2019年2月28日木曜日

PBTの話(13) 美術と鏡

Y君が今日受験した大学の小論文のタイトルは「美術と鏡」だったそうだ。メールを受けて、私の脳裏に浮かんだ美術作品は、サルバドール・ダリのガラを描いた作品である。タイトルは…、すぐに思い出せなかった。ダリの作品はある程度、タイトルまで覚えているのだが…。調べてみたら「立体鏡的の中のダリとガラ」だった。ちょっと、私も小論文に挑戦してみようかと思う。なぜなら、Y君の受験した学科に一時私も憧れていたからだ。

サルバドール・ダリの作品の中に、愛するガラを鏡を使って描いている作品がある。ダリの後期の作品には、ガラを描いたものが多い。代表的な「ポルト・リガトの聖母」では、聖母マリアにガラを置き換え、ダリの後期の特徴である原子物理学的な手法を使い始めている。ダリにとって、ガラは愛する人であり、モデルであり、そして母である。ジョン=レノンにおけるオノ=ヨーコ的な存在だといってよい。
この鏡を使った作品には、いくつかのシュールリアリズムの特徴がある。ガラとダリ本人の自画像を鏡に映すことによって、モデルとそれを描く画家としての2人の関係を見事に描いていること。この絵には、鏡という空間の中にリアリズムを押し込めてあること。ダリの描いているキャンパスには、ガラの後ろ姿など、何も描かれていないこと。
この作品が、極めて超現実的な芸術作品であることは、この3点から読み取れるわけだが、私が最も重視するのは、ダリが絵筆をふるうキャンパスには、何も描かれていないことである。ダリは、基本的にはパラノイアであり、特に後期は、様々な事物を作品の中に押し込みすぎるというきらいがあった。この無地に描かれたキャンパスが、見る者に新たなイマジネーションを想起させる。ダリは、リアリズム的にガラの後ろ姿を描いているのか?それとも、まったく違う姿を描いているのか。単に絵画のバランスのために、単色に仕上げたのか?
鏡に描かれたリアルな2人。それを描いているダリの無地のキャンパス。この対比がこの作品に込められたもののような気がする。鏡に映る姿が光であれば、ダリの無地のキャンパスは影である。この時期、ダリとガラの間に何か葛藤があったのかもしれない。そんな空想を書き立てる作品であり、鏡というモチーフは、そういった空想をかきたてるにふさわしいツールであるといえよう。

まあ、なーちゃって作品論に堕してしまったが、これで何点ぐらいもらえるのだろうか。2月になって、社会科学の小論文的なエントリーを多発してきたが、2月の最後の日である。1人だけ芸術系の大学受験に勇んで戦ったY君に贈りたいと思う。

2019年2月27日水曜日

ハノイとカシミールと。

ハノイでは、米朝の第二回の首脳会談が行われている。どうなるか、予測もつかない。今日のところは、推測記事ばかりで、エントリーするような情報はない。一方、インドとパキスタンのカシミール紛争が再発した。こちらもまたどうなるか余談を許さない。

ちょうど、明日F42のEクラスで、インド・パキスタンの話をするタイミングで、カシミール紛争が42年ぶりに再開してしまった。そもそもは、イスラム過激派のテロが発端らしく、ムスリム学生に対して説明することが難しい。このジェイシモハメドは、カシミールのインド支配に反対する過激派組織だとAFPは伝えているが、イスラム復古主義的な組織である可能性もありそうだ。インド側の報復は、総選挙前の強い指導者像をアピールするためのものだという指摘もある。両国とも核保有国であり、どちらにせよ、不毛かつ危険な話である。
http://www.afpbb.com/articles/-/3071963
https://jp.reuters.com/article/india-kashmir-foreignsecretary-idJPKCN1QF0Y6

…なんとなく、いやな感じがする。それは私だけだろうか。

2019年2月24日日曜日

「日米の架け橋」D・キーン氏

D・キーン氏が逝去されたというニュースが流れた。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO4168571024022019000000/

D・キーン氏は、海軍の日本語学校で、日本語を学んだ。これは、(極めて少数の)日本軍捕虜から情報を聞き出すために、日米開戦後、アメリカが開校した学校だ。こういう戦略的な思考ができる国に日本は戦いを挑んでしまったわけだ。捕虜から聞き出した情報をもとに、B29が、工場地帯を爆撃する際も、どこに爆弾を落とせば最も効果的かというような地図が作成されている。キーン氏はそういう所で日本語を学んだわけだが、やがて日本に魅せられ、日本文学の研究者となり、多くの文学作品の英訳を手がけた方だ。文化功労者、文化勲章も受賞している。

ところで、PBTで面接練習をしていて、「マレーシアと日本の架け橋となりたい」などと、最初学生は言い出すコトが多い。その志はともかくも、私は、実はこのレトリックが好きではない。架け橋となれるような人物は、希少である。架け橋になる、ならないは、その功績で決まる。他者が決めることだと私は思っている。ラザク先生しかり、マハティール氏しかり。

しかし、D・キーン氏は、日本とアメリカとの架け橋だと言っても誰も文句はいえまい。軍事的な理由から日本語を学んぶ機会を得たといっても、それは後の功績から見て微々たることである。反対に、まるで、パウロのごとき回心で、伝説的であるとさえ思われる。

私は、日本文学の徒ではないので、D・キーン氏の功績を論ずる資格もない。しかし、日本文学を志すPBTの学生諸君には、氏の功績を論ずることが出来るまでに成長して欲しいと思う次第。大変な努力がいると思う。だが、ハードルが高いほど、やりがいもある。

2019年2月23日土曜日

24時間戦えますか。

http://alwaysnewstrend.com/6013.html
高校時代の友人に、俳優の「時任三郎」(ときとうさぶろう:本名=芸名)がいる。彼は木材工芸科(現インテリア科)で、私は図案科(現ヴィジュアルデザイン科)だったが、生徒会の副会長と文化祭実行委員長という間柄だった。(プロフィールに生徒会長とあったが、間違い:会長は建築科のAである。)よく生徒会室で、彼の16弦ギターでNSP(ニュー・サディスティック・ピンクと読む:70年代のフォークグループ。時任は納豆・空豆・ピーナッツと呼んでいた。)の歌などを歌っていたものだ。大阪芸大のデザイン科に進んだ彼はその後、俳優となり、「笑っていいとも」を見ていたら、王将の10人前餃子に挑戦した話などをタモリ氏にしていた。私と行った時は5人前で挫折したのだが…。昔は教え子に言うと、超盛り上がり、サインが欲しいなどと言われたのだが、今はもうベテランである。まだ日本にいた何年か前に「ドクター・コト-」というTVドラマで、漁師のオジサン役をしていたのを覚えている。まあ、同じ年齢なので仕方ない。(笑)

さて、時任が人気絶頂だった頃、Rという栄養ドリンクのCMソングを歌っていた。そのキャッチ・コピーが「24時間戦えますか」だった。ビジネスマンに贈った応援歌である。

ところで、今、24時間戦っている。担任をするということは、24時間戦う覚悟がいると私などは思っている。F38Aもそうだったが、今年のF40Aもまさにその覚悟がいる。今年になってからも、毎日のように大小様々なプロブレムが起こり、ひとつひとつ乗り越えてきた。まだまだ全てクリアしているわけではないが、最後まで頑張るつもりだ。時任に、24時間戦っているか?と問われたら、「おう。」と答えるだろうな、と思う。

2019年2月21日木曜日

ジブチの中国的国際協力

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15393?page=4
アフリカの紅海沿岸にジブチという小国がある。エリトリアが独立し、内陸国となってしまったエチオピアの外港的な役割を担っている国である。同時に西側諸国のソマリアの海賊監視のための基地ともなっている。地政学上極めて重要なこの地に、中国が鉄道を建設し、エチオピアと結んでいる。「アフリカ・ジブチに走る中国式砂漠鉄道の正体(前編)」(児玉博)というレポートが面白い。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15393

あまり知られていないが、エチオピアの携帯電話は、中国の独占状態だ。全土の無線のアンテナも全て中国が建設した。中国がエチオピアのために鉄道を建設したのも頷ける。一帯一路への批判が高まる中のレポートなので、あまり好意的に書かれていない。

私は、これまでの中国のアフリカへの国際協力は、あまりに国益が前面に出すぎていて批判的なのだが、このレポートの最後に、これまでのハコもの支援ではなく、中国人がソフト(鉄道運営)を、現地のジブチ人に伝授しているということが書かれていた。これは、中国の国際協力の分岐点になるのか、あるいは特例なのか、まだわからないが、少なくとも、その意義は認めたい。

2003年、東京のJICAで、ケニアに行く前の事前研修の時、ジブチの研修員さんとあったことがある。砂漠化を防ぐことを学びに来られていた人だった。こういう「人」を育てる国際協力が日本のスタンスであるが、ようやく中国がその旨に気づいたということなのだろうか。後編(25日)のレポートが待たれるところだ。

追記1:L君の大冒険がいよいよ始まる。心配だが、無事を祈るしかない。
追記2:このところ、F38のOGたちが、旧正月ということもあって、PBTに里帰りしてくれている。嬉しいものだ。みんな元気そうで何より。

2019年2月19日火曜日

PBTの話(12) L君の大冒険

長かった旧正月が、今日で終わるはずだ爆竹はやめて。
いよいよ、今週、国公立大学組の4名が日本に行く。今日は5限目だけが授業なので、朝から最後の面接指導を行った。おそらく、F40Aの学生諸君とワイワイ話するのも最後かもしれない。午後からは、雑談もたくさんした。なかなか楽しかった。

ところで、前回の面接指導の時にわかったのだが、L君は一人で日本に旅立つそうだ。大抵家族と一緒の場合が多いのだが、なかなか剛毅だ。しかも昼にマレーシアを出て、関空に着くのが夜の9:00すぎ。荷物を取って、宿に向かうという。しかもその宿の最寄り駅はJR「新今宮」。大阪人としては、極めて心配である。NYCでスパニッシュハーレムに泊まるようなもの、といったら言い過ぎかもしれない。「宿泊費が安かったもので…。」とは、L君の弁である。うーん。貴重品に十分注意するよう、また声を掛けられても、反応しないようにと、注意事項を述べておいた。私は、NYCのスパニッシュハーレムをスカウトペース(ボーイスカウトの、歩いては走りを繰り返すこと)で、周りに目もくれず800mほど横断したことがある。(笑)

隣のK先生と「L君の大冒険」の話をしていたら、最近は外国人向けの安宿がいくつもできていて、地元の人とは棲み分けができているようだ、とのこと。ちょっとだけ安心したが、「大冒険」であることには違いない。うーん、よき経験として後で笑える話になって欲しいもんだ。とにかく、「気ぃつけやあ。」としかいいようがない。

そうそう、11月のEJUで決まったJASSOの奨学金の緒書類を渡すことを忘れていた。今日は奨学金を得た4人が皆来ていたのに…。自分にも「気ぃつけやあ。」と言わなければ…。

2019年2月17日日曜日

現時点で韓国の問題を考える12

http://richardcodor.com/?p=1365
日本は今、韓国の問題があって、国民は日々束ねられているように感じる。天皇陛下への暴言とその後の信じられない展開は、それをさらに推し進めた。私はネトウヨではない。地球市民を育てるという志をもつ教師である。(大阪の教育界では在日の児童生徒が多いこともあって、民族教育を推進する立場にあった。)しかしながら、このところの韓国との関わりの中で、心情的にはなんらかの「制裁」もやむなしという立場になりつつある。あまりに常軌を逸しているからだ。(ただし、何度も書いているように、日本で教育を受けた在日の教え子や友人と、かの政権は別問題である。彼らのことを危惧していることは変わりない。)

私は、ネトウヨの人々が言うところの勇ましい「制裁」で韓国を痛めつけることを目的とすることは、「恨」を増幅させるだけだと考えている。彼らの作り上げた「反日の物語」(反日教育を受けてすり込まれた非科学的な妄想の歴史観)を、正規の科学的な歴史に引き戻すことがなにより重要であると考えている。「制裁」といっても、そのためのアクションであって欲しい。

ここにいたって、日本政府はいよいよ、なんらかのアクションを起こしそうだ。ただ、佐藤優氏の言う「中間組織」が、それを食い止めているような気がする。政治経済の教科書では、圧力団体と言われている経団連、また個々の業界団体は、佐藤優氏の書物では「中間団体」であるギルドに匹敵する。私が何度か触れた「支払い信用状」の発効停止も、金融業界の大きな反対を受けているのかもしれない。他にも、半導体や観光業など様々な業界が、水面下で各省と対決して反対をしている可能性がある。

怒りの感情のママに「制裁」に動くより、そういう中間団体が動き、国家の動きを制限することで、ファシズム化を防いでいるというのは、日本がまだまだ正常な民主主義国家で制御が効いているということなのかもしれない。そんな様々なパワーバランスと逡巡の中で、最も価値的な「制裁」が行われることになるのだろうと、我が国の政府を信じたい。

ただ、再度申し上げたいが、哲学が必要だ。その「制裁」が、それこそ隣国の好きなコトバである「未来志向」(私は、反日の物語から解放され、科学的で国際的にも認知される思考に戻ることこそ未来志向だ、としたい。)のために、必要な悪であって欲しい。「恨」を増幅するのではなく、「未来志向」に立てるようになるための…。

佐藤優 サバイバル宗教論8

https://www.cartoonstock.
com/directory/b/benito_
mussolini.asp
いよいよ、最終のエントリー。ファシズムについて。その元祖はムッソリーニだが、佐藤優氏の説明は次のようになる。

1人ひとりがばらばらになっているところで、高度な産業化が進み、金融志向が出てくると、構造的に貧しい下層階級は上に這い上がれなくなる。そうすると社会は弱体化する。その処方箋のひとつに共産主義があるけれど、性善説故にだめだとムッソリーニは考えた。人間は本質において性悪な存在だから、物があると1人で全部持っていきたくなる。人が見ていないと怠ける、人の上に立ちたがる、人を支配したくなる。これは人間の本性であり、共産主義になっても人間の心は変わらないというわけだ。そこで、悪を持って悪を制す、と考えた。国家は悪である。この国家をもって資本主義を制すると、労働者は怠けることがあるので、雇用は確保するが、ストライキは禁止する。国家が間に立つことで全体の調和をして、国を束ねる。この束ねるのが、イタリア語の『ファシオ』。日本語に訳すると『絆(きづな)』になる。日本人を束ねていくということは、反動的に外側を必ず作り出す。非国民をつくるということでもある。ムッソリーニは、ユダヤ人は全く問題なかった。ジェンダー的にも男が威張りすぎていると考えていて、婦人参政権を主張したし、軍で女性将校も登用した。パレートという社会福祉理論の根本を提唱したローザンヌ学派の人物がムッソリーニの師である。彼の経済思想の影響下、戦闘的な福祉国家をつくろうとしたわけだ。

アメリカでも日本でも、ロシアでも知らず知らずのうちに国家、官僚が中心になって、バラバラになった国民を束ねようという発想が出てくる。たしかに社会の矛盾の一部を解決することができるが、一方で必ず非国民を生み出し、官僚支配になる。そして、官僚は社会から収奪することで存在している以上そういう発想から抜け出すことが出来ない。このシステムの抵抗の拠点になるのが、「中間組織」である、というわけだ。

…この本は、臨済宗の僧の研修会での講演をまとめてある。宗教団体は『中間団体』の最たるもので、以前京都の古都税反対に立ち上がったこともある。佐藤優氏は、ファシズムを防ぐひとつの砦が宗教であると結論づけているわけだ。

このファシズム理論の説明は平易でわかりやすいし、モンテスキューの民主主義への警告にある「中間団体」という理論もなるほどと思う。このところ、政治学や国際関係学、社会学を志すF40の学生諸君に向けて、筆がつい進んでしまうのだが、今日のエントリーも参考になるかと思う次第。

佐藤優 サバイバル宗教論7

モンテスキュー法の精神
https://myrp.maruzen.co.jp/b
ook/MontesquieuCharlesLo/
第4講「すべては死から始まる」にも、面白い記述が多い。
カトリックの神父は妻帯しないことについて。ロシア正教・ギリシア正教では、キャリア組(修道院に入り妻帯しない)とノンキャリア組(妻帯できるが出世できない)に別れている。こういう人材育成制度をとっている。オスマン=トルコ帝国では、イスラム教徒から官僚を出さず、キリスト教徒の子供を徴用してイスラム教に改宗させ、官僚組と軍事組に分け徹底的なエリートを養成するデウシルメ制を撮ってきた。これらに共通するのは、権力の継承を防ぐシステムである。権力の継承は、派閥を生み結局は国家が弱体するという発想である。さらにスルタンは4人まで妻をめとるが、数十人にもおよぶ王子を競争させ、1人だけを残し、他は全員殺すというシステムを持っていた。凄いシステムで、精神に変調をきたす王子が増え、結局このシステムは廃止されたが、オスマン帝国は弱体化していった。

…こういう考察は凄い。第4講では、社会の発展をイギリスの社会人類学者・ゲルナーの「民族とナショナリズム」を引用して、狩猟採集社会(社会はあるが国家はない)、農耕社会(社会は必ずあるが、国家はある場合もあるし無い場合もある)、産業社会(必ず国家がある)の三段階の発展で説いていく。現代でも、国家が無くても社会は生き残れる。敗戦直後の日本の混乱期や東北大震災での被災地域など人間のネットワークで生き残ることは可能なのである。ただし、短期間である。長期間となると、どうしても国家が必要になる。

この国家を束ねるためには教育が必要になる。産業社会は、全員が教育を受けている社会になる。でないと資本主義(企業)がうまく機能しないからである。ここで、モンテキューの『法の精神』が出てくる。三権分立の話は有名だが、実はモンテスキューは三巻中の下巻で、民主主義を担保するのは個人の人権ではない。個人の人権など国家権力と対峙したときには簡単に吹き飛ばされてしまう危ういものである。民主主義をどう保全するか?モンテスキューは、その役割を担うのは中間団体だと考えていたようだ。中間団体とは、国家と個人の間にあって、自分の為だけに働いているのではなく、国家の代表でもない、ギルドや教会のような組織・団体を意味している。自己完結していて(経済的にも)自立しているので、国家と対峙しても、基本的に自分たちの助け合いのネットワークでやっていくことができるような組織である。

この中間団体の機能が失われると、ファシズムが台頭してくると、佐藤優氏は言う。ナチズムは確かにファシズムの一種だが同一視してはならない。さて、いよいよ佳境に入ってきた。つづく。

2019年2月16日土曜日

佐藤優 サバイバル宗教論6

救世主ハリトリス大聖堂 https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama/e/5030e4a5db141c9559e8608e66326399
先日、佐藤優氏の「サバイバル宗教論」を読み終えた。備忘録として、記しておきたいことがまだかなり残っている。まずは第3講「宗教から民族が見える」から。

ソ連が崩壊したプロセスの話である。この中心となったのは、やはり知識人(インテリゲンチア)で、フーコーやデリダの本を読んでポストモダニズムの先例を受けていた。しかし、16世紀の自由・平等・合理性などの啓蒙思想で20世紀のソ連を壊した。一方、バルト三国、アルメニア、グルジア(現グルジア)、アゼルバイジャンなどは、民族の権利・名誉と尊厳などのナショナリズムを使ってソ連体制を壊した。結局、ロシアになった後、ロシア民族の復興という運動が盛り上がり、今のプーチンに繋がっているといえる。

そのプーチンが大統領就任式で、あえて、クレムリンにある救世主ハリトリス大聖堂の横を通った。この教会はロシア革命時に、皇帝の菩提寺であった故に破壊され、その後に共産主義の摩天楼を建てる予定だったのだが、地盤の問題で白紙撤回され、結局温水プールが作られたらしい。(人が消えるとかいう様々な伝説が残っている)エリツィン大統領の時代、プールをつぶして前と同じ教会をつくったのだという。就任式には、国内のあらゆる宗教、すなわちロシア正教、プロテスタント、ユダヤ教、イスラム教、仏教の代表者に迎えられ、祝福され、神(や仏)の力をもらった特別な人になるという演出がされた。

ロシア正教の分離派について。17世紀後半にロシア正教で教会改革が起こる。この時、分離したのが「分離派」。その違いは、それまで十字を切る時、(横に)二本切っていたのだが、ビザンチン方式では三本なのでこれにあわせることになった。これに反発し、二本に固執したのが分離(ラスコール)派である。ドストエフスキーの『罪と罰』に出てくる主人公『ラスコーリニコフ』は、この分離派に引っかけた名前なのである。…面白い。しかも、この分離派の人々が、西側のプロテスタントのようにロシアの資本主義化を進展させている。
ロシア革命で、その分離派の財閥の1人が神戸に逃げてきた。これが(お菓子で有名な)『モロゾフ』なのである。…面白い。ちなみに調べてみると、バレンタインチョコを日本で最初に販売したのは、モロゾフらしい。さすが、分離派というべきか。

「韓信の股くぐり」であるハズ

https://twitter.com/usatodayopinion/status/990916216960307200
耳(実際には目だが…)を疑うようなニュースが飛び込んできた。日本の首相が、あの非常事態宣言を出してまで国境の壁を作ろうとしているような米国大統領閣下を、ノーベル平和賞に推薦したという。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41363030W9A210C1000000/

大統領閣下の記者会見によると手紙には「日本を代表し…」とあるようだ。ちょっと信じられないのだが、政治の世界は魑魅魍魎の渦巻く世界である。先日エントリーしたように、台湾の李登輝氏も味方をだましてでも自分の志のために、あえて、というような決定をした歴史もある。私は、日本の首相を支持しているわけではないが、本心から大統領閣下を推薦したのではなく、米国からのオファーに応じた、もしくは隣国の反日左派のリーダーがすでに表明していた故に、外交交渉戦として先手を打ったのではないかと推測している。

この推薦状は100%通らない。記者会見でも大統領閣下はそれを認めている。小事である。それ以上の大事を念頭に置いた「韓信の股くぐり」であると、私は信じたい。

単純に、「そんなアホな。」と批判するのはたやすい。日本の立場を改めてキープしたのではないかと私は直感している。自由貿易を推進するというEUとの共通したスタンス。安全保障面ではアメリカと一蓮托生。自由貿易推進と安全保障上の危機意識というジレンマを抱える対中国との微妙な関係。そして近日中にも予想される対韓国政策。様々な要因を鑑みての決定であったように私は考えている。ただし、米大統領閣下が弾劾され、権力を失ったら、首相もそれなりの返り血を浴びること(米国民主党やリベラルな勢力からの批判等)も予想される。小事とはいえ、まさに諸刃の剣である。

ジンバブエの金廃抗事故

https://www.flickr.com/photos/gregandjannelle/4746250462
AFPの報道によると、ジンバブエの首都ハラレの郊外にある金鉱山の廃坑で浸水事故があり、60人以上が死亡した可能性があるという。私は、このニュースに大きな衝撃を受けた。先進国から見ると、廃坑に違法に入り採掘していたわけで、危険な行為であり、自己責任論が出てくるかと思う。
http://www.afpbb.com/articles/-/3211403?cx_part=top_latest2

おそらくは、ここで不法に金を掘っていた人々は、その日暮らしの人々だと思う。アフリカには、こういうインフォーマルな仕事で日々の糧を得ている人が多い。一杯のサザ(ケニアで言うウガリ:トウモロコシの粉で作った主食と肉と野菜がセットになった定食)を得るために、命がけで危険な作業をしていたのだろうと思うと、胸が張り裂けそうである。

しかし、私はこういう事態を生み出しているジンバブエのガバナンス崩壊のほうがはるかに問題だと思っている。生きていくために、彼らは危険を冒す。構造的暴力の世界がここにある。安全な場所で、彼らに微々たる報酬を与える人々がいて、それをさらに買い求める海外のバイヤーがいるはずだ。

ちなみに、この地域はカドマと呼ばれている。大阪の門真と同じ呼び名だ。ショナ語の発音は、日本語とあまり変わらない。大阪弁で門真と言えば通じることは間違いない。ここは金鉱山の街で、金を抽出するために水銀で洗うので、水銀中毒の人々も多い。

アフリカの貧困は、彼らが作り出したものではない。突き詰めていけば、構造的暴力に帰着することは論を待たない。
亡くなったその日暮らしの、人の良いショナの人々に…合掌。今の私にはそれしか出来ないのである。

2019年2月15日金曜日

文化人類学者 荒熊さんの話題

ブルキナファソに行った際お世話になった文化人類学者の荒熊さん(本名はSさん)の本がまもなく出版されるらしい。「ブルキナファソを喰らう」というアフリカの食についての本である。私はこの3月に一時帰国した際に購入する予定。
明日、東京で、そのトークイベントがあるらしい。高野秀行さんも参加とは、豪華な話である。高野さんの本は何冊も読んだが、中でも「謎の独立国家ソマリランド」は素晴らしいアフリカのノンフィクション作品である。荒熊さん、高野さん、頑張って下さい。
http://cacaochemise.blogspot.com/

ところで、荒熊さんが京都におられた頃、アフリカ教育研究フォーラムの大会に、荒熊さんの発表を聞きに一度だけ参加したことがある。荒熊さんは、ブルキナファソのクルアーン学校やストリート・チャイルドについて研究している都市の文化人類学者なのだ。(私はワガドゥグでフィールドワークに連れて行ってもらった。なかなかできる経験ではない。)以来、毎回フォーラムの事務局から案内メールが毎回届くのだが、マレーシアにあってどうしようもない。ところが、次回は国際基督教大学(ICU)で行われるらしい。我がPBTの教え子L君が在学している。彼の目差す学問とは全く畑が違うが、もし参加できるようだったら、行って見て欲しいな。4月12日(金)・13日(土)於:ICUのダイアローグハウスの2F国際会議場だとか。申し込みは2月22日までだという。

こういう紹介をしていると、ふと、国理解教育学会のことなどを”想って”しまう。毎年のように研究発表をしていたが、マレーシアに来てからは当然会費も払わない幽霊会員になってしまっている。マレーシアを題材にした国際理解教育の研究成果(というほどのものではないが…)は、このブログ内で少しずつエントリーしているつもりではある。でも、やはりまた何処かの大学の教室で、関係の大学の先生方や院生、現役の先生方を聴衆として研究発表してみたいな、と想うのだった。

2019年2月14日木曜日

PBTの話(11) サクラサク(F)

I君が感激したという大学のカフェ
https://deskgram.net/
先日のKLで行われた入試の合格発表があった。今回はなかなかきびしい競争率だったようだが、うち1人が合格してくれた。小論文の内容が重視されたようだ。これから、まだ入試が続く。来週には4人が日本に旅立つ。この教訓を是非とも活かして欲しいと思う。
ともあれ、早くからずっと第一志望として目差してきた大学に合格できて、私も嬉しい。超優秀なI君という先輩がいるので私も安心である。

ところで、今日は秋田から、F36の私費生・K君がPBTを訪問してくれた。3回生になると1ヶ月の海外研修があるらしい。15ヶ国もコースあって、ゼミと連動しているとか。航空機代は大学持ちという極めて恵まれた話だ(今年までらしいが…。)。さて、どこがいいか相談を受けた。私としては、ボツワナがいいと思うが、アイスランドもいいなあと思ったりする。(笑)さっそく、F42の諸君に授業でこのことを伝えた次第。なんか夢が広がる話だ。同期の国費生・A君も経済の勉強に余念がないらしい。ペトロナス入社を目差して頑張って欲しい。我がクラスのM君は真面目で通っているとか…。ほんまかいな…。

2019年2月13日水曜日

クレージー・ナイト

https://blog.goo.ne.jp/t
ennjousenn/e/6f22d7e5934
c2b30ba4683e066f60692
昨夜は、旧正月9日目で、福建の人々の「拝天公」の行事にあたるそうだ。昨年、学生に教えて貰ったのだが、たしかに、この日の花火はなかなかえげつない。「そろそろ9日目かなあ、今年は花火やめてやぁ」と思って、眠りにつこうとしたら、爆竹の音や打ち上げロケットの音が激しくて寝つけない。まるで、大砲を撃つような音が鳴り響く。午前1時すぎ、あまり眠れないので、水を飲んでいたら、ひときわ大きな音が鳴り響いた。カーテンをあけると、今まで見たことのないような大尺玉が上がっていた。
これが、まだ8時や9時なら「タマンデサの福建のお金持ちバンザーイ!」だが、深夜1時である。うーん、先日エレベーターで会ったインド系のおじさんが言っていたように、まさにクレージーとしか思えない。

「拝天公」について調べると、以下のブログに詳しかった。夜中の0時から始まるらしい。ならば、仕方ないかと思いつつも、ハタ迷惑であることには変わりない。
https://blog.goo.ne.jp/tennjousenn/e/6f22d7e5934c2b30ba4683e066f60692

ところで、クレージーと言えば、隣国の国会議長の発言に、国会も含めて日本中が怒りに震えているようだ。笑ったのは、報道内容の言い回しが違うと否定した本人に、インタビューしたアメリカのメディアが、はっきりさせようじゃないかとその音声を公開したという。(このあたり、アメリカらしい。)恥の上塗りである。こんな人物は、ペルソナ・ノン・グラータとして、二度と日本の土を踏ませない方が良い。

2019年2月11日月曜日

PBTの話(10) F女子大入試

https://shinkenchiku-db.com/20150614-2/
昨年はベトナムのハノイで行われたF女子大の私費留学生入試が、今年はKLで行われた。昨年、I君が合格した大学である。彼女の大学での頑張りもあって、マレーシアで行って頂いたように思う。私も、なんとか良い学生を送りたいと、尽力してきたつもりだ。

今日は、10:00から入試ということで、朝8:00過ぎから最終の面接練習を行った。入試会場は、本校から歩いて10分くらいで、旧正月でまるまる10日間ほど使わず、ちょっとばかりさびついたかもしれない日本語を回復する意味合いと、最後の激励というところだ。

2人の学生が受験し、その後面接試験や小論文試験の報告をしてくれた。とにもかくにもご苦労さんである。彼女たちは恵まれている。多くの学生は、日本へ航空機のチケットを買い求め、ホテルを予約し…。合格したらさっそくVISA申請である。お金も手間もかかるわけで、私も横で見ていて、ホント大変だなとついつい思ってしまう。

2019年2月10日日曜日

ウィグル人収容所の100万人

今、教材研究で、アジア地誌のパワーポイントを作っている。日本では、中央アジアの地誌はあまりやらない。カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンなどのイスラム諸国である。今回の教材の流れとしては、中国から東南アジア、中東ときて、トルコまでが1つの流れにした。その後、中央アジアの地誌をやって、それからモンゴル、ロシアという流れにした。中央アジアは、トルコ系もペルシャ系も多いことを伝えたいからだ。一方、ロシアはヨーロッパでもあり、アジアでもある。ヨーロッパ的には東方正教で政教一致の歴史が強いのとモンゴルのキプチャクハン国の影響が大きいからだ。佐藤優の言うユーラシア国家の骨組みを少しだけ伝えたいと考えている。

さて、そんな中で埋もれてしまうのが、中国領になっているウイグルである。今日、トルコがウィグルの収容所を閉鎖する要求を発表したという報道が流れた。100万人ともいわれる人々がひどい扱いを受けている。是非下の記事を読んで欲しい。
http://news.livedoor.com/article/detail/16000766/
https://this.kiji.is/448393665426130017
http://news.livedoor.com/article/detail/16000766/
昔、NHKで「シルクロード」が放送されていた頃、ウィグル自治区は平和でブドウが豊かに実るオアシス世界…そんな印象が強かったのだが、チベット同様、中国の経済発展後は、領土内植民地化の様相を呈している。10年ほど前、修学旅行付き添いで北京を訪れたとき、ウィグル人らしき人の露店があった。ガイドさんに、「話をしてみたいな。」というと、「それはやめたほうがいい。公安(警察)がどこかで見ているはずです。」と、こそっと耳打ちしてくれたことがある。

豊かになると言うこと、経済発展するということには光と影がある。その影の部分についても、学生諸君には自分の頭で思考して欲しいと思うのだ。持続可能な開発は、全ての人々の人権擁護を含んだ概念だ。F42の学生はまだまだ、日本語能力はついていないので、今回はウィグルを含めた中央アジアにはトルコ系のムスリムが多いという紹介だけに留めるつもりだ。いずれ…。

2019年2月9日土曜日

豚コレラと自衛隊

http://chuplus.jp/paper/article/detail.phpcomment_id=618937&com
ment_sub_id=0&category_id=113&from=news&category_list=113
日本では、愛知県や岐阜県・長野県で豚コレラが猛威をふるっているようだ。殺処分するしかないようで、現地の地方自治体の職員だけでなく、陸上自衛隊にも派遣要請があり、愛知の第10師団・群馬の第12師団からのべ1000人以上の隊員が応援に駆けつけたという。特に体重の重い豚の処分に関わったらしい。やむを得ないこととは言え、この任務もかなりきついものになったはずだ。関係者のご苦労に感謝申し上げたい。
http://news.livedoor.com/article/detail/15995566/

震災以後、様々な局面で、自衛隊は活躍している。これまでの自衛隊アレルギーのような感情は、かなり薄まっている。私が教師になった頃から見ると、まさに隔世の感がある。組合が強かった頃は、「教え子を戦場に送るな」というポスターが職員室に貼ってあった。生徒が就職先で、自衛隊を選ぶというのは、かなりの抵抗があった。前任校は、体育科や武道科のある学校で、自衛隊に行く者もそこそこいた。警察官や消防士、刑務官などとともに人気があった。私も自分のクラスではないが、教え子を何人か送り出した。彼らが様々な訓練を受け、通常の人々より強靱で、このような任務にも適応しているのだろうと思うと、嬉しくもあり心配でもある。

自衛隊は、これまで有事を経験していない。訓練中の事故等はあるだろうが、戦死者はまだいない。こういう状況が続くことを、やはり心から望みたい。

現時点で韓国の問題を考える11

隣国の反日教育 この画像は使いたくなかったのだが…。
https://www.youtube.com/watch?v=zMUWlZNWOcE
隣国の国会議長が、陛下に従軍慰安婦と呼ばれている婦人に対し直接の謝罪を要求したそうだ。(コトバは若干丁寧ではあるが、内実はゆるしがたい暴言である。)
https://www.bloomberg.com/news/articles/2019-02-08/south-korea-lawmaker-seeks-imperial-apology-for-japan-sex-slaves
この国会議長、昨年の12月にも、首相に対し、同様の謝罪を求めている。
https://www.asahi.com/articles/ASLDC5RWZLDCUHBI01W.html

ただし、今回の陛下に謝罪を求める発言とは次元が違う。従軍慰安婦の件はその真実がかなり明らかになってきているが、隣国の非科学的な反日教育による「物語」の産物である。近々退位される陛下に対して、ゆるせない暴言としか思えない。陛下は平和と国民の幸せを常に念じておられる方である。ご高齢の陛下に対し、これ以上の精神的なご負担をおかけしていい、などとは私は絶対に思わない。

前職の防衛大臣が、「同じ土俵で戦うのではなく、丁寧な無視を」という名言を述べたが、その一線を越えた発言であると思う。政府は国連の安保理の制裁決議をおそらく待って、それから大義をもって制裁を実行しようとしてるのだと思う。それは外交上冷静で正しい判断だと思うが、彼らの非科学的な「物語」と「儒家のカインコンプレックス」(隣国は日本の兄にあたるのだから、礼を尽くさねばならない:日本には何を言ってもいいししてもいいという儒家の礼の原理を曲解したもの。)を、一度破壊してしまわねばならない時期に、この発言で入ったのではないか。なにより、前回エントリーした「支払い信用状」(隣国の輸入費用は日本の信用で後払いできている。)の発効停止をただちに行うべきである。現実の日本が、何を言われようが隣国を利しているかを知らしむるべきである。無知を知らしむる産婆術は、それなりのリスクがあるのは当然だ。

この暴言による陛下のご心痛を思うと、一国民として声を上げるしかない。遠くマレーシアの地より、この暴言ゆるすまじと訴えたい。

2019年2月8日金曜日

佐藤優 サバイバル宗教論5

https://wordandway.org/2017/07/12/protestant-churches-embrace-
gluten-free-bread-for-communion-as-vatican-reaffirms-ban/
些細なことのようで、実はキリスト教の諸派の本質的な違いが面白い。
最後の晩餐の時に、パンはイエスの肉体、ワインはイエスの血とされた(ヨハネの福音書以外の三福音書にある)。以後聖餐式(イエスと出会う場)が行われるようになったが、カトリックでは、ウエハースのようなイースト菌が入ってないものを使う。ロシア正教会はその反対で、イースト菌の入った特別に焼いたパンを使う。プロテスタントでは、普通の食パンである。(上記画像はカトリックのウエハースのようなもの)

問題は、このパンとワインが本当のイエスの肉であり血であるかということ。カトリックとロシア正教会は、神父が儀式をしたときに本物に変わると考える。ルター派では、半分だけ変わるとし、改革派のツヴィングリは、これはシンボルにすぎないと考える。カルバンはツヴィングリの考えは行き過ぎで、聖餐式のパンとワインは、実際に食すと肉となり血となるのだからそれをわかって食べるべきとした。

…こういう差異はなかなか面白い。これも当然ながら神学論争の域である。ちょっと第3講の中で出てくる話だが、18世紀に啓蒙主義が登場し、誰しもが納得できる研究をしていこうという流れが神学の中に生まれてくる。それが宗教学になる。神学は、実念論・ロマン主義の立場を貫いているが、宗教学は批判的立場で現象としての宗教を見る。故に唯名論・啓蒙主義的で、言ってしまえば無神論的な立場にたつわけだ。神学では、絶対的な正義を証明できない。故に、イエスの肉と血/パンとワインで大論争になるわけだ。

2019年2月7日木曜日

李登輝の「政治学」

https://stephentjohnson
.com/portrait-commissions
/fdvr8ggo2vli04wmcw
cvs8nxs0lqkn
先日、李登輝氏についてエントリーした。その続編ともいえる記事が出ていて、これもまた面白かった。その要旨を政治学を学ぶJ君と社会科学系志望の学生諸君に贈りたい。

李登輝氏は、日本的な精神で「公」を貫いた哲人政治家であるが、その手法は蒋介石の息子・蒋経国に学んだものであるという。学術的的に考えればAという結論になると会議に臨むと、政治的な条件を加味してBという結論になっていく。

(閉話休題 ここまで書いて突然我が部屋が凄い音と共に停電した。妻と大騒ぎになったが、セキュリティーさんが来てくれて、簡単に解決した。)

この中国人の発想を理解できたからこそ、台湾の近代化を推進できたわけだ。そのひとつは、「国民大会」(中華民国が大陸で成立した時点で各省の代表が数名ずつ選出されており、台湾に逃れた後も国共内戦中で非常事態となり、大権を有しつつ改選もされなかった、いわば特権階級集団)の始末である。法治国家(民主化)を進めるためには、未だ内戦中というレトリックを覆すためには、これを議決した国民大会によって廃棄しなければならない。この議決を取り付けた後、国民大会代表の1人ひとりを訪ね、破格の退職金と年金待遇をもって辞めて貰うことに成功した。国のトップに訪問されては断りにくい。改めて国民議会は改選が可能になった。
さらに、軍を私物化していた参謀総長を国防大臣、行政院長(首相に相当)とあえて出世させ、その権力も奪ってみせた。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15283

…国民大会のくだりは、日本の明治維新に於ける廃藩置県で大名を貴族化して実権を奪ったのと酷似している。これを実行したのは、西郷だが、彼は人格的にも高邁な人物、ヒーローとされているが、それは一面に過ぎない。ここぞと言うときの非情さが彼の革命家としての本質だと私は思う。政治は学問・理論の延長ではない。J君は政策学を中心に学ぶが、洋の東西を問わずに政治の歴史を十分学んで欲しいと思う。

佐藤優 サバイバル宗教論4

https://ameblo.jp/mizuno-method-
english/entry-12118746030.html
昨日のつづき。昨日は、啓蒙主義とロマン主義、光と影の話だったが、同じ第2講の中で語られる「実念論」と「唯名論」についてエントリーしておきたい。

実念論は、中世の支配的な考え方で、数学的な考え方でもある。様々な三角形があるが、全てを含む一般的な三角形という概念は頭の中にしか存在しない。しかし三角形がある、という前提で話を進める。つまり「目に見えないけれど存在するものがある」、愛、信頼、慈しみなどは目に見えないが確実に存在するという感覚である。この中世的な考え方を維持した大学は、チェコのカレル大学とイギリスのオックスフォード大学だけであるそうだ。故に、イギリスには成文憲法がない。憲法は文字に出来ないという考え方であるわけだ。

一方の「唯名論」は、たとえば現実に目の前にあるナシ、リンゴ、イチゴ、メロンといったものの総称を「果物」として便宜上につけた名前にすぎないと考える。ここから合理的な考え方、啓蒙思想が発展する。前述のように、大学も実念論から唯名論へと変わっていく。

この話は、佐藤優が研究するチェコの宗教改革者・フスの話の流れで出てくる。キリスト教も実念的な考え方をするから、信仰や神について、人間の限られた知識や知恵ではあらわすことができないと考える。ある限定された状況で、文字にして自分たちの信仰について述べるのが信仰告白であるというわけだ。

…こういう神学的な視点というか、西洋哲学ではあまりやらない。ある意味新鮮であるわけだ。では、F40Aの受験生諸君、昨日の啓蒙主義・ロマン主義と今日の「実念論」・「唯名論」の関係性について論じてみてはどうだろうか?

2019年2月6日水曜日

佐藤優 サバイバル宗教論3

カバラの生命の樹
http://rimaroom.jugem.jp/?eid=1763
先日からのプロブレムの完全決着もついたことだし、佐藤優の「サバイバル宗教論」の備忘録エントリーの続きである。今日は人文系や社会学・芸術学を受験する学生向けに書きたい。この本の第2講は「(宗教における)救済」について講じているのだが、「啓蒙主義」と「ロマン主義」について記しておきたい。

西洋的なものの見方で重要なのは「啓蒙主義」と「ロマン主義」である。理性でものを見るというのは、古代(ギリシア・ローマ以後)からあった。しかし「A=B、B=Cならば、A=C」という考え方は、どんな愚かな人間でも認めることが出来る。しかし「神を知る」「神を見る」というのは瞬間芸で、近代以前は(キリスト教神学の影響下で)こちらが正しかった。17世紀の終わり頃にふと人間はこの見方に疑問をもち、理性を再発見する。(デカルトやベーコンなど近代哲学の始まり)暗い部屋の中で、ロウソク(理性)を1本立て、さらに2本3本と増やしていけば、それまで見えなかったものが見えるようになる、というのが啓蒙主義(徹底した合理的精神で、伝統的権威や旧来の思想を批判した。フランス革命の基盤ともなった。)である。しかし、これに反発する思想が生まれる。それがロマン主義で、ロウソクの影の部分に関心をもったわけだ。ロマン主義は、18世紀から19世紀にかけて芸術(美術や音楽、文学など)を中心とした思潮運動で、感情・個性・自由などを尊重し、自然との一体感、神秘的な体験、無限なものへの憧憬を重視した。

面白いのは、アメリカにはロマン主義の歴史的経験がない。だから目に見えないものをわからろうとしないところがある。アメリカの思想はプラグマティズムで、超現実主義、実用主義的である。WWⅡで、この思想が物量的な優位を生み、勝利を呼んだわけだ。ところで、啓蒙主義には影ある。これを有名にしたのは、ホルクハイマーやアドルノのフランクフルト学派で、WWⅡの経験を元に、なぜ啓蒙は野蛮に陥ったのか?(民主主義の産んだナチズムが、道具的理性で虐殺を推進したのか?)を問いかけた。その結論は、啓蒙主義が光の部分を増やしすぎた故、闇の領域も増えたのだというものだった。この考え方は決して新しい物ではなく、ユダヤ教のカバラ思想にたどりつく。(フランクフルト学派の彼らもユダヤ人である。)カバラは闇を見つめる。フロイドやユングの分析心理学もカバラの影響が大きい。

…どうだろうか?日本語が難しいので、かなり難解だとは思うが、ある程度の哲学・宗教学の知識と歴史の知識はこれまで講じてあるのでなんとか読解できるだろうと思う。何かを学ぶと、未知の領域に接する。そこからまた新たな知への門が開かれていく。それがやがて頭の中で結びついていく。勉強というのは、そういうもんだ。

中央アフリカ 4度目の正直

https://www.msf.or.jp/news/car.html
教え子のL君が、国境なき医師団のスタッフとして、首都バンギに赴任している。その中央アフリカで、国連とAUの斡旋で、14の武装勢力が権力の分担などの和平合意に達したというニュースが流れてきた。
これまでにも、和平合意が3回行われてきているので、4度目の正直ということになる。中央アフリカは、すでにエントリーしているが、後発後進国中の後発後進国である。ダイヤモンドなどの資源が見つかり、貧困の罠の全てが出そろったカタチだ。まずは内陸国の罠。続いて悪いガバナンスの罠、紛争の罠、ここに資源の罠…。これらが相乗効果を生んでいるとしか言いようがない。まずは人間の安全保障というのが、開発経済学のセオリーだが、かなり難しい。その原因は、宗教対立(イスラム教徒キリスト教)とする見方が多いが、中世の十字軍でもあるまいし、基本的には経済的なパイの奪い合いにすぎないと見るべきだろう。出口の見えない状況下であるが、この中央アフリカの状況は世界的な構造的暴力による「病巣」であると私は思う。自国のことだけを考える国が多い国際的な世相の中で、多くの国が考え、行動すべき問題なのだ。
ーL君のますますの健勝と無事を祈る。ー
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40841790T00C19A2000000/
https://www.msf.or.jp/news/detail/headline_1429.html

2019年2月5日火曜日

2019 旧正月の花火(2)

先ほど、22時頃、大きな花火が目の前で上がった。15階の我が住処から見上げたくらいなので、かなりの大尺玉である。今回の写真もかなりの枚数を撮ったうちの2枚。偶然の産物である。
 妻が、「タマンデサの金持ちバンザーイ!」と歓声を上げている。(笑)ところで、先日からのプロブレムも、今晩99.9%解決した。いやあ、めでたし・めでたし。

独の「記憶の固執」とは何か?

http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-740.html
ドイツのメルケル首相が、訪日し自由貿易体制を日本と共に護ろうとアピールしたようだ。そもそも、米国大統領閣下がとんでもない保護主義者で、これまた問題を抱えた独裁的資本主義の中国と経済戦争を始めた。EU内でも、メルケル氏の政治基盤は失われ終焉が近い。イギリスはEU離脱で、アイルランドと北アイルランドの国境に関する問題で大混乱になっており、フランスも頻発するデモで政権は安定していない。ドイツはこれまで中国を重視してきたが、辟易とするような問題に悩まされている。日本とはライバル関係であり、協調することはあまりなかったのだが、ここにきてドイツが今、最も協調しなくてはならない国となったわけだ。それは、自由貿易体制を堅持することである。先日のEUと日本のEPAで、日欧協調を世界に示して見せた。日本は、現在のところ、米国大統領閣下と連携し、EUとの間を取り持てる貴重な存在になっているからだ。(私は現日本の首相を必ずしも支持しているわけではないが、この面においては国際政治の舞台上、貴重な存在であることを認めざるを得ない。)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40888130U9A200C1SHA000/

何より大切なのは、自由貿易を普遍的な国際ルールとして守りながら、持続可能な開発を行うことである。それは、世界平和を維持するための方便でもある。ドイツを中心とするEUは自由貿易の重要性=平和であることを歴史的にも強く認識しているはずだ。日本も又しかりである。ABCD包囲網の中、日本は太平洋戦争に向かった。米国大統領閣下は、そういう歴史をご存じないと思われる。今回の韓国の問題についても、日本は未だ強く経済制裁にはでていない。それは、保護主義が極めて危険性を孕んでいることを経験的に知っているからである。まして相手はそういうことに全く無知である故。(無知故に、無知の知を知らしめる産婆術が必要はあるとも思うが…。)とにもかくにも、私は、日本とドイツ・EUの自由貿易=平和という大義ある連携には大賛成だ。

追記:F40Aの受験生への小論文のための参考資料。「記憶の固執」とは、サルバドール・ダリの有名なシュールリアリズムの作品。NY近代美術館にある。(実はめっちゃ小さい。)今日の画像はポーランドボールのパロディ。今回のエントリーの中で言われているドイツや日本のWWⅡにおける「記憶の固執」とは何か?的確に読み取って欲しい。

2019 旧正月の花火

いよいよ中華系の旧正月である。日が暮れたくらいから、あちこちで花火が上がった。この画像は、20時頃、おそらく最も近くの住宅街(かなりのお金持ちだと思われる。)から上がった花火。我が住処は特等席である。見下ろすカタチで見れる。昨年はG1XM2(花火モードがある)がなかったので、これだけ鮮明に撮ることはできなかった。ちょっと満足である。
とはいえ、G1XM2の花火モードは、当然シャッタースピードが遅いので、撮りたい瞬間を切り取れるわけではない。上がっている間にシャッターを押し続け、いいのがあればラッキーという感じ。これも16枚中の2枚である。(笑)

2019年2月4日月曜日

INF条約の破棄問題について

https://www.boredpanda.com
/putin-trump-helsinki-meeting-
funny-reactions/?utm_
source=google&utm_medium
=organic&utm_campaign=organic
EJU(日本留学試験)のための総合科目でも、INF(中射程および短射程ミサイルを破棄するアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦の間の条約)について教える。中射程の弾道ミサイル・巡航ミサイルを破棄する目的で結ばれ、実際にかなりの数のミサイルが破棄され、互いの軍の査察も認められたもので、数ある軍縮条約の中でも意義のあるものだった。

その条約が米国大統領閣下の決断で、2月1日破棄された。これに呼応してロシアのプーチン大統領も条約に定める義務の履行停止を2日に宣言した。このままいくと8月1日にこの条約は失効することになる。米国の主張では、ロシアが新型ミサイルを開発している疑惑があり、条約違反を犯している可能性があること、また米露二国間のINF条約にしばられない中国などのミサイル開発への懸念などが理由だという。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40836530S9A200C1MM8000/

米国の国益上、INFは必要がなくなったということなのだろう。この影響を最も受けるのは、ロシアと直接対峙するヨーロッパ諸国であると考えられる。INFの中・短射程ミサイルは、ヨーロッパでの対峙状況が念頭にあるからだ。米ソ冷戦の終焉にあたって、INFは大きな軍縮の流れを構築した。この先人の努力がまたひとつ崩れていくわけだ。

INFのくびきを解かれた大陸国家であるロシアは、新型ミサイルを、ウクライナや西ヨーロッパに向けて配置する可能性が高い。米国のこの決定は、米国軍事産業には朗報であろう。ヨーロッパ諸国は対抗措置(迎撃システム)を新たに購入するはめになりそうだし、(米国大統領の恫喝で)NATOの軍事費をさらに多く拠出する必要性に迫られるだろう。ちなみに米国の巡航ミサイルは、INFでは地上発射のもののみ廃棄されている。即ち戦略空軍や海軍のものはINFから除外されている。一方、中国への対抗上という意味合いは大きい。INFは米露の二国間条約で、中国はこれに全く縛られないからである。

こうしてみると、米国大統領閣下の判断は、米国の国益岳を見れば妥当な事のように見えるが、閣下は1日の60%をエグゼティブ・タイム(何も予定のない時間)としているようである。納税者たる米国国民は、こういう短絡的な決定を許していいのかと思う。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11640.php

…それにつけても、WWⅡ以降、近代国民国家から世界は脱皮し、自由貿易を主体に脱近代国家の道を歩んだように見えた(EU統合など、地域間連携をさす)が、またまた近代国家というより、プレモダン(近代国家以前の中世的国家)にさえ戻ったように見える。政治家の能力低下…。まさに民主主義政治の危機でもある。

マレーシア考現学 -干支-

金曜の夜に気づいたプロブレム、今日でほぼ解決した。(今日は休暇の日だが、土曜日に続いて、朝と昼2回出勤した。笑)これで、私もチャイニーズ・ニューイヤーをなんとか笑顔で迎えれそうだ。今日のメイン画像は、グーグルのアニメーション。これってマレーシアだけなのかどうかわからないけれど、一瞬「豚」が登場する。KLの各モールは、いたって今年の干支を忌避しているのだけれど…。いいのかなあ?と思うのであった。
そうそう、業務スーパーのNSKというお店では、しっかりと干支の豚の飾りがあった。実は、ここはノン・ハラル(イスラム教徒の食事規定外の食品を扱う)のエリア。マレー系の人々は絶対入ってこないので、気を遣う必要がないのであった。こういうマレーシアの多民族社会の考現学は、実に面白いと思う。

2019年2月3日日曜日

スニーカーを買いに行く。

先日スーパーの買い物から帰りに、凄いスコールになった。なにより、1足しかないスニーカーがビショビショになってしまい大いに困惑した。やはり、セカンドシューズが必要であると、妻が言った。ちょうどブキッビンタンに用事があったので、スニーカーを買うことにした。

マレーシアは、やたらセールが多い。今は中華系の旧正月のセール中である。(笑)妻からの指示は「RM200以下で底が分厚いもの。」これはなかなか厳しい注文で、世界的なメーカーのものはいくらセール中でもRM300以上はする。しかし、RM119のスニーカーを見つけたのだった。デザインはまあまあ。セカンドシューズだし、バッタもんではないし、安いに越したことはない。(笑)
ところで、ブキッビンタンに出たかぎりは、パビリオンの旧正月の装飾を見ておきたいと思い、寄ってきた。今年の干支、豚はやはり登場していない。(笑)
うーん、やはりパビリオンの装飾は豪華である。装飾のエリアが圧倒的に広い。ミッドバレーの装飾が毎回見劣りしてしまうのだった。

2019年2月2日土曜日

佐藤優 サバイバル宗教論2

https://wondertrip.jp/history/93723.html/3
佐藤優の「サバイバル宗教論」の第1章の備忘録のつづきである。「危機」という概念は、西欧的な概念であるそうだ。ラテン語で「コルプス・クリスチアヌム」という概念がある「キリストの体(キリスト教共同体)」と訳すが、ユダヤ・キリスト教の一神教原理、ギリシア古典哲学の原理、ローマ法の原理の3つが合わさって一つの文化をつくっている。これに対して、ロシアやギリシアも同じ概念をもっているが、ローマ法の伝統が希薄である。合意したことは守る、という当たり前のように思われていることはローマ法の伝統である。ギリシア古典劇などでは、「たしかに口では誓ったが、心は誓いにとらわれてはおらぬ。」などという台詞が出てくるわけだ。

このローマ法的な部分が「危機」にさらされている。古くは、チェコの宗教改革者・フス(そもそも佐藤優の専門領域である。)の処刑の際も「合意は拘束する」という原則が破られる。さらに、この書物が書かれた当時の民主党政権の菅直人・鳩山由紀夫の原則破りなどが例として挙げられ、このような今までにない論理が登場していることは「危機」と関係しているが、宗教の領域まで入り込まないとおそらく理解できないと内在的な論理はわからない。

…なるほど。最近とみに「合意は拘束する」ということが、どんどん破壊されているようだ。日本人は、こういうことを嫌う。善悪という正義の判断ではなく、嫌うのだ。
日本の伝統は、「コルプス・クリスチアヌム」とは異なる。一神教的な、直線的な歴史観(始まりがあり終末がある)ではなく、仏教的な輪廻、あるいは縁起で構成された世界観をもつ。合理的なロゴスを重視するギリシア的概念よりは、多神教に裏打ちされた神秘的な情念やパトスを重んじる。ローマ法的な概念の代わりとなるのは、儒教的な倫理(多分に日本儒教と言ったほうがいいだろうが…)であろう。西洋とは全く異なる伝統を持ちつつも、欧米とは相互理解しながら歩んでいるわけだ。今更ながら日本の吸収力・咀嚼力は凄いと言わざるを得ない。

佐藤優 サバイバル宗教論1

昨晩、寝ようとしたら、あるプロブレムを突然思いついた。その解決のため、今日はPBTまで2回行き来するハメになった。1回目の登校時は、坂の途中で650番のバスが来た。2回目は帰りが650番だった。タマンデサと日本人会周辺でずいぶん坂道を行ったり来たりした。一応の対応が終わったのは昼を十分過ぎていた。

とはいえ、忙中閑あり。バスの中で面白い本を読んでいた。佐藤優の新書「サバイバル宗教論」である。もちろん、日本人会の無人古書コーナーで手に入れたRM1本である。臨済宗の僧の研修会での講演内容を新書版にしたものである。故に、宗教学的にはレベルが少しばかり高い。(第二章は特に、である。)今回は、まず第1章を備忘録的にエントリーしておきたい。

神学の話。神学の論争は1000年以上かかっても結論が出ていない。神学論争では常に論理的に弱い方、無茶なことを言う方が勝つ。その勝ち方も狡猾で、軍隊が介入して弾圧を加えるとか政治的圧力を加えるという形で問題解決してきた。神学の特徴は積み重ね方式ではなく、論争は些末に流れ、いつの間にか消えてしまい、また同じ議論が蒸し返されることになる。

ヨーロッパの大学には、神学がないと総合大学と名乗れない伝統がある。中世の大学では、一般教養、自由学芸(哲学)を11年やった後、医学部なら5年くらい、法学部なら7年くらい学ぶ。そしてもう一つの選択肢である神学部は16年かかる。(当時本は1冊ずつ貸し与えられ、それを暗唱できてやっと次に移れるらしい。)したがって27年くらい神学を学んでようやくヒヨコとなるそうだ。卒業率は5%くらいだったそうだ。

同志社大の魚木氏によると、「純粋なキリスト教など存在しない。」それぞれの地域の文化に触発され類型をつくってきた。最初のユダヤ類型、パウロ後のギリシャ類型、カトリック後のラテン類型、宗教改革後のゲルマン類型やアングロサクソン類型、あるいはロシア類型、スラブ類型…。日本のキリスト教は日本類型。日本的なではなく日本キリスト教であるという。日本類型は仏教の救済という精神的伝統の中で受け入れられているので、救済に関する感覚が強いのだ、と。秩序的には儒教、自然観では神道の影響がある日本ではこれらの相互触発の中でしかキリスト教は理解できないと主張していたそうだ。

…その後、同志社の神学部では仏教を深く学ぶカリキュラム(1年時に世親の阿毘達磨=倶舎論、2年時に竜樹の中観、3年で唯識)の話が出てくる。昔、息子が神学部の修士課程に合格した時、学部から博士課程までの電話帳のようなシラバスが届いた。たしかに仏教を始めとした様々な講座があって、うらやましく思った記憶がある。…つづく。

2019年2月1日金曜日

私家的パラ水泳選手権大会 考

イスラエルの国交関係 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB 
IPC(国際パラリンピック委員会)が、2019世界パラ水泳選手権大会(サラワク州・クチン市で7月29日~8月4日)開催権をマレーシアから剥奪したという報道が流れた。マレーシア政府が、イスラエルのパラ水泳選手に対しビザの発給を拒んだことが原因であるらしい。IPCは、2月11日までに他の候補地を募集するらしい。

この報道に関して、どう考えるべきか?という質問メールが来た。国際関係や社会科学系志望の学生も多いので、思索の参考になればと思い、ブログにエントリーする事にした。

この問題の本質は、イスラム教を国教とするマレーシアの「スタンス」の問題であると思われる。周知の通り、イスラエルによるパレスチナ問題で、アラブ諸国(サウジ・UAEなど湾岸諸国、シリア・レバノン・イラク・イエメン・リビア・アルジェリアなど)、非アラブだがイスラム教国(イランは以前は国交があったが現在ない。この件は後日エントリーしたい。アフガニスタン・パキスタン・バングラディシュ・スーダン・ソマリア・インドネシア、そしてマレーシア)などと国交がない。イスラム圏で国交があるのは、エジプトとトルコとヨルダンのみである。

WEBで調べたところ、アジア競技大会では、1962年のジャカルタ大会くらいから、イスラエルの排除問題が起こり、少なくとも新設されたアジアオリンピック評議会(OCA)はイスラエルを排除したままである。UAEで開催されているサッカーのアジアカップにはイスラエルは参加していないが、これはイスラエルが、ヨーロッパサッカー連盟に加盟しているからのようだ(1960年代は参加していたようだが、排除されたのか、自ら引いたのか…。)。要するに、イスラエルの国際スポーツ大会への参加は、極めて微妙な政治的な問題を孕んでいるわけだ。以上は、国際的な観点からのイスラエル選手団の位置づけである。

では、マレーシアは、そういうイスラエルを排除すべしというイスラム諸国との関係から、今回のビザ発行を行わなかったのか?そういう外圧的な理由は一応考えられないことはない。ちなみに今回の世界パラ水泳選手権大会のマレーシア開催決定時期は、WEBで調べたが、はっきりしない。しかし他の大会の開催情報から、昨年5月以降に決定したとは考えにくい。少なくともナジブ政権下での話であるようだ。

私は、今回の件は、対外的な問題ではなく、新政権下での国内的なイスラム教政党ならびにその支持者への配慮ではないかと考えている。その理由となっている依書は、マハティール政権の政治勢力の状況を的確に分析している以下の中村正志氏の論考である。
こういう論文が、政治学や社会科学の優れた論文である、という代表のようなものなので、J君始め関係する学生には是非読んで欲しい。大学では、こういう論文を読み、書くことになるのだ。(笑)日本という第三者から見た、忌憚のない昨年のマレーシア総選挙の分析である。
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Analysis/2018/ISQ201810_001.html

この論考によると、マハティール政権は様々な与党の微妙なバランスの上に、カリスマ性を与しつつ存在(組閣時の各党のバランスなど凄い。)していることがわかる。民族横断的なPKR、中華系・インド系が主力のDAPは、イスラム的な正義には遠い。マハティール氏のPPBMとイスラム政党を標榜するAMANAHは、野党であるPASほどではないが、イスラム教を重視するはずだ。野党の旧政権党だったUMNOも同様である。
あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」の批准状況 
未批准国はかなり少ない(ウィキより)
マハティール氏自身がどう考えているかは当然わかならないが、先日の国連の「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」の批准問題で、マレー系の人々の反発が予想以上に強く(PKRやDAPの立場から見て)批准を諦めた。今回は、その第二弾であろうと私は思っている。しかも大会の会場となる予定だったサラワク州の政治的な立場も、現政権から見れば微妙で、マレーシアはあくまでも連邦国家なのだと実感させられる。サラワク州への配慮でもあったのではないか。いずれにせよ、今回の件は、微妙なバランスの上に立つ政府が、国内向けの配慮を行った結果と私は見ている。

以上、説明不足、資料不足はいがめないが、質問への私の解答である。

46.6℃と-48℃

シカゴの寒波/ビッグジョンが見える https://www.cnn.co.jp/world/35132127.html
オーストラリア南部・アデレードでは、46.6℃などというとんでもない気温に達している。もちろん華氏ではない。摂氏である。一方で、アメリカ中西部ミネソタ州などでは、-48℃などという、これまたとんでもない気温に達している。今、地球はどうかしているのだろうか。
https://www.cnn.co.jp/world/35132127.html

ブディストとしては、(地球はどうかしている)全くその通りだと思う。仏教的な見方をすると、この宇宙と自己は究極的に結びついている。一人ひとり、そして衆生世間と呼ばれる「人間集団、すなわち社会」もである。今の社会、世界的に狂ったような出来事が多すぎる。地球もまたその人間社会の影響を受ける。これは迷信的でも神秘思想でもない。

有名な科学的実権に、同じお米のビンを二つ置いて、一方にはそのお米を褒め、もうひとつのお米には罵倒する文字をそれぞれ貼って置いておく。褒めた方は輝きをまし、罵倒した方はカビが生えたり腐ったりしたという。人間の様々な思いや感情による周波は、着々と量子力学的な解明が進んでいるという。

米国大統領閣下は、ツイッターで温暖化を皮肉ったらしい。ベジータの台詞ではないが、「はっきり言ってやろうか。」…悪いのはお前だ。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20190201-OYT1T50280/