先日の『上海の高校生を熱烈歓迎』(1月29日付ブログ参照)で書き忘れたことがあった。それはもうすでに勤務時間も終わろうという頃の話である。いつものように喫煙のため校外に出たら、中国人らしき一団が空堀商店街方面からやってきて、最近本校の目と鼻の先に出来た漬物屋などを覗いている。写真をバシバシ撮っていた。ある人が、本校の方を向いて、『五星紅旗』が掲げられているのに気づいたようだ。私がじっと見ていると問いかけてきた。どうやら、例の2人の上海の高校生と同じ交流団で来ているプレス関係者だったらしい。私は、一応サバイバル・イングリッシュで説明した。納得してくれた彼らに熱烈な握手を求められたのだった。(笑)
さて、本校では、校門の右側に3本のポールがある。普段は右側から大阪市旗、国旗、校旗が掲げられている。大阪市旗は、今年度(昨年4月)から掲げられるようになった。それまでは、何も掲げられず、今回のように『五星紅旗』、姉妹校の訪問団等が来ているときは『星条旗』や『オーストラリア国旗』などが掲げられる。
ところで、この『国旗』の掲揚に関しては、学校現場では、様々な歴史的経過がある。52歳の私などは紛無派(いわゆる60年代・70年代の学生運動が高揚した後の年代で紛争を知らない年代)のトップグループなので、国旗・国歌への自分の態度をはっきり示さないことが多い。
今でも私はこの問題に関して『鵺』(ぬえ)的である。ただ、私は高校時代から大学時代の初めにかけて、ボーイスカウトの指導者資格を得ていた関係で、どこの国の国旗であろうと丁寧に扱うスキルを得ている。本校は、国際交流が盛んだし、交流国の国旗がある時に国旗がないとサマにならない。だから国旗が掲揚されていることに、抵抗がないのかもしれない。凄い消極的な国旗肯定論かもしれない。私は、日本国民であるとともに、地球市民でありたいし、全ての国旗に敬意をはらいたいと思っている。
今日のブログ、思わぬ展開をしてしまった。となると、国歌は如何?となるだろう。君が代が天皇への想いを歌ったことは否定できない。先日、受験に使わない日本史Bの最後の授業で、「最後に、もし今、ジャパニーズボックスをつくるとしたら、何を入れる?」と質問した。ある生徒が面白い事を言った。「五重の塔。その塔の部分は『天皇制』で、5つの屋根は仏教や儒教や…。」なるほど。一番下は日本思想の源流的な古事記・日本書紀の屋根、さらに神道、仏教、儒教、近代欧米思想と屋根があって日本がシンボライズされるわけだ。その中核が天皇制だというわけである。そういう意味で、天皇の世が千代に八千代にと歌うのは理にかなっていると思う。
私は、実は昭和天皇について偏見をもっていた。学生時代は紛無派といっても時代の残り香みたいなもの(左翼的発想がノーマルであった)があったし、いつも「あ、そう。」としか天皇は発言しなかったし、天皇について、『日本で初めてゴルフをしたとか、朝食は洋食だとか、神道の総帥で四方拝をするとか、農民の親分で稲を育ててるとか』くらいの知識と感覚で、あまり勉強もしていなかった。ところが、先日読んだ『畏るべき昭和天皇』(松本健一著・新潮文庫)を読んでかなり意識が変わった。たしかに、昭和天皇は凄い人だったのである。あの昭和初期から戦争末期まで、政府の中で最も理性的存在であり、統帥権をもつ専制君主ではなく、あくまで立憲君主として「私」のない「公人」であった。さらに敗戦にあたって、マッカーサーに服従したように見えて、なかなか。このあたりは、そのうち書評を書きたいが、たしかに『畏るべき天皇』だったわけだ。
私は、式典などで国歌を歌う際、当然起立する。起立したくない生徒にも、「礼儀」だと指導する。歌う歌わないというのは、個人が判断すればいいと思っている。
社会科教師というのは、複数の答えをもっている。いろいろな見方をもとに、生徒に自分の答えを思索させ選ばせることが大切だと私は思うのだ。国旗も国歌も、愛国心も、そして天皇についても様々な見方をできるだけ多く提示できるようにしたい。こう書くと怒られるかも知れないが、そういうスタンスで私は全ての授業を行っている。アフリカについても倫理についても同様で、特別なスタンスではない。つまるところ、自分自身の研鑽を常に意識し、実行しなければならないということである。教師は生徒の最大の教育環境であるからである。
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