2012年9月29日土曜日

『国体』と『国体』

昨日5時過ぎに下校しようとしたら、理科のモスラ先生(6月12日付ブログ参照)と『国体』について論議になった。教頭を始め、何人かの先生方が「国体」に行くので、来週の授業に空きがでるのだという。本校では、『国体』というと、当然「国民体育大会」をさす。今年は、岐阜で行われ、なぎなた部、剣道部が参加する。体育の先生にとっては、インターハイと共に華の舞台である。うーん。「私が国体と言われて連想するのは、やっぱり天皇制の方やねえ。」と言ったら、モスラ先生がその話に乗ってきたのだ。

彼の机上には「蚕に見る明治維新」という本があって、渋沢栄一がいかに養蚕を振興していったかということに大いに興味があるらしい。私が入れば、幕末期の世界的グローバリゼーションの影響や、殖産興業の話や、その究極的目標である山縣有朋の国民皆兵の話にひろがってしまう。ここに当然「国体」という問題が提起されるわけで…。

ふと時計をみると1時間くらい立ち話をしてしまった。カイコ先生は、近々小学校に出前授業にいくそうだ。本当は、私など社会科の教員とコラボして、「蚕と明治維新」について地域の方々を対象に講座を開きたいと考えているそうだ。私も大いに賛成。こういう講座を高校教員が行う事で、自己研さんも進むし、地域との友好も進む。メリットこそあれ、デメリットはあまり考えられない。運動部の活躍ばかりが目立つ本校だが、こういう企画があってもいい。そう思うのだ。

2012年9月28日金曜日

ビスマルクの鉄血政策の話

Bismarck
文化祭から一週間。未だ疲れが残っている。起きて記憶に残っている夢は、生徒と海賊船を作っている夢ばかり。(笑)我がクラスの生徒は、文化祭で少しばかり誇りをもってくれたようだ。あれだけのことを皆でやったという満足感。さらに団結した感じである。水曜日のLHRの時間に席替えと後期のHR役員を決めたのだが、なかなか面白かった。言いたいことをガンガン言いながら、クラスのことを考えて立候補をしてくれたりする。嬉しいことだ。

さて、世界史Bではドイツの統一について語っている。ビスマルクは戦争をすることでドイツを統一していくのである。その是非はともかく、平和日本にどっぷりつかっている今の高校生に理解させるのは難しい。で、今日は2つの話題で、ビスマルクの鉄血政策を説いてみた。

1つは、アメリカの「多様性の統一」である。この件については一度エントリーしたことがある。(11年8月16日付ブログ参照)WWⅡの時、日系アメリカ人の青年たちが、自らの血を流すことで、アメリカ人と認められたという話だ。ワシントンDCのスミソニアン博物館で、私はこの「多様性の統一」という展示を見て感銘を受けた。戦争を完全否定する日本では、認識不可能な事実であった。

もう1つは、今回の文化祭での体験だ。世界史を教えている3年生たちは、演劇を通じて自分たちのクラスの団結を経験した。団活動では1年生のクラスの面倒も良く見てくれた。こういうイベントを通じて集団としてのアイデンティティは築かれていく。このことを彼らは体験的に理解している。

この2つを結びつけて理解させるのである。ビスマルクは、領邦国家を戦争でまとめていく。本校で言えば体育祭・文化祭での団活動だ。イベントを通じて結びつきが強まるという事実は彼らには理解しやすい。それが戦争であるということには、大いに抵抗があるが「多様性の統一」で示したように、国家にとって最大のイベントであるということ、血を共に流すということは、今の日本では理解しがたいが、グローバル・スタンダードであるということ。

こう説明すると、なるほどということになった。「でも、戦争が国家のイベントだというのは、やっぱり良くないですよね。」…女生徒の意見に私も頷いたのだった。日本の平和主義はホンモノである。

2012年9月27日木曜日

佐藤優の「尖閣」異論反論

昨日の毎日新聞に、驚くべき記事が載っていた。「異論反論」という佐藤優氏の寄稿記事である。今回の尖閣諸島の問題に関して、日本政府は「領土問題は存在しない」という立場を取っている(外務相HPにそう書いてある。)わけだが、佐藤優氏が尖閣諸島関連の外交文書を精査してみると、「領土問題は存在しない」という主張と明らかに齟齬をきたす外交文書があることに気付いたのだという。以下、新聞からの抜き書き。

それは、日中両国が相互の排他的経済水域(EEZ:領海12カイリを除く沿岸から200カイリの水域)の漁業について定めた日中漁業協定(正式名称:漁業に関する日本国と中華人民共和国との間の協定)である。この協定は97年11月11日に東京で署名され、98年4月国会で承認、00年6月1日に効力が発生している。この協定第6条(b)に、『北緯27度以南の東海の協定水域(中国の排他的経済水域を除く)』と記されている。尖閣諸島が含まれる水域である。協定本文には、この水域に関する規則は何も定められていない。ただし、この条約が署名された日に、小渕外相(当時)が徐中国大使(当時)に「日本国政府は、日中両国が同協定第6条(b)の水域における海洋生物資源の維持が過度の開発によって脅かされないことを確保するために協力関係にあることを前提として、中国国民に対して、当該水域において、漁業に関する自国の関係法令を適用しないとの意向を有している。」という書簡を送っている。従って、日本は尖閣諸島周辺のEEZで操業する中国漁船を取り締まることができないのである。同日付で徐大使から小渕外相に宛て、中国政府が当該地域で日本国民に対して中国の漁業関連法令を適用しないという書簡を送っている。これを「外交上の相互主義なので問題ない」と強弁することはできない。尖閣諸島を実効支配している日本政府が自国のEEZにおける施政権の一部を中国に対して放棄する意向を示す外交文書を発出したことは、外交的に大きな譲歩であり、領土問題をめぐる係争の存在を認めることになる。

外交のプロ佐藤優氏の寄稿記事である。少なくとも「領土問題などない」という強弁は避け、係争を認めたうえで、問題解決まで尖閣諸島への上陸を自粛するなどの合意を取り付け武力衝突の危機。を避けることに全力を尽くすべきだと記されている。

…要するに、尖閣諸島近くの海域では日中共に仲良く漁業しましょうという協定があったわけだ。しかもお互いに自国の法令を強要しないという書簡を交換していたのである。と、なればあの海上保安庁の巡視船と漁船の問題はどうなるのか?うーん。今、言えるのは、ナショナリズムを高揚させる愛国正義の論調に無批判に乗ることは危険だということ。むろん、中国の愛国無罪よりはマシかもしれないが…。

追記:本日ある情報筋から前任校の2年生の中国修学旅行が中止になり、国内旅行に変更になったということを知った。うーん、残念である。王さん、劉さんはさぞや残念だと思う。もし私が担当でも、やむをえなかったかもしれない。あの天安門広場を制服で歩くというのは、今やかなり危険であるらしい。(中国の中高生は制服自体がジャージであるので、日本人だとすぐ分かるし、ものすごく目立つのである。)極めて遺憾である。非常に残念である。

仮想世界ゲーム 再び

前任校での仮想世界ゲーム実践
今朝、岡山のU高校のH先生と言う方からお電話をいただいた。国際理解教育、なかんずく南北貿易ゲームなどのシミュレーションゲームを実践されているようで、私の実践した「仮想世界ゲーム」に興味をもたれたようだ。詳細について話を聞きたいということだった。

U高校の出張条件さえ整えば、11月にお会いすることになるかもしれない。こちらの方は管理職もOKである。こういう国際理解教育の交流が進むことは、極めて有意義である。文化祭も終わって、私の方はちょっと余裕ができてきたところ。

さあ、下半期は国際理解教育の実践に励めという天の声かもしれない。

2012年9月26日水曜日

ヘーゲルの歴史哲学を見直す

世界史Bは、ナポレオンから七月革命、二月革命と進んでいる。前任校では、長いこと倫理や地理Bばかりやっていたので、この辺の世界史の範囲は社会科教師を30年以上やっているが、恥ずかしながら初めて教えている。近代国家論や経済史的にも帝国主義論、社会主義思想などなかなか教えていて面白い内容が多いのだ。

ナポレオンによって、ある意味フランス革命の成果をヨーロッパに拡大したが、彼の失脚後は一時的にウィーン体制で反動化する。しかし、七月革命、二月革命とフランスで起こる二度の市民革命によって、本格的にヨーロッパに民主主義が飛び火する。現在のアラブの春みたいなもんだ。歴史を学ぶ意義はこんなところにもあるわけだ。

この辺を生徒に理解させるには、アンシャンレジームのような三角形の階層の図が有効だと思う。参政権の拡大が、時代を経るに従って上から徐々に進むのである。この辺の説明にはヘーゲルの歴史哲学が、やはりよく当てはまる。(この当時の理論だから当然であるが…。)

たまたま、マルクスの科学的社会主義を高校生に分かるように先に教えていた。マルクスを語るには、唯物史観と剰余価値説ははずせない。唯物史観を教えるには、ヘーゲルの弁証法は必須であるが、唯物史観の「経済」が発展すれば、正・反・合という矛盾をキーワードに歴史が発展するというのは、世界史を勉強してきた生徒にはわりと理解しやすい。

それに対して本家・ヘーゲルは、絶対精神が自由を求めて世界が発展すると説く。実はこのほうが理解が難しいと思うのだ。だが、この辺の歴史をやる前に説けば、オリエント世界の王のように1人だけ自由な世界が、封建世界で王と貴族たち少数の自由に発展し、さらに市民革命で徐々に自由な人口が増えていくと語れば、なるほどという事になるのだ。

倫理とは弁証法の説明が逆転してしまうのだが、あえて教えてみたら、皆納得してくれた。今年はとりあえず、こういう感じで教えてみた。ヘーゲルの絶対精神など、カントから続くフィヒテ、シェリングのドイツ観念論をやらねば理解できないので説明なし。もし、本気で教えたらきっと生徒は大混乱するだろうなあ。(笑)

2012年9月25日火曜日

モザンビークのLNG

モザンビークとタンザニアのLNG
ロイターのWEBニュースで、モザンビークやタンザニアのLNG開発に黄色信号が出ていると報じている。先日(9月23日付)のアフリカ投資国ランキングのエントリーの中で、私がモザンビークに魅力を感じているという事を書いたのは、南アやザンビア、マラウイを結ぶ経済回廊とこのLNG開発が有望だと見たからだ。内戦の疲弊からモザンビークはかなり立ち直っており、さあこれからという時に、ロイター電が冷や水をかけた感じだが、要するに、LNGの開発にはかなりの時間が要する上に、生産開始時期が遅れると、今でこそ需要が高いものの、他の供給地域との競合でそれほど利益が見込めないのではないかという話である。

ちょうど今朝モーニング日経を読んでいると、イスラエル国内ではイラン攻撃がかなり強行に叫ばれており、テルアビブやエレサレムでは一般人に無料のガスマスクが配布されているという記事が載っていた。イラン攻撃には、かなりのリスクが伴うので、消極的なオバマ政権を無理やり引き込む必要がある。そのためにはユダヤロビーの力を最大限発揮できる大統領選前でなければならないという観測が流れているらしい。もし、イスラエルがイランの核施設を攻撃するとなれば、私個人は息子夫婦の安否が最大の問題となるが、日経にはそんなことは書いてない。まあ、当たり前である。日本経済に与える影響について、次のように予測していた。何よりホルムズ海峡封鎖あるいは危険水域化によって、カタールからのLNG輸入が滞り、現在の原発を停めている電力事情に大打撃となるとの話だった。日本の火力発電は今、原発停止後一気に輸入量が増えたカタールのLNG頼みなんだそうだ。

経済界の利益を主軸とする日経は、原発再稼働を主張している。中東の安定は日本経済のまさに分水嶺なわけだ。モザンビークやタンザニアのLNG開発は、このような情勢の中で、脱原発を目指すことになるかもしれない日本にとっても大いに期待されるのだが、まだまだインフラや人材の問題、法整備など様々な問題があるらしい。

もちろん、モザンビークもタンザニアも天然資源の罠にだけはハマらないでもらいたい。好機を生かし、両国政府は慌てずに長期的に取り組んで欲しいものだ。その意味で、WEB記事に出てくるティエリー・ブロス氏の指摘は正しいと私は思う。
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE88J03220120920?sp=true

なお、MIYAさんの「アフリカのニュースと解説」に、この東アフリカのLNGの詳しい考察がされています。興味のある方は是非。
http://let-us-know-africa.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html

2012年9月24日月曜日

『琉球独立『』という問題

文化祭の代休の月曜日故に、病院にいったり鍼に行ったり午睡したりして過ごしていた。午前中に毎日新聞の社説をもとにエントリーしたが、オピニオン紙面に「琉球独立現実の選択に」と題して、石垣島出身の松島泰勝龍谷大教授の意見が載せられていた。本土に住み、沖縄とこれまで全く関わりがなかった私としても、謹んで拝聴した次第。松島教授の意見の概要は、およそ以下のとおりである。

民主党の鳩山元首相の「(普天間の)最低でも県外移設」という言が簡単に撤回され、日本の大多数の自治体が米軍基地受け入れを拒否し、琉球を犠牲にしてよいと判断した。琉球は差別されており、日本の一部では永遠に基地はなくならない。琉球は日本の植民地である。歴史的にも、「琉球処分」(1879)、本土決戦の捨て石となった沖縄戦(1945)、米軍統治を認めたサンフランシスコ講和条約(1952)、本土復帰(1972)と、琉球の運命が琉球の人々の意志と無関係に日米政府が決めてき。

琉球が450年続いた王国で中国・オランダ・フランス・アメリカと条約を結び国際的に認められた国家だったことを知る日本人は少ない。国連人種差別撤廃委員会が2010年琉球人を独自の民族として認定し、米軍基地の押し付けを人種差別とし、琉球側と協議するするよう日本政府に勧告したことも知る人は少ない。

鳩山首相の公約違反以降、基地撤去・返還を求める保守政治家も増えている。基地を無くすことを考えれば独立の必要性が現実的な選択肢・課題と認識される。この主張は国連が60年に採択した植民地独立付与宣言など国際法に基づく明確な法的根拠があり、国連の脱植民地化特別委員会や人種差別撤廃委員会などで人民の自己決定権を主張している。

太平洋には人口が1~2万人の国連に加盟する小国がたくさんあり、沖縄県は140万人。独立は不可能ではない。(松島教授は島嶼経済論が専門。)幅広い分野(政治・経済学、国際法、民族学、社会学など)の専門家で組織する琉球独立総合研究学会が来年度発足する。

オスプレイ配備強行は、琉球と日本との関係の破断界を超える。一人ひとりの日本人に着きつけられた日本の問題なのである。

…私は未だ沖縄に足を運んだこともなく、恥ずかしながら松島先生の記事を読んで初めて国連人権差別撤廃委員会の認定を知った。自分の意見をまとめる見識はあろうはずもない。ただ、松島先生の論には、正当性を感じざるを得ない。

遅い毎日社説『復興財源流用』

だいぶ前にNHKの特集で「復興財源」が他の地域に流用されていた問題を取り上げていた。東北と全く関係ないところで各省が関連性を作文し、予算を分捕っている話だった。今朝の毎日新聞に、その件がやっと社説で掲載された。このところ領土問題やオスプレイの問題など政府の外交力の無能さ、民主・自民両党の代表・総裁選などにマスコミの目が奪われているが、この「復興財源問題」は、日本の政治家だけでなく、行政官僚組織までがまるで『溶けて』しまったような印象を私は受ける。

NHKの特集は私もライブで見た。被災地復興のためのカネを何故被災地に使わないのか?妻と怒り心頭したのだった。私がもし政治家なら、財務省はもちろん、各省でこのような背信行為を起案、要望した関係者の調査を始め、全ての関係者に責任を取らせるだろう。信じられない行為である。私自身はこれまで日本の官僚組織の優秀さには、ある程度敬意を払ってきた。しかし、このような背信行為が行われるような国に住んでいるのかと思うほど腹立たしい。

NHKの番組では、被災した各地方自治体ごとにガレキの処理が行われた。莫大な費用がかかったトコロと、早くから分別して最小限に抑えたトコロがあったことも知った。あのような緊急事態で地方自治体の行政が崩壊する中、国が主導してガレキ処理の方法や労務管理のモデルをつくれなかったのか。これこそ我らは国家なりと自負する優秀な官僚が率先しなくてどうするのか。官僚より無能な政治家にそんな実務能力はあるまい。

急に私的な話になるが、今回の文化祭では、オカネに関しては生徒会からの15000円が総予算だった。工程半ばで、これだけでは不足するのがわかったので、SHRで学級費1人300円を上限に使用する承諾を得た。たとえ高校の文化祭でもお金の収支には気を使い、不満の出ないようにするのは当然だ。もちろん、全てのオカネを黒ひげ危機一髪と海賊船と背景に注ぎ込んだ。文化祭と関係ないモノには一切使っていない。当たり前のことだ。撤収時には、釘等の安全面を第一に考え、くぎ抜きと釘を集める箱等を用意して、担当者を任命し、それらの安全面を全員にまず周知徹底した。責任感があれば知恵がわく。当たり前のことだ。

『復興予算』は復興のための予算である。それが、日本と言う国家では当たり前でなかったのだ。官僚は日本のことを本当に考え自らの能力を惜しみなく出すのが当たり前だ。それも当たり前ではなかったのだ。

信じられない。もっともっと声を上げるべきではないか。毎日の社説掲載も遅い、遅すぎると私は思うのだ。(怒)

2012年9月23日日曜日

アフリカ投資先ランキングクイズ

9月22日付けのアフリカ・ビジネスニュースに、『アフリカの投資先として魅力的な国はどこか?』というタイトルで、南アのランド・マーチャンズ銀行がまとめた興味深いランキングを紹介している。
JEUNE AFRIQUEというフランス語のWEBサイトに掲載されているというので、情報元にアクセスしてみた。トップ10は以下の通りだった。
http://economie.jeuneafrique.com/regions/international-panafricain/12654-climat-des-affaires-ou-investir-en-afrique-.html
1.南アフリカ
2.エジプト
3.ケニア(?)
4.ガーナ
5.チュニジア
6.モロッコ
7.リビア
8.エチオピア
9.ケニア(?)
10.タンザニア
ケニアが3位と9位に入っている。どちらかが間違っているはずだが、アフリカビジネスニュースは9位としている。ルワンダ(14位)ウガンダ(16位)とされる東アフリカ勢と対比した時、タンザニアの前というのがたしかに妥当かなと思う。ちなみにザンビアが13位だとか。

では3位はどこなのだろう?投資ランキング故に、産業構造や市場規模、それに治安やガバナンスも影響するので難しい。北アフリカではアルジェリアが抜けている。本命かもしれないが、かなりイスラム原理主義の影響など治安が悪化しているはずで、ここは市場規模(特に人口)から、ナイジェリアの可能性が高いと思うのだが、経済成長著しいモザンビークなども捨てがたいし、1人あたりGDPでは優等生のボツワナの可能性もある。うーん。ちょっとクイズとしては難しい。どなたか正解をご存知ならコメントを頂ければありがたい。

追記:さっそく、アフリカのニュースと解説のMIYAさんのコメントをいただいた。私の予想通りナイジェリアであった。MIYAさんありがとうございます。ちなみにアルジェリアは11位、ボツワナが12位、モーリシャスが15位、アンゴラが16位、モザンビークは17位だった。もし私が大金持ちだったら、将来性をかってモザンビークに投資するかもしれない…。(笑)
http://www.rmb.co.za/GlobalMarkets/pdf/whereToInvestInAfrica/RMB_wtia.pdf

『零の遺伝子』を読む

F22
文化祭の壮絶な戦いが終わったので、今日のエントリーは、久しぶりに書評を書きたいと思う。、
『零の遺伝子ー21世紀の「日の丸戦闘機」と日本の国防』(春原剛著・新潮文庫/本年8月1日発行)を長い間コツコツと読んでいた。文化祭準備での疲れが溜まって通勤時は寝てしまう事も多く、また、この本はかなり専門的な話(航空工学分野と日米の国防政策の内容など)が多い故に少々時間がかかったわけだ。著者の春原氏は、以前書評をエントリー(11年11月24日付ブログ参照)した「在日米軍司令部」など日米の様々な問題に切り込んでいる。

今中国との問題や原発の問題が大きく取り上げられているわけだが、これらは全て日米問題でもあると私は考えている。オスプレイの問題でも、日本は本当に独立国家なのか?という素朴な疑問がも露呈している。この本は、そんな日米関係の思索にとって重要な示唆を与えてくれる。

この本の本題は、日本が国産の第5世代の戦闘機(F22に代表されるようなステルス戦闘機)を開発するべきか否かという問題である。戦後、民間機も含めて航空機生産を大きく制限されてきた日本。特に戦闘機に関しては、政治的な問題からアメリカの戦闘機を購入・ライセンス生産、そしてF16を元にF2を共同開発してきた。本のタイトルは、ゼロ戦の遺伝子をいかに守り抜くかという関係者の想いが凝縮されているわけだ。「心神」というコードネームで呼ばれる国産の第5世代の戦闘機というより実験機のプロジェクトが進んでいるらしい。

この本の主役は、実はF22である。このF22は極めてステルス性に優れてる。読んで驚いたのは1度の飛行ごとにステルス機能のメンテナンスが必要だということだ。しかし「自動車ぐらいの大きさのものがレーダー画面ではゴルフボール大にしか映らない。」(防衛省OBの言)
それに対して「心神」はフランスでの機体実験(機体構造しか出来ていないからだが…)では、サッカーボール大くらいにレーダー映るそうで、かなりの技術的格差がある。F22は、中国や北朝鮮の軍事筋にとって、大きな脅威であるらしい。このF22は、航続距離が長く攻撃をした後もドッグファイト(空中戦)が十分可能で、F15イーグルが束になってかかってもかなわなかったという実績を持つ。

F35
当然日本としては、老朽化したF4ファントムの次期戦闘機(FX)として、F22が欲しい。だが、あまりのの強さにアメリカ政府はいくら同盟国日本でも渡せないという意見が多い。安全保障上の理由と、技術の秘密保持という側面があるようだ。もちろん経済的には高く日本に売り、生産ラインの原価償却、雇用維持というメリットもある。F22を日本に配備しようとする親日派有力者の動きもかなりあったようだ。だが、結局イギリスやカナダ等とも共同開発したF35A(Aは通常型・Bはハリアーのように垂直上昇機能をもつ。)になってしまった。F35はF22より、戦闘能力が落ちる。アフターバーナー無しで超音速飛行はできない。

日本としては、このF22の問題で、『同盟国アメリカ』の国益と真正面からぶつかったわけだ。この航空機の開発、単に軍事面に留まらない。最先端故にあらゆる技術開発の源となるのだ。アメリカとしては、自動車での最先端を日本に譲ったとしても、航空宇宙分野や軍事面でのソフトウェア、さらには原発などの分野をおいそれと『同盟国日本』に渡さない。死活問題だと考えている事は確かだ。F4でも、日本に配備されているF4Jにはアメリカで使われている重要な装置は搭載されていないし、F2にもF16の重要なソフト部分はブラックボックス化されている。海上自衛隊のイージス艦もステルス機能は省かれた。安全保障面では、常にボスであるアメリカが最強の武器を持ち、子分はそのひとつ下の武器を持たされるわけだ。しかも足元を見られて、高く売られている。

武器輸出三原則があるので、日本の軍事産業は需要が防衛省だけで少ない。当然供給も少なくなり、コストが高くつく。だが、こういう先端技術開発他の分野にも転用でき、日本の産業界にも有益だという大きなメリットがあるわけだ。で、少ない予算でコツコツと開発を進めているというのが現状らしい。

さて、これから日本はどうあるべきなのだろうか。普天間以来、日米関係はギクシャクして、オスプレイ配備でもめている。その隙間をつくような尖閣諸島の問題。アメリカの子分として生きるのか、(そういう状況から)独立するのか?おいそれと結論を出せる問題ではない。

2012年9月22日土曜日

海賊船をつくる Ⅴ


アドパネル
文化祭当日である。沢山の来場者を迎えて大盛況だった。我がクラスにも多くの来場者が来ていただき、喜んでいただいていた。13:00に終了し、一気に片づけにかかる。あれだけの展示物をいかに1時間で片づけるか?思案していたが、結局管理作業員室でバールとペンチを2本借りてきたことと、大きなゴミ袋を20枚近く用意したくらい。後は生徒たちが、凄い集中力で片づけていく。安全(特に釘の処置と三段に積んだ机)だけに配慮しながら現場監督をする。なんとおよそ片づいてしまった。自分のなすべきことを見つけることができる生徒が、今回のイベントでドドッと増えたことが大きい。

フィナーレでは、各部門の表彰があった。まずアドパネルという玄関前に置く各団の広告塔である。黒団は、体育祭では最下位だったが、このアドパネルで1位をとった。続いて、1年生の制作で、我がクラスは2位をとった。2年生も模擬店で2位、3年生は4位だったが、文化祭の総合得点では大逆転で2位となった。

1年の制作部門で1位を確信していた生徒たちにとっては、少しほろ苦い結果となった。ゴミ等を全て片づけた後、少し長いSHRを取った。文化祭を終えて感想を生徒たちに言ってもらった。夏休みからずっと関わってきた生徒、クラスの人気者、そしてクラス代表。関わりが深かった女子が泣きながら「くやしいです。絶対1位だと思っていた。」と話すと、多くの女子も泣いた。私が叱ったデザイン担当の生徒もくやし涙を流した。みんな本当にくやしくてくやしくて仕方ないようだった。クラス代表は「不完全な人間が評価するのだから、完全な評価はできない。」とデカルトの第二証明を変なカタチで使い、皆を慰めていた。(笑)男子は、必死で女子を慰めていたのだ。

政治の世界で言う『ガス抜き』であるが、私はこう言った。「みんなの気持ちはわかった。我がクラスが1位だ。でも、そのことを口にするのはここだけにしよう。二度と言わないようにしよう。グダグダと不満を言うのは美しくない。今回のイベントでみんな成長した。一人ひとりに手紙を書きたい気分だ。こんな嬉しいことはない。イベントは人づくりだ。文化祭前に、あれだけのものを1時間で片づけることができただろうか。」

1位になって、盛り上がるのもよかっただろうが、こうして改めて各自が振り返る時間がもてたこと、このほうが教育的には大きな意味があったのではないかと、このブログを書きながら改めて思っている次第。全精力を注ぎ込んだイベントが終わった。悔いのない日々を遅れたことに感謝である。

2012年9月21日金曜日

海賊船をつくる Ⅳ

朝イチの様子
朝6:35。教室に向かうとすでに4人の生徒が来ていた。ありがたいことである。その後どんどん生徒がやってきて、黙々と作業を進めていく。19:00までに海賊船を完成させなければならない。もっとこうしたい、ああしたいという構想はあったけど、とにかく完成させることだ。今日は、それぞれの生徒が自分のやるべき仕事を探して動いてくれる。はっきりした担当を決めていないのに、どんどん進んでいく。
廊下の装飾も完成
今日の文化祭初日は、オープニングセレモニーと3年生の劇が午前・午後と8公演。教えている3クラスだけは、とにかく見ることに決めた。オープニングは昨年私が担当していたパートだし、団長が登場するところまでは見ることにして、残りはたった一人で海賊船の補修をしていたのだった。
昼食時も後半には教室に顔を出した。何も言わなくとも昼食を終えた生徒が作業を進めていた。

ほぼ完成!
3年生の劇が終わって簡単にSHRをしたが、すぐ作業開始。文化祭初日をおおいに楽しんだ生徒たちは、この辺うまく切り替えてくれたようだ。作業の合間に感想を聞くと、なかなか感激したようだ。音楽部の演奏もダンス部の演技も凄かったらしいし、劇もいいのが多かったようだ。本校では1学年にたった8人しか選ばれない団長というのは大きな位置を占める。男子の中では、団長になることを夢見て高校生活を送るものも多い。1年生の担任団は、すでに2年後を見据えて様々なリーダーづくりをしようとしている。いいことだと思う。

18:50頃 記念撮影
作業と清掃を並行しながら、なんとか30分前には完成した。先生方や生徒諸君に多くのお褒めの言葉をいただいたが、私には生徒たちの成長が嬉しい。このようなイベントの評価は、分かってくれる人は分かってくれるし、分からない人には分からないものだ。生徒たちのために、優勝したいが、1年生の他のクラスも頑張っているようで、制作の部優勝は簡単なことではないようだ。学年のクオリティが高いことは、いいことである。

2012年9月20日木曜日

海賊船をつくる Ⅲ

昨日今日と我がクラスでは、海賊船をつくる作業で大わらわである。体育祭の準備・本番の後19:30まで作業がゆるされている。制限時間以内に完成させなければならない。プラモデルのように部品をあらかじめ用意して組み立てるのだが、これがなかなか進まない。(笑)

今朝の状況
クラスのほとんど全員が入れ替わり立ち替わり手伝ってくれる。ありがたいことだ。昨日は2度叱った。シメのSHRの際、注目してみんなが連絡を聞いている時、ある女生徒が「黒ひげ危機一髪」の頭の部分を剣で叩いて遊びながら聞いていた。私は好々爺(?)だが、こういう行為を見逃さない。これらひとつひとつに作った生徒の思いが込められている。そういう「人情の機微」がわからないのは、苦労していないからである。人の苦労がわかる人間であってほしい。みんなシーンとして聞いていた。ささったようである。放課後、工程から考えて、海賊船の先端部分の骨組みを早く完成させなければならないので、何度も催促していたのに、中心者の男子生徒が遊んでばかりで進まない。仏の顔も三度まで。呼びつけて、「逃げるな。私の期待を裏切るな。今逃げると、この三年間しんどいとから逃げるようになる。」と厳しく叱った。その場にいた生徒たちは凍りついた。だが、彼はその後皆に支えられ頑張ってくれたし、今朝は誰よりも早く来て、先端部分の骨組みづくりに取り組んでくれていた。私はこういうことに弱い。つい涙ぐんでしまう。教師冥利につきるのである。

今日の17時ごろの状況
私が何を考えているのか、読もうとする生徒が生まれてきた。私の指示を受ける前に先取りしようと考えてくれる。今日の体育祭では自分たちの椅子を教室から持ち出してグランドで使い、終了後特別教室棟に移動させなばならない。リーダーたちを呼んで、その対応を考えさせた。今がそういう訓練をするチャンスだ。体育祭終了後、彼らの結論は大正解だった。バケツに水を入れ雑巾で椅子の足を拭いてから持って上がることだった。それをすでに女子のクラス代表が、準備し対応してくれたのだった。嬉しいなあ。本当に嬉しい。こういう思考から、人を引っ張る思考回路が生まれる。今回の文化祭で、なによりこういう思考回路を学んで欲しいと思う。自主的に生徒にやらせることは重要だ。だが、こういうリーダーシップのヒントを与えることもイベントの大切な要素だと思う。

今日もみんな体育祭の疲れ(応援合戦は3位だったが、棒引き1位以外は惨敗で結局体育祭の競技成績は8団中最下位だった。)を引きづりながら頑張ってくれた。だが、昨日の遅れは取り戻せなかった。明日、朝早めに登校することになった。もちろん自由意思である。なにがなんでも完成させる。私は宣言した。「ハイ。」という返事が疲れきったた身体に心地よかったのだった。

2012年9月18日火曜日

海賊船をつくる Ⅱ

昨夜は暑くて湿気がひどかった。今日のことを考えていると眠れなくなって、結局2時間くらいしか睡眠をとれなかった。今日は、6時間授業(私の授業時間は例によって4時間)のフツーの日だ。だが、明日の午前中体育祭の準備、午後は文化祭の準備。明後日は体育祭本番、そして文化祭と続く。授業は今日が最後だった。

我がクラスとしては、海賊船をつくるために、一刻も早く教室を改造したい。机・椅子を有効に移動し、まだ何の姿カタチもない海賊船を限られた時間内に作らねばならないのだ。窓には暗幕を張らねばならないし、何より、先日から準備している背景の青空と海をいかに設定するかである。まだ3ロールに別れたままだ。これを1つにしなければならない。そんなことを考えていたら、眠れなくなったのである。結局手帳に書き留めたりして、睡眠不足のまま今朝を迎えたわけだ。

生徒は担任のそんな悩みを知ってか知らずか、元気である。(笑)朝のSHRで、すこし語気を強めて訴えた。三連休の私がいない初日・二日目にペンキを使ったらしいのだが、ハケやバケツの洗浄がなされていなかった。「頑張ってくれいることは嬉しいが、これを見てほしい。おそらくは作業を終わって、きっと誰かがやってくれるだろうと放置されたのだろう。こういう事は、この数日間、絶対にゆるさない。自分が何をしたらいいのか。全体を見聞きしながら考えて動きなさい。クラス費の残額は3000円ほどしかない。おそらくハケは買い替えなければならない。不注意で貴重なお金が消えていく。もちろん、いざとなったら私が全てかぶる。この数日間は私に真剣についてきなさい。このイベントで、私は人を育てたい。」シーンと聞き入ってくれた。「返事はっ?」「はいっ。」隣の体育科のような雰囲気に一瞬で変えてしまった。(笑)我がクラスは、文化祭部に変身したのだった。

放課後、SHRで、一気に指示を出した。ここからここまでの机はここに移動。すぐさま、このような机の連結を作れ。全ての椅子と残りの机は廊下へ。ペンキを塗り終わった段ボールはこちらへ。工具や機材は廊下側に移動。等々。一気に生徒が動く。このあたり本校生の素晴らしいトコロだ。

背景は係生徒を中心に3F渡り廊下で接合され、教室に持ち込まれた。そこには運動部の男子が机を2列3段に重ねた上に待機している。16mに及ぶ背景が、みんなの協力で貼られていく。なかなか壮観だった。ふぅー。くたくたである。でも、充実した一日だった。生徒も盛り上がっていた。同じ思いなのだと信じている。
私の経験知からくる「勝利からの逆算」、その勝負どころは実は今日だったのだ。

2012年9月17日月曜日

「中東の安定は人材育成から」

3連休最終日、学校に行った。もちろん文化祭の準備の付き添いである。私の想定の80%くらい進行していた。開始時刻ではリーダーの女子生徒1人で心配したが、次から次へと生徒が集まり、最終15人くらいで作業していた。うむうむ。文化祭の報告は、後日まとめてするとして、今日はモーニングで読んだ日経の記事について書きたい。

本社コラムニストの脇祐三氏の『中東の安定は人材育成から』という記事である。要旨はおよそ次のようなものである。

アラブの春はチュニジアから拡がって独裁体制が終焉した国が現出した。しかしながら、エジプトを例にとると年6%の実質経済成長率を実現しながら人口増加率に社会基盤の整備が追い付いていない。大卒でも職がない状況である。
IMFは、「マクロ経済指標は良くても国民が生活の好転を実現できていない。」ので、インクルーシプ・ディベロップメント(inclusive development: 多くの国民を疎外せず全ての階層を内包する経済開発)が、重要であると指摘している。インクルーシプ・ディベロップメントの為には、その基盤となる理数科教育による人材育成が大いに有効であると考えられている。エジプトでは、JICAと早大・九大・京大など12の大学と協力してエジプト日本科学技術大学を昨年開設した。アラブ世界では、価値観の対立しがちな欧米より日本に協力を求める傾向が顕著である。先日のエジプト総選挙でも日本の支援だけを求めたくらいだ。日本の貴重なソフトパワーである。

私がこの記事に注目したのは、今日の画像にある中東諸国とアジア諸国の数学・理科の中2レベルの学力対比表が興味深かったからでもある。(残念ながら出典を書きとめるのを忘れてしまった。)この表で全てが測れるわけではないし、ひとつの目安なのであろうが、中東諸国(イスラエルも含めて)が世界平均以下であること、意外に日本が低いことが印象的である。うーん。これだけでも、いろいろ考えさせられるのである。

2012年9月16日日曜日

中国の反日デモに思う

前任校の中国修学旅行・北京月壇中学にて
このところ中国や韓国との領土問題の反目がエスカレートしている。日本では冷静な対応を見せているが、特に中国で、日系企業や日系人を暴徒が襲ったりしているというニュースを見聞きすると、様々な想いがよぎるのである。

ひとつは、前任校で私が担当していた中国修学旅行のことである。私の時も新型インフルエンザや反日デモがあり、生徒を送り出す保護者の不安は大きかった。今回はどうなのだろうか。中国修学旅行で生徒が得ることは大きい。この中国経験がきっかけで中国語を学ぶことになったOGもたくさん知っているし、なにより王さん・劉さんという現地ガイドのお二人が素晴らしい(10年10月24日付ブログ等参照)ので、中国はあまり好きにならなくとも、王さん・劉さんは大好きという生徒が毎回再生産される。私は、地球市民を育てる上で、こういう交流がなによりも大切だと思うのだ。

もうひとつは、国家レベルで対立が生まれるのは、所詮国家権力システム(近代的な際限のない利益追求)の利害のぶつかり合いに起因することが多い。一般の市民にとって、直接的な関係が薄いことが多い。今回の中国との領土問題も、中国国内の一般人にいかに鬱積した不満が溜まっているか、という問題に見える。金持ちは動かない。当たり前だ。なんらかの暴力的行為に巻き込まれて何かを失うことを恐れるのは当然。日本で、抗議の暴動が起こらないのも当然である。様々な不満が鬱積した中国の一般市民にとって、日本が格好の目標になっているにすぎない。韓国でも同様である。

日本人、中国人、韓国人という前提の前に、愛すべき人であること。国家を超えて、愛すべき人を知有すること。それがなによりの解決策だ。私たちは、王さん・劉さんに銃を向けることなどできない。だから王さん・劉さんの所属する国ともうまくやっていかなくては、と考えるのだ。

地球市民を世界的に育てること、それが急務だ。国家は、やがてグローバリゼーションの中で解体されていく可能性があると私は思っている。地球的な視野で物事を考えなかれば、地球規模の問題は解決できまい。理念が現実になるまで、まだまだ乗り越えねばならない試練がある。

王さん・劉さんという貴重な人々と出会うことの意味を十分に踏まえ、前任校の国語科の修学旅行が、実施されることを心から祈っている次第。

ラグビーの試合に行ってきた5

いよいよラグビーは全国大会の府予選が始まった。
このところ、放課後クラスでは文化祭の準備をしているのだが、自主性を重んじているので、顔をあまりださないようにしている。手持無沙汰なので、グランドに出てみた。ラグビー部が、バックス、フォワードに別れて激しい練習をしていた。コンバージョンキックを黙々と練習しているのを長いこと見ていた。3年生にとっては最後の大会である。休日返上で頑張っているクラスの方も気になるが、今日はラグビーの試合に駆けつけた次第。

今日の試合の相手は私立K高校である。10年ほど昔、前任校で生活指導の仕事をしている時、ここのラグビー部の監督と懇意にしていただいたことがある。(すでに代替わりされていたようだ。)

試合開始早々、K高校が一気に攻め込んできた。それも1人で。いっしょに観戦していた先生方と思わず顔を見合わせた。身体もでかいし、スピードもある。「…これはやばい。」ところが、その直後その選手が怪我をしてしまったのだ。どうやら手を骨折したらしい。この事故で相手校との戦力バランスが崩れたのだろうか、本校ラグビー部は着実にトライを4つ決めた。あの黙々と練習していたコンバーションキックも3本決まった。だが、さすがに後半後10分というところで、足が停まった。トライを決められ、さらに攻め込まれている中ノーサイドの笛がなった。

いいチームに育っている。キャプテンの士気の高さが、今日はみんなを引っ張っていた。相手校の中心選手の怪我も大きく影響したように思うが、ラグビーの試合にこういう事故はつきものである。本校としては、とにかく好発進したわけだ。

試合から帰宅後、午睡した。4時間ほど爆睡した。これで来週を乗り切れるか、と思う。

2012年9月15日土曜日

京大アフリカ研'12公開講座9月

むこうは晴れ、こっちは雨そんな天気でした
京大の公開講座は、今日が「シリーズ出会う」の最終回である。以前重田元センター長が言われていたように、トリはアフリカ牧畜民研究の大御所、太田至先生で、そのタイトルは『アフリカの紛争と共生の問題に出会う』。地域研究・文化人類学のテーマとしては、かなり異質である。まるで国際関係学のようだ。だからこそ、私は今日の講座を楽しみにしていたのである。

この謎は最初に解けた。京大アフリカセンターの教員全員と他のアフリカ研究者約20名が研究チームを組んで、科学研究補助金・基盤研究をされているのだ。太田先生はその中心者として『アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究』と長いタイトルの研究プロジェクトを組んでおられるらしい。期間は5年間。研究の要旨は、およそ以下のとおりである。

現代アフリカ社会には、様々な紛争や内戦が起こっている。そこでは、一般市民同士の激しい暴力行為が認められる。例えば、ルワンダの内戦や2007年のケニア大統領選によるキクユ人とルオ人の対立などに見られる、紛争直前までは隣人としてうまく付き合っていながら、紛争が起こるや刃物まで使う激しい暴力行為にまでエスカレートするケース。このような事態は、社会の解体と疲弊を呼び込む。こうした課題の解決を志向するアフリカ研究は社会的な要請であるといえる。もちろん、紛争解決のために国連やAUなどの軍事介入、先進国の経済制裁、停戦・平和協定支援、ICC(国際刑事裁判所:以前エントリーしたケニアのケニヤッタ副首相が訴追された。)などの「主流」と思われている紛争解決への取り組みは、これまでにもあった。しかし、いずれも、西欧出自の制度や規範・価値観(民主主義・人権など)に基づく、「外部」からの介入だといえる。欧米の普遍的な概念の押し付け故に、あまり効果があったとは言い難い。
そこで、研究プロジェクトでは、「アフリカ人の生活の現場から発想する」という指針転換の必要性を訴え、アフリカ人が紛争解決と共生のために創造し、運用してきた知識や仕組み(=潜在力)を再評価するとともに、外部社会との折衝の中で、その潜在力を変革してきた能力(=インターフェース機能)に着目し、その可能性を拡げるという目標を設定したという。

毎回行われる講座の後の質問会で、太田先生は言葉を選びながら答えておられたが、社会科学的な視点(開発経済学や国際関係学、平和学など)ではなく、現場を知る地域研究の立場から、アフリカの知やアフリカの生きる力を、紛争解決、市民同士の暴力の否定の方向に行かせないかという研究だと私は理解した。

太田先生の講義は、先生の研究フィールドであるケニア北西部のトゥアレグ人の地域に建設されたカクマ難民キャンプ(スーダン難民が大部分でソマリア、エチオピア等の難民も居住している。)の話に入っていく。正直なところケニア政府は、これらの難民には手を焼いているようだ。ケニア国籍を与えることはせず、キャンプを乾燥地域である僻地に設置して統合させる方向にあるようだ。この難民キャンプには最新の調査で10万人が居住している。難民たちは別に隔離されているわけではなく、UNHCRの監督のもと食糧等の援助を受けながら、ビジネス活動も行っているらしい。人の出入りは激しく、治安も悪いが、様々な公的施設(病院・学校・職業訓練施設・図書館など)があり、今活発になっている携帯電話を使った海外からの送金も受け取れるらしい。
ところで、難民キャンプの周囲に住む牧畜民トゥルカナは、1999年から2000年にかけて自らつけた年の名前「どいてくれ、(家畜の囲いの門を)あけるから」(実は干ばつで、家畜を失い最悪の年を、こう名付けて笑い飛ばしたわけだ。)のように、厳しい状況下にあった。
当然、二者は対立状態になるのだが、難民の薪需要を見込んで、トゥルカナの若い女性が中心になって薪を売るビジネスを始めたのだ。その収益で、難民キャンプで配布された援助物資のトウモロコシなどを買い、トゥルカナは生き延びるのだ。さらに青年や子供が難民に様々に雇用されていくのである。社会集団としては対立していても、モノの授受を介した個人的な友人関係は生まれていったのである。トゥルカナの女性と難民の男性の婚姻も行われているという。

このように、民族(スーダン人とトゥルカナ人のような)の壁は、必ずしも文化や道徳の共同体となっているわけではない。その壁を超えていく能力をアフリカの人々は持っている。個々人が相手に働きかける能力も持っている。相互交渉を積み重ねる能力も持っている。ポジティブな社会関係を主体的に形成する能力の高さをアフリカの人々は持っている。というのが、太田先生の現在の立場であるわけだ。

…太田先生の言われる「潜在力」という言葉は面白い。質問では、この難民たちとトゥルカナの関わりは、所詮グローバリゼーション下での貨幣経済ではないか?これはアフリカの伝統的な知ではないのではないか?というのがあった。太田先生は、「彼らの金の使い方は、欧米的な際限のない欲望に端を発した近代的なカネの使い方ではない。アフリカ的な金銭感覚で、トゥルカナにとっては、家畜のほうが財産である。」と言われた。…私にはその意味がよくわかる。
またこんなことも言われた。「ケニアでは、自動車が故障したら、純正部品をもってこなくてはならないという欧米的近代的発想ではなく、なんとかして代用品で済ませ、動いたらいいという発想がある。」とも。…これもよくわかる。こういう臨機応変な対応力(自然な生きる力)が、アフリカにはある。

社会科学的な視点ではなく、地域研究・文化人類学の立場から、アフリカの現場の力に紛争解決の可能性を見る、という話だった。この『アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究』、これからも目が離せない。

ところで、講座に向かうエレベーターで荒熊氏と出会った。ブルキナでの帰国間際の空港以来である。京都に仕事の関係で引っ越してこられたのだ。いやあ、なつかしい。ニジェールに通う生活をされているらしい。ニジェールは、「ホント、何もない国です。」とのこと。共に並んで今日の講義を受けたのだった。(笑)

海賊船をつくる Ⅰ

背景の制作
月曜日から昨日の金曜日まで、毎日授業を4時間くらいしながら、文化祭の準備の付き添いを7時過ぎまでしてきた。放課後の当番もちろん学年で輪番にしているのだが、クラブ顧問で遅い先生もおられるし、皆さんこういう特別活動に熱心なので、結局輪番はあまり意味がない。(笑)

昨日のSHRで、この三連休の動きの最終確認をした。リーダーの女生徒が「三日ともやります。」と強い決意を示した。私は1日くらい休養日をつくってもいいと思ったのだが、生徒が頑張るというのなら仕方がない。昔なら全部付き合うのだが、月曜日だけ学校に行くつもりだ。生徒には、私の予定(今日の通院・京大の公開講座、明日のラグビーの試合)を伝え、付き添いについては、はっきり約束はしなかった。こういう場合、私は教師は絶対約束を守らなければならないと思っている。教師と生徒の信頼関係構築には、約束を守る、ウソをつかないという最も基本的なことが最重要である。4月からつきあいが始まった我がクラスの生徒は、私が疲れているコト、体調が悪いコトは了承している。それなりに気を使ってくれているようだ。だから、あえて約束をしなかったわけだ。

『黒ひげ危機一髪』のほうは、だいたい出来てきた。これで得たノウハウをもとに、次にいよいよ巨大な海賊船つくりなのだが、これは授業が全部終わる火曜日の放課後からしか制作できない。火・水・木・金の放課後で作りあげなければならない。背景となる青空と海は、すでに作りかけている。50mのロール状の模造紙を3つにわけて、青空と海を渡り廊下で、3回に分けてペンキ塗りしている。昨日「空のグラデーション」の部分が完成した。今日、背景グループが海の部分を塗ると言っていた。他の教室の装飾用のパーツも徐々に準備ができている。

デザイン担当の生徒やリーダー生徒と相談して、この3日間にしておく作業については打ち合わせ済みだ。さて、どれくらい進むだろうか。昨日は、コツコツ作業を進める女子たちが、遊んでばかりの男子に不満をもらしていた。(笑)いいぞ。ぶつかって欲しい。イベントで学ぶことは多い。最終の出来栄えも大事だが、そういう過程での喧嘩や泣き笑いがそれ以上に大事だと私は思っている。

明後日学校に行ってみて、どれくらい進んでいるか楽しみである。様々な調整も必要かもしれないが、それもまた楽しみ。それまで少しばかり身体を休めて来週の戦いに備えようと思う。

2012年9月13日木曜日

『黒ひげ危機一髪』をつくる Ⅲ

毎晩7時過ぎまで、クラスの生徒が残って文化祭準備をしている。短縮授業ではなくなって、放課後にはヘトヘトなのだが、結局最後まで付き合うことになる。(笑)作業の合間に、生徒に声をかけるのも楽しい。さてさて、進捗状況を報告。

前回のエントリー(10日)では骨組みのテストが終了した時点だった。今日の時点ではだいぶ完成に近づいてきた。みんなでワイワイやるものだから、私から見たら労働生産性が低い。(笑)まあそれも大事なことなので、見守っているところ。

枠組み完成→新聞紙をはる→段ボール貼り付け→ペンキ塗りとだんだんと完成に近づいている。

2012年9月12日水曜日

ソマリアのシャバブの記事

モーニングで朝日新聞を読んでいたら、久しぶりにソマリアのことが載っていた。21年ぶりに大学教員のハサン・マハムード氏が新大統領に選出されたという。とはいえ、内戦状態は続いている。今日の記事は、この話よりも、AU(アフリカ連合)軍と戦うアルカイダ系のイスラム武装組織シャバブの元戦闘員のインタビューが中心だった。

「ソマリアに政治的規律を与えてくれる。」と思い、シャバブに参加したしたという農民の話である。しかし、実態は醜悪で、暴力による規律以外の何物ではなかったという。シャバブは10代前半から20代の若者に自爆テロを推奨しているらしい。「敵を一人殺せば天国に行ける。親族70人の安全な暮らしが保障される」といううたい文句らしい。

「イスラム法がソマリアを救う」と思い参加した農民の話。だが、イスラム法に無関係の振舞いを度々目にした。アフガンやイラクからきた指揮官や戦闘員もたくさんいたが「市民にひどい扱いをしていた。見込み違いだった。」

少年兵の話も書かれていた。学校に自動小銃を持った15人の男たちがやってきて連れて行かれた。「シャバブを信じ込むか、黙るしかなかった。」3ヶ月後、$400を母親が寄付することで解放されたという。

シャバブに対して厳しい批判を向けている杉山正氏の署名記事である。この記事の信憑性をあえて疑うつもりはないが、暗澹たる気持ちにさせる記事であった。今日もリビアの米国領事館が襲われ、大使が殺害されたらしい。

イスラエルでも感じたことだが、一神教的な正義には、なかなか妥協点を見いだせない。融通無碍な日本製の価値観、悪評も多いが、時として平和学的な価値を見出してしまうのであった。

2012年9月11日火曜日

「捨て石」という生き方

自民党総裁の谷垣氏が総裁選出馬を取りやめたというニュースが流れた。野党に転落した自民党の総裁として、「捨て石になる」と宣言し、火中の栗を拾った谷垣氏であった。私自身は、自民党の支持者でもなんでもないが、「捨て石」という言葉には「美学」を感じる。

谷垣氏は、今回総裁選に立候補を表明した。総選挙があれば首相の目もあるわけだ。こういう時は、どっと総裁選に出馬する人が出てくる。谷垣氏では、自民党の選挙の顔としては人気不足だという理由で、結局総裁選出馬を撤回することになった。政治の世界は、所詮権力ゲームであるから、この流れは妥当な話なのだろう。谷垣氏はホントに「捨て石」になったわけだ。さてさて、「捨て石になる」と宣言した谷垣氏にとっては「本望」なのだろうか。あるいは、「捨て石になる」と言ったのは、単なる「ええかっこ」だったのだろうか。

政治の世界に限らず、「捨て石」になるというのは、凄い覚悟が必要だと思うのである。『葉隠』ではないが、「捨て石」になるということは、生き方というよりは、死に方と言ったほうがいいと私は思う。

いかに死ぬか。それはいかに生きるかということでもある。50歳を過ぎて、いかに美しく教師をやめるか、ということを考えるようになった。自分を取り巻く環境の問題ではなく、自分の気力・知力・体力上の問題で、私の思うような授業や生徒指導をが出来なくなったら、教師をやめようと最近考えるようになった。(今現在は、かなり体力的にきついことは事実だが、思うような授業も生徒指導も出来ている。今日も19:00過ぎまで文化祭で生徒と盛り上がっていた。…ご心配なく。)

「理想に生きることをやめた時青春は終わる」というのは、私の座右の銘だが、私には朱夏はない。白秋も玄冬もない。そんなことを考えていたのだった。…煙草、やめようかな。

2012年9月10日月曜日

『黒ひげ危機一髪』をつくる Ⅱ

黒ひげ危機一髪の枠組みと頭部
この土日は、血中酸素濃度のこともあって、クラスの生徒が文化祭準備しているのだが、決意して静養していた。(昨日の検査では92/100だった。94まで回復したが、かなりヤバイ。)でもやっぱり気になるので、朝一番に教室に行ってみた。さてさて、どれくらい進んでいるのだろうか。

「黒ひげ危機一髪」は、先週から机のバネ機能を囲むように、木の枠組みが出来ていた。これにベニヤ板の代りに段ボールを重ねたモノで上部、中央部の円形の枠組みがプラスされていた。バネ機能はほぼ完成しており、「黒ひげ」の頭部となる発砲スチロールがなんとなく削られていた。(笑)

まあ、私の期待していた70%くらいの仕事は進んでいるようだ。私がなにより心配しているのは、新聞紙を糊で固めて作った曲線状の樽の枠組みがうまく機能するかであった。これはまだ組まれていない。うーん。

新聞紙を糊で固めた曲線状の樽の枠組み
こういうイベントでは、マネジメントするリーダーが絶対必要だ。工程表や、様々なヒントを与えていたのだが、リーダーが育っていないようだ。うーん。私が全面的に指示すれば、どどどっと動くのだろうが、出来るだけ自主的にやらせたい。今日の放課後もギリギリまで待っていたのだが、教室を覗いてみると、みんな困っていた。中央部の円形の枠組みを設置できたのだが、どうもフニャーとしている。このままでは、曲線状の枠組みがつけられない。「どうしたらいいですかねぇ。」仕方なく、角材で補強する指示をした。男子がはりきって、角材を切り、金槌をたたく。指示すればやはり、どどっと動くのである。(笑)たるみは治った。さあ、合わせてみよう。

ついに樽らしくなった枠組みを後ろに運ぶ
ところが、どうも長さが合わない。すると、最もリーダーシップを取っている女子生徒が、「自由に長さを調節するように作りましたよぉ。」糊で固めた曲線上の新聞紙の上下には段ボールが付けられていた。ハサミでチョキチョキ。おお。ぴったり。下校時刻寸前、何本か取り付けることができた。「やったー。樽ですよ、樽。」これで明日には骨格は完成できるだろう。

背景に使うロール状の50mの模造紙の注文も、事務所経由で朝のうちに済ませておいた。まだまだ山あり谷ありだろうが、午後7時前にはクラブを終えた生徒も帰ってきて25人くらいになっていた。未完成の『黒ひげ危機一髪』の骨組みを授業の邪魔にならないように、後ろに運ぶ。歓声が起こった。こういう場面に接すると、担任はホントいいなあと思うのである。

2012年9月9日日曜日

国際航空宇宙展に行くべきか?

金曜日だったか、モーニングで日経を読んでいたら全ページ広告が目にとまった。名古屋で「国際航空宇宙展」というのが10月中旬に開催されるらしい。いわゆる国際見本市的なイベントが中心のようだ。愛知県は日本の航空産業(国防産業も含めて)の中心地だ。ふーん、なるほどと良く読んでみると、第二会場である中部国際空港で、航空機の展示もあるらしい。ヒコーキ大好き人間としては、ちょっと、行ってみたいなと思ったのだった。妻にとりあえずメールしてみた。

家に帰ると、妻が盛り上げっていた。WEBで調べると、最終日にブルーインパルスが来るらしいのだ。妻は、昨年の岐阜基地祭に行って以来(昨年11月27日付ブログ参照)ブルーインパルスの大ファンになってしまった。「行こ、行こ。」とうるさい。(笑)問題は、何時からのフライトなのか、WEBでは全く不明なことだ。展示される航空機も、民間機が多く、B787は予定はされているが、今のところ未定らしい。うーん。どうしようか。日帰りで行くことになるだろうし、どうも日程のイメージがつかめない。

妻と冷静に語り合ったところ、とりあえず静観してみることになった。でもあきらめたわけではない。ブルーインパルスの、素晴らしいアクロバット、そして爆音と航空燃料の匂い。うーん、たまらん。

2012年9月8日土曜日

劇場のイドラと時任三郎

フランシス・ベーコン
1年生の現代社会では、今近代ヨーロッパ哲学史をやっている。早いクラスは、すでにデカルトの第一証明(有名な「我思う故に我あり」の方法的懐疑)、第二証明(神の存在証明)、第三証明(物体の存在証明)をやってる。高校の教科書では、第一証明で終わっている場合が多い。理由は簡単で、あとは難解だからだ。しかし、コギト(思惟する自我)と物体の存在という二元論を理解しなければ、スピノザやライプニッツに繋がらない。大陸合理論を語らないと、カントの先天的認識形式に繋がらないし、形而上学の復活をめざした道徳形而上学に繋がらない。で、物体の存在証明に不可欠な神の存在証明を避けるわけにはいかないわけだ。

うわー、難しくなった。(笑)でも倫理の教え子なら、なんとなく思い出すはず。(笑)大学へ行ってから役に立つ哲学史である。あまりセンター試験にはでない。(笑)でも必要不可欠という信念で30年以上教えている。

で、今日はそのデカルトの前の話。イギリス経験論のベーコンの話である。ベーコンは、面白い。実験や観察で帰納法的な認識を説いた最初の人物である。ベーコンにはセンター試験にも良く出る4つのイドラ論というのがある。この中でも、スコラ哲学をボロクソに批判した『劇場のイドラ』というのがある。「ウソの話を本当のように見せる」というイドラ(偏見)を破すという話だ。私は、いつも、このイドラを説明する時には、時任三郎の話を出す。

昔々、私が結婚した頃だから30年以上も前の話になる。妻と、なんとなくTVドラマを見ていた時のことだ。学園ドラマだった。学制服姿の背の高い男が出てきた。「うん?」妻に声をかけた。「なあ、こいつ、時任に似てる。」「え?あ、ホントや。」「声も時任そっくりやんけ。」(私と妻は高校時代3年間同じクラスの同窓生なのである。)最後に出演者のテロップが流れて、「時任三郎」とあったのだ。「えー、あいつ俳優になったんや。」と、2人で大騒ぎしたのだった。実は、俳優の時任三郎氏は私の高校時代、隣のクラスにいた。生徒会副会長で、私は文化祭実行委員長。いっしょに仮設ステージの上で前夜祭の司会をした仲である。時任三郎氏は、上半身裸で、16弦ギターを弾いていた。(ホントの話)体育祭の時は、木材工芸(現インテリアデザイン)科の応援団で、私も図案科の応援団をしていた。王将のギョーザを食べに行ったり、生徒会室で夜遅くまで語り合った仲なのである。彼が大阪芸大に進学後は疎遠になっていた。数年後、TVで急に再会したのだった。

当時、私はもう高校教師だった。同じ歳の彼が高校生の役をしていたわけだ。俳優という仕事はまさに、ウソを本当のように見せる仕事である。「劇場」のイドラとは、ベーコンもうまいことを言うと思っている。

ところで、昔は私が時任三郎の高校時代の友人だと生徒は知ると、大いに盛り上がったものだ。彼も、キャンディーズのスーちゃんや宮崎美子といった私の大好きな女性タレントと共演したりして腹立たしかったが、今年は「Drコト-でかしこい子供のおとうちゃんの漁師役だった。」と紹介するようになった。それなりに歳をとったよなあ、お互い。それが、ちょっと悲しい。(笑)

2012年9月7日金曜日

東アフリカで住友化学が健闘

ナクル湖国立公園のロッジにて
住友化学と言えば、マラリア予防蚊帳を現地生産していることで有名だ。何度洗濯しても5年もつという。ただ、少し価格が高くなるので普及が進まず、なかなかマラリア対策に役だっていないという話だった。それが、ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダといった東アフリカで、一般小売販売を開始、ケニアでは25%のシェアを得るようになったらしい。都市部のアフリカ2(中間所得層)の需要が伸びているようだ。
http://www.nsjournal.jp/news/news_detail.php?id=310549

ようやく住友化学のBOPビジネスの成果が出てきたわけで、アフリカ大好き人間としては喜ばしいニュースである。私は、アフリカ滞在といっても、ごく短い期間だったのでマラリアにかかったことはない。だが、ケニアのナクル湖国立公園で、蚊にはびびったことがある。JICAが取ってくれたホテルはロッジ形式になっていた。男性教員で反省会を開いた後、日本の蚊取り線香を静岡のM先生にもらい、煙をまきちらしながら自分のロッジに戻ったのだった。そのまま蚊取り線香をバンバン焚いて、普通の蚊帳のあるベッドで眠りに着いたのだが、朝起きてみると、おびただしい数の蚊が落ちていた。日本の蚊取り線香の威力に驚嘆したが、同時にケニアの蚊の多さにも驚いた。もちろん国立公園内のロッジなので、朝窓を開けるとシマウマがこっちを見ていたりする凄い環境だったのだが…。

そんなケニアである。住友化学のマラリア予防蚊帳の需要がないわけがない。普通の蚊帳の5倍の価格といえば高く感じるが、実際は$10~$15程度。アフリカ1(高所得層)は当然だが、アフリカ2(中所得層)にも手が届く価格設定になっている。東アフリカの所得全体が上がればおおいにアフリカ3(低所得層)にも普及するだろうし、2015年を前にして、ミレニアム開発目標のひとつが大きく前進すると思われる。マラリアは、アフリカにとって大きな脅威なのである。

ナクル湖国立公園では、気持ち悪かったし、知識もなかったので、あまり真剣に見ていないが、今なら蚊の中にどれくらい「ハマダラ蚊」がいるか確認するだろうなあ。(笑)

2012年9月6日木曜日

国際協力ステーション2012

いよいよ本校の最大イベントが始まる。20日に体育祭、21日に文化祭で3年生の演劇、22日が我がクラスも制作で参加する文化祭本番となる。今日は、午前中の授業の後、体育祭の「棒引き」と「綱引き」の予選が行われた。8団を5限目と6限目に分けて、それぞれ順位を決め、体育祭当日に同じ順位同士が戦い、8団で総合順位を争うというシステムだ。我がクラスは、 スポーツでは学年のHR合宿でも球技大会でも負けてばかり。あまり意気があがらないのだが、なんと黒団(1・2・3年合同チーム)が「棒引き」で1位になったのだった。久しぶりにいい思いをさせてもらった。当日は、8団中の1位・2位をかけて決戦に臨む。(綱引きはクジ運が悪く、3年武道科を中心とする緑団に負け、5位・6位決定戦に回ることになった。)

文化祭の準備も着々?と進んでいるのだが、この土日や次の三連休も休まず準備を進めることになるかもしれない。昔の私なら、休日返上で生徒に付き合うのだが、54歳ともなると身体がもたない。学年の先生方と輪番しながら適当に休もうと思っている。血中酸素濃度のこともあるし…。今日も授業で、デカルトの神の存在証明と物体の存在証明を熱く語っているうち、滝のような汗をかいた。うーん、ちょっと危ない。(笑)

イベント直前の16日の日曜日はラグビー部の試合を見に行く予定だ。3年生は負けたら引退という公式戦。サッカー部もそういう試合が先日あったのだが、その次の試合を見に行く予定を立てていたら、相手校が意外に強く、PK戦で負けてしまったのだった。地団駄ふんだがもう遅い。だからこそ、ラグビー部は、第3の顧問としては、とにかく見に行くことにしたのだった。

その前日、15日の土曜日は、京大公開講座の日である。なにがあろうと行かねば。今から楽しみにしている。ところで、この日、同じ京都で『国際協力ステーション2012』というイベントが京都駅ビルで行われるらしい。アフリック・アフリカの講演会もあるみたいだが、時間的に厳しいようだ。興味のある方は是非。(今日の画像は昨年の国際協力ステーションの様子)

2012年9月5日水曜日

銀メダリストの必殺技?

女子柔道の銀メダリスト、杉本美香選手が今日、本校に帰ってきた。(6月18日付ブログ参照)壮行会での約束を守ってメダルを生徒たちに見せてくれたわけだ。少し距離があったけれど、私も生で銀メダルを見ることがきた。先ほど、関西テレビ、NHKと、本校での様子をニュースで連続して流していた。

今回、銀メダル獲得を記念して、杉本選手の手形をとり、2つ目(既に世界選手権・優勝の碑がある。)の記念碑をつくることは、教頭が言っておられたので知っていた。校長室で取ると思っていたら、なんと壇上で手形を取ることになったようだ。すると、TVのクルー(カメラや音声さん)がどどっと壇上に上がっていったので、生徒は大いに盛り上がったのだった。こういうライブ感、たしかに面白い。

TVでは、生徒の質問の様子も映っていた。実は、最初の質問が私は一番面白かった。これはTV放映されていない。その質問は「必殺技は何ですか?」というものだった。生徒は大いに沸いたのだ。杉本選手は「必殺技って、それはプロレスでしょ。」と笑った。「柔道では、得意技です。払い腰かな。」と答えたのであった。もし、杉本選手が「ブレンバスターです。」とでも答えだったら、会場は無茶苦茶盛り上がったと思う。(笑)変な質問をした生徒には、TV放映通り、「あとで柔道場集合。」と笑いをとっていた。臆することなく、バンバン質問した生徒と、ウィットに富んだ答えを返してくれた杉本選手に拍手を送りたい。なかなかいい報告会だった。

野球部を中心に、最後に全員で校歌を合唱した。杉本選手への何よりのプレゼントだと思う。

2012年9月4日火曜日

ギニアビサウ vs イラン

今朝モーニングで、日経を読んでいると、イランがトルコから「金」(Gold)をかなり輸入しているというニュースが載っていた。どうやらアメリカ等の経済制裁で金融機関がうまく使えないので「金」で決済しているらしい。凄いな…。というのが正直な実感だった。
さて、WEBでアフリカ関係のニュースを探していると、またまたイランの話が出てきた。ギニアビサウと協力拡大を行うらしい。先日のエジプトとの外交戦といい、イランは座して瞑想にふけるような国ではないようだ。

ギニアビサウという国は、セネガルの南にある旧ポルトガル領の小国である。だいたいが、旧ポルトガル領は内戦で苦しんできた。アンゴラもモザンビークも、そしてギニアビサウもである。
日本外務省のODA関連のHPのデータブックによると、天然資源もなく、農業も湿地とサバナで、極めて不利な開発状況にあることがわかる。HDI(人間開発指数)では164位/169カ国(2010年)であるのも頷ける。イスラム教徒は約50%、キリスト教徒は10%、その他はアニミズム。北のセネガルも南のギニアもイスラム教徒が主体なので、もっとイスラム教徒が多いのかと思っていたら意外でである。イランは、そんなこの国と協力拡大をする、と宣言したわけだ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/kuni/11_databook/pdfs/05-11.pdf
なりふり構わず、アフリカの諸国を味方につけて国際社会での外交戦に役立てたいとイランは考えているようだ。AU(アフリカ共同体)では、気前よく各国に支援していたリビアのカダフィが退場した。その後継を目指すのかもしれない。アフリカ諸国は、その辺よく考えて、うまく立ち回っている、なかなかの外交上手な国も多い。

そう、外交戦では沈黙は「金」ではない。

2012年9月3日月曜日

アフリカ教育関連情報に学ぶ

舩田クラーセンさやか先生のブログ『アフリカ教育関連情報』9月1日付は凄い。タイトルは『国際協力に関心のある皆さんへ:10年以内に日本の援助産業は斜陽産業へ。だから?』

舩田クラーセンさやか先生は、東京外国語大学准教授。現在、モザンビークにおられるようだ。世界的な経済の停滞からくる日本のODA政策の将来について、かなり悲観的な内容が綴られている。現場をよくご存じの先生の言である。なかなか重い。
たしかに、アフリカへのODA支援は斜陽化していく可能性が高いと私も思う。では、国際協力を志す多くの若者に未来はないのか?それは違う。先生は、政府ODAという「援助」ではなく、ビジネスとして、貧困を改革する道を応援したいとのことである。これは私も全く同感。「援助」から「投資」へ。開発経済学の方も変わりつつある。当然だが、「投資」といっても、腐敗と格差の再生産にならないように、本当にアフリカの人々(特に農業に携わる人々)が必要としている「投資」であるべきだ。先生は、ここで、『見抜く力』について語られる。まさに、その通りだと敬服する。50を過ぎたオジサンとしては、先生のおっしゃる『見抜く力』の必要性、強い実感を持って同意する。結局は人間力なのだ。日本で自分を鍛えてからでも十分間に合う。若者よ、焦るな。

関心のある方は是非ご一読願いたい。
http://afriqclass.exblog.jp/

2012年9月2日日曜日

シオラレオネのコレラ渦

シオラレオネで、コレラによる死者が続出しているというニュースが流れている。どうやら6月からの雨季の影響で、衛生状態が悪い故に蔓延したようである。ジンバブエに続いてのコレラ渦。様々なところが、支援に乗り出している。最近は様々な地方公共団体が積極的に義援金を募っているようである。実に良いことだと私は思う。

一方、メタウォーターという会社が、車載式の浄水装置事業をケニア、マラウイ、トーゴで順次出荷するというニュースが日経から発信された。1台で、3700人分の飲料水(生活用水)を濁り水からまかなうことが出来ると言う。発電機とともに車載して、電気のないところでも運用できるらしい。

おそらく軍用では、こういう装置を持っている国が多いと思う。(そもそも、悪魔の飽食で有名になった731部隊は、こういう任務が主だった。)おそらく軍用故コストが高いのだと思われる。それをビジネス化するところに価値がある。メタウォーターには、是非とも頑張って欲しい。アフリカでは、こういう需要が大きいはずだ。

できれば早急にシオラレオネに送って欲しいと思うのは私だけではないと思う。日本赤十字社が何台か買い取って運ぶというのはいかがだろうか。

血中酸素濃度の話

週に1度は、ホームドクターのような存在であるH鍼灸院に行く。ここ2日ほどは夜の気温が下がって風邪気味だった。さて、ベッドに横たわると、H先生がいつも聞く。「どうですかぁ~。」「目が疲れている。」「肩がこっている。」「足がつった。」など様々な症状を言うのだが、今日はちょっと違った。H先生が「うーん。」と脈診をしていた顔が曇った。まず「ちょっと、チクリとしますよ。」と普段打たないところに鍼を打った。だいたいこういう時は、なにかあるのである。

H先生が変な機械を持ってきた。指にはさむらしい。だいたい私は治療中目をつぶっているので、何をどうされているか分からない。「うーん。」とH先生。さすがに気になったので、何の機械か聞いた。「これは、血中酸素濃度をはかるものです。」「何それ?」「最初の脈診で、心臓の鼓動が無茶苦茶早いので、まずそれを下げました。」うむ。確かに左手の変なところに打った鍼のようだ。なぜか左のほっぺたに電気が走った。(笑)「背中にお灸もすえたり、いろいろやったので、少しマシにはなりましたが…。」「まだまだ問題があると…。」「血中酸素濃度が最初93くらいだったと思います。今はなんとか95くらいまで上げましたが…。当分煙草を少なめにしないと危ないです。」「?」ここで若いS先生登場。「普通、98くらいです。93以下になると入院、90くらいだと倒れます。」…「ゲゲゲッ。」

少し調べてみた。あの機械、パルスオキシメータというらしい。ただ指に挟むだけで血中酸素濃度がわかるという優れ物らしい。それにしても、かなりヤバイ状況だと分かった。ちょっと煙草を控えようと思う。そういえば、最近ふっと先生や生徒の名前が出て来なかったりすることがちょくちょくあるのだ。なんか意識が飛んだような感じがする。…ホント気をつけないと。

2012年9月1日土曜日

知識人・中沢新一が動き出した

昨日だったか何気なくTVを見ていたら、中沢新一が出ていた。中沢新一と言えば『チベットのモーツァルト』で売りだした、浅田彰と並ぶ私たちの年代のオピニオンリーダーの一人である。ポスト構造主義的な視点は今や大きな流れになっているが、私なども大きな影響を受けたものだ。TVでは、彼が代表をしている「グリーンアクティブ」について述べていた。ぼんやり見ていたので、あいまいな表現になってしまうが、「3.11以後、日本は変わったのだ。」という彼の言は、まさに私の中でも、ほんやりと「言霊」となったのだった。…なるほど。中沢新一の言おうとしていること、政治的危機感には共鳴できるものがある。知識人として、学術や文芸や言論の場だけではなく政治的にも行動することを彼は選択したのだった。

ところで、今、吉本隆明を読んでいる。もちろん文庫本だ。『世界認識の方法/中公文庫・本年8月25日改版発行)』初版は、古い。1984年2月10日。題名と、吉本隆明とフーコーの対談(1978年のことらしい。)が載っていたので思わず買ってしまったのだった。当然だが、かなり難解な本である。高校生に授業で説明するつもりで平易に最初の何ページ分かを解説してみたい。

吉本隆明は「戦後思想界の巨人」と呼ばれた左派の論客で思想家・評論家である。一方、フーコーはフランスのポスト構造主義の哲学者。吉本がフーコーに質問する。「マルクス主義を始末できるのか、できないのかということを考えている。フーコーさんは著作を読むと始末したように見える。意見交換をしたい。」それに対して、フーコーはおよそ、次のような回答をするのだ。

「20世紀の社会的=政治的な場における想像力が貧困になったのは、私はマルクス主義が重要なな役割を演じているからではないかと考えている。私がいかにしてマルクス主義と縁を切るかということを書いたのはそういう理由である。吉本さんが、マルクスとマルクス主義を分けて考えていることは正しい。マルクスは歴史的事件でありこれを抹殺することはできない。だが、マルクス主義は、権力のメカニズム・権力の力学の総体である。(フーコーは「権力」の分析で世界の構造を明らかにしようとした。)スコラ哲学や儒教のようにいかなる機能を演じたのかを分析する必要がある。私は、①理性的・合理的な考え方の中で、科学として扱われてきたこと。(マルクスの社会主義思想は科学的社会主義と称する。)科学である限り真理をめぐって拘束作用をもつ。②(唯物史観によって)予言性(資本主義社会はプロレタリアートによる階級闘争の勝利によって社会主義化する必然性がある。)をもっている。③フランス革命以前の国家はきまって宗教に基盤をおいていた。フランス革命以後は、いわば哲学(社会思想)を基盤に置くことになった。マルクス主義は、それが顕著である。これらの三側面から見て、マルクス主義の権力関係の力学から自由になることが、問題である。」
「マルクス主義は19世紀的で、そこにおいてしか機能していない。マルクスは決定的な真理の所有者ではない。さらに、マルクス主義政党下では様々な重要な問題が排除されてきた。…」
この後さらにニーチェの「意志」の話や階級闘争の「闘争」の意味が西洋哲学では解明されていないことが述べられていく。このエントリーではとてもそこまでは書けない。(笑)

さて、中沢新一である。フーコーは、マルクス主義の権力構造を覆すものとして、様々な社会的な運動に意義を認めている。知識人、学生、囚人、最も下層にある人々…。今の日本は当然マルクス主義の政治構造ではないが、「想像力が貧困」な政治状況であることは間違いない。権力をめぐる醜悪なねじれの構造が、さらに「想像力を貧困」にしている。私は別に知識人・中沢を応援する立場にはないが、少なくとも「哲学」がそこにある。あらゆる深刻な問題を前に、人気を得るためにはどう判断すべきかを選択し、小出しにしながら8つにまとめるような「無哲学」の輩よりは、はるかにマシだと思うのだが…。