2013年2月27日水曜日

日経 英語で笑わす「はとバス」男

はとバスのHPより 外国人向けのツアー案内
今朝の日経の最終面、文化の欄に『英語で笑わす「はとバス」男』という記事が載っていた。通訳案内士/東京近郊はとバスツアーでガイドを務める佐藤卯一さんの話だ。これがなかなか面白かった。

バスに乗る前から、英語で笑わせる仕事は始まる。搭乗券を確認する時、「2B」の番号を持つ人に順番が回ってきたら、「トゥービー」なので、すかさず「To be, or not to be.」とつぶやくらしい。シェイクスピアのハムレットの有名なセリフ(生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。)である。なるほど。欧米人なら知らない人はいない。毎回大ウケするらしい。

皇居で楠木正成の銅像を見て、「誰?」と聞かれたら、「トム・クルーズです。」(映画ラスト・サムライにひっかけている。)「OH」と受けるらしい。もちろん正確な説明もするが、最初からそういう硬いガイドをするよりはるかに良い。お客さんは勉強のためではなく、楽しむために旅をしているのだと、佐藤さんは考えている。

バスの集合時間に時間前に集まるのは欧米人のお客は苦手だ。そこで、「バスは10時ちょうどに出発します。1分過ぎてもバスはいません。乗り遅れた人はあそこの素敵なホテルに自費で泊まって下さい。」と言うと乗り遅れる客はいなくなったそうだ。

ウソでは人は笑わない。「言われてみればそうだね。」くらいがいいらしい。東京に来た客は人の多さにびっくりする。「東京の人口は?」と聞かれたら、「日本の人口は、とてもよく管理されています。1億2345万6789人です。その約10%が東京の人口なので、1234万5678人と0.9人です。」
「日本の女性はなぜスリムなの?」と聞かれれば、「満員の通勤電車に乗りづらいからです。」
「東京はピカピカの車しか走っていないね。」と聞かれれば「日本のビジネスマンのステータスの象徴として車を所有します。汚い車ではガレージの飾りになりません。」

…こういうウィットに富んだガイドさんがいるのだった。私は特に最初の『2B』の逸話が好き。シェークスピアは、聖書、ギリシア神話と並んで欧米人の教養の中核である。日本では、シェークスピアはおろか、聖書もギリシア神話も、高校では全く学ぶ機会がない。(私は聖書は詳しく教えるが、ギリシア神話までは手が届かない。)欧米で通用する教養ある人材を育成するのなら、、これらは文系理系に関わらず、大学ではきっちと抑えるべきものだ。

もし、使える機会があれば「2B」のギャグ、是非とも使ってみたい、と思うのだった。

2013年2月26日火曜日

レンティア国家 赤道ギニア

平野克己先生の「経済大陸アフリカ」、物凄く面白い。今日は第2章の「資源開発がアフリカをかえる」の記述から、赤道ギニアの話をエントリーしたい。第2章の内容のポイントを挙げるためのイントロダクションとしたいのだ。

1973年の第四次中東戦争以後、石油メジャーは中東における上流権益を失った。1980年以降石油低価格時代の供給増を北海油田や北米油田がささえた。しかし90年代後半から石油メジャーは新たな権益を求めて各地で探査に乗り出す。アフリカにおいて、この最初の一歩となったのが赤道ギニアだった。スペインの植民地だった赤道ギニアは1980年代末の時点で、1人あたりGDPが$300台の最貧国で、旧宗主国から1人あたり$150のODAを受けて命脈を保っていた。独裁政権だったが、ある意味では安定しているわけで、エクソン・モービル社によって海底油田の開発が進められた。わずか数年でGDPと同額の原油を輸出する産を油国となり、98年からは天然ガス生産も始まり、年平均40%を超える成長率で成長し続けた。今や韓国並みの1人あたりGDPである。その一方で乳幼児死亡率は未だに10%を越えており、平均寿命は50歳に満たない。今でも1人あたり$50のODAを供与されている。1人あたりのGDPが2万ドルを超える国でODAを受けているのは世界中で赤道ギニアだけだ。「開発なき成長」「資源の呪い」の典型である。

このような極端な例だけでなく、スーダン、アンゴラ、チャド、モーリタニアといった国で石油開発が進展した。ウガンダやガーナでも油田が発見され大規模投資を呼び込んでいる。またギニアやモザンビークの鉄鉱石、タンザニアの金、ナミビアのウラン、ザンビアの銅、マダガスカルのニッケルなど鉱山開発投資がアフリカに流入している。こういう、レント(資源産出から税金やロイヤリティを通じて徴収する収入)を主要な収入源とする国の経済は、資本主義経済とは違った原理が働く。このような国家を「レンティア国家」と呼ぶ。そもそも中東産油国を想定したものだが、そこにはレント収入の確保と分配が国家運営の基軸となり、生産志向の希薄な、国家主義的で保守的な政治が行われ、開発よりも権力維持のためにレントを使うようになるので、消費性向が高い、現状維持的で開発志向に欠けた政府が出来上がるとされる。

アフリカにだけ目を向けているとわからない、極めて重要な視点である。アフリカでは、こういう資源開発がどんどん進められていてニュースになる。それらは「レンティア国家」となり、開発を忘れた国家(貧困を撲滅する気がない国家といってもよい。)になっていくわけだ。うーむ。

2013年2月25日月曜日

立花隆「天皇と東大」を読む Ⅳ

立花隆「天皇と東大」、やっと第2巻を読破した。第2巻の後半戦は、血盟団事件の話がその主軸となる。東大の学生であった四元義隆がこのあたりの主人公格である。前回のエントリーでも書いたが、四元義隆は中曽根元首相や細川元首相の相談役として有名な右翼である。

驚いた記述があった。(連合赤軍の)重信房子の父親が、血盟団(というか、井上日召・四元・池袋正釟郎ら)に関わっていたのだ。話は少しややこしい。池袋(西園寺公望を暗殺する予定だった学生)の中学校時代からの親友が重信父だった。当時代用教員をしていた彼を、安岡正篤の私塾から生まれる日本農士学校に入れようと上京させた。その教授となる伊藤・渡邊という人物は、重信父と同年代で、以後のことを考えるとうんと抑えようとかなり無礼な態度をとったようである。それに激怒し、もともと安岡が口だけだと軽蔑し、飛び出すつもりだった四元と池袋、これに井上も入って彼らをボコボコにシバいたらしいのだ。ところで、重信父自体は大人しい人であったので血盟団事件には関与していないらしい。(池袋の裁判での上申書に詳細に記されているという。)

重信房子は、父の事を著作の中で次のように書いている。『67年の羽田闘争(佐藤首相の訪米を阻止する闘争)の後だったと思う。泥まみれになって帰った私に、父が言った。「房子、今日の闘争はよかった。だけど、あれには、人を殺す姿勢がないな。」私は驚いて、酒の盃を手にしている父をみつめた。(中略)父は続けた。「2.26事件にしても、血盟団にしても、歴史はあとで右翼だとか何とか言うが、我々は正義のためにやったのだ。政治家が腐敗していたから、我々が権力を変えて、もっと人民がうるおえる社会にしたいと思ってやったのだ。房子は、今左翼だといわれているけれども、とにかく、自分が正しいと思うこと、これが正義だと思うこと、それだけをやれ!」…「物知りにだけはなるな。」ものごころついたころからよく聞かされた父の言葉である。』

血盟団事件について、立花隆はこれでもかというほど綿密な史料で詳細に説いていく。この血盟団事件+5.15事件が、議会から軍へと権力移譲し、左翼から右翼への分水嶺となっているからだ。この辺の現代史は久しぶりに熟読した。なかなか複雑である。陸軍の桜会の十月事件の話とか、血盟団の方向性を決めたのは、井上日召ではなく海軍の藤井斉(上海事件で戦死)であるとか、団琢磨暗殺後、井上日召は頭山満の屋敷に隠れていたとか、血盟団は維新後を北一輝の国家社会主義でなく権藤成卿に託していたなど、多くの学びがあったのだった。

こういう昭和初期の社会思想を高校の日本史で語るのはかなり難しい。だが、教える方は知っていないと大局が見えない。明日から3巻に突入する。

2013年2月24日日曜日

Amebaピグワールドhousetrailer

このところ、ハードなエントリーが続いている。ちょっとライトに、Amebaの話を書きたい。私は昨年からピグライフという庭いじりのゲームを楽しんでいる。(ラベルの「Amebaピグライフ」参照)その後ピグアイランドという島を舞台にしたゲームやピグカフェというゲームもスタートした。(私自身も一応スタートしてみたが、どうものらなかったので初期状態のまま、ほったらかし状態である。)昨年末には、ピグワールドという、昔PCゲームではまったシムシティのような町づくりのゲームが始まった。これは、なかなか面白い。(もちろん課金しないで頑張っている。笑)

ピグライフ同様、様々なイベントがある。今行われているのは、何故か50年代のアメリカ風の家を増やしていくというイベントである。私はこういう半強制的なイベントは嫌いなのだが、クリアーするとトレーラーハウス(和製英語:米語で無理やり言えばhouse trailerと逆になる。)を建てることができるというので、ついつい頑張ってしまうのだ。(笑)実は、私はトレーラーハウスに大きな憧れを持っている。

息子が小学生の頃(20年ほど前になる。)、北海道を何度も旅した。十勝の更別村のオートキャンプ場に、トレーラーハウスがあることを知って喜び勇んで予約した。しかし行ってみたら1日ずれていて結局泊まれなかったという悔しい経験もある。
更別村のオートキャンプ場のトレーラーハウス
アメリカで初めて自分でハンドルを握ってドライブしたのは、サウスダコタ州ラピッドシティ近郊のR80である。この道では、多くのキャンピングカーを見た。いや、自走するキャンピングカーというよりけん引されたトレーラーハウスが多かった。また、各地のアメリカの住宅には、広い庭に、どでかいトレーラーハウスが置かれていて、住んでいるのか、休日用なのかわからないが、とにかく圧倒的なアメリカの豊かさと自由への渇望(アメリカ人は自由を求めて移動することを厭わない。この辺、先祖代々の土地にしがみついて来た日本とは大きく異なる。)を幾度となく見せつけられたのだ。トレーラーハウスは、ある意味、現代の幌馬車であり、アメリカの自由への意志の表れであると私は思っている。

いいよなあ、トレーラーハウス。せめてトレーラーハウスに一度くらい泊まってみたいもんだ。

「経済大陸アフリカ」を読む2

完読してからエントリーをしようと思っていたのだが、平野先生の「経済大陸アフリカ」、新書だがとても1回や2回のエントリーで対応できないほどの内容の濃さである。そこで今日は、第1章の「中国のアフリカ攻勢」のみを整理してみる。これまで、多くの中国のアフリカ進出へのアプローチを読んできたが、おそらく全てが先進国やアフリカからの視点である。平野先生は何故中国がアフリカに進出しなければならないのかを数々の資料を挙げながら詳細に論じられている。そのポイントを整理してみた。

すでに中国は世界の工場である。製造業生産、商品輸出ともに世界一となった。しかし、平野先生は中国は未だ開発途上国である、と断言されている。先進国がくぐりぬけてきた多くの問題を未だ抱えているし、先進国に比べそれだけ不安定だということになる。その最大の問題が、エネルギー効率で、先進国並みの産業構造や技術基盤をもたない中国は資源エネルギー効率で著しく劣る。単位GDPあたりエネルギー消費量、すなわち付加価値1単位を産出するのにどれくらいのエネルギーが使われているのかを2008年で比較すると、アメリカのおよそ3倍、日本の4倍以上のエネルギーを中国は必要としている。こんな効率の悪い国が世界の工場になってしまった。この変化がグローバル経済の最大の問題なのである。しかも1人あたりのエネルギー消費量はアメリカの5分の1、日本の3分の1であるから中国の所得水準の上昇によって、さらに莫大な資源消費が見込まれるわけだ。

中国のアフリカ進出の最大の目的は、この膨大な資源エネルギーの囲い込みにある。まさに自国経済の存立にかかわる国家安全保障上の課題。中国は、1999年にその対アフリカ基本方針を定め、翌年にはFOCAC(中国アフリカ協力フォーラム)を開催した。先輩にあたる日本のTICADとは趣が全く違い、ずばり投資と商談の場となった。中国の対アフリカ政策は、1つの中国の原則で台湾を排除すること。(現在も台湾と国交があるのは、ブルキナファソ、ガンビア、サントメプリンシペ、スワジランドの4カ国になってしまった。)さらに内政不干渉を意味する国連憲章の目的と原則を順守することの2つである。ビジネス=援助ミックスによって以後10年間、かつてイギリスやフランスが成しえなかった広範な関係を構築する。

アフリカで資源を得、その結果経済成長し、消費財需要が増加したアフリカにあらゆる工業商品を輸出し回収する。このWin-Win関係を、先進国は「新植民地主義」とこぞって批判した。平野先生は、様々な論点からこの「中国=新植民地主義論」を批判している。曰く、中国のアフリカ政策の収支は現状ではむしろ赤字。潤っているのは今のところアフリカ側。悪しきガバナンス政府に対する中国の内政不干渉に対しては、「開発途上国はやがて民主化して先進国のようになっていくべき」という価値観の上に成立している論議で独自の政治体制をもつ中国政府は共感しない、と主張している。

さらに私が最も懸念している中国の進出が現地雇用を生まないことに対して平野先生は、アフリカの労働コスト(アフリカの正規の工場労働者の賃金はかなり高い。)や質の問題を指摘する。中国企業はインフラ建設を低い費用と短い工期で受注する。残業や休日出勤に耐え、中国語のマニュアルを理解できる現地労働者はいないというわけだ。

…なるほど。うすうす感じていた事を見事に整理していただいた。アフリカの開発経済学を中国側から見るとこうなるのである。欧米が作り上げた開発経済学の様々な理念をぶっとばす、中国の切実なエネルギー確保への先見の明。これが、今のアフリカと中国の関係を作りあげた。まさに歴史的必然であるわけだ。

2013年2月22日金曜日

サントメ・プリンシペの固有種

サントメ・プリンシペの記事が、Global Voiceに載っていた。サントメ・プリンシペという国、ギニア湾に浮かぶ島嶼国である。昔、JICA大阪で、この国の研修員さんと会ったことがある。「Where is your country?」と聞くと、「サントメ・プリンシペだ。」と言ったので、「Oh, on the GINIA sea.」と凄い英語で言うと、彼は大喜びしてくれて、握手を求めてきた。「君は、私の国を知ってくれていた2人目の日本人だ。」たしかに日本での知名度はムチャ低い国だ。台湾を承認している数少ない国のひとつで、台湾人は日本人よりはるかに歓迎されるらしい。(と、「観光コースにないアフリカ西海岸」という本に載っていた。この本を読んでいたのでこの国の事を知っていたのだった。)元ポルトガルの植民地で、カカオ生産で有名。

記事を読んで初めて知ったのだが、このサントメ・プリンシペは、WWFによって生物多様性の面で重要な地域200に選ばれている。固有種の鳥が25種いるそうだ。これは飛び抜けた多さで、8倍の面積をもつかの有名なガラパゴス(22種)を越えているという。もしダーウィンが、サントメ・プリンシペに来ていたら夢中になったに違いないという新聞記事が出たほど貴重らしい。

ところが、パームやしのプランテーション建設が進んでいるようで、一気に環境破壊が進んでいるという。パームやしは、マレーシアやインドネシアの例もあり、極めて評判が悪い。栽培によってその土地の地力を奪い、油脂加工工場は深刻な環境破壊を呼び起こす。

一部のプランテーション経営の外国企業と汚職政治家が儲かるだけだとも言われている。うーん。なんとかならんのか、と私も怒りを感じる次第。これらの固有種は貴重な観光資源として生かした方がはるかに現地雇用を生み、経済的効果を生むと思うのだが…。
http://jp.globalvoicesonline.org/2012/10/27/17349/

2013年2月21日木曜日

日経 稲森和夫氏の数字

今朝の日経の第二面「迫実」が面白かった。このところ、稲森和夫氏の話が載っている。稲森氏は私がよく行く京大のアフリカ地域研究資料センターの入っている建物を寄贈した人物であり、京セラ、KDDIの経営者としても有名である。このところの話は、JAL嫌い(ANA好き)の稲森氏が名誉会長に逡巡しながらも就任することになり、経営を立て直す話である。

稲森氏は就任後、全社の業務報告会を開く。各責任者に問題点をビシビシ指摘するので、担当者はかなりまいったらしい。80歳にもなる稲森氏が、A3版の細かな数字が並ぶ書類をなめるように見て指摘するのだ。現在のJAL社長である植木氏も、本部長時代かなり指摘された経験をもつ。「パイロットが使うヘッドセットの修理代は何故増えているのか?」この質問に答えられず辟易としたらしい。以後各責任者は何を聞かれても答えられるよう現場に入り、報告会に備えるようになったという。

稲森氏は約100社ある子会社の社長とも面談した。月月火水木金金。休日は関係なしで、朝から晩までぶっとうしだったそうだ。稲森氏曰く「細部を見なければ全体は見えない。」

さて、今日のエントリーの主題。植木氏はある時、稲森氏に質問したそうだ。「(A3版の書類の膨大な数字の列の中から)何故問題となる数字が見えるのですか?」稲森氏曰く「おかしなところは、向うから数字が目に飛び込んでくるんや。」

植木氏は34年のパイロット歴をもつ。コクピットに座ると、異常な数値は探さなくとも目に飛び込んでくるようになったことを思い出したという。経営も同じだ。そう思うのだが、まだまだ稲森氏の境地には達していないと言う。

…私もちょっと思い当たるフシがある。SHRを行う時、当然挨拶をするのだが、教壇に立つ前の数秒の間に生徒たちの様々な会話が耳に入るし、行動や顔色が見える。が、問題がある場合、その会話や顔が向うから飛び込んでくるのだ。ベテランというのは、そういうものかもしれない。

2013年2月20日水曜日

ブルキナに、セメント工場建設

ブルキナファソ ワガドゥグー
アフリカビジネスニュースを覗いていたら、面白い情報が書かれていた。モロッコのセメント企業が、コートジボワール、ギニア、カメルーンに続いて、ブルキナファソでも工場建設に着手したらしい。工業地帯であるコソド地区がその現場で、約200名の雇用創出になるという。首都ワガでも住宅1000棟建設する予定らしく、そのセメント生産は大きくブルキナの需要に対応するのだろう。

なにが面白いのかというと、欧米など先進国、あるいは中国とは全く無関係にアフリカ内で企業がコラボジョイントしている点である。南アフリカ地域や東アフリカ地域では南ア企業の進出はそこそこあるのだが、西アフリカでは珍しい。だからこそニュースになるのだが…。こういうニュースに接すると、アフリカの経済がどんどん進展していることがよくわかるのだ。

http://www.africa-news.jp/news_MoGNOqFYf.html?right

2013年2月19日火曜日

日経 西郷頼母の歴史秘話

西田敏行演ずる会津藩家老・西郷頼母
今朝の日経の「春秋」は、なかなか面白かった。NHKの大河ドラマ「八重の桜」で福島県出身の西田敏行が演じている西郷頼母の話である。「武」に生きた会津の精神をある意味で体現する人物として書かれていた。

面白いと思ったのは、西郷頼母の養子(甥にあたる)は、四郎といい、後に講道館の嘉納治五郎の弟子となり、四天王と言われた人物だということだ。姿三四郎のモデルである。
そもそも頼母自体、かなり強かったらしい。頼母に武術を伝授された人物に武田惣角がいる。この人に師事したのが、植芝盛平である。有名な合気道の創始者である。

私は合気道を少しだけやった経験がある。もう15年以上前の話になる。合気道の達人である私立高校の教諭の友人に近隣の道場を紹介してもらったのだ。まだ糖尿病になるかならないかの頃である。合気道は、試合で勝負するというような格闘技ではない。相手の力を利用してタイミング良く技をかける。護身術としても有効なので、パワーのない女性にも人気がある。週に一度なかなか楽しく汗をかいていた。ところが、ちょうどアメリカに行くことになり、2週間ほど休んだおかげで、なんとなく足が遠のいてしまい、そのまま行かなくなってしまった。今さらながら、ちょっと後悔している。

会津の家老と合気道、そして姿三四郎のつながり。NHKで言えば、「武」の歴史秘話というところか。日経の「春秋」は、西郷頼母から続く「武」の流れの存在に、こう結んでいた。『力ではなく、技と心を磨いて強くなる、そんな生きざまが光る。』

追記(2月21日)「合気道の創始者武田惣角」の著者・池月映氏より、このエントリーについて詳細なコメントをいただいています。

2013年2月18日月曜日

「経済大陸アフリカ」を読む

アフリカ開発経済学ではビッグネームの平野克己先生の中公新書新刊(1月25日発行)が出た。2月14日にエントリーした「アフリカ市場の中長期予測」を調べていて、発見したのだった。Amazonで注文したら、すぐ手に入ったので、早速読み始めている。この本、凄いのだ。

『従来のアフリカ論はアフリカの中に閉じられた議論がほとんどだったが、現在のアフリカを理解するにはグローバルな視界のひろがりがどうしても必要である。それゆえ本書は、アフリカに関する既存の書物とは異なる論じ方をしていこうと思っている。どうするかというと、様々なグローバルイシューがはなつ照射線をこの大陸に当て、スキャンしていくつもりだ。つまりアフリカを語るのにアフリカ自体から説きおこすことをせず、アフリカ外から視線をそそいでアフリカの輪郭を描こうと思っている。』と、平野先生は最初に述べられている。ついにこういう視点の本が出てきた。しかも平野先生からだ。

『こんなことができるようになったのは、今世紀に入ってからようやくアフリカがグローバライズされたからである。またこれを試みるのは、アフリカという鏡に映し出されているはずの現代世界の姿にせまりたいと思っているからである。辺境化していたアフリカを世界に組み込もうとするプロセスは現在も進行中だ。この「組み込み」にともなう経済構造のつくりかえによって、今アフリカ経済は急成長している。つまりアフリカ経済の急成長はアフリカを必要とするようになった世界経済の写像なのである。世界からアフリカを読み、アフリカから世界を読み解くーこの視線がぶれないように筆先をもっていきたいと思う。』

…なんともワクワクする書き出しではないか。この本の内容如何によっては、私の「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」もさらなる書き換えが必要になるかもしれない。完読後にまたエントリーしたいと思う。まずはこの新書の紹介まで。

2013年2月17日日曜日

Problem Based Learningの話

ひょんな事から、PBLという学習について調べることになった。
PBL(Problem Based Learning)というのは、いろいろ説があるが、「問題に基づく学習」のことのようだ。医学・歯学・看護学・環境科学・法律実践・工学などのような実践の場での問題解決などが、職業的スキルとして重要視される教育課程でしばしば採用される学習方法である。たとえば、医学では臨床で何の病気かを医学生に考えさせるとか、工学で、ロボコンに参加し、ロボット製作上の基本コンセプトを考えるとか、法学で弁護士として勝訴するために、どう進めていくとか…。

もちろん私は社会科の高校教師なので、高校生におけるPBLを考えてみる。ESDで行うワークショップなどは、かなりこのPBLの要素を含んでいる。知らず知らずのうちにこういう取り組みを行ってきたといってよい。

WEBで調べると、同志社大学には、PBL推進センターという組織があっていろいろと頑張っているようだ。2010年には、シンポジウムが開催され、小学校や中学校・高校などでの取り組みもPDFのカタチで資料として公開されている。一読したが、なかなか面白い。このPBLを推進している人物と私的に3月に関わる予定である。何かを得ることができるかもしれない。ちょっと楽しみである。

同志社大学PBL推進センターのシンポジウム資料:
http://ppsc.doshisha.ac.jp/attach/page/PPSC-PAGE-JA-9/8117/file/ppsc_100220sympo.pdf

2013年2月16日土曜日

タンザニアで魔女狩り?

南アの画家ノーマン・キャサリン「魔女狩り」
「新興国情報」の記事を元に、先ほどエントリーしたのだが、さらに気になる情報が載っていた。連続でエントリーしたいと思う。呪術に関わる話である。タイトルがなかなかセンセーショナルである。「タンザニア、魔女狩りで昨年600人死亡」というニュースだ。2012年5月30日付の記事であるから、一昨年の話である。ニュースソースはアフリカの人権団体「法律と人権センター(LHRC)」であり、宮尾克弥氏という方が記名されている記事である。

特に赤い目を持つ初老の女性が狙われたらしい。牛フンを調理燃料に使った故の目の充血らしいのだが、魔女狩りの対象になったということである。2005年から11年までに約3000人が殺害されたと言う。タンザニア以外にも、カメルーン、コンゴ民主共和国、ガンビア、ガーナ、ケニア、シエラレオネ、ザンビアなどでも魔女狩りが行われていると報告されている。

呪術については、全くの専門外であるが、迷信や非科学的な押し付けはさけるべきで、この600人殺害が許されるものではないと私も思う。アフリカの近代化、特に投資を呼び込もうとする上で、各国政府はなんらかの対応をすべきだと宮尾氏も書いているが、同感である。

ただ、単純に、野蛮だ、だからアフリカは暗黒大陸だなどど批判をするのはやめてほしい。魔女狩りは、長らくヨーロッパやアメリカ合衆国でも行われてきたし、日本でも島津斉彬の世継ぎをお由良の方に呪い殺された云々という御家騒動を起こしている。お由良の方は魔女だという見方もできる。ただ誰も手を出せなかっただけだ。この話、たかだか150年前の話である。魔女狩りも含めた呪術の存在は、良い、悪いという価値観を越えた、洋の東西を問わない人間の「文化」である。アフリカだけが特別ではない、と私は思うのだ。
http://www.emeye.jp/disp%2FOAA%2F2012%2F0530%2Fstockname_0530_010%2F0%2F

ブラジルのアフリカ開発

「新興国情報」というWEBサイトに、「【ブログ】ブラジルとアフリカの意外な結びつき、資源確保ではない本当の狙いとは?」という記事が載っていた。坂口誠さんというマネジメントに関わる人の記事だ。わざわざ、【ブログ】として記しているのは、正確な統計や確実な情報によるものではないという但し書きのようなもので、学術的な論文ではないということらしい。とはいえ、かなり興味深い話だった。

ブラジルとアフリカというと、JICAの南南協力で、ブラジルで成功したサバンナの農園化をアフリカにも、という開発の話が有名である。(この件に関しては、東京外大のクラーセン舩田さやか先生が批判的な論文を書かれている。いずれエントリーしようと思っている。)で、私は、その話だと思ったのだが、もっとビジネスに関わる話だった。

ブラジルは、世界で6番目の経済大国になっていて、新興国の鉄道やディーゼルエンジンなどで大きく検討しているという。アフリカへの進出といえば、資源目当てで現地雇用をしない中国というのが定番なのだが、ブラジルも大いに頑張って企業進出や投資をしているらしいのだ。ブラジルは、そもそも資源大国であるから、中国のような狙いはない。ビジネスとしてアフリカを大いに有望視しているらしい。なかでも、同じポルトガルを旧宗主国とするアンゴラやモザンビーク、さらにギニアビサウ、サントメプリンシペ、カーボベルデなどには、公用語が共通なので進出が容易なのだ。

モザンビークで、ブラジルはジェネリックの薬品会社の建設を進めているらしい。これは凄い。ブラジルはインドとともにこの分野の先端をいっているのだ。またブラジルには黒人系の人々が多い。気候や風土にも共通点があるし、南ア同様白人と黒人の人種問題に対しても共通点がある。だからこそ、アフリカにビジネスで進出し、協力できるところは協力し、儲けるところは儲けたい。もちろん現地雇用も進めていこうというWin-Winの関係を模索しているようだ。それが、ゆくゆくブラジルの経済成長に繋がるというわけだ。

ブラジルから見たアフリカの開発経済学。きちっとした統計などなくても十分勉強になりました。
http://www.emeye.jp/disp/OAA/2013/0215/stockname_0215_005/2/

2013年2月15日金曜日

A君のD大合格

乾杯はちょっと豪華にエビス
2年生の夏から、世界史Bの補習をしてきたA君が、第一志望の難関、D大学に見事に合格してくれた。朝のうちに携帯電話にメールをくれたのだが、私の携帯はコートのポケットに埋もれたままだったので、その朗報を知ったのは17時半、同じクラスのT君の「スティグリッツの経済学」補習を終えてからだった。
いやあ、嬉しい。彼の受験に関われたことを誇りに思う。

本校の進学は、指定校推薦やAO入試など、受験戦争を勝ち抜くという雰囲気はあまりない。A君のいる文Ⅰの進学クラスでさえ、真面目に学習するが、受験戦争という追いつめられたような雰囲気はない。人間は弱い。どうしても環境に左右されるものだ。彼は休暇中などは予備校の講座にかよい、そういうヌルイ雰囲気を払拭してきたのだと思う。

だから、前任校のような進学校にいると皮膚呼吸するような受験の圧迫感をあえてつくり、孤独な中、頑張ってきたはずだ。だからこそ、余計尊いと思う。よかったたあ。報われたなあ。

メールで、「普段は飲まないビールで祝杯をあげるなあ。」と返信した。約束どおり、ちょっと豪華にエビスビールで乾杯。A君、おめでとう。

2013年2月14日木曜日

アフリカ市場の中長期予測

朝、日経を見ていたら第一面の下の書籍広告に目が止まった。「アフリカ市場の中長期予測」去る1月28日発刊で、アフリカ市場を総合的に分析、国別製品需要予測データ付き。未来予測研究所。27000円+税。高価な資料である。当然買えないだろうが、せめてどんな内容か知りたいと思い、調べてみた。

第Ⅰ編アフリカ市場の中長期予測
 第1章 アフリカ市場の動向 第2章アフリカの地域別分析 第3章アフリカの資源開発 第4章アフリカの新たな発展要点 第5章アフリカの自動車市場 第6章アフリカの家電・電子機器市場 第7章 アフリカの機械市場 第8章アフリカの建設市場と企業進出

第Ⅱ編アフリカ各国の経済データ 54カ国の国別最新経済指標
第Ⅲ編アフリカ各国の名目GDP(ドル表示)の予測 2020年までの予測・数値・グラフ
第Ⅳ編アフリカ各国の主要製品の需要予測 国別10年後の需要予測
 家電:民生用電子機器 薄型TV デジタルカメラ パソコン 白物家電 エアコン 冷蔵庫 洗濯機 産業機械:一般機械 風力発電 太陽光発電 発電設備 精密機械 建築機械 農業機械 情報機器:携帯電話 自動車:自動車 乗用車 トラック 鋼材建材:鋼材 金属製品 板ガラス セメント 化学製品:プラスチック 塩ビ ゴム製品 化学肥料 医薬:医薬品 衣料:衣類 化粧品・洗剤:化粧品 洗剤 紙:紙

うーむ。かなり面白そうだ。でも、ちょっと専門的すぎて学校の図書館で買って欲しいともいえない。(笑)梅田のJ堂に見に行こうかな。あそこなら、椅子に座ってじっくり眺めることも可能だ。

2013年2月13日水曜日

立花隆「天皇と東大」を読む Ⅲ

http://www.ne.jp/asahi/frog/hh/taish33.html
昨日の朝、爆睡していて乗り越し、京橋までいってしまった。こんな調子ではなかなか読書も進まない。(笑)とはいえ、立花隆の「天皇と東大」なかなか面白い。少しずつ読んでは意外な事実に驚くことが多い。

前回書いた『森戸事件』(クロポトキンの思想を紹介した教授の処分)以来、東大では右翼と左翼のせめぎ合いが起こってくる。右翼の方は、山縣有朋に繋がる上杉教授が、右翼学生を集めていく。一方、左翼の方も「新人会」と呼ばれる集団を形成していく。この右翼も左翼も、さすが東大。なかなかのビッグネームが登場する。

右翼の方は、まずは平沼騏一郎を中心とした「国本社」である。山川東大総長もその一員の最大の国家主義団体である。さらに「血盟団」の流れで、上杉教授の元に集結していた「七生社」(七生報国から名前を取っている)。ここには、牧野伸顕を暗殺しようとして逮捕された四元義隆(法学部学生。後、陽明学を講し中曽根元首相の政治的師となる。)また北一輝、大川周明の「猶存社」に流れた学生もいた。上杉教授から大いに期待された大秀才でありながら、北一輝に魅かれたのが岸信介(戦中の革新官僚、公職追放後首相)である。なかなか凄い時代であったわけだ。

ところで、私が最も面白いと思ったのが、大正七年に「老壮会」という極右・極左の合同勉強会があったという事実である。国家改造をめざす人々には共通点も多かったようで、神楽坂の演芸場あとで、二週間に1度ほど任意で集まり、会員がかわりばんこに講演したらしい。極右からは、大川周明、中野正剛、北一輝など。左翼からは大杉栄、堺利彦など。なかなかのビッグネームである。4,50人が集まり、講演の後質問会をしていたようだ。私心がないからか、呉越同舟ながらうまくいったらしい。方法論では激論がかわされたらいいが、その中から何かを生み出そうという気分が強かったらしい。結局、「老壮会は、真田幸村のいない大阪城だ。おもしろいけれど実戦には使えない。」と北一輝が飛び出していくのである。左右両派は、それぞれ反発しあいながらも、その源流に置いては、認め合っているところがあったらしい。

しかし、東大では、その後左翼の「新人会」と右翼学生が血で血を洗う内ゲバに突入していく。激突の場面に赤尾敏の名前が出てきたりして、おおっと言う感じ。

私はこういう社会思想史が嫌いではないし、そこそこ知っている人名が登場するのが面白い。しかしその歴史をひも解くとかなり複雑である。立花隆の調査と筆力には全く頭が下がるのである。

2013年2月12日火曜日

AFRICOOK 紹介

NPO法人アフリック・アフリカのHPを覗いていたら、新しいHPが作られていた。アフリカの料理を紹介するページである。まだ出来たばかりなので、そんなに記事は多くないが、アフリカ各地にちらばっている研究者のフィールドで、アフリカの食をどんどん紹介してもらえるようだ。こういう素朴で、アフリカの日常的な紹介をしてくれるHP、実に貴重である。と、いうわけで今日はその紹介。

私としてはタンザニアの「トウジンビエの塩茹で マルーラとともに」に魅かれたのだが…。
http://africook.blog.fc2.com/

2013年2月11日月曜日

アフリカのニワトリ事情

道祖神からまた「DoDo World News」(2月号・No140)が送られてきた。カルチャースクールくらいしか行かないのに、ありがたいことである。そこで、今日はここに載っている最新のアフリカツアーの中から、もし私がカネとヒマがあれば絶対行きたいベスト3をエントリーしておく。たまにはこういう楽しい話題も良いではいかと思うのだ。基本的に、私はアフリカに野生動物や自然を見に行くわけではなく、「人」と「文化」を見に行くので、ちょっと道祖神の一般的なお客さんとは違うと思うのだが、私のようなマニアックな旅人を対象にしたツアーもあるわけだ。

第3位 マラウィ湖からモザンビークへ世界遺産の旅15日間(8/10出発 598000円)
マラウイの首都リロングウェから、マラウイ湖畔のセンカ・ベイへ。2泊3日の滞在。国境をバスで越え、列車にも乗りモザンビーク島へ。マレジャ保護区、イボ島などを巡る。
第2位 北カメルーンの民俗とチャド湖訪問 10日間(7/7出発 558000円)
アジスアベバからドゥアラという町へ。北カメルーンの小さな町を、水曜市なども含めて巡りながら、ワザ国立公園、チャド湖を訪問し、最後は首都ンジャメナまで。
第1位 ウガンダ・スタディーツアー 9日間(7/27出発370000円)
内戦で難民や少年兵の問題を抱える北部のグルを中心に地元の人たちと交流するスタディーツアー。最後は首都カンパラへ。

ううむ。こんな記事を書くと無性に行きたくなるのであった。

ところで、写真家の船尾修氏のエッセイが載っていた。「やっぱり地鶏がウマイ!アフリカのニワトリ事情」というタイトルである。ウガンダのアフリカNo3の高峰ルウェンゾリ登山の時の話だ。アフリカでは、ニワトリは生きたまま売っていることが多い。麓の町カセセで、食料品を揃えていたら、少年たちがニワトリを抱えて売りに来たという話だ。ここから原文のまま。
『これは保存がきく。携帯食になるなと思って購入したのだが、いざ山へ入るとガイドがその日のうちに調理してしまうという。理由をたずねると、「ニワトリを狙って雪豹が出たら怖いでしょ。」とのこと。ごもっともです。』

私は大笑いした。ところで私もサヘルの村で、ホロホロ鳥を丸ごと買って調理してもらった経験がある。(残念ながら調理の様子は見ていない。)

2013年2月10日日曜日

離煙してクロノグラフを購入する

私は食を楽しむという人生を送ってこなかった。さらにおしゃれを楽しむという人生も送ってこなかったと思う。だいたい服装など無頓着で、シャツさえ清潔ならばいいのではいかと考えてきた。だから、生徒からしたら、ほとんど服装が変わらない教師だと思う。(笑)海外でTシャツやキャップは一所懸命に探すし、センスは悪くないと思っているのだが、普段は着たきりスズメである。

そんな私なのだが、時計が欲しくなった。時計も服装同様で2000円くらいの安物ですましてきた。(だいたい関空で出国前にお土産店で日本製を買うことが多い。)離煙の結果、それなりに資金が蓄積されてきたこともあるのだが、最大の理由は、我がクラスのN君がいい時計をしていたことにある。聞くとディーゼルの2万円くらいのもだ。高校生としてちょっと贅沢だが、なかなかセンスがいい。担任はと言うと、2000円。こりゃイカン。と物欲に火がついた。滅多にないことである。(笑)

で、WEBで毎日調べたのだった。今回はクロノグラフ(ストップウォッチ併用の時計)にすることにした。2万円内外の時計をリサーチして楽しんでいた。最初に気にいったのがSEIKOの逆輸入時計で、キャメルをモチーフにした時計である。よく考えたらSEIKOの時計を所持した覚えがない。この不況下では、国産品の消費活動を行うことは尊い。(笑)だいたい17000円くらいだった。ある会社に一度は納金までしたが見事に品切れ、返金。その事件以降、品切れでない店では、27000円くらいにまで値段がアップした。どうも逆輸入の時計なので、アベノミクスによる円安の影響らしい。うーむ。27000円出したら損した気分はぬぐえない。

で、SEIKOのタキメーターつきのクロノグラフに目をつけた。22000円ほど。落ち付いたいい時計だ。タキメーターというものも調べて見た。必要不可欠ではないが、面白そうだ。これに決めようとしたら、インフルエンザになったわけだ。おかげで、ワンワールド・フェスティバルに行けなかった。毎年生徒に奢ったり、いろいろなものをNPOのお店などで買うのでⅠ万円以上の出費を覚悟していたのだが、まるまる残ってしまったわけだ。

で、予算アップが可能になった。結局、前々から注目していたWENGERというスイスの時計にしたのだった。(一番上の画像参照)地球市民としては日本製にこだわらない。(笑)昨日、京都へ行く寸前に商品が到着したのだった。この時計は、レスキュー隊パイロット用らしい。私が気に行った最大のポイントは、右上のストップウォッチのボタンに赤いリングがついていること。まあ、気に入るというのは、そういう些細なコトのような気がする。ちなみに、他のWEBの店では58000円くらいの値がついている。税金や送料を含め、28000円くらいになった。うむ。この辺は、私も大阪人のはしくれである。(笑)

パキスタンカレーを楽しむ

昨日の公開講座、実は妻と京都に出てきたのだった。彼女には彼女の用事があったので、もちろん別行動だったが、帰りの電車も合わせたのだった。そんなこんなで、いつもよりかなり早く神宮丸太町駅に到着した。いつもなら、鴨川を散策し、対岸の店でコーヒーなどを飲むのだが、離煙してからは、喫茶店に入ってもどうも決まらない。

少し小腹も空いていたので、鴨川を渡り川端通から河原町通まで出た。なんかないかなと、探検である。京都もおいしい店は多いのだが、観光客の一見さん目当ての高い店も多い。で、見つけたのがパキスタンカレーの店である。

普段、私は学校の食堂では250円のカレーを食べることが多い。本校の食堂は運動部主体の高カロリー定食をウリにしているので、糖尿食に適した私の胃腸にはきびしい。で、何も考えずカレーなことが多い。時には3日連続のこともある。私は食を楽しむという人生を送っていないのだ。(笑)

このパキスタンカレー、700円でチャイ(甘いミルクティー)もついているらしい。安い。注文してみると、かなりサラサラのル-で、なかなかピリ辛であった。ライスには少し干しブドウが置かれてあって、高級感がある。味もなかなかいけるのである。私はカレーについてくるらっきょうが好き。カレーを口に運んでは、ポリポリとらっきょう。時には食を楽しむ人生もよい。

私には少し辛かったが、らっきょうと後のチャイがそれを十分補ってくれた。また来ようと思ったのである。案の定、帰りの電車で妻に言われた。「またカレー食べたん?休みの日くらい…」妻の説教はいつもより長かったのだった。

2013年2月9日土曜日

アフリカ学会 公開講座1月

寒空の左大文字と京大稲森財団記念館
アフリカ学会の50周年記念市民公開講座が始まった。第1回は、東京外大の永原陽子先生の歴史の話である。「マンドゥメ王の頭はどこにあるのか」というミステリードラマのようなタイトルである。そもそも、アフリカでは無文字文化が多く、歴史=文字による史料という発想で考えれば歴史学は成立しなのだが、文字化された史料の信憑性も、だいたいが微妙な話(記紀などがその好例)であって、1980年代頃からアフリカをはじめとした「無文字社会での歴史の探求」も進められてきたそうだ。

今回の「マンドゥメ王」の話は、WWⅠを挟んでの百年ほど前の、現在のアンゴラとナミビアの国境付近にあったクワニャマ王国の話である。この国境付近には15世紀ごろから農耕と牧畜の民が定住し、大小の王国が成立したようだ。これらの総称をオヴァンボと呼び、クワニャマ王国はその最大集団だった。さて、1880年頃からアフリカ全土の植民地分割が進み、この辺りもアンゴラ(ポルトガル領)と西南アフリカ(現ナミビア・ドイツ領)に分割される。

ポルトガルは、現在のアンゴラ北部から南部へ征服を進め、クワニャマ王国とぶつかることになる。クワニャマ王国は牛を売り、銃を手に入れ独立を守るのだが、この時登場した若き(17歳で即位)独身の王がマンドゥメ王である。彼は、武装しつつ、近代化を図りながらもも数々の伝統保持政策をうち、王国のアイデンティティを守ろうとした。なかなかの賢王だったようである。

さて、まもなくWWⅠが起こる。西南アフリカがドイツ領だったこともあって、南アが英軍のかわりに攻撃をしかけ、これを支配する。ポルトガルは中立だったが、これを好機としてクワニャマ王国を攻撃、王国は西南アフリカへ拠点を移すことになる。南ア軍もクワニャマ王国を攻撃。ここでマンドゥメ王は死去するのである。やがて、西南アフリカは南アの支配下に長く置かれることになる。

さて、このマンドゥメ王の死を巡っては、南ア軍の戦闘報告書(1917年)に、マキシム銃で銃殺したとあるが、不明確な部分もあり、南ア軍が射殺したのか自決したのか、この文字化された史料でもよくわからない。一方、クワニャマ人の間では自決説が強い。(伝聞)しかも、首が切り離され、頭部は晒された後戦争記念碑に埋められているという噂が強まった。また1968年、「老兵の回顧」という元南ア軍兵士のエッセイが当時の写真付きで発表された。そこには「治療を受けている」される王の姿が写っているのだが、どう見ても首がずれていいる。これをパロディ化したクワニャマ人版画家の作品もでた。断頭されている王を描いた作品である。

マンドゥメ王の首のゆくえは全くの謎である。彼は白人に屈しなかったクワニャマの人々の英雄であり、歴史の事実を探るためとはいえ聖なる墓を掘り起こすようなことはできない。一方、ナミビア人歴史家は、王をナミビアの英雄として描いている。アンゴラでも同様に英雄視されていたりする。王は、ますます聖なる存在になっていっているわけだ。

無文字の人々の視点も含めて、アフリカの真実の歴史を再構成する必要があるというのが永原先生の視点だそうだ。
…いやあ、面白かった。特に、版画と写真が、なかなかミステリーだった。NHKの歴史ミステリーといった趣があって、先日の沢木耕太郎のキャパの話同様、思わず身を乗り出して興奮するような面白さだった。これからのアフリカ学会の市民公開講座に大いに期待したい。

2013年2月8日金曜日

ESDのための仮想世界ゲーム6

仮想世界ゲームの決算報告書をエントリーしておきたい。発熱して強制的に自宅待機させられたおかげで、最後の授業ができなかったのだが、同じ社会科のF先生に、この決算書と表彰状をもっていってもらったのだった。今日は、世界史Bの試験の日であった。試験問題は、「ESDのための仮想世界ゲームについて論ぜよ」ただ1問。(笑)その内容や、今回の総括についてはもう少し時間をいただきたいところ。

2013年2月7日木曜日

立花隆「天皇と東大」を読む Ⅱ

インフルエンザで平熱なのに自宅待機していた関係で、少し読書が進んだ。今日はその内容をエントリーしようと思う。立花隆の「天皇と東大」一巻から二巻前半にかけてである。

このあたりは、東大の文学部から経済学部が独立していく過程とオーバーラップしていく。最初は全く人気のなかった経済学だが、日本の経済発展とともに、浜口雄幸や幣原喜重郎などの人材が輩出されるのであるが、この経済学部、そもそもが日本の左翼の総本山としての性格をもっていく。関東大震災で経済統計研究室の書庫の多くを焼失するのだが、あかずの間という部屋があって、ここには大逆事件の資料が保存されていたのだと言う。この資料収集は吉野作造と高野岩三郎の希望に寄るものらしい。この頃の教授には第一高等学校校長も兼ねていた新渡戸稲造がいたりする。その一高で、徳富蘆花が大逆事件を受けて「謀叛論」を講演したりしている。この時、一高の学生であり、後に経済学部助教授になる森戸辰雄が「クロポトキンの社会思想の研究」を発表するのだが、その対応をめぐって話は進んでいく。

「戦前は『共産党宣言』など国禁の書で、翻訳することも読むことも持つことも許されていなかったと思っている人が多いかもしれないが、決してそうではない。社会主義、共産主義の弾圧の仕方には、時代に寄って微妙なちがいがあり、新聞紙条例(法)、出版条例(法)などの弾圧法規も何度も改正になっているので、許されることと許されないことの一線が時代によって少しずつ違う。重要な一線の引かれ方は、まず社会主義への言及が学術上の研究としてなされているのか、それとも現実的な政治主張・政治宣伝としてなされているのかというところにある。主張の最も大きな一線は、君主制(天皇制)の廃止を唱えているかどうかというところにあった。」(第2巻P16)

森戸論文は学問の自由、言論の自由が一応保たれていると考えられていた時代のものであった。

法学部の吉野作造などは天皇制とデモクラシーの調和を求めていた。また美濃部達吉も天皇機関説を主張できる時代でもあった。ここに法学部の右翼イデオローグで、憲法の最高権威となっていた上杉慎吉教授が立ちはだかるのである。この頃、憲法の第二講座というかたちで美濃部達吉の講座も開かれており、吉野・美濃部への敵愾心は強烈だった。彼は元老・山縣有朋と結び時代を右旋回させていくのである。

うーん。立花隆の文章は、これまで同様、念密な調査と引用が真骨頂である。無茶苦茶面白い話なのだが、こうして書くと、どうも硬い。(笑)本日はここまで。

ところで、久しぶりにクラスの生徒に囲まれて、今日は幸せだった。やはり担任はいい。

2013年2月5日火曜日

ナイジェリアに向かう投資

今日もインフルエンザによる強制的自宅待機である。平熱だし、これはこれでしんどい。学校に電話したら、今日は我がクラスは皆勤だそうで、皆が元気なのが嬉しい。(そもそも出欠は素晴らしいクラスだけど。)

さて、アフリカの話題である。アフリカのビジネスニュースで、ナイジェリアへの投資の話が2題続いていた。ひとつは、アフリカ開発銀行が肥料プラント(尿素生産)に1億ドル融資するというニュース、もうひとつは、GE(米国:ゼネラル・エレクトリック)とナイジェリア政府の間で、10億ドル規模の電力・石油・ガスなどエネルギー生産のプロジェクトを推進するという。

http://www.africa-news.jp/news_MgaDs9Ywm.html

ナイジェリアはアフリカ有数の石油生産国であり、1億を超える人口をもつ。つまり市場規模が大きいわけだ。投資が進むサブ・サハラ=アフリカでも、最も注目される国の1つである。

この2つの記事でわかった事の中で、最も面白かったのは、現在ナイジェリアの化学肥料自給率が2割程度であったことである。これを簡単に論じることは難しい。多いのか、少ないンか?ともかくこの融資でナイジェリアは自給率100%を越え、近隣諸国に輸出することが可能になるらしい。工場自体の雇用創出は多くはないだろうが、その販売・輸送関係での雇用が拡大するのは間違いない。

投資の拡大による経済成長が、これからのアフリカを飛翔させることは間違いない。様々な問題はあるだろうが、鄧小平ではないが豊かになれる者から豊かになるしかないんだろうなあ。

2013年2月4日月曜日

俊逸だった沢木耕太郎のキャパ

昨夜のNHK特集「沢木耕太郎推理ドキュメント 運命の一枚~”戦場”写真 最大の謎に挑む~」は、素晴らしかった。私は、そもそも沢木耕太郎の大ファンであるし、沢木耕太郎が一時、戦争カメラマンのキャパの本を翻訳していることも知っていた。ただ、その翻訳本は読んでいない。だから、全くの白紙で番組を楽しんだのだ。

彼の本名がフリードマンと紹介された瞬間に私はキャパはユダヤ人なんだと分かった。だから、ハンガリー出身のユダヤ人カメラマンとしてスペイン内戦で、人民戦線側に立ち、フランコ=ナチスのファシズムと戦ったのだ。そう、無名のキャパを世に出した一枚の写真は、スペイン内戦の時のものである。この写真は、果たして本当に兵士が撃たれた瞬間のものなのか?

場所の特定。その丘が戦場となった日時と撮影記録の対比。写真の兵士が持つ銃は安全装置を外していない事実、などから少なくとも演習時のものと結論付ける。

面白いのはここからである。他に残されていた同じ場所での写真と対比すると、この兵士がおそらく足を滑らせたらしいという推理が成り立つ。写真を重ね、3D化したうえで計算をしていくと、もう一人のカメラマンの存在が浮かび上がるのだ。それが、キャパの恋人であったゲルダ・タローだったのだ。キャパの使っていたのは35mmのライカ。ゲルダは二眼レフのローライである。ネガが失われているのだが、写真の構図から二眼レフのものらしい。撮影者もキャパではなかった。

この有名な写真は、実戦はなく、しかもキャパが撮ったものではない。だが、反ファシズムのシンボルとして独り歩きしていく。その後、恋人ゲルダが他の戦場で事故死してしまう。キャパは、この1枚については沈黙を守る。うーむ。苦しすぎる十字架である。

その後キャパは、ノルマンディー上陸の最前線に立つ。バタバタと倒れる兵士を、敵(ドイツ軍陣地)に背を向け撮影する。まるで撃ってくれともいわんばかりに。だがキャパは死ななかった。いや死ねなかったのだ。彼がおそらく安らかになれたのは、ベトナムで地雷を踏んだ時ではなかったか。そんな想いがかけめぐるような番組だった。

2013年2月3日日曜日

TICADで治安維持支援?

ケニアの警察
インフルエンザによる発熱は、金曜日夜の39度台をピークに次第に下降し、今日は平熱をとなった。とはいえ、穂菌している可能性が高い。第一、妻に完全に移植してしまったので、彼女は今咳き込みと発熱に苦しんでいるのであった。明朝は、彼女を連れて病院に行き、妻の治療と私の病状の確認に走ることにした。

元気になったのに学校に行けないのはつらい。明日は1年生の授業が3時間もある。今日はその課題を作っていた。A4版にして学校にFAXしておいた。誠に申し訳ないが他の先生方にご迷惑をかけてでも、生徒に学年末考査前の課題を与えておきたかったのだ。

さて、重要な記事がWEBニュースで報じられていた。今年のTICADで、日本政府は治安維持支援策を議題とするらしい。今回のアルジェリアの事件を受けてのことらしいが、拙速な話ではないかと私は思うのだ。まして外務官僚によるタカ派首相の機嫌取りなら、やめたほうがいい。

WEB記事によると「麻薬・武器の取り締まりなどの通関業務」「国境警備」「治安維持の人材育成」などを検討するらしいが、アフリカ諸国から見ればおそらく不可解な話ではないか。アフリカで治安を維持するためには、強烈な暴力装置としての警察が必要である。私はケニアのある市役所で、婦人団体が何かわからないが要求をかかげてきているのに、アーマライト(米国製の突撃銃)を持った警察が何人もきていたのを見たことがある。当然丸腰のご婦人がたにさえ、力を見せつけるのである。それが良いことだと言っているのではない。アフリカでは、治安維持=暴力装置としての警察という色合いが極めて強いと言っているのである。

この警察、ブルキナでは軍と大喧嘩したことがあるらしい。Iさんに聞いた話だが、どえらいことになったという。警察や軍はアフリカ諸国の政府にとって、良き政府なら重要。悪い政府ならさらに極めて重要なデモクレイジー維持装置である。

アフリカ諸国と日本のスタンス、つまり国際協力における日本の最大の特徴は、他の先進国と比べ、アフリカ諸国との一切の「歴史問題」がないということだ。治安問題から軍の問題にまで国際協力が発展することは、それを放棄することになりかねない。貧困を克服する協力こそ、長い道のりだが、確かな協力である。
貧困が克服され、治安部門の給料が遅配などが起こらないようになれば治安維持は十分なされるはずだ。もちろんテロリストの出現も大幅に減るだろう。
http://jp.wsj.com/article/JJ12261794262112173821020162107950823131856.html

時代の流れに敏感なのもよいが、時としては大局を見失う。

2013年2月1日金曜日

ワンフェスに行けません

ウーリーシンキング
朝から熱が徐々にあがり、ついに38度を超えた。三年生の最後の授業だというのに、強制的に帰宅させられた。明日明後日ののワンフェスには行けそうにない。OB・OGの諸氏には申し訳ないが…先ほどインフルエンザのA型が確定した。

追記(2日朝):以上が39度の熱の中で2月1日の夜に書いた文章である。昨日は、朝から咳き込むくらいでまさか発熱するなどという兆候はなかった。それが、1時間目の3年5組で最後の授業をした後、なんか関節が痛くなった。チーム・ブーフーウーのフー先生に体温計を借りて非公式に熱をはかると37.2度。フー先生も同じだった。「微熱やねえ。」「二人ともインフルやったりして。」と言っていたのだが、とりあえず(眼鏡が曇るので)普段は絶対にしないマスクを保健室にもらいにいったのだった。4時間目は、仮想世界ゲームの結果発表をする予定の3年1組である。ここには関関同立を受験する生徒もいるからだ。ところが、どうも熱が上がっているようだ。教頭に聞くと37.5度を越えたら危険だとのこと。いくら3年最後の授業でも関係ない。で、保健室で公式に体温をはかったのだった。すると、短時間で38.2度に上がっていたのだった。強制的に帰らされることになった。4時間目の3年1組の段取り、5時間目の我がクラスの段取り、6時間目の3年4組の段取り、さらに担任業務の依頼。それらを全て準備・依頼したうえで、不愉快なTVカメラクルーの前を通って下校したのだった。フー先生もインフルエンザだった。同じく咳き込んでいたウー先生もインフルエンザになったらビンゴやで。(11年6月24日付ブログ参照)

3年生には、今週1組も含めて全3クラスともウーリー・シンキングをやった。4組は本来なら昨日・最後の授業時にやろうかと考えていたのだが、一昨日やっておいてよかった。妙なムシの知らせがあったのかもしれない。1組も4組も最後を締めれなかったのが悲しい。ずーと皆勤だったワンフェスに行けないのも悲しい。でもしかたないか。養生。養生。