2011年9月30日金曜日

お疲れ様 イチロー

突然であるが、私はイチローの大ファンである。日本のプロ野球のニュースも見るけれど、MLBでのイチローが活躍するニュースの方にいつも注目している。11年連続の200本安打への黄信号のニュースに、暗然としていた。「どうしたんだ!ヘヘイ!ベービー!」と気に病んでいた。この1カ月ほどは奇跡を祈る気持ちだった。そして、ついに奇跡は起こらず、新記録は生まれなかった。

今朝は、モーニングで日経ではなくスポーツ新聞を見ていた。イチローのコトバを知りたかったのだ。イチローはサバサバしていた。晴れやかに「ホッとした。」と語ったらしい。まさにイチローらしいと思った。イチローの美学なのだろう。

様々な解説を見ると、4月に絶好調で、5・6月と不調。最高のロケットスタートをしたことで、MLBではやっている150kmくらいで打者の手元で変化するという『ムービング・ファストボール』への対策に新たに挑戦したのではないかと言われている。(イチローはそれについて、現時点では何も語っていない。)それでフォームを崩したんだというのだ。

私は、イチローらしいと思う。常に現状に満足せず、新しい進化を選ぶ。しかし年齢的な衰えや他のメジャー選手に内野安打を阻む研究をされた事が重なって実を結ばなかったということなのだろうか。

いずれにせよ、イチローがさらに進化して200本安打に挑戦する姿を見たい。イチローの剣豪のごとき美学あふれる打撃を見たい。そう思うのである。

2011年9月29日木曜日

「祭りのあと」でジョーな1日

暑さ寒さも彼岸まで?本校の彼岸花
吉田拓郎の名曲の1つに『祭りのあと』というのがある。私たちの年代ではかなりメジャーな曲である。極めて厭世的な歌詞であるが、高校生だった当時は大好きだった。文化祭と体育祭という祭りがどどっと終わった本校では、3年生は完全に「祭りのあと」状態である。まあ、あれだけ盛り上がったのだがら、仕方がない。ホセ・メンドーサと闘いきったジョー(矢吹丈)のようになっている。(笑)

ところが、1・2年生は全然「祭りのあと」ではない。文化祭の日も体育祭の日もない。毎日クラブで遅くまで頑張っている。「イベントで疲れました。」などと口にしようものなら、サッカー部ならBチームに落とされるだろう。野球部もしかり。ラグビー部は日曜日が公式戦なので、朝から公園で激しい練習をしていた。(笑)今朝、昨日記した11万2500個の星型を抜いた色紙の残骸(秘密を守るためにずっと私の机の下に隠していたのだった)を、ゴミ捨て場に持って行こうとすると、1・2年生の柔道部がタイヤのチューブを使って打ちこみのトレーニングをしていた。本校の朝は早く、そしてすでに汗まみれである。柔道部の3年生はというと、のんびりとウェイトトレーニングをしていた。みんな”ジョー”である。大阪府代表で国体に出る主将も「組み体操の時、ちょっと肩をやったす。」と笑顔である。おいおい、大丈夫か?若いし鍛え方が違うのできっと国体には十分間に合うのだろうが、心配である。

私の方も、体力的には限界状況にある。セレモニー関係の会計などの残務処理をしたが、頭がうまく回らない。とはいえ、ここで授業を頑張るのが、男の美学である。4限はアフリカの工業について、5・6限は連続で世界史B、ポエニ戦争をガンガンに講義して大汗をかいた。職員室にいると暑くてたまらない。公園に涼みに行って、生徒会室の掃除を覗いて、さらにグランドで、サッカー部のブラジル体操を見ていたりして涼んでいたら、職員会議があることを失念して、無断パスしてしまった。あちゃー。

というわけで、「祭りのあと」でジョーな私であったが、なんとか今日を乗り切ったのであった。

追記:柔道部の主将は、この土日の国体の試合にむけてガンガンやっているそうです。安心しました。

2011年9月28日水曜日

「猫走り」 DE フィナーレ

本校 講堂の「猫走り」
「猫走り」…舞台の上方にある通路のことである。だいたい学校の講堂や体育館の舞台上には設置されている。私は、舞台イベントを長く手掛けてきたが、「猫走り」を使うのが好きだ。今回のフィナーレのために、先日(9月8日付ブログ参照)の画像にあるように、生徒諸君の手で星型の色紙を莫大に作っていた。
50色×50セット。1枚でだいたい45個の星を抜き出した計算になるので、11万2500個。(笑)これを今日、猫走りからバラまいたのだ。

本校のフィナーレは、何度か書いたが体育の部(体育祭)と文化の部(文化祭)で各団が獲得した得点で順位を決め、表彰することがメインの行事である。ちょっと演出も含めたフィナーレの内容を概説してみる。まず、ダンス部の演技。台風による日程変更で変則的になったフィナーレを再度盛り上げる意味合いを込めた。ブザーもなし。突然、場内が暗くなり、三味線の音が響き、緞帳が開く。舞台には誰もいない。突然上下(左右)のアリーナの扉からダンス部が登場である。怒涛のような歓声が沸き起こった。
ダンス部演技の後緞帳が一度閉まり、オープニングの司会登場。彼らは最後のダンスにもこそっと参加していた。(笑)ピンスポットを浴びて、フィナーレの司会を呼ぶ。講堂の後ろから、柔道部に担がれてフィナーレの司会が登場。オープニングの流れを意識した演出である。緞帳の裏では、生徒会執行部が、得点版や表彰の段取りを終えている。フィナーレの司会が漫才をし終わると、いよいよ表彰である。アドパネル、1年生の制作、2年生の模擬店の表彰の後、3年生の演劇の個人賞。(主演男優賞や女優賞、助演男優賞、女優賞、舞台美術賞など)そして演劇の表彰。これらは、音楽部の生演奏のドラムロールで盛り上げる。そして、各団の団長が登場し、総合成績の発表と表彰。今年は、黄団が優勝となった。各団長が挨拶をした後、フィナーレのVTR上映。これまた力作である。もちろんギャグが満載だが、準備中の光景やクラブの記念写真、体育祭の様子、文化祭の様子などの画像が次々映し出される。最後は、「~でええねん。」(大阪弁で~で良いの意味)と題された紙をもった生徒のスナップが流れる。バックの歌とともに伝統的な演出だそうだ。これがなかなか面白い。講堂内が大いに沸く。来年の司会を決めた後、いよいよ、これも伝統中の伝統、「星になれたら」というフィナーレのテーマソングの合唱である。ミスチルの曲らしい。この時、3年生は全員舞台に上がって歌うのが伝統だというので、団長や生徒会が集合写真や合唱のための3段のお立ち台を、昨日のリハの後、急遽設定するようにした。その作業時間は約15秒。テーピングをして、作業の人員配置さえきっちりすれば簡単である。昼休みに若干打ち合わせしただけでもOK。(笑)
司会や団長の誘導によって、みんな凄い勢いで舞台に上がる。講堂の後方二階席でスタンバイしていた音楽部の生演奏で、大合唱である。そして、盛り上がったトコロで、「11万2500個の星」が降ってくるのだ。3年生は、大感激してくれたのだった。

猫走りにスタンバイしていたのは、2年生と1年生の生徒2名である。本校の講堂は古いので、猫走りは板づくりで、かなり危険だし、恐い。安全を考慮して命綱を付けて上がってもらった。しかも長年のホコリが溜まって汚い。そこで、先週の金曜日の放課後、我がセレモニー係の委員長・副委員長文化の部委員長の3年生リーダー3人に、雑巾がけをしてもらったのだ。彼らは心良く引きうけてくれた。これでこそ、3年である。リーダーは、かくあるべし。私はそう思う。

全てが終了した。大成功だった。セレモニー係と生徒会は全員で「11万2500個の星」を掃除した。最後に、一人ひとりと握手した。「…ありがとう。」「…ありがとう」厳しく指導した1年生もいる。ミーティングに遅刻して私にどなられた2年生もいる。そして、私の想いを行動に移してくれた3年生たち。イベントは人づくりである。彼らの満足そうな笑顔を見て、改めて感じたのだった。

司会の野球部4人がやってきて、こう言ってくれた。「先生、司会とセレモニーのKとN(正副委員長)で、卒業したら絶対打ち上げしましょうね。」…嬉しい言葉だった。

2011年9月27日火曜日

2011 体育祭なのだ。

今朝も7時登校になった。昨日の予行に続いて体育祭の日である。先週は台風でぶっとんだが、本日は絵にかいたような晴天。私の担当は、放送部の横で状況を見ながら進行することである。先日ブログでも書いたように、本校には1年生で筋ジストロフィーの生徒がいる。競技には参加できないので、放送に協力してもらうことになった。マイクの志向性さえきちっとすれば、申し分のない放送をしてくれたのだった。私自身は大縄跳びや棒引きや綱引きの審判なども当てっていて、1日中ドタバタしていたのだった。おまけに、終了後は明日の5・6時間目に予定されているフィナーレのリハーサルもあったので、またまた7時過ぎにやっと学校を出れたのだった。まあ、好きな仕事とはいえ、53歳の身体には厳しい日々である。ふぅー。と、いうわけで合間合間に私がG12で撮った写真でごまかそうかなと思う。明日の授業の準備もあるので…。(笑)
体育科・武道科の組み体操
体育科と武道科3年生による組み体操は、おそらく本校らしいプログラムのひとつだろう。
大きな布でトランポリンの演技
昨日の予行後の練習ではどうなることかと思ったが、なかなか本番に強い。

女子は、なぎなたの演技であった。これもなかなか見ものであった。全員袴姿でかっこいい。
最後に、各団の応援アピールから、青団のSUPER海人のエンディングの様子。

そうそう、ビックリしたのは、50m走では陸上競技で使う本物のスターティングブロックを使用することだ。もちろん記録も取って、決勝で優勝すれば特別のガウンに名前が刺繍されるのである。さすが体育系の学校である。みんな無茶苦茶迫力があって速かった。明日はいよいよ、フィナーレである。渾身のご奉公をさせていただくつもりである。

2011年9月26日月曜日

マータイ女史の逝去を悼む

体育祭予行の後、フィナーレの打ち合わせ会やフィナーレDVDの制作などをやっていて、ずいぶん遅く帰宅した。そのままシャワーを浴びて休むつもりだったが、ケニア人でノーベル賞を受けたマータイ女史の逝去の報に接し、短文ながらその死を悼みたいと思う。

日本とケニア、もっと広く言えばアフリカとを繋ぐ重要な人物を、また1人失ってしまったという想いでいっぱいである。謹んで冥福を祈りたい。
マータイさんの逝去については、以下のニュース・コラムを参照されたい。
http://mainichi.jp/select/today/news/20110927k0000m030024000c.html

2011年9月25日日曜日

ガンバレ!浪人組

内容とあまり関係ない同志社大学北側にあるカフェ
前任校で教えていた国語科の生徒の中で、難関校を目指して浪人することになった生徒が2人いる。金曜日、文化祭を終え帰宅する電車の中で、ふと「檄メール」を送りたいと思った。そのうちの1人、A君が軽音楽部で大活躍をしていたからかもしれない。2人には、卒業式の日に「突然忘れたころに激励のメールするなあ。」と約束していたのだった。

浪人生は、だいたい孤独だし、悩みが深いのである。(と言っても私には浪人の経験がないので、他の先生からいろいろ聞くと、およそそうらしい。)私の担任クラスでも、そういう浪人組への突然の檄メールでフォローしていた。頻繁にするより、ダレる時期や苦しい時期に、”突然”がいい。今回の2人にもそう考えていた。
2人とも、非常に喜んでくれた。彼らの状況は個人情報であるので書けないがおおむね順調と見た。こんなことが出来るのも彼らの担任が私の弟分で、紳士然としたT先生であるからだ。

今は苦しいだろうが、苦しんだ経験が人間力をつくる。頑張れ!浪人組。

ザンビア大統領選は平和裏に

ザンビアの大統領選が行われ、北部に強い支持を持つ野党のPFのサタ氏が、現職のバンダ氏を破っった模様だ。アフリカの大統領選挙というと、たびたび暴力装置が働いて無茶苦茶になったりするのだが、アフリカでは民主化が進んでいるというザンビアでは、一部暴動があったという情報も流れたが、ほぼ平和裏に政権交代が行われたようである。めでたし、めでたしである。新大統領は、中国の経済進出に批判的なようだが、当選後現実主義的に修正をしている。そういう部分も含めて民主化が進んでいると言えるのかもしれない。
http://www.asahi.com/international/update/0924/TKY201109240239.html
我がブログの読者でもあり、ザンビアで理数科教師として頑張っている桐生先生のブログにも詳しく載っている。やはり現場からの生の報告が一番である。面白いのは、桐生先生のいる南部では、UPNDという野党が優勢で、結局大統領選には敗れたのに、大いに盛り上がっているらしい。桐生先生が教えている中学生も新しい大統領が来たと盛り上がっているようである。(笑)

桐生先生のザンビアでの教育実践には、全く頭が下がる思いである。ホント頑張っているなあと思うのである。是非とも一度見ていただきたい。「いつもココロに青空を」というブログで、私のブログにも常時リンクしている。
http://jocvzambiakiryu.blog136.fc2.com/

ところで、SONYの世界遺産・マダガスカル、2回目の動物特集はなんとか見ることができた。めでたし・めでたしである。”生きている進化の方舟”…なかなか粋なエンディングであった。

2011年9月24日土曜日

放射能測定可能な携帯電話

特別活動で多忙な日々を送っていて朝7時登校などということもあったのだが、モーニングは欠かさず行ってから登校している。最近は日経を読むことが多い。21日付けの日経に、NTTドコモのスマートフォンに、専用のケースをつけて、これまた専用のアプリをいれると、放射能が測定可能になる商品が開発されたという記事が載っていた。うーん。なんか微妙な感じである。
http://www.nikkei.com/tech/news/article/g=96958A9C93819696E0E3E2999C8DE0E3E2EBE0E2E3E38698E3E2E2E2;da=96958A88889DE2E0E2E5EAE5E5E2E3E7E3E0E0E2E2EBE2E2E2E2E2E2

妻はこのところ”反原発”の立場らしい。「どう思う?」と聞くと「世も末じゃ。」と答えた。うーん。そういう反応もありえるよなと思う。私は、社会科教師なので、いろいろな視点で考えてしまう。
ドコモが、そういう商品を開発したということは、そういう需要が見込まれるということだ。東北地方に住んでいる方には、身の安全を守るために必要なアイテムかもしれない。東京あたりで、風評に敏感なPTAは、児童の給食の際にこれで検査してから食べるようにと言うかもしれない。流行に敏感で、面白グッズが大好きな目立ちたがり屋も購入して、どこかの大臣みたいに、「放射能がうつる」遊びをするかもしれない。…どちらにせよ、妻の「世も末じゃ。」であるかなあ。

一方で、放射能測定機自体の需要が大きいのに、高価格で、しかも性能が悪い外国製のものもあるというニュースを見たこともある。NTTドコモのものなら、信用できそうだ。行政サイドから見れば、非常に有用かもしれない。
また、こういう商品をビジネスとして販売することを批判す人々々も、少数派だと思うが、いるかもしれない。人の不幸を金儲けに利用するのか…と。
放射能という、これまでにない安全における価値基準が、日本社会に浸透したと見ることもできる。
大文字や花火や、食品や様々な場面で放射能への”すさまじい反応”が見られる。日本人の生真面目さと見るべきなのか、病的な自己中心主義と見るべきなのか、私には判断しがたい。

結局、妻の「世も末じゃ。」というコトバが全てを語っているのかなと思ったりする。大阪府の政治権力による教育の危機も、「世も末じゃ。」…か。

2011年9月23日金曜日

セレモニー 企画の変更

クラス劇 『ライオン・ハート』
昨日のクラス劇は、なかなか面白かった。8クラスの劇をステレオタイプで言ってしまうと、ギャグは吉本だが、内容は松竹新喜劇である。つまり、訴えるものがあるのだ。震災の話やいじめの話、生きる意味を問いかけるものなど、なかなかシリアスなのだ。これは伝統なのだという。全校生徒も真剣に見ていて、ギャグには敏感に反応する。真面目な場面ではシーンとしている。舞台裏ではドタバタであるが、なかなかのモンであった。昨年より今年の劇は出来が良いという先生もいるし、昔より質が落ちたと言う先生もいて、”来年は担任するぞ”宣言をしている私は、ふふふ、3年後に新たな伝統をつくるぞと秘かに決意した次第。当然、ミュージカルになるであろう。ふふふ。

さて、今日は1年生の制作、2年生の模擬店、舞台では音楽部やダンス部と有志の演技が行われた。前任校より早めに13時で終了、本来は1時間で片づけがあり、フィナーレ・セレモニーになるのだが、今回は体育祭がまだなので、水曜日に延期されている。(このフィナーレも私の担当である。)
模擬店の賑わい
今日、特に私が感じ入ったのは、舞台での有志やダンス部への熱烈な男子の声援である。もちろん保護者や招待者の友人の皆さんで講堂は満員だが、舞台前は別世界でもう凄い熱気である。9時からの音楽部の時は特別活動部の記録として、写真を撮って回っていたので見ていないのだが、有志の時、舞台の手伝いに行ったところ、ホント、ビックリしたのである。全くアイドルのコンサートのノリである。ケミカルライトを振り、AKBと書かれた段ボールが踊っている。中には、舞台に上がって共に踊っている輩もいる。(笑)校長の話によると区の有力者が来られていて、2階席から見ておられたらしい。とにかく凄いノリだ。有力者も大笑いして”元気ですなあ。”と目を細めておられたとか。私も同感である。よくよく考えてみれば、教員生活32年。男女の比率が同じくらいの学校は初めてである。そりゃあ、女子がAKBやおにゃん子クラブ(本当にやっていた!古い!)のダンスをガンガンやっていたら、応援もガンガンするだろうと思う。本校はクラブだけでなく、男女の仲もいい。有志からダンス部にステージが代わったら、これがまた無茶苦茶うまいのだ。なんといっても全国大会出場である。盛り上がりも最高潮だ。1時間、ダンス部は次々と違うダンスを披露し続けた。凄い。応援する男子生徒も最後まで熱烈応援だった。(この時カメラを持っていなかったのを悔んでいる。)

ステージが全て終わって、3年生が私にこう言った。「先生、台風がなければ、片づけをして、このままのノリで『フィナーレ』に突入するんですよ。」うーん。なるほど。幸い、水曜日に延期されたフィナーレは5・6時限をいただけた。本来の予定でいけることになった。時間的余裕もある。講堂から職員室に戻りながら、私は予定になかったダンス部の演技をフィナーレの冒頭にもってくることを決断した。ダンス部の顧問、特別活動部の部長の了解を得て、セレモニー係のリーダーや総団長、フィナーレの司会にその旨を伝えると、パッと顔が輝いた。彼らの文化祭にかける”熱”が私を動かしたような気がする。さっそく、進行表やシナリオを書き直し、印刷・製本して月曜日のリハーサルに備えたのだった。

2011年9月22日木曜日

文化祭 オープニング

文化祭初日である。私の担当のオ-プニング・セレモニーに続いて、3年生8クラスの演劇が行われた。展示の確認などを終えて帰宅したのが9時過ぎ。(笑)クタクタである。
今朝は、生徒会執行部の集合が7時15分なので、7時に登校したらすでに正門前の飾り付けや行動内の整備をしていた。本校の生徒会はまさに縁の下の力持ちである。

オープニングは、7時30分くらいに係の生徒が集まってきた。45分の段階で来ていない生徒は全て係から外し、テクニカル・リハーサルを開始する。1年生の男子が遅れてきたが、厳しい指導を行った。この辺は私も体育会系である。3年生に後で彼らをうまく指導するよう指示したら、ニコッと笑って「まかせてください、フィナーレには、反省させてちゃんと参加できるようにします。」との返事であった。こういう事がイベントで最も大切だと思う。改めて思う。イベントは人づくりである。そういう意味で、オープニング・セレモニーというイベントはすでに成功だと私は思っている。

今回のオープニングの流れは、まず音楽部の演奏。緞帳が降りて生徒会長の挨拶、続いて学校長の挨拶。学校長は、「あんな盛り上がった中で話なんかできるかい。」と笑顔でご立腹だった。そう、もう無茶苦茶盛り上がってしまったのだった。(笑)学校長の極めて短い挨拶の後、緞帳が開きスクリーンが降りている。ここで、オープニングのVTR開始である。甲子園の前でユニフォーム姿の野球部の会話からスタートである。本校では司会を担当するボールが代々受け継がれている。このボールが甲子園前で彼らの手から奪われ、それを探しながら本校の講堂の後方の扉に到着するというストーリーだ。これを邪魔する様々な敵が現れては倒される。冒険譚でもある。(笑)ギャグがかなりちりばめられていて、講堂が揺れるほどの大ウケである。さて、ビデオに合わせて扉が開き、司会登場。ちょっと漫才をした後、急に警報が鳴り出す。暗転。パトライトが赤い光を講堂中にふりまく。各団の団長の登場である。講堂の様々な所に隠れていた彼らが、スパイ大作戦のテーマにのって、ピンスポットを浴びながら登場する。俊逸なのは、左右のカーテンが閉められた窓からの登場である。4人もの団長が1時間以上ジッと隠れていたのだ。(笑)生徒は大いに沸いた。8人がそろい、ダンス。なかなか格好いいのである。各団の色に合わせた8色のワイシャツで踊っている。(このワイシャツを揃えるのが大変だった。)ダンスの後、司会に各団の見どころを聞かれるのだが、時間の関係で10秒アピール。無茶な話だが、これは演出である。途中でチーンとテーブルベルが鳴ると、柔道部の猛者が団長をかついで無理やり退場させていく。これまた大ウケ。文化の部実行委員長の挨拶の後、全国大会出場のダンス部の演技で、オープニング終了である。ふぅー。

ちなみに、オープニングの写真など撮れる余裕はなかった。で、夕方撮った玄関前のアドパネルにさせてもらった。クラス劇の話も書きたかったが今日はここまで。シャワーを浴びて、少しでも疲れを取りたいと思う。

2011年9月21日水曜日

国連本部ツアーの思い出

台風15号のおかげで、日程がぐちゃぐちゃになったが、とにかく明日から文化祭である。昨日はオープニングのリハーサルやら、何やらで結局学校を8時に出て、夕食をとりシャワーをしてすぐ寝る羽目になった。と、いうわけで久しぶりにブログ更新ができなかったという次第。
今日は、本当は、府議会に提出された教育基本条例案のことを書きたいところだが、今日はやめておきたい。(毎日新聞朝刊には、教育長をはじめ、委員会や某知事が任命した教育委員の立命館大教授や大阪樟蔭女子大学講師の怒りの声も載せられていて、心強いのだが、とにかく疲れているので、後日に譲ることにしたい。)

学校へ向かう電車の中で、ふと国連本部ツアーのことを書こうと思ったのだった。新首相が国連総会に出るというニュースを昨日TVで見たからである。昔々、ニューヨークに一人旅した時、社会科の教師としては、絶対行っておくべきだと思い、朝一番のツアーに参加するべく国連本部に行ったのだった。国連本部は、実は地下鉄では行きにくい場所にある。クライスラービルを見ながらひたすら東に歩く。ワクワクしながら待っていると、パナソニックの紙袋をもったご夫婦がおられた。どう見ても日本人だったので声をかけたら、大阪人だった。久しぶりの日本語というか大阪弁を聞いたのだった。すると「私も大阪なんですぅ。」という女性の声が聞こえた。振り向くと女子大生風の子がいた。聞くと同じ大阪市立のM工業高校建築科の卒業生でNさんという子だった。当時工業高校に勤めていた私は親近感がどどっとわいたのだった。シアトルに留学していて、日本に帰る前にアメリカを旅していると言う。当時のアメリカの旅行会社は4都市周遊が同料金だったので、ニューヨークまで足を延ばしたのだと言う。ユースホステルに泊まり、自由の女神を見るのにも、観光用ではなく通勤のフェリーに乗ったと言う、絵にかいたような学生の貧乏旅をしていた。「いろいろ教えてくださいね。」と言われて、少々解説したが、彼女の方がリスニング能力がはるかに高いのできっと釈迦に説法だったと思う。

さて、ツアーのガイドは、マリから来ていると言う国連職員のお姉さんだった。フランス語圏から来ているのに見事な英語だった。(後に、JICA大阪でモーリタニア人の凄いフランス語なまりの英語を聞いたことがあるが、さっぱりわからなかった。)国連の各委員会の部屋や総会の会議場などを回った。拳銃の銃口が結ばれている有名な彫刻や人工衛星・スプートニクのつるされている玄関の案内もしてもらった。最後は、地下の国連グッズショップで、切手を買ってはがきを出した。ここの切手は国連の郵便局発行で、その郵便局はここにしかないというレアな話なのだ。Nさんは、「お金がないので切手とキーホルダーだけ買って帰ります。」と言って別れた。気持ちの良い子だった。元気でやってるかな。

国連本部。世界の首脳が一堂に会する会議場。そこに足を踏み込むだけで興奮した。そこで演説するなど、どういう感覚なのか及びもつかないが、前任者2人みたいに、空虚な演説はしないでで欲しいと思う。今日の日本経済新聞では、アメリカもEUも経済成長率が極めて低いという観測が出ている。世界は今混迷している。さて、先進国・日本は何を語るのか。

2011年9月19日月曜日

冗談じゃないぞ。台風15号

先日、帰宅時に放出駅前を歩いていたら、有線放送だろうか、尾崎亜美の「瞑想」という曲が流れていた。なつかしい。高校時代にシングルレコードを買ったくらい大好きな曲だ。ちょっとハッピーになっだのだった。

ところで”迷走”台風15号が、大阪を目指しているらしい。水曜日に最も接近するとのこと。TVでは前回の台風で大被害を受けた奈良見や和歌山県への警戒を促している。最もな話だが、本校にとっても大問題なのだ。明日火曜日が体育祭予行+文化祭準備、水曜日が体育祭、木曜日・金曜日が文化祭である。もし、体育祭が台風の関係で雨で中止になったら、来週の火曜日に体育祭が行われることになる。文化祭第2日の最終に行われる私が担当するフィナーレは、来週の水曜日に行われることになる。大きな予定変更だ。
本校の特別活動の中核をなす団活動は、体育祭と文化祭の得点で争われる。体育祭は、先日予選をした綱引きや棒引きをはじめ、リレーなど多くの種目、団旗や入場行進などの総合得点を競う。文化祭は、3年が演劇、2年が模擬店、1年が制作、これに3学年合同で製作するCM用の装飾(アドパネルと呼ばれている)で、それぞれ順位がつき、加点される。本来なら、体育祭の点数に、文化祭の得点が加算されるわけだ。その発表が私が担当している”フィナーレ”である。

昨日、フィナーレの司会担当のの3年生から、「台風でどうなりますかねえ。」と相談を受けた。前述のように、フィナーレは、体育祭と文化祭が終わらなければ行えない。今のところ水曜日の5時限目の総合的学習の時間があてられている。6時限目のLHRは進路関係の日程が入っているらしい。生徒からすれば、フィナーレを予定どおりやりたいと考えるのは当然だ。私の進行表では1時間半くらいになる。ただ、毎年団長挨拶が伸びるそうだ。2時間くらいになるらしい。それを1時間以下に縮小しなければならない。

今日は、体調を整えるため休ましてもらったが、明日特別活動部では、その対応(すでに何案かは出ている。)について、改めて論議がかわされることになるだろう。
うーん。まったく冗談じゃないぞ。台風15号。

2011年9月18日日曜日

京大アフリカ研公開講座 追記

昨日いただいたバッグ
文化祭の準備の関係で、昼から登校した。いろいろと仕事を終え、生徒を下校させて学校を出たのが7時過ぎだった。と、いうわけでSONYの世界遺産「マダガスカル」を見損ねたのだった。帰宅してブログの統計をみると、放送のあった18時台に100を超えるアクセスが記録されていた。別にアクセス数を増やすために書いたのではないが、TVの影響って大きいなあと改めて思った次第。

さて、今日のエントリーは昨日の公開講座で手に入れたパンフレットについて書きたいと思う。このパンフレットは、長いタイトルがついている。『アフリカ研究と社会が手をつなぐ 京大アフリカセンターの新たな地平 座談会報告Ⅰ 研究と実践の間 アフリカ研究はNGO活動といかに連携可能か』
京大のアフリカ研究は世界的な評価を受けているが、日本国内では東京一円ではあまり知られていない。そこで東京でフォーラムを開き、京大が得意としてきた「現場の知」を求められる分野に焦点をしぼり政・産・官・民との新たな連携をはかろうとした流れの中でつくられたもののようである。内容は、タイトルにもあるように「アフリカ研究はNGO活動といかに連携可能か」という座談会である。

昨日のエントリーで、掛谷先生が「開発」という視点で講演されたことに私自身は感銘を受けたことを書いた。これまでの公開講座を聞いたかぎりでは、”地域研究”というスタンスをもち、農学や文化人類学的な「研究」が主体という印象だった。、しかし京大のアフリカセンターの活動の中に「実践」部門があり、アフリカ研究と国際協力がリンクしているのだった。公開講座には熱心に参加していたが、HPを真剣に見たことがなかったので、改めて驚いた。HPでは、荒木茂先生のカメルーンの熱帯雨林研究や大山修一先生のニジェールの都市の生ゴミを使った砂漠防止対策の研究などが載っている。うわあ、こんな話、聞いてみたいと思ったのだ。特に、サヘルには私も足を運んだ経験があるので余計にそう思うのだ。

座談会では、こういう京大アフリカセンターの立場を踏まえ、センター内外の出席者が語り合う内容になっている。重田センター長をはじめ、今ブルキナの日本大使館の専門調査員として働いている旧知のEさんや、公開講座でいつも声をかけていただいた機関研究員のNさん(彼女はケニアのNGOで勤務した後に京大アフリカ研究科に入学したと紹介されていた。先日ケニアに旅立たれたと、昨日お聞きした。)など、話声が浮かぶ方も参加されていたので、昨日京阪電車の特急の中で楽しく読ませていただいた。内容をまとめるのはかなり難しいのであきらめた。ご容赦願いたい。
最も若い参加者でも、京大の大学院生の座談会である。極めて理論的かつ攻撃的な議論が、変にきれいにまとめられることなく、臨場感をもったままの”生の声”がそのまま載っていた。特にNGOの代表の刺戟的な批判が印象に残った。

50を過ぎて、自分の意見を妙に真綿のような”オトナの感覚”でくるみながら、論議することが増えた。攻撃的に相手の論を破すことも、ほとんどなくなった。若い研究者や実践家が、鋭く論じ合う座談会を読んで、改めて「若いっていいなあ。」と思ったのだった。

2011年9月17日土曜日

京大アフリカ研公開講座 9月

朝、H城鍼灸院でも「凄い疲れかたですよ~。」と言われた。たしかに…。だが、今日は、前任校の文化祭であり、京大アフリカ研公開講座の最終回である。結局、前任校の文化祭をパスして、何が何でも公開講座だけは行くことにした。ところが、雨である。京阪電車の駅を出てビックリした。ゲリラ豪雨と言っていい。今日の公開講座の画像は、正門から見た”雨脚”がテーマである。とても遠景は撮れなかった。

本日の講師は掛谷誠先生(京大名誉教授)である。タイトルは、『アフリカと生きる』。実に深いテーマである。掛谷先生は、これまでの長年の研究を振り返りながら、『地域の潜在力とアフリカ的発展・アフリカ型農村開発』というテーマでお話しいただいた。いやあ、面白かったのである。今回の掛谷先生のお話は、これまでとは少し違う。『開発』という視点が明確に示されていた。そもそも開発経済学からアフリカを学びだし、この(京大の地域研究)公開講座にたどり着いた私としては、”おおおっ”という感じだった。

まず掛谷先生は、70年代に調査したタンザニア西部タンガニーカ湖畔のトングウェ、その対比として80年代に調査したザンビア北部のベンバについて語られた。両者はともにミオンボ林に住む焼き畑集落という共通点がある。先生は、『平準化機構』という法則性を見出される。持つ者と持たざる者の格差を抑制するシステムが、アフリカには厳然としてある。たとえば、トングウェでは、穀物の生産量は消費量とほぼ同じであるが、親切な民族なので、客人が来ると大いに振る舞う。その比率は調査によると生産量の40%にも及んだという。ではどうするのか?彼らもまた他に客人として食べに行くのだそうだ。(笑)またベンバは母系社会で離婚した母が世帯主であることも多い。これらの母の多くはシコクビエで酒をつくる。この酒を、男たちが買うことで現金収入を得、自分の焼畑の木の伐採代となるそうだ。このような例から、平準化機構の存在が導かされるのだが、その奥低に、格差からくる妬みや恨みを起因とした「呪い」があることに気付いた掛谷先生は、なんと『呪医』になられたという。呪医になる儀式の話も伺ったが…これは凄い。後で、その理由を若気の至りと言われていた。70年代。全共闘の時代だ。掛谷先生は、その闘争の敗北感を背負い、アフリカで研究生活に入られたのだった。そこで見たアフリカは、先生に”もうひとつの自由”があることを教えてくれた存在となった。その延長線上に『呪医』になったという事実があるらしい。私は、そんな先生の生き方、世代が違うが羨ましく感じた次第。

だからこそ、掛谷先生の目は農村の研究を通じて”アフリカ的な開発”に向かうことになる。70年代から80年代、90年代と、アフリカの農村は大きく変化する。タンザニアのウジャマー社会主義時代、構造調整時代、莫大な負債を抱え経済格差と政策の大きなブレが続く。アフリカにとって、なにが開発であり、なにが豊かさなのか。世銀やIMFのいう所得の向上や経済成長率という数値ではあらわせない”アフリカ的”な開発があるのではないか。掛谷先生の自問自答が続く。
ンゴロ畑
その後、掛谷先生はJICAの専門家として、タンザニア南部マラウイ湖に近いマテンゴ高原に向かわれることなる。1.5m×2mほどの「ンゴロ」という掘り穴を谷の斜面に規則的に掘り、インゲン豆やトウモロコシを耕作する”アフリカ的な”集約農業に感激されるのである。この「ンゴロ」という穴を掘ることで、雨量の多い高原の急斜面の土壌侵食を防ぎ、枯れ草をその穴に敷く(肥料となる)のでエコな有機農法という側面もある。彼らの工夫から生まれた極めて”アフリカ”的な農法である。これをさらにうまく活用する方法はないか、開発現場で粉ひき場の設置などにも関わっていかれるのである。(ちなみに、掘った穴が、ンゴロと聞いて、大カルデラのンゴロンゴロ保護区と関係があるのか、お聞きしたら全く関係ないとのことだった。笑)
また、これまでの研究の地3点のちょうど中間あたりにあるワンダでは、80年代に移住してきた半農半牧の民スクマが、アカシア疎林でせいぜい牧畜にしか使えないと地元のワンダ人が考えていた土地を、牛耕を利用しながら水田に変えてしまう現場を目撃された。実はこの土地、不透水層で、雨季の水をうまく使えば水田耕作が可能だったのだ。それを見抜いたスクマ人もすごいが、良いことは急速に広がるという平準化の社会的機能がここで発揮された。地元のワンダ人にも水田耕作が拡大していくのである。”アフリカ的”内的発展が十分行われるという例だ。

スクマの結婚式 伊谷先生の画像
掛谷先生は、このお話の中で何度も”アフリカ的”というコトバを使われた。アフリカ的とは、欧米のグローバルスタンダードではないという意味を含んでいるのである。カウンター・ディベロップメント。もう一つの開発の道筋があるのではないか。先生は、そう考えておられる。もちろん、アフリカがこのままでいいというわけではない。だが、平準化というシステムは”アフリカ的”で悪くはない。携帯電話の普及や中国の投資や土地制度の所有形態の変化などが押し寄せている。今のアフリカは、これらの中で、何を選択し自分たちの開発に活かすかが重要である。

ところで、日本は、欧米をオリジナル化しながら受け入れてきた。日本的な欧米文化、日本的な生産システム…。アフリカもまた、アフリカ的な、オリジナルな受け入れ方をするべきではないか。欧米的な開発、欧米的な豊かさ、欧米的システム、それがけっして普遍でないことを今回の震災が証明したような気がすると、講演後例の美味なエチオピア・コーヒーをすすりながら先生は私におっしゃった。

日本人は、そういう何を選択し、活かしていくかという発想は得意だ。「アフリカと生きる」、ということは同世代のアフリカの人々とどう共生していくかだ。欧米的な数値で測る豊かさ以外の”もう一つの道”をアフリカの人々と共に探してみるのもいいじゃないか。…それが、先生の今日の結論と見た。

講演後に重田センター長から、公開講座5回皆勤ということで、オリジナル・トートバッグを頂いた。こんな面白い話を聞かせていただいた上に…。
ありがたく使わせていただきます。ありがとうございました。

2011年9月16日金曜日

アンゴラの劇的な変化

今年のミス・ユニバース
世界1は
アンゴラ代表
来週は祝日の月曜日の後、体育祭予行、体育祭、文化祭2日間と、本校はずっと”祭り”である。授業は当分ない。今週最後の授業は、アフリカ開発経済学をやってる政治経済だった。ちょうど今は、アフリカの鉱工業について解説している。前回は、携帯電話の話を交えながらレアメタルの話や金やダイヤモンドの話から、紛争鉱物(7月12日付ブログ参照)の話で締めくくった。今日は石油の話だった。ナイジェリアがなんといっても最大の産油国だが、ここにきて、アンゴラが頑張っている、という話になった。
アンゴラというと、つい最近まで、ウルルン滞在記で有名になった『世界平和村』で、アフガニスタンに次いで子供が多く入村しているという内戦の国だった。ポルトガルの無責任とも言える、突然の植民地放棄で独立するにはしたが、石油の出る海岸部と、ダイヤモンドがとれる内陸部で対立が激化。地雷が大量に埋められた結果である。

そんなアンゴラが今、考えられないほどの経済成長率を誇っている。首都ルワンダでは開発の波が押し寄せている。先日も、ミス・ユニバースが世界一になった。まさに劇的な変化である。

そんな話をしていたのだった。アンゴラは、石油とダイヤモンドだと思っていたが、少し詳しく調べてみると、レア・アースなども産出するらしい。もちろんこれからの開発が見込まれている。これらの鉱産資源をいかに活かしていくかはこれからにかかっている。鉱産資源の罠・紛争の罠には、もう十分にハマったアンゴラだ。これからのさらなる発展を祈りたい。
http://www.angola.emb-japan.go.jp/jp/yasashii_angola/africa_ninshiki.htm

生徒にも、少しは伝わったような気がする、祭りの前・最後の授業だった。

2011年9月15日木曜日

氷島-毎日新聞 木語を読む-

毎日新聞の『木語』、金子秀敏氏の「氷の島でゴルフ?」が久しぶりに面白かった。『氷島』は中国語でアイスランドを意味する。今回のコラムは、アイスランドにおける”中国話”なのである。
先日、マダガスカルに行きたいと書いたが、私はアイスランドにも是非行きたいと思っている。木語にもこうある。『氷河と火山観光が有名で、北のグリムスタディルには欧州最大の滝がある。』…アイスランドはプレートが東西に広がっている地域で、有名な地球の裂け目、ギャオを是非見たいと思っている。
続いて、『(グリムスタディルの滝のある場所は)便利なところではない。ところが、ここの土地300平方キロを買おうという中国人が現れた。国土の0.3%だ。1億ドルを投じてゴルフ場とエコ観光施設をつくるという。』

この中国人、黄氏は中国で161位の大金持ちらしい。観光と不動産開発で巨富を築いたという。アイスランド政府内では、この話で対立が起こっているらしい。内相は、アイスランドは北極圏に面し、米露の原潜や戦略核ミサイルがにらみをきかす軍事要地であり、軍事情報を中国が得ようとしているのではないかと疑っているのだ。…確かにアイスランドは、冷戦時代にはNATOの原潜探査の重要な基地であった。軍事的な地勢価値は高い。
これに対し、大統領は、観光投資しようとしてるのは中国人1人であり、それが脅威といえるかと反論。2008年のアイスランドの金融危機で助けてくれたのは、中国とインドだけだったとも。

香港紙によると、中国はマカオの海上カジノに使うという名目でソ連空母を企業が買い、結局中国軍の空母になった。企業のバックに軍がいるとほのめかしている。…どうやら、内相の危惧は、あながち的外れとはいえないようだ。

地球温暖化で2015年には北極海周りの北西航路が開通するとか。中国の天津港から、黄海、日本海、オホーツク海、ベーリング海、北極海を通り、アムステルダムまでいけるようになる。欧州の入口がアイスランドである。このところ、ロシアの艦隊が日本海で活発に活動しているのも、日本海の重要性を認識しているからではないかと、『木語』は結んでいる。…なるほどなあ。中国も、ロシアも、大局から戦略的に世界を見て動いているのだぞ、それに比べて日本は…という話になるのだろう。わかるような気がする。バクス・アメリカーナ(冷戦後のアメリカによる平和)は、だんだん過去のものになっているのかもしれない。

2011年9月14日水曜日

近所回りと屋上での撮影

本校の第一・第二体育館
相変わらず忙しい。ちょっと今日の動きを記しておこうと思う。6限目、授業がなかったので柔道部の道場へ。(今日は金曜日の時間割で、体育科・武道科は専門体育課目の授業:要するに部活動の授業なのだった。)オープニングで柔道部の協力が必要になったからである。行ったら、寝技をやっていた。見ているだけで暑くなった。腕力が強い三年生の協力を依頼したら、顧問の先生が「どーぞどーぞ。」

続いて図書館で、体育祭の放送部と、筋ジストロフィーの1年生(8月22日付ブログ参照)との打ち合わせ。開会式と入場行進の各団の紹介と閉会式のアナウンスをやってもらうことになった。放送部の生徒も、彼を教室まで迎えに行ってくれたり、なにかと彼の世話をやいてくれる。なかなかいい雰囲気だった。ちょっと安心した。

さらに、生徒会の生徒と近所回り。御挨拶文と文化祭の招待券を持って、ピンポーンというわけだ。夕方だったので、意外に在宅されていて、生徒がシドロモドロになりながらも、招待券を渡していく。いつも本校の運動部を応援していただいているローソンにも足を伸ばした。

職員室にもどると、オープニングのビデオ撮影隊が、どうしても屋上のシーンを撮りたいとのこと。一応危険なので、教員が付き添わなくてはならない規則らしい。ヒイヒイいいながら階段を登る。夕日に照らされて、先日取ったシーンの続きを撮り終えた。生徒は当たり前だけど元気である。

ふと気がつくと6時前である。クラフトパンチの作業場を見に行ったら、毎日パッコンパッコンと頑張ってくれている2年生の女子生徒がまだ頑張ってくれていた。目立たないけれど、芯の強い子だ。嬉しくなる。ほんと信頼できる生徒だ。担任のM先生にその報告をしたら、次期生徒会に推薦したいとのこと。思わず膝を打ったのであった。

今日もいろいろあったのだった。ふうー。

2011年9月13日火曜日

マダガスカル,マダガスカル

世界遺産 チンギドベマラハ
先週の日曜日、たまたま夕方のSONYプレゼンツの世界遺産を見ていたら、来週から2週連続でマダガスカル特集をやるそうだ。マダガスカルは面白い。次回の放送を楽しみにしている。ところで、またまた道祖神からDoDo World Newsが送られてきた。特集は『マダガスカル、マダガスカル』。偶然だと思うが、なかなかこういう偶然も楽しい。

マダガスカルといえば、実はたくさん思い浮かぶ。まずバオバブである。アフリカ本土とは違う独特のバオバブ。(こっちの方がメジャーかもしれない。)バオバブ街道というのがあって、是非とも行ってみたいトコロだ。次にカメレオン。マダガスカルは、大陸移動説でも早くにアフリカ本土から離れた関係で、珍しい動物が多い。カメレオン、実は私は大好き。飼う気はないが、大映の怪獣映画・ガメラ対バルゴン以来のファンである。大きいのもいいし、小さいのもいい。さらに、アイアイ。子供の歌で有名だがとんでもない気色の悪い猿である。横っ跳びで有名なシフィカという猿もいる。(妻が大好きである。)もちろん、Theペンギンズでも出てくるワオキツネザル。なかなか面白い奴が多いのだ。さらに、世界遺産チンギドベマラハ。針の山のような奇景である。是非とも行ってみたい世界遺産だ。

魅力いっぱいのマダガスカルなのだが、私は行ってい見たい気持ちと無理やな~という気持ちが半々なのである。無理やな~という理由。その1.長い間、コレラの予防注射が必要だとされていたこと。コレラは黄熱病と違い、2回打たなければならない。法的には打たなくてもいいらしいけど、ペストなども含め、医療的にはかなり不安がある地域であること。2.フランス語圏であること。3.最大の理由なのであるが、マダガスカルは、『アフリカのアジア』と呼ばれていて、実は、マレー系の人々が住んでいる島なのだ。だから、純粋にサブサハラ=アフリカの1つの国だとは言えないと私は考えている。

私は、やっぱりアフリカには人間を見に行きたい。そう思うと米を主食としているアジアっぽいマダガスカルにちょっと違和感を感じてしまうのだ。それを差し引いてもあまりある面白さがあるので、”アフリカに行く”という大義名分を捨てたとしたら、極めて行きたい場所のひとつとなるのだ。DoDo World Newsの特集を見ていて、さらにその思いは強くなったのだった。いつかは…行きたいマダガスカル。

2011年9月12日月曜日

世界史B ローマに突入

世界史Bも、そろそろギリシアからヘレニズムを経てローマに突入する。ギリシアの話も面白いが、ローマもまた極めて面白い。ローマとくれば、塩野七生である。ホントは「ローマ人の物語」を全巻読みたいところだが、今年は間に合わなかった。今回、私が手にしたのは、新刊の『「ローマ人の物語」スペシャルガイドブック』(新潮文庫)と、ちょっと古いが『ローマから日本が見える』(集英社文庫)である。
ガイドブックの方は、カラー印刷で、ローマの様々な遺跡や絵画・彫刻などを通してイメージが広がる。なかなか有為な本である。内容的には、『ローマから日本が見える』の方が面白い。ただ、今回授業では、山川の詳説世界史要点整理ノートを参考に構成しているのだが、これと塩野七生絡ませるのはかなり難しい。歴史の面白さを伝えることと受験科目としての整理としてのスキル…両者の止揚は、専門教科ではない私にはまだまだ難しい。

詳しい書評については、後日に譲りたい。なんといっても、今日は4時間授業だったし、8時前まで、パッコンパッコンとクラフトパンチしながら(9月8日ブログ参照)、編集作業に付き添っていたので、クタクタである。(笑)今週はこういう日が続くはずだ。ところで妻は、ガンガン家事をこなしている。洗濯もゴミほりも食器洗いも…。結局また100%依存の生活に逆戻りである。

2011年9月11日日曜日

妻の退院

妻の入院していた初日の病室から。愛宕山が遥かに見える。
今朝、妻からメールがあって「今日退院するでぇ。H城鍼灸院に行った後迎えに来て。」とのこと。意外に早く退院できることになった。来週はさらに学校が忙しくなるので、休まずにすんでちょっとホッとした。さっそく、3階の寝室から寝具を2階に下ろした。ちょっとでも移動距離が短い方がいいし、階段はしんどいのではないかとの配慮である。
H城鍼灸院に行った。H城先生が脈診をしながら、「奥様の入院中、食事はどうされていますか?」と聞いたので、「外食ですねえ。王将に2日連続で行きました。食器は一切使ってません。」と答えると、脈を見ながら「そら、足がつるはずです。」と、ふくらはぎに2発。食生活の悪化でだいぶ血流が悪くなっているようだ。100%妻に依存して生きている私にとって、妻の退院は、極めて朗報である。(笑)

帰宅後、妻はさっそく洗濯しはじめた。オイオイ、無理するなと、私が洗濯物を放り込んだが、洗濯機の動かし方を知らない。洗濯が終わって、洗濯を干す。これも数年ぶりである。まだまだ暑くて汗だくになった。もし入院が続いていたら病院にもっていく予定だった洗濯物は無事本拠地で行われたのだった。当分、洗濯は私の仕事になりそうである。100%妻に依存する生活は、ここ数日、若干パーセンテージが低くなる予定だ。

結局、妻は「ごめんなあ。いつもどおり3階で休みたい。」と、私の配慮は無駄足になった。あちゃー。(笑)

2011年9月10日土曜日

エントリー中に経産相辞任速報

某”政治漫画”です。
経産相の失言問題が大きな問題になっている。例の厚労相のアホな発言について、あれだけ怒りをぶつけた私としては、無視することはできない。YAHOOなどの政治ページを見たりすると、マスコミの言葉狩りだという主張もあるようだ。そういう側面はあるかもしれないが、日本政府の中枢にある人間が、狩られるくらいの人間であることのほうが問題だろう。前政権・前々政権や自民党時代も含めて、自分の立場をわきまえていない政治家が多くて情けないかぎりである。

今しがた、TVの速報で、経産相が辞任するとの報道が流れた。当然やなと思う。毎日新聞の10日付夕刊の”近事方々”に『福岡で福島応援ショップの企画に「汚染を持ち込むな」といメールがきて中止に。何てことだと経済産業相が率先して注意指導しなきゃ、と思ったら…。』とあった。全く同感だ。

昨日、前任校のOBのK君が訪ねてきてくれた。東北の公立大学に行っている教員志望の教え子だ。1時間ほど喫茶店で話をした。大震災の被災地へボランティアで何度も参加しているという報告を受けた。学生として何ができるか、もっと考えていきたいとのことだった。学生の良さは、身軽さと論議する自由さを持っていることである。未熟なことは当然。だが、そんな学生の理想論が新たな道を開くこともあると私は思う。震災から半年、東北にいる学生に何ができるか、大いに他大学も含めた、いろんな学部(彼は経済だが、政策学や保健衛生学、教育学など)の学生と論議してほしいと、私は語ったのだった。

毎日新聞の”近事方々”にこんなのもあったぞぉ。経産相を揶揄しての一文。『その任の重さと、思慮の計り知れない浅さよ。』
学生の任は、大臣よりかなり軽いが、思慮は大臣より深く…ね。

ナイジェリアの人民元外貨準備

昨日これまたモーニングで、日経を読んでいたら、ナイジェリアが中国の人民元を準備通貨にするとの記事が目にとまった。以下私なりの記事の整理である。

ナイジェリアの中央銀行は7日、中国の人民元を外貨準備通貨に加えると発表した。中国との経済関係の拡大に加え、米ドルに偏る準備通貨を多様化する方向性を打ち出したわけだ。中国政府が進めている人民元の段階的な自由化により、準備通貨採用の条件が整ったとの判断である。
産油国ナイジェリアの外貨準備高は2日時点で323億ドル(約2兆5千万円)で、8割が米ドル、残りがユーロやスイスフランだが、10月以降、5~10%を人民元に切り替えるという。両国間の貿易総額は昨年75億ドルに達しており、中国の直接投資も増加中で、完全な互換性が実現しいないものの政府間で個別の取り決めを通じて、人民元の流動性を確保するという。
今回の人民元の外貨準備通貨はナイジェリアが世界初の先鞭をつけたが、アフリカ諸国と中国との経済関係の強化の流れから、同様の動きが広がると見られている。
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE2E5E2E78A8DE2E5E2EBE0E2E3E39494E3E2E2E2

この動き、やがてはアフリカ諸国で、大きな潮流になるのではないか、と私は思う。これは、中国の経済力もあるだろうが、欧米経済の失速という側面も大きい。ただ、中国がいつまでもこの経済発展を続けていけるとは思えない。インフレが進み、国内の経済格差をいかに鎮静するか。問題は山積みである。中南海の力量、特に次期国家主席と目される習近平の力量に関わってくる。うーん。さてさて…。
玄関前でビデオ撮影中(編集している部屋から撮影)
ところで、昨日エントリーで書いたビデオ撮影と編集のために、今日は午前中だけでも、と出勤した。天候も良く、特別活動部のS先生所有の新型PCの調子も良好で、撮影快調、近日公開!という感じである。私自身は、オープニングとフィナーレの進行表を集中して書いていた。できるだけ生徒だけでやるのが良い。後を他の特別活動部の先生に託して、昼からは妻の病室へ向かった。疲れと空調の良さと、そして妻がいる安心感でウトウトとしたら、結局2時間も昼寝してしまったそうだ。「ガーガー”いびき”かいてたで。」と読書中の妻。…何をしにいったのやら。(笑)

2011年9月9日金曜日

ビデオ編集は怖いのだ。

今、特別活動部では、体育祭と文化祭に向けて、様々なプロジェクトが怒涛の如く進んでいて、校務分掌の仕事の合間に授業に行くという感覚を久しぶりに味わっている。私の関わってるプロジェクトの中で最もやっかいなのが、オープニングとフィナーレのセレモニーで上映するVTRの制作である。あくまで生徒が主体なので、温かく見守りながら、時間との戦いにヤキモキしているのが現状だ。編集には、代々テニス部が関わってくれている。テニス部は、インターハイに毎年のように出場するので、その記念として試合のビデオ編集に慣れているらしい。とはいえ、そろそろとりかからないと間に合わないとのことで、すでに撮り終えたものを今日から編集してもらっている。
オープニングのビデオ撮影のために、新型のビデオカメラをあてがった。取れたものを私がハードディスクに取り込んでいくと編集作業がスムーズにいくので、ここ何日かそういう作業をしている。ところが、私の学校の机上のPC(VISTA)の能力では厳しいのだ。30分くらいかかる。工芸教室の共用のPC(5月16日付ブログ参照/XP)なら3時間かかったりするらしい。
これまでなんとか対応してきた工芸教室の古いPC軍団が、ヒーヒー言っている。記録係の主担のY先生は、PCのストレスで、もうくたくたである。私も、こういうストレスは初めてである。生徒が動かないとか、教師間の人間関係とかは、数々の修羅場をくぐってきたつもりだが、こういうマシントラブルは困る。私自身はコンピュータ自体は苦手ではないが、こういうビデオ編集に関しては全く不如意である。はっきり言って避けてきた。実はやりたくないのだ。その理由は2つある。

第一の理由。高校時代、私は一時、映画をつくるクラブに属していた。極めて芸術的な実験映画で、8mm映画の編集にも関わったことがある。友人が監督した、この8mm映画、なんとベルギーの国際アマチュア映画祭で入賞してしまったのだった。梵字で阿弥陀如来を意味する”キリーク”という文字(これは後に知った)に”TAKOMA”(シアトル南部の国際空港とは全く関係がない。)というタイトルを付けた迷作である。凝りだすととことん凝ってしまうのだ。そんな自分に内在するパラノな芸術家魂が怖いのだ。
第二の理由。工業高校時代、私は担任するクラスで文化祭というとビデオ制作をやっていた。何作か作ったが、『六角ボルトブルース』という作品を編集(アナログのビデオテープの時代である。)している時遅くなって、すでに夜の11時すぎになってしまったことがあった。最後の救急車のサイレンの音入れ中、鳴るわけのないチャイムが、突然校内に響いた。キンコーンカンコーン。「…?」「先生、なんでこんな時間にチャイムがなるんですかぁ?」「…実は、この学校は、病院の跡地に建てられているのだ。」「じゃあ、今のは…。」生徒(当然全員男子である。)と編集作業を手伝ってくれていた機械科のG先生と共に、ギャーと叫びながら、視聴覚準備室から逃げ出したことがある。あれは絶対、学校に住みついた霊の仕業だと今だに信じている。だから、ビデオ編集は…怖いのだ。

ビデオ編集は私にとって、極めて苦手な仕事である。…怖い。

追記:今日は、少し遅くなってしまい、8時前に妻の病室に滑り込むことができました。点滴も取れて、傷は痛むらしいものの、昨日とはうって変わって饒舌になっていました。ちょっと安心しています。

2011年9月8日木曜日

妻の手術の日 かく戦えり

今日は妻の手術の日である。学校へ行くと、特別活動部の女性の先生方から「奥さん、かわいそうですよ。綱引きや棒引きの予選なんかいくらでも代りがいるのに…。今からでも病院にいかれたら…。」と怒られた。(笑)とはいえ、2日続けて休めない。実際、私の特別活動のプロジェクトでは、いろいろなトラブルがあったようだ。やっぱり休むと厳しいものがある。さてさて、昼からの体育祭の予選。暑くてへとへとになった。若い先生方や担任ではない体育の先生方が、ほいほいと手伝ってくれるのである。さすが、タテ社会・体育会系の本校である。女性の先生方の言われたとおりだった。とはいえ、甘えていていはいけないので、特別活動部じいさんとして、精一杯走り回った。走り回って、思い切り…疲れた。(笑)

疲れたついでに、あることに気がついた。右腕の筋肉が痛む。うーん。なにか重いもの持ったかなあ?すると、思いあたった。私の抱えているプロジェクトの1つである。生徒の作業を手伝ったのだった。色研ワーク(要するに折り紙だが…)をクラフトパンチという手動の機械でパッコン、パッコンと一昨日、抜いていたのだ。なかなかストレス解消になる。チーム・ブーフーウー(6月24日付ブログ参照)のウー先生にも手伝ってもらって1時間くらい頑張っていたのだった。それが、遅れて今頃出てきたのだった。うーん。歳を感じる。

やれることをやるだけやって、6時過ぎに学校を出してもらった。手術は無事成功したという連絡を義姉から受けていた。(手術中はさすがに私も気になって仕方がなかった。しかし授業ではそういう不安を一切出さない。いつもどおりである。プロとはそういうものだ。)病院につくと、さすがに術後の妻はしんどそうだった。今日一日はしんどいものらしい。「二度と御免や。」と妻は言った。そうやろうなあと思う。私も傍にはいなかったが、共に戦った一日だったと思う。

2011年9月7日水曜日

世銀,中国にアフリカ誘致提言

世界銀行が、中国に対してアフリカに生産の一部を移転することを提言したと、The Voice of Russia というWEBニュースが伝えている。以下、引用。

世界銀行は、中国経済の行き過ぎを回避し、世界経済の成長を維持するため、中国に対して生産の一部をアフリカに移転することを提言した。世界銀行のロベルト・ゼーリック総裁は、「中国企業がアフリカへ生産の一部を移転するために、中国側との交渉を始めている」と述べている。ゼーリック総裁は今回の動きが、中国の過剰な輸出依存を軽減し、安定成長を作り出していくことを目的とした、世界銀行による中国支援策の一環だと位置づけており、「もしも500万人の雇用を移動させることができれば、アフリカでの雇用が50%改善されることになる。」と指摘している。またアフリカにおいて中国の工業地帯を作り出すことによって、中国とアフリカだけでなく、世界経済の成長もバランスの取れたものになる、とされている。世界銀行のジャスティン・リン・イフ専門家は、この動きに関して、「消費者の需要を刺激し、世界経済の新たな原動力となる」と指摘している。

このニュース、どうとらえればいいのか。極めて難しい。先日(8月21日)、『アフリカビジネス入門を読む』というエントリーの中で、著者の言として「友人の中国人、配偶者の日本人」というアフリカの言葉がある。」と書いた。JICAの頑張りで日本はアフリカのことを真摯に考えていて信用ができると感じている一方で、中国には、少し違う感覚があるのだという言い方である。
アフリカの多くの政府は、中国の経済進出と協力の本音、狙いを自国の資源確保だとよく理解している。全くのギブ・アンド・テイクな関係である。ガバナンスに対する欧米諸国の透明性の要求など、ややこしいことを言わないストレートな中国のアフリカ政策は、これまでの欧米諸国の構造政策強要への不信という記憶から、凄いスピードで受け入れられてきた。
ここで、その欧米諸国がつくった世界銀行が、中国に生産の一部を移転することを提言したのである。今や中国製品のアフリカでのシェアは極めて大きい。中国製品の生産拠点をつくることは、極めて現実的である。これによって、アフリカの現地での雇用が拡大することは大きな意味があるだろう。ただ、中国が生産拠点をつくっても中国人のみの雇用で完結してしまう可能性もある。現に、多くの鉱業生産においては、そういう不満が大きい。果たして、中国企業はうまく現地の雇用を行いながら現地生産を行えるのであろうか。

私は、世銀の一番の狙いはアフリカの雇用拡大よりも、加熱した中国の輸出依存をおさえるとともに、人民元の切り上げのための圧力のひとつではないかと思っている。アフリカに中国製品の工場、それも雇用が大きい縫製工場などができることは願ってもないことだが、果たして、中国の国内事情がゆるすかというと、どうも心もとないと思うのである。

追記1:新政権が、事務次官等会議を週1回の定例とし、自民党時代同様の体制にするとの報道がありました。「真の政治主導」のために必要だ…そうです。これまでの素人政治体制への反省から生まれたものだと思います。うまく官僚を使いこなすことが私も重要だと思います。でもTVニュースで見た事務次官の面々の表情は複雑だったなあ。
追記2:本日は、多忙な中、学校を休み、妻の入院に付き添いました。今日の授業は振り替えてもらいました。私のかんでいる体育祭や文化祭の5つほどのプロジェクトの進み具合が気になるところです。明日は、特別活動部で、綱引きと棒ひきの予選会を午後やりますので、とても手術に立ち会えません。妻もその辺は心得てくれているようですが、私が一人で生きていけるのかの方が心配だそうです。明朝は、生ゴミを出す予定です。(笑)

追記3(9月9日21時45分):「アフリカのニュースと解説」のMiyaさんから丁寧な解説をいただいています。私が、Miyaさんのブログに、この件をどうお考えになりますかと問うたことへの丁寧な返信です。是非下記コメントをご覧ください。

2011年9月6日火曜日

全国の愛煙家よ 団結せよ

渾身の怒りを表した画像デス
謙虚な姿勢で好調な滑り出しを見せている新政権だが、昨日のTVニュースを見て、非常に腹立たしく思った。ニコニコ顔で、たばこ税増税を打ち出し、健康のため増税しますという厚生労働大臣の記者会見を見たからだ。1箱700円?ふざけるんじゃない。全くもって余計な御世話だ。

ところで、JTは、たばこ税を上げるくらいだったら自社株を売却せよと言っている。当然だ。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110906/biz11090616340011-n1.htm
この発言に対して、さっそく財務相が「こちらの所管。たばこ一品目についての増税はバランスを欠く」と反論したらしい。おいおい、だったら昨日の発言は何だったんだ。おばはんの私論?ふざけるんじゃない。そのおかげで、妻と喧嘩になったぞ。「700円になったら禁煙やで。」「なんで?」「1日2箱やで。ひと月なんぼになると思てるのん?」「…。」

毎日新聞の朝刊によると、この素人厚生省は禁煙推進議員連盟の元事務局長だとか。大臣になっての発言と、一議員での発言の重さの違いを弁えていない素人だ。新政権はちょっといい感じなのかと思った矢先の出来事だ。やっぱりあかんな、と思う。素人集団だ。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110906/fnc11090620040016-n1.htm
一刻も早く、こんな大臣は辞めさせてほしいものだ。(怒)

2011年9月5日月曜日

世界陸上でのアフリカ勢健闘

ボツワナのA・モンショー選手
台風の被害が凄い。妻とともにTVを見ながら心を痛めている。大阪はほとんど影響がなかったので申し訳なくなるくらいである。被災者の皆さんに心からお見舞いを申し上げたい。
さて、昨日世界陸上が終わった。そんなに真剣に見ていたわけではないけれど、アフリカ大好き人間としては、ついついアフリカ勢を応援してしまう。(もちろん室伏選手金メダル万歳!であるが…。)

ケニアが、金7・銀6・銅4とメダル獲得数で、堂々の3位はりっぱだ。まさにアッパレである。マラソンを始めとした長距離で独断場であった。エチオピアが、その分沈んで金1・銅4であった。私が注目したのは、ボツワナの金メダルである。女子400mでA・モンショー選手が49.56秒で国内記録を更新した。おそらくボツワナでは大騒ぎだろう。やったねぇ。

私は、こういう世界大会の開会式の入場行進が好き。地理の教師としては、国旗と三文字の国コードで国名を自分の中で当てるのが職業病になっている。(今回は見ていないが…。)小人数で参加する、小さな国や地域の選手をついつい応援してしまう。今回も100mの予選だったかで、ブルキナの選手が出ていた。応援に熱が入るのだが、結局見事に敗退していく。いくら小さく貧しい国でも、こうして国の代表で出てくるくらいの選手だから、少しは恵まれた環境にいる人だと思うのだが、実力が全ての世界だ。己の実力で這い上がってきたのだろう。やっぱり応援したい。

とはいえ、スポーツをやるには金がかかるのも現実だ。強くなるためには、やはりカネなのかなあと思う。南アからジンバブエに向かうバスの中で、マラウイ人のおっちゃんとこんな話をしたことがある。アフリカで最も人気のあるスポーツといえば、なんといってもサッカーだ。「マラウイのサッカーは強いのかい?」「全然だめだ。強くするための金がない。」「…。」「カメルーンやガーナが強いのは、アフリカの中では経済力がある方だからだ。」…なるほど。

確かに、公立の体育系普通科高校にいると、私学との金銭面の差を強く感じる。先日のサッカーの試合の時も、ある私学が自前のバスで来ていた。うーん、こんな環境の違いの中で勝つのは、なかなか難しいなと正直思うのである。公立のスポーツ選手とアフリカの選手たちがなんとなく重なって見えるのだった。

2011年9月4日日曜日

アフリカ農業BOPブログ発見

今月に入って、アフリカの事をまだ何も書いていない。ナイジェリアでも洪水が起こったが、廃棄物などの処理が不十分だったこともあって天災が人災になったとかのニュースもあったのだが、情報不足である。で、アフリカの農業とBOPについて調べていて無茶苦茶良いブログ(今年5月から開始されている)を発見したので、紹介しておこうと思う。

『元居酒屋店員のアフリカBOPビジネス奮闘記』という長い名前のブログだ。長谷川さんというルワンダで農業関係のBOPビジネスをしておられる方のブログである。なかなか面白いし、勉強になる。「アフリカと農業への想い」という私のブログでいう常設ページには以下のようにある。
◆「援助」から「ビジネス」へ 
私たちが途上国への「援助」として行っていることのなかには、実は「商売」にしたほうが、もっとうまくいくことがある……15年前、青年海外協力隊としてタンザニアで農業普及員をしていた経験から、私はそんな考えをもつようになりました。農業普及員には、例えば「トマトの育苗技術を普及する」というような普及目標があって、そのために農家むけの講習会を開いたりします。私が一番違和感を感じたのは、そこに参加した農家が「講習会に参加したのだから、お手当を払ってくれ」と言ってくることでした。私は最初、「大変勉強になったから、お金を払いたい」と言っているのかと思い、笑顔で「お金は必要ありません」などと答えていました。しかし、現地スタッフに「逆だよ。参加したから金をくれと言っているんだよ」と耳打ちされて、愕然とした覚えがあります。私はそして「農家が、自分でお金を払ってでも参加したいと思う講習会を開けるようになりたい。それは、農家からお金をもらう立場になることだ。つまり農家むけの商売として、技術やサービスを提供する立場になることだ」と考えるようになりました。これまで「援助」する側にとって農家は、普及や啓蒙の対象でした。でも農家むけの「商売」をするのなら、農家はお客様です。そうであればこそ、農家 が本当に必要としている技術やサービスを必死で追求し、それを農家が払える値段で提供しようとする努力をするようになるのですだって、農家が受け入れて くれなかったら、自分の商売が存続できないわけですから。
「経営」は居酒屋で学んだ
「アフリカの農家が本当に必要としているものはなんだろう?」私はそれが知りたくて、5年間研究者としてアフリカの農村に住み込み、調査を重ねまし た。途上国の農家ですから、いろいろなモノやコトが不足しているのは確かです。しかし、それは人の知恵や行動で補うことができる。どうやら最も多くの農家 に不足しているものは、「経営」と呼ばれるものではないかと結論しました。「農産物を買い叩かれる」「農産物の価格が安定しない」「売り先がない」「もうからない」「雨や気温などの自然条件に左右されやすい」「優秀な若者 が村をでていってしまう」「病気や害虫にやられてしまう」「収穫量が思うように伸びない」「付加価値を付けた農産物を作りたいが難しい」「新しい技術を取 り入れたいが、よくわからない」などなど。途上国の農家の問題と、日本の農家の問題は驚くほど似ています。ただし、日本の農家には手厚い補助金制度があって、それで収入をカバーできます。それにも弊害があって、補助金づけでダメになる農家もあります。補 助金ををうまく活用するためにも、補助金に頼りすぎない農業をするためにも「経営」が大切なのです。私が調査をしていたタンザニアの農村は半農半牧の農業 でした。貧しい家に生まれても、一代で牛を1,000頭以上蓄える農家もいれば、裕福な家に生まれながら、今は牛も持たず小作人として細々と耕している農 家もいました。これもどうやら「経営」の違いではないか、と考えたわけです。でも私は当時、頭でっかちの研究者でしたから、そもそも「経営」とは何なのか、それがよくわからない。そこで研究者をやめて、優れた経営をしている ことが評判だった居酒屋チェーン「ワタミ」に就職して、居酒屋の店員として経営を学びました。それから転職して、月刊『農業経営者』という業界誌の編集者 となり、多くの優れた農家と会うことで、彼ががどのような「経営」をしているのか取材しました。そしてまた、その読者向けに「農家が自分でお金を払って参 加する講習会」を開催する事務局を担当しました。
そして今、ルワンダで微生物資材を製造・販売する企業で働いています。15年前には信じられないことでしたが、最近では「BOPビジネス」という言 葉が浸透して、途上国の人々を顧客としてとらえることが、ある程度の社会性を持つようになってきました。私が働いているオーガニック・ソリューションズ・ ジャパンという会社でも、ルワンダでどのようなBOPビジネスができるのか調査するためにJICAから支援を頂いております。
◆アフリカ農業は世界の最前線
月刊『農業経営者』の編集者をしていた頃、私はたくさんの農業機械、農業資材、種子、肥料などをあつかう農業関係の企業の方々とお話をしました。そ のなかで日本の農業界や、そもそも日本人の胃袋そのものが、将来的に縮小していくことに危機感をもっている方々が、たくさんいました。一方で、世界に目を 向ければ新興国・途上国の人口はどんどん増えており、農業機械、農業資材、種子、肥料のニーズは、どこにでもあります。アフリカはその最前線ではないで しょうか。しかし、これら日本の農業関係の企業が途上国やアフリカに進出している例はほとんどありません。これらの企業のなかには、アフリカをはじめ途上国の 農業に役立つ技術が、たくさんあります。そして高い技術力や経営力のある農家や農業法人もたくさんあります。私のアフリカでのビジネス経験を紹介すること で、一人でも多くの日本の農業関係者が途上国をビジネスのフィールドとしてとらえ、海外進出する参考にして頂ければ幸いです。

この長谷川さん、私が探していた人だ。政治経済の授業で、近々アフリカの農業のまとめとして、ダイヤモンド・ランキングをやろうと思っている。9つの改善点(肥料をまくようにする、農薬をつかうようにする、灌漑設備などのインフラを政府が整備する、農業関係の学校をつくる、BOPで農家が購入できる安価な灌漑設備を販売する)などを提示して、生徒に考えさせようと今、思っている。そこでBOPについて講義したいと考えている。このブログ、注目である。本日より我がブログにリンクしたい。
http://eijipress.co.jp/hasegawablog/

サッカー部の試合を見に行く

エンジ色のユニフォームが本校。後ろで控え選手が応援する。
このところ、ザック・ジャパンのW杯三次予選北朝鮮戦、なでしこ・ジャパンの五輪予選韓国戦などTVでのサッカー観戦の日々が続いている。何を隠そう、私はサッカー部の顧問歴が一番長い。サッカー経験はなくド素人だが、専門の先生にだいぶ教えを受けたので、フォーメーションの良しあしはわかる。こりゃあかんと思ったらゴールされるし、こりゃいけると思ったらゴールする。そういう感覚はある。

前から本校のサッカー部の試合を見に行きたかった。サッカー部の生徒は野球部に次ぐ大所帯で、教えている生徒も当然多い。サッカーのメインの大会は正月の高校選手権だ。というわけで8月後半からその予選開始、野球部などよりはるかに3年生の引退が遅くなるのである。今日は、本校サッカー部の予選初陣。相手は府立のN工科高校である。自宅から車で30分弱の高槻にある府立高校グランドが試合会場だった。

左サイドをえぐり、この後得点
前半5分。「あ、いける。」と私が感じた瞬間、ゴールが決まった。さらに5分後、2点目。さらに3点目。相手のN工科高校は決して下手ではない。なかなかうまい選手が多いのだが、60人以上部員がいて、全員がサッカーをやるため本校に入学したという生徒たちだ。しかもその中のトップチームである。公立相手ならそう簡単には負けない。前半の終了間際、相手の無茶苦茶良いシュートが決まってしまい、3対1となった。よく見ると、政治経済の授業でいつも良い反応をしてくれるキャプテンのK君がベンチスタートしている。3年、キャプテンといえど、調子が悪いとこうなるそうだ。今回の先発には、2年中心。1年も3人入っている。まさに実力で勝ちとるトップチームなのだそうだ。

後半は、相手チームの動きが良くなった。こう着状態を相手のゴールが破った。3対2。おいおい、私が来たから負けるなんてことないよな~と思った。ラグビー、野球と私が見た試合はすべて負けている。校長から行くな!と言われているくらい”ビンボー神”扱いされている。だが、ここで監督が動く。どんどん選手を替え、キャプテンも投入された。その辺から一気に3点を取って、突き放したのだった。「お、いける。」「これは面白い。」と思うと点が入るのである。最後はループシュートまで決まった。これはフォーメーションではわからなかった。(笑)
6対2。一時はどうなるかと思ったけれど、結局実力差を示したのだった。サッカーの試合では終了直後、必ず相手チームのベンチに挨拶しにいいく。N工科のキャプテンが号泣していた。彼にとって3年間のサッカーが終わったのだ。いつもながら、私はこういうシーンに弱い。そういえば、前々任校でも、毎回キャプテンが最後の試合で負けて涙を流していた。それだけ人を引っ張っていくことは大変なのだ。だが、それこそが成長の糧である。真剣に取り組んだからこそ流せる涙が、そこにある。

2011年9月3日土曜日

NZ ネーピアというメッセージ

街のガイドのおじさん
月初めであるので、例のダリ的理由から、もうひとつエントリーを書きたい。昨夜、NHKで『世界ふれあい街歩き』を見た。ニュージーランドのネーピアという街である。ネーピアは、ニュージーランドの北島の東南に位置する港町である。私は、この番組が大好きである。地理の教師だからというのもあるけれど、是非ともこういう旅がしたいという想いがある。名所・旧跡も名物もいいが、やはり私は旅では、”人間”を見たい。

さて、毎回見るこの『世界ふれあい街歩き』のことを書くかというと、昨夜の放送の企画が極めて素晴らしいと思うからなのだ。このネーピアという街、アールデコ風の街で美しく、ニュージーランドの人々も優しく感じがいいのだが、そういう表面的なトコロではない。実はこの街、1931年2月に地震が起こり、ほぼ壊滅したという歴史をもっているのだ。番組の導入で、多くのきれいな建物に1931とか1934とかいった数字が書かれていることの発見がある。街の人に聞くと、地震の話が出てくるのだ。やがて街の再建にあたってアールデコ風の建物を建てたことがわかる。アールデコ風の商品を並べる店で地震を体験したおばあさんがさりげなく、地震について語る。あくまでさりげなく…である。当時最新の建築様式だったアールデコを導入することで、「みんなを元気に」が合言葉だったという。

もちろん美味しそうな蜂蜜の話やクラシックカーのガイドさん、美しい丘の夕日など見どころも万載だったが、私は、このさりげない地震の話…製作者の東北への応援メッセージだと確信した。そう、あくまで、さりげなく…。
http://www.nhk.or.jp/sekaimachi/gtv/detail/housou.html
地震から立ち直り素晴らしい街をつくった”ネーピア”というメッセージ。素晴らしいメッセージだと私は思う。東北の多くの被災した港町のみなさんには、是非こんな街に再建して欲しいものだと思う。

台風接近 遅いランチ

なかなかタイトな休日である。夫婦ともども、枚方市駅近くのNクリニックに薬をもらいに行き、H城鍼灸院へ週一の身体のメンテナンス。その後、妻の入院に備えて、いろいろと買い物に出かけた。入院中の備品、衣料やタオル、それに読書用の本…。(妻は3冊ほど購入したようだ。)TVでは和歌山や奈良、徳島など台風の凄い被害が報道されているが、大阪は風が強くて、”車のクーラーはいらんな、ガソリン代もったいないから窓開けよ”くらいである。

で、用事がすべて済んだので昼食をとることにした。前から気になっていた近所のレストラン。自家製のパン食べ放題というのが売りのイタリアンである。今日のランチは『チキングリルのデミソース』980円。なかなかおいしい。パンも種類があって、しかも氷水に入れられたバターやメイプルシロップや黒コショウなどわき役もしかっりしていて、おいしい。

今週の水曜日から妻が入院する。学校の方が忙しくて、入院の日休むのが精一杯である。手術当日は妻の姉に付き添いをお願することになった。妻に聞くと実際のところ1時間くらいの手術なのだが、全身麻酔をするので身内の付き添いが必要なんだそうだ。私自身は、入院の経験すらないので、さぞかし不安かと思いや、妻は元気である。さすがに、一時は『がん』の疑いがあるとのことで、本ブログの読者でもあり、現在ドミニカ共和国にJOCVとして派遣されているLily君の勤めていた病院で核物質を体内に入れてスキャンする検査(2時間くらいかかった)を受けて、結果がわかるまでは夫婦ともども不安だったけれど、全く問題がなかった。

妻はレストランの人と支払い後、談笑していた。レストランの内部は、ビリケン(大阪の通天閣にあるアメリカからきた神様?キャラクター?)や古い外国のポスターやj機械が所狭しと飾られていて、「お父さん、お父さん、ジョンのでっかいポスターがあんでぇ。」妻は元気である。まあ、こんな調子でこの波を乗り越えることになるだろう。

2011年9月2日金曜日

宝島社の新聞広告のこと

本日2つ目のエントリーである。朝モーニングで、朝日新聞(日経は他の客が見ていたようだ。)を開いて、ぎょっとした。見開き全面広告である。自宅に帰ったら毎日新聞にもあった。うーん、やっぱりぎょっとした。マッカーサーが厚木に到着した白黒写真をバックに「いい国つくろう、何度でも。」という明朝体のコピー。右下に「宝島社」とある。後の説明は何もなし…。

すでに、WEB上には、宝島社のコメントが出ていた。
敗戦や災害など、これまで幾度となく苦境に直面してきた日本。 日本人はそのつど、不屈の精神と協調性を武器に国を建て直してきた歴史があります。世界のどこを見ても、これほどしぶとく、強い生命力を秘めた国民は存在しないのではないか。そんな気さえするのです。『いい国つくろう、何度でも。』この投げかけを通じて、日本人が本来持っている力を呼び覚ましてみたいと考えました。』

震災復興へのメッセージだという。ふーん。6月から準備していて、たまたま新政権誕生の日に掲載されたが、偶然だという。ふーん。ツイッターなどでは、「最高にブラック」という感想があったらしい。実は私の感じ方も、それに近い。宝島社の本は、別冊宝島などだいぶ持っているが、その斬新な切り込み方が面白いと感じていた。このコピーには、新政権を始めとした最近の日本の政治状況を揶揄したものと見るのが妥当だと私は思う。「戦後の日本は、事実上アメリカの51番目の州だ。誰がやっても同じだよ。」という呼びかけに聞こえるのだ。

宝島社の”公式な意図”とはズレるかもしれないが、私は外交面を中心に日本はアメリカの意図に逆らえない立場にあると思っている。日米安全保障条約は、冷戦下で、軍事力にカネを注がず経済発展を図ると言う吉田茂以来の大方針であり、これを取り払うことは今や至難の業であると私は思う。宝島社の新聞広告は、そういう外交・軍事面での揶揄とともに、震災のもうひとつの大問題である原発についても揶揄しているのではないかと私は深読みする。日本の原発は、アメリカのGE(ゼネラル・エレクトロニック)を中心とした勢力が推進したものだからだ。

マッカーサーが厚木に降り立った写真をどう見るか、これは個人個人の感性の問題だ。私の感性は、やっぱり”アメリカの影響力下にある日本”と見てしまう。新政権誕生の日ゆえ、よけいにそう感じるのである。

さて、みなさんはどう感じられますか?こういう論議を起こすことが宝島社の本当の意図かもしれませんねえ。

台風接近 汗をムチャかいた日

今日の画像はなんとなくヒデヨシ
台風12号が近畿に接近している。朝から凄い風だったので、駅から歩いた。折れた街路樹の枝が学校の前の道をコロコロと転がっていく。おいおい。そんなわけで、学校の外へ出ると、ムチャ涼しい。反対に学校の中は、職員室も教室も一応クーラーが効いているのだが、節電の関係もあって外より暑く感じたりする。世界史は、マラトンの戦いやサラミスの海戦などを、ついつい熱く語ってしまうので、無茶苦茶汗をかいてしまう。ダラダラと汗が流れ、ハンカチで拭いても拭いてもだめである。
放課後、食堂にポカリスエットを買いに行ったら、2年生の女子生徒から、「センセ、凄い汗ですよ。ポロシャツの色が変わってます。」と言われた。全く気付かなかったのだが、ロッカーで脱いでみると、肩から胸にかけてオネショしたみたいになっていた。今日はブルーのポロシャツなので、アンダーシャツを着ていなかったのだ。あちゃー。これは美しくない。私はオシャレをするような人間ではないが、不潔な服装は好まない。とりあえずTシャツとジャージに着替えたのだった。でも暑い。何もしていなくとも汗がダラダラ。喫煙に外に出ると、風が吹きつけて汗がひく。うーん。自律神経失調症なのかなあと心配になる。妻は「男の更年期じゃ」と笑った。

その妻が、来週から入院することになった。胆石を手術するのである。わが夫婦は高校の同級生なので、お互い身体については、ボチボチとガタが来ているようである。放課後、特別活動部の仕事が多忙な中、時間休をとって共済組合(大阪府庁別館にある)に、妻の手術に関係する書類を提出に行ってきた。強烈な湿気に外気が汗をまた呼ぶ。電車内の冷房にふれると汗が引く。この繰り返しである。ああ、うっとうしいなあ。

ところで、今日はそんな”うっとうしさ”を吹き飛ばす光景にも出会った。1つ目は、昨日のミシン事件の決着である。朝一番に関係者(団長・生徒会・衣装係の生徒)が、職員室にやってきた。手には反省文をもっている。美術の先生にお詫びにきたのだ。その姿勢もさわやかである。私が、衣裳係の生徒に「これで一件落着。審査(劇の良しあしを点数化する)には影響しないからね。」と声をかけると、思わず目がうるんで「ありがとうございます!」と微笑んだ。高校生の純粋で真剣な取り組み。いいなあ。
2つ目は、いつもの公園で喫煙していた時の光景。公園を一周する500mの散歩道を陸上部が走っている。凄い風である。雨も強くはないが、風に流され右に左に吹き付けている。こんな中、長距離の練習なのだろう、雨も風もなにするものぞ。無表情にひたすら走っている。私は、そんな生徒の健気な姿に感動した。いいなあ。晴れてる日に頑張って走っている姿も美しいが、今日のような悪コンディションでも自らを鍛える毅然とした姿に感動したのだった。

2011年9月1日木曜日

小事が大事 「ミシン事件」

本校の団活動用のコンピュータがある工芸教室(5月16日付ブログ参照)は、放課後になると、団やクラブがビデオを編集したり、音楽CDを作ったり、はたまた団旗や演劇の衣装を作ったりと、なかなか便利な部屋である。この工芸教室で、事件があった。この教室でも美術の授業が行われるのだが、担当の非常勤講師の先生から、「机の上にミシンが2台置いたままになっています。」という連絡が入ったのだ。美術の先生と私がかけつけ、とりあえず教室の隅に片付けた。講師の先生はやさしい方(ちなみに私の高校のだいぶ後輩である。)で、勝手に片づけてもいいでしょうかというニュアンスだったらしいのだが、私はイベントの過程で起こる無責任な行動には厳しく対処する。ミシンは、生徒会が貸出て、生徒会室に返すシステムになっている。工芸教室にそのまま放置するなどというのは論外である。

放課後、すぐさま生徒会を読んでミシンの貸出を禁止した。『小事が大事である。』ちょうど、団長を集めてのミーティングもあったので、団長にも私の考えを伝えた。「団長は団の全ての責任を負うこと。でないと団長ではない。今回の事件は団長が決着をつけるように。」彼らはきっぱりと「ハイ!」と答えた。このへんの呼吸が本校の良さである。見事な体育会系である。(笑)

さて、すぐにこのミシン事件の全貌がわかった。生徒会の総務の生徒が自分のクラスの衣装係に貸出たものだったのだ。彼は、「自分の責任です。貸出のシステムをきっちり伝えず、返却を確認していなかったから起こったことで、全て自分の責任です。」と言う。衣裳係の女子も神妙に「私が悪いのです。」そのクラスの団長は「いやいや、私に全ての責任があります。」3人で真摯に謝りにきたのだった。特別活動部長のO先生と、美術のS先生にも指導を受けにいくよう伝えた。もちろん担任の先生にも学年主任にも報告した。

私は、イベントは人づくりだと思う。様々な場面で生徒はミスをするし、喧嘩もおこる。同じ高校生でも、様々な考えがあって、様々な人間模様がある。リーダーは「人を動かす難しさ」を体感する。それでいいのだ。ミスがあってもいい。「自分の責任です。」とリーダーはミスした生徒を守ればこそ、人はついてくる。彼らはいい勉強をしたと思うのだ。明日、ミシン貸出を再開する予定だ。