2011年1月4日火曜日

倫理の補習で「座標軸」

今日はまさに冬の風景であった。
 久しぶりに授業をした。センター倫理の補習である。90分2コマ、約3時間。お題は、近代の日本思想である。昔は「ここは覚えておくべし。」という無味乾燥なセンター・スキル中心だった範囲だが、このところ「日本の近代化」をじっくり自分でも勉強したつもりなので、かなり肉がついている。江戸時代の朱子学、国学の復習から、水戸学や尊王攘夷の意味合いを概観する。何冊も関係の本を読んで、考えて、自分のものにしていると、大筋をドバッと語れる。(昔はこれが、なかなかできなかった。)だからこそ、そこに『洋学』の意味を付け加えれる。尊王攘夷が不可能であることを知り、洋学者が開国派となるのだが、その根底に「発展的攘夷」がある。(12月30日付ブログ参照)倫理でも、佐久間象山や吉田松陰、福沢諭吉の話は面白いようだ。
 さらに国民(国民国家を形成し国民皆兵を実現させる過程で生まれるコクミン。)と、個人主義に裏打ちされた市民(自由民権運動が目指そうとして、結局日本的・尊王的なあいまいな形にはまってしまったシミン。)の話をする。中江兆民の恩賜的民権なんて、まさにその例である。さらに、国粋主義や内村・新渡戸らの日本的(武士道的)キリスト教、あるいは、片山潜や幸徳秋水らの社会主義の話に移る。これらの人物の話もなかなか面白い。井上陽水が、幸徳秋水の血筋だというのもなかなかうけた。彼ら(今の高校3年生)にとっての井上陽水の代表曲は「少年時代」なんだそうだ。
 さらに、西田幾多郎、和辻哲郎、柳田国男と講義する。西田哲学は、仏教と西洋近代哲学をやったうえでないと絶対わからない。ありがたいことに、私は夏に仏教の存在論を空・仮・中という三諦で、すでに説いてあるので、「これは縁起のことだ。」「川端康成のノーベル賞受賞時の美しい日本の私を思い出して。」といった一言でかなり理解してくれる。(高校生の段階ではここまでだと思う。実際、難解な西田哲学はあまりセンターでは出ない。)
 で、最後に夏目漱石をやるのである。センター試験や倫理とあまり縁のない方は、何故?と思われるだろう。国語の試験でない。わが倫理では漱石はよく出る思想家なのである。この夏目漱石と言う人、私は、日本の近代思想ではちょうどど真ん中に位置すると考えている。もう少し、わかりやすく説明しよう。今日教えた思想家たちを、デカルト座標(数学のy軸とx軸のアレである。)の中で、どんな位置を占めるのか、整理してみるのである。そう、y軸の上には「国民」(国家的)、下を「市民」(反国家的)とし、x軸の左を「日本」(日本を愛する、好きである)、右を「欧米」(欧米的視野、国際感覚)として見てみよう。内村鑑三はどこ?福沢諭吉は?などと質問する。完全な正解はないのだが、およそふりかえりとしては有効である。さて、漱石。官費の留学生(国家的)としてイギリスに行き(欧米的)、その後英語の先生(欧米的)もしているが、結局記者から作家(録を得ていないと言う意味で反国家的)である。しかも、イギリスでその欧米的な文明を嫌い、日本的な道徳を重視するようになっている。(日本的)そう、彼の個人主義は、欧米的プロテスタント的な個人主義とは一線を画している。日本的な(利己主義を排した)個人主義である。座標軸では、ど真ん中(0,0)というところなのだ。

 とまあ、4日からさっそく補習の日々である。ところで、今日の朝は、いつものモーニングを摂るパブがまだ休んでいて、近くのカフェに行かざるを得なかった。笑ったのは、そのパブの常連さんが2人もそこに居た事だ。私と同じ発想だったのだろう。私の座標軸もぶれていないという訳か。

追記:Hajimeさん、読者登録ありがとうございます。嬉しいです。またコメント入れて下さい。

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