2011年6月12日日曜日

続 「はしごを外せ」書評

昨日の『はしごを外せ』の書評・続編である。今日完読したのだが、昨日のブログで書ききれなかった、著者の提言を押さえておきたい。でないと、この本がただ単に、先進国が自己利益のために途上国の関税を低く抑えている(事実で有ることは間違いないのだが)ことを指摘した本という印象を与えてしまうからである。例によって、かいつまんで私の得た部分を、私なりの理解(高校生にわかってもらえるようなレベルで)記しておきたい。

キャッチアップは、自動的に起こらないこと。すなわち、途上国の工業化には、様々な政策的な準備が必要である。先進国は、幼稚産業を育成するため、関税を高くし、自国の産業を保護し、熟練工を奪うなど、様々な悪辣な手段で、達成してきた。しかし、途上国が同様のことをする必要はない。教育の整備によって、教員養成や工業技術習得を行い、さらに外国の投資を呼び込むためのガバナンスの整備(金融や行政組織)を行うことがまず重要である。後進性の長所は、それまで先進国が暗中模索し得た成果(男女平等の普通選挙制や有限責任の株式会社、中央銀行のシステムなど)を、無駄なく学べることである。ただし、国によって状況は非常に異なる。その国に合ったシステム構築のために、時間をかけて行うべきである。先進国は、先進故に膨大な時間(1世紀以上)を費やした。早いことにこしたことはないが、現在の経済格差を考えると、数十年かかるような問題である。成功には、変化する条件に政策の焦点をたくみに合わせることである。

現在の世銀やIMFは、先進国の出資額によって投票権が与えられるようなシステムにある。今、彼らが『悪い政策』であるとしていることは、以前先進国が行ってきた政策であり、それに従わなかったインドや中国は発展した。ここにパラドックスがある。先進国は、自分たちが途上にあった頃、到達しなかった制度的基準を途上国に強制することによって、実質的にダブルスタンダード(二重基準)を適用している。その結果、途上国に大きな損害を与えている。事実上の不平等条約である。

途上国がとる政策について、先進国すなわち世銀やIMFは、『(以前先進国が行ってきた)悪い政策』を推奨せずとも許容しなくてはならない。それによって、かつて先進国がそうであったように、汚職にまみれるという事実があっても、そのような政策が決して使われてはならないということではない。墜落する可能性があるから飛行機に乗ってはならない、とはならないのと同様の理屈である。

世銀、IMFまたは先進国の政府によって与えられる資金援助に付加される条件は、ドグマチックに『(先進国に都合の良い新自由主義的な)良い政策』をあてはめるのではなく、国によって様々な状況にあること、また全ての国が従わなければならないという政策は存在しないという認識に基づいていなければならない。

WTOは規則とその他の多国間貿易協定は、幼稚産業育成の手段(たとえば関税と補助金)の積極的な活用を許すように書き改めねばならない。

途上国の発展段階と彼らが経験しているその他の条件に、よりふさわしい政策と制度を取り入れることを許すことによって、1960年代や70年代に実際そうであったように、途上国は、よりすばやく成長することができ、途上国に有利なだけでなく、貿易と投資の機会を増大させ、長期的には先進国にとっても有益である。

ハジュン・チャン氏は、最後に韓国人らしく、『小貧大失』(より短期間の利益を求めることで、長期的な大きな利益を失う)という諺でこの論を締めくくっている。ちなみに、氏はケンブリッジ大学教授、世銀・アジア開発銀行などのコンサルタント、多くの先進国・途上国の政府コンサルタントも歴任していることを付け加えておきたい。

うーむ。「援助じゃアフリカは発展しない」と「はしごを外せ」の2冊は、これまでの開発経済学のベクトルをかなり揺さぶっている。さっそく、私のテキストに反映させたいと思う。

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