2026年4月30日木曜日

マーリンズは手強かった

https://www.youtube.com/channel/UC_MbGNpd7ldQAHdBTQ2Ke1w
ドジャーズは13連戦の疲れも大きく、マーリンズに負け越した。第1戦こそ逆転勝ちしたが、第2戦は大谷選手の先発試合で、投球内容はまずまずだったが、打線が湿りがち。やはり大谷選手が打たないとアカンという感想が多かった。第3戦も同様。常に試合の主導権をマーリンズに奪われていたと思う。なかなか流れを引き寄せられないままの2試合だった。全試合1点差ゲーム。長いペナントレース故に、こういう時もある。ベッツ、キケ、エドマンの早い復帰を願うのだった。

2026年4月29日水曜日

昭和の日に ロボット三等兵

昭和の日である。私は昭和33年生まれなので、高度経済成長期に育った。今はもう完全に無くなったモノも多い。家の近くに貸本屋があって、よく漫画を借りに行った。1冊10円くらいだったと思う。(コロッケも1個10円ぐらいの時の話である。)

貸本屋で借りた漫画で最も記憶に残っているのは、『ロボット三等兵』。内容はほとんど記憶に残っていないのだが、『のらくろ』同様に首に階級章をぶら下げている。のらくろは階級がどんどん上がっていく(最終的には大尉)が、ロボット三等兵は、人間の兵隊の最も下の二等兵のさらに下なので、★がついていないことは覚えている。

ウィキで調べてみると、実際の戦争のシチュエーション(ノモンハンやミッドウェーなど)で描かれているらしい。(当時の私には完全に理解不能。)ドタバタのギャグ漫画なのだが、戦争の不条理を描いた反戦漫画であったらしい。

このころは、今では当然のスクリーン・トーンなどもないし、素朴なペン画で表現で書かれていた。漫画家になりたいと、『漫画の描き方』などを熟読して、憧れていたのもこの頃だった。(笑)

ヨハネ福音書のイエスⅢ

https://ameblo.jp/mitosya/entry-12536035811.html
『ヨハネ福音書のイエス』(小林稔著/岩波書店)の書評を続けたい。昨日のエントリーで、ヨハネ福音書(画像参照)が、共観福音書のマタイ・マルコ・ルカの福音書と大きく異なる点を挙げた。それは、イエスの成長の歴史、伝記的なところがないということである。なぜなら、ヨハネ福音書は、イエスが「キリストであり、復活した神の子であるという前提」が共観福音書に比べ、極めて明確だからである。

さて、ヨハネ福音書では、何と言っても「最初に言葉(ロゴス)ありき」という冒頭が有名である。この箇所は様々な論議の的になってきた。エイレナイオスら2世紀の教父たちは、受肉以前のロゴスが天地創造に参与し、旧約の歴史の中に働いたことを述べているとし、後の教会の伝統はこれを継承している。当時すでに流布していた『ロゴス讃歌』やユダヤ教の『知恵文学』を原資料としているといわれている。

ロゴス讃歌は、キリスト教の影響を受ける前のグノーシス主義(物質を悪とし、魂の救済を重視する神秘的思想。後に異端とされた。)に由来するとされ、この可能性は否定できないが確定も出来ないというのが聖書学の定説らしい。それに対し、知恵文学は、女性的神格(ホクマー:知恵・ソフィア)を律法と同一視し、律法は世界創造以前から存在し、宇宙は律法に従って秩序付けられたという一種の精神原理として捉えたのだが、キリスト者たちは、イエスをロゴスとして対置させたと推定するのが聖書学の立場らしい。

多くのヨハネ福音書の注解では、序文の解釈が原資料のロゴス讃歌の説明で終わっていることに、著者は不満を述べている。福音書の著者は、この讃歌をただ引用しただけではなく、それに自ら数行を書き加えて序文としているからで、前述のイエス=ロゴスの対置をより強く結びつけているといえる。著者は、この序文の部分の構造をさらに詳細に分析する。…続く。

2026年4月28日火曜日

ヨハネ福音書のイエスⅡ

ドジャーズが見事な9回裏・大逆転勝利をして、山本由伸投手の敗けを消したのだが、マーリンズとの3連戦のことは後日まとめてエントリーしようと思う。本日のエントリーは、温めに温めてきた「ヨハネの福音書」の話である。このところ『ヨハネ福音書のイエス』(小林稔著/岩波書店)を通勤時に何度も読み返してきた。

他の3福音書(マタイ・マルコ・ルカ=共観福音書)とヨハネの福音書の相違は明らかである。著者は、ヨハネの福音書には、イエスの成長の歴史のようなものは、ほとんどない、としている。たしかに、他の福音書にある逸話は、ほとんど省かれている。参考資料として、『図説聖書物語新約編』(山形孝夫/河出書房新社:画像参照)で比較してみた。

山上の説教(マタイ・ルカ)清めの論争(マルコ・マタイ)、取税人や罪人との食事(マルコ・マタイ・ルカ)、癒しの論争(マルコ・マタイ・ルカ)カナンの女(マルコ・マタイ)イエス、エルサレムに向かう(マルコ・マタイ・ルカ)神殿から商人を追い払う(マルコ・マタイ・ルカ)律法学者らと議論(マルコ・マタイ・ルカ)最後の晩餐(マルコ・マタイ・ルカ)ゲッセマネの園(マルコ・マタイ・ルカ)これら有名な話は、ヨハネの福音書には書かれてない。

唯一共通しているのは、ナルドの香油(マルコ・マタイ・ヨハネ)くらいである。このナルドの香油という話は、最後の晩餐の前に、イエスが蘇らせたラザロと兄弟関係にあったベタニア村のマリアが、高価なナルドの香油をイエスに注いだ話。葬りの準備をしてくれたと喜ぶ。

一方、カナの婚宴、サマリアの女、ベテスダの池の不思議の逸話に関しては、反対にヨハネの福音書のみに書かれている。カナの婚宴とは、水をぶどう酒に変える話。サマリアの女とは、ユダヤ人と対立していたサマリア人の女に水を所望する話で、イエスこそが生命の水そのものだということを示す。べテスダの池の不思議とは、エルサレムの羊門の家畜を洗う池には時々天使が降りてくる。その時水が動き、真っ先に水に入ると病が治る。38年間もその時を待っている(=真っ先に入れない)病人に、イエスは起きて歩きなさいという言葉だけで治癒する。(それ以前は触れたり、手を当てたりして奇跡を起こしていた。)イエス自信が動く水であることを示している。

ヨハネの福音書は、四福音書で最も後で記されているというのが聖書学の常識。しかもヨハネの福音書を記した教団のおかれた状況も非常に重要だと著者は語る。…続く。

2026年4月27日月曜日

大谷選手久々に6号HR

https://www.blogger.com/blog/post/edit/910575509843965239/7252985289087629914
ドジャーズは、好調カブスに勝ち越した。今永先生が先発だったが、初回3点を取って、以後得点を重ね、7回には待望の大谷選手の久々のHR。4打席全出塁。昨日に続いてライトを守る同級生の鈴木選手にいろいろちょっかいを出して、少年野球のようにMLBを楽しんでいた。投手陣も完封してくれて、気持ちよく今日一日を送れそうだ。明日は山本由伸が先発。こんどこそ援護してあげて欲しい。

2026年4月26日日曜日

佐々木投手今季1勝目

https://www.youtube.com/watch?v=DJ-Lgu0N5H0
ササミローキ投手、自らのボブルヘッドデーに今季1勝目。カブスの鈴木誠也選手にHR打たれたり、結局4失点したのだけれど、今日は6回途中まで投げて、勝利投手の権利を掴んだ。久しぶりにドジャーズ打線が爆発して4回に一挙6点、6回も裏にも4点も入れて楽になったのだった。今日は、ブルペン陣もよくやってくれて、1勝目を手にできたのだった。

3回の、風邪を引いて途中で代わったマンシーの同点HRもあって、久しぶりに嬉しいゲームだった。明日は、カブスの先発が絶好調の今永先生らしい。

同志社国際高校の事件考7

https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=1242356&pid=7071476
全く不愉快な話題なので、いい加減にして欲しいのだが、同志社国際高校の事件で、次々と新たな事実がで出て来ている。

生徒たちが撮った写真や映像を削除するように学校側が指示していたことがわかった。これは完全に証拠隠滅罪ではないか。誰が指示したのか。こういう指示を出すような学校は消えてしまったほうが良い。生徒のことより自分たちの保身が大事なのだ。教育関係者としては、全く許しがたい。

海上保安庁の職員のヘルメットにはビデオが付属されており、それが記録されているという報道がある。とはいえ、もっと直近の映像は刑事事件(=業務上過失致死)の証拠として重要である。幸い、この画像はすでにSNSで拡散されているらしい。

京都府の行政を信用できない故の文部科学省の同志社への調査が行われ、マスコミも報道せざるを得なくなったようだが、総務省もこの「マスゴミ問題」を重視すべきだ。また沖縄県警が動かないのならば、警察庁の出番があるやもしれない。調べてみたら可能なようだ。左翼政党以外の国会議員があれ以後、国会で追求しだした。ここは、文部科学省や総務省、警察庁を動かして欲しいところ。沖縄県も京都府も様々な利権構造にまみれていて、国が動き出すのは当然だろう。兵庫県の例もあるし、奈良県もおかしい。今の内閣故、追求出来るだろうという声も多い。私は、この動きを支持したい。徹底的にやるべきだ。

2026年4月25日土曜日

Choco Coated Slice Banana

1か月に一度くらい業務スーパーに妻の買い物に同行する。近くにいくつかあるのだが、京都府の八幡市に位置する業務スーパーに行くことが一番多い。

ここで必ず購入するのが、タイ現産の「Choco Coated Slice Banana」である。名前のとおりバナナをスライスしたものにチョコがコーティングされた冷凍食品である。血糖値の関係で普段アイスクリームを食べたくても食べれない私としては、1日1個だけこれを食する時間が楽しみで、実に至福の一時となる。

今日は、ドジャーズがカブスに逆転負けをしてしまい、詳細を記する気にもなれない。前からエントリーしたかった軽い話題でお茶を濁させてもらった。

2026年4月24日金曜日

ドジャーズ 初の負け越し

サンフランシスコでのジャイアンツとの3連戦は、ドジャーズが負け越した。長いシーズンだから当然あり得ることだが、第1戦の山本由伸投手も、第2戦の大谷投手も好投していただけに敗戦は実に残念。

しかも第2戦で大谷選手はリアル二刀流で、ついに連続出塁が途切れてしまった。第3戦も出塁なし。さすがに連戦の疲れが出て、修正が効かなかったようだ。今日は、マンシーが走りに走って勝ったし、さらにこれからに期待したい。

2026年4月23日木曜日

同志社国際高校の事件考6

https://news.yahoo.co.jp/articles/12a6b894ddf5d84905100d9416e27ab789fc3d26/images/000
同志社国際高校の事件考の第6回目である。第5回目は、4月18日付けの『新島襄の自責の杖を知らぬのか』になる。

辺野古の抗議団体オール沖縄には、ジブリの宮崎駿氏らから、活動資金として8億円も集めていたらしい。(この宮崎駿氏の関わりからオールドメディアの忖度=報道しない自由が指摘されている。)事件後、その決算書はHPから削除され、被害者への保障はできないとしているという。違法な活動をしながら、また資金がありながら保証できないというのはどういうことなのだろうか。彼らの活動が利権と繋がっているという疑惑は拭えない。これは犯罪ではないか。

抗議船は不法な場所(防波堤)から乗船していたこともわかってきた。ちゃんとした漁港からフツーに乗船していたとばかり思っていた。安全に何の配慮もない。修学(研修)旅行において、このような危険な場所からの乗船など考えられない。学校側(付き添い教員)・旅行社側(添乗員)は、なぜこれを許したのか。教育の現場では、全くありえない話である。文部省はこの点を厳しく調べて欲しい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/12a6b894ddf5d84905100d9416e27ab789fc3d26/images/000

さらに、海上保安庁が警告をしているのに無視して事故を起こしており、近隣漁民が危険だとする海域へ侵入している。危機管理もクソもない。しかもSOS通報は、船長ではなく参加生徒から送られたという。これも信じられない話である。

学校も問題を起こした組織も現場での献花はされていない。選挙を控えた知事が今になって選挙パフォーマンスで献花したという。遺族からしたらふざけるなと言う話である。どうやら、船に乗っていた組織の人間が船長以外に1人おり、その人間は現在も座り込みに参加しているという。組織内でも抗議行動に対して、自粛派と継続派に分かれているらしいが、たとえ喪章をつけても、人間として事故に深く関わった人間が、遺族に謝罪もせぬまま活動を継続するのは、ゆるされるものではないだろう、と私は思う。

県は、文部省や海上保安庁などが動いており、出来ることと出来ないことがあるなどと言っているようだ。沖縄の警察は知事の指揮下にあり左派に甘く、マスコミ(沖縄タイムス・琉球新報)も左派勢力であり、この事件についても報道は抑えられているという。沖縄県政は、まさに暗黒の状況である。

たしかに、沖縄に米軍基地が集中し、それに反対する気持ちもわからぬではない。だが、反対組織を支持しようと思っても、その人間性の欠如は、あまりに酷すぎる。今回の犯罪的な事件で、多くの人々はそう考えるのではないか。支持の集まらない政治運動は自己満足でしか無い。

2026年4月21日火曜日

ロッキーズに2勝2敗だったが

https://www.youtube.com/watch?v=368NKMlRzgw
デンバーでのロッキーズとの4連戦は結局2勝2敗となった。初戦は、雪のグランドを整備して始まるような記録的に寒い試合となったのだが大勝。第2戦・第3戦は、トライネンとかディアスといったブルペン陣が不調、相手投手も良かったりして敗戦。第4戦もドジャーズらしく大勝した。ほんと、山本投手が言うように、野球は退屈ではない。何が起こるかわからない。

ベッツやフリーマンの代役で若手も頑張っている。マンシー選手やロハス選手といったベテランも大活躍していた。さてさて、この4連戦には、もう一つの見どころがあった。大谷選手の連続出塁記録である。今日現在で52試合連続である。ベーブ・ルースの記録を抜き去った。とはいえ、まだまだ上がいる。おそらくご本人は記録のために野球をやっていないと思う。ただただ、チームの勝利のためである。それがたまたま、この記録になったといったほうが良い。でもファンとしてはさらなる記録更新を期待してしまうところ。ロハスの1000安打達成も嬉しい。今季で引退する必要はないぞ。

2026年4月20日月曜日

沢木『天空の旅人』断片10

沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片、いよいよ最終回である。西川はネパールに入った。ある集落のそばで、米を炊き上げたところでで驟雨になった。貧しそうなネパール人が家に招き入れてくれた。「狭い家だが今夜はここで休みなさい。」と言ってくれ、冷たくなった飯を食べようとすると、羊の臓物を丼にして持って来てくれた。「少ないけれど。」カマドには妻と3人の子供が臓物が煮るのをじっと待っていた。それをまず西川に持ってきてくれたのだ。西川の目から涙が流れてきた。ああ、仏だ。初めて本当の仏の姿を見た。翌朝、わずかな金を置こうとしたが主人は受け取らなかった。

カトマンズでは、顔見知りの先輩ラマ僧の面倒を見ていたが、かなり回復してきたのでチベットに近いインドのカリンボンまで連れて行くことになった。1年ぶりに火葬場の老修行僧と再会した。 ビルマ潜入を考えたが、ビザが必要ということがわかった。ところがグルカ兵には移民の門が開かれており、彼らはカルカッタとアッサムを結ぶ鉄道工事の人夫をしながら入国許可を待っているらしい。ところで西川は、英蔵辞典は持っていたが、蔵英辞典を欲していた。チベット語をさらに深めるためだった。結局、ダージリンに70ルピーで5冊残っていることがわかった。工事現場では、1日2.5ルピーになるという。この費用を稼げてしかもビルマに行けそうで絵ある。…採用された西川はなんと恵まれているのだろうと思った。

(蒙古からの)駝夫の日々、物乞いたちとの日々、デブン寺の初年坊主の日々、新聞社での見習い職工の日々、そして工事現場での人夫と、全て人から見れば最下層の生活であったかも知れないが、自由に自分で選んだ生活である。やめたければいつでもやめることが出来たし、この低い生活を受け入れれば、失うことを恐れたり、階段を踏み外したり、坂を転げ落ちることを心配することもない。

…しかも西川は、ラマ僧として、巡礼の旅は托鉢や御詠歌で食を得てきた。西川にとっては幸せな日々だったと私は思う。自らの体力で数々の困難を乗り越え、それに喜びを感じる日々だったに違いない。

しかし、この旅が急に終わる時が来る。工事の休日に、現場監督とインド人警察官が来て、「君はニシカワだね。」と尋問されたのだった。この背景は、木村がラサから中国人ともども国外追放になり、カルカッタで密航しようとして拒否され、日本人がいることがバレると危ないと自ら自首し、西川のことも白状していたのである。

プレジデンシーという刑務所に二人は収監される。運動場から監房に戻る共産党の青年たちは隊列を作り「インターナショナル」を歌っていた。チャンドラ・ボースの甥やネルー狙撃犯もいた。西川を喜ばせたのは、蔵英辞典が送られてきたことである。取り調べの時になんとかしてあげようと言われ、代金を渡してあったが、約束をきちんと果たしてくれたのだった。西川と木村は、カルカッタから日本へ向かう英国船籍の貨客船で帰国する。ラングーン、ペナン島、シンガポール、香港を経由して…。大隅半島が見えた時、目が潤んだのは当然であろう。ただ、同時に8年に及ぶ長い旅が本当に終わってしまう物悲しさがあった。

…すでに、山本の帰国後のことは記しておいた。(4月15日付ブログ参照)西川とは全く違う。たしかに山本は大学教授にまで出世したのだが、私は西川の「美学」にこそ惹かれる。おそらく著者の沢木耕太郎もそうだろうと思う。西川は、この旅の記録を残そうと原稿を書き続けたが、その後は、365日地道に働き続けた。二人ともすでに鬼籍に入っている。沢木が西川の本棚整理を家族に頼まれて。山本の書いた『チベット潜行十年』を発見したのが、西川が読んだ形跡はなかった。またインタヴューで「(最後の帰国のきかっけとなった自首に際して)あなたが木村さんの立場ならどうされていたか?」「木村くんの意思を確かめてます。」と述べている。西川の『秘境西域八年の潜行』には「(木村に)密告された。」とある。かなり強い表現である。よほど悔しかったのだろう。

…西川にとっては、まだまだ旅を続けたかったのである。またその自信があったに違いない。西川の「美学」、これは、今の日本で忘れさられた「心象」のような気がしてならない。だからこそ、本書が胸をうつのではないだろうか。

沢木『天空の旅人』断片9

https://www.reddit.com/r/delhi/comments/qtm8f7/birla_mandir_in_delhi/?tl=ja
沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片、9回目。いよいよ終盤に近づいてきた。

西川が1人で向かったのは、祇園精舎であった。途中の集落で御詠歌を歌い托鉢すると、大量の食料を喜捨され、村中の人々が御詠歌を次々にリクエストする。御詠歌が尽き、チベットや蒙古、中国、朝鮮の歌から日本の唱歌まで歌った。皆嬉しそうに聞いてくれ、さすがに疲れ果てたので、インドの歌をリクエストすると喜んで歌ってくれた。夜にはさらに若者もやってきて御詠歌を歌った。(あまりの好評さに)夜明け前に集落を離れた。まるで夜逃げだと可笑しくなった。

祇園精舎も樹木が生い茂り廃墟となっていた。中国寺の漢人僧は粥と酢の物と漬物をふるまってくれた。さらに炎天下を巡礼する西川の姿に心を動かされたというネパール人の若者の誘いで、バルランブルのマハラジャの王宮に喜捨を求めに行くことになった。マハラジャは20ルピーもの大金を喜捨してくれ寝台付きの個室と毎日の食事を提供してくれた。

さらにチベット国境に近いネパールからの出稼ぎ人から、自宅で読経して欲しいと頼まれた。ヒンドゥー教徒だがラマ教にも強い親近感があるらしい。多くの人が集まり歓待された。同じようなことが続く。何故このような事が起こるのか?今の自分には綺麗に欲がなくなっている。それが人の好意を誘うのかも知れないと西川は思う。

駅であった大学教授は、果物や菓子塁を喜捨してくれた。食べきれないので近くにいたチベット人と蒙古人巡礼者たちにも食べてもらっていると、教授が同じように座り込み、西川を通訳としてチベットや蒙古のことを訊ねてきた。周りにいたインド人も加わって、1時間の座談会となった。心温まる時間だった。

また、チャンドラ・ボースの軍隊の将校たちとも出会う。かれらには西川の容貌や細やかな動作に日本人らしさを見つけ、日本語で話しかけてきて、西川を驚かせたが、一緒にアグラに向かうことになった。タージ・マハルを見学した。その後、デリーに向かい、マハトマ・ガンジーが荼毘に付されたラージ・ガートで墓参りをした。

インド人実業家が寄進したビルラ寺(画像参照)では、守衛長に声をかけられ、蒙古から来たことを告げると遠来の客だからと宮殿のようなところに案内された。ヒンドゥー教の寺院だが、庭園には日本の建築技師による仏教寺院もあり、ここでビルラ氏と遭遇する。ラマ教について問われ、御詠歌も披露した。出発の日、守衛長に挨拶にいくと再びビルラ氏に合わせてくれた。100ルピーもの喜捨をしてくれたのだった。

…西川の単独インド行は、まさに仏の世界であった。ひとえに欲を持たず、修行で得た御詠歌のおかげでもあった。

デリーから、シーク教の大本山グルナーク寺に着く。アフガニスタンにまで行きたかったが戦乱の関係でここから先は移動できそうになかった。しかも次に訪れた街で、パキスタンのスパイの疑いをかけられた。留置場で3日間過ごし、香港に滞在経験があり、中国語を喋るシーク教徒の署長の登場で救われた。西川は、ネパールを目指すことにした。

…余談だが、シーク教徒はイギリス旧植民地に多い。私はカナダのトロント、ケニアのナイロビ、そしてマレーシアのKLでシークの人々と出会った経験がある。

2026年4月19日日曜日

沢木『天空の旅人』断片8

http://sal.bigaku.biz/bo_tree.htm
沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片、8回目。無賃乗車と1人半ルピーで乗せてくれたトラックで、彼らはカルカッタに着く。しかし駅で警察に捕まった。彼らはラマ教の叩頭をし、「パポー、ブダガヤ!」(旦那さん、ブダガヤに行くのです)と叫び、ロブサンが大事に持っていた仏画を出し隊長風の男に、うやうやしく差し出し手を合わせた。彼らの思いが伝わったらしいのを見て、全員で御詠歌を歌った。隊長風の男は、目を閉じて聞き入っていたが、一節が終わると、「裏口から出してやれ。」と言ってもらえた。

http://yosukenaito.blog40.fc2
.com/blog-entry-4286.html
カルカッタのある安食堂では、西川がチャンドラ・ボース(WWⅡで日本軍の支援を受けインド独立を目指した英雄:画像参照)の肖像画に敬意を示したので食事面での大サービスと、荷物を預かってくれた。

ブッダガヤは、恐ろしく荒れ果てていた。菩提樹(釈迦が悟りを開いたので、菩提=悟りの樹:画像参照)の大木は、チベット寺のラマ僧によれば、一度は火事にあって焼失し、さらにイスラム教徒によって切り倒されたが、その度にまた芽を出し、大きく育ってきたのだという。菩提樹の密生している林で、西川以外の3人は実を拾い集めた。ラマ教徒にとってブッダガヤの菩提樹の実で作った数珠は、何者にも替えがたい貴重なものだったからだ。だが、いつ帰れるかも知れない故郷への記念品など必要がなかった。ネーランジャラー河のほとりで月光を浴びながら御詠歌を歌い続けた夜の喜び以上のものはなかった。

ラジキール(王舎城)はかつての仏教国・マガダ国の首都である。ここも荒れ果てていた。日本寺を西川が一人で訪ねるが、日本人僧侶は戦争が始まると引き上げてしまっていた。だが、仏間には香炉、蓮の花の造花、木魚、陶製の花瓶などあり、それを見られただけで満足しようと思った。

さらにサルナート(鹿野苑)に着く。中国寺には仏陀の一生を描いた日本人が描いた壁画があり、英語とヒンディー語と日本語で経緯が記されていた。5年ぶりに西川は日本語の文章を眼にした。

クシナガラでは、沙羅双樹の森があり涅槃像が横たわっていた。この周囲を真言を唱えながら回った。ルンビニは、ネパール側の国境地帯にある。ここも寂れていた。摩耶がイチジクの木の葉を握って釈迦を生んだとされる。記念品を求めない西川もこの木の川をお守りとして持ち帰ることにした。

ここから西川は、一人インド放浪の旅に出る。兄弟を失うような寂しさの中で…。

2026年4月18日土曜日

新島襄の自責の杖を知らぬのか

https://www.nishinippon.co.jp/image/929808/
同志社の創立者・新島襄の「自責の杖」事件は広く知られている。学校側のクラス編成に不満を持った学生たちが、新島の不在中にストライキを起こしたのだが、新島はこの事態を深く受け止め、学生を叱責するのではなく、「責任は私にある」として、朝の礼拝時に持参した杖(画像参照)で自分の手を激しく殴打し、学生に所在と責任の所在を示した事件である。

これが同志社の教育の理念ではないのか。同志社国際高校の校長や教員は、このエピソードすら知らないのであろう。あるいは知っていても、知らないふりをしているとしか思えない。

新島襄は逃げなかった。今の校長は国会での参考人として呼ばれても、忙しいと逃げている。呆れ果てている次第。

沢木『天空の旅人』断片7

https://www.expedia.co.jp/Kalimpong.dx6130351
沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片再開。7回目のエントリー。西川は木村とラサに着いた。イシ師匠のもとに戻り、デブン寺で修行を続けることも可能だったが、巡礼と嘘をついての別れだっただけに、それに耐えれなかった。

結局、木村とともにヒマラヤを越え、インドのカリンボン(画像参照)の探索の依頼主だった新聞社に向かう。そこで、木村は東チベット行の報告書、西川は1mほどの大きな地図を作成した。しかし、インドとパキスタンが分離独立し、イギリスがインド大陸から手をひくことになった。木村は報酬を受け取ると石油の担ぎ屋になったが、西川はチベット全図の地図を描き、そのまま新聞社の仕事をすることになった。それはラダック人のタルチン氏の人柄による。西川の、好意を寄せてくれた人に深く感謝し全力で応じ、身を粉にして働くという心性であった。カリンボンを訪れた巡礼者により、西川の所在がイシ師に伝わり、帰ってきなさいという手紙が届くようになった。胸を熱くしたが、西川は自由にインド放浪に出ることにした。タルチン氏からも強い引き止めを受けたが、餞別に英蔵辞書をくれた。

カリンボンの郊外にある火葬場の近くにあるラマ寺院に、仙人のような修行僧がいた。火葬される死者の霊を弔い、御詠歌がうまく、西川は彼から御詠歌を習うことにしたのである。インドでの托鉢で、ただ恵んでもらうのではなくお返し(御詠歌)がしたかったのである。ここには以前から顔なじみの西川と同じ名(ロブサン)という修行僧がいて、彼は仏師と呼べるほど見事な仏像を土をこねて作っていた。

入門にあたって用意したのは、ダンバルと呼ばれるでんでん太鼓、ホンコという鈴、人の大腿骨で造られたガンドンという笛、毛皮の敷物、人の頭蓋骨で造られた骨椀などである。修行の第一の課題は白骨の散らばる洞窟での坐禅であった。無念無想にはなかなかなれるものではない。ロブサンにヒントを貰った西川は、石ころを使い、置く距離を伸ばしていく。やがて、空の任意の一点を見つめることで無心に近づくことができるようになる。

次いで、老修行僧はシーチェパ派(シャーマニズムの要素を含んだシチュー派?)の聖典について説いてくれた。この派の聖典をいくつも暗記していく。ここで、ようやく御詠歌の修行に入る。右手で、でんでん太鼓、左手で鈴をならし、口で御詠歌を歌う。ガンドンの笛を吹くとその不気味な音に天地の悪霊が引き寄せられる。御詠歌を歌うと彼らは恐れをなして退散し、仏と菩薩の光に照らされるという構図である。西川は、三か月の苦行で、自在に御詠歌を歌えるようになった。

修業を終えた西川は、ブッダガヤ(釈迦が悟りを開いた地)、クシナガラ(釈迦入滅の地)、ルンビニ(釈迦生誕の地)の三大聖地を巡礼することに決めた。仏師ロブサンと後2名が西川に同行することになった。

2026年4月17日金曜日

同志社国際高校の事件考4

https://www.youtube.com/watch?v=lxD-0z7T3bY
このところ、京都南丹市の男子児童の件にメディアの注目が集められた。SNSでは、同志社国際高校の事件への眼をそらすための報道ではないかと言われており、私もそう思う。

昨日、参議院の文教科学委員会での伊藤たかえ議員の質問のYouTubeを見た。改めて、同志社国際高校、旅行業者などへの怒りが込み上げてきた。是非ご覧いただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=lxD-0z7T3bY

まずは、西田校長の始業式(礼拝での講話)での「事故が起こった直接的な原因は私にはないんですけれど…」「私たちの学校がしている平和教育というものは、思想的・政治的に偏ったものを提供するものではない。そんこことだけは信じてください。」「今回のこと、学校はある意味リスタート。平和の再構築のために、これから進んでいきます。」という発言…。

はっきり申し上げて馬鹿ではないのかと思う。反省のかけらも感じれない。しかも被害者への黙祷も行われていない。国語の教師であったらしいが、その国語力の低さに驚く。あれだけの事件を起こし、責任を回避し、教育基本法を破りながら思想的・政治的に偏ったものを提供するものではないとし、リスタートの意味さえわかっていない。彼に教育者などという称号はあてはまらない、いや人間として許せない。

また被害者の保護者のNOTEによると、被害者の遺品は、旅行社にボロボロの段ボールに入れられていたとのこと。まったくありえない話である。学校の配慮もクソもないし、旅行社もそのままにしていることが全く理解できない。人間の所作ではなく、鬼畜である。

これらのNOTEにかかれている内容を伊藤議員がするどく追求している。文科大臣も答弁書でありきたりの回答していて苦しそうであったが、大臣も被害者の保護者のNOTEを熟読しており、最後の答弁書抜きでの答弁では、議員と同感であることがわかる。

左翼の人間は、特に責任転嫁しながら体制側を批判することが常である。その一例として挙げておきたい話がある。日本共産党は、以前(45年前)石油備蓄について戦争準備だと大反対していたのだが、今回の石油供給危機にあたって、なぜもっと備蓄量を増やしておかなかったのかと批判している。彼らの党ポスターには「国民のためにブレずに働く」というコピーが書かれている。大嘘つきである。ブレまくっている。恥ずかしくないのだろうか?https://www.jcp.or.jp/web_download/16436/

結局校長は、アメリカ軍や国が悪い、と思っているのだろう。それは違う。被害者が出たのは、校長・学校の責任である。もし、教員が同乗していれば、(教育関係者の端くれとして断言するが)絶対人数確認を行う。ならば助かったかもしれない尊い生命なのである。

2026年4月16日木曜日

大谷投手 専念でスイープ

https://news.ntv.co.jp/category/sports/61d1a7a5a9c24a488b717511811d34da
メッツ戦は、結局ドジャーズがスイープした。強い。第一試合で死球を受けた大谷選手の身体の状況を医療スタッフが細かく分析し、今日は投手専念。DHを好調のラッシングに譲った。結局6回2安打1失点、10奪三振という好投を見せた。試合は8対2でスイープ(三連勝)した。

監督から投手専念を告げられた時はびっくりしたらしいが、チームの勝利が何より大事な大谷選手である。これを受け入れたという。

大谷選手は、ドジャーズにとっても、MLBにとっても、日本にとっても最高の宝である。ドジャーズにおける選手の丁寧な健康管理ゆえの投手専念。これからさらに連戦が続く。どうなるかはわからないが、何よりも怪我なく長く活躍して欲しいので、私はこの決定を支持したい。

ちなみに、今日はドジャーズでMLB初の黒人選手となったジャッキー・ロビンソンの背番号42(MLB全体の永久欠番)を敵味方全員が付けての試合だった。(画像参照)

ヨハネ福音書のイエス

沢木の『天空の路』を通勤時に読み終えたので、学院の図書館で小林稔氏の『ヨハネ福音書のイエス』(岩波書店)を借りてきた。新約聖書の4つの福音書の中で異質な存在であるヨハネの福音書。正教会が重視する理由はなにか?有名な冒頭の『ロゴス』とはなにか?こういう疑問に答えてくれないかなあというのが、今回この本を選んだ動機である。

著者の小林稔氏は、上智大学の神学部教授で新約聖書学が専門で、岩波書店の新約聖書・ヨハネの福音書の翻訳者でもある。おそらく、カトリックから見た日本で最も権威ある解説がされていると思われる。

書評というか、重要な箇所を整理していくのには少し時間がかかるとは思うが、通勤時にコツコツと読んでいこうと思っている。

2026年4月15日水曜日

沢木『天空の旅人』断片6

https://dabohazj.web.fc2.com/kibo/note/kimura/kimurahisao.htm
沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片エントリー6回目。デブン寺のイシ師のもとで修行に励んでいた西川のもとに、密偵仲間の木村(肥佐生:画像参照)からの日本文の手紙が届く。英国諜報部から東チベット(カム地方)の中国側の状況(中国共産党のチベット侵攻計画)を探索する仕事が入って、引き受けたので同行して欲しいというのである。西川からすれば、かつての敵のために働くことが信じられなかった。しかし唯一の同国人である木村の依頼を断れなかった。親身に心配してくれるイム師に嘘をつき、心の中で泣きながら、巡礼に出たいと申し出たのであった。

この時、西川は満年齢で28歳、180cmを超える大男。木村は25歳で150cmと小柄。まるで勧進帳の弁慶と義経であった。ただ興亜義塾では木村のほうが一期先輩というややこしい関係。旅の経験、体力では西川、蒙古語・チベット語の語学力では木村という違いがあった。この二人の認識・意識の差が、この旅で微妙な齟齬を生むことになる。

カムへの旅も酷いもので、「頭を割るような雨」や「雪盲」と戦いながら2か月かけて、チャムドまでたどり着いた。木村はここから引き返したいと言い出す。西川には日本男児の意地があると主張。玉樹という中国国境の町まで行くことになった。だが、ここで木村は国境警備隊に歯向かい、大揉めに揉め、軟禁されるはめになる。面白いのは、この旅では、持っていた(食料を得るための)「糸針」が、効果を発揮する。反対に、この「糸針」を狙らわれて匪賊に襲われたりもする。ラサに戻るまで、西川の記憶では、飢えて(日本食ではなく、蒙古やチベットの)食べ物の話ばかりしていたし、木村の記憶では、天皇がいようといまいと日本は生き残ると言ったのに対し、大逆罪もいいところだ、と大喧嘩もしていたらしい。

ともかくもラサに2人は無事戻るのだが、西川と木村の齟齬は、帰国後も大きく広がっていく。すでに最終章まで読んでいるので、ここに記しておくが、両者はGHQのG2の情報担当部局によって尋問を受けることになる。その後木村は、CIAの傘下にある外国語放送情報サービスで働くことになる。アメリカ大使館内でモスクワ放送、ウランバートル放送、北京放送の中のモンゴル語放送の内容を聞いて、要点を英語で記す仕事であった。26年間も大使館内で高給で働き続け、その後亜細亜大学のモンゴル語の教授になった。日・英・米の諜報活動に関わった稀有な存在となった。…西川の無骨な人生とは一線を画している。

2026年4月14日火曜日

沢木『天空の旅人』断片5

https://tibettour.jp/tibet/Drepung-Monastery.html
沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片エントリー5回目。西川は、日本の情報を得たいがために、カルカッタ(現コルカタ)に向かう。同行者のバルタンにとって、自動車や鉄道は人生初の経験。見るもの全てに感動する彼を見て、旅の根源的な喜びを感じ取る。

このあたりから、西川は担ぎ屋として生き抜いていく。煙草を積んでヒマラヤを越えるのである。ところが三度目のヒマラヤ越えで、凍傷になってしまう。カリンボンという街で物乞いの巣窟に潜み、物乞いたちに助けられた。インド人はチベット人以上に「喜捨」の精神に富んでいた。しかもキリスト教の伝道所にある無料の診療所に連れて行ってくれ、凍傷は回復する。しかし托鉢と物乞いは違うと意識した西川は、ラサに戻りラマ僧としての修行を選ぶ。

西川は、ラサに戻りデブン寺(画像参照)の蒙古人のイシ師に弟子となる。経典を暗唱する多忙な修行の毎日を過ごすが、8月1日から一週間は僧衣を脱いでも違法ではない。チベット人は猿の後裔(チベットにもトーテミズムが存在するようだ。)なので、林や河畔で過ごすのが好きだった。西川は、仲間の僧に泳ぎを見せてくれとせがまれる。蒙古人ラマ僧の間では、前述のヤクを連れ戻した話が有名だったからで、後に西川は、泳ぎの上手い蒙古人はやはり疑わしい存在だと後悔したという。

西川が不当なほど廟の徴用に駆り出され、先輩のラマ僧が憤慨していたが、イシ師は、ひとり「人の嫌がる労役に出ることは良いことだ。」と日本人には慣れ親しんだ考えを示してくれた。遊牧民的な蒙古人にはない考えで、西川を感激させた。零下20℃にもなる冬も裸足だった西川に合う靴を買ってくれようとしたが、大足の西川に合う靴がなく諦めざるを得なかったが、師の想いやりも嬉しかった。

2026年4月12日日曜日

沢木『天空の旅人』断片4

https://seinansky.com/qinghai/qh0103.html
沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片エントリー4回目である。リチュ河を渡ってからもいくつもの5000m級の峠を越え、ついに西川はラサに着く。煩悩の数と同じ108日目であった。

ラサに着く前から、日本と中国の講和成立の噂が流れており、日本敗戦に変わっており、「アトムボムボ」という物凄い爆弾によって破壊されたという。ラサに住む漢人が提灯行列をしたのだが、チベット人に石を投げられた。同じアジアの小さな国が負けたというのに、それを喜ぶのは許せないということだった。チベットは吐蕃として恐れられていたが、仏教教化で戦闘力が衰え、康煕帝の遠征で属領化された歴史を持つチベットは中国への積年の恨みを晴らしてくれた日本に好意的たらざるを得ないのだった。

せっかくたどり着いたラサだったが、この日本敗戦を確かめるべく、インドに向かうことを決意する。チベット第二の都市・シガツェ(画像参照)へ巡礼の旅に出る。同行していたバルタンはミカンを知らなかったので皮ごと食べて苦くてまずいと嫌ったのだが、西川が皮を剥くのだと教えると逆に大好きになった。(笑)この街は農産物が豊富で、主食のツァンパ(下記画像参照)が安く、バターミルクもたっぷりと口にできた、とある。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/352321/061200030/?P=3
このミカン大好き・バルタンとともに托鉢しながら旅を続ける。ヤートンというチベットとインドをつなぐ商業上の要地に至った。ここからは初のヒマラヤ越えである。西川は『秘境西域八年の潜行』で7度のヒマラヤ越えをしたと書いているし、沢木のインタヴューでの記憶でも本人が7回と言っていたようだが、沢木は、9回越えていることを確認している。西川の勘違いらしい。

インドの最初の都市・カリンボンで、西川はチベット服を着た木村肥佐夫(同じ塾出身の密偵)と偶然会えた。彼らは蒙古語で日本の状況について語り合うこともできた。日本語が思うように出てこなかった、という。西川にとって天皇が無事だということが唯一の慰めだった。

先頭打者HR返し

https://www.youtube.com/watch?v=4acW4tKusfs
対レンジャーズ第二戦。大谷選手が、1回表の先頭打者HRに、すかさず先頭打者HRで返した。その後、テオヘル選手の3ランが飛び出して、試合の流れがドジャーズに移ったのだった。

パヘス選手が絶好調で、最強の7番打者となっている。とはいえ、テオヘル選手のフライを取ってしまったり、タイムリーを放ちながらも盗塁失敗と、なんか若さ故の慢心のような感覚を私は感じた。ベンチでベテランのロハス選手に(テオヘル選手との交錯の件で)怒られていた。(笑)

ともあれ、このカードも勝ち越し。明日は、ササミローキ投手が先発の試合である。

2026年4月11日土曜日

マンシー選手3HRの日に

https://www.youtube.com/watch?v=smd04GFimwc
テキサス・レンジャーズをLAに迎えての初戦。先制点もマンシーなら、サヨナラもマンシーというマンシーDAY(1試合3本塁打)となった。試合はシーソーゲームで、ハラハラドキドキ。しかも9回表に絶対的守護神ディアス投手が打ち込まれて同点になった時はどうなるかと思った。

この試合、大谷選手はヒットを打って、連続出塁記録で、イチロー選手の記録を抜いて日本人メジャー1位となった。そのイチローもマリナーズで銅像がお披露目された日でもあった。

https://www.sankei.com/gallery/20260411-LM245QFWEZFGPLMS2Z3XQBPUHE/
ところが、この銅像除幕式の際にバットが折れるというハプニング。イチローは大笑いし、「殿堂入り投票で1票足りず、今日はバットが折れちゃった。僕には何かが足りないという戒め」と言って皆を笑わせたという。いやいや、イチローは凄い。私の永遠のスーパーヒーローである。

沢木『天空の旅人』断片3

https://alivevulnerable.com/basic/water-buffalo-yak/
沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片エントリー3回目である。密偵の姿としてラマ僧が最適であると考えた西川は、経典(チベット語)を読めるようになるため、そして知らない土地に行きたい冒険心から、ラサを目指すことになる。

ここまでで潜入2年間。興亜義塾の塾生宛ての第二信に「(前略)来たれ住め西北の大東亜西壁の一角へ。必要とするものは、唯意気と体なり。(後略)」とあり、彼が読み続けていた吉田松陰の影響が色濃く出ている、と沢木は書いている。…共感。

まずは隊商の手伝いで、ラバに乗って駱駝8頭を引き連れて出発である。すでに一頭一頭の駱駝の特徴をすぐに覚えれるようになっていた。青梅省シャンに着き、無人地帯を行くタングート人(チベット=ビルマ系の遊牧民族)の大隊商に合流、ラサに向かう。1945年7月のことである。ここからは、ヤク(画像参照)の世界であり、二頭のヤクに3ヶ月分の食料と身の回りのものを積んでいた。ヤクの扱いは難しい。もともと野生のヤクは、逃げ出そうとする。鼻先に結わえつけられた手綱を引いても動かない。宿営中に二頭とも逃亡しかけたこともあったのだが、西川には人の優しい心が読めるような気がした。

蒙古のゲルや中国読みのパオは羊の毛を用いた白いテントだが、タングート人のテントはヤクの毛で織られており黒い。

この旅の最大のトピックとなるのは、最大の難所の流れが急なリチュ河近く。宿営の準備をしていると、100頭ものヤクが勝手に河を泳いで渡ってしまったのである。翌日朝も帰ってくる気配がない。タングート人が優秀な馬で渡河しようとしたが渡りきれない。そこで「(風呂にはいることも河で沐浴する習慣すらない蒙古人なのに)河など怖くない=泳げる。」と言ってしまった西川に白羽の矢が立ってしまったのである。日本男児の底力を見せたいというヒロイックな気持ちもあったが、日本人であることを死んでも隠さねばならないというかなり滑稽な状況になったのである。急流を必死に泳ぎ、向こう岸で足が立つと思ったが流され、溺れそうになりながら対岸にたどり着いた。向こう岸から凄い歓声が起こった。タングート人がこっちに来いと命令する時、鼻面に石を投げ当てることを思い出し、石を投げ続けた。驚いた一頭のヤクが水中に飛び込み、続いて雪崩のようにヤクは対岸に向かって泳ぎだした。その後、体力をほとんど使い切った西川は、急流に流されたりしながらも、なんとか泳ぎきりたどり着いた。

タングート人たちは、火を炊き生還した英雄・西川の体を温めるとともに、何頭もの羊がさばかれ、大宴会となった。この話は千里を越え、チベットに及ぶことになる。

2026年4月10日金曜日

沢木『天空の旅人』断片2

https://seinansky.com/qinghai/taersi.html
新学期が始まり、登下校にまた沢木耕太郎の『天空の旅人』を読んでいる。今回の久々のエントリーも、断片を記しておこうと思う。

ソーダを運ぶ駝夫として、西川は西寧を目指す。その近くのタール寺(画像参照)で、第10代のパンチェン・ラマ(当時6歳)に拝謁する。西川の感覚では、竜宮城のような特別の間で、全身が黄色の帽子と法服に包まれてふかふかの座布団に埋まるように座っていた。三拝し、絹の布でできているハタク(旅の安全を祈る聖なる布)を机の上に差し出し、銀貨や宝石を添える。(皆は銀貨2枚を添えたが、西川は1枚。笑)これに対し、パンチェン・ラマは、巡礼者の額に経典を当てるアデス(祝福)を行うのだが、(小さくて届かないので)お付の者が代理で行った。退出の際に、赤い紐と万能だとされる丸薬を渡されるのだが、西川は丸薬を見て「正露丸」のようだと思ったとのこと。(笑)

西川は、ラマ教に強い否定的な考えを抱いてきた。かつての勇猛果敢な蒙古族が、今は多民族に圧迫され散り散りにされている。これはラマ教に教化されてしまったからで、男子の多くが妻帯しないラマ僧になって人口減少に歯止めがきかなくなり、統一した国家さえ作れなくなってしまった、と歯痒くてならなかったのである。しかし。毎日何百回と叩頭をしているうちに、頭の中が澄んでいくような気がしてきた。もっとも、かつて旧制中学の修猷館在学中にラグビー部でスクラムの練習をした後に覚える疲労感や充実感とよく似たものであった。…このころの西川は、日本の密偵としての意識が強い。

1月15日にタール寺では「ジュンアチョパ」の供養会が行われ、寺市がたち大勢のの遊牧民が訪れ活況を呈していた。固いバターをヘラ一本で彫り上げた素晴らしい彫刻が寺の周囲を囲んでいた。彫刻に見とれていた西川が呆然としていると、不意に輿に乗せられた幼いパンチェン・ラマが姿を現した。群衆は、「オムマニベメフム」の真言を絶叫するように唱えて、一種の狂乱状態に陥った。
チベットに行こうという思いが、西川の中で次第に強くなっていった。

2026年4月9日木曜日

ブルージェイズと2勝1敗

https://www.youtube.com/watch?v=pjHVnkeC8Yk
ブルージェイズとのWS以来の三連戦、最後の試合を惜しいところで失ったけれど、ドジャーズは2勝1敗と勝ち越した。最後の試合は大谷投手の6回までの粘投、2勝目の権利もあったのだけれど…残念。

とはいえ、第一戦などはブルージェイズが可哀想になるほどのボロ勝ちだった。ブルージェイズは怪我人も多く、苦戦中。第二戦では、監督が退場になるほど追い詰められていた。両者とも、まだまだこれからである。ベッツがベンチにいるので、少し安心している。

2026年4月7日火曜日

追憶 ワシントンD.C.の三空港

https://www.google.com/maps/search/
私が6回の渡米経験の中で最も訪れている回数が多い都市は、ワシントンD.C.である。D.C.には、3つの空港がある。一つは巨大なハブ空港である「ダレス国際空港」と市内に近い「ナショナル空港」、さらに「ボルチモア国際空港」である。私はこの3つの空港とも利用したことがある。ちなみに、それぞれ、バージニア州とメリーランド州に位置する。

まず、大阪市教育委員会のアメリカ視察旅行の際、日本からLAX(ロス)経由でBWI(ボルチモア)に大陸横断して夜に着いた。ボルチモアとD.C.視察後、BOS(ボストン)へは、DCA(ナショナル空港)から向かった。このナショナル空港は国内線の空港で、大阪で言えば伊丹空港のような存在である。


その後、工業高校で私が学年主任を務めた担任団の卒業旅行では、もっぱらIAD(ダレス空港)だった。サンフランシスコ経由で到着時も帰国時も、さらに、ノースカロライナ州への移動で、ORF(ノーフォーク空港:バージニア)へ小型機で往復した際もIADだった。このIADは変わっていて、ターミナルから直接機内に入るのではなくて、モービルラウンジという、大きな車で搭乗者を運ぶシステムであった。最初は大いに驚いたものだが、4回も使うと慣れてしまった。(笑)

何故こんな空港の話題なのかというと、ドジャーズがナショナルズ戦を終えて、ブルージェイズのいるトロントへ向かった空港はどれかという疑問が湧いたためである。オリオールズ戦後なら間違いなくBWIだが、トロントはニューヨーク州北部の対岸にあるので、国内線も同様。だから、DCAの可能性も捨てがたいのであった。私にとってはおそろいのグレーのジャージで向かったことなどどうでもいいのであった。(笑)

2026年4月6日月曜日

ブルキナファソの現状を憂う

我が愛するブルキナファソの現状は非常に憂うべき状況にある。軍事政権の暫定大統領が、国営TVのインタヴューで、「国民は民主主義を忘れる必要がある」と述べたとの報道が流れた。昨年、選挙管理委員会を解散させ、今年2月には活動停止中だった政党を全て解散させた。「そもそも選挙などしている場合ではない、我が国に民主主義は不要だ。」とも語ったようだ。

国連は、ブルキナファソに政党解散命令の撤回と市民社会への弾圧をやめるよう強く要請したが、軍事政権は、西側諸国特に旧宗主国のフランスを敵視しており、多数の国際メディアを活動休止、一部ジャーナリストを国外追放している。

この背景には、イスラム過激派による1800人を超える民間人を虐殺、過激派への協力を疑われた民間人を軍が処刑したという背景がある。まさに国家非常事態といえる。

https://www.yomiuri.co.jp/world/20260402GYT1T00302/#google_vignette

ブルキナに足を運んだことのある私は、ブルキナべ達が、イスラム教徒もキリスト教徒も平和的に共存していたことを知っている。北部のサヘル地域に、ニジェールやマリから、過激派が侵入しているので、私が訪れたサヘルの村はどうなっているのだろうと暗澹な気持ちになる。そもそも世界的にも最も貧困な地域であるが、当時少女だった子たち(画像参照)はうまく逃げ出せただろうか。彼らの財産である牛は確保できているのだろうか、と思う。

また、反イスラム感情の高まりを受けて、首都ワガドゥグーのコーラン学校の生徒たち(事実上は、貧困故に親に口減しされた子供たち)は、ちゃんと食事にありつけているのだろうかと思う。

たしかに、軍事政権が言う「民主主義を忘れる必要がある。」という言霊には強い毒が潜んでいると思うが、国連の形式的な言(国連は言うだけで何もしてくれないし、マリや二ジェールから反仏的な政権が出来たことで仏軍も撤退してしまった。)に比べて、はるかに真実味がある。そもそもフランスの過去の帝国主義政策が招いたこの混乱、フランスはどう受け止めているのだろうか。

大逆転劇で3連勝

https://www.youtube.com/watch?v=8tu9pQjYfpg&t=11s
今日のドジャーズ対ナショナルズの試合は、雨のため2時間遅れで始まったらしい。朝起きたらまだやっていたので、ハムショーの中継をLIVEで聞いていた。ところが、ササミローキ投手が不運な安打(1塁ベースに打球があたり、フリーマンの頭上を超えてヒットになった。)もあったりして敗戦投手濃厚な 1対6の5点差になったのだった。ちなみに3回表の1点は、大谷選手の第2号HRである。

その後大逆転劇が始まる。まずは、6回にラッシング捕手の2ランで3点差に詰め寄り、8回にフリーマン選手、パヘス選手、コール選手で無死満塁もチャンスを作った。エスピナル選手(レッズから今季マイナー移籍して這い上がってきた31歳)のタイムリーと代打タッカー選手の併殺崩れで同点。ここで大谷選手が犠牲フライで逆転したのだった。さらに9回に待望のテオヘル選手の第1号ソロHRが出て2点差。ここをディアスが締めて3連勝としたのだった。さすがに、ビジターなのでトランペットの入場とはいかなかったけれど…。

それにしても、ベッツ選手のことが心配である。様々な情報が入り乱れており、オールドメディア同様、YouTubeでも信用できない情報も多いからだが…。

2026年4月5日日曜日

背番号29と背番号12

https://cocokara-next.com/athlete_celeb/mookie-betts-yada-method/
ナショナルズとの第2戦もドジャーズが強力打線で勝利した。しかし、ベッツが走塁中に負傷してしまった。医務室でドクターの触診を受けている時に、WS後に師事している矢田先生(山本由伸投手の師でもある)が、通訳のアイアトン氏とともに駆けつけたようだ。師の力強い言葉に、ベッツの目は不安から希望へと変わったという。師を持つ人間は強い。改めてそれを実感した。

さて、私たちの世代は、小学校高学年くらいの時、遊ぶといえば野球ばかりだった。近くに元製氷工場だった空き地(といってもゴミだらけの少々危険な場所だった。)があって、集まった人数によって、ダイヤモンドか三角ベースかを決めて、軟式ボールで楽しんでいた。
https://www.jiji.com/jc/d4?p=fki089-img289&d=d4_spo
私はというと、あまり野球は得意ではなかったが、友人たちで結成したジャガーズというチームに入れてもらえた。ユニフォームをそろえて、ちょっと本格的な野球少年になった時期があったのだ。背番号は29にした。当時阪神のキャッチャーだった辻佳紀(ヒゲの辻と呼ばれていた)選手の背番号であった。当時キャッチャーミットも購入して、キャッチャー志望だったのだが、当然私より上手い友人がいた。キャッチャーのポジションを掴んだのはH君。
https://www.sankei.com/article/20210202-YMKH6GCP65KS5LL5SSZJJMZHYY/
彼の背番号は12。これは南海の外野手・広瀬叔功選手にあこがれてのものだった。(画像参照:座っているのは野村克也氏)私は結局外野ばかりで、H君と私のポジションは、背番号では見事に対局になっていた。(笑)ジャガーズは、今のリトルリーグのような指導者もいないし、四天王寺に朝早く集まって勝手に試合をするようなアウトロー的なチームだった。いつのまにか解散したのだが…。ちなみに、H君は、後に大阪府警に勤務したと聞いている。

私は、サッカーやラグビーも大好きだが、やはり野球に惹かれてしまう。それは、子供の頃いやというほど毎日馴染んだからだと思う。ベッツの早期の回復を祈りつつ…。

2026年4月4日土曜日

大谷選手第1号B・F・Tも続く

https://www.youtube.com/watch?v=vuZwKwC-Jio&t=11833s
朝起きて、ドジャーズのナショナルズ戦の結果を見た。東海岸(ワシントンD.C.)なので、最もライブできない時間帯の試合だったのである。

ついに、大谷選手に第1号・同点3ランが出た。さらに、ベッツ選手が第2号2ランHRで逆転。4回にパヘスも2ラン、5回にはフリーマンが2ランHR、7回にタッカーのソロHRと、HR揃い踏みの試合だった。

ここまで4勝2敗。特に、上位打線(大谷/タッカー/ベッツ/フリーマン)が不調で、1割・2割台の打率。”よく勝ち越せていてるものだ”という評価が多かった。なんとか下位打線が頑張ってくれていたおかげ(特にパヘスの成長が素晴らしい)なのだが、今日の試合は、シーズン前に「反則」と言われていた上位打線爆発で、MVPトリオ+タッカーの面目躍如といったところ。この調子で連勝を続けてほしいものである。

2026年4月3日金曜日

同志社国際高校の事件考3

https://note.com/beloved_tomoka/n/nd0be0c700d87
辺野古の事件について、様々な報道がネット上でなされている。産経新聞はかなり報道しているようだが、左翼が多いメディアは報道していないようだ。沖縄知事と旅行会社の関係の深さや、抗議団体側の発言、はたまた右の百田氏の発言など、あまり触れたくない話が多い。

一番重要なのは、被害者の保護者が立ち上げたNOTEを読むことではないか。そこに書かれてあることが最も重要である、と私は思う。

https://note.com/beloved_tomoka/n/nd0be0c700d87

保護者は、左も右も自分に都合の良い身勝手な発言をしていることに冷静に批判している。左翼活動家が言うようにこの辺野古反対運動に賛同したいなどと思っていなかったこと。また百田氏の十分認識していて抗議船に乗ったゆえの自己責任論にも、反論している。当時のシチュエーションを考えて欲しい。乗船拒否できる状況ではない。そもそも、辺野古を含むFコースには、水族館が含まれており、そこに行きたくて、コースを選択したのであることを明言されている。

2026年4月2日木曜日

戦争におけるコスト問題

https://warthunder.dmm.com/news/detail/9492
アメリカのイラン攻撃の様相が変化してきた。当初は、ステルスのB2爆撃機やトマホークミサイルなどをバンバン使っていたし、ミサイルやドローンの迎撃にもミサイルを使っていた。しかし、どう考えてもコスト面で圧倒的に不利である。300万円くらいのドローンを何億もする迎撃ミサイルで撃ち落としても馬鹿みたいだし、すでに制空権をほぼ得ているイラン本土への攻撃もわざわざステルス機を使う必要もない。しかもB2もF35もステルス性を保持するため運用コストが高く付くし、そんなに多くの爆弾を積めるわけでもない。

そこで、爆撃は冷戦時代の可変翼爆撃機B1-Bを使い、さらに地上攻撃やドローン対策で、A-10(画像参照)を使っているようだ。このB1-BもA-10も退役させる予定だったものだ。

B1-Bは、可変翼なので整備が大変である。そもそもは、核を搭載する爆撃機というコンセプトで造られたもの。(STARTの核軍縮条約で通常兵器のみに改造された。)今回、サウスダコタ州の空軍基地から往復32時間もかけて爆撃に向かったという情報もある。実は、私はサウスダコタの基地近くの航空博物館に行った時、超低空飛行をしているB1-Bを間近で見ている。高高度では翼の角度を狭め高速飛行が可能。敵地に入ってからは翼の角度を広げ低速で低空飛行する。ステルス性には欠けるが、積める爆弾は、かのB-52より多い。

A-10は、機首に、劣化ウランを弾芯とした30mm徹甲弾のバルカン砲を持っている。もちろんミサイルや爆弾もたくさん積めるが、今回は、コスト面からこのバルカン砲が見直されたようだ。戦車などミサイルや爆弾を使わなくともいとも簡単に破壊できる。ただ、すでにバルカン砲の使用は、時代遅れと見なされていた。

戦争には金がかかる。資本主義の総本家であるアメリカは、時代遅れの航空機を再利用して、コストを下げようとしているわけだ。さらに機で、ホルムズ海峡のドローン攻撃に備えるという話も出ているようだ。まさにプラグマティズムの極み…。

2026年4月1日水曜日

山本由伸投手のボブルヘッド

https://news.yahoo.co.jp/articles/eb5148184bf3440dd5acb74ba12b4e94f6870bf8/images/000
山本由伸投手のボブルヘッドデー。なんとマリオブラザーズの”ヨッシー”が背番号18をつけた姿のもので、大人気・大行列だったそうだ。任天堂とのコラボであるとのこと。始球式のキャッチャーも山本投手が務めた。大歓声。ドジャーズのビジネス戦略は冴え渡っている。

ところで、昨日は、ササミローキ投手が5回まで投げて、先発ローテンションに踏みとどまった。相手の先発がそれ以上に好投し、なかなか点が取れず今シーズン初の敗戦となったが、ササミローキ投手には負けはつかなかった。

今日は、大谷選手が先発。6回を無失点・1安打・6奪三振で勝利投手となった。やるなあ。明日は、対ガーディアンズ三連戦に勝ち越しを狙うドジャーズは、山本由伸投手が先発である。日本人投手が3戦連続で先発マウンドに立つわけだ。大いに期待したい。ベッツもテオヘルもマンシーもみんな調子を上げているし…。