2011年1月31日月曜日

AU-今度は携帯電話ではない-

AU首脳会議/中央は国連事務総長
 アジスアベバで、AUの首脳会議が始まった。(今度は携帯電話のauではない)コージボアールの元大統領居座り問題、スーダン南部の独立問題(ニュースによると98~99%が独立賛成だそうだ。)、そして、チュニジアから始まった長期独裁政権への反発が、エジプトに大きく拡大している。早急に解決すべき大問題が目白押しである。そんな中で議長が、赤道ギニアのヌゲマ大統領になったらしい。この赤道ギニアという国は不思議な国である。アフリカ本土にある領土はわずかで、カメルーンとガボンの間にちょこっとあり、島嶼部に首都がある。よく世界地理のネタ本に出てくる。大陸にも領土がありながら島嶼部に首都があるのは、デンマークとここだけ。しかも名前こそ赤道ギニアだが、赤道が通っていない。(笑)ポルトガル領だったが、ブラジルを得るためにスペインに割譲したという国だ。奴隷貿易の拠点から、カカオやコーヒーのプランテーションを生業としつつ、石油が出たので1人あたりのGNIは統計上比較的高い。

 外務省のHPによると、こんなことが書いてあった。「赤道ギニアは、原油生産により、2007 年の国民一人当たりのGNI が9,710(WDI 2009)ドルとなっているものの、多くの国民は現在でも貧困問題に直面している。加えて、国民の約6 割強は若年層であることから、当面の間、不足する人材を補う外国人専門家の協力を必要としており、将来を見据えた人材育成、法・行政制度整備などを早急に進める必要がある。赤道ギニアの技術協力分野での援助需要は極めて多様且つ大きい。我が国としては、赤道ギニアの民主化プロセスや人権問題状況などを注視しつつ、専門家派遣や研修員受入等の技術協力を検討していく。」

 つまり、ガバナンスに問題があるので、日本としては国際協力しにくい国なのである。そんな国の大統領が、この時期にAUの議長となったのである。まさに、AUの首脳会議の懲りない面々なのである。ザンビア人エコノミストのモヨ女史の『援助じゃアフリカは発展しない』(昨年9月15日付ブログ参照)が、さらに真実味を帯びてくると感じるのは私だけではないだろう。

 今日こそ、3年国語科の現代社会の学年末考査から、「私のPRSP」の優秀作を発表しようと思っていたのだが、AUの現実に怒ってしまい、明日以降に延期になってしまった。どーもスミマセン。

2011年1月30日日曜日

続 上海の高校生熱烈歓迎

 先日の『上海の高校生を熱烈歓迎』(1月29日付ブログ参照)で書き忘れたことがあった。それはもうすでに勤務時間も終わろうという頃の話である。いつものように喫煙のため校外に出たら、中国人らしき一団が空堀商店街方面からやってきて、最近本校の目と鼻の先に出来た漬物屋などを覗いている。写真をバシバシ撮っていた。ある人が、本校の方を向いて、『五星紅旗』が掲げられているのに気づいたようだ。私がじっと見ていると問いかけてきた。どうやら、例の2人の上海の高校生と同じ交流団で来ているプレス関係者だったらしい。私は、一応サバイバル・イングリッシュで説明した。納得してくれた彼らに熱烈な握手を求められたのだった。(笑)
 さて、本校では、校門の右側に3本のポールがある。普段は右側から大阪市旗、国旗、校旗が掲げられている。大阪市旗は、今年度(昨年4月)から掲げられるようになった。それまでは、何も掲げられず、今回のように『五星紅旗』、姉妹校の訪問団等が来ているときは『星条旗』や『オーストラリア国旗』などが掲げられる。
 
 ところで、この『国旗』の掲揚に関しては、学校現場では、様々な歴史的経過がある。52歳の私などは紛無派(いわゆる60年代・70年代の学生運動が高揚した後の年代で紛争を知らない年代)のトップグループなので、国旗・国歌への自分の態度をはっきり示さないことが多い。
 今でも私はこの問題に関して『鵺』(ぬえ)的である。ただ、私は高校時代から大学時代の初めにかけて、ボーイスカウトの指導者資格を得ていた関係で、どこの国の国旗であろうと丁寧に扱うスキルを得ている。本校は、国際交流が盛んだし、交流国の国旗がある時に国旗がないとサマにならない。だから国旗が掲揚されていることに、抵抗がないのかもしれない。凄い消極的な国旗肯定論かもしれない。私は、日本国民であるとともに、地球市民でありたいし、全ての国旗に敬意をはらいたいと思っている。

 今日のブログ、思わぬ展開をしてしまった。となると、国歌は如何?となるだろう。君が代が天皇への想いを歌ったことは否定できない。先日、受験に使わない日本史Bの最後の授業で、「最後に、もし今、ジャパニーズボックスをつくるとしたら、何を入れる?」と質問した。ある生徒が面白い事を言った。「五重の塔。その塔の部分は『天皇制』で、5つの屋根は仏教や儒教や…。」なるほど。一番下は日本思想の源流的な古事記・日本書紀の屋根、さらに神道、仏教、儒教、近代欧米思想と屋根があって日本がシンボライズされるわけだ。その中核が天皇制だというわけである。そういう意味で、天皇の世が千代に八千代にと歌うのは理にかなっていると思う。

 私は、実は昭和天皇について偏見をもっていた。学生時代は紛無派といっても時代の残り香みたいなもの(左翼的発想がノーマルであった)があったし、いつも「あ、そう。」としか天皇は発言しなかったし、天皇について、『日本で初めてゴルフをしたとか、朝食は洋食だとか、神道の総帥で四方拝をするとか、農民の親分で稲を育ててるとか』くらいの知識と感覚で、あまり勉強もしていなかった。ところが、先日読んだ『畏るべき昭和天皇』(松本健一著・新潮文庫)を読んでかなり意識が変わった。たしかに、昭和天皇は凄い人だったのである。あの昭和初期から戦争末期まで、政府の中で最も理性的存在であり、統帥権をもつ専制君主ではなく、あくまで立憲君主として「私」のない「公人」であった。さらに敗戦にあたって、マッカーサーに服従したように見えて、なかなか。このあたりは、そのうち書評を書きたいが、たしかに『畏るべき天皇』だったわけだ。

 私は、式典などで国歌を歌う際、当然起立する。起立したくない生徒にも、「礼儀」だと指導する。歌う歌わないというのは、個人が判断すればいいと思っている。

 社会科教師というのは、複数の答えをもっている。いろいろな見方をもとに、生徒に自分の答えを思索させ選ばせることが大切だと私は思うのだ。国旗も国歌も、愛国心も、そして天皇についても様々な見方をできるだけ多く提示できるようにしたい。こう書くと怒られるかも知れないが、そういうスタンスで私は全ての授業を行っている。アフリカについても倫理についても同様で、特別なスタンスではない。つまるところ、自分自身の研鑽を常に意識し、実行しなければならないということである。教師は生徒の最大の教育環境であるからである。

追記:tomofumi.kiryuさん、読者登録ありがとうございます。読者が増えることは、毎日更新する大きな励みになります。本当に嬉しいです。先日、メルアドの更新でメールを送ったOB・OGの諸君も読者登録をよろしく。コメントやリアクションもできるだけお願いします。katabiranotsuji

2011年1月29日土曜日

高校生のアフリカStudyTour?

梅田に所用があって、妻と出かけた。時間があったので紀伊国屋書店によると、えらい本を発見してしまった。「高校生のためのアフリカ理解入門」(秋田市立秋田商業高等学校ビジネス実践・ユネスコスクール班/アルテ:2010年10月25日第1刷)である。内容は、JICA東北の協力を得て、高校生をアフリカ・ウガンダに送ったという話だ。
調べてみると、この秋田商業高校、2009年にユネスコスクールになっている。それ以前から国際理解教育に取り組んだ書籍をまとめているのである。アフリカに関しては、今年度テーマだったようだ。どうやら凄いESDの同志がいるようである。
http://www.unesco-school.jp/index.php?active_action=multidatabase_view_main_detail&multidatabase_id=1&content_id=249&block_id=18&page_id=0
私個人としては、本校をユネスコスクールにするのが夢だった。正直うらやましい。本校は”進学校すぎる”のかもしれない。アフリカに行きたいという生徒の想いは、秋田商業には負けないと思うが、たとえ4名でもホントにアフリカに連れて行けたというのが凄い。この本に関する書評は、完読してからに譲るとして、ちょうど秋田商業が行ったウガンダで大問題が起っているので、それについて少し書きたい。それは、同性愛者の人権問題である。以下はCNNニュースからの引用である。

ウガンダ・カンパラ(CNN) アフリカ東部のウガンダで同性愛者の人権保護を訴えていた活動家、デービッド・カト氏が首都カンパラ近郊の自宅で撲殺された。同氏の弁護士が27日に明らかにした。カト氏は同国の大衆紙が昨年掲載した同性愛者の「手配リスト」で氏名や住所、顔写真を公表されていた。弁護士によると、近所の住民がカト氏が死亡しているのを見つけ、当局に通報した。自宅からは現金や衣類の一部などがなくなっていたという。この事件に関連して、カト氏の自宅付近で目撃されたタクシー運転手と、事件前に同氏と一緒にいた人物に対して逮捕状が出された。
カト氏の殺害と、同性愛者の人権擁護活動との関係は不明。反同性愛感情をあおった大衆紙の記事との関係も分かっていない。オバマ米大統領はカト氏の死を悼み、「公正と自由を強く訴えた人物だった」とする追悼の談話を発表。ウガンダなどの政府に対し、事件を徹底捜査して犯人を検挙してほしいと呼び掛けた。
アフリカでは大半の国が同性愛を禁止しており、ウガンダでは違反した場合、禁錮14年の刑が定められているという。
 
イスラム諸国では、同性愛を神のつくった摂理を破壊するものとして悪魔の業と考えているが、アフリカの伝統文化も同様で、ウガンダのようなキリスト教も多い地域を含めてタブー視しているのだ。これはかなり難しい問題である。特に同性愛を認めている欧米をさして、アフリカでは同性愛は白人のものという感覚があり、憎悪をあおるようだ。この同性愛者への魔女狩り、人権問題であることは確かだが、信仰や伝統的価値観と真正面からぶつかる問題なのである。うーん、と唸るばかりである。

上海の高校生を熱烈歓迎

写真の使用許可をもらうのを忘れたので無人の画像です
昨年夏に、本校から上海に府の訪中団として派遣された2年生の生徒のところに、ホームスティするという中国の高校生2人が本校に来校した。もちろん昨日のことである。(昨夜は、国際交流部の新年会だったので、帰宅が”今日”になった関係で更新ができなかったのである。後輩の口の悪いI先生をはじめ、K老師、Y先生、I先生と無茶苦茶盛り上がったのだった。)
 2010年度は、本校国語科2年生が北京に修学旅行に行っただけではなく、3回も訪中団の一員として、数人の生徒が交流事業に参加した。尖閣諸島問題など日中が険悪な時期だっただけに、よく考えると凄い話である。私は、国家と国家ではなく、市民レベルのこういう営みは『地球市民』育成のためにも重要だと思っている。

 さて、当初の予定では阿波座にある某ホテルを9時に出て、地下鉄を乗り継いで来てもらう予定だった。訪中団来校の日程が入る前に3年生の学年末考査の日程が決まり、現代社会の試験が1時間目に入っていたからだ。極めて丁寧なカラー刷りの案内を生徒に持たせて、歓迎レセプションの時にレクチャーしてもらっていた。ところが、いっしょに友好協会の方が本校まで付き添っていただけるとのこと。ありがたいなあと思っていたら、さらに発展して車で送っていただけることになった。当初9:30到着でプランを立てていたのが、9:00到着になり、困ったなあと思っていたら、当日さらに10分早く到着したのだった。あちゃー。
 ここで、救世主登場である。K老師(老師は中国語の通訳資格を持っておられる。凄い人なのだ。)が、校長室での通訳をしていただけることになっていたのだが、校長との挨拶だけでなく、様々な会話の間をとっていただいた。もちろん中国からの訪問生徒は、超優秀な生徒なので英語がかなりできる。特にリスニングは完ぺきだった。しかし、中国語で迎えられるとは思ってもみなかったのだろう。かなり安心したようだ。なにより、本校の玄関には『五星紅旗』がはためき、『熱烈歓迎』の幕まで張ってある。かなり喜んでくれたようだ。(本校には2年に1度くらいは中国からの訪問団がどっときたりするので、そういうグッズがちゃんとあるのである。)なんとか、時間を稼いで、2時間目、校内を案内した。私のサバイバル・イングリッシュを助けてくれたのは女性のI先生(彼女は本校英語科4期生でもある。)で、試験をしている2階の教室棟だけ避けて案内した。彼女たちは小さいながらも小奇麗でユニークな構造の本校を気に入ってくれたようだ。5階のゼミ室で、1年生のE.com(ALTと少人数で行う英会話の授業)をちょうどやっていた。R先生の姿があり、オイデオイデしてくれたので、突入した。10分ほど1年生に交じって授業を受ける。(昔々、R先生が反対の立場でシカゴの教育委員会の先生を連れて校内を回っている時、私の倫理の授業に乱入したこともあるのでオアイコである。笑)体育館まで言ったら、ちょうどチャイムが鳴った。
 ここで本校のホスト生に、2人を託す。3限目情報基礎A、4限目数学Ⅱ、5限目E.com、6限目国語Ⅱ(現代文)と授業に参加する。それぞれの授業担当の先生方は気持ちよく引きうけていただいた。ありがたいことである。

 放課後、2人とホスト生、教職員で、記念写真を撮った。私はそれ以前に撮った写真をCDに焼いて手渡した。1枚だけ5時間目にE.comで撮った写真をプリントしてCDにセットしておいた。こういう心遣いが国際交流の最も重要なことであると私は思う。彼女たちはホストやその友人たちと、心斎橋へ向かいプリクラを撮りにいくとのこと。(笑)アメリカの子もオーストラリアの子も、中国の子もプリクラが好きらしい。

2011年1月27日木曜日

au -アフリカ連合ではない-

k006というシンプルな機種
 息子が龍動(ロンドン:しつこく、この当て字を使っています。)に行ったので、息子の分と一緒に私も妻も携帯電話を解約することにした。これまで我が家はソフトバンク(メルアドは、ボーダフォンだった。)の家族割だったのだが、高速道路が出来たおかげで、通信状況が最悪になった。アンテナが立つのをじっと待っていたが、CMにばかり金をかけて一向にラチがあかない。それで、『au』に乗り換えたのだった。auは、近くにアンテナがあり最高の受信状態だ。で、乗り換え時0円の機種の中から一番シンプルな電話を選んだ。(最近の機種は東芝製も含めて『時間割ツール』を入れていない。私にとっては非常に重要なアイテムだったのだけれど、仕方ない。)これが昨日の夜のことである。
 問題は、旧携帯に入っていた莫大なアドレス帳である。一気に送れると聞いたので、バーコードを写し、なにがしの作業をしたのだが、全然送れない。イラついた私はブログを書いていた。妻はひたすら頑張っていたが、ついにギブアップした。あーあ。結局1人ひとり送ることになった。
 莫大なアドレスは350件以上あった。特に担任をしていた英語科2クラスだけでも、80人-数人で、かなりの数である。さらに、倫理や地理Bの補習、またJICAセミナー関係など必要に応じてメルアドが増え、9年間で蓄積されたOG・OBのメルアドは、それ以上、かなりの数である。海外留学中の者、ソフトバンク使用者は送信してもダメなので親しい友人に連絡をお願いしたりした。これにその他の先生方などの分があった。返信が帰ってきて、それに返信したものも含め、結局送信回数は、今現在179回になった。メールはほとんど無料の設定だし、たまたま今日は1年生の授業がなかったので時間的にも余裕があり、よかったが、普段だったら、絶対キレていたと思う。

 仕事もせんと何をしているのかというご批判もあるかもしれないが、卒業生へのアフターケアーだと広い心で受け止めていただきたい。だいたいレポートの相談とか、様々な相談がメールを通じて寄せられてくる。さらに卒業生たちの返信による近況は、他の先生方と共有したのでご勘弁願いたい。愛知県の企業の海外部に努めるOGや、JALで希望をもって働いているOG、東京の大学職員として頑張っているOBなどの社会人組、さらに卒論を仕上げ、口頭試問に向けて用意している4回生組、我が学年、3回生組は早や就活と試験で四苦八苦していた。2回生組はまだまだバイトや海外雄飛など余裕あり。1回生は元気いっぱいといったところである.1人ひとり、次々送って目が疲れたけれど、返信がどんどん来てそれを読むのも楽しい。返事をもらえるのは、本当に有りがたい事だと思う。

追記:中国の途上国支援額が、世界銀行の支援額を超えたらしい。だが、その目的が単に自国の為だけであり、悪しきガバナンスを増殖させることになるなら、いずれその反作用がくると思うのである。まさにG0(ゼロ)時代である。

2011年1月26日水曜日

通勤電車で鉄学概論

 通勤電車で読む文庫本は、ページ数が多いと重量がかさみ、吊皮を持っている時など片手で読む際に疲れる。適度なページ数は250ページほどかと思う。内容は、当然知って買うのだから、興味をもったものだが、あまりに重い内容だと、睡眠効果を生む。軽すぎるとばかばかしくて読む気がうせる。たった2項目の快楽計算だが、案外そういう条件を満たす文庫本は、そうはない。今回読んだ「鉄学概論-車窓から眺める日本近現代史」(原武史著・新潮文庫)は、通勤電車文庫本の快楽計算・高得点の本である。

 なにより内容がバラエティに富んでいる。第1章の「鉄道紀行文学の巨人たち」には、阿呆列車の内田百聞、阿川弘之、そして宮脇俊三の対比が書いてある。なかなか面白かった。第2章の「沿線が生んだ思想」は、文学的な話であまり興味がわかなかったが、第3章の「鉄道に乗る天皇」はすこぶる面白かった。天皇が鉄道に乗り移動することは、その沿線に国民が並び、拝礼することであり、その権威を「視覚的に」訴える絶好の機会となったという話、なかなか面白い。鉄道と近現代史が見事に結びつく。しかも、鉄道の時間は正確である。故に拝礼する国民は、じっと天皇の列車を待つことで、1時間、また10分、さらに1分という時間の感覚を初めて実感していくのだ。さらに東京駅が、その天皇の権威を見せつける為のものであったことも驚いた。丸の内の中央口は今も皇室専用だという。 

 第4章は、小林一三の阪急と、五島慶太の東急の話だ。これはある程度知っている話だったが、あくまで”民”を貫き通した小林の方がはるかに凄い。当時阪急の梅田駅は、今の大阪駅の南側にあり、お召し列車が通る可能性もある国鉄東海道線をまたいで上を走るようになっていたとは驚きであった。関西人としては嬉しい。第5章の「私鉄沿線に現れた住宅」は、主に団地の話なのだが、この大規模団地では、60年代から70年代に、日本共産党が強かったという話は、著者の専門が日本政治思想史であり、なるほどと頷いた。特に西武の沿線が強く、西武がこのころ特急に付けた名前が『レッドアロー号』、ソ連の特急『赤い矢』と同じだったというのも笑える。第6章は「都電が消えた日」。この中で著者は都電の『立体的認識』について述べている。皇居にある半蔵門や桜田門という停留所は、都電の場合シニファンとシニフィエが一体化していたというのだ。停留所の名前とそこから見える現実が一体化していたのである。東京の中心に皇居があり、それを立体的に認識できたのである。それが、地下鉄に変換されてから見事に消えてしまったと著者は言う。半蔵門は、単なる駅名、すなわち記号と化してしまったのである。なるほど。

 第7章は「新宿駅1968・1974」である。私は、ああ西口のフォークゲリラの話だなと思った。それは1974の方で、1968の方は、ベトナム戦争時代、米軍基地に運ばれる燃料タンク車が火災事故を起こしたことから始まる。新宿駅はベトナムに直接結びつたのである。以来、東口が最初この闘争の聖地となったのであった。これは知らなかった。新鮮な驚きである。第8章は、「乗客たちの反乱」、私が高校生の頃実際に経験した『順法闘争』の話である。今読んでも生々しい。サラリーマンたちが怒り狂った心情がわかる。

 書評がかなり長くなってしまった。それだけ印象に残る内容が詰まっていたというべきだろう。

2011年1月25日火曜日

西アフリカのカカオ豆 二題

昼から、隠密同心は、阪急千里線の関大前の1つ手前の駅あたりに出陣した。先日新聞発表された中3生の進学希望調査で、本校が厳しい状況にあることを知った故である。もうほとんど進路は決まっているはずである。「あがき」としか言いようがないが、あえてあがきたい。入試・広報活動の責任者であるF教頭は、過労がたたり、しかも風邪で今にも倒れそうである。私は、昨年教頭が「本校が好きですか?」という呼びかけに、恥ずかしくて手をあげなかった(12月7日付ブログ参照)。だが、”陽明学徒”でありたい。だから、こんな時こそ、無私の想いで教頭を守りたい。そうやっぱりここは、『猶余忠義塡骨髄』である。

さて、今日の本題である。毎日新聞の夕刊に西アフリカのカカオの情報が2つ載せられていた。まずは、コートジボアールの例の元大統領居座りの件、続報である。新大統領(国民と多くの国が彼を大統領だと認めている。)が、カカオの生産業者・販売業者に対し、1カ月の輸出禁止を命じたらしい。元大統領が、港湾施設などなどカカオの供給施設をルートとしたレントを得ているからで、まさに天然資源の罠がデモクレイジーに使われていたというわけだ。ただ、新大統領は、警察や税関など治安関係者を掌握しきれていないらしく、実効性は不透明だと言う。うーん。新大統領の止むにやまれぬ一手ではあるが…。はたして上手くいくだろうか。また、かなりの生産額(世界の40%くらいだという)を占めるコートジボアールの供給が止まれば、かなり市場価格が上がるだろう。専門家ではないので評価はできないが…。うーん。国際的な強力な介入を期待しているのかとも考えてしまう私であった。アメリカは元大統領のアメリカへの亡命を勧めたし、AUも説得を続けている。ポール・コリアーの提言がそろそろ現実味をもってくるかもしれない。

もう1つは、『ACE』という日本のNGOが、ガーナの児童労働の廃絶のためにテントウムシ型のスイス製のチョコレート(16個で2000円)を販売しているという社会面の記事である。ACEはこれで得た収益で、現地で児童労働の弊害や教育の重要性を説き、さらに学校の補修を行うらしい。
ACEというNGOといえば、2年ぐらい前のワン・フェス時のワークショップに参加したことがある。児童労働を考えるワークショップのはずが、フェアトレードの話みたいになって、私はちょっと不満だった。カカオ生産が、児童労働によって行われていることは確かだし、それの廃絶を訴えることは賛成である。子供たちの潜在能力を奪う事は絶対悪だ。ただ、それだけでいいのだろうか。ワークショップの後、ファシリテーターの方が、「質問やご意見はありませんか」と言ったので、あえて解散になってから、私はこう言った。「児童労働をやめさせること、フェアトレードを一部で行うことで、ガーナの貧困が克服できるとは私は思わない。穀物やイモなど主食の生産性を向上させるほうが有意義ではないか。」ファシリテーターの方は、ちゃんと勉強されているのだろう。「全くその通りです。それが最善なのです。」と言われた。「ただ、私たちのNGOは、あくまで児童労働の廃絶を目指しているのです。」とも。チョコレートをフェアトレードで売って、その利益で児童労働を救う…なんか合理的なようで非合理的だと私は思う。先進国の自己満足に過ぎない。まず、主食の生産性向上ありき。ガーナの人びとが飢えないこと、人間の安全保障をきちんとして、ガバナンスを立て直し、教育環境を整備し、子供の権利を守るべきだと私は思うのである。おそらく、これが開発経済学的な正統なセオリーだと思う。私は、どうも「一部地域間で行われるフェア・トレード」というのは納得できない。我が家の冷蔵庫にある息子のグッド・パートナーが持ってきてくれたフェアトレードのチョコレートは、美味しくて大好きなのであるが…。

2011年1月24日月曜日

MWsと留学生、旅立ちの日

地理A MWsと最後の授業にて
本日、朝にMW校留学生5人と、本校の留学生6人が、それぞれ帰国と留学のため旅立った。国流部長のY先生が見送りである。さらに昼には、アメリカU校への留学生2名が旅立った。これもY先生が見送り。3年生の最後の授業もあって関空からとんぼ返りで、学校に戻り、またまた関空へ。大変である。
 今年のMWsは、とにかく元気だった。地理Aの授業にずっと入ってもらったのは初めてである。内容は、『高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト』を使っての、かなり難解な内容だが、本校英語科1年生の説明や、私の熱意だけのサバイバルイングリッシュでなんとか授業は成立していた。(笑)最後の授業でも”デモクレイジー”の説明など、ちょっとシミュレーションっぽくやったが、C君やB君がそれぞれのってくれて、なかなか盛り上がったのだった。写真を見てもみんなアジア系なので、完全に同化してしまっている。(笑)
 また、今年のMWsは、たくさんお土産を置いていってくれた。私も含めて、国際交流部として関わったり、授業で関わったり、クラス担任で関わったり、日本語教師として関わったりした先生方に、1人ずつ額に入れた写真と手紙を置いていってくれたのである。今までこんなことはなかったので驚きである。私が思うに、担任として関わったR先生の”超気がきく・もてなしの心”がその中核にあるような気がする。ホストの生徒たちも寄せ書きの色紙を用意したりして、たくさんお土産を用意していた。さすが、R先生だと思った次第。

 MWs、元気で!また日本においでやあ!そして留学生、五感でなんでも感じ取り、これからの学びに活かして欲しい。成長が楽しみである。

…ともあれ今年の国際交流の最大のヤマを、今日超えたのだった。

追記:中村臣宏さん、読者登録ありがとうございます。福祉の仕事どう?またコメント下さい。

2011年1月23日日曜日

恵那峡温泉でのんびり

朝の散策/静寂を絵に描いたような恵那峡
 息子夫婦が龍動(ロンドン)に行ってしまったことだし、我が夫婦は1泊2日で温泉に行ってきた。なんと1週間前に、湯快リゾートの宿がとれたのだった。岐阜の恵那峡温泉というところである。「恵那トンネル」は何度も通っているが、そんなところに温泉があるとは知らなかった。この湯快リゾートは安いだけでなく、京都駅から格安の値段でバスが出ていて便利だ。当分、バスツアーはこりごりだし…。(8月18日付ブログ参照)
 妻は、ただただ、のんびりしたいと言っていたのでよかったと思う。とにかく静かなところで、露天風呂に入っていると、トンビだか、ハヤブサだかわからないが、鳥が旋回していたりする。「足」がないので、近くを散策するくらいしかない。以前、同じ湯快リゾートで下呂温泉に行った時は、二人で卓球したり、カラオケしたりしたのだが、今回はひたすらのんびりしたかった。のんびりしすぎて、私は行きのバスから熟睡で、風呂入って熟睡、飯食って熟睡であった。妻は、TVで素敵な宿を紹介する番組を見ていた。「いいねえ。いいねえ。」と呟いている。(温泉宿で温泉宿の紹介番組を見てるって、かなりヘンだと思うが…。)

 暇にまかせて、起きている時は、「狂気の偽装」と交換で、U先生に借りた「華族」(小田部雄次著・中公新書)を読んでいた。有馬記念の『有馬』の意味がわかったり、貴族院の流れも理解できた。近衛文麿や西園寺公望のスタンスなんかも理解できた。なかなか面白かった。
 
 こうして、たまにのんびりするのもいい。結局帰りのバスでも熟睡してしまったのだった。

 さて、明日は3年A組の現代社会と、受験につかわない日本史Bの最終授業である。学年末考査も近い。

2011年1月21日金曜日

ミニ国連 2010 TPP論議

B組のミニ国連風景(1/20)
 ミニ国連でTPPについて是非とも審議したかった。(12月9日付ブログ参照)ただ、ミニ国連というシチェーションでは、リアル感に欠ける。そこで生徒と相談したのだが、やはり日本国内の論議にしたいとのことだった。そこで、昨日の授業終了後、A組、B組にカードを7枚ずつ配って、議長国にこれまでの国別のグループをそのままにして、自由にアソシエーションを考えておいてほしいという突然の依頼をしておいた。私は、授業に行くまでどんな組み合わせになっているのかも知らなかったのである。(笑)この辺、本校生は見事に対応してくれる。

 というわけで、5時間目のA組。アメリカが「個人農家」、中国が「JA」、マリが「経済学者」、クウェートが「民主党」、日本が「自民党」、アイスランドが「漁民」、ハイチが「スーバーE」(Eは、本校の南側にあるスーパーの店名である。)」という組み合わせだった。なかなか面白い。議論は、「個人農家」が口火をきった。昨日埋没したアメリカのメンバーである。彼らの主張は強烈だった。日本農業は、ブランドを確立し、自由競争に打ち勝ち、海外進出を積極的にすべきだというのである。これに「経済学者」が噛みつく。「不可能だ。」「中国で高品質・高価格のブランドの野菜を売る!」なかなか、良く調べているではないか。(笑)これは経済学者の負けである。言い合いになったので、私が中に入り「個人農家」の勝利を宣言した。実際、青森のリンゴや、台湾でのブランド日本米など成功例がある。
 一方、「JA」は不安を口にした。「漁民」も、危惧を表明した。「スーパーE」は、安ければ売れるのでTPP支持を表明した。さて、「民主党」である。彼らは「TPPについて楽観しています。」と述べた。失笑が教室を支配した。リアルである。(笑)私が、「ところで、誰が首相なの?」と聞いたら、じゃんけんをしだした。教室内は爆笑である。これは、あまりにリアルすぎる。「自民党」は、「民主党」の意見を聞いたうえで、TPP反対を唱えた。これもリアルである。この審議、結局「個人農民」の自由競争案に対して、議論を集約した。「JA」は重ねて不安を訴える。「民主党」「自民党」に、どうすればいいか聞いてみた。「民主党」は、農業を守る為、補助金を出すと言いだした。「自民党」は、農村の中で農業を再構築すべきだという。離農する人や高齢者のもつ農地を地域で再分割し、集団で生き延びるべきだという。おいおい、君たち両党のマニフェストを読んだのかあ?偶然にも、両党の政策に近い提案が飛び出した。これは面白い。
 TPPの論議が、やはり国内では農業問題への対応策論議となった。「個人農家」の主張する資本主義的なあまりに資本主義的な競争原理でいくのか、「民主党」の言うように補助金で農家を守るのか、「自民党」の言うように集団で農村を、合理化していくのか。リアルな論議になってしまった。これについては、「自民党」の集団的な合理化案にA組は賛成票が集まった。「ところが、これが難しいのである。」と説明を加えているうちに時間が迫ってきた。今回は、あくまで生徒に個人としてTPPの是非を問いたい。議長に裁決を頼んだ。圧倒的多数でA組ではTPP賛成であった。

 6時間目のB組の組み合わせは、ハイチが「政府」、日本が「SONY」、マリが「経済学者」、中国が「農協」、アメリカが「Softbank」、アイスランドが「個人農家」、クウェートは「大阪のおばちゃん」(笑)だった。ここでも、同様に日本の農業問題に論議が進んだ。B組では、「経済学者」が、この問題の本質をよく理解していて、A組で巻き起こった三種の農業政策論議へとうまく誘導してくれた。高校生が考えることも、国会議員が考えることも大きく違わないことが凄い。最後に、「SONY」のメンバーが言った。「製造業の方は、どんどん中小企業がつぶれている。農家は甘えてんのんちゃうか。」うーん。厳しい一言だった。おそらく日本はTPPに参加せざるを得ないだろう。B組も5人の反対者が出たが、圧倒的多数でTPP参加という結果になった。やがて現実になるだろう、妙にリアルなTPPの論議だった。

2011年1月20日木曜日

ミニ国連 2010 「G0」を採択

 ミニ国連は、4時間目のB組からスタートした。今日は、6時間目のA組とともに、アメリカの提案を審議することにした。15日付ブログで書いたように、今年のリスクNo1は、G0(G7でもG20でもなく、Gゼロ、すなわち世界をどの国もリードできない状態を意味する。特に、イラクでの失敗やリーマンショックでアメリカの地位が低下し、世界が混沌としているのだ。)であるらしい。で、アメリカの生徒諸君には、アメリカの復権をテーマに提案を考えてもらったのだった。
 
 B組のアメリカは、自由と民主主義を守る”明白天命”にしたがって、「テロ防止促進法」である。テロを行う国は「悪の枢軸」とみなし、国連はアメリカを中心に制裁を加えるべきだときた。核に対しても、その保持を絶対ゆるさないという。テロと核。質問が次々出て、混乱した。テロの定義。何故テロが起こるのか。核の保持の意味などをちょっと整理した。だが、アメリカの凋落は、我がミニ国連でもすでに明白であった。結局、日本とクウェートだけが賛成して否決されてしまった。アメリカが世界の警察だと皆思ってないらしい。どうしたんだ!キャプテン・アメリカ!

 一方、A組のアメリカはは、国土や人口をもとに、一定の比率で自然エネルギー(太陽光・風力・地熱・波力など)を使用することを義務付ける法案。月曜日の第1回ミニ国連でのハイチの提案は、ぶっつけ本番で苦労したので、法案の説明書をつくり、事前に持ってきた。事前に印刷してほしいと言う。なかなかやるではないか。日本やアイスランドはアメリカと共同提案という形であったのだが、アイスランドが、アメリカとはちょっと考えが違うと、新たな自国の法案の説明書をもってきた。おお。「環境問題」はやはりヨーロッパ主導にしたいわけだ。アイスランドは、長期的展望に立って、先進国で『水素エネルギー』の共同技術開発を訴えてきた。さて、本番。途上国が、アメリカに疑心暗鬼を露骨に表明した。クウェートは石油需要が減ることに不満を表明した。大混乱である。さらにアイスランドの離反に続いて、日本も独自の技術立国であるとのカラーを鮮明にしだした。アイスランドがそれに応酬する。アメリカの立場が埋没していく。結局、時間ギレで、アメリカ案とアイスランド案それぞれを採決した。アメリカ案に賛成したのは、日本とマリ。アイスランド案に賛成したのは、中国のみ。両方とも否決されたのだった。
 私は、このアメリカの「環境法案」は面白いと思っていた。グリーン・ニューディールを途上国にも拡大して、新しいビジネスチャンスをつくるとともに、途上国の雇用を促進し、太陽光発電などで砂漠化の進展を防げるし、水力発電などは有効需要を生む。マリが賛成したのは、そういう生活改善や電力によるポンプで深い井戸から灌漑農業の可能性もあるからである。女性の仕事も大きく軽減できる。しかし、ハイチは最後まで疑心暗鬼をとかなかった。アイスランド案に日本は、競争こそ技術の向上がある、とかいつもヨーロッパがグローバルスタンダードを奪っていくとか、かみついたので印象が悪くなったようだ。水素エネルギーの開発を共同化して低コストで少しでも早く開発しようという訴えに反応したのは、唯一、中国だった。もしこれが現実ならば優秀な科学者を送ることになるだろう。(笑)しかしながら、両案とも否決。これは私の想定外だった。「京都議定書にも乗らなかったアメリカが何を言う!」「中国も反省せよ!」といった意見がでるかと思ったが、アメリカと日本と欧州、さらに中国、中東、途上国と見事にバラバラ!この審議、まさに『G0』を象徴するような審議となったのだった。

追記:長宗我部昌成さん、読者登録ありがとうございます。読者登録が14人になりました。(嬉)よかったらコメントをお願いします。

2011年1月19日水曜日

火事!松屋町は騒然としたが

 私は30年ほど教職についているが、今日、初めての経験をした。3限目、5階にあるゼミ教室で授業をしていたら、消防車がけたたましい音を立てて走っていく。松屋町通を南下しているのだと思った。本校は、この4車線の大通りから一本東に面している。しかし、それにしても次々けたたましく走っている。「火事の現場が近いのかな。」と思ったが、ポール・コリアの『デモクレイジー』について真剣に語っていたので無視である。さて、チャイムが鳴って、授業を終了したら、廊下が、いつもよりえらく騒がしい。1年生が、「先生、火事です!」と上空を指差した。「ん?」本校の教室棟は円を1/4にしたような形をしている。その円の中心部分の向う側に、黒煙が噴き出しているのである。「げっ。」さすがにびっくりした。数学の若手のF先生に聞いたら、すでに教頭や仲のいいY先生が現場に向かい、本校への類焼の危険はないということだった。それで、非常ベルもならなかったらしい。校内放送さえ無い。本校生を信頼した、落ち着いた処置である。生徒は、野次馬化しそうで、野次馬化していない。まあ、せいぜい野次馬「気質」ぐらいまでか。

 職員室に帰ると平静そのものである。休憩時間こそ、生徒はワイワイ言っていたが、4時間目が始まるとシーンとしている。まるで何事もなかったようである。せっかくなので、手持ちのデジカメで、校内から黒煙を撮っておいた。その後Y先生と食事に出たが、多くの野次馬(これは本物である。)が本校の北に集まっていた。消防車もかなり集まっていた。なんと、本校の前には、こういう時の為の放水用のマンホールがあって、ポンプ車がそこから、水を現場に送っていたのだった。消防士の方や警察官が緊迫感のある無線の声をあたりにまき散らしていた。食事から帰って、私もちょっとだけ野次馬化してみたくなった。(下の画像)なかなか沈火しないものなのだ。学校にもどると、ポンプ車の運転席の下から水が勢いよく出ていて道路にぶちまけていた。ポンプ車の構造はよく知らないが、なんだか不思議な光景であった。ヘリコプターは爆音をたてて飛びまわってるし、タクシーに乗ってきて取材に向かうTVクルーらしき集団も見た。
 さて、職員室にもどると、K老師も食事から帰ってこられて、「インタビューされてしまいました。」とのこと。よく聞くと、「学校の方ですか?学校の対応は?」という質問を受け、「別になにも。普通に授業しています。」と答えられたそうだ。あまりにフツーの反応だったので、「きっと記事にならないと思います。」とK老師。そりゃそうだ。(笑)
 帰宅後、新聞を見ると、近隣の民家と倉庫が燃えたらしいことがわかった。消防車は35台もかけつけたこともわかった。「大阪オフィス街民家・火災で騒然」とある。これは本校には全く当てはまらなかったのであった。 

2011年1月18日火曜日

『空堀かるた』ついに完成!

『空堀かるた』完成品(自宅にて撮影)
 いろいろあった日だった。1時間目のB組のミニ国連。「フェアトレード法案」の審議。なかなか白熱した。少し時間があったので、日本提出の「捕鯨推進法案」を審議した。私も、生徒の依頼を受けて、急遽『シー・シェパード』代表として参加した。(笑)
 3時間目、国際交流関係の書類が完成したので、校外に出て一服していると体育のM先生がやってきた。彼は3年生の男子を担当している。本校は男子が少ないので、卒業寸前になると、よくバレーボールの試合を教員とするのだが、「今年はどうや?」と聞くと、A組の男子は卓球三昧だという。しかも次の時間らしい。ちょうど授業もあいているので、久しぶりに卓球をすることにした。男子生徒は一様に喜んでくれた。私が中学の時卓球部であった過去を知らず、「俺に買ったらジュースおごったるでぇ。」と言ったからである。しかし、結果は7人全員に対して3勝4敗で、一度は勝ったA君にリベンジで負けてしまった。無茶苦茶くやしい。50を過ぎて、体力の衰えがひどい。目がついていかない。よくよく考えたら私の眼鏡は、遠近両用眼鏡なわけで、ピン球が手元で微妙に狂うのであった。(おそらく最も適切な言いわけであろう。)とにかく、授業が終わって、ガキ大将よろしく食堂に全員を連れて行った。なんとも有意義な時間を過ごせてよかったと思う。汗が引き、元に戻ったのは6時間目だったが…。

 さて、今日の本題である。昨日、大阪市と近隣の方がこられて、ついに『空堀かるた』を手にした。2月11日には、句が採用された方(本校OG・OB、現役生も含まれる)と、かるた絵を描いた我が美術部員(OG含む)に1つずつ贈呈していただけるらしい。なかなか太っ腹である。学校にもと、幾つかいただいた。保存用と、関わった先生方へも配らせてもらった。国語科長のK老師も満面の笑みを浮かべて、喜んでいただいた。他の先生方にも、なかなか好評である。ちょっと嬉しい。
 今日は放課後、美術部でお披露目をした。討議の結果、原画ではなく、このかるた自体を2月の『中央ブロック展』で展示することにした。B2パネルにカルタと句札を綺麗に張って展示するのだ。出展後は、当分美術室の前に展示しようと思う。結局いただいた分のうち、私のカルタをそういう形で生かすことにした。私の手元にあるより、はるかに有意義ではないか。
 
 2月11日は、この『空堀かるた』贈呈式の後、本校のかるた部による競技かるたの実演があって、いよいよ小学生による「かるた大会」が開かれるらしい。なかなか楽しそうなイベントになりそうである。ある美術部員がつぶやいた。「私もかるた大会に出たいな。」(無理です。小学生限定。)

2011年1月17日月曜日

ミニ国連 2010 「3/5法案」

ミニ国連/中国・クウェート・日本
  A組でミニ国連が始まった。残り時間が少ないので、全部の法案が審議できないのは残念だがやむを得ない。議長国・マリと検討した結果、ハイチの提出した「3/5法案」を最優先で審議することにした。この法案、先進国の製造業は雇用や資源を60%途上国で賄う事をうたっている。高校生らしい提案だと私は思う。(すなわち、かなり実現不可能な提案である。)だが、開発経済学を学んで、生徒たちはどう反応するかに興味があったのだ。
  議長が、テーブルベルを鳴らして審議開始。(こういうグッズが雰囲気を盛り上げる。アクティビティでは重要だ。)様々な質問が、アメリカや日本、アイスランドから次々と浴びせられる。ハイチの大統領は大変だ。
 まず、雇用は現地なのか、先進国で引き取るのか。先進国に来るとなると様々な異文化共生の問題が出てくるではないか。また先進国の失業率が上がることは、マクロ経済的に結局経済を失速させるのではないか。
 次に、資材とは、生産財をさすのか、設備投資をさすのか、あるいは途上国に工場立地をした場合の消費財なのかという質問もでた。
 さらに、途上国の「技術の集積」のなさを批判する質問もでた。
 あるいは、この提案は、時限的なものなのか、恒常的なものなのか。
 ハイチの大統領(彼女は大変聡明で前向きな生徒である)は四苦八苦していた。大混乱しつつ、結局、「途上国にスキルを与えて欲しい、これが最大の眼目である。雇用創出による富の再分配は二の次なのだ。」と答弁した。ハイチの他のメンバーは、「時限立法的なものでもいい。」と発言した。また中国からは、「60%は多すぎないか」という指摘。「3/5法案」だが、45%から60%の間でもいいと大統領は妥協もした。 時間も残り少なくなった。議長は「採決する!」と、またベルを鳴らした。2分間各国で審議。さて、その結果は…なんと、中国とアイスランド以外は賛成に回ったのだった。
 
ミニ国連/アメリカ・アイスランド・ハイチ
 アメリカ大統領の弁。「私は絶対反対だ。」と言った。「失業率が上がるし、こんな法案ダメだ。」と言ったが、他のメンバーが「反対する理由がない。」と…。日本も、私の後の解説を聞いて「今思うと何故賛成したのか不思議だ。」と言った。(笑)おもしろいのは、アイスランドである。そもそも次回共同提案される「環境関連の法案」で、先進国の共同研究でスキルアップした環境機材の生産を全て途上国でと言っていたはずだが…。どう考えても資本主義の理念に反しているという理由で反対に回ったのだった。中国は、一言。「メリットがない。」中国は最後まで中国だった。(笑)
 さて、センター試験・倫理の結果は、あと1点というところで4年連続90点をのがしてしまった。まあ一生懸命やった結果だから仕方がない。受験は、これからが勝負である。
 ところで、息子が昨年末に得たグッド・パートナーと共に、今日、成田からコペンハーゲン経由で「龍動」(林望センセイが、薩摩スチューデントの心象から、ロンドンをこう当て字している:12月30日付ブログ参照)へと旅立った。はたして「龍」になれるか。父親としては期待半分、不安半分…いや「3/5」かなというところである。

2011年1月16日日曜日

「三つの指輪」は良問である

倫理第4問 長文の設問
 センター試験の問題や解答がすでに発表された。今年の倫理の問題の難易度は、各予備校が言うように、ほぼ昨年度並みだと私も思う。現場の教師から見ると、サン=シモン・フーリエ・オーウェンなどといった空想的社会主義者の問題は、思わずちょっと待ってくれ、そこまで出さんといてくれ、という感じであるが、全体的にはまずまずといったところだろうか。金曜日、隣席のK老師に、「ロールズは出ますかねえ。」と質問した(例のNHKのハーバードの教室での中心命題はロールズの「正義」「公正」である。)ところ、「あえて出さんでしょう。」との答えであった。K老師の言われた通り、結局出なかった。センター試験を作っている先生方の矜持であろうか。(笑)さて、試験の中で私が、一番印象に残った問題は、第4問の問2、ボッカチオがデカメロンの中で書いたと言う『三つの指輪』についての設問である。(詳細は2枚の画像参照)

 決して難しい問題ではない。いつも、私が生徒に言う「秒殺問題(ぱっと見て、解答可能な問題)」である。ユダヤ・キリスト・イスラムの戒律について云々は、当然補習等でしっかり叩き込んである。なにより最初の長文問題の方には、きっちりと『諸宗教間の寛容を説いた』とある。三つの指輪の話を読まなくとも、解ける問題である。設問2の問題の主旨をつかみ、長文の下線部を見ればこの大ヒントがある。受験者は思わず祝福を与えたくなるであろう。

問2 三つの指輪
 なのに何故良問なのか。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の律法を、こういう形で日本の「倫理」という教科が認識し、それがメジャーとなった(つまりセンター試験に出た)ことが重要なのである。私は、ユダヤ教への批判としてのキリスト教、この両者を批判する形でのイスラム教という視点で、はるか昔(30年以上前)から教えてきた。その頃の教科書には、イスラムはコラム程度にしか扱われておらず、ましてその三宗教の神が同一などという概念は、まさに「へぇー」の世界だった。冷戦の崩壊後、日本でもイスラム教理解が急速に進んできた。イスラム教をユダヤ・キリスト教と同時に学ぶように変化してきたわけで、日本の一神教理解のスタンスがようやく確立されたように感じたのである。

 まだまだ、日本のイスラム理解はこれからである。日本の公安は、ムスリム=テロ容疑者のように、流出文書に書かれているらしい。テロは「貧困」から生まれる。イスラムのシャリーア(律法の体系)が悪いのではない。これだけグローバル化が進んだのである。様々な「格差の是正」への動きが出て当然である。先日のエジプトのコブト教会(キリスト教の単性論の教会である。)へのテロも、なかなか豊かにならないムバラク長期政権へのゆさぶりであろう。チュニジアの政権崩壊もモロに「貧困」から生まれたのである。チュニジアは、マグレブ諸国の中でも最も欧米寄りであった。だが「貧困が解決できなかった。だから政権が崩壊したのである。イスラム国家でも、悪いガバナンスは放逐される時代に入ったのだ。(サウジなど王制・すなわち専制のアラブ諸国も戦々恐々だろうと思う。)結局、問題は、イスラムという宗教ではなく、ガバナンスの善し悪しなのだ。

 三つの指輪は、解答③にあるように、互いを否定できない。否定できるのは、歴史が生んだ大きな格差である。日本は指輪をつけていない。だからこそ、この三つの指輪の現在の対立を調停しうる立場にあることを忘れてはならないと思う。センター試験の問題が、ここまで踏み込んで作られたのではないと思うが、私は大いに評価したい。

追記:Anruさん、読者登録ありがとうございます。またコメント入れて下さい。

2011年1月15日土曜日

ミニ国連 2010 法案提出

「地球家族」のアイスランドの写真
 今さっき(AM10:30)センター試験の倫理が終了した。毎年恒例の祈りの時間も終わったので、ブログを更新しようと思う。現代社会で、やってるミニ国連のことである。11日のブログでふれたように、「地球家族」のフォトランゲージで国分けをした。本年度は、アメリカ、日本、中国、アイスランド、ハイチ、マリ、クウェートの7カ国にした。
 昨日は、A組もB組も、その国ごとにミニ国連への提出する法案を検討、発表した。よく似た法案は共同提案化したりして整理した。それをちょっとまとめてみると…
 
 A組では、意外なことに、議長国選挙でマリに敗れたアメリカが、「環境問題」を打ちだしてきた。私が、「新聞で、今年のリスクの第一位は、G0(G7も、G20も世界をリードしていない。ましてバックス・アメリカーナと言われた冷戦後のアメリカ支配は終焉した。)だった。アメリカはその復権を目指すような政策を考えて欲しい」という要望に答えてくれたのだった。彼らが知恵を絞ったのが、ヨーロッパや日本に後れを取っている「環境問題」だったのだ。国土や人口をもとに、一定の比率で自然エネルギー(太陽光・風力・地熱・波力など)を使用することを義務付ける法案であった。日本やアイスランドはこれに共同提案という形で乗ってきた。
 一方、ハイチが「3/5法案」という変な名前の法案を出してきた。この3/5は60%のことで、全世界の企業が、生産に当たって雇用・資源調達・工場立地などで、必ず途上国のものを使うよう義務付ける法案である。アイスランドも、環境技術の開発の共同化を世界的に進め、しかもその生産を全て途上国で行うという法案も出してきた。この2つは、工業の集積という概念を無視しているが高校生らしくて良い。マリは、「アフリカの連邦化法案」を提案してきた。なるほど、世界は途上国を中心に、善意あふれる先進国の協力のもとで連邦化に進むというわけだ。

 B組では、これまたアメリカに議長国選挙に勝利したアイスランドと、マリが、「フェアトレード法案」を出してきた。アイスランドは漁業、マリは綿花といった第一次産品の価格保障をすべきだと主張してきたわけだ。ハイチもこれに共同提案体制をとった。
 一方、B組のアメリカは、A組のアメリカと違い、真正面から勝負した。「テロ防止促進法」である。テロを行う国は「悪の枢軸」とみなし、国連はアメリカを中心に制裁を加えるべきだときた。

 いずれも、これからの中国の動きが気になるところ。中国は先進国なのか、途上国なのか。A組の中国は、自らを途上国だと規定したうえで、「裕福な国による途上国のインフラ整備促進法案」を主張。B組の中国は、ずばり「変動相場制禁止法案」で、人民元の切り上げ阻止をうたった。両方とも直球勝負である。

 両組とも自国と日本のみの得票で議長選挙に敗北したアメリカは、どう出るか?ロビイストが走り回る教室であった。あまりにリアルすぎるというご批判もあるかも…。

追記:本日より「リアクション」を設定しました。気軽に、クリックして下さい。

2011年1月14日金曜日

「風をつかまえた少年」後編

風をつかまえた少年(裏表紙)
 結局、「風をつかまえた少年」を読み終えてしまった。図書館で偶然出会った本をもとに、廃物利用をしながら、涙ぐましい努力によって風車をつくる後編について、今日も、これから読む人の邪魔にならない程度に、私の感想というか想いを書きたい。

 昨日、私のクラスのOGが久しぶりに訪ねてきた。就活の後だという。彼女は、頑張り屋の多かった我がクラスでも飛びきりの頑張り屋だった。私のクラスになったのは2年・3年だったが、早や1年の時から目標を定めて、放課後は毎日予備校に通っていた。体育祭の後も、「じゃ行ってきます!」と、盛り上がっているクラスメートを尻目に予備校に行っていた。彼女には夢があり、その為には何でもやり抜く強さがあった。具体的には書けないが、様々な苦労を背負っていた。泣くこともあっただろう。だが、彼女は上を向いて涙を流す、そんな子だった。結局、現役で某一流国立大学の経営学部に合格した。大学に入って、学生が実際に経営に携わるサークルに入り、多くの同級生が去る中、結局そのリーダーになり、1年間その”会社”を守り抜いた。彼女の就活にあたって、私は普段から考えていることを口にした。

 「このところの日本の教育が、今の就活のしんどさを生んでいるような気がする。小・中・高と、塾で引かれたレールに添って、常に受動態で勉強して、いい成績をとって、いい大学に行っても、自分から学ぼうという姿勢がなければ本物になれないような気がする。ただ、君は毎日予備校に行っていたけど、それは目的のための自律的な学びだったと私は思う。だから、大学でも自分でやりたいこと選び、学生の会社を経営する重責に耐え、今があるのではないか。就活で苦戦しているのは、塾症候群の受動的学生だけのことではないのか。」彼女も同感だと頷いた。

 この「風をつかまえた少年」後編を呼んでいると、今の日本の教育のひずみみたいなものを感じるのである。自分で夢をもち、そのためにトライする自律性がかけているのではないか。このウィリアム少年の夢は、母親や妹の家事の苦労を失くす、父親の苦労を軽減する、マラウイの村の貧困をなんとかするという夢だ。彼は後にアメリカまで旅するが、そこで見たあらゆる科学技術に接しても、この技術を村にいかせないか、マラウイの貧困を脱するものにならないか、常に故郷のマラウイを想う。そのやさしさが、心を打つ。最後には、泣きそうになるほど感銘をうける本である。

 本校生は、そういう”やさしさ”を持った夢のため大学で学びたいという生徒が多い。だからこそ、彼らの真剣な戦いが心を打つ。…明日はセンター試験である。

2011年1月13日木曜日

「風をつかまえた少年」前編

風をつかまえた少年(日本語版)
 「風をつかまえた少年」をじっくりと読むつもりだったが、あれよあれよといううちに6割方読んでしまった。いよいよ本題の風車づくりに結び付く図書館に彼が足を運んできたところである。内容の細かなところにふれると、これから読もうとしている方に迷惑なので、今、どうしても主張しておきたいことだけ書き留めたい。
 この本は、ウィリアム・カムクワンバ君の体験をブライアン・ミーラーというジャーナリストが口述筆記したものらしいが、目次を見て、私はえらく前置きが長いなと感じた。そう、子供のころからの体験談が続くのである。マラウイの田舎の農村。そこで体験した些細な日常。
 だが私は、この前編部における前置きこそが、極めて重要だと思う。その理由は2点ある。ひとつは、後半に出てくる2000年から2001年にかけてのマラウイを襲った飢餓の話である。この飢餓、日本にいると全く想像できない。それが、ミラー氏の聞き取りのうまさと構成力で、まるでそこにいるような感覚を呼び起こす。訳者の田口氏の力量もあるだろう。私は、アマルティア=センの「飢餓」の考察などを読んでいるし、全く飢餓について無知であるとは思っていない。しかし、圧倒的な迫力で「飢餓」が迫ってくる。地球市民として、是非読んでおきたい記述だと思うのだ。
 もうひとつは、飢餓の描写も含めて、マラウイの日常が生き生きと描写されていることだ。子供がどんな遊びをしているか、小学校でどんなことを習っているか、魔術がどういうふうに浸透しているかなど、私には、一つひとつが貴重な情報である。面白くて読み進み、飢餓の場面ではらはらしながら読み進み、気がつくと図書館の場面にたどり着いたわけだ。だからこそ、彼の風車づくりが、理解できるのではないか。もちろん、アフリカの文化人類学的な部分が面白くない人もいるかもしれない。しかし、最初から積み上げるように読んで欲しいと思った。彼らアフリカ人の「たくましさ」「あたりまえに生きる強さ」を知って欲しい。また様々な人びと(ウィリアムの父や母、親戚や友人)が吐く至言とも思える箇所もいくつも出てくる。そういう意味で私には、極めてありがたい本である。

 さて、スーダン南部の国民投票の中、風土病が猛威をふるっているとのWEBニュースが飛び込んできた。
【ジュバ(スーダン南部)時事】スーダンからの独立の是非を問う住民投票が15日まで実施されている南部で、治療しなければ致死率がほぼ100%の風土病、内臓リーシュマニア症(カラアザール)が8年ぶりに大流行している。医療関係者は「住民投票の歓喜の陰で内戦に伴う人道危機は続いている」と警告している。カラアザールは、寄生虫を媒介するサシチョウバエを介して感染する熱帯病で、スーダンでは南部ナイル川沿いの州など一部地域で発症。マラリアなどとは異なり、地域的に限定された病気のため研究が不十分で、「顧みられない病気」とも呼ばれる。8年前の流行後、免疫のない世代が増えたほか、天候の影響もあって昨年末から大流行。南北内戦で発症地域に十分な医療施設や医師が存在せず、死者数など実態は不明だが、国際緊急医療援助団体「国境なき医師団」が昨年治療した患者数は、前年比8倍超の約2050人に上っている。 
 リサーチしたら、国境なき医師団のHPにも、このスーダンでの活動の様子がさらに詳しく出ていた。 http://www.msf.or.jp/news/2010/08/4925.php

 前述の「風をつかまえた少年」の飢餓の話にはコレラの蔓延の話も出てくる。切ないほど、痛々しい。私は、これまで以上に、このスーダンの状況を具体的にイメージできるようになった。是非とも本校生にも読ませたい。来年度になるかもしれないが、図書館で買っていただく手配をしておいた。

2011年1月12日水曜日

狂気の偽装と「アルファー波」

  実は年末に、妻の用事のアッシーとして働きながら、こそっと古本屋で何冊か文庫本を手に入れていた。読み切った本は2冊だけだが、今日は、その1冊『狂気の偽装-精神科医の臨床報告-』(岩波 明/新潮文庫)について書きたい。このタイトル、なんか刑事裁判での話のようだが、内容は様々な「心の病」が、実は心理学者によってつくられた虚偽の「心の病」だったり、安易な捉え方から違う方向へ「心の病」が理解されていたり、はたまた「心の病」になりたいという願望の所産であったり、マスコミの報道によって「心の病」が様々に曲解されていることを、精神科医として危惧し、本当の「心の病」の実情を証言した本といってよいだろうか。
 PTSD、ADHD、アダルト・チルドレン、ゲーム脳といったよく耳にする心理学用語について詳しく解説されている。全うな精神科医から見ると、そう簡単には「心の病」にはならないということらしい。
 ともあれ、精神医学は自然科学なのだと思うが、心理学はその自然科学的基盤が危ういのかもしれない。本校生は、案外この心理学を大学でやりたいという生徒が多い。私が倫理の教師故に相談に来る生徒も多い。入るに難しく出ても就職が厳しいという現実もあって、いつも断固として勧めない。それでもなお思春期にある彼らには、大いに興味があるらしい。まあ、自分の高校時代を振り返ると解らないでもないが…。

 さて、心理学の話が出たので、アルファー波の話を書きたい。実は校長が始業式で、特に3年生に向けて、自信を持ち、自分は出来ると言い聞かせて受験に臨むよう檄を飛ばされていたのであるが、これは私がよく生徒に言う『アルファー波で行け!』ということである。本校に赴任した年、なぜか私はPTA係にされた。それでPTA総会や研修に度々参加することになったのであるが、その研修会でのことである。講師の先生は、自己能力開発コンサルタントという人物だった。彼は、しきりに「脳波には、アルファー波とベーター波があります。子供さんにはアルファー波を出させましょう。」と言っていた。話だけだと、「ふーん」という感じだったが、実験をすると言いだしたのである。

 前の方でメモを取っていた私に「先生、体重は何キロですか。」とまさにタブーといっていい質問をしてきた。私は思わずサバを読んで「80kgくらいですかねえ。」と答えた。当時のPTAの役員のお母さん方を5人アトランダムに指名して、会議室に集まった聴衆にこう言った。「今から、80kgのこの先生を、座っておられる椅子ごと、この5人のお母さん方が、右手の人差指1本ずつを使って持ち上げてみせます。」「えぇ~」という、おそらく半分は私の体重が重い事へのブーイングのようなざわめきが起った。実際、指名されたお母さん方も、人差し指5本では不可能だと思われたのだろう。「げえぇ~」これはおそらく、完全に私の体重へのブーイングだった。(笑)で、その5人のお母さんを隅に読んだ講師は、「軽い!」とか「出来る!」とか言って暗示をかけていた。ちょっと不機嫌になった私は、意地でも持ち上げられるまいと決意した。何より数kgはサバを読んでいるのである。(笑)

 ところが、実際には易々と持ち上げられてしまったのである。自己に自信を無理やり持たせる「アルファー波」とは、いかに凄いか私は認識させられた。センター試験まであと3日。何が何でもアルファー波で行けっ!

2011年1月11日火曜日

「地球家族」でフォトランゲージ

「地球家族」のブータンの写真(今回は使わないけど…)
 3学期の始業式の日である。2時間授業があって、放課後は、KIVA JAPANへの振り込みやセンター試験への道・倫理の個人指導(要するに誤答した問題を解説するのである)をしていた。まさにセンター試験まで秒読み段階である。4年連続90点突破者出現を彼らに託したい。さて、案外時間がかかったのが、現代社会の授業準備である。先日紹介したPRSPの資料の切り貼りとコピー、ミニ国連の各国別資料の完成、それとミニ国連開催にあたってのアイスブレーキングと班編成を兼ねたゲームの準備をしていたのだった。
 それは、「地球家族 世界30カ国のふつうの暮らし」という大きなグラビア本を、ミニ国連の参加国に私が決めた7カ国分コピー(白黒なのが悲しい。)することから始めた。この本は、ESDのフォトランゲージで様々に使われる有名な本で、30カ国の国々を回り、家の前で所有する様々なもの(家具や家畜、自転車などの交通手段、趣味の用品などとにかく出来る限りの品物)を置いて、家族が記念撮影するというもので、それぞれの国の文化(特に多くの国では宗教的なモノを家族が持っていたりして、面白い。)や、豊かさなどがよくわかる本なのである。私は上の画像、ブータンの写真が好きである。何もなく、ただただ仏具だけが大きく目立つ。家族の顔がいい。さすが国民総幸福の国である。ただし今回はミニ国連参加国ではないけれど…。
 普通は、この写真を各グループに渡して、どこか考えさせる。こういうアクティビティをフォトランゲージというのだが、私は、この7枚の写真を5~6にハサミでバラバラにして1つの封筒に入れた。(当日は時間の短縮のため3つの封筒にしようと思っている。)これを無作為に生徒に引かせて、自分の仲間を探させるつもりだ。いつも、みんな必死で探すので案外早く仲間が見つかる。これで国分け(班分け)が完了である。
 どこか考えさせて、簡単に紹介してから、ちょっと詳しい資料を配り、その国の国益も考慮に入れた「ミニ国連への提案」を考えさせようと思っている。おそらくミニ国連・1時間目はここくらいまでだと思う。

追記1:さて、今夜「風をつかまえた少年」が届いた。2010年11月20日第1刷である。新しい。よって2011年度のベスト本候補として、ゆっくり楽しんで読もうと思ったのであった。ところでフランス留学中のOGが、フランス語版を購入したらしい。なんか、すごくパッピーな気分である。OG,OBに告ぐ。非常勤講師さんに続いて、誰か英語版を購入して、コメントして欲しい。(笑)

追記2:スーダンの南部独立問題、新聞報道によると、アメリカがかなり主導権を握っているようである。北部政府も債務は我々が負担すると表明した。さてさて、どうなるか。人間の理性と善意が試されているような気分になるのは私だけだろうか。

追記3:2月19日に京大のアフリカ地域研究資料センター公開講座 「アフリカ研究最前線:生きる」に参加申し込みをした。アフリカの農業についての講座で、関西ではあまりこういう機会がないので、今から楽しみである。

2011年1月10日月曜日

「ひょうたん島問題」を読む

ひょうたん島問題
  さて、そろそろ国際理解教育学会の『現代国際理解教育事典』の執筆に取り掛からねばならない。(10月14日ブログ参照)私など初めての経験なので、非常に不安なのだが、執筆依頼の文書に、「この執筆を通して会員の執筆力の向上云々」とあって、さらに「入稿に至るまでに、各章担当者とのやり取りを経て原稿を練り上げ云々」ともある。よって私は、現場の実践者として、国際理解教育学会の先達の諸先生方の指導を受けながら研鑽していこうと、素直に受け止めている。そう、この際本格的な学術論文のスキルを得たいと思っている。とりあえず、現在のところ、『シミュレーション・ゲーム』という項目だけであるが、まずは資料の収集から始めなければならない。

 この機会にと、年末にD女子大学のF先生の『ひょうたん島問題』を手に入れた。私の知る限り、最もまとまったシミュレーション教材であるからである。昔、ひょんなことからこの教材を知り、F先生が国立のT大学におられたころにCD-ROM版を手に入れた。後で、この作者がF先生であったことを知ったのであった。ちなみに、そのCD-ROM版は、現在3回生になるF先生のゼミ長を務めるOGのK君にあげてしまった。きっとESD研究の参考になると思い、あげたのだが、まさかこんなことになるとは…。で、新しく発表された第二版ともいうべき教材を手に入れたわけだ。
 国際理解教育のシミュレーション教材は、実はわりと多い。開発教育協会を始め、様々な国際機関やNGO・NPOなども出している。私も、そこそこ手に入れてある。とはいえ、学術的にもきちんとしたものとしては、まずF先生の『ひょうたん島問題』だと思うのである。

 この『ひょうたん島問題』を簡単に説明すると、自走することが可能なひょうたん島(寛容で、豊かな生活を営むひょうたん人が住む。ひょうたん文化という伝統を重んじている)が、北にあるカチコチ島(よく働くが自然に恵まれないカチコチ人が住む)、南にあるパラダイス島(熱帯の途上国的なイメージ、パラダイス人が住む)の中間地点に漂流し、両島から出稼ぎにカチコチ人、パラダイス人がやってくるところから始まる。①異文化コミュニケーション、②勤労に対する価値観の相違と社会問題化、③言葉や教育における価値観の相違と社会問題化、④多文化主義・多民族共生の社会問題化、⑤共生の条件といった、ESDの中でも、異文化理解を中心としたシミュレーション教材なのである。こういう説明では、あまり面白くなさそうだが、実際は、豊富なイラストで紙芝居的である。

 この本の凄いところは、そのシチェーションの理論的裏付けが極めて明確で学術的であることだ。第2章の理論編、第3章の資料編も極めて重要である。ESDの教育実践に興味のある方は、是非手に取られてみてはと思う。

 この『ひょうたん島問題』以外にも、『シミュレーション教材の開発と実践ー地理学習の新しい試み』という、だいぶ以前に購入した本も「定義、現状、課題、国際理解教育への言及」という原稿執筆大枠を考えると、大いに役立ちそうだ。(この本については、またいつか書きたい。)

 原稿の締め切りは2月末。着実に取り組んでいこうと考えている。

2011年1月9日日曜日

KIVA JAPANに参加表明

 今日、野崎さんという元JICA専門家の方から、「今年この1冊2010」(12月27日付)にコメントをいただいた。私が、「援助じゃアフリカは発展しない」という本を昨年度最も印象に残った本であると表明し、また、そのコメントの中で、著者の主張するマイクロファイナンスの有為性に言及していたからであろうと推測される。野崎さんは、KIVA JAPAN(http://kivajapan.jp/)というNGO(正確には、発祥のアメリカのKIVAがNGOで、日本ではまだ任意団体らしい。)を紹介してくださった。野崎さんは、そこで翻訳を手掛けておられるとのこと。さっそく、HPを覗いてみた。このKIVAは、要するに、インターネットで途上国の人びとに、マイクロファイナンスとして少額のオカネを投資できるしくみなのだ。

 KIVAというのはスワヒリ語で絆や合意を意味するらしい。スワヒリ語が大好きな私としては、是非とも参加する気になってしまった。この辺は、完全にパトスの問題である。起業家一覧を見ただけで、とにかくやってみようと思った。私のわずかなオカネが、マイクロファイナンスとして使われているだけで、地球市民としての実感があるではないか。(現在、私は国境なき医師団のサポーターとして世界に間接的に繋がっているが、KIVAの方が実感が強いと思われる。)とにかくやってみようと、申し込み手続きに入った。仮申し込みは終了したが、ジャパンネット銀行に口座がないので、火曜日にゆうちょ銀行から振り込みをすることにした。実際にやってみてから生徒にも、大いに啓蒙したいところだ。(オカネが関わるので、慎重に対処しなければならないが、情報提供については問題はないと思う。)

 どの起業家に投資するか、迷うところである。ゆっくり決めたいが、今のところ、野崎さんが翻訳したマリの日用雑貨品のおねえさん、ケニアの「ピーター」という酪農家のおしいさん、そしてこれも野崎さんが翻訳された、Lily君がJOCVとして派遣されるドミニカ共和国のカフェのお母さんなどが候補である。写真付きで、その国の詳しい事情もわかる仕組みになっていて面白い。
 国際理解教育にも十分使える。まさに野崎さんのおっしゃる通りである。オカネを出さなくとも、うちの英語科の生徒なら、あの短めの英文であれば、十分翻訳ができるかもしれない。(これは、後輩の口の悪いI先生や、国際理解教育に興味をもっているR先生にも見てもらおうと思う。)

 1日に2回投稿するのは、これで2回目だが、あまりに良いニュースなので投稿した次第。さっそく、我がブログのリンクに入れさせてもらった。読者の皆さんにも、私のこの興奮が伝わったであろうか。

スーダンの国民投票 覚書

 1月9日は、スーダン南部の独立の是非を問う国民投票の日である。スーダンの南北内戦の最終決着をはかる日である。日本も監視団を送っているわけであるが、これがなかなか複雑なのである。詳しい歴史を書き始めると、かなり長くなる。そこで、覚書程度に記しておきたい。
 地理の授業では、首都のハルツームは、青ナイルと白ナイルが合流する街で、しかも、この街を基準に、北がホワイト・アフリカ、南がブラック・アフリカと分けることができると教えている。すなわち、スーダンは、ホワイト・アフリカとブラック・アフリカが合体しているわけだ。このホワイトとは、人類学上白人に分類されるアラブ人を意味する。(すなわちイスラム教徒であり、アラビア語をしゃべるのである。エジプト・リビア・マグレブ諸国などのアフリカである。)スーダンは、この北部が独立以来、政権を掌握してきた。一時、南部にもシャリーア(イスラム法体系)を強要したりして、確かにキリスト教や土着の信仰もつ南部の黒人から見ると、宗教的対立だといえなくない。
 現在、スーダンはりっぱな産油国で、開発や輸入の多くを中国がおさえている。ここでも中国登場である。スーダンは、古くからの南北内戦だけでなく、西スーダンのダルフールでの虐殺も起こしている。このアフリカの超問題政府を中国が支援し、武器も中国製であることが指摘されている。
 ともあれ、南部が独立するのは時間の問題かもしれないが、まだまだ問題がある。石油は南部に多く産出するからである。北部政府は、現在、パイプラインでこれを南部から北部へ運んでいるわけだが、Miyaさんの「アフリカのニュースと解説」の昨年3月7日付の”豊田通商のパイプライン計画(スーダン~ケニア)”という記事を読んでみると、よくわかるが、これから南部が独立したとしても、そのレントを生かして開発が進むかというと、ホント、前途多難なのである。ふぅー。(ため息である)
 と、いうわけでコートジボアールのデモクレイジーとともに、スーダンの国民投票も気が重いわけだ。
「アフリカのニュースと解説」”豊田通商のパイプライン計画(スーダン~ケニア)”
http://let-us-know-africa.blogspot.com/search/label/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3

2011年1月8日土曜日

朝の光の中で僕は兎になろう

 年末に加川良の『南行きハイウェイ』を久しぶりに聞いて以来、我が家では70年代フォークがマイブームになってしまった。先日妻が急に「”ある朝高野の交差点近くを兎が飛んだ”って、誰の曲だった?」と聞いてきた。「えーと。…豊田勇造。」「そうそう。豊田勇造や。」
 妻は、高校時代からのクラスメートである。我々のクラスの音楽趣味は、拓郎・陽水・かぐや姫といったメジャー以外に大きく拡大していった歴史がある。まだ売れない頃の阿倍野アポロで歌っていた頃のアリス(アルバムで言えばⅠ・Ⅱくらい。)、加川良、斎藤哲夫、憂歌団、上田正樹…。その中でも豊田勇造は、マイナー中のマイナーな拡大であった。(ご本人に失礼だけれど…。)Yという友人が、「さあもういっぺん」というLPレコードをもってきて、勧めてくれたのだった。『大文字』という曲が私は好きである。『ある朝高野の交差点近くを兎が飛んだ』という曲も、この中にあったのだった。さっそく、リサーチしてみた。すると、YouTubeにあるではないか。凄い時代になったものだ。
http://www.youtube.com/watch?v=_vX8Af5LlDc
 ちょっと聞いただけで、どどっと歌詞を思い出した。30年ぶりくらいなのに、2人とも合わせて歌えるところが凄い。(笑)最初に朗読があり、それから歌になる。タイトルも長いが、歌も長い。9分くらいになる。(笑)この朗読も歌詞もちゃんと載せているブログも発見してしまった。『京都第二主義』というブログで、豊田勇造のプロフィールもよくまとめられている。素晴らしいブログだ。
http://2ndkyotoism.blog101.fc2.com/blog-entry-115.html
 このブログの中で、「還暦を過ぎた今も、小さな飲み屋やライブハウスで精力的に演奏する姿は、デビュー以来一貫してブレも飾り気もなく、カッコイイのです(高石ともやほど通俗でなく、岡林友康ほど厭世的でもなく(笑))。」「ボブ・ディランのメッセージ性とボブ・マーリーのラスタ精神を備え、京都の土俗的フォークミュージックの本流を歩いているような人物・・・とでもいいましょうか。」「友部正人もそうですが、“本物の人”は、そうやすやすと電波に乗って人の前には現れませんね(笑)。」とある。私は完全に同意したい。ちょうどウサギ年だからか、YouTubeも京都第二主義も、最近の更新である。もしよかったら、読者のみなさんにも覗いて欲しいところである。特にYouTubeは、画面が変わらないので、じっくりと目を閉じて耳を澄まして欲しい。彼の独特な難解な詩を”感じて”欲しいと思う。

 「♪朝の光の中で僕は兎になろう~」と鼻歌を歌いながら、妻はさきほどH城鍼灸院の手伝い(ボランティアである。)に行ったのだった。 

2011年1月7日金曜日

マラウイの風をつかまえた少年

風をつかまえた少年
毎日新聞の朝刊(1月7日付)の『ひと』の欄に、マラウイのウィリアム・カムクワンバという学生のことが出ていた。彼は独学で風力発電機を作り、それが認められて、今はアメリカの大学で学んでいる。その彼が来日したのだという。
さっそく調べてみた。ウィキペディアにも彼の項目があった。飢餓に苦しめられたマラウイの農村で、彼は、セカンダリースクールを中退せざるを得なくなる。だが、学びたいと言う意識を失わなかった彼は、図書館で本を読み、読めない英語は図解で理解し、ガラクタを集めて、ついに風力発電の装置を作ってしまうのである。風車で水をくみ出し、灌漑にも役立つし、電気も得られると考えたのだ。私としては、彼のことを書いた「風をつかまえた少年」の日本語版が欲しいところだ。日本の子どもたちの為にも誰か訳してくれないかなと思う。彼のような潜在能力の高いアフリカの子どもたちが、まだまだ絶対にいるはずだ。彼らの潜在能力を奪うことが貧困だというアマルティア=センの言葉は正しい。そんなことも訳書に入れててくれれは最高だと思う。

彼の肉声を収めた日本語字幕入りのVTR「ウィリアム・カムクァンバ:私がやって見せた風力発電」を見た。http://www.ted.com/talks/lang/jpn/william_kamkwamba_how_i_harnessed_the_wind.html
この中で語られる彼の最後の言葉は、全てのアフリカの子どもたちへの「金言」である。以前、ネット上でいい話として、2009年に様々に論じられたらしいが、私にとっては、大発見だった。またひとつ良質のアフリカの国際理解教育教材が増えたわけで、嬉しい。

追記:「非常勤講師さん」のコメントで、『風をつかまえた少年』の翻訳本があることを教えていただきました。さっそく注文しました。「非常勤講師さん」ありがとうございます。

2011年1月6日木曜日

私のPRSP 2010 その2


ODAデータブック アンゴラ
隠密同心は、今日も「西田辺」から「あびこ」方面に出動した。途中小雨に濡れ、まさに「死して屍拾うものなし」の状況だった。最後に大逆転で、某塾のトップの先生とお会いでき、1時間以上お話しできた。かなり本校にシンパシーを感じていただき、他の府内の教室にもこの情報を伝えたいと残っていた冊子を全部引き受けて下さった。ありがたい1日であった。
 
 さて、本題である。今年は11日が始業式である。ずいぶん遅い。センターまで1週間もない。駆け込みで倫理の問題集を持って3年生がくる予感がする。当然、授業の準備も必要である。本校では国語や英語の先生方が今日も教材研究に余念がない。(その点、社会科は、そんなに大きく教材自体が変化しないので楽だといえなくもない。)私も、昨年末(12月27日付ブログ参照)に書いたように、3年生国語科の現代社会のミニ国連の準備や、アフリカ開発経済学の学年末考査の課題、「私のPRSP」の準備なども進めている。先日、PRSPの資料として最も有為なものを発見した。外務省のODA関連の資料で、ODA国別データブックと呼ばれている。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/kuni/09_databook/index.html#V
 これは、かなり専門的な資料である。その国の実際のPRSPの概略も示されている。これは、私としてはあまり面白くないので、割愛してプリントしようかな、と思っている次第。最初は、JICAのHPからたどり着いたのだが、結局キーワードは、「PDF」である。重要な資料は、WEB上では、大抵PDFで処理されているからである。3年生の諸君にも、こういうスキルを伝えておいた方がいいかなと、残り少ない授業時間を数えながら思ったりするのであった。

2011年1月5日水曜日

隠密同心、阿倍野を歩く

広報活動を終えてパチリ
 昼から、広報活動で「阿倍野区」を歩いて回った。昨年は、国際交流部も大忙しだったし、体調も後半崩したりしたので、あまり回れていない。本校は、大阪で最も古い英語科、それに全国唯一の国語科をもつ特色ある公立高校なのだが、いかんせん小規模校故にネームバリューがまだまだ低い。私学みたいに、莫大な宣伝費もかけられない。地道に中学校や塾を回って広報活動するしかないのである。
 私が本校に着任した時、生指部長だったS先生が、コツコツと回っていた。私の広報活動は、彼の本校への熱い想いにふれて、誰に言われるともなく回りだしたのが始まりである。やがて同志(?)が1人増え、2人増えして、今はシステム化されて全員の担当が決まられている。とはいえ、私は”隠密同心”のようなポジションで、前任の校長から某方面を回れとか言われてから、単独で動くようになった。さらに前首席が弟分だった関係もあって、彼の企画にそって回ったりしていた。気分は「死して屍拾うものなし」である。さて、今年度は、F教頭が1人、大阪市内の中学を自転車で走り回っておられた。前首席も転勤したし、ホント大変である。で、異例の冬休みの広報活動となったのである。倫理の補習も終わったし、今年は地理B選択者がゼロなので補習時間数が少ないのも理由の1つである。
 「営業は足でかせぐ」というのは鉄則である。数をこなさなければ成果は得られない。公立校といえど、その熱意は伝わる。学生時代の営業のバイトで、鍛えられたので、私はこの広報活動はそれほど嫌な仕事ではない。今日は、結局6件ほど回った。そのうち3件ほどはゆっくり応対していただけたし、さらにそのうち1件は40分ほど熱心に聞いていただけた。実は本校OGを昔教えていた先生で、本校にシンパシーを感じていただけている方だったのだ。こういうシンパシーをいかに植え付けていくかが重要である。

 なんとなく、充実感の残った1日であった。

2011年1月4日火曜日

倫理の補習で「座標軸」

今日はまさに冬の風景であった。
 久しぶりに授業をした。センター倫理の補習である。90分2コマ、約3時間。お題は、近代の日本思想である。昔は「ここは覚えておくべし。」という無味乾燥なセンター・スキル中心だった範囲だが、このところ「日本の近代化」をじっくり自分でも勉強したつもりなので、かなり肉がついている。江戸時代の朱子学、国学の復習から、水戸学や尊王攘夷の意味合いを概観する。何冊も関係の本を読んで、考えて、自分のものにしていると、大筋をドバッと語れる。(昔はこれが、なかなかできなかった。)だからこそ、そこに『洋学』の意味を付け加えれる。尊王攘夷が不可能であることを知り、洋学者が開国派となるのだが、その根底に「発展的攘夷」がある。(12月30日付ブログ参照)倫理でも、佐久間象山や吉田松陰、福沢諭吉の話は面白いようだ。
 さらに国民(国民国家を形成し国民皆兵を実現させる過程で生まれるコクミン。)と、個人主義に裏打ちされた市民(自由民権運動が目指そうとして、結局日本的・尊王的なあいまいな形にはまってしまったシミン。)の話をする。中江兆民の恩賜的民権なんて、まさにその例である。さらに、国粋主義や内村・新渡戸らの日本的(武士道的)キリスト教、あるいは、片山潜や幸徳秋水らの社会主義の話に移る。これらの人物の話もなかなか面白い。井上陽水が、幸徳秋水の血筋だというのもなかなかうけた。彼ら(今の高校3年生)にとっての井上陽水の代表曲は「少年時代」なんだそうだ。
 さらに、西田幾多郎、和辻哲郎、柳田国男と講義する。西田哲学は、仏教と西洋近代哲学をやったうえでないと絶対わからない。ありがたいことに、私は夏に仏教の存在論を空・仮・中という三諦で、すでに説いてあるので、「これは縁起のことだ。」「川端康成のノーベル賞受賞時の美しい日本の私を思い出して。」といった一言でかなり理解してくれる。(高校生の段階ではここまでだと思う。実際、難解な西田哲学はあまりセンターでは出ない。)
 で、最後に夏目漱石をやるのである。センター試験や倫理とあまり縁のない方は、何故?と思われるだろう。国語の試験でない。わが倫理では漱石はよく出る思想家なのである。この夏目漱石と言う人、私は、日本の近代思想ではちょうどど真ん中に位置すると考えている。もう少し、わかりやすく説明しよう。今日教えた思想家たちを、デカルト座標(数学のy軸とx軸のアレである。)の中で、どんな位置を占めるのか、整理してみるのである。そう、y軸の上には「国民」(国家的)、下を「市民」(反国家的)とし、x軸の左を「日本」(日本を愛する、好きである)、右を「欧米」(欧米的視野、国際感覚)として見てみよう。内村鑑三はどこ?福沢諭吉は?などと質問する。完全な正解はないのだが、およそふりかえりとしては有効である。さて、漱石。官費の留学生(国家的)としてイギリスに行き(欧米的)、その後英語の先生(欧米的)もしているが、結局記者から作家(録を得ていないと言う意味で反国家的)である。しかも、イギリスでその欧米的な文明を嫌い、日本的な道徳を重視するようになっている。(日本的)そう、彼の個人主義は、欧米的プロテスタント的な個人主義とは一線を画している。日本的な(利己主義を排した)個人主義である。座標軸では、ど真ん中(0,0)というところなのだ。

 とまあ、4日からさっそく補習の日々である。ところで、今日の朝は、いつものモーニングを摂るパブがまだ休んでいて、近くのカフェに行かざるを得なかった。笑ったのは、そのパブの常連さんが2人もそこに居た事だ。私と同じ発想だったのだろう。私の座標軸もぶれていないという訳か。

追記:Hajimeさん、読者登録ありがとうございます。嬉しいです。またコメント入れて下さい。

2011年1月3日月曜日

結婚30周年記念旅行のゆくえ

明日から登校である。長い休みが続くとロクなことがない。何より、ブログで書くことが浮かばないことが辛い。今日、なんとなく妻が読んでいる本を覗き見してみた。(笑)『いつかは行きたい 一生に一度だけの旅 世界の聖地 BEST500』というとんでもなく長い題名の本である。おそらく息子に借りたのだろう。要するに宗教的な名所を集めたオールカラーの高そうな本である。(実際2800円+税である。)パラパラとめくってみた。

 「伝説の風景」という章の最初に、なつかしい風景があった。米国ワイオミング州の『デビルスタワー』である。あの映画「未知との遭遇」で有名になった、先住民のパワースポットである。実は、私は、ここに行ったことがある。サウスダコタ州のウォールという町から、西へひたすら走り、AAAの地図をたよりにデビルスタワーまでたどり着いたのだった。とてつもない田舎である。ある峠を越えて、はるかにデビルスタワーが見えた時は感動した。
すぐそばにビジターセンターがあって、デビルスタワーを1周するトレイルもある。このあたり完全にアメリカ的観光地である。トレイルは小一時間かかる距離である。若かった私は平坦なこのトレイルをホイホイと完全制覇した。デビルスタワーは見る位置によって、若干違う表情を見せるが、要するにクマに引っかき傷を負わされた粘土のような姿はあまり変わらない。(笑)その岩壁を登るクライマーがいることや、その周囲の草地に穴をあけて、こちらを眺めている野生のプレーリードッグの方が面白かったくらいである。

 この本、妙に旅心をくすぐる。妻が読んでいるというのは極めて危険である。このところの所用で、今年実施予定だった”結婚三十周年記念旅行”は、現在のところ暗礁に乗り上げているのだが、今日の新聞のHISの格安海外旅行の広告を見て、妻が「どこか行きたい!」と叫んでいた。(笑)どうせなら、私はネパールやイェルサレムやイスタンブールに行きたい。(妻と行くのなら、残念ながら、アフリカは外さざるを得ない。)嗚呼!今年はどうなるのであろうか。

2011年1月2日日曜日

哲平君への伝言

この本が話題になっています
 新年早々、有名な人物からのコメントが寄せられてびっくりしています。村岡到さんというウィキペディアにも項目がある社会評論家の方です。10月8日付ブログ「ジョン・レノンの魂」の哲平君のコメントに、寄せられたものです。

村岡到さんのコメント(原文のまま)
この記事を偶然に発見しました。名前が出ている村岡到と言います。ぜひ、私の本についての感想・批判をおつたえください。『プランB』に掲載してもよいです。簡単ながら、ご挨拶まで。村岡到

ちなみに哲平君のコメントです。(原文のまま)
本日、早速5000円分の図書券を使ってしまいました!『なぜ遠くの貧しい人への援助の義務があるのか』トマス・ポッゲ 訳:立岩真也 『ベーシック・インカムで大転換』村岡到 下の本は卒論のために買いましたが、上の本はかなり期待しています。トマス・ポッゲは(なぜか巷で流行っている)ロールズの弟子でグローバル・ジャスティスの擁護者らしいです。『山椒魚戦争』もぜひ購入させていただきます。

 私と言えば、一応村岡さんのリサーチをさせていただきました。『ベーシック・インカムで大転換』の内容目次を見て、およそどのような事が書かれているのかは解りましたが、コメントする立場にはなく、また、このブログでは出来る限り政治的な内容は控えたいので、取り急ぎ”哲平君への伝言”とします。哲平君、卒論執筆の合間に、至急コメントいれてください。なんかチャットみたいですが。(笑)

2011年1月1日土曜日

年賀状雑感

注:私の年賀状ではありません
  およそ季節感のない我が家に、正月らしい風情を届けてくれるものは年賀状である。実は、私はブログを書くことに関しては筆まめだと思うが、年賀状となると一気に筆不精となる。毎年年賀状を送りたい方に一律のデザインの年賀状をつくる気になれず、どーしょうかと考えているうちに時が過ぎて行く。お世話になった先輩の先生方には、長い近況報告を書きたいし、学生時代の友人に学校の事を書いても仕方がないし…本校の先生方には、何を書こうかと考えてしまうのである。特に昨年などは、別にアフリカにいったわけでもなく、自分のクラスもないし、要するに「年」を象徴する写真もないわけで、デザインも行き詰ってしまった。年賀状とは、誠実であればあるほど大変だし、結局その誠実さが不誠実になって、今年も返す時に考えることにしようという結論になる。あーあ。

 ところで、年頭のあいさつを忘れていました。明けましておめでとうございます。読者のみなさん、今年もよろしくお願いします。特に学生のみなさんは、卒論や就職活動も大変ですね。卒業生からもチラホラ近況が寄せられています。K市外大のSさんは、カナダ交換留学生試験に合格して9月から留学するそうです。高校時代に留学したカナダへ再び。中学教師のO君は、自分のクラスとクラブの集合写真。うらやましいかぎりです。(教師の年賀状はこうでなくてはいけませぬ。)

 さてさて、今日のWEBのニュースを見ていると、エリトリアが本日をもってEUに加盟しました。こういう情報は社会科教師としては極めて重要です。旧ソ連圏では最初の加盟国になります。そうそう、毎日ブログの統計を見ていて、なぜかラトビアの在住の方が私のブログをよく見ていただいているようです。是非コメントください。どんな方なのか興味をそそられます。息子が昨年、バルト三国から東欧を回ってきたこともあって、属性もおおいにあります。もちろん、アフリカ在住の方々にも読まれた時コメントをいただければと思います。コンゴ民主共和国やケニアからもアクセスが多い事は存じています。もちろん、日本の皆さんもよろしくお願いします。では、今年もよろしくお願いします。それでは、私は、只今より年賀状の返信作業に入ります。