2011年9月9日金曜日

ビデオ編集は怖いのだ。

今、特別活動部では、体育祭と文化祭に向けて、様々なプロジェクトが怒涛の如く進んでいて、校務分掌の仕事の合間に授業に行くという感覚を久しぶりに味わっている。私の関わってるプロジェクトの中で最もやっかいなのが、オープニングとフィナーレのセレモニーで上映するVTRの制作である。あくまで生徒が主体なので、温かく見守りながら、時間との戦いにヤキモキしているのが現状だ。編集には、代々テニス部が関わってくれている。テニス部は、インターハイに毎年のように出場するので、その記念として試合のビデオ編集に慣れているらしい。とはいえ、そろそろとりかからないと間に合わないとのことで、すでに撮り終えたものを今日から編集してもらっている。
オープニングのビデオ撮影のために、新型のビデオカメラをあてがった。取れたものを私がハードディスクに取り込んでいくと編集作業がスムーズにいくので、ここ何日かそういう作業をしている。ところが、私の学校の机上のPC(VISTA)の能力では厳しいのだ。30分くらいかかる。工芸教室の共用のPC(5月16日付ブログ参照/XP)なら3時間かかったりするらしい。
これまでなんとか対応してきた工芸教室の古いPC軍団が、ヒーヒー言っている。記録係の主担のY先生は、PCのストレスで、もうくたくたである。私も、こういうストレスは初めてである。生徒が動かないとか、教師間の人間関係とかは、数々の修羅場をくぐってきたつもりだが、こういうマシントラブルは困る。私自身はコンピュータ自体は苦手ではないが、こういうビデオ編集に関しては全く不如意である。はっきり言って避けてきた。実はやりたくないのだ。その理由は2つある。

第一の理由。高校時代、私は一時、映画をつくるクラブに属していた。極めて芸術的な実験映画で、8mm映画の編集にも関わったことがある。友人が監督した、この8mm映画、なんとベルギーの国際アマチュア映画祭で入賞してしまったのだった。梵字で阿弥陀如来を意味する”キリーク”という文字(これは後に知った)に”TAKOMA”(シアトル南部の国際空港とは全く関係がない。)というタイトルを付けた迷作である。凝りだすととことん凝ってしまうのだ。そんな自分に内在するパラノな芸術家魂が怖いのだ。
第二の理由。工業高校時代、私は担任するクラスで文化祭というとビデオ制作をやっていた。何作か作ったが、『六角ボルトブルース』という作品を編集(アナログのビデオテープの時代である。)している時遅くなって、すでに夜の11時すぎになってしまったことがあった。最後の救急車のサイレンの音入れ中、鳴るわけのないチャイムが、突然校内に響いた。キンコーンカンコーン。「…?」「先生、なんでこんな時間にチャイムがなるんですかぁ?」「…実は、この学校は、病院の跡地に建てられているのだ。」「じゃあ、今のは…。」生徒(当然全員男子である。)と編集作業を手伝ってくれていた機械科のG先生と共に、ギャーと叫びながら、視聴覚準備室から逃げ出したことがある。あれは絶対、学校に住みついた霊の仕業だと今だに信じている。だから、ビデオ編集は…怖いのだ。

ビデオ編集は私にとって、極めて苦手な仕事である。…怖い。

追記:今日は、少し遅くなってしまい、8時前に妻の病室に滑り込むことができました。点滴も取れて、傷は痛むらしいものの、昨日とはうって変わって饒舌になっていました。ちょっと安心しています。

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