2011年6月11日土曜日

「はしごを外せ」と鎮魂の森

ハジュン・チャン氏の「はしごを外せ」(副題:蹴落とされる発展途上国)を、ほぼ読了した。結局、「遊動民」は、通勤時に手に持つだけで運動になってしまうので、先に読みかけた「はしごを外せ」をまず読むことにしたのである。(笑)すばらしく、インパクトのある本だった。私なりの書評を書いておきたい。

私の「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストv4.01」でも、グローバリゼーション下でのアフリカ経済について触れている。90年代以降、新自由主義的経済の潮流が強くなり、アフリカの諸国も債務の関係で、貿易自由化を余儀なくされた。私は、基礎的な貿易自由化の理解のため、リカードの比較優位説を学ぶようにしてある。(常設ページ参照/P40・41・42)しかし、教えていて、いつも思っていたのだ。たしかに先進国にとっては、この自由貿易は有為かもしれないが、アフリカ諸国のようにあまりに差がある国としては、ただただ食い物にされるだけのような気がすると。幼稚産業(たとえば、日常雑貨や衣料品など、技術的に幼稚な工業/輸入代替工業ともいう。)の保護(関税を高くする)くらいは必要なのではないか、と思っていた。といっても私は経済学は全くの独学なので、声高に生徒に言えるべくもない。いつも「差が開くばかりだよなあ。」と言って、生徒の相づちを待つという感じだった。

この部分に、見事に答えてくれたのが、この本なのである。今日のトコロは、前半部の論点を中心に極めて概説的にハジュン・チャン氏の指摘を述べておきたい。要するに、先進国が、現在途上国に対して、「これは世界の常識だ。なぜこんなことができない!ガバナンスが不十分なんだ!」と指摘していることのほとんど全てが、長年にわたって先進国が途上国だった(変な言い方だが、資本主義や民主主義がまだ未発達だった時期)間に、苦しみもがいたことであったという事実である。
たとえば関税。現在、先進国は途上国に貿易の自由化を強要し、関税を上げることを悪だと見なしているが、先進国の多くが自国の工業化を関税率アップで図ってきたこと。特に、関税率については、アメリカがひどかったこと。工業化のためのキャッチアップは、技術の習得でもある。先進国はそのために産業スパイや熟練労働者の奪い合いをしきてきたこと。さらに、官僚制度や、金融制度、中央銀行や破産法など、さらに児童労働などの社会福祉制度にいたるまで、良きガバナンスを獲得するまでに、先進国はかなりえげつないことをしてきたこと、そしてその反省の上に今日があることが白日の下にさらされている。まあ、最大の問題が関税なのだが、帝国主義盛んなりし20世紀初頭の関税率と、現在を比べると、よくわかるのだ。以下は、本文よりの抜粋。

「今日の先進国と途上国の間にある生産性格差はきわめて大きく、今日の途上国がかつての先進国の産業にあたえられたものと実質的に同程度の保護を自国の産業に提供しようとする場合、かなり高い関税を課さなければならないことになる。」(126P)
「マディソンの統計によると、19世紀には最も豊かな先進国(オランダやイギリス)と最も貧しい先進国(日本やフィンランド)の間にあった購買力平価での1人あたり所得の比率は、およそ2、あるいは4対1であった。これは今日の途上国と先進国の間にある格差とはほど遠い。世銀の1999年のデータで、最先進国(たとえばスイス、日本、アメリカ)と最貧国(たとえばエチオピア、マラウイ、タンザニア)の間の購買力平価での1人あたりの所得格差は50もしくは60対1の範囲内にある。」(127P)
「19世紀末に、アメリカが国内産業に対して平均40%以上の関税による保護をあたえたとき、その購買力平価での1人あたりの所得は、すでにイギリスの4分の3であった。」「購買力平価での1人あたりの所得がアメリカの15分の1であったインドがWTO合意の直前まで続けていた71%の平均関税率は、インドを自由貿易の正真正銘の擁護者のように思わせるほどだ。」(128P)

これらの資料から、アフリカ諸国が、これまで先進国がやってきたのと同様の開発を行いたいと主張したときの関税率がどれくらいになるのか推測できるというものであろう。まさしく構造的暴力なわけで、まあ、ひどい話である。この本の最初にこんなことが書いてある。「健康上の注意:この本でこれから述べることは、間違いなく多くの人を知的また道義的に混乱に陥れる。彼らが当然だと考えていた、あるいは熱心に信じていた神話に、異議が申し立てられる。(中略)結論のいくつかは、何人かの読者にとって道義的に不愉快であろう。(後略)」…私は、不愉快というより、テキストをまた書き直さなくては…と思った。夏休みの研修課題となりそうである。

ところで、妻が「震災の後を鎮魂の森にするらしいで。ほら、あの有名な建築家が、発見されていない遺体が眠る土地の上に新しい街をつくれるわけないやないかって言うてた。」と今朝、話してくれた。建築家とは安藤氏のことであろう。「はしごを外せ」を読んで思うに、歴史上様々な問題を暗中模索しながら、進んできたのが文字道理の”先進”国である。日本も同様である。震災後、日本への信頼が、原発や政治状況などで暴落した今、道義的な原点に返っての「鎮魂の森」というアイデア、良いと思った次第。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110610-00000005-wsj-bus_all

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