2011年1月25日火曜日

西アフリカのカカオ豆 二題

昼から、隠密同心は、阪急千里線の関大前の1つ手前の駅あたりに出陣した。先日新聞発表された中3生の進学希望調査で、本校が厳しい状況にあることを知った故である。もうほとんど進路は決まっているはずである。「あがき」としか言いようがないが、あえてあがきたい。入試・広報活動の責任者であるF教頭は、過労がたたり、しかも風邪で今にも倒れそうである。私は、昨年教頭が「本校が好きですか?」という呼びかけに、恥ずかしくて手をあげなかった(12月7日付ブログ参照)。だが、”陽明学徒”でありたい。だから、こんな時こそ、無私の想いで教頭を守りたい。そうやっぱりここは、『猶余忠義塡骨髄』である。

さて、今日の本題である。毎日新聞の夕刊に西アフリカのカカオの情報が2つ載せられていた。まずは、コートジボアールの例の元大統領居座りの件、続報である。新大統領(国民と多くの国が彼を大統領だと認めている。)が、カカオの生産業者・販売業者に対し、1カ月の輸出禁止を命じたらしい。元大統領が、港湾施設などなどカカオの供給施設をルートとしたレントを得ているからで、まさに天然資源の罠がデモクレイジーに使われていたというわけだ。ただ、新大統領は、警察や税関など治安関係者を掌握しきれていないらしく、実効性は不透明だと言う。うーん。新大統領の止むにやまれぬ一手ではあるが…。はたして上手くいくだろうか。また、かなりの生産額(世界の40%くらいだという)を占めるコートジボアールの供給が止まれば、かなり市場価格が上がるだろう。専門家ではないので評価はできないが…。うーん。国際的な強力な介入を期待しているのかとも考えてしまう私であった。アメリカは元大統領のアメリカへの亡命を勧めたし、AUも説得を続けている。ポール・コリアーの提言がそろそろ現実味をもってくるかもしれない。

もう1つは、『ACE』という日本のNGOが、ガーナの児童労働の廃絶のためにテントウムシ型のスイス製のチョコレート(16個で2000円)を販売しているという社会面の記事である。ACEはこれで得た収益で、現地で児童労働の弊害や教育の重要性を説き、さらに学校の補修を行うらしい。
ACEというNGOといえば、2年ぐらい前のワン・フェス時のワークショップに参加したことがある。児童労働を考えるワークショップのはずが、フェアトレードの話みたいになって、私はちょっと不満だった。カカオ生産が、児童労働によって行われていることは確かだし、それの廃絶を訴えることは賛成である。子供たちの潜在能力を奪う事は絶対悪だ。ただ、それだけでいいのだろうか。ワークショップの後、ファシリテーターの方が、「質問やご意見はありませんか」と言ったので、あえて解散になってから、私はこう言った。「児童労働をやめさせること、フェアトレードを一部で行うことで、ガーナの貧困が克服できるとは私は思わない。穀物やイモなど主食の生産性を向上させるほうが有意義ではないか。」ファシリテーターの方は、ちゃんと勉強されているのだろう。「全くその通りです。それが最善なのです。」と言われた。「ただ、私たちのNGOは、あくまで児童労働の廃絶を目指しているのです。」とも。チョコレートをフェアトレードで売って、その利益で児童労働を救う…なんか合理的なようで非合理的だと私は思う。先進国の自己満足に過ぎない。まず、主食の生産性向上ありき。ガーナの人びとが飢えないこと、人間の安全保障をきちんとして、ガバナンスを立て直し、教育環境を整備し、子供の権利を守るべきだと私は思うのである。おそらく、これが開発経済学的な正統なセオリーだと思う。私は、どうも「一部地域間で行われるフェア・トレード」というのは納得できない。我が家の冷蔵庫にある息子のグッド・パートナーが持ってきてくれたフェアトレードのチョコレートは、美味しくて大好きなのであるが…。

2 件のコメント:

  1. 中村 臣宏2011年1月25日 21:55

    こんばんわ!!
    僕もちょっと前に、フェアトレードの活動をお手伝いした事があります。
    地元の郷土品を、NGOのスタッフやボランティアの人が、フリーマーケット等に出店して売るスタイルでした。

    確かにこういった活動だけが、国を救うとは思えないです。郷土品を手にしながら「リピーターは、できそうにないな」と思いました。長期間安定した利益が出せる活動なら良いですが、単発で、不安定な支援では国を救う手だてにならない気がします。
    おっしゃる通り、その国の人達が国の中の資源を活かして、自国を盛り上げていく方が、可能性がある上、国の発展に不可欠な基盤作りには欠かせないと考えます。

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  2. 中村君へ。開発経済学を学んでいなくても、わかるよねえ。多くのフェアトレード擁護派は、フェアトレードを個人単位の精神的な運動だと考えているのだけれど、私はどうもそういうスタンスが嫌いなので、いつもカンカンに反論してしまうのであった。ちょっと大人げないのだけれど。

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