2019年2月17日日曜日

佐藤優 サバイバル宗教論7

モンテスキュー法の精神
https://myrp.maruzen.co.jp/b
ook/MontesquieuCharlesLo/
第4講「すべては死から始まる」にも、面白い記述が多い。
カトリックの神父は妻帯しないことについて。ロシア正教・ギリシア正教では、キャリア組(修道院に入り妻帯しない)とノンキャリア組(妻帯できるが出世できない)に別れている。こういう人材育成制度をとっている。オスマン=トルコ帝国では、イスラム教徒から官僚を出さず、キリスト教徒の子供を徴用してイスラム教に改宗させ、官僚組と軍事組に分け徹底的なエリートを養成するデウシルメ制を撮ってきた。これらに共通するのは、権力の継承を防ぐシステムである。権力の継承は、派閥を生み結局は国家が弱体するという発想である。さらにスルタンは4人まで妻をめとるが、数十人にもおよぶ王子を競争させ、1人だけを残し、他は全員殺すというシステムを持っていた。凄いシステムで、精神に変調をきたす王子が増え、結局このシステムは廃止されたが、オスマン帝国は弱体化していった。

…こういう考察は凄い。第4講では、社会の発展をイギリスの社会人類学者・ゲルナーの「民族とナショナリズム」を引用して、狩猟採集社会(社会はあるが国家はない)、農耕社会(社会は必ずあるが、国家はある場合もあるし無い場合もある)、産業社会(必ず国家がある)の三段階の発展で説いていく。現代でも、国家が無くても社会は生き残れる。敗戦直後の日本の混乱期や東北大震災での被災地域など人間のネットワークで生き残ることは可能なのである。ただし、短期間である。長期間となると、どうしても国家が必要になる。

この国家を束ねるためには教育が必要になる。産業社会は、全員が教育を受けている社会になる。でないと資本主義(企業)がうまく機能しないからである。ここで、モンテキューの『法の精神』が出てくる。三権分立の話は有名だが、実はモンテスキューは三巻中の下巻で、民主主義を担保するのは個人の人権ではない。個人の人権など国家権力と対峙したときには簡単に吹き飛ばされてしまう危ういものである。民主主義をどう保全するか?モンテスキューは、その役割を担うのは中間団体だと考えていたようだ。中間団体とは、国家と個人の間にあって、自分の為だけに働いているのではなく、国家の代表でもない、ギルドや教会のような組織・団体を意味している。自己完結していて(経済的にも)自立しているので、国家と対峙しても、基本的に自分たちの助け合いのネットワークでやっていくことができるような組織である。

この中間団体の機能が失われると、ファシズムが台頭してくると、佐藤優氏は言う。ナチズムは確かにファシズムの一種だが同一視してはならない。さて、いよいよ佳境に入ってきた。つづく。

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