2012年9月23日日曜日

『零の遺伝子』を読む

F22
文化祭の壮絶な戦いが終わったので、今日のエントリーは、久しぶりに書評を書きたいと思う。、
『零の遺伝子ー21世紀の「日の丸戦闘機」と日本の国防』(春原剛著・新潮文庫/本年8月1日発行)を長い間コツコツと読んでいた。文化祭準備での疲れが溜まって通勤時は寝てしまう事も多く、また、この本はかなり専門的な話(航空工学分野と日米の国防政策の内容など)が多い故に少々時間がかかったわけだ。著者の春原氏は、以前書評をエントリー(11年11月24日付ブログ参照)した「在日米軍司令部」など日米の様々な問題に切り込んでいる。

今中国との問題や原発の問題が大きく取り上げられているわけだが、これらは全て日米問題でもあると私は考えている。オスプレイの問題でも、日本は本当に独立国家なのか?という素朴な疑問がも露呈している。この本は、そんな日米関係の思索にとって重要な示唆を与えてくれる。

この本の本題は、日本が国産の第5世代の戦闘機(F22に代表されるようなステルス戦闘機)を開発するべきか否かという問題である。戦後、民間機も含めて航空機生産を大きく制限されてきた日本。特に戦闘機に関しては、政治的な問題からアメリカの戦闘機を購入・ライセンス生産、そしてF16を元にF2を共同開発してきた。本のタイトルは、ゼロ戦の遺伝子をいかに守り抜くかという関係者の想いが凝縮されているわけだ。「心神」というコードネームで呼ばれる国産の第5世代の戦闘機というより実験機のプロジェクトが進んでいるらしい。

この本の主役は、実はF22である。このF22は極めてステルス性に優れてる。読んで驚いたのは1度の飛行ごとにステルス機能のメンテナンスが必要だということだ。しかし「自動車ぐらいの大きさのものがレーダー画面ではゴルフボール大にしか映らない。」(防衛省OBの言)
それに対して「心神」はフランスでの機体実験(機体構造しか出来ていないからだが…)では、サッカーボール大くらいにレーダー映るそうで、かなりの技術的格差がある。F22は、中国や北朝鮮の軍事筋にとって、大きな脅威であるらしい。このF22は、航続距離が長く攻撃をした後もドッグファイト(空中戦)が十分可能で、F15イーグルが束になってかかってもかなわなかったという実績を持つ。

F35
当然日本としては、老朽化したF4ファントムの次期戦闘機(FX)として、F22が欲しい。だが、あまりのの強さにアメリカ政府はいくら同盟国日本でも渡せないという意見が多い。安全保障上の理由と、技術の秘密保持という側面があるようだ。もちろん経済的には高く日本に売り、生産ラインの原価償却、雇用維持というメリットもある。F22を日本に配備しようとする親日派有力者の動きもかなりあったようだ。だが、結局イギリスやカナダ等とも共同開発したF35A(Aは通常型・Bはハリアーのように垂直上昇機能をもつ。)になってしまった。F35はF22より、戦闘能力が落ちる。アフターバーナー無しで超音速飛行はできない。

日本としては、このF22の問題で、『同盟国アメリカ』の国益と真正面からぶつかったわけだ。この航空機の開発、単に軍事面に留まらない。最先端故にあらゆる技術開発の源となるのだ。アメリカとしては、自動車での最先端を日本に譲ったとしても、航空宇宙分野や軍事面でのソフトウェア、さらには原発などの分野をおいそれと『同盟国日本』に渡さない。死活問題だと考えている事は確かだ。F4でも、日本に配備されているF4Jにはアメリカで使われている重要な装置は搭載されていないし、F2にもF16の重要なソフト部分はブラックボックス化されている。海上自衛隊のイージス艦もステルス機能は省かれた。安全保障面では、常にボスであるアメリカが最強の武器を持ち、子分はそのひとつ下の武器を持たされるわけだ。しかも足元を見られて、高く売られている。

武器輸出三原則があるので、日本の軍事産業は需要が防衛省だけで少ない。当然供給も少なくなり、コストが高くつく。だが、こういう先端技術開発他の分野にも転用でき、日本の産業界にも有益だという大きなメリットがあるわけだ。で、少ない予算でコツコツと開発を進めているというのが現状らしい。

さて、これから日本はどうあるべきなのだろうか。普天間以来、日米関係はギクシャクして、オスプレイ配備でもめている。その隙間をつくような尖閣諸島の問題。アメリカの子分として生きるのか、(そういう状況から)独立するのか?おいそれと結論を出せる問題ではない。

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