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https://www.expedia.co.jp/Boston-Charlestown.dx88542 |
古いオリジナルの視察日誌によると、1994年10月24~26日に大阪市立の教員視察で訪れている。ビーコンヒルや茶会船博物館、ボストン美術館、ハーバード大学・MITなどの観光も思い出深いのだが、アメリカでの初の訪問校となったチャールズタウン高校の視察でのことを記しておきたい。
チャールズタウン高校は、WASPの総本山のようなボストンにあって、アジアンやヒスパニック、黒人がマジョリティを占める学校だった。食堂では障がいを持った生徒たちのサービスを受けたし、保健室では妊娠もしくは子育てしながら39人の女生徒が通学している話やエイズ対策のことも伺った。またマリファナの蔓延対策も伺った。コンピュータ教育が盛んで、ベトナム、ドミニカ、プエルトリコ、ハイチの生徒が学んでおり、台湾出身の優秀な賞を取った女性教員が教えていた。
さて、視察日誌には書かなかったことなのだが、アメリカの公立高校は、事実上私学のような存在であった。学校長は進学実績やその他の学校運営全てに責任を持つ「経営者」であって、学校の運営費を出している(市や区・群などの単位の)納税者の評価によって、時にはクビにされることもあるそうだ。アメリカでは、納税は全て自ら計算し納税する。日本のような会社による天引きは行われないので、納税者は自分の納めた税金の使途についてはるかにシビアなのである。チャールズ高校では、前述の優秀な台湾の女性教師を雇ったりして目に見える成果を挙げているらしい。だからこそ視察校に選ばれたわけだ。
当時の私はI工業高校勤務で、”のほほん”と過ごしていた。日本の公立高校から見ると実に驚くべき「構造」(単純に図式化すると、納税者が株主/校長は経営者)であった。当時の大阪市立の各高校では、各校の個性化が図られてきつつある時だったのだが、まだまだアメリカのような危機感はなかった。後に個性化を図ったM高校・H高校へと転勤するが、「構造」の相違からアメリカほどの危機感があったとはいえまい。
今、私立高校にお世話になっている身からすると、この危機感が理解できる。保護者の存在は、アメリカの納税者に近い。そんな危機感・緊張感が様々な面で見られる。私にとっては苦ではない。反対に台湾の女性教師のようでありたいという思いが湧き上がる。
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