2025年7月1日火曜日

大谷選手と間柄的存在

大谷選手の人間性が、アメリカで話題になって久しい。その逸話については挙げればきりがないのだが、その根底に和辻哲郎の「間柄的存在」という日本の倫理観があると私は思っている。アメリカは、極めて個人主義的でプラグマティズムの価値観が強い。その対極的な大谷選手の振る舞いに驚きを隠せないのであろう。

先日、少しエントリーしたが、大谷選手のHRを父親が取りそこね、泣いていた子供に、試合後サインボールやバットを送った話だが、私は直感的に大谷選手の行動を予想できた。野球選手とファンという間柄の中で、そういう行為が理想的だからだ。

常に社会(他者と言い換えても良い)との関係性の中で我々は生きている。大谷選手なら、ドジャーズ、MLB、アメリカ、日本などといった社会との間柄的な関係性の中で生きているわけである。だから、彼がDHという立場で、ベンチに長くいる故に、プレイヤーのための飲料を用意するのも十分理解しうるし、スランプに悩むメンバーに声をかけるのも、足を痛めたフリーマンにスパイクに敷く中敷きをプレゼントするのも、パドレス戦で死球を受けて、仲間に来るなというポーズを取って収めたのも、間柄的存在から見て妥当かつ理想的な行為なのである。

期末考査が終わって、夏季休業までに2コマずつの授業がある。日本の価値観について語るつもりだが、やはりメインは和辻哲郎、そして挫折感を味わった本居宣長かなと思う。

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