KATABIRAnoTSUJI’s海外渡航歴

*ブログを楽しんでいただくために私の海外渡航歴を簡単に紹介しておきます。
  -まずはアメリカ合衆国編-

第1回目 大阪市教育委員会海外派遣(アメリカ・カナダ)
 KIX→LAX→DET→ボルチモア(泊)・ワシントンD.C.(泊)・ボストン(泊)・オタワ(泊)・ナイアガラフォールズ(泊)・シカゴ(泊)・ミルウォーキー(泊)・デトロイト(泊)DET→LAX→KIX
 長い行程なので思い切り省略。ノースウェスト航空。途中デルタもユナイテッドも乗った凄い旅。最初の海外渡航。小中高の教員の団体で、今では考えられない豪華な旅だった。視察した学校は、ボストン(MA)、オタワ(ON)、ミルウォーキー(WI)、デトロイト(MN)の4校。
第2回目 個人でNYCへ 96丁目のB&Bに連泊
 KIX→ソウル→JFK(アシアナ航空利用)
 イントレピッド航空宇宙博物館、ラジオシティ エンパイアステートビル 国連本部 マジソンスクゥエアーガーデン ユダヤ博物館 FRB リバティ島 エリス島 ウォール街 NYSE ミュージアムマイル ハーレム・ゴスペルツアー コロンビア大学 イーストビレッジ 近代美術館 CATS鑑賞 ブルーマン鑑賞 STOMP鑑賞 (D.C.でUSホロコースト博物館とスミソニアン歴史博物館)などなどNYCを歩き回った。
第3回目 個人で中西部ドライブ旅行(サウスダコタ州・ワイオミング州・コロラド州)
 KIX→SFO→デンバー(泊)DEN→ラッピドシティ(サウスダコタ州)・R90を東へ・SD航空博物館・バッドランズ国立公園・ウォール(泊)・R90を西へワイオミング州へ・デビルスタワー国定公園へ・サウスダコタ州にもどり、マウントラッシュモア観光・ラピッドシティ(泊)→DEN→SFO・サンフランシスコ(泊)SFO→KIX (ユナイテッド航空利用)
初めてのアメリカ・ドライブ経験の旅である。モーテルを転々とした。
第4回目 前任校の担任卒業旅行(ノースカロライナ州・ヴァージニア州へ)
 KIX→IAD(D.C.ダレス空港) ・ワシントンD.C.(泊)・IDA→ORF・ノーフォーク(ヴァージニア州)→車でノースカロライナ州へ、キティ・ホーク(泊)→ニューバーン(泊)<ニューバーン高校視察>帰路は往路の逆であるので略。(ユナイテッド航空利用)
ワシントンD.C.では、アメリカ公文書館に行ってみた。2日目は、ボルチモア再訪。ベーブルース生家や鉄道博物館へ。キティーホークは、ライト兄弟の初飛行の地である。ノーフォークでは、海軍基地ツアーやマッカーサー記念館へ。
第5回 個人で南西部ドライブ旅行(カリフォルニア州・ネヴァダ州・アリゾナ州)
 KIX→LAX・アムトラックに乗り換えサンディゴへ(泊)・サンディエゴ航空博物館。車に乗り換え、レゴランドカリフォルニア→ラスベガス(泊)→フーバーダム経由でアリゾナ州へ・R66の旅・セリグマン(泊)→アリゾナ州ユマ(泊)→サンディエゴ(泊)SAN→LAX(タイ航空利用+ユナイテッド航空)
*競馬の有馬記念で得た賞金の半分で安いタイ航空を利用し、ユナイテッド航空のマイレージを貯めたのであった。極貧旅行であった。これが、第2回アフリカ行につながるのである。
第6回 研修旅行付き添い(アイオワ州)
 伊丹→成田→ORD(シカゴオヘア)→DSM・アイオワ州デモイン(泊)姉妹校の教員宅にホームステイ・帰路はバスで、R80を東へ。ミシシッピを越え、シカゴ(泊)シカゴ科学産業博物館でUボートを生徒に見せ、夕闇せまるシカゴの摩天楼をミシガン湖畔から。絶景であった。ORD→成田→伊丹(ANA+ユナイテッド航空利用)

というわけで6回渡米したことになる。足、それに車や鉄道など地べたを這った州は、以下のとおり。CA・NV・AZ・CO・SD・WY・IA・IL・WI・MN・NY・MA・NJ・DE・PA・MD・VA・NCとD.C.の計18州+1特別区。ちなみにカナダは、ON(オンタリオ州)のみ。なぜか、アメリカでは、航空博物館か潜水艦を必ず見ている。(笑)ちなみに、D.C.のスミソニアン航空博物館には3回行っている。

      -続いてアフリカ編-

第1回 JICA教師派遣研修でケニアへ

 KIX→アムステルダム→ナイロビ。(KLM利用)ナイロビを中心にかなり密な視察と研修が組まれていた。土日には、ナクル湖やケニア山のほうへも足をのばした。これも思い切り省略。
第2回 個人で<ユナイテッド航空のマイレージを使い>南アからジンバブエの旅
 KIX→バンコク→シンガポール→ヨハネスブルグ(シンガポール航空利用)
 プレトリアのバックパッカーズ(安宿)に連泊しながら、ジンバブエ行きの国際夜行バスのチケットを手に入れようとするもなかなか入手できず。その間、アパルトヘイト博物館などにも行く。やっとチケットが取れてハラレへ。結局1泊しかできなかったが、生徒の考えた質問を現地の人々にリサーチ。帰路は、ヨハネスブルグ→フランクフルト→KIX(ルフトハンザ航空利用)
第3回 個人参加の某NPOスタディツアーでブルキナファソへ
 KIX→CDG・パリ(泊)→ワガドゥグ。某NPO事務所で連泊。1泊2日でサヘルまでガイド付き旅行も。観光というより、生の人間を見に行ったすばらしい旅。(エールフランス利用)

 アフリカには、結局4カ国行ったことになる。ケニア、南ア、ジンバブエ、ブルキナファソである。3回とも素晴らしい旅だった。なお、アムステルダム、フランクフルト、パリの三都市を、それぞれちょっとだけ覗いた。

 -さらにに中国編-

第1回 家族で香港観光ツアー
 KIXからキャセイ航空で、香港へ。お決まりのコース。しかし参加者が少なく(2家族のみ)、勝手に歩き回り、モスク侵入やフェリー乗船など自由旅行に近かった。地下鉄に乗ってディープなコピーソフト販売店にも足を伸ばした。
第2回 家族で上海から南京までツアー
 冬休みに行ったツアー。KIXから上海までチャイナ・エアー利用。南京までは列車の旅。教員の家族が多く、まさしく観光ツアーだった。蘇州、無錫などにもよる。まだまだ中国は貧しい時代だった。
第3回 夫婦で行った北京ツアー
 北京のみの観光ツアー。万里の長城、明の十三陵、天安門から故宮、天檀など定番のツアーだった。夜、ホテルを抜け出して1人タクシーでハードロックカフェ北京へ冒険した。
第4回 修学旅行付き添い 北京
 第3回と回ったところはあまり変わらない。ただ月檀中学との交流はなかなかいいものだった。
第5回 修学旅行付き添い 北京
 この時は最初から関わったので、第4回のコースを少しだけ変えた。歴史地区フートンへ人力車で行くのと散策を入れた。

 中国には、5回行っているが、観光ツアーばかりである。中でも最も印象に残っているのが、第2回の上海から南京の旅である。元紅衛兵最終世代の洪さんという現地ガイドさんがよかったからだと思われる。現地ガイドといえば、修学旅行の王さん・劉さんも素晴らしいガイドであった。

 -イスラエル編-

2012年夏に、香港経由でエルアル航空(イスラエル国営)でKIXとテルアビブ往復。エルサレムの旧市街(嘆きの壁・岩のドーム・聖墳墓教会)といった一神教の聖地を巡り、新市街のイスラエル博物館やシャガールのステンドグラスも見学。ベツレヘムの生誕教会とパレスチナ自治区にも。死海にも日帰り旅。戦車博物館にも。エルサレムから3泊で北部にも足を延ばす。ナザレやアッコーにも。ここは、息子のヘブライ語の通訳とガイドがないときびしい国だった。
 -ポーランド編-
2015年夏、8日間のフリープランのツアーでフランクフルト経由のルフトハンザ航空でワルシャワへ。ワルシャワで2泊、鉄道でクラクフに向かい3泊し、アウシュビッツまでの鉄道もついていた。最終日はワルシャワ1泊で帰路に着くツアーだった。ユダヤ関係の博物館とアウシュビッツに行くことが最大の目標。いわば、イスラエルに続く旅であった。ポーランドも英語があまり通じない。
-マレーシア編ー
2016年4月より、帝京マレーシア日本語学院の社会科常勤講師として渡馬。クアラルンプールのタマンデサ地区に3年半居住。マレーシア国内では、ペナン、マラッカなどに足を伸ばした。日本帰国後にもう一度1泊2日で卒業式に弾丸ツアーを決行した。
ーオーストラリア編ー
2018年秋、以前から心を残していたオーストラリア西岸のパースに5日間の純粋観光旅。久しぶりの西洋風の街並みとウェーブロック、ピナクルズという大自然を堪能したが、やはり社会科教師で、小麦地帯などの考察と教材研究をしてしまう。