2012年3月31日土曜日

ソフトテニス部を見に行く

記念写真後に指導しているH先生
本校の運動部では、なぎなた部が全国制覇してムチャ有名であるが、ソフトテニス部もインターハイの常連である。強い。その練習場(テニスコート)は、第二体育館の屋上(5階くらいになる)にあり、登るのが面倒なこともあって敷居が高かった。テニス部の生徒もたくさん知っていて、一度見に来てくださいとずっと言われていたのだが、この1年間行ったことがなかった。だが、本年度最後の日であった昨日ついに見に行くことになった。

と、いうのもテニス部の第4顧問(笑)のH先生(彼は期限付き講師、要するに1年の期限で教諭なみの仕事をする講師である)が、晴れて奈良市教育委員会の採用試験を突破し、I高校に採用された。彼にとって、昨日は最後の日だったわけだ。夏の採用試験の面接を受けるにあたって、いろいろと相談も受けたりした期待の若手だ。私は酒は苦手なので、祝杯とはいかないが、最後の日にお茶くらいはと、誘ったのだった。聞くと5時まで最後にテニス部の世話をするらしい。生徒とラリーくらいはしたいということで、「じゃあ生徒と記念写真を撮ってあげよう。」ということになったのだ。愛機G12を持って(私はいつもカバンにいれている。)、H先生の誘導で、階段を上ったのだった。

本校で最も高いところにあるテニスコートは、なかなか良い眺めで、生駒山が綺麗に見える。(画像参照)少し風は強いが快適である。ただ、夏は照り返しもあって暑そうだ。約束通り、記念写真を撮って、急いで職員室で画像をCDに焼き付けた。彼は、5時を過ぎてもまだ指導していたようだ。文字通り1分1秒が貴重な時を過ごしたと思う。で、「祝H高校講師卒業記念」とのタイトルをCDに記して、整理された彼の机上に置いたまま、私は下校したのだった。

彼の教員生活の新たなスタートに幸あれ。なにより、奈良だというのが良い。

2012年3月30日金曜日

朝日新聞の小さな(大きな)記事

どうもドイツで起こった1933年2月27日の事件を彷彿とさせるようなコトが起こっている。次は水晶の夜か。毎日のようにメディアで行われているプロパガンダに、ますます憂鬱になる私である。
さて、今朝の朝日新聞の朝刊に、小さな記事が出ていた。要約せず、全文をそのまま記録しておきたい。

教員辞退さらに増加 大阪府
大阪府の2012年度の公立学校教員採用選考で、合格者2292人のうち308人(13.4%)が26日までに辞退したことがわかった。記録の残る過去5年間の最終辞退率は9~10%で、過去最高。
府教委によると、辞退者は2月時点で過去最高の284人に達していたが、例年になく2~3月にも相次いだ。2月以降に増えた24人の辞退理由は「大学院進学など」が5人、「教員以外の就職」が2人、「他府県や私学教員に採用」が1人、「その他」が16人。知事の教育行政への関与を強めたり、不適格教員の申し立て権を保護者に認めたりする教育2条例の成立の影響については「わからない」という。(金成隆一)

年度末、最後の登校日。私の最も危惧していたことが起こっている。私にとっては、とてつもなく大きな記事であった。…どうも、春なのに唇が寒い。

2012年3月29日木曜日

キルロイ伝説

代表的な落書きはこんな感じ
向井万紀男さんの『謎の1セント硬貨』の話をどうしても書きたくなった。アメリカの超有名な落書きの話である。第二次世界大戦中に、アメリカ兵が「KILROY WAS HERE」と様々な所に落書きしたそうな。オクラホマ州の田舎町のガソリンスタンドのトイレで、この有名な落書きを見つけた著者は、この落書きをめぐる「伝説」にのめり込んでいくのである。最も有名な伝説では、このキルロイというのは人名(アイルランド系の名前らしい)で、ボストンの造船所のリベット作業の検査官で、軍艦に打たれたリベットの数を数えるという仕事をいていた。確認のために各部位にAというような簡単なマークをつけていたのだが、リベット工たちはそれを消してまた数えさせるようなズルをしたようだ。リベットを打った数で賃金が決まるらしい。これに気付いたキルロイは、「KILROY WAS HERE」と書くようにした。リベット工たちも、これは消せなかった。で、ボストンから軍艦が世界中に出航し、これを見たアメリカ兵たちが面白がって、ヨーロッパで同じ落書きをしたというものだ。

おまけの画像です。
この話は、向井さんによって、かなりパラノに展開していく。その拡がりが無茶苦茶面白い。さすがにこれ以上はブログで紹介しにくいのだった。

私自身は落書きという行為自体好きではないが、この落書きは、ちょっとユーモラスで興味深いと思う。

ところで、この落書きのセンテンス、本校の英語のウー先生(本校のチーム・ブーフーウー:昨年6月24日付ブログ参照)は、知っていた。ちなみに昨日のブログで登場した内田樹さんの事も知っていた。さすが京大出身である。こういう会話が弾むのは実に嬉しい。

2012年3月28日水曜日

「内田樹の研究室」を読む

内田樹さん
さきほど、よくコメントをいただく非常勤講師さんのブログ(非常勤講師の隠れ部屋:リンク中)を覗いていたら、『内田樹の研究室』というブログのことが出ていた。内田樹さんのことは、恥ずかしながら始めて知ったのだが、ブログ以外のリサーチもさせていただいたところ、なかなか魅力的な方だとお見受けした。「教育の危機と再生」というエントリー、極めて私の考え方と近い。

というわけで非常勤講師さんのブログに、3月19日付けのエントリーの感想をコメントしようと思ったのだが、なんとログインが必要とのこと。さてさて、困ったなあと思っていたら、私が『内田樹の研究室』を覗いているうちに、非常勤講師さんに33人目の読者登録をしていただいた。(笑)登録、ありがとうございました。

あまりのタイミングに驚いた次第。ところで、最近大阪の教育問題について現場教師が語ることが難しくなっている。私自身も筆を置いている。だが、内田樹さんのブログやエントリーを紹介することは問題ないと思う。これをもって、非常勤講師さんへのコメントとしたい。

内田樹の研究室/教育の危機と再生 http://blog.tatsuru.com/2012/03/19_1142.php
非常勤講師の隠れ部屋3月19日のエントリー 
http://parttime-lec.hatenablog.com/

是非ともご一読あれ。

世界最大の自然保護区誕生

ナショナル・ジオグラフィックが、WWFの資金と技術支援のもと南アフリカ5カ国(アンゴラ・ボツワナ・ナミビア・ザンビア・ジンバブエ)に、世界最大の自然保護区が生まれたと大々的に報じている。「カバンゴ・ザンベジ国際保護区」(KAZA: Kavango Zambezi Transfrontier Conservation Area)というらしい。イタリアほどの面積をもち、36の国立公園、動物保護区、野生生物管理区域とツーリズム地域が含まれているという。

ナショナル・ジオグラフィックのニュースでは、南アの自然保護学者の否定的なコメントも載せている。要するに、参加国の政治的駆け引きの道具になる可能性とガバナンスの悪さの指摘である。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2012032801&expand&source=gnews

KAZAのHP(もちろん英語である)にも行ってみた。実際のエリアを知りたかったのだ。http://www.kavangozambezi.org/index.php

これを見ると、ボツワナの「オカバンゴ・デルタ」と、ナミビアの「カプリビ回廊を」中心に、ジンバブエとザンビアの国境にあるビクトリアの滝、これにザンビアとジンバブエの国立公園をプラスといった感じである。(アンゴラも一応入っているが…。)

実は、ボツワナのダイヤモンドを中心とした経済発展は、サブ・サハラ=アフリカでは有数のものなのだが、その影の問題として野生動物、特にアフリカ象との関わりで様々な批判があったのだ。と、いうのもボツワナは、アフリカの国としては、かなり早くから国土の私有地化を進め効率の高い農業を行ってきた。その為のフェンスが野生動物の自由な移動を阻んでいたのだ。「オカバンゴ大湿原」も「カラハリ砂漠」も観光資源としてはアフリカ有数のものだが、野生動物保護という視点からはボツワナはちょっと問題ありの国だったのである。このKAZA、ボツワナの野生動物政策の転機を意味しているのだろうか。ちょっと注目していきたい。

このKAZAが、南アフリカ地域の観光産業をけん引する可能性は高い。開発と言う観点からは大いに期待できるだろう。ただ、様々な問題も噴出すると思われるのだ。そんな中、niftyのニュースで、このKAZA関連の面白い記事を発見した。ザンビアでの話だ。WWFが、象と人間の共存を図るため、トウガラシと象の糞を水でまぜ、農地の周囲に撒いたところ、侵入防止に成功したのだそうだ。農家にもトウガラシ栽培という収入源も生まれたとのこと。なかなか良い話だと思う。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/ng-20120328-2012032803/1.htm

2012年3月27日火曜日

毎日社説 「ODA白書」に思う

毎日新聞の今日の社説は、外務省から出た「ODA白書2011」についてであった。その論旨をまとめてみると、およそ次のようになるかと思う。
今回のODA白書は、『世界の絆とODA』として、東日本大震災との関わりに1章をさいて言及している。財政難で減少傾向にある日本のODAは、総額で1位だったのが、米英独仏に次ぎ現在5位。国民所得に対する比率では0.20%で、20位。こうした中で、国民のODAに対する支持はさらに低下している。長年指摘されてきたODAの不透明性に加え、震災復興優先という国民感情もあるようだ。しかしながら、世界の安定にODAを活用することが日本の安定に直結する、また主要国としての責務であるというという理念は正しいが、さらに国民に丁寧に説明する必要があるのではないか。被災地の物産を調達して途上国支援に活用したり、省エネや環境技術の普及など、白書で紹介されている質の向上も必要である。新しい時代にふさわしいODAのあり方を政治が先頭に立って議論すべきである。

さっそく外務省のHPにアクセスしてみた。膨大な資料なので精読するとかなりの時間が必要となる。とりあえず、サブ・サハラ=アフリカについてのページを読んでみた。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/11_hakusho_pdf/pdfs/11_hakusho_030203_4.pdf

TICADの話が続く。あたりまえである。私が驚いたのは、リベリアが最も日本のODA(ただし政府貸付が主である。)を受けていることである。2位はスーダンで、こちらは無償資金協力が大きい。一方、スワジランドや赤道ギニアなど、ガバナンスにかなり問題のある国には少ない。1位、2位はちょっと意外だったが、およそ日本の外務省は正当な評価をしつつODAを運営していると思われる。

毎日新聞の社説は、国民に丁寧に説明する必要性を訴えているが、私は異議がある。これは外務省というより、マスコミの責任が大きいと思うのだ。リベリアは、内戦の後、ノーベル平和賞を受賞した女性大統領が、今国の立て直しに奮闘している。スーダンは、南スーダンが独立し、いわば悪役の扱いを受けている産油国である。ダルフール問題など人権的にも国際的批判を受けている。おそらくは南スーダンの独立を支援するためのODAという一面もあるだろうと思われる。国際機関を通じての無償資金協力の金額が高いこともそれを裏付けていると私は推測するのである。このような見方をあまりアフリカに興味のない一般の方がするとは思えない。私もアフリカ以外の地域の考察は不如意だ。それぞれの国への外交上様々な意味があるのだろうと思う。

マスコミが、高みから「国民に丁寧に説明せよ。」と評論したところで、何も変わらない。「社説のための社説」になってしまう。私は、毎日新聞のなんとなく中立というスタンスが好きで購読している。是非とも、丁寧に、何度も、何度も、もういっちょ「丁寧に」、途上国の現状を報じて欲しいと思うのだ。
外務省の「ODA白書2011」全体の閲覧はこちら。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/11_hakusho_pdf/index.html

2012年3月26日月曜日

「リオ+20」から思索する

本年6月、リオデジャネイロで『国連持続可能な開発会議(リオ+20)』が開かれる。伝説のとなったカナダの日系少女、ケヴァン・スズキのスピーチ(10年10月11日付ブログ参照)から20年がたったわけだ。この間、『持続可能な開発』というコトバが、グローバルスタンダードとして認知され、環境問題が普遍的な世界的課題だと認知された、と私は思っている。とはいえ、現実的には温暖化問題等で、中国やアメリカといった大国の国益を克服しえているわけではない。

JICAの月刊誌「JICA's WORLD」の最新号で、この「リオ+20」の特集記事が組まれていた。
http://www.jica.go.jp/publication/j-world/1203/pdf/tokushu_01.pdf

前からこの件を書こうと思いつつ、実は逡巡していたのだった。と、いうのも、『持続可能な開発』とは何か、という基本的な問題について、このところ私はずーっと考えているのである。

開発経済学をここ数年独学してきた。経済学の基盤となるのは、全ての人々は最も効率的に利益を追求するものである、という前提である。開発経済学も、当然その基盤の上に立っている。アジアの開発経済学の成果は十分に認めるのだが、私の興味の対象であるアフリカにおいて、その基盤自体に疑問符を抱くようになった。おそらくは、京大のアフリカ研の公開講座に通ううち、文化人類学的な視点も重視するようになったのだと思う。1人あたりのGDPや実質成長率という数値が、彼らの幸福という感覚にいかほどの価値をもつのだろうか、と考えだしたのである。

また、近代国家論を自分なりに学んできた。近代国家を歴史学的に見ると、国民国家の形成、資本主義の発展、民主主義の発展という要素が重要であるのだが、これまた近代国家になることが果たしてアフリカの人々の『持続可能な開発』に直結するのだろうか。そんなことも自問自答しているのである。

ところで今、徳間文庫の『ハーバードの「世界を動かす授業」』(リチャード・ヴィートー著)を読んでいる。この本は、ハーバード・ビジネス・スクールで世界中から集まる経営者や将来の経営者が学んでいる必須の授業、BGIE(ビジネス、グローバル アンド ザ インターナショナル エコノミー)の内容を記したものである。詳しい書評は後日に譲るとして、環境問題に触れた後に、このような記述があった。
『一方、非常に貧しい発展途上の国々では、人口が50億人にものぼるという問題がある。1人あたりの所得が6000~7000ドルになるまで、人は自分が汚した場所をきれいにしようとしないという研究がある。中国でもいまだに1人あたりの平均所得が3500ドルにとどまり、目の前に成長という文字がぶら下がっている中、我慢を強いられるこの不公平さを理由に、依然として環境を破壊し続けている。』

この6000ドル~7000ドルという数値、妙に気になるのだ。持続可能な開発のため、環境問題を我がこととして考えるためには、経済的な基盤がやはり必要なのだろうか。そのために近代国家とならねば、アフリカの人々を含め全人類は幸福になれないのだろうか。

こういう思索の中で、最新の情報を加えながら『高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト』の改訂にいよいよ取りかかろうと思うのだ。今日、7月に埼玉大学で開催される国際理解学会の第22回研究発表大会での研究発表申込書を送付した。

2012年3月25日日曜日

ピーター会とマリのクーデター

昨夜は、JICAの教員派遣旅行で共にケニアに行った『ピーター会』の集まりがあった。仲間の某先生に祝い事があったからである。いやあ、楽しかった。今回も在阪メンバーに加え、静岡、石川、和歌山の先生方も駆けつけて来られて、阪神の金本選手のお好み焼き店でワイワイやっていたのだった。お祝いの内容に関しては、個人情報であるので詳しく書きたいが、書けない。(笑)ただ阪急電車は、映画になるほどの路線だということである。なんのこっちゃ。(笑)さらに、この3月の大阪の話題も大いに盛り上がった。この詳細も、書きたいが、これまた様々な制約があって書けない。ただ他府県の同業者にはその危機感は伝わったように思う。遠くからわざわざありがとう。

危機感といえば、西アフリカの「マリ」が大変である。去る21日に、クーデターが起こったようである。日経などの新聞社や海外メディアなどの情報を総合すると、だいたい以下のような話らしい。

以前、このブログで(本年2月8日付参照)も書いたが、トゥアレグ人のMNLAと戦っていた政府軍兵士が、武器弾薬不足で多くの犠牲を出していたらしい。首都バマコ郊外の軍事キャンプに国防大臣が行ったところ、兵士たちの不満に対し色良い返事をしなかったらしい。これに激怒した政府軍がバマコに進軍、国営放送局を占拠し、大統領府では激しい銃撃戦となったということで、トゥーレ大統領は無事脱出したようである。このトゥーレ大統領は、軍人出身ながら民主主義の戦士と呼ばれ、児童基金の設置などの実績をあげている。しかし、トゥーレ大統領は、政党を組織せず無所属で大統領選挙を2度勝ち抜いたのだが、多数の政党の連合政権であり、政府軍からすれば『無能な政府』だということなのだろう。リーダーは良い人柄で人望があっても、反乱軍は抑えられない、ということか。領土が保全されたら、民政に移行すると反乱軍は言っているようだが…。

AU(アフリカ連合)は、マリのAUへの加盟資格を停止した。隣国の西アフリカ諸国経済共同体も、南アも、アメリカも反乱軍を非難している。

マリの民主主義はなかなかのものだったようだが、暴力の前には脆弱さを露呈したわけだ。かといって、AUも旧宗主国フランスをはじめ、先進国もアルカイーダにつながるMNLAを掃討する余裕もない。ほんと、『国家』とは何かをあらためて考えさせられるのである。

2012年3月24日土曜日

ルワンダの『ヌル・エネルギー』

ルワンダの「ヌル・エネルギー」という会社が頑張っている。電化されていない地方で、足こぎ型の発電機とLEDライトを小規模業者に後払いで販売している。小規模業者は、これを村人に小額の充電代で貸出し、なかなか儲かっているようだ。すでにルワンダで1万台が稼働し、ケニアやウガンダ、タンザニアなどに拡大してくようだ。また、今は専用のLEDライトのみの充電機能だが、携帯電話や他の電化製品にも転用できるようにする計画もあるらしい。なるほど、世銀のライティング・アフリカ賞を受けたのも頷ける。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2867161/8672575?ctm_campaign=txt_topics

ルワンダは、頑張っている。何度かエントリーしたが、例のツチとフツの悲劇を乗り越え、海外で様々なスキルを得た優秀な人々が帰国し、国全体を盛り上げているようだ。BOP(貧困層向けのビジネス)の分野でも、こういう形で国内の企業が頑張っているのが嬉しい。

アフリカの持続可能な開発を考えた場合、やはり『人材』がその成否の鍵を握っていると感じる。ルワンダには何もない。マウンテンゴリラがいることで有名なくらいの小国だった。それが、どんどん発展して言っている。LEDライトで夜も勉強した子供たちが、やがてこの後を引き継ぐはずだ。子供たちの潜在能力を生かすことができる環境がまた1つ生まれたわけで、そのことが何より嬉しいと思うのだ。

2012年3月23日金曜日

日経 H・サイモンの箴言

ハーバード・サイモン
日経の「やさしい経済学」の欄もモーニングで読む時楽しみにしている。碩学のいろんな話が載っていて、勉強になる。今日は、東大の松井彰彦教授による「ハーバート・サイモン」の話だった。ハーバート・サイモンはノーベル経済学賞を受賞した政治学者、認知心理学者、経営学者、情報科学者である。人口知能の研究でも有名。

なかなか面白い箴言があった。H・サイモンは学生に、「他の人々にはなくて自分にある秘密兵器は何だろうか、ということを問わなくてはならない。」と語っていたという。また口癖で「自分は他人より賢いというのはめったに正しくないので秘密兵器にはなりえない。そして他人と差別化せよ。」と言っていたらしい。松井教授は、これは現代日本にとっての箴言だと書かれていた。

記事の前段部には、次のような科学の方法論が書かれている。
『科学者とは迷路の中を探索する問題解決者である。興味深い現象を見つけだすこと。そこから意義のある問題を明確な形で切り取ること。現象やデータの中に潜んでいる法則を見つけること、いくつかの現象を体系的に分析する理論をつくること。理論から導かれる帰結を仮説として立て、それを検証すること。』
実は、H・サイモンは、これは科学者だけの方法論ではない。一般の人間にもあてはまることなのだと言っていたらしい。学問を特別視しないのがH・サイモンの真骨頂らしい。

たしかに、私などのような一般人でも、様々な形で、上記のような科学的方法論をとって物事に対処している。転勤して1年。本校の現状をまさに上記のような目で見てきた。どうすれば本校生に最も適した授業や生活指導ができるのか、迷路の中を探索し、それなりの帰結から仮説を立てれるまでになった。4月からその検証が始まる。結局その繰り返しが本校での経験知になるのだろう。

そう、一般人も実は無意識に科学的だったりする。(笑)そのうえで、自己の『秘密兵器』を他者との差別化の中で模索しなければならないわけだ。そう、一般人も自己の『秘密兵器』を持つべきなのだ。そんなことをこの記事を読んで考えたのだった。

ところで、松井教授の今日の記事の結論は以下の通りである。『最先端に到達した以上、今までと同じこと、他人と同じことをやっていたのでは道は開かれない。日本の秘密兵器は何か。サイモンの言葉は時空をこえて我々の心に響いてくる。』
…名文であると私は思う。というわけで、ブログで是非紹介したいと思い手帳に細かな文字で書き留めた次第。

2012年3月22日木曜日

追想ピーター・オルワ氏のことⅤ

私の撮ったマサイ・キリン(キリンの話は出てこないけど…)
毎年書いているのだが、今日は私の誕生日であるとともに、ピーター・オルワ氏の命日である。私も54歳になったが、教師生活のカウントダウンのゴングがまた1回鳴ったような気分で、決して嬉しくはない。自分のことより、ピーターの冥福を祈る日になってしまった感じだ。

今日はめずらしくアフリカの野生動物の話を書こうと思う。JICAの教員研修旅行では、ナクル湖国立公園やナイバシャ湖なども訪れた。正直、私はあまり興味がなかったのだが、ピーター氏の話は面白かった。ピーター氏は日本の某動物関係の専門学校の講師でもあり、無茶苦茶詳しいのである。足跡やフンを見て、即座にどの動物のものかを言い当て、解説してくれる。
ピーター氏によれば、最も危険な動物は「カバ」だと言う。水中でのんびりしているカバは愛らしいイメージがあるのだが、案外性格は凶暴だという。しかも雑食性のカバは、時折陸上の「村の食糧」を求めて上陸するらしい。以外に俊敏であること、目が悪いので、柵など押し倒して村をめちゃくちゃに破壊するという。赤ん坊などが踏まれて犠牲になることも珍しくないらしい。

ナイバシャ湖は、グレイトリフトバレー(大地溝帯)の構造湖(マントル対流による地球の大陸移動で生まれた湖)のひとつである。「野生のエルザ」の話で有名な地でもある。ここで、小さなボートに我々は分乗し、遊覧したのだが、カバが寄ってきた時、ピーター氏が「カバに気をつけて。絶対怒らせたらアカン。」と何度も叫んだのであった。たしかに怒らせたりして、舟にぶつけられたりしたらかなりヤバイ雰囲気であった。(笑)

ところで、ピーター氏の兄は、「サイ」を捕る名人だったらしい。カバよりヤバそうなサイだが、本当に目が悪いらしい。サイを怒らせ、走ると、やみくもに一直線に猛進してくるらしい。その先に大きな木があればGOOD。兄さんは、その木にふっと身を隠すそうだ。サイはドッカーンと木にぶつかって失神。(笑)「サイは怖くない。怖いのはカバやね。」と何度も言ってたのを思い出す。

私たちは、多くのケニアの野生動物をピーター氏の案内で見せてもらった。もう一つのピーター氏の名言。私と静岡のM先生が野生のシマウマを見つけて感動していると、「シマウマは、掃いて捨てるほどいますね。」と言ったのだ。たしかに…。ほんと掃いて捨てるほどいたのだった。(笑)

追記:応援していた女満別高校が負けてしまった。来年度の持ち教科を決める教科会と入試の判定会議で、ライブで見ることすらできなかった。まことに残念である。

2012年3月21日水曜日

在アフリカ日本大使館増加計画

ナイロビ 日本大使公邸の暖炉
外相がアフリカや太平洋の島嶼国の大使館を増やすと言いだしたらしい。今さらながら中国のアフリカ進出を念頭においた発言のようである。JICAのケニア視察旅行の時、ケニア大使館がケニア以外の国の大使館業務を行っていることを知った。現在の状況を調べてみると、ケニア大使館は、ブルンジ、エリトリア、セーシェル、ソマリアの諸国を管轄していることがわかった。

ソマリアは隣接しているし、セーシェルは、ケニアの東方インド洋沖にあるので納得だが、エリトリアは間にエチオピアがあって直接行ける位置にはない。ちなみにエチオピア大使館はジブチだけを管轄下においているようだ。(エチオピアとエリトリアとの関係は極めて険悪なのでケニアが管轄しているのは理解はできる。)ブルンジともケニアは隣接していない。ウガンダ、ルワンダには大使館があるのに、小国でコーヒーくらいしかないブルンジはケニア大使館の管轄というわけだ。おそらく、地域の中心の国(たとえばケニア)にまず大使館を置き、いくつかの国を管轄していたところ、発展してきた国(ウガンダやルワンダ)に大使館を置いていって、まだ大使館を置く必要を認めていない国もあるので、こういう複雑なことになっているのだろう。日本大使館があるということは国益上必要で、日本人がそれなりの数が居住したり渡航するということである。昔から日本は豊かであったわけではない。当然、効率性からこんなふうになったのだろう。

現在、日本の大使館がないサブ・サハラ=アフリカの国は、以下の通りである。( )内は管轄している大使館のある国である。

セイシェル(ケニア)、ブルンジ(ケニア)、ソマリア(ケニア)、ジブチ(エチオピア)、コモロ(マダガスカル)、コンゴ共和国(コンゴ民主共和国)、サントメ・プリンシペ(ガボン)、スワジランド(南ア)、赤道ギニア(ガボン)、チャド(カメルーン)、中央アフリカ(カメルーン)、トーゴ(コートジボワール)、ナミビア(南ア)、ニジェール(コートジボワール)、モーリシャス(マダガスカル)、レソト(南ア)、リベリア(ガーナ)、シオラレオネ(ガーナ)、ギニアビサウ(セネガル)、ガンビア(セネガル)、カーボヴェルテ(セネガル)、南スーダン。

ちょっと分析して見る。セイシェル、コモロ、サントメ・プリンシペ、モーリシャス、カーボヴェルテは、小さな島嶼国である。私見だが、この中でモーリシャスとセイシェルは日本人観光客も増加しているので大使館があってもいいと思う。
ソマリア、チャド、中央アフリカ、以前のリベリア、シエラレオネはかなり治安が不安定なので大使館を置かなかったのだろう。
コンゴ民主共和国は、おそらくコンゴ川をはさんで首都のブラザビルと、コンゴ民主共和国のキンシャサが隣接しているので必要性が低いと判断しているのだと思う。
ナミビアに、大使館がないのが不思議。南アからのアクセスがいいからだと思うが、ナミビアのウランは日本がだいぶ買っているはずだし、観光客も増加している。外相の発言で、大使館増を検討する際、最有力候補かな。ニジェールにも是非。最貧国故に是非と思う。

こうやって調べていくと、なんとなくアフリカの国々が外務省にランク分けされていることがよくわかる。まあ当然といえば当然なのだが、アフリカも含めて世界中の大使にも序列が付いているのだろうと思うと、あまり気分のいい話ではないと、私などは勝手に思ってしまうのだった。

2012年3月20日火曜日

衝撃の内閣府雇用調査 私見

衝撃の内閣府調査だった。2010年春に学校を卒業した者のうち就職できなかったり、就職してから3年以内に離職した割合が、大学・専門学校卒で52%(中退者を含む)、高校で68%だという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120319-00000078-mai-pol

先日書いたように、グローバリゼーションによる社会全体の雇用の変化(3月8日付ブログ参照)の影響が大きいとは思うが、中堅校の現場の高校教師としては、それだけではすまされない。定職についていない彼らを全面否定する気はないが、異常事態である。今日は危機感を持って書きたいと思う。

私は「ゆとり教育」についてメリットもデメリットもあると思うが、現状を見るとデメリットの方が大きいと言わざるを得ないと思う。好きなことはやるが、嫌いなこと、しんどいことを避けるという生徒が全体的に増加していると思う。教育にはバランスが必要だ。興味関心を広げる「学び」は重要だが、いわゆる強いて勉める「勉強」との両輪がうまくマッチすることが重要だ。義務教育の段階で、このバランスが狂っているように思うのだ。もちろん現場の先生方を責めているわけではない。カリキュラムがそうなっているようだ。

教育原理のテキストみたいな話になるが、「知育」「徳育」「体育」の3つの視点から、この内閣府調査の結果を考てみた。まず「体育」から見ると、体力がないと精神力(気力)がどうしても弱くなる。離職したり中退したりする原因の1つは、最近の生徒・学生の気力が衰えているとしかいいようがない。

次に「知育」から見てみよう。私は、全ての教科学習というのは、自己のシミュレーション能力を磨くための知識を伝授され、それを知恵にかえるものだという私見を持っている。社会科の教師としては、歴史から学び、それを経験知とすること。たとえば中国史を学ぶことで中国の人々の考え方の理解に深めることが重要だし、ナチスの政権奪取(WWⅠの戦勝国やユダヤ人、共産党を敵として何度も繰り返しプロパガンダすることで、中産階級に支持を広げる方法)を学べば、現在の日本で同様のことが再現されていることが認識できるはずだ。地理も大事な経験知だし、物事の考え方の経験知が倫理だったりする。政治・経済も同様である。数学も理科もつきつめれば論理的な思考のトレーニングだ。英語も国語もそういうトレーニングの基礎となる言語的なトレーニングである。各教科によって、「学び」と「勉強」のバランスは異なるが、「知育」がしっかり自分のものにならないと、社会で生きる上で最も重要なシミュレーション能力が養われない。この内閣府の調査を見ると、自分の人生へのシミュレーション能力が欠けているのではないだろうか。社会はきびしい。なかなか自分の思うと通りにはならない。それが現実である。離職や中退というカタチで逃げても、悪化することのほうが多い。それが見えないのは、全体的なシミュレーション能力の欠如である、と私は思う。理性的に判断できないことは、「知育」の問題である。

そして「徳育」である。「自由」という概念を責任という二律背反した位相から見ず、クレームをつけることが「人権」だという社会になってしまったようだ。自由は自己の責任を果たすことで自ら獲得するものである。高校における徳育は、ドグマ的な押し付けの徳育ではなく、生徒集団の中で、さまざまな人間がいることを知り、人情の機微を知り、自己の責任として周囲を幸福に導く訓練が行われるのが、私は徳育だと思っている。リーダーシップの芽のある生徒にはそれを延ばし、苦労させなければならない。ささえる側で活きる生徒は、それを伸ばせばいい。人間力は集団の中でしか育まれない。当然理不尽なこともある。社会は「正義のロジック」で割り切れるものではない。したがって、理不尽に耐えれることも人間力である。今回の結果は、そういう自己の責任の認識の甘さ、理不尽な現実への対応力の欠如とも言えるだろう。

健全な「体育」で気力を。「知育」で様々な知識を知恵に変え、シミュレーション能力を。「徳育」は集団の中で責任を果たし自由を獲得し、理不尽な社会に耐えれる対応力を。

私は、現場の高校教師として、自分の教え子から、この現実を変えていきたい。日本の現実から見れば微々たるものかもしれない。でも、私に出来ることはこれだ。そして最終目標は、当然これらをクリアーした「地球市民」の育成である。

2012年3月19日月曜日

LEGOのノートブック

先日、京大の公開講座に行く前の話である。妻といっしょに京阪枚方市駅近くのNクリニックに行った。月1回の糖尿病の薬をもらうためである。(妻はなんか別の薬をもらって飲んでいる。)その後、駅近くのお気に入りの喫茶店でコーヒーを飲んで、京都行の特急に乗るまでの時間つぶしをしていたのだった。ふと本屋に立ち寄ると、レゴのノートブックと手帳を売っていた。なんと表紙にレゴブロックが埋め込んである。不思議なノートである。なんか魅かれるものだある。

実は私はLEGOが大好きである。昔々私がガキだった頃、LEGOはいわゆる高嶺の花であった。ダイヤブロックは持っていたが、LEGOに常に憧れていた。親戚のガキがLEGOを持っていて激しく嫉妬した経験もある。だから、息子が生まれた時、すぐにLEGO(3歳用)を買いに走ったのだ。我が息子は、ダイヤブロックではなくLEGOで育てるのが、私の教育方針だった。(笑)それ以後、アホほどLEGOを買った。カリフォルニアのLEGOランドにも行った。

ところで、WEBで調べると、このノート、モレスキンというイタリアの有名な手帳メーカーとのコラボ商品らしいのだ。赤のノートは全て白紙のページらしい。表紙のレゴを撫でながら、アイデアを練るというコンセプトらしい。(笑)
http://news.walkerplus.com/2012/0303/12/

で、結局、赤のノートブックを買い求めたのだった。その使い道だが、国際理解教育のアイデアノートにしようと思っている。「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」の改訂のためのアイデア。新しいアクティビィティのためのアイデア。なかなか、じっくり取り組む時間がつくれないのだが、このノートを触媒として踏み出そうと思うのだ。

2012年3月18日日曜日

アホスキーの黒人街

先日、向井万紀男さんの「謎の1セント硬貨」の書評を書いた。さらに読み続けていて、ふと思い出したことがある。本の内容には触れずに、そのことをエントリーしたい。

昔、卒業式を終えて担任団でアメリカ旅行したことがある。その時の話である。ノースカロライナ州のニューバーンという田舎街が我々の目的地であった。ALTのお父さんが教頭を務める学校を訪問するためである。北にある海軍基地の町ヴァージニア州ノーフォークから往復したのである。私自身は、向井さんも書いているように、アメリカはドライブしながら田舎町をめぐるのが一番だと思う。いろんなところに寄り道しながら、いろんなアメリカ人と触れ合う旅。私のようなサバイバル・イングリッシュ・スピーカーでもなんとかなるものだ。私はアメリカにも人を見に行く。(もちろんヒコーキも見るけど…。)

今日の主題は、その帰路ニューバーンからノーフォークへと続くR17にある小さな町の話だ。アホスキーという、笑えるような名前の町である。誰かがトイレ休憩しようと言いだしたので、スーパーの駐車場に車を滑り込ませたのである。英語のO先生を先頭に、トイレを探しに行くと、「ない。」と言う。「?」全く想定外の答えだった。「従業員用のトイレならある。」ということで、我々は従業員用のトイレで用を足したのだ。

なぜスーパーにトイレがないのか不思議だったが、よくよく見ると、客も従業員も黒人ばかりだった。どうやらアホスキーの黒人街のスーパーに我々は突入したのだった。ニューヨークでも地下鉄駅や公園には公衆トイレがない。率直に言うと危険だからだ。

ノースカロライナ州は南部に属する、滅茶苦茶(白人が)親切な州だ。ハリケーンさえ来なければ自然も最高。私は大好きな州なのだが、このアホスキーのスーパーだけは雰囲気がまるで違った。しかし、我々は平然と従業員のトイレを使わせてもらった義理もあって、買い物をしていた。今から思うと、危険だったことはいがめない。しかしまあ午前中だったし、皮膚感覚では危険を感じることもなかったのである。うーん、懐かしい。10年以上前の話である。

2012年3月17日土曜日

京大アフリカ研'12公開講座3月

春はまだまだ。京大稲森財団記念館 
毎回楽しみにしている月イチ京大の公開講座の日である。シリーズ「出会う」の第2回は、近藤 史(ふみ)先生の『暮らしを守る女性の知恵に出会う』。南部タンザニアの高原の村に住む女性たちの話だった。近藤先生は農学部出身で、学士時代はジャガイモの研究をされていたのだが、原点に立ち返りたい、生活に密着した農業について学びたいと、遠いアフリカに志をいだかれたそうだ。アフリカ地域研究科に進まれてから、美しい棚田をつくる人々に魅かれ、タンザニアへ。どうも語学に難があったらしく、男性より女性の輪の中へ入るよう指導教官に言われたことが今回の研究の出発点だと大声で笑われた。(笑)

タンザニア、イリンガ州キファニャ村。この地に長期滞在して、女性の暮らしと農業について調べてみると、男性は現金収入を得るため、製材や建築など多岐にわたる職業についていた。食糧生産は女性の仕事になっていたという。この村には植民地時代にオーストラリアから移入されたモリシマ・アカシアという有用な木(成長も早く、薪や炭にも使え、枝葉は焼畑に使う)が多い。その植林地を焼畑にし雨季の畑とするそうだ。シコクビエを1年目、トウモロコシを2・3年目に植えるらしい。共に成長するアカシアが大きくなる4年目はもとの植林地となるそうだ。要するに植林しながらの農耕というわけだ。

さてさて、この村には谷地(やち)の畑がある。雨季に降った天水が地下水となり、谷地を乾季でも潤す。村の夫人たちは、男たちに酒を振る舞うことで協力も得て、この谷地に排水溝をほり、乾季でも農耕が可能な畑をつくったのだ。「婦人の畑」「ママの畑」と呼ばれるこの谷地の畑では、暮らしに密着した農耕が行われている。日々の食生活を豊かにしたい婦人たちは、様々なアブラナ科の葉菜類(キャベツ、西洋アブラナ、ダイコン)をはじめ、カボチャやジャガイモ、サトイモや、焼いて食べるためのトウモロコシなどをつくる。どこに何を作るか?婦人たちは様々な試みを繰り返しながら、作物の生育ステージをずらし、乾季でも毎日新鮮な葉っぱをGETするのだという。これらは自家消費するだけでなく、ちょっとした現金収入にもなる。村のキオスクに置いておき、店の人に勝手に売ってもらい、そのお金で塩や石鹸などをその店から購入するという。

この谷地畑の最大の特徴は、インゲンマメを乾季の最も高値の時に収穫できることである。彼女たちは、そのへんを良く心得て、品種別に収穫・乾燥・脱穀を行い、商品価値を高めたうえで、都市からくる商人に販売する。もちろん、携帯電話も使い、価格動も調べているそうだ。(笑)

このような村の生活は、いわゆるウジャマー社会主義政策で、集住化が進められたことで、従来の焼畑だけではが食糧の確保が危ぶまれたことに由来するらしい。1996年以後経済の自由化以降、マメの生産が大きな収入源となった関係で、この谷地は面積も拡大し、化学肥料も使用されるようになり、かなり商業的になっているわけだ。とはいえ、この村の婦人たちは「効率」より「多様性」を求めている。儲かるマメだけ作るより、いろんな野菜を作って食生活の豊かさを得る方がいいと考えている。楽しみながら稼ぐし、いろんな試行錯誤も面白いと考えている。仲間との協力も、自然で、無理のない”つきあい”なんだそうだ。

…始めてアフリカを訪れた時、女性の働く姿ばかり目にした。頭にバケツを乗せ運んでいる女性。国道で野菜などを売る女性。男性はどこで働いているのだ?という感覚を持った思い出がある。近藤先生に質問したところ、タンザニアにも買婚のシステムは生きているそうだ。しかし、ウジャマー時代に男女平等が謳われ、10軒ほどの最小単位の行政区で夫の暴力行為が起こったら、酒20ℓとニワトリ1羽を全員に振る舞って、妻にワビを入れるんだとか。離婚したら、元妻の半径1m以内に近づけないとか、面白いルールもあるようだ。

…(国内の食糧生産における)商業的農業を、無理なく、自然に、そして明るく楽しくやっているという婦人の話。そのおかげで、男性の働く製材業なんかも機械が導入され、持続可能な発展が進んでいるようだ。…なんか、ほのぼのとして、希望のもてる話だったのだった。やはり、アフリカに学ぶことは多い。近藤先生、貴重なお話ありがとうございました。

2012年3月16日金曜日

「謎の1セント硬貨」を読む。

前任校の卒業式の帰路だったと思う。京橋のK屋書店で文庫本を一冊買った。昨日書評を書いた佐藤優の文庫本を読むのに時間がかかったので、熟成した上で昨日あたりから読みだしたのだが、これがいい。アタリ中のアタリである。その文庫本とは、向井万紀男著『謎の1セント硬貨-真実は細部に宿る in USA-』(文春文庫・本年2月15日発行)である。

私はアフリカを研究する前は、アメリカの研究を10年ほどしていた。最近アメリカ本とは、とんと御無沙汰なので買ってみたのだ。著者の向井万紀男さんは、日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋さんの夫である。この本の冒頭を読んで初めて知った。(笑)全くいいかげんな本選びである。(ちなみに妻は向井千秋さんを尊敬している。万紀男さんの本も読んでいて、当然知っていた。)

この本は、万紀男さんが、宇宙飛行士の訓練を受けている千秋さんがいるヒューストンを訪れ、共にアメリカを旅した際に、気になった小さな出来事をインターネットで調べたり、質問をメールしたりして謎を解いていくというパターンのエッセイ集である。内容もさることながら、軽快な文章が私の読心の琴線にふれまくった。どんどん読み進めてしまう。

あまり内容をばらさない方がいいと思うので、タイトルになっているプロローグの『謎の1セント硬貨』の話だけちょっと書いておこう。クリスマス休暇に千秋さんとフロリダに向かう国内線の機内で、アテンダントが明るくアナウンスするのだ。「ファーストクラスのお客様用のシャンパンがあまったので、エコノミーのお客様にプレゼントします。」「誰にプレゼントするか考えました。最も古いペニー(1セント硬貨)を持っているお客様に。」機内では、みんな財布を出して手持ちのペニーを調べて大騒ぎになったのだが…。ここに登場するのは「スチール・ペニー」を常に財布に入れていた男性。万紀男さんは、この「スチール・ペニー」について調べ、ある疑問をもち、メールを送ると言うわけだ。

この他、巨大な星条旗の話、空を見上げるポパイの話など、ちょっと他では知ることのできないアメリカのミクロな鳥瞰図が次々と紹介されるのだ。

当然まだ全部読んでいない。全部読んでもきっとブログで紹介することはできないだろう。私は読者のみなさんにも是非とも読んでいただきたいと思っているから…である。

2012年3月15日木曜日

佐藤優「甦るロシア帝国」

プレビューしてみたら、先ほど10万人のアクセスを突破したようだ。32人の読者の皆さんをはじめ、多くの方に見ていただいて、ほんと感無量である。ありがたいことだ。

今日は、久しぶりに書評を書きたい。またまた佐藤優の本である。(笑)「甦るロシア帝国」というタイトルの文春文庫である。実は私は、全く新しい著作だと思って買ったのだが、単行本の「甦る怪物(リヴァイアサン)私のマルクス ロシア編」を改題し、巻末に「プーチン論」が付加されたものだった。

実は3年ほど前、私は単行本で「私のマルクス」の日本編もロシア編も読んだ。この2冊は佐藤優の思想的自伝にあたるもので、この2冊は佐藤優を読む上で欠かせない。とはいえ、このロシア編、再読だと気付いたのは、あと少しで読了というあたりだった。(笑)と、いうのも、佐藤優がモスクワ大学でプロテスタント神学の講義をする話が延々と続くのだが、初読の時よりはるかに理解が進んでいるのでバルト神学等の論理が分かるという新鮮さがあったからだと思う。「はじめての宗教論」、右巻・左巻(本年2月10日付ブログ参照)を読んで、ある程度神学の理解を深めると、さらに面白く読めるのである。

さて、巻末の「プーチン論」について書きたい。エリツィンの側近・ブルブリスの言葉が面白い。『ロシアには三種のエリートが存在する。第1カテゴリーは共産全体主義体制のエリート。第2カテゴリーは、エリツィンとの個人的関係、あるいはソ連崩壊期に民主運動に参加したために急速な階級的上昇を遂げた者。偶然のエリートと呼んでよい。国家を運営するエリートとしての基礎体力に欠ける。第3カテゴリーは未来のエリート。第1カテゴリーと第2カテゴリーは狼だ。お腹をいっぱいにしておかないと、第3カテゴリーのエリートを食べてしまう。』…このブルブリスの分析によると、プーチンは第2カテゴリーで、メドベージェフは第3カテゴリーらしい。

ところで、ユーラシア主義(ヨーロッパとアジアを結ぶ帝国主義)をプーチンはロシアの国家戦略の基調としているようだ。中国という世界の新たな「帝国主義の極」に対して、EU、日本と連携しながら、これに対抗し、自らも「新しい帝国主義の極」となろうとしているようだ。したがって、日本が東アジア共同体という日・中・韓の連携より、日本がアメリカと結ぶTPPを歓迎しているとの分析だ。…なるほど。

一方、ロシアにはビザンチン帝国の『カエサルパピズム』(皇帝教皇主義:国家システムだけでなく人間の内面も指導する独裁政治)の傾向があるという。…今回の大統領・首相の交代劇も、狼である第2カテゴリーのエリート・プーチンらしいといえようか。なかなか面白い。

2012年3月14日水曜日

アフリカのリアルなキュビズム

タンザニアやモザンビークでガス田が相次いで発見され、今東アフリカが熱いらしい。
が、今日は、アフリカの都市アートについてエントリーしようと思う。
アフリカに行くと、特に散髪屋さんのヘアーカット図などに笑えることがある。リアルなキュビズムといった感じ。国立民族学博物館にも、そういう展示もあったはずだ。私は大好き。もの凄く味がある。

今日WEBを見ていて面白いページを見つけた。ロケットニュース24「アフリカで描かれた味がありすぎる映画ポスター26選」である。こういう「宝島的なるモノ」に妙な解説はいらない。中にはグロテスクなものもあるけど、リアルなキュビズム、是非ご覧あれ。

2012年3月13日火曜日

日経『受動的な無責任改めよ』

石橋湛山
今朝もモーニングで日経の「経済教室」を読んでいた。今日の小論は、日本政治が専門の北岡伸一東大教授のものであった。タイトルは『「受動的な無責任」改めよ』というもので、大震災という国難への対応をめぐっての日本の政治批判といった内容だった。なかなか示唆に富むものだったので、手帳に書きとどめておいた。今日のエントリーはその紹介としたい。

『多くの人が「安全・安心」を強調する。しかし大事なのは安全の確保であって安心の確保ではない。安心を強調するのは、実はお上に依存するということである。国民が安心を求め、リスクをゼロにせよと言えば、政府はこれに答えてリスクはゼロだと言う。こういうフィクションはやめるべきだ。人生はリスクに満ちている。リスクを直視し、これをできるだけ減らすように様々な努力をし、あとはリスクを取って行動することが必要だ。日本の経済発展の停滞も根源にあるのはリスクを取らない精神ではないだろうか。』

『石橋湛山の大正12年10月の「精神の振興とは」の中に、次のようにある。亡びゆく国民なら知らぬこと、いやしくも伸びる力をもつ国民がこの位の災害で意気喪してはたまるものではない。心配はむしろ無用だ。…傾聴すべき言葉である。』

この論の前半にこんなことも書いてあった。小選挙区の本場であるイギリスでは、20世紀に3度の連立政権を組んでいる。第一次世界大戦、世界大恐慌、第二次世界大戦である。国家の危機に大連立することは、むしろ常道である。

なるほどと思うのである。私も含めて、いいかげんにしてくれと、国民の多くは思っているはずだ。与野党含めての私心にまみれの権力闘争にはもうウンザリである。

先日、震災後、地元の岩手県に戻ったというある大物政治家の記事を読んだ。大震災後これが2度目だと言う。裁判については国策捜査っぽいので私は同情的だったのだが、震災に苦しむ地元をなおざりにできる「人としての」姿勢に、天下国家を語る資格が彼にあるのだろうかと思ってしまうのだ。

2012年3月12日月曜日

ジンバブエ最新報告を読む

左記 ジンバブエ報告より
先日、ジンバブエの経済成長率がかなり上がっているという情報を書いた。結局その理由については書かずに終わっていた。ちょうど、面白い最新情報を見つけた。一昨日の投稿だから、湯気がでそうなくらい新鮮な情報なので、紹介しておきたい。
『アフリカ諸国との格の違いを見せつけられたジンバブエの現状』と題された自転車でアフリカを旅している周藤卓也氏の報告である。

どうやら、ジンバブエドルは使われなくなり、米ドルと南アの通貨ランドが流通しているらしい。独立国家としては情けない話だが、あのクレイジーなハイパーインフレを乗り切る手段としては最も効果的だったのだろう。時間の経過とともに、農場経営のスキルも上がったようである。
ムガベのデモクレイジーさえなければ、元々バックパッカーが、人良し、気候良し、インフラ良しで『沈没(長期滞在)する国』として有名だった。ファーストフードのチェーン店やスーパーマーケットの写真なども掲載されていて、私が行った時くらいに戻っているようだ。

ジンバブエ人は、ほんとにフレンドリーだ。少しずつ良い方向に向かっているようで、嬉しい。興味のある方は、是非ご一読を。

2012年3月11日日曜日

3.11 DASH村を見る

鉄腕DASH HPより 村長のおきあがりこぼし
大震災から1年である。日本各地で、また世界各地で追悼の行事が行われた。私は術後の陛下が出席を強く望まれた追悼式をNHKで見ながら、黙とうした次第。TVでは、1日中震災関連の番組が行われていたわけだが、読売テレビのDASH村が最も印象に残った。私は、地理で農業の話をする機会も多いので、いつもDASH村の様々な農業実践を毎回楽しみにしていた。それが、例の原発事故で退避となり、(農業指導をされていた)アキオさんを始め、北斗(村で飼っていた犬)、ヤギや羊たちはどうなったのか、凄く心配していたのだった。震災後、関係者や動物たちの所在も次第に明らかになって、ほっとしたものだ。

今日の番組でも、TOKIOが関係者を回り、様々な現状を伝えてくれた。中でも福島県の農業の未来を探るという姿勢、DASH村で放射能の定点観測や新たな実験など、様々な試みをしていた。DASH村は死なずである。村をどこにするか探すところから見ている私としては、それがなにより嬉しい。

ぐっさんがチェルノブイリに行った企画もなかなか印象深いものだった。ウクライナやベラルーシでは、事故後、長い時間を経て、農家は放射能と共存しているように見えた。もちろん様々な問題も違いもあるが、福島の農業問題への示唆も多くあるはずだ。

最後の企画はDASH村の羊の毛を使って、村長(アヒルである。)の起き上がりこぼしを、被災者の方々が作るものだった。生中継のエンディング、テーブルに不揃いの村長おきあがりこぼし達と、新潟で生き続けるTOKIOの作った『男米』が並んだ。3.11から1年。精一杯の「DASH村は死なず。福島の農業も死なず。」というメッセージを送っていたと思うのだ。
http://www.ntv.co.jp/dash/

ほんと、大阪にいる私などに出来ることなど大したことはない。でも東北の農産物を買うことはできる。東北の皆さん、頑張ってください。

2012年3月10日土曜日

SepatateWaysと虹の彼方に

久しぶりに1日2回のエントリーをしたい。と、いうのも生徒との思い出の曲の話題が2曲同時にメディアに流れたからだ。

1曲目は、WBCのテーマ曲である。毎日放送(東京ではTBS)で震災復興支援の台湾戦で、前回のWBCのテーマ曲が流れていた。Jourreyの「Sepatate Ways」という曲で、昔々商業高校で3年生をもち、文化祭でクラスでミュージカルをやった。その最初のダンスに使った曲である。もちろん生徒の選曲なのだが、この曲がWBCで使われ嬉しいやら、懐かしいやら。きっとクラスのみんな(もう40歳くらいの大阪のおばさん?である。)も、そう感じているはずだ。実は、このクラス、商業高校での最後に卒業させたクラスである。たまたま欠席数やら遅刻数やら、欠点数やらの統計を見たら、学年で最もきびしいクラス編成だった。学年主任のS先生によって、こういうクラスを、あえて28歳の若造に信頼してまかせていただいたわけだ。

始業式の日、若かった私は「4組は文化祭でミュージカルをやる。LHRは行事以外、全部ミュージカルの練習をする。」と宣言したのだった。プライベートで、イベントの企画運営をやっていたので、若かったし、行け行け!GO!GO!だった。なんとか自信をつけさせたかったのである。大変なクラスだったが、一人ひとりと面談しながら、スタッフとキャストを構成して行った。ある程度軌道に乗せた時点で生徒にのリーダー群にタッチした。『一切衆生要皆生甲斐』変なタイトルだが、平凡なOLが、自分の生きがいを求める物語だ。生徒の原作脚本をもとに私が脚色した。タイプライターの効果音の中、緞帳が上がると、主役のP(あだ名がPで始まる。)が、舞台中央のサスペンションライトに事務服で立っている。充実したOL生活を送っていることを告げた後、「でも何かがものたりない。…そう、私、ミュージカルをやるの!」と呼びかけ、両手を広げた瞬間、事務服が真っ二つになり、レオタード姿になるのだ。後方には、クラスの半数がスタンバイしたダンスチーム。そして、ここで「Sepatate Ways」が流れるのだ。
本番の後、全員が泣いた。若かったなあ。怖いものなしだったなあ。そんな気恥ずかしさもある。

もう1曲は、ドイツの大統領(実質的には政治力は首相にあるので、権威として存在している。)クリスチャン・ウルフ氏の退任式が行われたというニュースだ。ドイツでは、大統領・首相・国防相が退任する時、慣例として好きな曲を軍楽隊に演奏してもらうらしい。ところが「栄誉に値しない」とする市民がブラゼラ(例の南アワールドカップで使われたうるさい楽器だ。)を吹きならしたらしい。大統領の選んだ曲は、これまた前任校の2年生のクラスでやったミュージカルで、みんなが合唱した「虹の彼方に」(OZの魔法使いの挿入歌)である。文化祭の時は出演者のみで日本語で歌い、アメリカ研修旅行では裏方も入って全員で英語で歌った曲だ。

本番の後、多くの満足した笑顔を見た。それなりに歳をとって則を越えず、というところか。

教師を長くやっていると、生徒と共有できる曲がある。商業高校で生ギターで歌った松山千春の「大空と大地の中で」(前任校でもやった。笑)や、工業高校でバスで何度も生徒と歌った爆風スランプの「Runner」などだ。

元に戻るが商業高校のあのクラスで卒業式の日、当時流行していた渡辺美里の「My Revolution」をみんなで歌った。

…『夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃだめさ 君が教えてくれた My Fears My Dreams 走りだせる』
いまでも、カラオケで歌うと、いっしょに泣いた3年4組の生徒の顔が浮かんでくる。

シオラレオネ話 in 中央公会堂

大阪中之島・中央公会堂
アフリカ旅行専門の旅行会社・道祖神のカルチャー講座に行ってきた。藤井千江美さん(昨年11月19日付ブログ参照)の講演である。3回にわけて講演するそうで、今回は西アフリカ・シオラレオネの話が中心だった。藤井さんは、スイスの旅行会社に勤務していて、アフリカを旅して魅せられ、南アの旅行会社に移り、さらにアフリカの保健医療をなんとかしなければと看護婦の免許を取得し、JICAのシニアボランンティアでボツワナ、専門家としてシオラレオネに派遣された人だ。

今回の講演は、中央公会堂の2F会議室で行われた。いつもは道祖神のオフィスのあるビル内の会議室だったのにと不思議だったが、良く見るとオフィスが移転していたのだった。そういうえば、長く行っていない。

さて、さすが道祖神の講演会。アフリカ経験者がほとんどだった。(笑)というわけで藤井さんの用意したアフリカ入門の話はかなりスルーした。サハラ縦断の話も面白かったし、アフリカの人々の優しさの話もイミグレの理不尽な話も面白い。これら前ふりの後シオラレオネの話になった。話の内容をぐっとまとめると、前半はシオラレオネの一般論、後半は保健医療のJICA専門家から見た話だった。

一般論の中で、私が最も意外で面白く思ったのは、シオラレオネの国際空港と首都フリータウンのアクセスの悪さである。その間に湾(要するに海だ。)があり、ヘリコプターで5分、$80だという。高速艇もあるらしいが、陸路でバスだと6時間かかるらしい。まあ、航空機を利用するような人々は、だいたいがリッチマンだから、いいか。(笑)…しかし、バックパッカーだったら、滞在費とのバランスを考えると凄い値段である。こんな話もあった。藤井さんが派遣された北部のガンビア県の現地語では、「ありがとう」は「モモ」で、後に「ヨー」と延ばすんだそうだ。ちょうど、モモ君という子どもがいて、よく物売りに来たそうで、そんな時、「モモ、モモヨー」と言うんだとか。(笑)

後半の話は、JICA関係者(JOCVや専門家)の話を聞き慣れている私にとっては、ものすごくよくわかる話だった。HDI(人間開発指数)の話も出てきた。多くの方が初めて聞かれたと思う。旅行社の講演会だけど、こういう固い話を平気でやってしまってもいいのが、道祖神という会社の良さだと思う。ところで、パンフレットを貰った。『藤井千江美さんと行くシオラレオネを識る旅11日間』道祖神という会社は、野生動物=アフリカ旅行だとは考えていない。スタディツアー的なものも多いのだ。なかなか面白そうな旅だ。(日程と金額から、当然私は行けないけれど…)

質問会になった。ある青年が、「アフリカは男性優位という一面がるが、JICA専門家として女性故に困ったようなことはなかったか?」という質問をした。いい質問だ。藤井さんは「案外女性も多かったので…。」と答えられた。この質問を聞いた時、ケニアのちょっと威張った男性官僚たちが浮かんだのだが、最近JICA大阪国際センターやワンフェスで出会ったアフリカの研修員さんは、案外女性が多かったことを思い出した。キリスト教圏を中心に女性テクノクラートが進出しているのだろう。

藤井さんも、国際支援について、あるいは現地のアフリカの人々との自立発展についてなどに悩んだことを率直に述べられていた。様々なアフリカの国々を渡り歩いた藤井さんも今さらながらに答えを見つけられていられないのだ。そういうアフリカに学ぶ姿勢に大いに好感をもった次第。次回は6月23日。うまいこと京大の公開講座とずれている。アパルトヘイト廃止直後の南アの話と聞いている。まだ新学期の日程が未発表なので微妙だが、また藤井さんの話を聞きたいと思っている。

2012年3月9日金曜日

ジンバブエの成長率から「駒」

[世] 実質経済成長率の推移(1980~2011年)の比較(ジンバブエ、アンゴラ、ウガンダ、ボツワナ、ルワンダ)
アフリカビジネスニュースによると、かの失敗国家として有名なジンバブエの2011年の経済成長率は9.3%で、2012年度は9.4%と予測されているという。
http://www.africa-news.jp/news_vZ6TxCnC3.html
ホンマかいなと調べてみたら、おもしろいサイトにいきあたった。「世界経済のネタ帳」というサイトである。これはなかなか面白い。ジンバブエの経済成長率のグラフをつくれたので、せっかくだから気になるアフリカの国の経済成長率と合わせてみた。これは使える。

このグラフだけでも様々なことがわかる。ジンバブエが失敗国家と呼ばれて久しいが、ようやく上昇に転じつつあること。アンゴラが内戦から立ち上がり石油生産で凄い経済成長率を示したが、ここ2~3年は少し収まっていること。ウガンダは、堅実に成長していること。ボツワナは一時ダイヤモンドで好景気だったが、このところ低迷していたこと。ルワンダは94年の内戦後ウガンダをやや上回る安定性を示していること。

これは、「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」最新ヴァージョン改訂に使えそうだ。

そのほかにも、いろんなランキングもある。国際商品価格の推移もわかる。様々な使い方ができそうだ。なんか嬉しい。

世界経済のネタ帳:http://ecodb.net/

2012年3月8日木曜日

日経『革新否定では未来見えず』

日経の今朝の「経済教室」は伊藤元重東大教授の『「革新否定」では未来見えず。』と題した小論だった。要するに、人口減やグローバリゼーションによる日本経済低迷を受けて、後ろ向きになるなという話だった。

この論の中で面白い話が載っていた。働くという意味の英語には三種類あるらしい。レイバー(labor)は肉体を使った労働。ワーク(work)は工場や事務所での仕事。そして、プレイ(play)、これは家畜や機械にはできない労働を意味するらしい。古代以来、人間の労働はレイバーが中心だった。それが産業革命でワーク中心になり、IT化・グローバル化によって、先進国ではワークの需要が大きく減少しているわけだ。途上国に生産拠点が移り、IT化によって事務所の仕事が減少したわけだ。昔はアメリカでは、高校を出てタイピストの学校に行くだけで、雇用が十二分にあった、と。日本でも高校を出て工場で働いて、十分中間層になることができた、と。…なるほど。

伊藤教授は、これからはプレイという労働のカタチが必要だと主張する。人間にしかできない労働。それが、タイトルにある日本経済の「革新」であり「未来」なのだ。

私自身は、この小論を読んで2つのことを考えた。
ひとつは、中堅校の教師としてである。本校では就職を希望する生徒もいる。ワークという労働をするにしてもプレイに移行できる力をつけさせたい。昔工業高校にいた時、クラスでも指折りのヤンチャがいた。信頼関係だけは十分にあったので、就職先も私が決めた。(バブル最盛期だったので)給料は他の会社よりかなり高い。その会社(ローソンなどの店舗設計)の人事担当は、ヤンチャでもいい、頑張れる生徒が欲しいとのことだった。彼は、私の指示通り就職した。最初は作業ばかりだったらしいが、面構えがいいとのことで、営業に回され成果を上げたらしい。ある日突然連絡が入った。「結婚するので、仲人をして欲しい。」びっくりした。岡山の新支店長に抜擢されたのだという。設計も手掛けているとのこと。社長派と常務派の両方からかわいがられていて、どっちかに頼むとややこしくなるので恩師に頼むことにしたとのこと。(笑)分数の掛け算に四苦八苦していた男が、設計までできるようになったのは、妻となる同僚に教わったかららしい。(笑)でかい4WDに乗って岡山から挨拶にきたことを思い出す。彼にしかできないプレイがあるようだ。今も年賀状のやりとりが続いている。学力以上に人間力…本校でもF君のような奴を育みたい。

もう1つ考えたこと。アフリカでは、またまだレイバーが中心だということ。この格差を考えるたびに、アマルティア=センの「貧困」の概念を改めて考える。日本でも、ブータンのような幸福論が出てきた。開発教育の世界でも、そういう立場をとる先生方も多いようだ。正論かもしれないが、アフリカの水を飲んだ私としとしては唸ってしまう。

持続可能な開発、それはやはりレイバーからワーク、そしてプレイへとスパイラルしていくことなのだろうか。うーんとまた唸ってしまうのである。

2012年3月7日水曜日

春の補習に向けて 三国時代

世界史Bの補習の準備を一日中していた。以前書いたが、結局「後漢」までしか行っていいないので、まずは中国史を進めることにした。と、いっても今日準備が出来たのは「唐」の終わりまでである。世界史の入試のスキル(要するによく出題される部分)は、ほどほどにして大局から論じたいところだ。

三国時代は、三国志演義でも多く語られ、なかなか面白いところだ。ところが世界史のサブノートでは、魏:曹操の息子曹丕が建国、蜀:劉備、呉:孫権…以上である。おいおい。桃園の誓いも赤壁の戦いもくそもない。ただ、こういう話はしておこうと思う。後漢が力を失った後、地方豪族が乱立するのだが、曹操は宦官の養子の息子で豪族。黄巾の乱鎮圧で多くの豪族を傘下におさめていく。孫権も当然豪族。しかし劉備は、漢の血を引くということになっているのだが、実際は身分が低かったらしい。ここで、諸葛孔明との「三顧の礼」の話が出てくる。この話、劉備が諸葛孔明をなぜ欲しがったか?実は諸葛家は、大豪族で、兄は孫権につかえる大臣、又いとこは曹操につかえていた。諸葛孔明を得ることは、劉備が蜀の地方豪族に認められるためにも大きな力となったわけだ。

こういう分裂の時代、豪族の力量をいかに抑えていくか。均田法や九品中正法や府兵というアイデアが生まれてくるわけで…なかなか面白い視点になってくるわけだ。

このところ、夜にフクラハギがつることが多い。イタタタタ。力を入れると痛む。もっと書きたいが今日はここまで。(笑)

2012年3月6日火曜日

前任校の卒業式なのだ。

前任校ではかるた部が全国大会に出場したようだ。(3月6日)
前任校の卒業式に行ってきた。8:30から会議が入っていて、終了後駆けつけたのだが、式はすでに始まっていた。途中で式場に入るのも憚れるので、君子然としたT先生や国際交流部のY先生など受付担当の先生方や管理作業員さんの部屋で時間をつぶしたりしていた。(笑)『仰げば尊し』『蛍の光』が歌われて、いよいよ卒業生が退場してくる。前任校では、生徒数の割に体育館が広いので、毎回多くの教員が退路を囲み、拍手で送り出す。その場に滑りこんで、拍手を送った。

1年生の時、選択の地理Aを教えた生徒たち。顧問だった美術部の生徒たち。中国修学旅行に、いっしょに行った国語科の生徒たち。国際交流部で関わった英語科の生徒たち…。

ありがたいことに、式典後私の姿を確認した卒業生たちが、アルバムに記帳を求めてきてくれた。また、共に記念写真をと求められた。その数、在任していた昨年と同じくらい多数。ありがたいことである。喜んでもらえて本当に嬉しい。4月の離任式に出れなかった分、今日の卒業式に出させてもらったわけだが、進路の話なども個々に聞き、激励もできて本当によかったと思うのだ。

今年の卒業生も、難関私大にガンガン合格してくれていた。地理Aで教えたある卒業生は、なんと同志社大の神学部でイスラムとアラビア語をやるらしい。(笑)もしかしたら、息子が教える機会もあるかもしれない(笑)。国公立大の発表は、明日以後なので「ドキドキしてます。」という卒業生や、アメリカ留学が決定している卒業生もいて、話を聞くだけでも楽しかった。

当然ながら、教務部長として卒業式を進行していたY先生と昼食をとり、後輩の口の悪いI先生と、なつかしのラーメン屋の前で喫煙した。なかなか充実した1日だったわけだ。

前任校の卒業生、在校生、そして先生方ありがとうございました。

2012年3月5日月曜日

アフリカで「屠る」ということ

椎野さんのアフリカ便りより
久しぶりに『NPO アフリック・アフリカ』のHPを覗いてみたら、「アフリカ便り」として2本のエッセイが発表されていた。2月のテーマは「屠る」というわけで、アフリカで家畜を飼っていて、それを当然のように屠ることについて書かれていた。筆者は早稲田大学の岩井雪乃さん(助教)と、東京外国語大学の椎野若菜さん(准教授)である。

岩井さんの話は、学生を連れて、ニワトリの屠殺を経験させる話である。肉を食することにおいて自然な営みを知らない日本の若者に対しての危惧が示されている。私自身は、タンザニアの人々に対する岩井さんの考察が興味深かった。『死があり、生がある。生態系の様々な生物の生と死の循環の中に、自らの生を位置付けているのだろう。』…岩井さんの言わんとすることがわかる気がする。

椎野さんの話は、ルオ人の話だ。実は、このブログでも何度か登場した故ピーター・オルワ氏はルオー人である。だから、子牛やニワトリと同居するといった、ルオー人の日常的な家畜との関わりの話、余計親密感がわく。

今年も故ピーター・オルワ氏の命日(3月22日:実は私の誕生日でもある。)が近づいてきた。きっと、ナイロビからルオーの村にピーターの遺体が運ばれた時、彼のために牛が屠られたのだろう。あらためて合掌である。

昨日の毎日新聞朝刊5面に、ハンセン病元患者の詩人桜井哲夫さんの逝去(昨年12月28日・87歳)の報が、昨年人権学習で本校に来ていただいた(昨年7月15日付ブログ参照)金正美さんの文章(タイトルは『生老病死を楽しんで』)で載せられていた。
その中の「病むことも生きることも死も、気持ち一つで『楽しい』と、冬のひまわりのようにまぶしく笑っていた。」という一文に、私は心打たれた。合掌。

岩井さんの話と故桜井哲夫さんのこと、椎野さんの話と故ピーター・オルワ氏のこと、それぞれが私の中で結びつき、あらためて『生と死』について考えた次第。

岩井雪乃/殺しても食べる(タンザニア)
http://afric-africa.vis.ne.jp/essay/slaught01.htm

椎野若菜/暮らしの中の「屠る」行為ーケニア・ルオ社会の場合(ケニア)
http://afric-africa.vis.ne.jp/essay/slaught02.htm

2012年3月4日日曜日

ラジオ日本のスワヒリ語放送

ラジオ日本HPより
今朝NHKをなんとなく見ていたら、サカキマンゴー氏(10年10月31日付ブログ参照)が出てきた。彼は大阪外大出身の指ピアノ奏者で、ニュース画像ではタンザニアで演奏していた。どうやら、NHKのラジオ日本でのスワヒリ語放送開始を祝うイベントらしい。
これまで短波放送だったのが、現地でどうやら聞きやすくなったらいいのだ。タンザニアでも日本語を学んでる人がいて、凄くよろこんでいた。WEBで調べると、現地滞在者向けの日本語の放送も、海外の方向けの現地語で日本情報を流す放送もあるらしい。マダガスカルに中継基地があるようだった。

どんなラジオ放送なのか調べようとしたが、WEBの記事はスワヒリ語で書かれている(当たり前である)ので、よくわからない。翻訳したら凄い日本語になった。(笑)
http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/swahili/top/index.html

車の中でFMを聞くのもいいが、NHK第二放送も私は好きだ。時々ポルトガル語やロシア語の”ラジオ日本”の放送なども流れるままに聞いたりする。意味がわからなくとも人名や地名はどんな言語でも同じなので、何を話しているのか推測が可能だ。

いつも、スワヒリ語を学びたいと思うのだが、どうも語学は苦手だ。記憶力も50歳を超えて見事にパワーダウンしている。(笑)

2012年3月3日土曜日

Ameba ピグライフの経営学

前回のぶどうイベントでGETした桶と樽
Amebaピグライフ(仮想世界)では、またまた新しいイベントが始まった。今度は青リンゴを栽培するようだ。青リンゴの木を栽培して、青リンゴジャムをつくることが第一段階。ジャムをつくるのには、普通の青リンゴ3個とゴールデンリンゴ1個でできる。第二段階は、このジャムが2個とゴールデンリンゴ1個、さらにレモン1個、生クリーム1個が必要な青リンゴジェラートである。とりあえずこのジェラートを3個つくるとクリアである。おそらく、ジェラートをつくる際に切手が出てきて、それを何枚か集めてアップルブランデーと交換する。このアップルブランデーが2本以上必要なアップルギモーヴ、さらにマカロンタワーという料理を作るのが第三段階、第四段階となると思われる。
http://ameblo.jp/pigglife-staff/entry-11151988590.html

要するに、青リンゴの木から、1/3~1/10くらいの変数で登場するゴールデンアップルという突然変異の果実がこのイベントの最も重要な「財」である。(前回のイベントでは「早摘みブドウ」だった。もう見たくない。笑)

第二段階の青リンゴジェラートをつくるのに、最低5個の「財」が必要である。これ以上の数値は私にはまだわからない。そこまで進んでいないのである。

ところで、この青リンゴ、果実をつけ収穫するのに1日かかる。(果実ができるようになるのに2日かかる。)与えられた水によって、収穫できる青リンゴの数は変化するが、「財」のでる確率は変化しない。したがって生産性を上げるには、青リンゴの木を増やすしかない。3月1日零時からこのイベントが始まったのだが、その朝にベテランの方の庭に行くと、庭が一変していてビックリした。青リンゴだらけだった。(笑)思わず、今回はゆっくりやろう。もうしんどいと思ったのだった。(笑)

ところで、前回のAmebaピグライフの経済学・社会学(2月14日・21日付ブログ参照)で述べたように、収穫するという労働は5分間に1労働ストックされる。いくら50本の青リンゴを植えていたとしても、レベルによって労働回数は制限される。私の現状では一度に27回ということになる。

だから、労働回数を念頭に置いて、時間をずらして収穫する計画を立てなければならない。収穫にも時間がかかるので徐々に収穫できるようになる時間はずれていくが、この辺が重要である。実際、前回のイベントでは、その辺を考慮して収穫計画を立てた。今日のエントリーで、何が言いたいのかというと、商業的プランテーションに求められる効率性という話なのである。

与えられた土地面積。栽培する作物の生育時間。労働力。その計画的配分。それに関わる費用。このAmebaピグライフは、経営学的な要素が求められているわけだ。

私が大学で経営学を教える立場なら、1回生あたりにこのイベントをやらせてみる。そしてレポートを書かせる。いかにして効率的にイベントをクリアできるか。経営学では無駄が命取りだから、その辺も考慮して評価することになるだろうと思う。(笑)

ジンバブエは葉タバコなどの白人農場から、経営者の白人を追いだした故に、GDPが大幅に減少、ハイパーインフレとなり、現在は失敗国家と呼ばれている。
ジンバブエのムガベが白人を追いだして、経済破壊が起こった理由、このAmebaピグライフでしっかりと学ばせていただいたのだった。

2012年3月2日金曜日

ニジェールが世界No1

ニジェールの母子たち
WEB R25に面白い記事が載っていた。WHOによる保健統計2011によると、世界で最も出生率が高いのはニジェールだという。女性1人あたりが生む子供の数で示すと「7.1人」となる。第二位はアフガニスタンで「6.6人」、三位はソマリアは「6.5人」だという。最貧国が上位であることが一目瞭然である。

…人間の安全保障という観点から見ると、乳幼児死亡率が高いが故の出生率の高さだといわれているわけだが、最近、近現代史などの本を読むたび、こういう人間の安全保障の問題も、デモクレイジーの問題も、戦前の日本とあまりかわらない、もっと言えば欧米先進国の19世紀から20世紀初めともあまりかわらないと思うのである。

…意外に我々が普遍的と考えている近代化の諸概念というのは最近の変化なわけで、欧米諸国が日本などが「上から目線」で途上国の現状を論ずる姿に違和感さえ感じるのである。1947年の日本のベビーブームでは「4.5人」で、現在のカメルーン、コートジボワールなみだったという。地球市民は、こういう当たり前の事実を知らなくてはいけない。地球市民を育みたいと考えている私としては、それを生徒に伝えなければならないと思う次第。

ちなみに現在の日本は「1.3人」だそうである。人口は将来、国力に大きく響く。諸行無常。アフリカの人間の安全保障の進展によって、世界は大きく変わるはずだ。

2012年3月1日木曜日

TV放映された卒業式なのだ。

本校では、毎年3月1日に卒業式が行われるそうだ。最近はそういう定説通りに行われる学校が減ったようで、大阪市立の高校でも少数派らしい。(前任校は6日である。)と、いうわけでTVや新聞、通信社などの報道機関が数社、朝から本校に駆けつけてきた。単なる「高校でも卒業式が始まった。」という報道ではないらしい。現場としては、あまり気分の良いものではない。

さきほどNHKのニュースで、本校の卒業式の模様が報道されているのを見た。しっかりと私の姿も映っていた。生徒主体の卒業式なのに、窓側で1列に並んで起立している教員の姿が映しだされた。(もちろん生徒の入退場のシーンや証書授与のシーンもあったが…。)

とはいえ、本校の卒業式、なかなか荘厳である。校歌を1番から3番まできっちと、大きな声で歌うところなど本校らしい。これまでの勤務校とと大きくちがったのは、送辞と答辞だ。それぞれ、壇上に上がり、校長訓話と同様に全体に向かってスピーチすることだ。よく、学校が変われば会社を変わるのと同じだと言われるが、「へぇー」とその違いにびっくりした。

おまけに、今日は2時から体育科と武道科の入試の合格発表があり、その後体育科の先生方は1年生の体育科と武道科3クラスの生徒を連れて5泊6日のスキー合宿に出発した。うーん、タフである。

私はと言うと、昨日から生徒会の生徒と特別活動部の先生方の力も借りて、文化祭で展示したクラブ紹介や文化祭の団紹介などの展示物を連絡通路に貼って、すこしばかりニギヤカにしていたのだった。正門をくぐると見える「ご卒業おめでとうございます」の文字なども生徒会長と共に作って貼ったりした。3年生も保護者の方々も喜んでくれていた。今の生徒会は少人数なので大変であるが、彼らなりに責任感をもって頑張ってくれたので嬉しい。そう、卒業式の主役はあくまでも生徒だ。