書いている”組合に近い真面目な方”だと思うのである。(起立はするけど、そんな事考えたこともなく、適当に生徒に接している人も多い。)彼と私とは考えが違うが、そういう人がいてもいいのではないか、またいなくてはならないと、私は思う。
この記事の結びにあるように、『大阪は、在日韓国・朝鮮人らマイノリティーの人々が多く暮らす地域性もあり、雑多で自由な空気が魅力の一つだと私は思ってきた。その大阪で、さまざまな考えを学び合うはずの学校が、一つの型にはめ込まれようとしている。子どもの将来を思うと、取り返しのつかない道を進んでいる気がしてならない。』全く同感である。ちょっと嬉しかったのであった。

2011年6月9日木曜日

シープドッグを見て想った事

教え子のLily君が、駒ヶ根でのJOCV研修を終えたとのこと。彼のことだから、スペイン語もかなり上達したと思われる。いよいよドミニカ共和国行きである。一方、荒熊さんはブルキナではなく、ニジェールに行かれるらしい。うーん、いいなあ。私はと言うと、相変わらず学校近くの公園で、タバコをふかす毎日である。(笑)

さて、今日は公園で、ある発見をしてしまった。発見というより、”はたと気付いた”と言った方がいい。学校近くの公園には、午前中、犬の散歩にくるご老人が多い。問題は、その犬である。チワワとか、マルチーズ、ダックスフンドといった小型犬が多いのだが、今日は、変な大型犬を見た。私は犬に詳しくないので調べると、オールド・イングリッシュ・シープドッグという犬らしい。前髪?で覆われて顔が見えない。高そうな犬である。きっと血統書付きなんだろうな…と思ったのだった。

ん?よくよく見ると、公園にくる犬は、みんなそういう血統書付きのような外国犬ばっかりなのだ。時折、柴犬にも出会うが、90%以上が、そういう高そうな犬なのだ。見るからに雑種というような犬は、ほとんどいない。

昔は、犬は雑種と決まっていたような気がする。生野区の工員の息子だった私は、決して裕福な育ちではない。だからかもしれないが、こうしてご老人たちが、高そうな外国犬を連れていることに、時代の流れと、日本の豊かさを実感してしまうのだ。

日本はたしかに豊かになった。もうオヤジの給料日だからスキヤキや!といった日々は完全に過去のものになっている…。ふっと”シープドッグ”を見て、そう実感したのだった。こういう感性って悪くないと思うのだが…。今日は、全くどうでもいい話になってしまった。(笑)

2011年6月8日水曜日

アフリカの原野-『遊動民』を読む

カリモジョン(ILCAA波佐間長崎大助教授)
息子がタイから昨夜帰国した。京都で学会の発表があるらしい。奥さんのTさんは水戸に寄ってから合流するとのこと。ところで、先日、このブログ(5月10日付)で紹介した『今最も気になっている本たち』の3冊のうち、「はしごを外せ」が届いたことを書いたが、さらに「遊動民」と「都市を生き抜く狡知ータンザニアの零細商人マチンガの民族誌」も届いていたことがわかった。ついつい、私の顔がゆるんでしまう。おそらく今までで最も充実した父の日のプレゼントであったのではないかと思う。うむ。今までの親不孝を許す。(笑)三冊とも同時に、有休をとって、ばぁーっ一気にと読んでしまいたいが、そうもいかない。どの本を、最も早く完読すべきか、考えた。来週の日曜日に国際理解教育学会で研究発表する。そこでアフリカの遊牧民ゲームの話をする予定である。イギリスで作られたシミュレーションゲームと、私のオリジナルの遊牧民ゲームを対比するのだ。仮想現実であるシミュレーションゲームでは、ゲームのバランス上、どうしても単純化を図らねばならない。その後のふりかえりでいかに学習を深化させるか、という問題について語るつもりである。と、いうわけで、優先順位1位は、『遊動民』である。

この本730ページもある。すこぶる重い。(笑)第一編と第二編に分かれていて、第一編は主にカラハリ砂漠に住むブッシュマンについて書かれている。とりあえず第二編の『乾燥帯アフリカの牧畜民』から読むことにした。先日京大の公開講座でお話を伺った太田先生が、第二編の序を書いておられる。私はもうそれだけ読んで、ワクワクしたのである。最も通勤電車で730ページもある本を片手で持って読むと、手の方もワナワナしたのであるが…。

初日の今日だけでも、かなり赤線を引いた。京大の牧畜民研究の先駆者伊谷純一郎先生が始めて彼らと会った時のことをこう書かれている。『私は今までに言葉の通じないいろんな部族の、多くの人々と出会ってきた。言葉は通じなくても、おたがいに人間としてのきわめて自然な感情の疎通があって、本当に困ったという体験はなかった。しかし、目の前に突っ立ていたカリモジョンの男と私の間には、そういったコミュニケーションのための共通の基盤さえもが失われていると私は思った。そこには、いかんともしがたい断絶があることを、私は感じていた。』(伊谷:ゴリラとピグミーの森1961)太田先生は、さらにこう書かれている。『他者に対するカリモジョンのこうした特徴的な態度は、東アフリカにおけるほかの牧畜社会の人々にも共通するものであるように思われる。』…。西アフリカの遊牧民、ブルキナのゴロンゴロンで会った牧畜民トゥアレグのことを思い出す。首都のワガでみるブルキナベに比べて、彼らの眼差しは、同様にきびしいものだった。

この牧畜民の特徴について、ゴールドシュミットという研究者が、心理学的な研究も踏まえ、『東アフリカの牧畜民は農耕民と比較したときに、①情動を開放的に表現する、②対人関係において直接行動を取る、③独立心が旺盛である、④それにもかかわらず社会的な団結を示す、⑤つよくて明確に定義された社会的な価値観をもつ、という5つの特質を持つ。』とし、独立指向症候群と呼び、それは個人のパーソナリティである同時に、牧畜社会の制度上の性質ともなっており、この特質は乾燥地域において家畜群に依存して生活するために不可欠な適応様式との関連において理解できると論じている。だが、この議論は、つよく環境決定論的であるし、独立志向症候群を太田先生自身も人々の家畜観という観点から説明しようとしたが、十分な解釈をあたえたとはいえなかったと書かれている。私などは、①から⑤の指摘にすぐに納得してしまうが、…なるほど、学問というのは峻厳なものだと改めて教わった気がした。

面白そうな論文がこのあと16本も並んでいる。イヒヒ。私の顔が普段以上に、ゆるんでいるのは、きっとそのセイである。良い本に出会えるということは、人生の至福である。(笑)

2011年6月7日火曜日

鶏頭は頑張っているらしい

湿度の高い一日だった。授業をしてたっぷり汗をかいてしまった。50を過ぎると授業も体力勝負である。さてさて、本校でも喫煙する先生が何人かおられるのだが、進路指導のO先生と喫煙しながら話をしていて、感じたことを今日は書いておこうと思う。
O先生は、本校の進学指導を背負って頑張っておられる方だ。大阪の平均的な学力水準の本校で、少しでも窓口を拡げたいと、普通科の生徒の中で、2年進級時に文Ⅰ、理Ⅰという進学クラスを提唱し、他の普通科生徒と分けるという試みを軌道にのせてこられたのだ。これは、まず生徒に希望調査をして、成績等で編成するらしい。学年によってそのレベルには差ができるそうだ。私は2年生の普通科を教えているから、よくわかる。文Ⅰのクラスは、集中度が全然違う。朱に染まれば赤くなる。進学したいと強く希望する生徒を集める方が絶対いい。とはいえ、他の普通のクラスでも文Ⅰなみに出来る生徒もいる。彼らは、家庭の事情や進みたい職業の関係で文Ⅰに入らなかった生徒たちで、各クラスにチラホラいる。授業をする私としては、こういう生徒も大事にしたいと思っている。反対に、君、ホントに文Ⅰ?という生徒もいる。(笑)

さて、本題。O先生はいくつも大学を回って、指定校推薦を増やす努力をされているそうだ。で、やはり凄い大学だと思ったのはK大だそうだ。先生は、K大の担当者に「本校の生徒は、遅咲きの生徒です。中学では中位でしたが、高校に入って一生懸命勉強し、トップになるような生徒は、今、勉強の面白さを実感している生徒です。」と説明されたらしい。すると担当者は「本学が求めている指定校推薦で取りたい生徒は、そういう生徒です。」と膝をうったらしい。それで、文Ⅰで1名、理Ⅰで1名の枠をいただけたのだと教えて下さった。そのうち、理Ⅰで進学した卒業生が頑張っていて、もう1名枠が増えたそうだ。凄い話だと私は思うのである。ところで、文Ⅰが指定校としていただいている学部は、今、前任校で教育実習を頑張っているN君や以前サバンナの農業について、無茶苦茶勉強しているなあと私を驚かせたO君が在学し、そして最も古い読者の1人哲平さんの在学していた学部である。O先生に聞くと、入学前学習でかなり難解な本を読ませ、論文を書かせるらしい。是非、私にその指導をさせて欲しいと頼んだのだった。どうせなら、アフリカ開発経済学を個人的にでも講義して送り出したいところだ。(笑)…本校の鶏頭は頑張っているらしい。

2011年6月6日月曜日

H高校での第一号

喫煙に行こうと職員室を出ようとしたら、3年生の担任のA先生に呼び止められた。ある男子生徒が、進路希望の調書に、政治経済で学んでいる国際協力に関わりたいと書いているらしい。「どんな風に指導したらいいですかぁ?」と質問された。私は、「なにより手に職をつけることが一番だと思いますよ。たとえば、自動車修理とか、農業指導とか、保健医療関係とか…。」と答えたのだった。紫煙をゆらせながら、早すぎるよなあと思った。まだH高校へきて、ほんの2ヶ月である。進路調書にそんなことを書いてくれる生徒が現れるとは…。現実になるかは、さておき、非常に嬉しい。ありがたいことである。

私が、本校を転勤希望校数校の中に入れたのは、実はスポーツ関係の生徒を念頭に置いていたのだった。柔道や、バレーボールなどスポーツ指導で国際貢献に携わるJOCVも多い。そんなことを意図していたのは確かだ。ところが、彼は普通科である。たまたま政治経済でアフリカ開発経済学を講じたクラスに入ったにすぎないのだが、それがまた嬉しい。なんか、気合いが入ってきたのであった。

前任校に比べて、相変わらず集中力にかける、普通の学力の本校生だが、こっちが本気で語りかけると目が輝くのは同じである。その数が少し少ないだけだ。(笑)で、今日も汗だくで授業をしていたのだった。私は幸せ者である。<今日の画像は、内容と全く関係のない、妻が育てた自宅玄関先にあるアマリリスである。今が最も撮しどきかなと思ってG12で撮影したものである。>

2011年6月5日日曜日

ケニア山とサーカスの熊

SONYプレゼンツの『世界遺産』で、ケニア山をやっていた。いいなあと思う。私は、ケニアでピーター会の先生方とともに、晴天のケニア山を見たことがある。JICAの方によると、こういう晴天は滅多にないとのことだった。画像は、静岡のM先生撮影によるものである。ホワイトハイランド(白人入植地)の小麦畑からケニア山の山頂を望むといった感じである。素晴らしい。非常に男性的な岩山である。TVでは、この最高峰に登山している様子が撮されていた。見事な垂直分布で植生が変化し、特に植生限界では貴重で、しかも奇妙な草が生えていることがわかった。なんやかんや言っても赤道直下なのに氷河もある。しかしこのまま温暖化が続けば、頂上まで植生限界が拡大するのではないかということだった。うーむ。
面白かったのが、ケニア人のスタッフ(シェルパ)が、山小屋でウガリをつくっていたことである。米より腹持ちが良いとのこと。なるほど、そうかもしれないなとウガリファンの私は思ったのだった。

ケニア山登山か…。こんなに太ってしまっては想像すらできない。先日も愛車(5月24日付ブログ参照)に乗っていたら、世界史を教えている2年生の生徒に「サーカスの熊みたいです。」と言われてしまった。…まあ、登山どころやないわな。

US大統領夫人のアフリカ歴訪

先日のサミットに同行しなかったオバマ大統領夫人が、アフリカを歴訪するらしい。(4日付のニュース)

米ホワイトハウスは3日、ミシェル・オバマ大統領夫人が21~26日の日程で、南アフリカとボツワナを歴訪すると発表した。訪問はアフリカの教育事情や健康問題の改善を促す目的で、ミシェル夫人には母親と長女マリアさん、次女サーシャさんが同行する予定。ホワイトハウスは「今回の訪問は、アフリカの多くの国が成功することに米国が重大な関心を抱いていることを示している」と強調している。(共同)

私は、ふーんという感じである。南アフリカとボツワナかあ。アメリカが大統領夫人を送り込む国としては妥当かなあ。アフリカの中では裕福で、世界的な観光地(ケープタウンやカラハリ砂漠、オカバンゴ湿地など)もあるし、あまり反米感情もないし、VIPとして行くには治安もいいし、英語圏だし…。もちろん、教育の問題やエイズ問題などもある。ちょうどいいのだろうなと考えてしまうのである。

こういう窺った見方をしてしまうのは、まだタイにいる息子が前倒しの父の日のプレゼント?先日ブログで気になる本として紹介した「はしごを外せ」(5月10日付)を送ってくれたからである。まだまだ初めのほうしか読んでいないが、強烈なインパクトのある本である。帯にこうある。『先進国は、みずからが発展途上にあるときに採用しなかった制度をなぜ発展途上国に強いるのか。』ダァーと読んでしまうか、じっくりと読むか、今迷っているところだ。

アフリカ歴訪という美名の裏にやはり何かある、と思ってしまうのはどうも人間が汚くなってしまったようで悲しいが…。

2011年6月4日土曜日

大阪府内に勤務する教師として

条例を可決した大阪府議会
先日、大阪府議会で知事の私党と思える大阪維新の会が、他党の反対を押し切って、卒業式・入学式での君が代斉唱と起立を条例化したこと、さらに懲戒免職を含むと言われている罰則規定も制定する予定であることに対して、私の個人的見解を書いておきたい。何度か書いているように、私はこの知事の教育政策を支持している府内の教育関係者を一人も知らない。(今回の件では大阪府の教育長まで反論した。)

まず最初に、私の「君が代」や「日の丸」に対する立場を明確にしておく。私は、国歌斉唱という指示に必ず起立してきた。理由は、日本の国歌であろうと中国の国歌であろうと、アメリカの国歌であろうと、それが常識ある地球市民としての礼儀だと思うからである。生徒に起立を指示・指導する立場でもあるから抵抗はない。ただし君が代を歌うか否かについては、生徒には自由にさせている。在日外国人の生徒や宗教上の理由から歌わない生徒もいる。それについては思想信条、ならびに信教の自由を侵すことはできないと信じている。私自身は、歌っても大きな声ではっきりとは歌わない事が多い。個人的には昭和天皇は凄いヒトだと思うし、今上天皇の「私」のない姿勢に非常に好感をもってている。日本の歴史において天皇制が果たしてきた役割も理解しているつもりだ。ただ、その判断(メリット・デメリット)は、生徒自身がするべきもので、強制するべきものではないと考えている。

今回の府議会の条例制定(来るべき罰則規定の制定も含めて)は、必要ではないと考えている。その論点は4点ある。
1点目は、知事が、教育現場の官僚主義化を進めていることが間違いであることである。本日付毎日新聞によると、知事は「校長の職務命令に教員が従うという当たり前のことをやっていかなくてはならない。これまで教育は自由業的な個人商店的な役割だったが、学校組織としてみるいう第一歩が踏み出せた。」と述べている。
学校は、役所や企業ではない。相手にしているのは児童・生徒なのである。その成果はすぐに出ないことも多い。また数値などには表せないことも多い。組織的な効率だけで判断・評価できるものではない。知事はそういう形而上の問題を無視している。
校長の職務命令云々とあるが、これにも反論したい。幸いにも私は人格的に尊敬できる管理職(校長・教頭)のもとで長く仕事をしてきた。しかし他の先生方から聞くと、どこかの総理のようように何の展望も指針もなく、「私」の保身のみに執着する管理職も多い。生徒のことより、「私」が大事な管理職は、当然人望もない。学校の世界は、善意の世界である。教員は基本的に善意で動いている。その善意という形而上の世界に、官僚主義的・組織的な形而下の職務命令が下るのは、ふさわしくない。人望のある管理職なら、「職務命令」などという伝家の宝刀を抜かない。それが、善意の形而上の教員の世界なのである。管理職が、「公」の善意で学校をこうしたい、ああしたいと指示すれば、教員は自ずと動く。そういう世界なのである。知事は、教育の世界こそ、善意の人が動かし、人をつくるという、役所や企業とは違う集団であることを認識すべきである。

第2点は、そういう善意の通じない教師についての論点ある。すなわち悪い教師の規定とその対応についてである。私は教育現場は様々な個性のある人間がいていい、と思っている。父親的な人、母親的な人、クラブに頑張る人、進学実績にこだわる人。児童・生徒はそういう様々な価値観をもつ人の集団の中でこそ、うまく育つと思う。ただ、生徒を愛せない、やる気のない人は困る。協調性や社会常識のない人も困る。こういう人々がいない、とは私は思わない。たしかに存在する。これをなんとかするのが管理職の大きな役目である。そのための権限に関しては必要だと思う。ならば、やる気のある有能な校長を育て、長期にわたって学校をまかせ、大きな権限をもたせるべきである知事は、国歌斉唱時に起立しない教師を、悪い教師だと決めつけているようだが、それは私の経験から普遍的な事実ではないと言える。担任として、衆目の集まる場所で起立した際、同僚の教師が立たなかったことが何度かある。だが、その先生がどんなに生徒を愛し、苦労し、今日を迎えたかを知っている私は、そんな短時間の出来事で、その先生の3年間を評価して欲しくない。私は、組合に入っていないし、起立しなかった先生方とは、生徒のことで熱く議論することはあっても、そういう政治的な話はしない。それが、善意の組織の仁義なのである。本当に良い学校組織をつくるつもりなら、「人間という視点から」そういう風に改革すべきである。

第3点は、組合のマイノリティ化が進んでいること、その組合のドグマ性と今回の維新の会のドグマ性は、そう変わらないということだ。幸いにも、そういう起立しなかった先生方はすでに多くがリタイアされている。知事はその多さを指摘するが、組合の組織率は低下の一途をたどっている。昔は組合が強かった。私も嫌な目にあったこともある。組合のドグマチックな姿勢は私の嗜好と相容れないので、抜けさせてもらった。残っている先生方であまりドグマチックな人を私は知らない。近代国家における学校教育の隠れた目標は、国民国家とすること、すなわち国民皆兵を実現するためのであったと歴史は教えている。(日本では山縣有朋によって牽引されてきた。)戦後失われた日本の誇りと愛国心を取り戻すため国旗・国歌法案が可決したのも理解できる。教育が立たされている位置は、そういうものだという合理性を私は認識している。同時に、このことが国民皆兵に道を開くものだ、という組合の考えは、ドグマだと私は思う。
公務員として法に従うのは当然だということも理解できる。しかし、同時に憲法には、思想・心情の自由があり、表現の自由が保障されている。起立しないことが公共の福祉から制限されるのだという議論も成り立つかもしれない。とはいえ、条例として成立させ、「職務命令違反」ゆえに「懲戒免職」などという罰則を決めなければならないことなのだろうか。組合のドグマも嫌いだが、起立や斉唱を強制し、罰則を設けることこそドグマだと感じる。

第4点。今回の件は、知事の人気取り・話題性のためのパフォーマンであるという疑念が払拭できないこと。大阪市の平松市長は、「あえて条例化する必要のないものを、数の力でできるんだというパフォーマンスにつなげている。」(同日毎日新聞)と批判した。私も全く同感である。知事の短慮で、「私」な、単純な心意気は害である。

ちなみに私は大阪市の教員である。大阪市でよかった。面白いYAHOO知恵袋:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1362855218

歌川国芳展に猫を見に行く

あべの地下センターの通路にて
妻は浮世絵が好きである。しかも猫が好きである。「浮世絵+猫=絶対に行く」である。会期もあと2日しかない。というわけで、先々週に行く予定だった歌川国芳展に行ってきた。混んでいるんじゃないかという危惧は現実になった。(笑)凄い。間近に絵を見れない。早々と、妻が「図録を買おか。」と言った。私たち夫婦は展覧会に行くことも度々だが、図録まで買うことはそうない。ゆっくり見れない以上、「浮世絵+猫-混んでてよく見れない=図録を買う」となったわけだ。(笑)2500円。思わぬ出費である。

混んでいたものの、それなりに有名な作品はじっくり見た。やはり国芳は面白い。幕末という時期もあるが、それまでの浮世絵の世界を飛び越えている。

特に、戯画が面白い。妻は、猫の作品が当然大好きだが、「化物忠臣蔵」という作品がなかなか良いのだという。<右の作品>
付喪神を思わせるらしい。妻は京極夏彦も民俗学も好きである。ふーん。

私は、今回の展覧会でもかなり使われている「朝比奈小人嶋遊」が一番好き。室町時代の豪傑の朝比奈が、ガリバー旅行記のような構図で大名行列を笑っているのが、幕末の一般庶民の気分を表している様な気がする。

少し調べてみると、これには、天保の改革が関係していた。改革で質素倹約が謳われ、役者絵や美人画が禁じられ、色数などの制限をされた。出版界が大いに疲弊した後、結局改革が失敗し、検印が2つになり規制がゆるんだこと、国芳をはじめ、ならば役者を化け物や猫などで描くことで規制からはみ出ようとしたことなどが挙げられそうだ。国芳という人も、心意気で仕事をするタイプの人だったらしい。

朝比奈小人嶋遊
江戸幕府が疲弊し、まさに崩壊しようとする時期、こういう浮世絵師が登場し、ユーモラスに規制を逃れつつ、庶民の心意気を表現していたというのがいい。「時代の文化」とはそういうものかもしれない。では、まさに同様の、今の幕府崩壊寸前の日本を象徴している「時代の文化」って何だろうと、考えるのだった。いや、それより重要なことがある。真に心意気のある政治家はいないものか、と思ってしまうのであった。

2011年6月3日金曜日

עשרת+הדיברות‎ (十戒)

世界史Bのヘブライズム特別講義で、今日は出エジプト記を教えていた。なんといっても十戒の話がメインになる。
この十戒は、ユダヤ教の、もっと言えばキリスト教やイスラームを含めた一神教の律法の根本中の根本である。異文化理解の上でも欠かせない。一応、ユダヤ教のスタンダードな十戒を記しておくと…

 1、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
 2、自分のために、偶像をつくってはならない。
 3、主の御名をみだりに唱えてはならない。
 4、安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
 5、父と母を敬え。
 6、殺してはならない。
 7、姦淫してはならない。
 8、盗んではならない。
 9、隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
 10、隣人の家のものを欲しがってはならない。

…となる。今回の授業では、特に、2.の偶像の話を中心にした。ユダヤ教では当然偶像崇拝はない。イスラームも同様である。キリスト教は若干微妙である。そもそもこの律法は人間が守れないモノと考えている(律法の成就)から、厳密に守ろうとはしていない。カトリックでは、微妙な話だが、神の子イエスの偶像や神の子イエスを生んだマリアの偶像はOKである。東方正教会では、偶像(彫刻)はないが、絵はOKとし、イコンを並べている。とはいえ、さすがに神そのものはもろに描かない。

バーミヤンの今は無き大仏
ユダヤやイスラームの厳密な偶像崇拝禁止という発想は、我々にはどうもわかりにくい。先日久しぶりに成毛眞さんのブログを覗いたら、私も読んで感銘した「戦争広告代理店」とともに「大仏破壊」の紹介がされていた。その記憶がふと浮かんだのか、世界遺産であったバーミヤンの大仏の話をした。生徒にとって、バーミヤンといえば中華料理のチェーン店である。(笑)バーミヤンはアフガニスタンにあること、昔仏教が盛んで岩壁に大仏が掘られたが、イスラームの支配下に入ってから、偶像崇拝だということで、顔の部分が削り取られたこと、さらに9.11の直前に、そのプレリュードとしてタリバンやアルカイーダによって大仏が破壊されたことなどを話した。我々からすると、大いなる暴挙なのだが、十戒から見ると、偶像崇拝の禁止という立場を彼らが取るということを押さえておくべきであろう。

さて、「殺すなかれ」が6番目にあるということも重要である。以前読んだ本に載っていた、こんな話をした。サウジアラビアの新聞記事で、日本特集が組まれており、様々な角度から日本を紹介していたという。その中に、『日本はアメリカに原爆を落とされ、戦争に負けたが経済復興し、アメリカと並ぶほどの力をつけた。何故日本はアメリカに仕返ししないのだろう?』という意見が書かれてあったとのことだ。こういう感覚こそ、「6番目の戒としての殺すなかれ」ではないだろうかと私は思うのだ。我々は、同じ神を信じる一神教同士で殺し合う姿や、キリスト教同士でもユグノー戦争や北アイルランド紛争がごときカトリックとプロテスタントの宗教戦争に、正直納得できないものがある。それは、我々日本人の伝統的な多層文化的価値観(ジャパニーズ・スタンダード)から見ているからに他ならない。

地球市民たらんとする人間にとって、「十戒」は必要不可欠な異文化理解・学習だと思うのである。

2011年6月2日木曜日

ダリの気分で『虫眼とアニ眼』

ダリ / ポルト・リガトの聖母
私は、月初め、サルバドール・ダリの気分である。昔々高校生の頃、デザインの先生からダリの精神的気質について、講義を受けた記憶がある。ダリの後期の作品は特にこれでもか、これでもかと様々なオブジェが描かれ、空間を残さない。まるで空白恐怖症のような感じをうける。これを”パラノイア”と言うのだと。私も月初めになると、このブログのアーカイブがリセットされ、それまで書いていたタイトルが消えてしまうことに不安を覚えるのである。で、月初めには少しでも多くアーカイブを増やそうと、エントリーしてしまうのである。今日は2日だが、このエントリーで4つアーカイブが記入されることになる。(笑)但し、無理して粗製濫造するつもりはない。本日2つ目のエントリーは、養老孟司と宮崎駿の対談集、『虫眼とアニ眼』(新潮文庫)についてである。遠足の帰りに阿倍野の本屋で買って読んだ。平成20年2月1日発行だから、だいぶ前の本である。薄い。が、中身はなかなか濃い本だった。

このお二人は、私たちの上の世代である団塊の世代のさらに上である。そういう大先輩の気取らない対談集である。印象に残った部分は多々あるのだが、主に「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」をベースに対談されているところにしぼって書き残しておきたい。

「もののけ姫」について、宮崎駿は、サン=もののけ姫の人間に対する憎悪とか不信感を果たして解放できるかどうかが課題だったと述べる。周りをみると、みんな「人間嫌い」になってると感じた。悪い人間をやっつけてせいせいするような映画にはしなかった、エンタテイメントの逆をいかざるを得なかったと述べている。
-なぜ人間嫌いになってしまったのか。二人の対談は、虫や鳥や植物といった自然が破壊され、あまった「感性」が人間に向いているからだという方向に行く。養老孟司が言う。平たく言えば、感性とは「なんかほかと違うぞ」って変化がわかることと言っていいんじゃないか。現代の人間、特に子供は人間関係の中にそれを見ているのではないか。また、こんな発言もある。画一的な教育の対極として、個性尊重って言うけれど、尊重するほどの個性なんてまだ養われてないでしょう。ところが学校も親も都合のいいところで手を打って、それを個性という名で呼ぶもんだから、個性の中身がどんどんつまらなくなってしまった。(宮崎)イジメが深刻になっちゃう根本には、人間ごとにしか関心が向かない狭い世界があって、昔からあったことが、実は拡大されてしまった。いや、拡大というか、世界が狭くなったぶんだけ、拡大されて見えるんです。(養老)
うーん。示唆に富む発言である。

「千と千尋の神隠し」について、養老が電車のシーンが最も印象に残ったと述べると、宮崎はあれが映画の「山場」になったと答える。電車に乗って行くだけで、映画を終わらせれたことにホッとした。カオナシが巨大化して暴れて湯屋をグチャグチャに壊して、お父さんとお母さんの豚小屋に迫って食おうとした時に、ハクにのった少女が駆けつけて何かしたとか、そういう話にしなくて済んだ。それは第一に思いつく方法ですから。大体エンタテイメントはそういうものになっている。養老は、そこに宮崎の気品を感じる、抑制を感じるとし、宮崎の作品を日本的なる文化から読み解く。日本語は、仮名だけで50音、その上に漢字が常用でも2000、英語なら26文字、どちらの世界が複雑か、すぐにわかるであろうと述べる。物理や化学の世界では、世界は100あまりの原子でできているとする。こういう考えは、日本人の直感にはほど遠いものがある。放っておけば、つまりアルファベット圏の影響がなければ、日本人はまず原子論を立てないであろう。全世界がまさか有限の記号で書けるとは信じていないからである。アルファベットを使っていれば、そう思っても当たり前なのに。文化の違いとは、これほど根源的なのである。
…うーん。なるほど。宮崎アニ眼は、極めて日本的な複雑な眼から生まれたものだというわけだ。さすが、虫眼の養老孟司である。

「反原発」という『ファトワ』

朝、モーニングに行った時、ふと新聞が読みたくなった。いつもは、文庫本を読むのだが、そんな気分だったのだ。朝日新聞があった。私は朝日新聞の”臭みのあるリベラル”が好きではないので滅多に読まない。だからこそ、たまに読んでみたかったのだ。すると国際面に、こんな記事があった。(私なりに整理した文章である。)

『原発 イスラムに反する』 インドネシアで、ジャワ島のバロン村で国内最大のイスラム組織の地方支部が、原発建設はハラム(イスラムの禁止行為)にあたるというファトワ(法学裁定)を下したというのだ。「原発はハラム」という裁定は世界初らしい。この村は原発建設予定地で、村のイスラム学校の校長で、イスラム指導者であるヌルディン・アミン氏が仕掛け人らしい。彼は日本の反原発グループの案内で浜岡原発を視察し、裁判闘争の難しさを実感した。裁判がだめならイスラム法的な手法が使えるのではと、イスラム組織に働きかけ、100人ものイスラム指導者が集まり、議論を重ねた。放射性廃棄物を生成するなどの「罪」が、増えるエネルギー需要を満たせるなどの「益」を上回る、との判断に至った。コーランが酒について「罪は益より大きい」と記してあるのと同じ構図である。ファトワには法的拘束力はないが、倫理的効果は大きい。原発建設計画は停止状態だという。

なるほど。イスラム法のシャリーアの体系(コーラン・ハディース・イジュマー・キャース)の具体的なケースとして私には非常に興味深かった。コーランの酒についての「罪は益より大きい」という記述の類推(キャース)と捉えるか、ウンマ(共同体)の合意事項(イジュマー)と捉えるのか微妙だが、『ファトワ』であることは間違いない。

私は原発推進派でもないし、反原発派でもない。私の興味は、インドネシアという最大の人口を持つイスラム国家で、このような『ファトワ』が出たことに尽きる。先進国(フランスやアメリカ)の利益優先主義からくる原発推進でもなく、また同じ先進国(ドイツやイタリア)のような環境問題重視の思想から出てくる反原発でもない。きっかけは、日本の反原発グループの説得にあったとしても、神に服従するための『ファトワ』だ、と言われれば、ムスリムはエポケー(判断停止)状態になる。

良いとか悪いとかいう問題ではないと私は思う。私は、この事実をイスラムの立場から理解したいし、なるほどと認めるだけだ。

ただ、朝日新聞の”臭みのあるリベラル”さだけは、どうしても残り香として感じてしまうのである。

2011年6月1日水曜日

授業再開 焦点・商店・昇天・焦点

中間考査が終わって、世界史Bも、政治経済も授業再開である。世界史Bの方は、ヘブライズムを本格的にやっている。まあ、倫理の焼き直しであるが、旧約聖書をきちっと教えるところから始めている。アブラハムがイサクを神の生け贄として殺そうとする岩こそ、世界史の「焦点」であるということ。神への信仰の証としての岩。そこにユダヤの神殿が造られ、後に破壊され嘆きの壁となる。ユダヤの神殿に集まった「商店」を壊して回り、近くのゴルゴダの丘で十字架刑となったイエス。さらにムハンマド(マホメット)が死んだとき、彼の魂はこの岩までメッカから飛んでいき、この岩から「昇天」したとされる。だから今、世界遺産・岩のドームが建てられている。このエレサレムが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であるということは、日本人でも知っている人は多い。だが、何故かという話になると、この3宗教の父と讃えられるアブラハム抜きには、そしてその岩抜きには語れない。十字軍も、シオニズムも、中東戦争も、すべてこのアブラハムから始まっているのだ。神がアブラハムに約束したカナンの地こそ現代史の焦点、パレスチナである。つい、力が入ってしまうのであった。

政治経済では、アフリカを理解するための近代国家論を説くために、資本主義の歴史から民主主義のなりたち、社会契約論と進んで市民革命まで中間試験の範囲でやった。いよいよ、民主主義とは何か本格的な内容に突入する。今日は、民主主義=共和制?民主主義≠君主制?というテーマでやった。アメリカ、フランス、中国、イギリス、スウェーデン、ネパール、オーストラリア、そして日本を共和制国家と君主制国家に分類させてみた。案外難しい。(ネパールなどは特に意地が悪い。最近国王の意志で共和制になった。)日本などは、ディベートができるくらい難しい。民主主義を政治体制だけでは示せないという結論を導いておいた上で、明日は、さらに基本的人権を整理していく。人権こそが、民主主義の基盤だろうか?という問いかけである。

実は、私はこの基本的人権を語るのは、ずいぶん久しぶりである。昔は様々な例を引いて単に説明に終始したが、今回は、たとえば言論の自由は、本当に存在し得るのか?と問いかけようと思う。自由の国・アメリカなら存在しえるのだろうか?私はそうは考えていない。9.11の時、ウェスト・ヴァージニア州で、ある女子高校生がブッシュ大統領の「これは戦争だ!」という発言に抗議して「反戦」を訴えるTシャツを来て登校した。これを校長が停学にしたというニュースが流れ、当時の久米宏がニュースステーションで「反米・非戦」キャンペーンを張ったことがある。私は、このウェスト・ヴァージニア州というのがミソだと思っている。この州はプワー・ホワイトの州と呼ばれ、アパラチア炭田が閉山した後貧乏な白人の州となっている。いきおい軍人を多く輩出している。そんな国(州)での話だ。ルソーの言う一般意志は、その女子高校生にはなかったのだ。(私は今でも、久米宏に代表されるマスコミの、そういうアメリカをステレオタイプに見て、確信をもって批判する傲慢さや無知を軽蔑している。)
ヨーロッパの中華人民共和国・フランスにも、イスラム系の移民問題がある。日本にも「平和」という国是がある。核武装や第9条の否定は長らくタブーであった。それぞれの国にある一般意志が、言論の自由を押さえているというのが現実だと私は考えている。

近代国家論は、この後国民国家へと続く。国民国家は、国民皆兵をその基盤としている。国家は、基本的人権を守る存在であると共に、国民を国家のため犠牲に出来る力を持っている。上品に言えば公共の福祉という装置を持って、人権を制限する力を持っているわけだ。逆らったらそれを暴力的に制限する装置も持っている。こういう流れの中で、民主主義と国家と人権を考えて行きたい。それが、近代国家論から読み解く、アフリカのガバナンスを理解するための「焦点」だと思っているからだ。

JICA大阪合同見学会断念す

JICA 二本松(福島県)
この春のJICA高校生セミナー(3月28日付ブログ参照)で、結局抽選にもれた前任校の3人を、いつかJICA大阪に連れて行ってあげたいと思っていた。唯一の前任校でやり残したことである。前任校の後輩の口の悪いI先生や弟分のU先生と連絡を取り合い、1学期中の午前中授業の日程の中でなんとか行けないかと模索していた。さすがに私が引率できるわけがないので、本校でも英語のY先生(オーラルを担当されており旧知の仲である)の協力も得て、合同で行く算段をしていたのだった。

ところが、なかなか上手くいかない。本校でも4~5人希望者を集めたし、前任校の段取りもなんとかついたのだが、大きな問題がJICA大阪の方で起こっていた。震災の影響で、福島県にあるJICAの二本松(JOCVの訓練所)が、避難されている方を受け入れていて、JOCVの研修をJICA大阪に振り分けていたのだった。すなわち、JICA大阪は今、途上国の研修員さん、JIOCVの研修と、満杯状態なのだった。だから、途上国の研修員さんと交流したい、JICA大阪を見学させたいという希望は、かなり制限されてしまう。交流会の部屋をとることさえままならないらしい。私の大好きな研修員さんとふれあえるJICAのレストランも部外者が食事できるような状態ではないらしい。

うーん。本校の生徒はともかく、前任校の3年生は、夏休みに入ると本格的な受験に突入する。震災の影響である。誰が悪いというわけではない。やむを得ず合同見学会は断念することにした。私として精一杯努力したつもりだが、ごめんなあ。堪忍してやあ。