2026年4月20日月曜日

沢木『天空の旅人』断片9

https://www.reddit.com/r/delhi/comments/qtm8f7/birla_mandir_in_delhi/?tl=ja
沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片、9回目。いよいよ終盤に近づいてきた。

西川が1人で向かったのは、祇園精舎であった。途中の集落で御詠歌を歌い托鉢すると、大量の食料を喜捨され、村中の人々が御詠歌を次々にリクエストする。御詠歌が尽き、チベットや蒙古、中国、朝鮮の歌から日本の唱歌まで歌った。皆嬉しそうに聞いてくれ、さすがに疲れ果てたので、インドの歌をリクエストすると喜んで歌ってくれた。夜にはさらに若者もやってきて御詠歌を歌った。(あまりの好評さに)夜明け前に集落を離れた。まるで夜逃げだと可笑しくなった。

祇園精舎も樹木が生い茂り廃墟となっていた。中国寺の漢人僧は粥と酢の物と漬物をふるまってくれた。さらに炎天下を巡礼する西川の姿に心を動かされたというネパール人の若者の誘いで、バルランブルのマハラジャの王宮に喜捨を求めに行くことになった。マハラジャは20ルピーもの大金を喜捨してくれ寝台付きの個室と毎日の食事を提供してくれた。

さらにチベット国境に近いネパールからの出稼ぎ人から、自宅で読経して欲しいと頼まれた。ヒンドゥー教徒だがラマ教にも強い親近感があるらしい。多くの人が集まり歓待された。同じようなことが続く。何故このような事が起こるのか?今の自分には綺麗に欲がなくなっている。それが人の好意を誘うのかも知れないと西川は思う。

駅であった大学教授は、果物や菓子塁を喜捨してくれた。食べきれないので近くにいたチベット人と蒙古人巡礼者たちにも食べてもらっていると、教授が同じように座り込み、西川を通訳としてチベットや蒙古のことを訊ねてきた。周りにいたインド人も加わって、1時間の座談会となった。心温まる時間だった。

また、チャンドラ・ボースの軍隊の将校たちとも出会う。かれらには西川の容貌や細やかな動作に日本人らしさを見つけ、日本語で話しかけてきて、西川を驚かせたが、一緒にアグラに向かうことになった。タージ・マハルを見学した。その後、デリーに向かい、マハトマ・ガンジーが荼毘に付されたラージ・ガートで墓参りをした。

インド人実業家が寄進したビルラ寺(画像参照)では、守衛長に声をかけられ、蒙古から来たことを告げると遠来の客だからと宮殿のようなところに案内された。ヒンドゥー教の寺院だが、庭園には日本の建築技師による仏教寺院もあり、ここでビルラ氏と遭遇する。ラマ教について問われ、御詠歌も披露した。出発の日、守衛長に挨拶にいくと再びビルラ氏に合わせてくれた。100ルピーもの喜捨をしてくれたのだった。

…西川の単独インド行は、まさに仏の世界であった。ひとえに欲を持たず、修行で得た御詠歌のおかげでもあった。

デリーから、シーク教の大本山グルナーク寺に着く。アフガニスタンにまで行きたかったが戦乱の関係でここから先は移動できそうになかった。しかも次に訪れた街で、パキスタンのスパイの疑いをかけられた。留置場で3日間過ごし、香港に滞在経験があり、中国語を喋るシーク教徒の署長の登場で救われた。西川は、ネパールを目指すことにした。

…余談だが、シーク教徒はイギリス旧植民地に多い。私はカナダのトロント、ケニアのナイロビ、そしてマレーシアのKLでシークの人々と出会った経験がある。

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