2015年12月31日木曜日

Dear Ukrainian follower

10月くらいから、ウクライナからの大量アクセスが続いていいる。いくつかの同じエントリーに、莫大なアクセスがなされている。ウクライナのフォロワーは、何を訴えようとしているのだろうか。実はずっと気になっている。

おそらくは、ロシアのプレモダン的な侵略に対し、国際的な喚起を促しているのだろうと思われる。もし、そういう意味合いで大量アクセスをしておられるのなら、年末最後のエントリーにあたって、是非コメントをして欲しいと思っている。英語ならなんとか解読できると思う。最後に、サバイバルイングリッシュでメッセージを書いておきたい。
Lily君、もし大きな間違いがあったら直してください。(笑)

Dear Ukrainian follower, thank you for reading my blog.
Why do you many access?
I think, you want rousepublic opinion for Ukraine.
In that case, I want you to write my blog's comment in English.

*Lily君に教えてもらった文章です。(23:13)
Why do you Ukrainian people access my blog so much? 
please leave comments below in English. I will be happy to reply to you. 

2015年12月30日水曜日

今年この1冊2015

今年も「今年この1冊」を選びたい。ただ、今年に関しては、現在読んでいる「貧困を救うテクノロジー」(2015年8月31日付発行)と「統計はウソをつく」(2015年8月30日付発行)の2冊を、来年度の対象に置いておきたいと考えている。情けないことに年末までに読破できなかったのが最大の原因だが、そうしておく必要があるほどの2冊だからである。特に、貧困を救うテクノロジーには、現在の”持続可能な開発”に関して大きな疑義が書かれている。まだ自分の中で整理ができていないほどの衝撃があって、新ゲーム制作にあたっても大きな壁となっている。この2冊はまだ、読んでいない、ということを確認した上で、本年の1冊を選びたいと思う。(えらくややこしい話だが…。)

今年は、夏のポーランド行をめぐって、ホロコースト関係、ならびにISに関する書籍をだいぶ読んだ。特に、「ホロコースト全史」(マイケル・ベーレンバウム/創元社)と内田樹「私家版ユダヤ文化論」は、なかなか読み応えがあり、11月の人権学習のPP教材のネタ本としても珍重した。

また、ISに関しては、中田考氏の「イスラーム 生と死と聖戦・集英社新書 2月17日発行」、「カリフ制再興 未完のプリジェクト、その歴史・理念・未来」(書心水/2月刊行)、「私はなぜイスラム教徒になったのか」(太田出版/5月25日発行)などを連続で読み込んだ。おかげで、日本最高峰のイスラム法学者の視点がおよそ掴めた。これは大きい。

一方で、佐藤優氏の「新・戦争論」「大世界史」など、内田樹先生の「最終講義」などおよそ、現在の日本におけるオピニオン・リーダーの考えは常に意識するようになった感がある。

とはいえ、今年の1冊は、やはりアフリカ本、それも開発経済学から選びたい。残念ながら昨年10月発行だが(環状線の外にある本校赴任以来、新刊情報が遅くなっていることは仕方がないということで、この件はあえて目をつぶって)、「現代アフリカ経済論」(北川勝彦・高橋基樹著・ミネルヴァ書房/昨年10月15日発行)を今年の1冊としたい。最新の情報を駆使し、これほど見事にアフリカの経済の現状と開発経済学上の集約をおこなっている日本語の書籍はないと思われる。本当にすばらしいテキストである。この本を乗り越えるとしたら、さらに新しい視点が必要になるだろう。それが、前述した2冊になるかもしれないというわけだ。

2015年12月29日火曜日

上田正樹のライブに行ってきた。

今日のライブ会場
梅田のライブハウスに、妻と上田正樹を聞きに行ってきた。11月の中之島公会堂で行われた「これが大阪!BLUES&SOUL 奇跡の軌跡! THE LIVE SHOW!」の時に、今日のチケットを購入していたのである。PM5:00に開場、PM6:00開演である。が、少し遅れて始まった。後で、キー坊の話によると、注文していた「うどん」が来るのが遅れたかららしい。(笑)

いつもながら、キー坊のブルースもソウルも素晴らしい。ドラムは五郎ちゃん、そして他も前回と同じメンバーである。バックも実に素晴らしい。Yoshie.Nさんというコーラスを担当する女性ソウルシンガーもホント素晴らしい。

今日のライブでは、キー坊の「哲学」が各所に見えていた。今年、亡くなった石田長生の曲をやったり、(途中で有山じゅんじが突如出てきて、共に歌ったのでびっくりした。キー坊にもサプライズだったらしい。)同じく亡くなったBBキングの曲をやったり…。あるいは、東日本大震災の人々を想い、海という童謡をソウルフルに歌ったり、故郷を亡くしてしまったフクシマの人々にケンタッキーホームを送ったり、そして最後の方に、亡くなった元サウストゥサウスのゆうちゃんの遺作となった曲を歌ったり…。アンコールでは、有山も登場して『梅田からナンバまで』を歌ってくれた。

面白かったのは、途中、前から2列目に座っていた私の2人横にいたオジサンが眠りこけてしまっていて、キー坊が気づいたのだ。(笑)会場も、キー坊のコメントで気がついた。何度もソウルフルな曲で起こそうとしたのだが、なかなか起きない。「ウェイクアップ」という、キー坊の声が曲の中に出てきて、会場は大爆笑になった。終わりの方に、起きてきたオジサンに「今年1年の労働ごくろうさまでした。」とキー坊が言ったので、会場がまた大爆笑に包まれたのだった。

キー坊は、来年アフリカに行って、R&Bをやりたいそうだ。私は、これには、思わず大拍手をしてしまった。個人的には極めて嬉しい。きっと受けると思う。

いやあ、いいコンサートだった。観客が歳をとっていて、もう踊りたくても踊れない状況は、前回の中之島公会堂と同じ。うーん、昔なら2時間立ったまま、踊り続けていたのだが…。

2015年12月28日月曜日

広河隆一「人間の戦場」を見る。

十三にある映画館・第七芸術劇場に、広河隆一氏の映画「人間の戦場」を見にいってきた。先日エントリーしたように、妻の付き添いなのだが、パレスチナ・チェルノブイリといった私も大いに興味をもっている地域を中心にジャーナリストとして活躍されている氏を追ったドキュメンタリーであるので楽しみにしていた。

タイトルの「人間の戦場」とは、広河氏が人間の尊厳が奪われている場所をこう呼んでいるところから来ている。広河氏の出発点は、早大卒業後に渡ったイスラエルのキブツである。60年安保世代で、社会主義的な集団農場・キブツに憧れたのだという。しかし、そのキブツの広大な農地に残された残骸が、パレスチナ人が住んでいた村であること知り、またパレスチナ人への過酷な人権侵害を知り、親パレスチナ・反シオニズムの立場に変わっていった。

映画もパレスチナから始まる。パレスチナ人たちが(おそらく入植地拡大に対して、安息日の礼拝後に)デモを行うシーンだ。14歳の少女の写真、(彼女はイスラエル軍の兵士が怖くて逃げたただけでテロリストの疑いを受け収監されているという)を持ち、パレスチナの旗を持ち20人ほどで、抗議の声を上げながら歩き出す。その先には、イスラエルの警察車両と数人の警官がいる。まるで、お約束ともいうように催涙弾を打ち出す。これを広河氏がガスマスクを付けながら、ニコンのシャッターを押しながら記録する。広河氏は、ジャーナリストの存在・その取材されることへの恐怖が、権力側に、そこを人間の戦場化することを躊躇させる効果がある、と言う。

しかし、広河氏は、ベイルートで、世界中のジャーナリストが集まっていながら、人間の戦場化(パレスチナ難民への大虐殺)を防げなかったことを今でも悔いている。ジャーナリストである前に、一人の人間として、目の前に溺れている人がいたらカメラを置いて助けるべきだと信じている。

だから、パレスチナの子どもの里親運動や、チェルノブイリ子ども基金(チェルノブイリの影響を今も受けている子どもたちを保養させる施設を運営、保養後20~30%も体内の被爆量が減少するらしい。)、沖縄球美(くみ)の里(フクシマで被爆したり、汚染された地域で暮らす子どもを沖縄の久米島に無料で呼んで保養させる運動)などの市民運動家としても活躍しているのである。

チェルノブイリへと向かう列車の中で、広河氏は、これだけ現地を取材しながら、当時、フクシマでは何もできなかったと嘆く。常に、自分に何ができるかを考え続けているのが、広河氏なのである。✖✖ドロボウ扱いされている復興担当大臣との格差はあまりに大きい。反知性的な政治家に、そんな覚悟があるのだろうか。

今年フクシマで、帰村が許可された地域の放射線量は、(同じ放射線量の)チェルノブイリの地域が今も廃墟のままであることもわかった。それでも、次から次へと子供たちへ被爆の負のスパイラルが続いていく。これが、真実であるらしい。

2015年12月27日日曜日

「構造的暴力」というコトバ

年末故に、本年の様々なニュースをもとに真面目に考察するTV番組もある。マスコミの品位を疑うようなバラエティ番組が多い中で、時折見ることがある。今朝もそういう番組があった。国際政治等にはまったく素人の俳優の司会者が、(素人ゆえにあまりに率直な)凄い質問をした。「ISを中心としたテロの原因は何ですか。(趣意)」そこに出演していた学者な評論家、ジャーナリストは、それなりの回答をしていた。

私なら、「構造的暴力」という一言で終わってしまうと思う。このコトバ、ノルウェイのガルトゥング氏が提唱したコトバで、国際政治学や平和学で使用される。、国際理解教育の世界でもわりと使われるコトバなのだが、まだまだメジャーではない。

そういえば、「持続可能」というコトバや、「ガバナンス」というコトバは最近メジャーになったような気がする。ずいぶん様々なメディアでもフツーに使われるようになった。おそらく「構造的暴力」も、そのうち使われるようになると思う。それと、「神定法」と「人定法」という概念も…。

あえて、「構造的暴力」の意味は、書かなかった。ブログを読んでいただいた方がそれぞれ調べられる方が広まると思うので…。

2015年12月26日土曜日

ベツレヘムの聖なる夜’15

http://echigo1978travel.seesaa.net/article/413008983.html
昨日だったと思うが、朝日新聞に、本来ならクリスマスで賑わう、イエス誕生の地ベツレヘムには、観光客がほとんどいないという記事が載っていた。

現在のテロが続くイスラエルの状況について最も信用できるのは「オリーブ山便り」であると私は思っている。「オリーブ山便り」によると、ギリシア正教やロシア正教のキリスト教の観光客がベツレヘムに来ていたようだ。ちなみに、正教会のクリスマスは1月7日だという。アラブ人にもキリスト教徒がいる。これは先年、ベツレヘムを訪れた時に知った。カトリックだけでなく、正教会の信徒もいて、彼らはイスラエル国籍をとって従軍している若者もいるらしい。一方で、パレスチナ=アラブのムスリムとキリスト教徒はうまく共存してきたらしい。同じパレスチナ人であるという意識が強く、クリスマスやラマダンの祝いの時は異教徒でありながら祝いに訪れ合うという。宗教対立だけが、今回のパレスチナ人による単独テロの理由ではなさそうだ。

生誕教会のミサには、アッバス議長が訪れている。アッバス議長は、極めてユダヤ史に詳しいインテリである。その政治姿勢も対立ではなく融和的である。しかし、今回の声明は少し違う。「ベツレヘムは18の違法なイスラエル人入植地に囲まれている。」として、人種差別の国、イスラエルが2国家案を破壊した、とイスラエルを非難。「イエスは全パレスチナのシンボルだ。パレスチナは、キリスト教が発症した地であることを誇りに思う。」と述べ、「ベツレヘムとエルサレムがキリスト教2000年の中で初めて分離されている。」「エルサレムを首都としないパレスチナ国家は有り得ない。」と述べた。

この100日間のテロで、イスラエル人の死者24人、重傷者24人。259人が負傷。治安部隊に射殺されたパレスチナ人は121人とされている。(12月24日現在)今回のテロの最大の原因は、いくらパレスチナのヨルダン川西岸が共存のために譲歩しても、我を押しと通すイスラエルのシオニズムにあるような気がする。(ムスリムとユダヤ教徒の)彼らの正義が「神」の定めた法にある故に、共存はかなり難しい、とも思う。

http://mtolive.blog.fc2.com/
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2666575.html

ジンバブエの法定通貨に人民元

http://sky.ap.teacup.com/dalian4649/507.html
毎日新聞の朝刊に、来年からジンバブエの法定通貨として、中国の人民元が本格的に活用されることが決定されたという記事が載っていた。ジンバブエは、例のハイパーインフレに対して、自国通貨を廃止するという凄い方法をとった。かのジンバブエドルは消滅したわけだ。

現在は米ドル、あるいは南アのランドが使われているのだが、これに人民元も使えるようになるわけだ。通貨が全て人民元になる、というわけではない。この背景には、48億円相当の中国の債務放棄があって、その見返りとしての導入らしい。中国の観光客は、そのまま人民元が使え、流通を促進する、と言い、その人民元は中国への債務変換にも利用できるという皮算用だ。おそらく、これは大したことではない。それより重要なのは、人民元がアフリカの一国で法定通貨として認められた、という(極めて精神的な)事実だ。

ムガベ大統領としては、してやったりであろうと思う。法定通貨に加える、と言ったただけで48億円がチャラになったわけだ。習近平主席も、たかだが48億円で、法定通貨に人民元を入れた国を1つつくったわけで、安いものだと考えているだろう。さらにアフリカで第二・第三のジンバブエをつくろうとするだろう。私のカンでは、エチオピアあたりかなと思う。

ジンバブエは、白人の経済支配を無理してひっくり返し、失敗国家化した。旧宗主国イギリスとの関係は最悪である。中国としては、だからこそ付け入るスキがある。宗主国との関係が、それなりに残っている国、たとえば西あるいは中央アフリカの旧フランス領の国々は、みんなセーファーフラン圏である。こんなところには、なかなか人民元が入り込めないはずだ。一方、エチオピアは他の地域が植民地化された時も独立国であった。旧宗主国がいないわけで、携帯電話のアンテナをあのエチオピア高原に人海戦術で張り巡らした中国としては、次はエチオピア、と舌なめずりしているのではないだろうか。

2015年12月25日金曜日

最近の外国人は日本語が上手

「TV番付」という番組で日本を旅をするアイリス
最近、日本に来ている外国人を中心にしたTV番組が多い。外国人が見た日本のイイトコロやワルイトコロを聞いて、日本を再発見するような番組。我が家は、こういう番組が大好きでよく見るのだが、それにしても感じるのが、外国人の話す日本語能力の高さである。

日本語はかなり難しい言語だと私は思っているが、それにしても上手い。大阪に住んでいるとあまり外国人と合わないが、東京の山手線などに乗ると、かなり外国人が増えていることを実感する。私などは古い日本人なので、外国人=日本語がしゃべれないと決めつけているが、案外日本語がしゃべれるのかもしれない。(笑)

今年は、(サバイバル英語で)あまり外国人と話す機会がなかった。ポーランドでは、ホテルのカウンターのスタッフと話したくらいだった。フツーのポーランド人は私以上に英語を解さなかった。(笑)

今度、日本にいる外国人と話すときは、まず日本語で語りかけようかな。

2015年12月24日木曜日

本年最後の人権講演会

府立高校は今日が終業式らしいが、大阪市立の高校は明日が終業式である。不思議な話である。いくつかのクラブが公式戦らしく、明日公欠扱いなんだとか。ここ数年不思議なコトが起こっては、現場を苛立てさせている。

まあいいか。今日のエントリーは、人権教育の話である。HIVと人権・情報センターの方に来ていただいて、HIV・AIDSの話や性教育をしていただいた。例年1年生が対象なのだが、昨年は、講堂の天井板を外す工事(これも不思議なコトのひとつだ。)のために開催できなかった。それゆえ今回に限り2年生も対象である。

あっけらかーんとした性教育講話なので、生徒も最初は戸惑うのだが、今回もなかなか反応は、よかったと思う。講話後、アンケートをして、情報センターに送る100枚をチョイスしていたのだが、よく聞いているなと思った次第。これは、本校の生徒の姿勢云々というより、来ていただいた情報センターの4人の方々のお話の上手さだと思っている。

校長室で、お話を伺った。最近はHIV・AIDSを始めとした性教育への関心が、全体として薄れているのだという。様々な✖✖教育が次々と現れ、それをこなさなくては、と(小・中・高の)各学校が追いまくられているようだ、とのこと。なるほどと、私も思った次第。

今日の画像は、HIVと人権・情報センターが作られた漫画本全三冊から。もちろん、本校の保健室にもある。また来年もよろしくお願いします。

2015年12月23日水曜日

天皇誕生日に想う。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/12/23/princess-kako-appears_n_8867082.html
陛下の82歳の誕生日である。陛下の記者会見全文を読むと、陛下がいかに先の大戦を我が痛みとされているか、平和を希求されているかがよくわかる。特に念願とされていたパラオ訪問について語られ、日本国民だけでなく、現地の方に大きな負担をかけていることなどにも触れられたり、民間人の犠牲にも触れられておられる。

「(戦争を知らない世代が)戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えることが極めて大切」と陛下が語られたことを、私は重く受け止めたい。陛下は、憲法上、政治的発言をされることはない。だが、このお言葉は、今年の日本を振り返って、陛下が感じられた戦後構築された平和への危機感を表現されたものだと思うのだ。まさにぎりぎりの思いを吐露されたのではないだろうか。

…戦争の歴史を学ぶということ、今年は特に世界史Bでドイツの全権委任法が民主主義のシステム上で成立したこと、ドイツ人の勤勉で、しかも従順な国民性と道具的理性がナチの独裁を許したことを教えた。現在の日本の状況、小選挙区制というシステム故に政権党の総裁に権力が集中しているコトは、当時のドイツと極めて似てきている。危険だ。

…反知性的なところもよく似ている。日本における戦争への道は、反知性的な「神国の物語」を信ずるだけの青年将校が、過激な発言を繰り返し、責任ある立場の者がそれを止めれず、誰も責任を取らない総無責任状態に陥ったことが大きいと私は思う。美しい日本?普通の国日本?✖✖ノミクス?そういう「物語」に紛らわされてはいけない。歴史は、そういう単純なプロパガンダに踊らされ続けてきた。政府の政治家の語る、おそるべき「反知性」を我々は大いに糾弾していかねばならない。

…陛下は、政治的発言をされることはない。誰よりも憲法を遵守される。たとえ、時の政権が憲法をないがしろにしても、である。陛下のお言葉には、そんな深い危惧があるように思う。

http://mainichi.jp/articles/20151223/k00/00m/040/131000c

2015年12月22日火曜日

広河隆一の映画「人間の戦場」

妻が突然、広河隆一氏の映画の話をしてきた。広河氏は、妻が大ファンである著名なジャーナリストである。TVで、ドキュメンタリー映画が上映されていることを知ったらしい。さっそくWEBで調べてみた。大阪では、今月26日から上映されるとのこと。十三の映画館である。

さっそく、妻がローソンチケットで前売り券を購入すると言い出した。おお、なかなか素早い。と、いうわけで先ほど近くのローソンまで車を出したのだった。もちろん、私も付き合うことにした。おそらく年内に見に行くことになると思う。

ドキュメンタリー映画は、夫婦ともども大好きである。昔、八尾に住んでいる頃、近くの西武百貨店で、夏休みのドキュメンタリー映画大会があって、朝から晩まで一週間ほど毎日見に行った。クーラーが強くて、二人とも見事に風邪を引いたのを覚えている。(笑)

<映画の紹介HP>http://www.ningen-no-senjyo.com/

森氏が言ったB案ではなかった。

国立競技場の設計案、正直なところ私はどっちでもいいのだが、気になっていたことがある。大会組織委員長の森喜朗氏が、仕切り直しのA案・B案が出た直後、さっそく「B案が(スマートで)いい。」と言っているニュース映像が映し出された。「どちらがいいと思いますか。」という質問に不用意に答えたものだと思われるが、私は唖然としたのだった。この人には常識や分別というものがないのではないか?こういう人物が、元首相であり、オリンピックの組織委員長でいいのか、と思ったのだ。反知性的な政府故に反知性的な人物が委員長になったようだ。

私のような者でも、立場上自分の意見を封印することがある。一昨年実施した修学旅行の行き先を決める時、担当だった私は自分の意見は言わなかった。ホントは私は行ったことがなかったので沖縄がよかったのだが、北海道に決まった。(笑)担当者としては当然のことだ。もし、あの場面で私が沖縄を推していたら沖縄になっていた可能性が高いと思う。これが、常識というか、分別ではないだろうか。

結局、A案となったようだ。もし、B案になっていたら、組織委員会からなんらかの圧力があったのではないかという疑念が生まれていたはずだ。あまり興味のないことだったのだが、よかった、よかったと私は胸を撫でたのだった。…今の日本、全く疲れるコトが多すぎる。

2015年12月21日月曜日

月刊アフリカニュースを読む。3

http://www.dailymail.co.uk
/news/article-1271848
/Woman-Italy-fined-43
0-wearing-burqa.html
15日付で、12月度の月刊アフリカニュースが配信されている。今回も、私が注目した内容についてエントリーしておきたいと思う。

■ブルンジでまた民族浄化の地獄絵図の再現か?
ブルンジの、フツ人エリートによる政府は、少数のツチ社会の根絶を示唆している。警察や武装集団が、反政府派、ジャーナリスト、人権擁護者等を逮捕していて、暗殺も毎夜のように起きていると国連人権機関が声明をだしている。「人々を動員し、命令を出す日が来るかもしれない。注意することだ」と、警告ともとれる発言をしている。ルワンダの悲劇から21年。国際社会は、何もできないのか。

■セネガルで、テロ対策のためブルカを禁止するらしい。
すでに、チャド、ガボン、コンゴ共和国、カメルーンでは婦人の目だけを出すグルカの着用を禁止している。セネガルは、比較的寛容なイスラム国であるセネガルでは、グルカ着用者は少数ながら、テロを取り締まるためにグルカを禁止。同時にシムカード(市民証?)やセルホン(携帯電話の番号?)などの登録を義務つけたという。

■ボコハラムは最悪のテロ組織
2014年ボコハラムは6665人を殺害、ISは6073人を殺害した。世界テロリズム指標によれば、2014年この両者による犠牲は世界中のテロの犠牲の51%を占めている。本年ボコハラムは既に5000人以上を殺害している。ナイジェリア北部、カメルーン、ニジェール、チャドなどの近隣の国々には避難民が大量に流れ込み、最貧国のこれらの国ではその負担が莫大であることが、完全に忘れ去られている。

…シリア難民がヨーロッパに向かって、大騒ぎになった今年。先進国の人々がISの犠牲になって大騒ぎになった今年。

ブルンジでは、また不穏な動きがあっても、全く報道されず、国際社会は、このまま悲劇を待つだけなのだろうか。ボコハラムの蛮行は、時々ニュースになるが、センセーショナルさが主で、現実の避難民と最貧国である隣国のことなどほとんど報道されない。

…報道においても大きな格差がある。報道こそ構造的暴力が顕になっている部分かもしれないと思うのだ。
http://www.africasociety.or.jp/africanews/africanews_no38.pdf

2015年12月20日日曜日

毎日 ロシア正教のスタンス

http://en.firenze-online.com
/visit/informations-florence
.php?id=8#.VnY10PmLTs0
毎日の国際面に、「我々は、西側のよそ者が書いた処方箋で生きるよう強要されてきた。」という、ロシア正教のスポークスマン的存在チャプリン神父の発言が載っていた。旧ソ連・ペレストロイカから30年という特集の第4回目、「政権を支える(ロシア)正教会」という記事である。発言の場は、親政権派のシンクタンクが開いた「西側諸国が展開する反露プロパガンダといかに戦うか」というシンポジウムである。彼は「イスラエルは反ユダヤ主義を絶対に許さない。反露主義者は背徳者であり、ロシア政府が厳しく罰するべきだ。」とも語った。9月末に、プーチン氏がシリア空爆に踏み切った際、ロシア正教トップのキリル総主教は「責任ある決断をした。」と述べ、祝福した。9000万人の国内外の信者をかかえているロシア正教は、プーチン政権を強く支えているわけだ。

日本では、この正教会(オーソドックス)のことはあまり認知されていない。基礎的なことを羅列すると、東ローマ帝国のキリスト教会が民族ごとに独立した教会である。ギリシア正教会やセルビア正教会というふうになり、ローマ=カトリックのように、唯一のイエスの一番弟子ペテロの後継者としての法皇(教皇)は認めないし、各民族教会は独立している。またローマ=カトリックと異なり、神の偶像(彫刻)は認めないが、絵画(イコン)は認められる。細かい話になるが、十字をきるのも順番が逆になる。ローマ=カトリックがラテン語と中世の共通語をもち、ヒエラルヒーをもった教会組織があって、西ヨーロッパの統合のベクトルを受け持ったのに対し、民族ごとに独立したオーソドックスでは、そういうベクトルは薄い。

ロシアは、もちろんヨーロッパの国の1つだが、西側(と呼ぶより、文化的・経済的先進地域だった西ヨーロッパ)に、押され、時に侵略されてきた。気候が厳しいという事情もあるし、オリエントな風土(ギリシア・ローマの民主制ではなく専制君主制に馴染んできた。)もある。その基盤において異質な大国なのである。ナポレオンにも、ヒトラーにも(結局は勝利したとはいえ)莫大な人的損害を受けた。ロシアでは、WWⅡを大祖国戦争と呼ぶ。先日読んだ、「チェルノブイリの祈り」の中でも、この時の戦争の記憶がいかに鮮明で、ロシアの人民にとって一大事であったかが、意外な程書かれていた。

『西側のよそ者が書いた処方箋』とは、西側との比較(民主主義・資本主義の進み具合を基準において)でロシアを理解するというコトであるだろう。この処方箋から見れば、ロシアは民主化にも、資本主義の深化においても今だ多くの問題が残されている。こういうロシアの反露主義に対する(プライドとコンプレックスが入り混じった)意識は、我々も十分理解しておくべきだとあらためて思うのだ。

ところで、同じ国際面に、ドイツ政府が18日までに、フェイスブックやGoogleと、ヘイトスピーチなどドイツで違法とされている書き込みの(可能な限りの)24時間以内の削除について合意したという記事が掲載されていた。気づいた利用者が報告できる仕組みを確保するらしい。WWⅡにおけるデマゴーグやプロパガンダへの反省からくるドイツの姿勢は、当然かもしれない。

このロシアとドイツの、国家というもの、民族というものに対する姿勢の大きな差異は、長い歴史的な背景を抱えているわけだ。世界史を学ぶ意義は、まさにこういう各国の理解の基盤となるところだろう。

2015年12月19日土曜日

ブラタモリ 日光を見る。

先週に続いて、ブラタモリの日光編を見た。先週は、日光東照宮を江戸のテーマパークになぞらえての内容で、なかなか興味深かった。東照宮は、家光の時代に、小さな墓を望んだ家康の遺言をたがえて、徳川幕府の威光を知らしむるために当時の最先端芸術で飾りまくっていた。眠り猫も見る角度によっては、飛びかかる寸前にも見えるという、意味ありげな彫刻だったりして面白い。

今日のテーマは、日光がNIKKOになった話。明治期に、イザベラ・バードという英国の女性冒険家が12日間も泊まった武家屋敷を訪れる。イザベラ・バードは、奥日光の中禅寺湖の絶景を世界に紹介し、大正期には、湖畔に40を超える外国人の別荘地が建てられている。ヨッtトレースも行われていたという。凄いな。全く知らなかった。

男体山の溶岩でせき止められた華厳の滝は、軽石層の関係で800mも後退し、1万数千年たった今が見頃らしい。さらに中禅寺湖の一段上に、湖だったところに火砕流が流れ込んでできた湿原・戦場ヶ原、さらにその上に湖があり、温泉があるという、東照宮のある街から見て四段構えの構造に日光はなっているのだった。

…昔々、小学生の頃、日光には行ったことがある。全く記憶から抜け落ちているけど…。

まさに見る角度によって違って見える深さが、ブラタモリという番組の魅力だと思う。

2015年12月18日金曜日

南ア ズマ大統領のドタバタ人事

http://www.newyorker.com/
magazine/2010/07/05
/the-third-man-7
日経の朝刊に、久しぶりにアフリカの記事が比較的大きく載っていた。ちょうど、アメリカFRBのゼロ金利政策の解除で、途上国から投資されたドルがどっと引き上がられるのではないかという懸念が一面を飾っていた中での国際面。

南アのズマ大統領がネネ財務大臣を解任した話だ。ネネ氏は、南ア経済の低成長の中、政府支出の削減に取り組んでいたのだが、地方選を控えたズマ大統領が、原発建設の促進や航空会社の救済など支出拡大を求め、対立したらしい。

その後任にデービッド・ファンルーエン氏を任命したのだが、知名度が低く、南アの財政はどうなるのか?という不安が一気に広まった。その結果、南アの通貨・ランドが6営業日連続落、国債相場も過去最大の下げ、銀行株も最もこの14年間で最大の値下げという、金融市場のトリプル安となったらしい。

この人事に批判が高まり、そこで、急遽、ネネ氏の前任財務相だったブラビン・ゴーダン氏が財務相に任命された。すると、市場は安心感を取り戻し、一気にランドは上昇。持ち直したのだという。

…ドタバタ人事を行ったズマ大統領の求心力は一気に低下したんだとか。そりゃあそうだ。ところで、このズマ大統領、ANCの中でも、名家出身のマンデラ大統領やイギリス留学経験のあるムベキ前大統領といったインテリではなく、「彼こそ本当のアフリカ人大統領」と言われる人物だそうだ。様々な過去をもつ豪傑らしい。まあ、中国で言えば、アヘン中毒で軍閥の長だった朱徳が主席になるようなものだろうか。という感想を私は抱いたのだった。

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NZ5II86KLVR401.html
http://jp.reuters.com/article/safrica-gordhan-idJPKBN0TX01020151214
http://www.newsweekjapan.jp/stories/2010/06/post-1348.php

2015年12月17日木曜日

RCサクセションのCOVERS

我が家では、音楽を聴くのは車の中くらいである。オーディオセットもないし、ウォークマンを持ち歩く習慣もないので、仕方がない。(そもそも電化製品の極めて少ない家なのだ。)このところ、車中で、よくかけるアルバムは、RC・サクセションの”COVERS”である。昔、息子がMDに録音していたものであるらしい。、なんと1988年の作品だ。ボブ・ディランの「風にふかれて」などの洋楽のカバー曲(歌詞の内容を変えて日本語になっている。)が収められている。

このアルバムは問題作中の問題作で、東芝EMIが発売を中止、キティーレコードから出たという忌野清志郎のロッカーとしての面目躍如たるものがある。詳しくは、ウィキで調べていただくと良いが、反原発や反核ソング、大韓航空機爆破事件を扱ったものまで、なかなか聴き応えのある曲が多い。

さらに面白いのは、多くのゲストが参加していること。忌野清志郎の意外な交友にも驚かされる。坂本冬美が演歌調に歌い上げるシークレット・エージェント・マンなど、なかなか凄い。(笑)

ふと、こんなことをエントリーしたくなったのだった。

2015年12月16日水曜日

12月なのに授業で汗だくになる。

http://airandspace.si.edu/collections
/artifact.cfm?object=nasm_A19600342000
暖冬、というより異常気象と言ったほうがいい。とても12月とは思えない日が続いているのだが、明日はいよいよ近畿でも初雪か?という天気予報が流れた。

私の方は、3年生の世界史Bで焦りながらWWⅡ以後の現代史を語っている。およそ各クラスは、残り8時間というところ。国際理解教育のアクティビティも1回くらいはやりたいので、6時間を目処に語っている。

特に優秀な1組は、みんなシーンとして集中して聞いてくれるので、つい力が入ってしまう。12月だというのに、Yシャツを半袖にして、タオルで汗を拭きながら授業をしてしまった。
原爆やロケット開発の話も現代史では重要な項目だと思っている。V2を開発したブラウン博士をアメリカがGETしたのだが、ロケット開発は彼の弟子たちを連れ去ったソ連に負けてしまう話をしていて、ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館に、そのV2の本物が展示されている話(今日の画像参照)にまで脱線してしまった。(笑)スプートニクは、国連本部に展示されていたりする。1組には外国語をやりたいという生徒も多い。こういう話を記憶していて、是非現地に行って欲しいものだ。

とはいえ、汗まみれで職員室に帰ると、他の先生方に不思議な目で見られる。まあ、当たり前やな、と思う。

2015年12月15日火曜日

「統計はウソをつく」を入手。

先日、エントリーした「貧困を救うテクノロジー」の画像を探していたら、(アマゾンの商業主義的かつ、極めておせっかいなCMによって)これは読まねばならないという本に出会った。「統計はウソをつく」(モルテン・イェルウェン著/青土社、本年8月10日発行)である。サブタイトルが、「アフリカ開発統計に隠された真実と現実」とある。

著者は、ノルウェー出身の経済史研究者で、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済史の修士号・博士号を取得、現在はカナダのサイモン・フレーザー大学准教授だという。
博士論文のための調査でザンビアの統計局を訪れた際に「彼らは一体どうやって、これらの数字をひねりだてしたのか」という疑問から出発して、サブ=サハラ・アフリカ諸国の国民経済計算とGDP統計の検証を行い、「統計の数字はあてにならない」という答えをだす。(訳者あとがきより)

アマゾンを始め、WEBにおける次から次に押し寄せるCMの波にうんざりしていた私だが、この本との出会いに関しては、ちょっと感謝している。(笑)毎日新聞では、日曜日だったか、いよいよ「今年この3冊」が掲載された。まだまだ多くの人々の3冊が紹介されるはずだ。この本は、「貧困を救うテクノロジー」とともに、私にとって、突如として現れた「今年、この一冊」(毎年ブログ上でエントリーしている。)候補である。この二冊、ともかくも年内に読まねば。

2015年12月14日月曜日

熱音響システムって凄いな。

http://www.ed.u-tokai.ac.jp/thermoacoustic/
昨夕、「夢の扉」という番組で、東海大学の長谷川氏が、凄い技術を開発中であることを知った。熱エネルギーを音に変え、それを「熱音響エンジン」に結びつけると、冷却装置になったり、発電に利用できるそうだ。極めてシンプルな構造なのだが、その部品の厚みなどの詳細な設計は、極めて難しいらしい。今まで多くの人々が諦めたらしいのだが、長谷川氏が実現化に向けて着々と進めているそうな。完全文系の私には、難解だったが、ものすごく面白い原理であることはわかった。このエネルギー・プロジェクト、うまくいけば原発の代替となるかもしれない。そんな希望をもった次第。

ちょうど、COP21が、ようやく「パリ協定」を採択した。地球温暖化は待ったなしの課題だが、これまた非常に複雑である。私は、当然ながら途上国の側に立っている。これまで、先進国が、途上国のハシゴを外し続けて、今の豊かさを手に入れていることは自明の理。全ての国の最大公約数を見つけようとすれば、あのような玉虫色の協定にならざるを得ないと思う。だから、がっかりもしていないし、大きすぎる希望ももっていないと、いったところである。

それより、長谷川氏のような新しい技術に大いに期待したいと私は思う。原発の恐ろしさは、すでにチェルノブイリやフクシマが実証した。石炭などの化石燃料によるPM 2.5の恐ろしさも北京が実証している。誰が考えても、一刻も早くどうにかしなければならないわけだ。

ESD(持続可能な開発のための教育)には、環境問題も含まれている。これからも注視しなければと思ったりするのだ。

2015年12月13日日曜日

黒猫チューチューの再出発

うちにいた頃のチューチュー
10月に2週間預かっていた黒猫チューチューの新しい里親さんが見つかったようだ。お世話になったボランティアのOさんのHPの里親募集欄を時折見ては、心を痛めていたのだが、実に嬉しい。ほっとした。

もちろん、どんな方が新しい里親になられたのか知らないが、Oさんは慎重な方なので、きっと良い方に違いない。うちではうまくいかなかったが、きっと幸せになってくれるに違いない。

チューチュー、今度こそ幸せに。

2015年12月12日土曜日

「貧困を救うテクノロジー」入手。

先週、京橋に出たとき、K屋書店で「貧困を救うテクノロジー」(イアン・スマイリー著、イーストプレス/本年8月31日発行)を入手した。

期末考査の採点や何冊かの新書本を読んでいたの関係で、自宅に置きっぱなしになっていたのだが、今日あたりから読みだそうと思っている。もしかしたら、私のESDにも大きな影響を与えるかもしれない、と思っている。

この本は、貧困、援助、技術に関する本である。シューマッハーは、「政治の主な中味は経済であるし、経済学の主な中味は技術」と言っているそうだ。技術から見た開発経済学といった内容で、実に面白そうだ。目次を紹介しておきたい。

第1部 南北問題で繰り返される失敗
 第1章 開発援助の歴史と変遷
 第2章 発展途上国の貧困の実像
 第3章 先進国の成長戦略への過信
 第4章 第三セクターと第三世界
第2部 今、わかっていること
 第5章 技術の進化と移転の歴史
 第6章 成長戦略に代わる小さいことの価値
 第7章 農業、畜産と持続可能な技術
 第8章 収穫後の保存・加工技術
 第9章 エネルギーと電力の移転
 第10章 建築資材と中間技術、その普及と利益
 第11章 大量生産と過度な工業化の代替案
第3部 前に進むために何が必要か
 第12章 持続可能性、その虚構と現実
 第13章 女性と技術に関する展望
 第14章 雇用問題と非公式な産業
 第15章 グローバル化と適正技術
 第16章 技術を適正技術とするために

2015年12月11日金曜日

出張で「松鶴」と「米朝」

吉村氏の著作
おもしろそうな内容だ
久しぶりに、人権主担として出張に行ってきた。大阪市立高校教職員人権教育研修会である。人権関係の出張依頼はどんどん来る。これまで、後輩の先生方にできるだけ行ってもらってきたのだが、さすがに本年度最終の研修会くらいは顔を出さないといけない、と思ったわけだ。今日は、大阪市立大学の特別研究員の吉村智博氏の講演であった。お題は「近代大阪100年史における人権問題~部落と在日外国人~」であった。

15:30開始で、17:00が終了予定である。最初に挨拶があったりするので、事実上1時間強で、大阪における部落問題と在日韓国・朝鮮人問題を語れというのは、さすがに厳しい条件だ。吉村氏は、都市問題の歴史と部落問題の専門家故、こちらに絞って頂いた方が良かったのではないか、と私は思っている。実際、吉村氏も、かなり大変だったようだ。喋らねばと思うことがいっぱいあるのに、簡素に語らねばならないのは極めて苦痛である。私も世界史Bでそういう”しんどさ”を日常的に味わっている。

ところで、今日の講演で、吉村氏は意外な枕をふってこられた。六代目笑福亭松鶴の「らくだ」の落ちは、「ヒヤでいいからもう一杯。」だそうだ。このヒヤは火屋(火葬場)と冷酒をかけたもので、江戸時代に形成された大阪のインナーシティに、被差別民の仕事場が形成されたことを教えていただいた。また、初代桂米朝の「代書屋」の話も出てきて、当時大阪にきていた韓国・朝鮮の人々の渡航証明書を代書する部分を聞かせていただいた。彼らの言い回しを決して揶揄したりするわけではなく、淡々と写実的に語る人間国宝。ここの部分が後の韓国・朝鮮人問題における「法的な問題」の話に結びつくわけだ。

なかなか勉強になったのだが、できれば2回に分けて講演していただきたかったと思う次第。誠に申し訳ないと、主催者でもないのに謝りたい気分だった。

2015年12月10日木曜日

胸が痛い…離煙パイプ再び。

3年前に、離煙パイプを使って、禁煙に成功した。半年位やめれたのだが、仕事のストレスからまた喫煙を再開したのだった。今回は、ホント胸が痛くなってきたので、なんとかしなければならない。6mmを1本吸うと胸が痛くて堪らないほどなので、すでに6mmから1mmのタバコにしている。

離煙パイプは31本セットなのだが、今回はテキトーに12番くらいからスタートした。今日も昼食後、休憩時間に公園でパイプ付で喫煙したが、吸いたくて堪らないというほどではない。1番から始める必要もないだろうと思ったのだ。

離煙パイプは無理しなくていいところがいい。私に合っている。(笑)

2015年12月9日水曜日

ヒトラーに抵抗した人々を読む。

先日から「ヒトラーに抵抗した人々」(中公新書:對馬達雄著/本年11月25日発行)を読んでいる。だいぶ前、日本史演習の授業で、WWⅡでの日独伊の三国の相違を講じていて、日本では戦争遂行にあっていた軍部への批判的な直接行動(柔道家・木村政彦の師牛島辰熊の暗殺計画があったらしいが…。)はほとんど見られなかったが、イタリアでは、ムッソリーニがパルチザンの手によって逮捕され吊るされた。またナチス=ドイツでは、ヒトラー暗殺が実行されたが失敗に終わったことを教えた。そのあたりの事情を少し詳細に知りたかったのである。ほぼ読み終えかけだ時点で、どうしてこの本の中でエントリーしておきたいことがあった。それは、一昨日からのエントリーの延長線上にある「現代世界への不安」である。

ナチス=ドイツ下で、抵抗した市民には、白バラグループ、エミールおじさん、クライザウ・サークルなど、ホロコーストに反対し、ユダヤ人救援ネットワークを形成した組織があり、軍部の中でこれに呼応する貴族の将校たちも絡んでいる。ヒトラー暗殺の実際の動きは、最近映画になったゲオルグ・エルザーの事件、7月20日事件が挙げられる。だが、今日のエントリーで記しておきたいのは、このような歴史的事実ではない。

軍部と連携しながらクーデターを計画した知識人のグループ、クライザウ・サークルは、その後のドイツについて、真剣な討議が行われている。この『構想』の最大の特徴は、ワイマール政の復興を否定していることである。本来ワイマール民主政の支持者であった故にナチの台頭に反対したメンバーなのだが、人権と自由を放棄して熱狂してヒトラー独裁が受け入れられた事実を目の当たりにして深い幻滅を味わう。しかもナチ体制のもたらした同胞の精神的荒廃という事態が追い打ちをかけた故である。彼らは、民主主義のプログラムをもって戦後の再建を始めても、機能しないばかりか、第二のヒトラーが現れるという危険性を考慮していた。したがって、完全比例代表制の普通選挙を否定、地方自治の原則を前提に、町村や郡レベルは直接選挙だが、戸主の優先選挙権を認めたり、州議会選挙は間接選挙、国会議員も各州議会による間接選挙をとり、議院内閣制を想定していない。これは、形式的な民主政を排してドイツを段階的に再建しようとした案であった。この案が戦後の西ドイツのボン基本法へと繋がっていく。ヒトラーに全てを委ねるという全権委任法制定の意味が理解できないような広範な人民をただちに自分たちの政治的運命を変える議論に参加させられないと思ったからだという、西独のシンクタンクの専務理事の言もある。

現代史の中で、デモクラシーは、常に大衆煽動にさらされ容易に衆愚政治に陥るか独裁制さえ引き出す危険なもの、条件付きで有効に機能するものであると、クライザウ・サークルのメンバーは身を持って悟った。ここで言う条件つきとは、外形ではなく人間である。これについて戦後西独ケルン大学のハンス・ペーターズは、一言で述べている。『民主主義者なくして民主政治は存在しない。』

…こうして見ると、ドイツでは、ヨーロッパの社会類型で示される『(領邦国家以来権力をもっていた)自由な個人(である貴族や知識人階級)』が、「不自由な共同体(であった農民や労働者など一般国民)」のもつ政治的権利を再構築する必要があったというふうに受け取れる。ヨーロッパの近現代の民主政治史は、まさにこの階級の問題をいかに超克するかという課題を常に内在していた。ドイツは、やはり近代化が遅れ、手痛い大きな失敗をしてしまったといえるわけだ。

…同時に、WWⅡ以後西側諸国の覇者となったアメリカの国是「明白な天命」(自由と民主主義を世界に拡大する)には、当然ながら各国において、相当な時間が必要だという当たり前のことを強く再認識する必要があるということだ。民主主義は、ある意味、大きな危険が潜んでいる。アラブの春を軽率にも軍事的にも応援した欧米の選択を批判するジェフリー・サックス氏の批判は当然正しい。民主主義者なくして民主政治は存在しない。この言のもつ意味は深い。

…トランプ氏の超反知性的発言やフランスのFNの伸張、近代化の逆走など「現代世界の不安」をかかえながら、こんなコトをこのところ考えているのである。

2015年12月8日火曜日

世の不安を食べて成長するモノ

日経の今朝の朝刊の「春秋」に、こんな一節があった。「世の中の不安を食べて成長するモノはなーんだ?、こんなナゾナゾを出されたらどう答えよう。正解は、排外主義とポピュリズムだ。」春秋は、この後予想通りフランスの選挙結果の話、米国の大統領選の話へと続いていく。「21世紀が訪れたころ、こうも世界が変調をきたすとどれだけの人が想像できただろう。」

…まさにその通りだと思う。昨日のエントリーで、同じ日経に載っていたジェフリー・サックス氏のオピニオンについて記したが、その横に『止められるか「近代の逆走」』と出した芹川洋一論説委員長のコラム(核心)があった。私は、ISを領域国民国家に対抗するモノという視点で見ていることを何度か主張しているが、このコラムは、同じ視点で論じられていた。

その論旨は、上記の画像(新聞に載っていたものをPPで作成してみた。)のように、現代の世界を、近代国家論で3つに区分したもの(クーパーモデル)である。プレモダン(前近代)にISをおき、モダン(国民国家)に中国やロシアをおき、ポストモダンに、国の主権よりも人権、軍事力よりも相互信頼が尊重され、国という枠組みを超えていくEUをおく。

このクーパーモデルが逆走している、と芹沢氏は説く。ISに対するフランスの行動は、ポストモダンではなく、近代国家そのものである。今回の事件はポストモダンの範囲拡大に待ったをかけたかたちである。そもそも中東世界から見れば、サイクスピコ協定で勝手に国境線を引いたことに今日の混乱のおおもとがあるわけで、プレ・ポストの近代論など無縁の話でしかない、と。一方、近代国家からポストモダンへの挑戦がある。ロシアのウクライナ介入、クリミア併合がそれにあたる。東アジアでも中国の南沙諸島問題。漢王朝時代の支配権を持ち出す中国の動きは、1648年のウェストファリア条約以前のプレの世界に放り込む動きともいえる。

現代は、この3つの世界が併存している。ポストモダン国家は再近代化し、近代国家は近代秩序からはみ出そうとし、プレ近代は国際秩序そのものを否定する、これを常態と見てニューモダン(新しい近代)と名づけてもいいのではないか。上手く管理し、近代の逆走を止めることを考えないと無秩序の淵に追いやられる。これが、芹沢氏の結論である。

…このニューモダンの不安が、排外主義とポピュリズムとなり、近代を逆走させているわけだ。今日の春秋のナゾナゾの最終回答は、昨日のこの『核心』の中にある。

http://www.nikkei.com/article/DGXKZO94887170Y5A201C1MM8000/

2015年12月7日月曜日

日経 ジェフリー・サックスの意見

http://millenniumpromise.jp/blog-archives/page/6
日経の朝刊に、コロンビア大学教授のジェフリー・サックス氏の「中東の混乱、欧米に責任」という意見(グローバル・オピニオン)が載っていた。世界的な開発経済学者である氏の意見は、極めて直載的であった。

氏は、民間人に対するテロ攻撃は人道に対する犯罪である、ISは何としても阻止しなければならない。と大前提を述べたあとで、このISの勢力拡大は欧米、特に米国に大きな責任がある。テロのリスク低下のために、欧米が中東政策を変更するしかないと述べている。

1970年以降CIAは旧ソ連をアフガニスタンから追放するため多国籍のイスラム・スンニ派戦闘部隊「ムジャヒディン」を組織した。この時の戦闘部隊とそのイデオロギーが、今でもISを含むスンニ派の過激武装勢力の基礎になっているからだ。さらに、リビアのカダフィ政権の打倒、エジプトの(アラブの春後、選挙で選ばれた)ムスリム同胞団の政府を追放、さらにシリア内戦と、こうした作戦が中東の安定を破壊したと言わねばならない。

氏の中東政策提言。第1ステップはオバマ大統領がCIAの中東での策動を中止させること。第2は、国連の安保理常任理事国が、内輪もめをやめシリア和平の枠組みを確立させること。反アサド勢力による闘争の即刻停止と停戦、米国ではなく国連が主導するシリアの政権移行と暴力によらない政治の再建。第3は、持続可能な開発。中東においては、戦争だけでなく、淡水不足、砂漠化、若者の高い失業率、劣悪な教育システムなど深刻化する開発の失敗に再挑戦するべきだ。

…ジェフリー・サックス氏の「貧困の終焉」を読んで久しい。アメリカの開発経済学者らしいプラグマティックな楽天主義で、2025年までに貧困を撲滅するための様々な方途を示した本である。若干リアリティにかける内容も多いように感じたのだが、言っていることは正しい。私の氏への感想は、今回も変わらない。共和党の大統領選を戦っているトランプ氏が聞いたら、売国奴と罵るかも知れない意見だが、反知性的政治が世界を覆う中、世界市民の代表として、言ってくれたよなあ、と私は感じるのだ。

2015年12月6日日曜日

教え子がとなりの人間国宝さん

http://sutakorasacchan.com/post-2849/
先ほど、TVを見ていたら、「よ~い、ドン」の日曜版で今週の「となりの人間国宝さん」の第二位に、教え子の名前が出ていた。ちょうど、風呂に入っていて見逃してしまったのだが、間違いなく私が工業高校時代に3年間担任をした教え子である。珍しい名前(風如:かぜとしと読むが、ふうにょとみんなで呼んでいた。)なので間違いない。気のいい奴で可愛がっていた。たしか、文化祭の時つくった「六角ボルトブルース」というビデオで、最後にG先生に追いかけられる役をしていたはずだ。

WEBで確認してみたら、目覚ましテレビや、マツコの「月曜日から夜更かし」の取材を受けているらしい。何をやったのかというと、”リニアモーターカーを奈良に”という、奈良の非公認ゆるキャラの「リニー君」をつくったというか、なったというか、そういう話らしい。

うーん、見事に見逃してしまった。実に悔しいが、意外なところから、教え子が元気に頑張っていることがわかって嬉しい。

40歳を過ぎて何やってんだという声もWEB上であるようだが、私は大いに賛嘆したい。自分のやりたいことをやって、注目を浴びたわけで、その評価は自分の中で下せばいいと思うのだ。

2015年12月5日土曜日

胸が痛い

昨夜、NHKの「関西熱視線」で、大阪のブルースの特集をやっていた。憂歌団の木村のLIVE映像がNHKに出ていた。先日も書いたが、私が憂歌団で最も好きな曲は「シカゴバウンド」だが、妻は「胸が痛い」だそうだ。

そう、胸が痛い。ここ2・3日、歌ではなく私の胸が痛い。もっと詳しく言えば、肺が痛い。先日旧友のK氏が肺気腫で入院した。また最近、近所のYさんも肺気腫で入院した。このところ、肺気腫が身近である。ついに私にも来たのかな、と思ってしまう。

保健室でそんなこと雑談していたら、U先生に肺気腫の恐ろしさを講義されてしまった。「今、タバコをやめたら、とりあえず悪化を防げますよ。きっとダッシュしたりできないままだけど、少なくともこのまま、酸素ボンベなしの生活ができるはずです。」その悪化の話がこわかった。寝るのが苦しくなるそうだ。仰向けも横向きもできなくなるという。

うーん。一度はやめれたタバコである。うーん。このところは、吸おうと思っても、肺が痛くて、もう吸えないような感じの時がある。やめる、というのではなく、吸えなくなったような…。胸が痛い。

2015年12月4日金曜日

毎日 過激思想は共通課題?

トルコ共産党の旗の画像らしい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26967389
毎日新聞の今日の朝刊「金言」は、西川恵客員編集員の「過激思想は共通課題」と題したものであった。数年前に日本在勤のトルコの外交官が「冷戦時代、トルコ共産党の党員とはよく激論になったが、会話が成立した。しかし、イスラム過激派といわれる人とは話が通じない。彼らの論理の飛躍と狂信的なものには、イスラム教徒であるわたしもついていけない。」と言った話をもとに、共産主義思想の過激化(70年代の日本やドイツなどの「赤軍」や毛沢東時代の大躍進・文化大革命、ポルポト政権下の虐殺を例に出している。)は、国内にとどまっていたのに対し、ISは国際的な広がりをもっていると指摘、(共産主義も)イスラムも、都会的な匿名社会の疎外に問題があるというアルジェリア紙の社長の言を引いてまとめている。

…私は、この「金言」、かなり視点がすれているように思う。まず、トルコは、イスラムの中でも最も早く政教分離し「領域国民国家」たることを目指した国であるという前提がある。次に、現在過激派と呼ばれているISなどは、(過激と言ってもいいと思うが)イスラム復古主義者であるという認識がかけていること。彼らは「領域国民国家」を否定する。イスラムの神定法、カリフ制の下で、自由な往来を認めるアナーキズム的な共同体再構築を目指していることが顕著である。

彼らから見れば、トルコをはじめとした多くのイスラム教国は、神の定めたイスラム共同体を、西洋近代国家論に従い分割している(といより、分割された)と見えるだろう。そこには、キリスト教的な人定法で「法の支配」が優先される民主主義社会が形成され、さらに各国の国民という縛りが生まれ、資本主義の利益が優先されるようになっている(と、いうより堕してしまった)と見えているはずだ。復古主義者の彼らと、領域国民国家の官吏では、当然ながら話が成立しないだろうと思う。ただ、復古主義者でない領域国民国家に住み、それを是としている普通のイスラム教徒からみれば、論理の飛躍・狂信的ということになるのだろうとも思う。この違いを明確にしておくべきだ。

…ところで共産主義思想は、本来的にはキリスト教世界の二元論から、階級闘争として組み立てられたものだ。その後、領域国民国家(ソビエト=ロシア)の成立を目指したスターリニズムと、世界革命をめざしたトロッキズムに分裂した。70年代の赤軍はトロッキズムの流れを汲んでいるから、金言にあるように必ずしも国内に留まっていたわけではない。中国でも基本的には、世界人民大団結万歳の文字が長く天安門に掲げられていた。

西川氏の論はこのあたりの視点も欠落している。しかも現在のISとひっくるめて、疎外された人々によるもので「過激思想は共通課題」などど言われると、うーんと唸ってしまうのである。基本的な社会思想史と一神教理解があれば、思わず首を捻る今日の金言であった。私は、毎日新聞のコラムは、意外な視点が提示されていたりして、いつも楽しみにしているので残念である。

講談社現代新書 鄧小平を読む。

日経の広告で、講談社現代新書の鄧小平(エズラ・F・ヴォーゲル:聞き手=橋爪大三郎/本年11月20日発行)が好評らしいことを知った。さっそく読んでみたのだが、評判通りに面白かった。この新書は、そもそも日中の研究者であるエズラ・F・ヴォーゲル教授(社会学者)の「鄧小平」という本編があり、それは英語版でも中国語版(本土・香港・台湾で発行されている。)でもベストセラーになったものであるらしい。もちろん日本語版もあるという。これを受けて、橋本氏がインタヴューしたものであるので、本編のエキスがうまくピックアップされているといえる。

特に興味深かったのは、鄧小平と毛沢東の関係である。最近は、中国現代史を授業で講ずることもめっきりなくなってしまったが、鄧小平は何度も失脚する。その度に復活して市場経済で中国を発展させる。鄧小平は、なぜ復活し得たのか?この新書は、それに答えてくれる。

中国現代史で、毛沢東が、「紅」に走り、「大躍進政策」を発動し、大パニックを起こした際、彭徳懐が毛沢東を批判するのだが、毛沢東は反対に彭徳懐を失脚させる。この会議に、鄧小平は足を怪我したということで欠席しているのだった。この仮病を使ったことが鄧小平の鄧小平たる所以である。

この辺の細かいことは資料にないが、鄧小平は、彭徳懐の意見は正しいと思っていたらしく、人民公社の調整政策をまとめている。毛沢東は、大躍進の失敗を認めていたようで、この調整制作には不満ながらもノーとは言わなかった。ただ、正面切って自分を批判した彭徳懐はゆるさなかった。鄧小平は、毛沢東がいう事には絶対反対しないという、中国共産党のテーゼを守りぬく。ここが、彭徳懐と鄧小平の相違である。

文化大革命後、毛沢東の後継者となった華国鋒は、二つのすべて「毛沢東の決定、指示はすべてその通りに実行しなければならない。」を掲げた。その時代に改革開放を進める際にも、鄧小平は、「実事求是」(現実が真理を判断する基準になる)という、コトバを毛沢東の著作から引っ張ってきて、これを打ち出している。毛沢東の一番根本的なことは、新しいことを実験しよう、それが毛沢東の精神だと。新しい実験をやる中で、毛沢東と違ったことをやってみる。毛沢東が生きていたら、きっとこれを許すだろう。これはうまい。(ヴォーゲル教授談)

鄧小平のしたたかさ。確かに尋常ではない。

2015年12月2日水曜日

日経 ブルキナの新大統領選出

エントリーに直接の関係ないのですが…。ブルキナの野球を応援する会
http://blog.canpan.info/obog/archive/308
久しぶりに、アフリカの明るいニュースである。ブルキナファソで大統領選挙があり、市民ら訓練された6000人の監視団のもと、平和理に大統領選が行われ、元首相のかカボレ氏が14人の候補者の中で過半数(53%)を得て、当選した。

アフリカの選挙というと、デモクレイージーな話が多いのだが、ブルキナファソでは、先の市民デモで軍事クーデターも吹っ飛ばし、こういう公正な選挙で大統領を選んだわけだ。実に喜ばしい話である。

こういうまっとうな民主主義を実現できるブルキナファソに、世界の注目が集まり、これからの開発に有利に展開することを祈るばかりである。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM01H4G_R01C15A2000000/
http://www.cnn.co.jp/world/35074274.html

2015年12月1日火曜日

朝日 又吉氏の広告「将来の幸せ」

http://websta.me/tag/%E8%AA%AD%E
5%A3%B2%E6%96%B0%E8%81%9E?lang=ja
朝日新聞に昨日、又吉直樹氏の「将来の幸せ」と題した文章をおいた全面広告が載った。日経の文化面で、歴史に残る様々な新聞広告(特に文章で勝負する広告)を紹介するのコラムを以前から読んできたこともあり、大いに興味をもったのだ。私は「火花」を読んでいないので、又吉氏の文章を初めて読んだが、なかなか味わい深い。帰宅後、毎日新聞に載っていると期待したのだが、載っていない。で、今朝職員室の朝日新聞をコピーして、一日遅れでエントリーすることになった次第である。

「舞台に立つ時、客席の一番後ろに立っている十四歳の自分が笑っているかどうかを想像することがある。残念ながら大抵は笑っていない。」

と、文章は始まる。又吉氏によると、「十四歳の自分というのは、お笑い芸人になりたいと本気で考えたはじめた頃の自分」だということだ。「文章を書くときは十九歳の自分を意識する。素晴らしい小説との出会いが沢山あって救われたのが、十九歳の頃だったので、その頃の自分が面白いと楽しんでくれるものを書きたいという思いがある。」そうだ。

これに続く「現在の、三十五歳の僕は僕だけでなく、過去の自分達がいたことによって存在している。」という文は、実に文学的であり、哲学的である。

実は、ここから未来の自分のあるべき姿へと話が進む。”今を考え、明日を想う年金”の広告だから当然だが、私が感じ入ったのは、この一節なので、少し考察したい。

仏教的には、今この時の自分に、あらゆる因縁果報が内在していると説く。因とは直接的原因、縁は間接的原因、果はそれらの結果、報はそれらの報いである。ふと、今の自分を振り返ってみる。先日、35年の永続勤務表彰を受けたベテランとしては、決して良い因縁ばかりを積んできたとは思えない。(笑)失敗を無数にしてきたと思う。とはいえ、良い因縁も積んできたつもりである。自分を追い込んで、逃げずにやってきたとも思う。

その結果が今の私である。なにより傲慢な自分を冥伏(その存在を無にはできないが、表面に出ないようにする)させること、生徒との約束を破らないこと、人間関係においては、何より人情の機微を大切にすることを意識してきた。、

とはいえ、又吉氏の文章を読んで、思い出したのは過去の過ちばかりだった。(笑)あんなこともあったなあ。こんな失敗もしたなあと、改めて二十代、三十代の自分が、今の自分を追いかけてきたような気がした。文学の持つ力とは、こういうものかと思うのだ。

2015年11月30日月曜日

月刊アフリカニュースを読む。2

http://ameblo.jp/seyarumi/entry-10118481487.html
11月のエントリーも今日で最後になるのだが、どうもアフリカの話が少ない。新聞では、シリア難民やパリのテロの話などが国際面の紙面を占めていることが多く、最近では、ローマ法皇がケニアを訪問して、平和を訴えたというニュースが載っていたくらいである。ついつい、私も一神教の研究の立場からのエントリーが増えてしまった。

最後くらい、アフリカの話を書きたい。今月の月刊アフリカニュースから、オムニバス的にピックアップしてみたいと思う。
http://www.africasociety.or.jp/africanews/africanews_no37.pdf

●アフリカの広大な土地の買い占めは神話に過ぎない。
インドの会社がエチオピアで30万haを入手、韓国の多国籍企業がマダガスカルの耕作可能な土地の半分近くを無償で入手、ドバイの王族がタンザニアで15万haのサファリパークを購入した。これらの数字を合計すると、最近国際的な投資家はイギリス、フランス、ドイツの農地を合わせたと同規模の土地を買い上げたことになる。2008年頃から、食料価格の上昇、アジアの食糧需要の拡大、バイオ燃料への需要増加等と時を同じくして、大規模な土地の売買が報じられている。しかし、多くの数字は信頼できないし、関係政府も公表していない。所有権も不明である。外国所有の土地もそれほど開墾されていない。神話がまかり通っている。

●アフリカの中間層、少数であり、低所得層の差は拡大か?
経済成長と都市化と共に中間層が増加している。民主的な政権の下で増加が著しい。Pew Research Centerは、1日$10~20の所得層を中間層と定義し、アフリカの人口の6%を中間層とし、90%は1日$10以下であると報告している。南アを除くと2004年から2014年の間に、(中間層は)4.4%から6.2%に増加したと推測している。

●ケニアの経済成長の成果は、草の根の人々と共有されなければならない。
最新の世銀報告によれば、ケニアの成長率は年平均6.2%で、サブ=サハラ・アフリカで最高の成長率である。さらなる成長は、外国投資如何による。しかし、平均的な市民は、食糧不足、清潔な飲み水不足、医療品の不足、繰り返されるストライキによる保健医療の欠陥等に苦しんでいる。市民の生活の質の向上が強く望まれる。

…これらの記事は、決してハッピーな話ではない。だが、徐々にだがアフリカの開発が好転しているように見える。アフリカの土地の開発の話は面白い。たしかに、ザンビアなどで外国企業による土地購入の事実はあるようで、小農の生活を脅かしているのだが、全てが事実ではないぞ、というわけだ。ちょっと好意的に見れば、アフリカへの投資熱の表れといえる。アフリカ2(中間層)の話も、この数値をどう見るかで変わってくる。少なくとも増加傾向にあるわけで、決してアンハッピーな記事ではない。ケニアの話も同様である。

中東とヨーロッパの問題が、上昇傾向にあるアフリカの開発に微妙な影を落としているように私は感じている。これからも注視していきたいところだ。今日の画像は、ケニアで画像検索したら、瀬谷さんというコートジボワールで国連PKOで仕事をされている方のブログの画像が目に入った故。空港で撮ったオミヤゲの写真らしい。これ、いいなあ。欲しいなあ。

2015年11月29日日曜日

JAXAの超音速機研究開発

http://fuzz.gulu2.net/archives/7051.html
TVでこれまた偶然だが、JAXAの超音速機開発の話をやっていた。昔、超音速機・コンコルドがロンドン~ニューヨーク間を飛んでいた。実は、昔々、ニューヨークのケネディ空港から市内に向かうバスの窓から、コンコルドを見たことがある。ニューヨーク一人旅の幸先の良さに感激したのを覚えている。ところが、このコンコルド、凄い衝撃音を発するので、飛べなくなってしまったのだった。この衝撃音、ソニックブームと言って、音速を超えるとN字型の波形で地上にぶつかるらしい。

物理は極めて苦手だが、TVでは、わかりやすい解説をしてくれた。後部機体にあえてさらに波を作るようにすると、とがったN字型ではなくゆるやかなN字型になるそうである。凄いな。スウェーデン北部で、この理論を実験するJAXAスタッフを、この番組は長期間(4年間)追いかけていたようだ。実験は計3回。気球で高々度まで逆さの機体を上げ、落下させ、機体に内蔵させたコンピュータで制御、水平飛行に移し音速を超えさせる。この時のソニックブームを測定するわけだ。一度目は、機体が不安定になり失敗。2度目は天候不順。3度目にやっと実験に成功する。

結局、この機体のソニックブームは、コンコルドの1/4程度だった。大成功である.。もちろん、開発はこれからだし、おそらく50人乗り程度の旅客機になるだろうとのこと。とはいえ、飛行時間の短縮は半分とはいかないが、それに近くなるとのこと。

MRJが、ようやく初飛行したばかりだが、この超音速機研究開発、頑張って欲しいものだ。おそらく実用化させるのは、かなり先のことになるだろうし、客席50席なら、エコノミー席などあるわけがないので乗れそうにないが…。(笑)

蛇足かもしれないが、こういうJAXAの研究に政府は金を惜しむべきではない。国益とか、経済効率とか、そういう話ではない。宇宙開発とともに、人類益的な研究であると私は思うのだ。

トルコとロシアの問題について

http://albore.hatenablog.com/
entry/2015/10/06/085958
先週の話である。ある若い先生から、トルコがロシア軍機を撃墜した件について、何故か教えて欲しいと言われた。制限時間は5分…さすがに難しい。それで、30分ほどかけて、一気にワードでメモしたものを渡した。メモを読んでもらってもわかってもらえたかどうか…。この土日、様々なワンドショーで、様々なコメンテーターが説明しているが、私ならこう言う、ということをエントリーしておきたい。

1.時系列的な理解
①トルコとロシアは、クリミア戦争などの歴史がありそもそも仲が悪い。
②旧ソ連領にはトルコ系民族が多く居住しいる国があり、トルコは同胞意識をもっている。
③WWⅠ以後サイクスピコ協定で、旧オスマン=トルコ帝国は分割された。
  シリアは、フランスの支配下に入り、被差別少数派の「アラウィ派」(輪廻思想をもつイスラムだが、シーア派の崇拝するアリーを重視している。一応シーア派に分類されている。)に支配権を与えた。多数派のスンニー派なら宗主国に立てつかないだろうという思惑っである。現アサ度大統領の父親は、スンニー派をかなり弾圧している。
④WWⅡ以降、イスラムに領域国民国家が多く生まれた。産油国などは君主制のもと国民国家化した。共和制の国も大統領の権限が強く、専制的である。
⑤アラブの春がチュニジアから始まり、シリアにも飛び火した。イスラームは神に服従する神定法の世界なので、人定法の民主主義とはなじまない。アラブの春は結局チュニジア以外では失敗した。

2.イラクにおけるISの誕生
①アメリカのイラク侵攻で、スンニー派のバース党とフセインは除かれ、シーア派が政権を握る。このシーア派に反対するスンニー派の伝統的復古主義者とテクノクラートのバース党の残党が組んだのがIS。彼らはムハンマドの後継者である「カリフ」を名乗る。(オスマン帝国崩壊以来、この地位は空白だった。)カリフには政治的権力はないが、カリフに忠誠を誓うことで、その支配下に属することになる。(中東やアフリカでISを名乗る組織が出てくるのは、そういう理由)故に、イスラムの国(神の法≠コーランとハディースを唯一絶対の法とする、カリフに忠誠を誓う人々が住む領域で、行政などは各自が神の法に従うのみ。)の地域拡大に走る事になる。さらにシリアに拡大したことは重要な意味がある。すなわち、世界が認める欧米の国家の基本概念・領域国民国家を越えて、ISが存在するという、普遍的と思われている欧米の概念を脱構築したからである。
②アルカイダは、主に欧米先進国への攻撃を主目的としているイスラム復古主義者であるが、ISは実際にカリフ制のもとにイスラムの理想を実現しようとしている。ISの主なる敵は、領域国民国家に成り下がった(という見方をしている)イスラムの国々であり、さらにカリフ制を認めないシーア派(イランなど)である。

3.欧米とロシア・トルコのスタンス
①欧米は、ISによりジャーナリストなどが殺害され、さらにISが先進国からも兵士をリクルートしていることに危機感をもっていた。今回のようなパリのテロは、本来アルカイダのテリトリーであるが、これからもISのカリフに忠誠を誓った組織や個人が行う可能性は十分にありうる。
②ロシアは、欧米と異なり、キリスト教国でありながら、いまだに帝国といったほうがわかりやすい。新帝国主義という概念があるが、グローバル化の中で国益を最大限拡大しようとしている。したがって、欧米のようなシリアの民主化という理念的な問題より、シリアにあるロシア軍港の権益を守ることが重要である。したがって、アサド政権が、いかに人道的に問題があることを行おうと支援することの弊害にならない。(このあたりは中国と同様である。)
③トルコは、イスラム国でありながら、最も早く政教分離した領域国民国家である。民主主義を是としている。(現大統領は、かなりイスラム化政策を進めていて、旧ソ連のトルコ系の共和国、~スタンと称している国々と連携を図ろうとしている。:これはユーラシア構想で覇権拡大を狙うロシアとは相容れない。)しかもNATO加盟国であるが、EUには加盟させてもらえないという微妙な立場にある。国内には、イラン・イラクにも居住するクルド人問題を抱えている。クルド人は、トルコ系ではなく、WWⅡ後、結局独立できなかった民族で、今なお独立への意志は強い。(ロシアにおけるチェチェン人の立場に似ている。)

4.シリアの構図
①最も大きな構図 IS 対 領域国民国家群
②アサド政権をめぐる構図 アサド+ロシア+イラン 対 反政府勢力+欧米+トルコ 対 IS
③小さな構図  ロシアは、反シリア政府勢力下の義勇兵チェチェンを掃討したい。一方、トルコは、クルド勢力を掃討したい。

5.トルコとロシアの対立
 こうしてみると、トルコとロシアは4.の①では味方だが、4.の②では必ずしも味方ではない。撃墜事件は、ロシアがトルコの支援する反政府勢力を空爆した際=4.②に起こったと推測される。トルコとロシアが実際、戦争になることは考えにくい。経済的なデメリットが大きすぎ、すぐにグローバル化し、世界的経済混乱を招くからである。戦争は、そういうデメリットの少ない周縁(途上国における内戦など)以外は、もうありえないのが現状。   

…と、短くしたつもりが、メモというには膨大なものになってしまったのだった。(笑)  

2015年11月28日土曜日

毎日 テロを超える「贈り物」

毎日の今日の朝刊に作家の柳田邦男氏の「深呼吸」というコラムが載っていた。パリの同時多発テロで妻を亡くしたジャーナリストのアントワーヌ・レリスさんが、フェイスブックに投稿したテロリストへのメッセージが大きな反響を呼んでいることを受けたものだ。

「怒りで憎しみに応えるのは、君たちと同じ無知に屈することになる。」「君たちを恨まない、君たちに憎しみの贈り物をあげない。」といった確固とした理性を発揮し、反報復の意思を表明したものだ。さらに「(残された)幼い息子を殺し合いに走らないまろやかな人間として成長させることのほうが大事。」だと。

このあたり、フランス・インテリがもつ理性主義の伝統が生きていると私も強く感じる。実際、湾岸戦争に始まる新たな報復主義に反対するフランス人は多かった。京大の山村信一教授が「憲法9条の思想水脈」の中で国策としての(侵略)戦争を排除する非戦思想は、17世紀から18世紀に生まれ、フランス革命による1791年憲法で具体的にうたわれおり、思想史の中で醸成されてきたものだと明らかにしている。レリスさんの反報復主義のメッセージは、このような思想史の水脈上にあるという話だ。

…こういうフランスの理性主義もまた大いに賛嘆すべきものだと思う。

…このコラムで、私が特に印象に残ったのは、柳田氏が翻訳したというフランスのイラストレーターの絵本の話だ。湾岸戦争直後に制作されたもので、「ヤクーバとライオン」シリーズの「Ⅰ勇気」「Ⅱ信頼」である。アフリカの奥地の村では、成人の日を迎える若者はライオンと1人で戦い倒せば、名誉ある戦士として賞賛され隊列に加えられる。ヤクーバは、やりを突きたてようとするライオンから問われる。「わしを殺すことが本当の名誉なのか。もうひとつの道がある。殺さないことだ。そのとき、ほんとうに気高い心をもつ人間になれる。どちらを選ぶのか。」結局ヤクーバはライオンを殺さず帰り、村八分に等しい扱いを受ける。フランスにおける非戦思想のひろがりを示している作品だという。

…この話、私は少しだけひっかかるのだ。おそらくマサイを題材にしていると思われる。もちろん絵本だからフィクションであるのだが、マサイがライオンを倒すのは、遊牧民として家畜を守るための必要な技の習得である。そのあたりは、絵本に書かれているのだろうかと思ってしまう。ここに書かれているフランスの非戦の思想は大変結構なものだが、ヨーロッパ優位の高慢さを感じてしまうのだ。レヴィ=ストロース言う、「西洋中心主義への楔」を打っておきたい。

2015年11月27日金曜日

ホロコースト人権学習の感想

水曜日の人権学習の感想を、試験前なのだが時間に余裕があるクラスの世界史の授業を使って、3クラスで、10分ほどの短時間でで書いてもらった。

最も印象に残ったのは、ビルケナウでの凄惨な状況を集約した「灰の記憶」の映像(6分ほど)と、アウシュビッツの壁に残った爪痕の画像であったようだ。多くの生徒が、ホロコースト関係の画像を初めて見たようで、かなり大きな衝撃を受けたことがわかった。

私もそうだったが、同じ人間がこのようなことができるのか、という感想を述べる生徒も多かったし、「道具的理性」を教えた関係で、自分がドイツ人であったなら、命令されればやっていたかもしれない、という思索をしたものもあった。

「本が焼かれたら、次に焼かれるのは人間である。」という、リルケの言葉も強く印象に残っているようだ。私が強調した今もホロコーストと同様の差別や人権侵害が行なわれているということも、よく理解してくれているようだ。それは、同時に、大きな気づきであったようだ。もちろん、生徒によって差はあるけれど、自分で調べていきたいとか、もっと勉強していかなくてはならないという、嬉しい感想も多かった。私としては、それで十分である。

今日のの画像は、パワーポイント・最後の1枚。アウシュビッツのガス室の爪痕の画像が、アニメーションで消え、シャロームの文字が浮かぶ。

2015年11月26日木曜日

新オリジナルゲームの実践(4)

紛争はCD連合国の勝利
いよいよ、新ゲームの実践第4回目である。前回、結局紛争に突入することになってしまった。まずは、C国対B国、D国対B国にA国が助太刀するという状況を整理した。少し時間を設定し論議のすえ、C・D連合国対A・B連合国で、資金を私に渡すことにで皆納得した。資金の比率は12対7。この人数でじゃんけんを行うことになった。勝ち抜き戦である。

A国の司令塔・K君は、「CDは、おそらく全財産を出したのたろうが、絶対アホや。」と呟いた。A国は資金をそんなにださなかった。「あまりメリットがないのです。」うむ。正しい。紛争をさけるため、そういうルールにしてあることを見抜いている。さすが、現在1位の国だ。しかし追い詰められているC・D国は、かなり盛り上がっている。勝つぞぉ。とテンションが高い。

で、じゃんけんの戦いが始まった。予想どうり、数に有利なCD連合国が勝利した。さあ、問題はサイコロの出目である。みんなが注目する中、出た数字は「2」。C・D国とも、20ずつB国から生産物の権利をとることになった。

彼らが選んだのは「野菜20」と「野菜20」だった。私はてっきり、次の回に向けて「機械」や「繊維製品」を取ると思っていた。残った時間で、第5回目を行うことにした。「?」全く動きがない。ABも、CDも互いを批判しているだけだ。貿易が成立しないのだ。

なぜなら、「機械と繊維」はABが独占しており、CDは、「野菜」を独占している。しかもCDは資金ゼロである。CDが野菜を売らないと言い張っているかぎり、ABの両国とも、いくら資金があっても条件をクリアできないわけだ。完全に保護貿易化した世界となった。

CD連合国は、少ない紛争の利益をだったが、「野菜」を独占することで、痛み分けに持ち込んだわけだ。なかなかの勝負師である。

次の時間に、比較優位と保護貿易・自由貿易について語ろうと思う。想定外の展開になったが、意外とよく理解できるのではないかなあと思ったりする。

2015年11月25日水曜日

三島の45回忌に「葉隠入門」

朝、モーニングが休みなので日経をローソンで買い求めた。「春秋」で、今日が三島由紀夫の45回忌なのだということを知ったのだった。今でも中学1年の時の三島事件についてはよく覚えている。

その三島の座右の書は、「葉隠」だったのだという。その帯に惹かれて、三島の「葉隠入門」(新潮文庫・昭和58年4月25日発行)を買い求めた。久々に三島のレトリックに痺れながら読んでいる。まだ最初の方だが、三島はこう書いている。

当時この一冊は、戦時中にもてはやされたあらゆる本と同様に、大ざっぱに荒縄でひっくくられて、ごみだめの中へ捨てられた、いとうべき醜悪な、忘れ去らるべき汚らわしい本の一つと考えられていたからである。かくて「葉隠」は時代の闇の中で、初めてそのほんとうの光を放ち出した。

わたしが戦争中から「葉隠」に感じていたものは、かえってその時代になってありありとほんとうの意味を示しはじめた。これは自由を説いた書物なのである。これは情熱を説いた書物なのである。「武士道といふは、死ぬことと見付けたり」という有名な一句以外に「葉隠」をよく読んだことのない人は、いまだに、この本に忌まわしいファナティックなイメージを持っている。しかし、「武士道といふは、死ぬことと見付けたり」というそのその一句自体が、この本を象徴する逆説なのである。わたしはそこに、この本から生きる力を与えられる最大の理由を見出した。

…三島は、この「葉隠」、犬儒的な逆説ではなく、行動の知恵と決意がおのずと逆説を生んでいく、類のないふしぎな道徳書だと、さらに評論「小説家の休暇」の中で書いている。なかなか面白そうではないか。

…今日、例の「ホロコーストとは何だったか。」という、3年生の人権教育を実施した。実は、その直後に卒業アルバムの全体写真を撮るとのことで、生徒も担任団も、講堂から潮が引くように消えていった。片付けをしていた私は結局、生徒の感想を聞く機会を失ってしまったのだった。ただ、学年主任から、「(全体写真を撮る際)笑顔をつくるように。」と言っても、生徒がなかなか笑顔になれませんでした。と、「逆説」的な感想をいただいたのだった。重い話だったし、画像もかなりショックを受けたらしい。

2015年11月24日火曜日

日経 欧州の寛容の精神?

モスクが足りず路上で礼拝するパリのムスリム
http://blogs.yahoo.co.jp/stellar_mimiru/65307997.html
日経の「経済教室」、今朝は一橋大学の福富教授の「パリ同時テロが示すもの①」であった。パリ政治学院で国際関係学博士号をとった方らしい、フランスからの視線で書かれたものだ。

欧州のイスラム過激派によるテロの背景と混乱の原因を①欧州の寛容の精神をテロリストが逆手にとった。②欧州社会がイスラム教徒との融和につまづいたこと。③シリア問題への対応の遅れ。を挙げている。

フランスには、北アフリカから来たアラブ系移民が2世・3世を含め350万人以上、イスラム教徒は全体で450万人が生活しているとされ、移民政策は80年代以降フランスの重要課題となっている。トルコ系移民を始め500万人のイスラム教徒を抱えるドイツやパキスタン系移民を中心に270万人が住む英国でも国民融和は大きな課題である。欧州のアラブ系移民の増加は、各国政府が植民地統治時代から言語的障壁のない彼らを経済成長期に自動車など製造業を支える労働力として招いたことが始まりだった。だが、石油危機以降、経済が低迷するとアラブ系移民は離職を余儀なくされた。2世世代は、貧しさ故に十分な教育を受けられず、就職差別に苦しみ、アイデンティティを模索し続けることになった。

特にフランスは、共和国理念に同化を求める社会であり、多文化主義の英国や、歴史に対する反省から異なる政治信条に敬意を払う教育がなされているドイツとは異なる。その意味で、二重基準に翻弄された若者の苦悩は大きかった。特に、新保守主義・新自由主義の前サルコジ大統領時代、移民2世・3世の疎外感が増大した。

この後、福富氏はシリアへの対応の遅れを指摘する。2001年の国連の「干渉と国家主権に関する国際委員会」で決定された、保護する国際的責任が内政干渉に優先することを確認し、「ボーダーレスな内戦状態にある世界」に、フランスが介入すること(軍事攻撃)を擁護している。今回の事件を「文明の衝突」にしてはならない、テロは人類社会に対する挑戦とみなすべきである、と。また、EUは、シェンゲン協定を見直しすべきではない、さらに過激派があおる宗教戦争や極右勢力によるアラブ系住民の隔離をゆるしてはならない。時計の針を70年以上巻き戻すようなことになれば、それは欧州の死を意味する、寛容の精神を失って行き着いた先が「ホロコースト」だったことを、欧州諸国民は知っているはずだ、と結ばれている。

…うーん。極めてフランスからの視点だなあ、と思う。毎日の朝刊には、仏軍への入隊希望者が3倍にもおよんでいるのだという記事が載っていた。私は、このナショナリズムの高揚こそが怖い。そもそもシリア内戦の種(被差別の少数宗派「アラウィ派」のアサドの父に支配させた。)をまいたのは、フランスだ。ご都合主義に過ぎると私は思うのだ。アメリカも、各州議会でシリア難民受け入れ拒否が次々と行なわれている。70年前のナチス・ドイツからユダヤ人が難民化した時とと全く変わらない。

…私は、これはまさに文明の衝突だと思っている。神定法でアナーキズム的なスンニ派イスラム過激派対キリスト教の人定法で、領域国民国家の先進国&領域国民国家化した普通のスンニ派イスラム教徒の戦いである。ここにシーア派と、ロシアが絡んでぐちゃぐちゃになっているように感じている。ISが、カリフを宣言してしまったことは大きい。アナーキーに、領域国民国家を越えて、カリフに忠誠を誓う、貧困から先進国との闘争に参加する人々が無限に現れるのは自明の理である。

…勘違いして欲しくないが、私はテロを擁護しているわけではない。そういう風に見えると言っているだけだ。キリスト教的な人定法が普遍であり正義だとする欧米の立場以外にも、違う正義、神の正義を掲げる人々もいる、ということである。こういう異文化理解こそ、真の寛容の精神である。最大の問題解決は、やはり経済格差の是正であり、先進国の構造的暴力の解消であると私は思うのだが…。

2015年11月23日月曜日

パリのムスリム「共生への叫び」

http://mainichi.jp/shimen/news/20151120ddm001030189000c.html
TVで、こんな映像が流れていた。パリで、男性が目隠しをして立っている。彼の足元には、こう書いてある。「私はイスラム教徒です。人々は私をテロリストだと言います。もし、私を信じていただけるのなら、ハグしてください。」

そして、疑心暗鬼な観衆の中で、ハグしていく人々が現れる。私は、短い映像だったが、思わず涙した。いかにも、フランス的な品性にあふれた「共生への叫び」である。

フランスは、宗主国でありながらシリア難民には人気がない。多文化共生を国是としながら、経済格差が激しく、しかも政教分離政策で公立高校での女子生徒ののヒジャブ着用禁止など、イスラム教徒から見て、強い差別に繋がっていることが周知されている。要するに、多文化共生は、破綻の一歩手前に追い込まれているのだ。とはいえ、個人の自由を尊ぶことでは世界有数の歴史をもつ。このイスラム教徒の男性も、その個人一人ひとりに訴えかけているといえる。

YouTubeを調べてみたが、日本語によるサーチでは見つからなかったのが残念。

2015年11月22日日曜日

20年目のグッバイ・ボーイ

マチュピチュのグッバイ・ボーイ
http://www.longstaykansai.org/
ryokouki/okazakiyuko/nanbei/okazakinanbei.html
TVの世界遺産番組を偶然見ていた。1996年から放送している20年番組である。今日は20年間の世界遺産の変化を見るというコンセプトだった。ネパール・カトマンズの地震と元クマリ(初潮を迎えるまでの少女が神として崇められる。)の女性の話。モン・サン・ミッシェルをつなぐ橋が作られ、潮の流れが戻った話。キリマンジャロの氷河の減少。スペインの絶滅危惧種・オオヤマネコの復活など、なかなか面白い内容だった。

中でも、この番組の第1回放送で、マチュピチュのバスのヘアピンカーブが続く道をショートカットして、何度も「グッバイ~」と手を振る「グッバイ・ボーイ」の20年後には大いに興味を抱く。彼はなかなか有名で、トルコ・イスタンブールのクマ男とともに、”世界遺産に付随する人間国宝さん”みたいな存在である。今は、奥さんもいる村の警備員となっており、子供が出来たら、大事に保管しているグッバイ・ボーイの衣装を見せると語っていた。想定内の20年後でちょっと安心した次第。

…20年というと、かなりの年月である。私は37歳。35歳でアメリカに行ってハマり、ニューヨークに一人旅した頃である。今から思うと、海外に出て、向学心が一気に上がったように思う。その後、主なる学びの対象は何度も変化したが、それがまた意外に結びついていくものだ。世界は面白い。だからこそ、日本も面白い。まだまだ向学心は旺盛である。

チェルノブイリの祈りを読む。2

http://www.bcd-urbex.com/chernobyl-nuclear-power-plant-ukraine/
チェルノブイリの祈り(スベトラーナ・アレクシェービッチ著/岩波現代文庫/2011年6月16日発行)を読んでいると、その被爆の悲惨さに打ちのめされる。最初に、若い消防士の最後を看取った妻のインタビューが出てくる。「孤独な人間の声」と題されたものである。初期消火に携わった消防士の身に起こった体の変化。とてもそのまま引用できないほどのものだ。彼の死後、セロハン袋(透明な防水用)に入れられ、木の棺に納められ、さらにもうひとつの袋にくるまれ、亜鉛の棺にまるごと押し込められた。その後、亜鉛の棺はハンダ付され、上にコンクリート板が乗せられた。

「あなたのご主人は英雄であり、もう家族のものではない。国家的な人物で、国家のものなんですよ。」と言われ、モスクワの特別な墓地に埋葬されることになった。しかし、西側の特派員が押し寄せているので、2時間以上モスクワの環状道路を回ることになる。妻はヒステリー状態になったという。あっという間にされた埋葬時も、その後故郷に帰る際も、護衛がつき、宿泊したホテルのシーツなどはすぐポリ袋に入れられたのを見たという。「きっと燃やされるんでしょうね。」

全ての日本人が読むべき本だと私は思う。決して今年のノーベル文学賞だから、というのではない。原発の危険性だけでなく、国家・権力というものの恐ろしさを知っておくべきだと思うのだ。

2015年11月21日土曜日

チェルノブイリの祈りを読む。

チェルノブイリの祈り(スベトラーナ・アレクシェービッチ著/岩波現代文庫/2011年6月16日発行)をまだ読んでいる。あまりの救いのなさに、読むスピードはどうしても遅くなる。

今日エントリーしておきたいことは、政治がなにより優先されることの恐ろしさである。世界史Bで、重要な基軸として使わせてもらっている千葉大学の加藤先生の社会類型(2014年10月7日・13日、11月2日などのブログ参照)は、ソ連では、かなり顕著である。ソ連下のベラルーシの農村は、極めて中世的な「不自由な共同体」であったことがよくわかるのである。彼らは、原子力発電のしくみも、放射能の恐ろしさも、その防ぎ方も全く無知である。国の誇りである原発の近くに住んでいるという認識しかない。国が安全であると言った故に安全であると信じ込んでいた。

私にとって衝撃的な事実だったのは、爆発した原子炉の上に、ソ連国旗を立てるという、とんでもないことをやっていたことだ。3~4日で国旗はボロボロになり、また立て直すのだという。これにかかわるのは英雄的行為…。事故直後、メーデーの行進も予定どうり行われた。地元の党第一書記は、上部の指示に逆らうことなど考えられない。まさに、(フランクフルト学派の言う)道具としての理性。この行進の実施によって、どれだけの人命が失われたか。

ところで、今日の毎日新聞の社説に、韓国の慰安婦問題を扱った「帝国の慰安婦」の著者朴教授が、在宅起訴されたことについて書かれていた。元慰安婦から名誉毀損として告訴されソウル東部地検は、すでに慰安婦は性奴隷だったと証明されていると規定し、「学問の自由を逸脱した。」と結論づけた。もちろん、韓国の憲法は学問の自由を認めている。韓国における、この問題は極めて感情的かつ政治的であると。
…私も、「学問の自由」について、完全に主客逆転しているように思える。地検という法律家の結論とは信じがたい。

…国家をリヴァイアサンという(旧約聖書ヨブ記に出てくる)怪物に例えたのは、ホッブズである。国家(社会類型で言えば、支配階級である「自由な個人」、当時のソ連で言えばノーメンクラツーラ)の『政治』が優先されることこそ、リヴァイアサンのリヴァイアサンたる所以のように思えるのだ。

2015年11月20日金曜日

毎日 ボツワナで世界2位のダイヤ

http://www.asahi.com/articles/
ASHCM6RT0HCMUHBI02Y.html
毎日の夕刊に、ボツワナで操業するカナダのルカラ・ダイヤモンドが。1111カラットという世界第2位(1位は南アで発見され、英王室の王冠に使われている3106カラット)のダイヤモンドを発見したという。大きさは縦65mm、横56mm、高さ40mmで、ゴルフボールより一回り大きいらしい。

ナイジェリアのボコ・ハラムのテロなど、このところの一般紙のアフリカのニュースは、あまりいいものはない。久々のいいニュースだと思う。

…さて、このダイヤモンド、どうなるのだろうか。考えられるのは、オーナーが誰にも譲らず所持する可能性。次に、ちょっと危険だが、どこかで厳重に保管して展示して儲ける可能性。売るとなると、当然バイヤーの言い値からスタートになるはずだ。以前、エントリーした(2010年8月30日付ブログ参照)南アのダイヤモンド鉱山で学んだことだ。

…貧乏教師が、想像したところで何にもならないが、私としては、ボツワナ観光に一役かってほしいなと思う。ボツワナは、オカバンゴ湿原やカラハリ砂漠など観光資源も豊富だ。首都ハボローネの観光の目玉にするといいと思うのだが…。

2015年11月19日木曜日

新オリジナルゲームの実践(3)

新作ゲームの第3回目の授業である。前回は、機械と繊維製品をAチームが独占し、所持金でも首位をキープしたまま終わった。第4ゲームは、クリアー条件に繊維製品10が入るので、特にC国のクリアは厳しいと見ていた。そこで、昨日、国際会議になった場合の細かな規定をつくり、これも生徒に配ることにしたのだ。

まず、国際会議でクリアできなかった責任の所在を討議させる。
クリアできなかった国の責任なのか。あるいはそう追い込んだ国の責任なのか。
どちらにせよ、紛争になることをさける方途をまず提示した。①無償で援助する。②相互に納得できる条件をつけ援助する。これで平和解決できれば、問題なしである。
援助する国がなかったり、クリアできなかった国が援助を拒否した場合は紛争となることにした。

紛争になった場合、当事国(クリアできなかった国とその国が指摘した国、さらにどちらかに同調する国)は、ファシリテーターの私に紛争の費用として(秘密裏に)任意のMoneyを支払う。その比率で、戦闘力が決定する。たとえば、100M vs 200Mなら、1:2である。この比率にしたがって、当事国は、じゃんけん要員を出す。その勝ち抜き戦で残った国が勝利とする。

当然、そのMoneyは返却されないが、勝った国は、サイコロを振って、指定された見返りを得る。およそ、クリアできなかった国は、新たな資源をサイコロの数によって得る。追い込んだ国は、サイコロの目が1~4ならMoneyのみ。5・6なら、1~2ゲーム間その国を植民地化することが可能となるように設定した。つまり、追い込んだ国のメリットは1/3程度しかないようにしたわけだ。

紛争となると、現在経済発展している国はメリットが少ないわけで、冷静に見れば追い込む必要がないようにしたのだ。…が、体育科・武道科の生徒は、こういう場合スポーツ選手なので極めて好戦的だ。特に、ジリ貧のC国は、「戦争でしか現状を転換できない。」と判断したらしい。D国も、同調し、2カ国ともにクリアを諦めてしまった。一方、A国はB国と同盟を結び、それに備えている。

第4ゲームの終了時間となった。C国もD国も、援助を拒否し、断固戦うと主張した。相手国は共にB国を指定した。「?」追い込んだのは、A国なのだが…。「B国なら勝てるかも知れない。」この辺、実に面白い発想だ。「助太刀していいですかあ?」とA国。

と、いうわけで、次の時間、C国対B国+A国、D国対B国+A国の紛争が起こることになったのだった。じゃんけん対決だし、彼らがどれくらいの資金を出すかわからないし、C・Dが連合を組むかもしれない。必ずしもA・B国連合が有利とは言えない。

…デモクレイジー・シミュレーションもそうだったが、こういう争いを挿入することは、国際理解教育の世界では、あまり歓迎されない。だが、リアルに国際情勢を見ると、こういう展開になってしまうのだ。世界史は、そう教えている。

2015年11月18日水曜日

アリスの「セカンドライブ」発見

教務部長のH先生が、先日休みの日に本校の放送室の掃除をしていたら、古いレコードが多く見つかったらしい。H先生が「お宝ですよっ。」と言うので、見に行った。おお、吉田拓郎の「元気です」や井上陽水の「招待状のないショー」がある。レットツェッペリンⅡなんて洋楽もある。渋すぎる。シングルも、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」なんて懐かしすぎるではないか。たしかに年齢限定ではあるが「お宝」に間違いない。

中でも私が注目したのが、アリスのセカンドライブのLPである。収録曲はSG(サイモンとガーファンクル)のカバーだったり、キャロルのカバー、クールファイブのカバーまである。青春の影とあったのでチューリップのカバーだと思ったが、調べてみるとこれはオリジナルだった。(笑)売れなかった時代のライブ版なのである。このLP、かなりのレアものではないか?とH先生と話し合っていたのだったが、帰宅して調べてみると800円から1500円くらいの値がついていた。それなりに流通しているようだった。残念。

私はアリスは初期が好き。阿倍野のアポロで歌っていた頃のアリスⅠ・Ⅱの時代が最高であると思っている。久しぶりに「明日への讃歌」や「愛の光」を口ずさんでしまったのだった。

このたくさんのレコードをどうするか?処分寸前のものであるが、私の意見はPTAにお願いして、来年の文化祭のバザーに出品してもらうという案。と、いっても売れる保証はないなあ。

2015年11月17日火曜日

新オリジナルゲームの実践(2)

第3ゲーム/C国のエージェントが
D国にA国のワインを売り込んでいる。
全員が注視しているところ。
月曜日の時間割なので、今日が新ゲームの実践2日目である。前回は始めてのことだったし、なかなかスムーズに進まなかったが、今回は第2・第3ゲームと進むことができた。生徒たちもこのゲームの意味をようやくわかってきたようである。

第1ゲーム終了時の状況、すなわち今日のスタート時点の状況。
A国:小麦80・ワイン40・乳製品20 670M
B国:小麦40・野菜40 490M
C国:乳製品50・野菜20 580M
D国:小麦120 乳製品10 620M

第2ゲームのクリア条件は小麦50・農産物(ワイン・野菜・乳製品)3種類で計30、である。ついにワインが完全なる比較優位となった。

ワインがこの仮想世界には40しかない。完全な比較優位、独占状態である。A国とB国が組んで結局C・D国をクリアできない状態に追い込んだ。クリアできない状態が2回となるとと国際会議をもつとだけ指示している。これを植民地化とC・D国は捉えたようだ。だが、持ち金を減らさないことを選んだようだ。かなりワインの値がつり上がったのだろう。で、前半戦、第2ゲーム終了時は次のようになった。

A国:小麦80・ワイン40・乳製品20・機械20・繊維製品20 840M
B国:小麦40・野菜40・ワイン10 340M
C国:乳製品50・野菜20 510M(クリアーできず)
D国:小麦120 乳製品10 740M(クリアーできず)

第3ゲームのクリア条件は小麦60・農産物(ワイン・野菜・乳製品)3種類で計40、である。必要な小麦も増える。

この回は凄い折衝となった。C・D国とも、クリアーを連続で逃すことはできない。ポイントとなったのはやはりワイン。面白いのは、A国が、C国のエージェントを雇い、D国に高値で売らせるというエゲツナイ方法をとったことだ。(南北貿易ゲームのようだ。笑)最後は連携してきたB国も巻き込んで大騒ぎになった。で、なんとか全ての国がクリアーした。現在の最終結果は以下のとおり。

A国:小麦80・ワイン40・乳製品20・機械40・繊維製品40 1110M
B国:小麦40・野菜40・ワイン10・乳製品10 440M
C国:乳製品50・野菜20 340M
D国:小麦120 乳製品10・ワイン20 670M

生徒は、機嫌よく頑張っている。野球部を中心にワイワイ盛り上がっている。A国の経済成長は著しい。「先生、次は機械と繊維製品がポイントになりそうですねえ。」と自信満々。案外、一番不利なD国が頑張っていたりする。次は木曜日である。ちょっと、方向性を変えようかな。(笑)