https://wordandway.org/2017/07/12/protestant-churches-embrace- gluten-free-bread-for-communion-as-vatican-reaffirms-ban/ |
最後の晩餐の時に、パンはイエスの肉体、ワインはイエスの血とされた(ヨハネの福音書以外の三福音書にある)。以後聖餐式(イエスと出会う場)が行われるようになったが、カトリックでは、ウエハースのようなイースト菌が入ってないものを使う。ロシア正教会はその反対で、イースト菌の入った特別に焼いたパンを使う。プロテスタントでは、普通の食パンである。(上記画像はカトリックのウエハースのようなもの)
問題は、このパンとワインが本当のイエスの肉であり血であるかということ。カトリックとロシア正教会は、神父が儀式をしたときに本物に変わると考える。ルター派では、半分だけ変わるとし、改革派のツヴィングリは、これはシンボルにすぎないと考える。カルバンはツヴィングリの考えは行き過ぎで、聖餐式のパンとワインは、実際に食すと肉となり血となるのだからそれをわかって食べるべきとした。
…こういう差異はなかなか面白い。これも当然ながら神学論争の域である。ちょっと第3講の中で出てくる話だが、18世紀に啓蒙主義が登場し、誰しもが納得できる研究をしていこうという流れが神学の中に生まれてくる。それが宗教学になる。神学は、実念論・ロマン主義の立場を貫いているが、宗教学は批判的立場で現象としての宗教を見る。故に唯名論・啓蒙主義的で、言ってしまえば無神論的な立場にたつわけだ。神学では、絶対的な正義を証明できない。故に、イエスの肉と血/パンとワインで大論争になるわけだ。
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