2019年6月30日日曜日

漫画の古本2冊

日本人会の古本コーナーで、2冊漫画本を手に入れた。もちろん一冊・RM1である。一冊は、「アドルフに告ぐ」(手塚治虫/文春文庫)の第5巻。手塚漫画の中で、「ブッダ」、「火の鳥」、そしてこの「アドルフに告ぐ」は、かなり難解な内容を描いている。たしか、日本の実家にあった(息子の蔵書)とは思うが、久しぶりである。思わず手が出てしまった。ユダヤ人とナチスの問題を描いた作品で、極めて興味深い作品なのである。そのキーワードは、ヒトラーと同じアドルフという名前である。

もう一冊は、「DANCING POLICEMAN-踊る警官」(浦沢直樹/小学館文庫)である。浦沢直樹は、私の好きな作家の一人である。多くの作品があるが、私は「パイナップルARMY」が好き。この「DANCING POLICEMAN-踊る警官」は、ロック歌手を目指していたが、なぜか警官になってしまったという主人公の破天荒な短編集である。

日本の漫画は、サブカルチャーとしては、大したもので、PBTの学生たちもファンが驚くほど多い。日本への興味も、漫画やアニメ、TVドラマなどがきっかけだという学生が多い。日本語力アップのためにも、学生たちにも読ませようかな、と思う。

2019年6月29日土曜日

土曜日のタマンデサ4

週1回の買い物の日である。今日は、糖尿病の血液チェックの時の消毒紙が切れそうになっていたので、国費生の寮の近くのショップ・ロットにあるドラッグストアまで行くことが第一のオペレーションであった。まずGSでキャッシュを下ろした。それからドラッグストアへ。さらに奥にある美味しいパン屋さんへ。今日は、マッシュルーム+ツナのピザも買ってみた。(意外にイケたのだった。)
それから、タマンデサのフードコートでブランチ。妻は、スープ板麺。私は台湾風のカツが乗ったスープ麺。スープは淡泊でカツに合う。マレーシアの中華料理にハズレなし。テイクアウェーで、東北美食(中国の東北地方を意味する)の店で焼き飯を2種類買って帰った。本当は、羊肉の焼き飯希望だったのだったが、今日は羊肉が切れているそうだ。(最近、羊肉が高くなっている。とほほ。)
それから、スマホのトップアップ。1か月に1度、RM30を払うシステム。電話番号を伝えるだけで、スタッフがやってくれる。インド系の小さな店である。先客のマレー系のおばちゃんがいて、妻と会話していた。バリバリのマレーシア語である。我々が日本人だと知って、先日、日本に行ってきたと教えてくれた。日本を褒めてくれて、日本人の肌はきめ細かくて素晴らしいと、妻の手を撫ぜたそうだ。(笑)ベッピンのインド人・スタッフの英語の通訳があって、こちらも知っているマレーシア語を言ったりして、不思議な会話が成立していたのだった。(笑)
さてさて、メインのDマート。今日も牛乳、卵を中心に野菜等を買い込んだ。今回はフルーツはドラゴンフルーツのみ。(妻が言うには、彼女はドラゴンフルーツが一番好きらしい。)最後に、ビールを買って帰ろうとしたら、ポツポツと雨が降ってきた。すぐやんだので、住処に急いだ。冷蔵庫に、牛乳や野菜を放り込んでから窓を見たら、雪のような雨になっていた。雪のような、というのは雨粒が大きくて、そう見えたというわけだ。

2019年6月28日金曜日

PBTの話(39) Hriraya Getting

定期試験最終日、昼からPBTは休校になって、F42の国費生を中心にHriraya Gettingが行われた。本来なら断食明けにやりたかった行事(食事会)だが、今年はスクールホリデー期間中だったので、今日まで延期してきたのだった。
男子学生は、金曜礼拝があるので、タマンデサのマスジットへ行くので、女子学生が中心になって用意してくれたようだ。マレーシアでは、お祝い事があるとみんなで食事会を開く。決して豪華ではないけれど、マレー料理が並ぶ。味はなかなかのものである。お菓子やフルーツもたくさん用意してくれている。今回は授業時間内のなので、教職員も全員参加である。中華系の私費性ももちろん参加OK。なかなか盛大だった。もちろん最初にお祈りがある。DクラスのH君が導師的な立場で行った。司会は、まるで吉本興業の「巨人・阪神」のようなA君とA君。

マレーシアに来て、3年以上過ぎた。最初のこのような機会は、マラヤ大学に広島市長が来られた講演会だった。その後昼食会が開かれたのだ。マレーシアの食事会という習慣・初体験であった。かなり戸惑った記憶がある。マレーシアでは、「ご機嫌いかが」にあたるコトバに、「ご飯食べた?」というのがある。それくらい「食」が豊かで、「食」を楽しむ土地だということだ。

F42の国費生とF44の後輩たちに感謝である。楽しい時間を過せたよ。

2019年6月27日木曜日

PBTの話(38) フッサール

社会学を勉強しているL君から質問があった。今読んでいる「社会学史」の中でフッサールの現象学を社会学に応用する云々の話が出てくるのだが、意味がわからないとのこと。たしかに私の西洋哲学史ではフーコーやデリダ、ドゥルーズは教えるが、フッサールには触れていない。現象学は、かなり難解であるし、現代思想では様々な影響を与えているものの、高校生対象なら省いてもいいのではないかと長く判断していたのだった。

最近「現代フランス哲学」(久米博著/新曜社1998年)という本をつまみ読みしている。もちろん、日本人会無人古本コーナーにあったRM1本である。(定価は2400円もする。)レヴィナスの項を読んでいると、そもそもレヴィナスは、ベルグソンからフッサールの現象学に乗り換えて、直接講義を受けている。現象学の真理性を認めているが、ただ、ユダヤ人としての誇りをもつレヴィナスは、プロテスタントに改宗したフッサールの講義には失望したらしい。その後フッサールの後任となったハイデッガーの存在論の虜になるのだが、ハイデッガーがナチ党員になると、一気に批判に回る。収容所で「実存から実存者」へという論文を書く。

内田樹先生の師匠であるレヴィナスの哲学を学ぶにも、フッサールやハイデッガーの現象学的な視点が必須なのである。

今回は、L君に哲学用語図鑑(田中正人著/プレジデント社2015年)を使って説明した。説明する限りは、私が理解していなければならない。当然であるが、これによって、レヴィナスの志向する現象学の神学的転回の意味が見えてきた。L君のおかげである。(笑)

2019年6月26日水曜日

PBTの話(37) 数学ⅠA

第4回の定期試験が始まった。私の試験は明日・明後日なので、数学の監督とインタヴュー・テストの廊下監督のみの日であった。というわけで、国際関係のパワーポイント作りに精を出していたのだが、3眼目の数学の試験で、40数年ぶりに問題を解いてみる気になった。もちろん、私も数ⅠA、数ⅡBを高校で履修しているのだが、ほぼ完全に忘却の彼方にある。それで、数学の参考書(画像参照:PBTの職員室の本棚にあった最も私に適した参考書)を手に、解答のヒントを探しながら挑戦した80分であった。

いやあ、難しい。範囲は、数Ⅰの後半部の図形の問題と順列組み合わせ・確率だったが、どうも正解したのは2問くらいだったみたいだ。(笑)とはいえ、一緒に数学の問題を私が説いていることに学生たちは喜んでくれた。まあ、授業を受けていたら、決して出来ないことはないだろうが、昔取った杵柄は完全に朽ちていたのだった。

ピタゴラス学派は、魂のカタルシスを数学の研究の中に求めたと言われているが、久しぶりに集中して数学をやってみると、案外嘘ではないなと感じたのだった。これは、自分でも意外。

2019年6月25日火曜日

大統領閣下の敵

http://www.adaysuarez.com/majin-trump
東洋経済のWEB記事で、極めて興味深い記事があったので紹介したいと思う。「トランプの敵は中国でもイランでもない」という滝澤氏の記事だ。
https://toyokeizai.net/articles/-/288467

要旨を簡単に述べると、大統領閣下にとって、真の敵は再選を阻む民主党の候補である、ということである。中国との貿易戦争も、イランとの危機も、結局のところ、いかに次回の大統領選で票に結びつけるか、というタイミングを計りながら動いているということだ。

これは、トランプ大統領閣下だけの話ではなく、F・ルーズベルトもまた、中間選挙や大統領選挙前に戦果を挙げ、朗報が届くような戦略をうったという。大西洋上会談でのチャーチルとの英国を助けるとの約束を果たすことは果たすが、まずは弱いイタリアを叩いたという。結局のところ、アメリカ大統領の権力欲あるいは権力保持のために戦争が行われたことに間違いはない。民主主義とは、そういう構造を秘しているわけだ。もし、現政権がイランとなんらかの軍事行動をとったとしても、所詮はそういう私的な理由で組まれた戦略だということで、実に馬鹿げている、としか言いようがない。

私には、こういう真実が、ネット社会でどんどん露呈していることは喜ばしいことのように思える。書生的かもしれないが、やはり政治というものは「公」でなければならないと思う。…と、アジア的な信条で今日のエントリーを締めくくりたい。

2019年6月24日月曜日

PBTの話(36) 日本経済史

EJU(日本留学試験)の総合科目の経済分野では、日本経済史が重視されている。特に戦後の経済史は出題頻度も高い。私としては、経済分野の最後にもってきている。なぜなら、これまでの学習の総復習となるからである。

今日は敗戦直後から高度経済成長まで、90分+45分で論じたのだが、こんな話をした。GHQの財閥解体と独占禁止法の制定。市場の失敗の独占・寡占で、JPモルガンやロックフェラーの歴史を話したのだが、財閥解体と独占禁止法は、ロックフェラーのスタンダードオイル解体とシャーマン法と対比できること。そして農地改革。(地理でやってない緑の革命の話もしておいた。)さらに労働三法(ちなみにマレーシアでは労働組合は認められていない。)。「これらの経済改革をアメリカ主導でまずやったのだが、何か気づかないか?」学生「…。」「では、当時のアメリカの大統領は、F・ルーズベルトの後を継いだトルーマンだが、共和党?民主党?」「リパブリカン」「デモクラッツ」と声が上がる。「感で答えてるな…。アメリカの大統領選挙で教えた共和党と民主党のポリシーを思い出してごらん。」「自由と平等です。」「では、どちら?」「平等のポリシーの民主党です。」「この政策は、社会主義だ。」「そうだ、そうだ。」

そう、GHQの民生局のニューディーラーたちは、民主党で社会主義的な政策を最初に日本に行ったわけだ。ここから、アダム=スミス的な純粋な資本主義はすでになく、社会主義も資本主義を取り入れていることを教える。すでに、EJUのレベルを超えているのだが、こうして、これまでの学習を振り返りながらつなげていくことが、日本の大学で社会科学を学ぼうとする彼らには必要だと私は思うのだ。残念ながら、マレーシアの社会科学習は完全暗記型で、彼らにはこういう学びが極めて新鮮らしい。

これからのマレーシアを背負う人材に成長してほしいので、この辺は妥協なしで、時間の許す限り、引っ張っていくつもりだ。

ちなみに今日の画像は、大森実の「戦後秘史」。ノンフィクションの名著だと思う。昔、全巻読破した。今日の内容は、この時の読書が生きている。

2019年6月23日日曜日

日曜日のタマンデサ

近くの中華レストラン 妻がテイク・アウェー中
先週から放課後補習を始めたのだが、思いのほか疲れがたまることが判明した。毎週土曜日は、妻と買い物に出かけるのだが、ちょっと昼寝をしようとしたところ、3時間も寝てしまった。おまけに、天井扇の風で風邪をひいてしまった。と、いうわけで、買い物は日曜日の今日になったわけだ。

牛乳、ビール、野菜など毎週買い足す必要のあるものもあるし、フルーツは欠かせない。今日は、レインボー・マンゴー(これは私の大のお気に入り)、パパイア、ドラゴンフルーツにバナナも買ってしまった。ある意味で、マレーシアに住むという事=安くて美味しいフルーツを楽しむということなのである。マレーシア万歳。

さて、昼食は近くの中華の店で、ポークライスと惣菜(緑の野菜やイポー特産のモヤシ炒めなど)を、テイク・アウェー(お持ち帰りをマレーシアではこう呼ぶ)して、自宅で食した。ポークライスは、チキンのエキスの入ったご飯・チキンライスにローストポークをのせたものである。マレーシアの中華は、だいたい美味しくて、ハズレなし。マレーシアに住むという事=安くて美味しい食事を楽しむということである。またまた、マレーシア万歳。

というわけで満腹になって、また昼寝をした。今日は1時間限定だったが、我が住処にはでかいソファーがあって、天井扇(今日は風力を最弱にした)の風に吹かれながら(我が家はクーラーは入れない。笑)、寝るのだが、実に至福の時である。マレーシアに住むという事=快適なコンド生活(最近あまり利用しないがプールもジムもあるコンドに、比較的安く住める)を楽しむということである。これまた、マレーシア万歳である。(日本の企業の駐在員ともなれば、超のつく高級コンドに住める。私のような現地採用者でも十二分な住環境である。)
てなわけで、夕食は簡素に。天ぷらうどんだった。妻は若干不満そうだが、一応日本食の食材を安くはないが手に入れることができるわけで、マレーシアに住むという事=適度な日本的生活を楽しむことができる、というわけで、これまたマレーシア万歳なのである。

2019年6月22日土曜日

フェイスブックとブログ

どうしても見たいフェイスブックがあったので、先日登録することにした。すると、知り合いかもしれないという配信がどんどん届いて、びっくりした。中学時代の友人が載っていたり、ピーター会(JICAの教師派遣でケニアに行った仲間)のM先生、前々任校でメールアドレスがわからなかったR先生を発見。公開されず直接メールを送れるようなので、連絡を取ってみた。
フェイスブックに登録したといっても、自ら発信する全く予定はない。PCで見るくらいだ。スマホには、PBTの卒業生と繋がるLINEと、PBTの教職員と繋がるWhatsUpを入れているが、SNSは、これで今のところ十分。一日中、スマホを見るような自分を想像できないのだ。

私の発信は、このブログのみ。継続は力なりというが、これだけ長く続くとは思わなかった。続けている理由はいくつかあるが、自己研鑽と卒業生への発信が大きいと思う。この3年間は、マレーシアにあって日本の友人への元気ですよ通信の役割も担っている。そして、10%くらいが、アフリカやESD、国際情勢などに対するオピニオンの発信というところだろうか。フェイスブックのスタンスとは、ちょっと合わない気がするのだ。やっぱり私は、ブログ派なのである。

2019年6月21日金曜日

PBTの話(35) ドリアン

忙しい一日だった。1限目の授業を終えてから、所用のためブキッビンタンへ。2時間でそれを済ませ、学校に戻った。第4回の定期試験の問題を確認しながら、解答用紙づくりである。それを印刷して、ようやくフィニッシュ。地歴と公民の2種類をつくるのはなかなか骨が折れるのだが、ここ2週間ほど徐々に仕上げてきた。試験は、来週の水曜日から3日間である。

今回は、国費の学生にも伝えたのだが、EJU風の基礎的な問題を中心に作った。EJU前の第5回定期試験は、まさにEJU直前模試の感覚で応用問題を増やすつもりだ。そして、国費生にはEJU後の修了試験もある。これは、まさに修了試験という問題にしたいと思う。この第4回定期試験が終わったら、それぞれ作り始めようと考えている。

さて、最後はスコールの轟音の中、連絡会。終わった後、ドリアンが出た。なんでもお客さんが持ってきてくれたそうで、大きなドリアンがいくつも並んでいた。このドリアンは、イボイボの果実が置いてあるだけで、強烈なにおいがする。社長室で、好きな先生方食していた。参加者は4割ほどだろうか。私は、香港で食べたのだが、食感が苦手だし、帰宅して糖尿病の血液検査もあるので遠慮した。そうこうしているうちに、写真を撮ろうと思い立ち、社長室に出向いたら、見事にほとんど食べられた後だった。好きな人には、たまらないものらしい。一方で、ハンカチで鼻を押さえている先生もいて、なかなか面白いシチエーションであった。(笑)

2019年6月20日木曜日

PBTの話(34) スラウ

この1週間、放課後補習をしてきた。国費生は、17:15に5限目の授業を終えて、17:30の私の補習開始までに、男女別に分けれてスラウで礼拝(3回目の昼過ぎから日没までに行うアッサル)の時間を持つ。

この4渇間で新しい発見があった。それは、ムスリムが行う清浄の儀式の話。女子学生は被っているヒジャブを、礼拝の前に一度外して、前髪の付け根のあたりを水で濡らすのだという。これは知らなんだ。よって、男子学生より、女子学生の方がよけいに時間がかかるわけだ。
PBTには、屋上にスラウ(礼拝のための部屋/もちろん男女別)がある。赴任した時に一度見にいったことがあるが、長い間行ってなかったので、今日はちょっと覗いてみた。礼拝自体は、香港をかわきりにいろんなところで見ているので、別にいいのだが、PBTのスラウのキブラ(メッカの方向)はどっちか学生に教えてもらった。
青の絨毯がひかれ、なかなか綺麗である。清浄のための洗い場は外にある。久しぶりに訪れたが、なかなか新鮮だ。まだまだ、学生から学ぶことがたくさんあるのだった。

2019年6月19日水曜日

PBTの話(33) 国際経済分野

放課後補習を入れただけで、思いのほか授業進度が進んでいる。昨日は国際収支と外国為替の話を一気に行った。国際収支は、難解な経済用語が登場するし、マクロ的なあまりにマクロ的な話なので、あまり面白くないのだが、最初に国際収支は、ゼロになるものだという原理原則を伝えた上で、貿易収支・サービス収支などを教えていく。これに金融収支の意味も教えたうえで、経常収支=金融収支になること、つまり、輸出して代金をドルで受け取る。輸出した財・サービスは経常収支、ドルで受け取るのは金融収支。1万ドルのモノを売って、$1万受け取るという簡単な原理をまず伝えた。よって、経常収支-金融収支=0となることを納得させた。だが、外国人労働者が故国に仕送りをした場合や、ODAで無償援助した場合などは、代価が返ってこない。このような場合を第一次所得収支とか第二次所得収支、さらに資本移転等収支などで吸収し、国際収支自体は最終的にゼロになるのだと語ったら、皆たいそう納得してくれた。今までで、最もうまく説明できたような気がする。
WWⅡ後の通貨体制や自由貿易体制もなかなかうまく説明できて、皆納得したようだ。この調子でいくと第4回定期試験は、経済分野全体を範囲に入れることができそうだ。

2019年6月18日火曜日

サントメプリンシペ

先日、ある会話の中でサントメプリンシペのことが話題になった。私が昔々、JACA大阪で、この国の人(研修員さん)に会った時の話だ。「何処から来たのか?」と聞くと、「サントメプリンシペだ。」と言われたので、私は「ああ、ギニア湾にある島国だね」と言ったのだった。彼はたいそう感激し、「君は私の国を知っている日本で2番目の人だ。」と喜んでくれたのだった。

サントメプリンシペは、元ポルトガルの植民地で、カカオ生産に特化した島国である。こんな話が話題になったのも珍しい。まあ、フツーの人は知らないだろうと思う。この時の会話では、私の「地球市民の記憶」のことが話題になったのだ。会話相手はすでに20カ国以上を旅したバックパッカーである。

ところで、PBTの先生方も元バックパッカーが多い。私が訪れたことない南米に行っていたなどという先生もおられるし、日本語の先生では、2・3年周期で各国を渡り歩いている強者もいたりする。私は、バックパッカーというより、リーマンパッカー(サラリーマン+バックパッカー:昔、地球人という雑誌で局地的に流行ったコトバ)だが…。(笑)

2019年6月17日月曜日

PBTの話(32) 6月EJU

この日曜日が、本年第一回のEJU(日本留学試験)であった。例年なら私も試験会場につめて学生を激励するところだが、今年は担任をはずれているので、国費生が出発するのを激励にいくことで勘弁してもらった。せっかくなので、マレーの「バジュ・メラユ」を着ていったが、予想通り見事に喜んでくれた。

朝7:00集合、7:10出発の予定だったが、バスがきたのが1分前だし、結局10分遅れで出発した。(笑)今年の国費生は真面目だが、日本的な時間管理はまだまだのようだ。

今日分かったことだが、試験はなかなか難しかったようで、毎年恒例の地理問題は、メラネシア・ポリネシア・ミクロネシアが出たらしい。見事にすかされた感じだ。だんだんEJUもセンターの地理B化してきたようだ。他教科も難易度が増しているらしい。

国費生にとって、大切なことは、これからの半年、どれくらい自立して努力するかである。宿題に追いかけられる毎日の中で、自分にとって最も効果的な学習方法を見つけやりきれるかである、などどいう話を今日はしておいた。昨日は現実を思い知らされた一日だったと思うが、ここからが再スタートである。

一方、今日から放課後の補習が始まった。さすがに、合計270分授業は疲れるが、精一杯やっていきたいと思う。

2019年6月16日日曜日

イラン:イスラエルからの視点

https://www.youtube.com/watch?v=-mTH5lL9aXA
オリーブ山便りに、興味深い記事が載っていたので、エントリーしていおこうと思う。
まずは、今回のイラン・ホルムズ海峡でのタンカーへの攻撃について。今回の攻撃は、アメリカはイランによるものだと公式に非難している。イランは、外相が「Bチームによる陰謀」とツイッターに書き込んだそうだ。Bチームとは、アメリカの(B)ボルトン補佐官、イスラエルの(B)ベンジャミン・ネタニヤフ首相、サウジのモハンマド・(B)ビン・アル・サルマン皇太子、アブダビ(UAE)のモハンマド・(B)ビン・ザイード・アル・ナヒャン皇太子をさしているらしい。(これなら、ムスリムの男性は全員Bチームに入るなあ、などと、私は失礼ながら笑ってしまった。ビンというのは、父親の名前の前につく語である。)

今の時点で、この攻撃が誰のものであるかは不明だが、アメリカもトンキン湾事件の過去があるし、イスラエルは動機が十分、サウジもUAEも動機としては十分あるわけで、なんとも言えない。

オリーブ山便りは、こう結んでいる。「かつてイスラエル人がバビロン捕囚になっていた時代、彼らをエルサレムへ帰らせ、神殿の再建を実現させたのはペルシャである。イランは今は宿敵になっているが、イスラエルの祝福になる可能性も秘めている。神の前に、本来のイランの姿を取り戻せるようにと願う。」…なるほど。
http://mtolive.blog.fc2.com/

ちなみに、ガザから凧に火炎物を乗せ、イスラエル南部に攻撃したり、ロケット弾の攻撃も行い、相変わらず報復の空爆を受けている。(日本のマスコミは、日常茶飯事だとしてほとんど報道しないようだ。)ラマダンが終わり、国境でのデモが再開したようなのだが、この裏に、イスラエルの妨害で、カタールからのパレスチナ人への現金配布($3000万ほど)が遅延しているという問題があるらしい。一人当たり$100もらえるらしく、オリーブ山便りに満面の笑みをたたえた男性の写真が載っている。オリーブ山便りは、黙示録18章を引用して、経済という支配者が神によって崩壊させられることを記している。

…いつもながら、オリーブ山便りは、新鮮な情報源になっている。

2019年6月15日土曜日

土曜日のタマンデサ3

タマンデサメディカルセンター待合室 今日は緑のハリラヤの飾りつけがされていた
https://ja.airbnb.com/things-to-do/places/825282?s=4&_set_bev_on_new_domain=1560592590_srkRqPTwGLr2atRD
 3か月ぶりに、朝からタマンデサのメディカルセンターに行ってきた。もちろん、診察を受けて糖尿病の薬をもらいに行くためである。なんと今日は採血がなかった。実は、この採血がへたくそなので助かった。毎日採血マシーンで計っている身としては、当然と言えば当然だが…。今回も採血結果・三か月分を記載した紙を持って行った。

ドクターは、3か月間の採血結果の数値を見て、「グッド、ベリーグッド、パーフェクト」と言ってくれた。これだけ褒めてもらうと、その苦労のかいがあるというものだ。確認しておくと、この血糖値の採血結果、日本は基本を100に置いているが、マレーシアでは5.1である。私の場合、だいたい、学校から歩いて帰った直後に計ることが多い。月曜日から水曜日は3コマも授業(90分×2+45分=日本の高校から45分授業として5限分)があるので、かなり血糖値が低くなる。そんなことをドクターと英語で話す。(と言うとかっこいいが、リスニングはかなりあやふや。笑)とにかく、ドクターは触診の後も、この半年ほど血糖値の値も、体調も良くなったと褒めてくれたのだった。

3か月後の予約を一応して、薬を少し多めにもらうことになった。相変わらず、薬代は高い。治療費を含めて、RM1117だった。ひえー。ちょっと日本円に直すのがはばかれる金額である。これだけ高いとメイバンクのクレジットカードの使用限度を超えたようだ。
すぐそばのメイバンクで現金(RM1000)をあらかじめ下ろしていたので財布に現金もあったが、ほんのちょっと足りない。で、インド人の会計スタッフが、カードを使用して、足りない分を現金で決済してくれた。こういうことは初めてだが、結局ノープロブレムだったわけだ。病院に行くと、毎回、ドラマがある。(笑)

2019年6月14日金曜日

PBTの話(31) 義

武士道を語る際に、最も重要な徳目は私は「義」であると思う。よく「武士に二言なし」などと言うが、責任と信用を重んじる武士にとっては、極めて重要な徳目であると思うのだ。新渡戸稲造の『武士道』でも、義は武士道の光り輝く最高の支柱と表現されている。(勇、仁、礼、誠、名誉、忠義などの項目の中で最初に論じられている。)

実は、今日は急に所用ができて、1時間目の授業をした後、早退しなければならなかった。(有休は全日分取っておいた。)ふと朝、思い出した。今日が締め切りの宿題を出してあったのだ。経済分野の第1回目の宿題で、この土日はEJUもある。解答をしたうえで返したかったので、今日提出にしてあったのだ。1時間目の授業が終わって、急いで添削をした。掲示用の解答もいつもは掲示しないのだが、質問があっても対応できないので、登校してすぐに作成した。日直の学生にお願いして、クラスの宿題を返してもらう手筈も整えだ。授業の後、約25分間、集中して添削し、12時の約束を念頭に急いでPBTを後にした。

ただ単に、早退するのに、そういう手をうった、ということだけではない。新渡戸の言う『無条件な絶対命令』なのだ。やらなければならないことをやる、という事は実は大変だし、勇気と繋がる。

新渡戸は『勇は義の相手にて裁断の言也。道理に任せて決定して猶予せざる心をいふ也。死すべき場にて死し、討つべき場にて討つ事也。』と言う林子平の言を引用している。この齢になって、その意味するところが少しわかるようになってきた。マレーシアの学生に、私自身の行動を通じて、日本の武士道を少しでも伝えたいなと思う。

2019年6月13日木曜日

PBTの話(30) 金融政策

経済分野は、「金融政策」が最も大きな山ではないかと私は思っている。今日、EJU直前にして、その金融政策に突入した。まずは、マネーストックの話。通貨量のなかで意外に現金通貨の占める割合は小さい。インフレやデフレは、人間の身体で言うと、血が多すぎる(インフレ)と血がよく回っていない(デフレ)である。インフレの時は血を抜く必要があるし、デフレの時は、輸血しなかればならない。マネーストックの量を変化させる事が必要で、この中心となるのが、政策金利である。マネーストックの預金通貨を金利の上下で調整するわけだが、この説明には、なかなか熟練の技がいる。(笑)特に、今年の国費生はムスリムなので、金利という概念に本来的には否定的だし…。

公開市場操作(売りオペ・買いオペ)も、日銀が主語で、売り、買いであることを明確にしてあげる必要がある。日銀が売り、市中銀行から通貨が吸い上げられる。これはインフレの時。買いオペは、日銀が買い、市中銀行に通貨が注入=輸血されるわけだ。

こっちの方が人間の血=貨幣というたとえでは、わかりやすいのだが、売り・買いだけで覚えると混乱する。主語は日銀、これがスキルである。(笑)これまでの3年間のPBTの卒業生には悪いな、と思うくらいの満足できる授業だった。

ところで、意外に受けたのが、日本のお札(ちょっと古い伊藤博文とか、夏目漱石とか。伊藤博文は、大日本て国憲法の制定や初代総理として総合科目でもよく登場するメジャーな人物で、おおおと声が上がったし、夏目漱石では、「明暗」という掛け声もかかった。日本語初級の教科書で学んだマイナーな作品名である「明暗」が出てくるのだった。)や日銀を上から見たら「円」になっている画像である。そのユーモアにみんな感激していた。経済分野のパワーポイントを新たにつくってよかったと思う。(笑)あらためて、これまでの卒業生に、ごめんねと伝えたい。

2019年6月12日水曜日

PBTの話(29) 放課後補習

補習の連絡用紙に使ったブラウン君
次の日曜日は、第一回目のEJU(日本留学試験)である。私の担当している国費生は、やっと「市場の失敗」まできて、いよいよマクロ経済突入という進度なので、結果は問わないことにしている。今年の進度が遅いのは、日本語を理解させることに手間取っているせいもあるが、国立大学に進む国費生はまさに11月が勝負なので、焦らず、じっくり理解させようというコンセプトでやっているからである。

とはいえ、これからのことを考えるとあまり時間がない。

昨日、関係の先生方の了承を得て、EJU終了後から月火水木と45分程度の放課後補習を行うことにした。(金曜日は、会議や連絡会等もあるので休みにした。)2クラスなので、私は毎日だが、学生は週2回になる。したがって、90分授業がそれぞれ1コマ増える計算になる。これでなんとか責任を果たせるかな、と思う。

2019年6月11日火曜日

環境考古学の新書を読む。4

ドルイド僧
www.mythencyclopedia
.com/Dr-Fi/Druids.html
「森を守る文明 森を支配する文明」のエントリー4回目である。これで最終エントリーにしようと思う。環境考古学から見たドルイドの話とペストの話を中心としたい。

地中海沿岸の森林破壊が進んでいたが、アルプス以北では、オーク(かし・なら等)の森林が健在であった。この「オークの知恵を持つ者」という意味の名で呼ばれていたのがドルイド僧である。ケルト文明の中核を担っていた彼らは、冬になると葉を落とすオークの木のヤドリギの金の実を金の鎌で切り落とし、配っていた。このヤドリギの実の中にオークの生命が宿っていると考えられていたからである。しかも、このオークの樹皮の内側は柔らかく家畜の餌になった。欲張りなものがこの皮をたくさん剥ぐと、ヘソの皮を剥がれ、オークの大木の周りを皆に追いかけられ、内臓が出てきて死ぬというかなり強烈な刑が科せられた。まさに木のための生贄である。ドルイド教の世界では、人間と木は同等だったのである。しかし、ドルイドはキリスト教にとっては邪教であり、ドルイド僧は惨殺され、オーク共々滅ぼされてしまう。

ウィーンのペスト記念塔
https://jp.depositphotos.com/20
5889760/stock-photo-plague-column-v
ienna-monument-symbol.html
中世の12世紀から始まる大開墾時代は、まさに人間社会のために、自然を生贄とする時代となった。14世紀には、人口支持力を超えてしまう。ちょうど、地球も寒冷化が始まり1600年頃から著しい寒冷期(小氷期)に入る。その直後1348年にペストが大流行する。環境考古学的な視点では、森林破壊によって、オオカミ、キツネ、イタチ、フクロウといったネズミを捕食する動物の住処が失われ、ペストを媒介するクマネズミが大繁殖したのがその理由とされている。都市化が進み都市に人口が密集していたのも大きく、この時ヨーロッパの人口の25~30%が失われたという。16世紀から17世紀に再びペストが大流行する。この時も森林の枯渇が激しかったことが花粉調査で明らかになっている。すでに資本主義化が始まっており、木材の値段が急騰、少し遅れて小麦の値段が急騰した。都市の貧困層が食糧不足で抵抗力が落ち、被害が広がった。このペストが収まった理由は、森林消滅によってレンガ造りの家が増え、ネズミの生息する天井裏が無くなったからだと言われるが、著者は1660年から始まったイギリス東インド会社からインドの綿織物輸入が大きいと考えているようだ。毛織物に比べ、すぐ乾き、蚤の繁殖を防ぐことができたからではないかというわけだ。…なるほど、毛織物から綿織物への移行はこういう側面もあるのかと大いに感心した次第。

…この環境考古学の新書、なかなか面白い話が満載で世界史の教材研究として大いに参考になったのだった。

2019年6月10日月曜日

今再びユネスコスクールの話

http://www.unesco-school.
mext.go.jp/ASPUnivNet/
マレーシアに来て3年と2カ月。ユネスコスクールの夢を絶たれて10年近くになる。M高校にいたときは、まだ大阪の高校でユネスコスクールに参加していたのは、国立・府立・私立のたった3校だった。「これに市立が入れば、ビンゴですね。」と先駆者の先生に励まされながら進んできたが見事に挫折した。先日、一時帰国の際に後輩のU先生と話していたら、M高校は、N高校・O総合高校と統合されるのが、既定方針になっているらしい。愛するM高校が統廃合されるというのは、ある程度予想されていたものの、やはりショックだった。

あの時、M高校をユネスコスクールにしておけば、そうやすやすと統廃合されなかったと思うと本当に残念だ。ユネスコスクールは、本部はユネスコだが、ある意味文部科学省の重要プロジェクトである。

10年ほど、ユネスコスクールの話から遠ざかっていたが、今や各地域でユネスコスクールの参加申請やESDの推進のために、各地の大学がネットワークをつくっている。ユネスコスクール支援大学間ネットワーク、ASPUnivNetと呼ばれている。関西は、奈良教育大学が中心だと聞いていたが、前出の先駆者の先生がおられる大阪府立大学、京都外国語大学も入っていた。この大学の支援を受けながら、申請をしていく方式に変わっている。私が目指していた頃は、このようなシステムは、全くなかった。ユネスコスクールを目指す小中学校などにとっては大いに力強い味方だろうと思う。

また最近は、ユネスコスクールの中でもサスティナブルスクールという、ESDをさらに深化させる学校も推進事業として認定されている。文部科学省は、ESDの推進に本気で取り組んでいるわけだ。

こういう記事を読んでいると、忸怩たる思いが蘇るのである。

環境考古学の新書を読む。3

https://www.thedailybeast.com/paul-the-apostle-was-a-possibly-gay-elite-radical-who-believed-in-equality-for-all
さらに「森を守る文明 支配する文明」のエントリーを続ける。紀元前1200年頃、ミケーネもヒッタイトもエジプトも危機に見舞われる。これは、北方からの民族移動だと言われているが、環境考古学の研究が進み、花粉分析で気候の寒冷化によるものだと推測されている。ユダヤ人がモーセにより一神教の民となったのも、ちょうどこの頃である。さて、旧約聖書には、アダムとイブの話があり「蛇」を邪悪なものとしている。森を守るのではなく、支配する立場にある。(このことは、最初のころから想定していたが、やっぱり出てきた。基本的に、著者はアニミズム・多神教万歳というスタンスである。)環境考古学から見た面白い話を続ける。

紀元50年頃、アンティオキアの司教だったパウロが、エフェソスに来た。ここでキリスト教が対決しなければならなかったのは、蛇をシンボルとした医学の神アスクレピオス神であった。病気を治すのが新興宗教にとっては手っ取り早い布教法である。ミレトスの海岸線は森林破壊によって、表層の土が削られ、海岸線が泥土が堆積していた。内湾の港町エフェソスをこの泥土で大量発生したマラリア蚊が襲う。多神教とは勢力を弱め、宗教的な義務から看護に努めたキリスト教が力を持っていく。古くからマラリアに汚染された地域からやってきた宣教師ならば、マラリアに対抗力があり、それが神の力に見えただろう。こうして勢力を拡大したキリスト教は紀元392年に国教となる。

…こういう話は初めてで、大変興味深いと私などは思うのだが…。

2019年6月9日日曜日

環境考古学の新書を読む。2

https://www.realmofhistory.com/2017/03/20/listen-epic-gilgamesh-ancient-sumerian/
「森を守る文明 支配する文明」のエントリーのつづきである。本書では、日本で森を守ったと著者が絶賛する最長と空海の話になるが、これは割愛。さらに地中海世界の森林破壊の歴史的かつ科学的考察になる。なんといってもレバノン杉の話である。

有名なギルガメッシュ叙事詩は、森林破壊の話で、都市や神殿を作り青銅器の鋳造や土器を焼くために材木が必要で、ギルガメッシュ王は森の神フンババが守る森に出かける。あまりの美しさに立ち尽くすものの、町のため人間の幸福のために木を伐採する。怒ったフンババは口から炎を吹き、ギルガメッシュに襲いかかるが従者のエンキムドゥにやられてしまう。森の神が殺されたことを知った最高神エンリルは、「大地を炎に変え食物を火で焼き尽くす」と激怒する。砂漠化を意味するこの言葉は、後に現実になるわけだ。

さて、その続きは、大地母神イシュタルがギルガメッシュに恋心を抱くが断られる。これに怒ったイシュタルは、天空神アヌに天牛をギルガメッシュの都市国家ウルクに送る。鼻息で100人の男たちが入るような穴をつくる天牛だったが、穴に落ちたエンキムドゥは、その尾をひっぱり、ギルガメッシュが刺殺したという。

このメソポタミアから地中海世界で、牡牛は力の象徴であり信仰対象であった。ギリシア神話の迷宮の怪物ミノタウロスの話は有名であるが、ミノア文明もミケーネ文明も森林破壊が原因で衰退していく。それとともに牛への信仰もすたれていく。今やこれらの地域で牛が草をはむ場はなく、忘れ去られて当然かも知れない。ただスペインだけが闘牛というカタチでこれを護っているのかもしれぬと著者は嘆いている。なるほど…。

2019年6月8日土曜日

環境考古学の新書を読む。

またまた日本人会の無人古書コーナーで、RM1本を手に入れた。「森を守る文明 支配する文明」(安田喜憲著/PHP新書 1997年10月)である。かなり古い本だが、目次を見て興味をもった次第。この本は、半分、文化人類学と世界史なので、意外に早く読み進んだ。

最初は縄文人の土偶の話から始まる。妙に目が強調されているところから、シリアの大地母神との共通点が語られ、さらにメドゥーサに続く。アレクサンドロスやローマの皇帝は鎧にメドゥーサをつけていたらしい。ここでも邪気をはらう目の重要性が語られる。さらに、イースター島のモアイの話に進む。モアイは村長の死によって作られ、完成時に目の部分を挿入し、島の中央部を向いているそうだ。ところが、イースター島は、森林破壊で崩壊する。さらにさらに黄河文明より古いのではないかと言われている長江文明の三星堆遺跡の目が飛び出た青銅製のマスクにも話が飛ぶ。ちなみに、この三星堆遺跡の目が飛び出た青銅製のマスク、いつだったか忘れたが展覧会に行ったことがある。なかなかの迫力であった。また、我が家には息子のトルコ土産で青い目のガラスのペンダントがあるのだが、これも邪気を払い、他人がうらやむような結婚式や家の新築時に、他人の邪悪なものをにらみ返すためのものだそうな。
三星堆遺跡のマスク https://www.travel.co.jp/guide/article/14068/
人は死ぬとまず目に力がなくなる。目は生命の源泉であり人間の命の窓であり、新たな生命の再生を司るという畏敬の念を古代人は持っていた、これらはその例であると著者は主張する。

しかし、これらの目を強調した像は、森林の破壊と共に滅んでいった。縄文から弥生へ。地中海の森林破壊。イースター島の森林破壊…。森との関係はさらに蛇の話へ進んでいく。

日本書紀の三輪山のヤマトトトビモソヒメとオオモノヌシの話から始まり、バチカン博物館にある有名なラオコーンの横にある蛇巫女の像、常陸国風土記、クノッソスやエジプトの蛇の彫刻の話へと繋がる。意外だったのは、アレクサンドロス大王の母オリュンピアスは熱狂的なディオニソスの蛇信仰の信者であったことだ。彼女はいつもディオニソス信仰の儀式を執行するマイナデス(狂女の意)たちと生きた蛇を打ち振りながら、森の中を走り回っていたという。アレクサンドロスは母の影響を受けていたようで、アレクサンドロスではこの蛇信仰とメドゥーサ信仰が融合していく。蛇は、オオカミとともに森の象徴であると著者は主張している。

目と蛇、そいてオオカミ。こういったシンボルが森を守ってきたが、人間の文明(食のため、道具制作のため、神殿や棺桶などの宗教のため、船の制作のため、農耕地拡大のためなど)が、森を破壊していったのだというわけだ。なかなか環境考古学は興味深い。

2019年6月7日金曜日

ハリラヤ・プアサ

この5日・6日は、ハリラヤ・プアサでマレーシアでは2日続けて休日だった。ハリラヤ・プアサは、断食月(ラマダーン)が終わったという祝日である。当然ながら花火もバンバン上がる。(ただし、中華系の旧正月ほどではない。)

休日とはいえ、我が家では、どこにも出かけない。牛乳がきれそうなので、いつものDマートに買い物に出かけたくらいだった。ショップロットでは(中華系が多いのだが)多くの店がクローズしている。この時期故の屋台が一件出ていたので、写真を撮らせてもらった。これは、マレーシアで、お祝い事をする時の竹の筒で炊くもち米である。私は、好きなのだが、妻はあまり好みではないので買わなかった。申し訳なく、Thank you!と言ったら、「メルシー」という言葉が返ってきた。うーん、ミステリアスなハリラヤ・プアサである。(笑)

2019年6月6日木曜日

Hard Rock Cafe 京都

http://hardrockjapan.com/event/8128/
ハードロックカフェの京都店が7月にオープンするそうだ。私は、ハードロックカフェのコレクターを自認しているが、マレーシアでもハードロックカフェのファンは多くて、Tシャツを着ている人もよく見かける。

今まで京都になかったのが不思議なくらいである。場所は祇園らしい。町屋を改造した店になるらしい。先行でグッズの店がすでに営業しているようだ。私は、この写真にある暖簾が欲しいな。外国人観光客には、十分な需要があると思う。

ところで、マレーシアには、KL、ペナン、マラッカにハードロックカフェ(ペナンはホテル)がある。まだマラッカのポロシャツしか手に入れていない。KLでマラッカのポロを着るのは私の美学ではギリギリセーフである。まあ、サンフランシスコのTシャツをロスで着るようなものだ。KL在住者の美学上、KLの店の場所は知っているが行ったことはない。ペナンは、ちょうどジョージタウンから見て西海岸にあり、結局行っていない。

ともかくも、京都のハードロックカフェ、暖簾とロゴ入りのTシャツ、ちょっと欲しいな。
http://hardrockjapan.com/event/8128/

2019年6月5日水曜日

ジャングルロードで帰る。

PBTからの帰路は、650番のバスが一番いいのだが、血糖値を下げるために、このところ、600番台のバスでタマンデサの入り口まで行って、そこから歩いてきた。我が住処は、タマンデサでもかなり高台にあるので、だらだらと上り坂が続き、体に良い汗をかくのである。
とはいえ、バスはしょっちゅう停滞していて、しかも大変な満員であることも多い。そんな時は、3つくらい前のバス停で降りて、ジャングルロードを使うことにした。このルート、見事なショートカットなのである。左図の青線がこれまでのルート、赤線がジャングルロードのルートである。歩く距離は短いが、かなりの急坂であり、途中熱帯雨林の中を通ることになる。道幅は狭く、一応バイクや自転車用の舗装はされているが、車は通れない。ジャングルロード自体は約200mほどであるが、奇妙な鳥だがカエルだかわからない普段聞かない鳴き声はするし、趣は十分である。(笑)
ジャングルロードの入り口
ジャングルロード自体は平坦である
中間地点ゴールが見えてきた。
ゴール地点 住処へはもうひとつ急坂を登る必要がある
日、時間を計ったら、バス停から住処まで約10分。歩く時間は短縮(5分ほど)できるし、バスの停滞の時間を考えると、10分から15分は早く帰ることができると思う。血糖値の値はちょっと比較できないが、汗をかくのは同じくらい。蛇がでてきたら怖いが、まあサルやマレーバクはいないと思う。(笑)

2019年6月4日火曜日

マラッカ海峡物語を読む。2

http://blog-imgs-30.fc2.com/o/m/a/omakasetabibito/Penang_CCI00000.jpg
「マラッカ海峡物語」の書評エントリーのつづきである。この本の中には、ジョージタウンの通りの名称についていろいろ書かれている。1790年代から1世紀の間に国際都市化していく中で、棲み分けが出来ていく。

1.イギリスの東インド会社の支配拠点・コーンウォリス要塞とその西に隣接する兵営。要塞の南部にヨーロッパ人の居住区・商業地区=ライト通り。(ライトはペナンの初期開拓者)
2.ヨーロッパ人の避暑地=司教通りと教会通り
3.華商の集住地=華人通り。インド人の集住地=チュリア通り(チュリアは当時の南インド系のムスリム海商のこと)。アルメニア商人の所有地=アルメニア通り。
4.華人・インド人・マレー人の混住商業地=市場通り。
5.インド人移民への恩賞地=ピット通り。(後にのカピタン。クリン。モスク通り)
6.ポルトガル系ユーラシア人の仮住地=シントラ通り(後の日本人街)
7.周辺の開拓地=カーナポン通り・大臣通り・華人墓地・プロテスタント墓地。
そのほかに、アルメニア通りの1本南にアチェ通りがある。アラブ系の名士の所有地で、モンスーンを使ったアチェやマレーの交易商人たちが数か月滞在していた。定住していなかったので、インド人街に吸収されてしまう。

こんな話を聞くと、またペナンに行き確認したくなるのである。たしかにペナンは面白い街だ。

2019年6月3日月曜日

マラッカ海峡物語を読む。

日本に一時帰国した際に購入した「マラッカ海峡物語」ーペナン島に見る多民族共生の歴史ー(重松伸司著/集英社新書 2019.3.20発行)をやっとこさ読み終えた。長くかかったのは、途中「社会学史」に完全に浮気したこともあるが、読みにくい文章であったことはいがめない。個人的に内容に関して、ものすごく興味があるのだが、どうも書かれている内容がバラバラにプラスチックバック(ビニール袋)に投げ込まれているような感があって読みにくかった。

とはいえ、ペナン島がイギリスの東インド会社によって領有され、それまでこの海峡で活躍していた様々な海の商人が島に居住していく歴史のダイナミズムが面白い。アラビアのイスラム商人、福建や客家、広東の華僑、地元のマレー人、ベンガル湾を渡ってきたインド人。そしてポルトガル人、オランダ人、アルメニア人。各民族にまつわるストリートの名前を確認するだけのために、ペナンの中心地、ジョージタウンにもう一度行ってみたいなと思わせる。

マレーシアにあると、どうしても中華系やインド系の人々はどうして、ここマレーシアに存在しているのかということを考えてしまう。彼らにとっての祖国はマレーシアであるのに、である。彼らの祖先はどういう理由でここに来たのか、こういう問いにこの本は、ペナンを基準として、ある程度答えてくれる。

マレーシアの歴史から大きく見れば、中華系は主に錫の開発のために来た、インド系はブラジルから輸入した天然ゴムのプランテーションの労働力として、さらに英語が使える公務員として、などというのが定説である。

ところが、それ以外にも来馬の理由があった。たとえば、インド系は囚人がインフラ整備のために送り込まれていた。あるいは、華僑集団の対立が治安悪化を生み、その対策としてセポイ(兵士)を呼び寄せたり、シーク教徒も呼び寄せられている。イギリスからすると、植民地のインド系はこういう使い方をされたのだろう。有力華僑もまた、錫だけでなく、清朝との関係の中で様々な貿易や荷役など地縁血縁でどんどん呼び寄せ、自集団の勢力拡大に使っている。

本の帯に「人間は共存可能だ」という綺麗ごとが書かれているが、ペナンでは実際のところ、華僑やインド系の有力者が事実上の治安をまかない、各集団内のもめ事を一手に引き受けて、イギリスの統治を助ける装置として存在していたというのが正しい。(イギリス人の友人もいるが、彼らのやり方は「狡猾」としか言いようがない。)

貿易の利権をめぐって様々な対立も起こっているし、特に華僑集団間の抗争は半端ではなかったようだ。こんな中で、ポルトガルやアルメニアはペナンから引き上げっていったようだ。たしかに、この頃から、少なくとも宗教的な対立は起こっていないようだ。他の民族集団の宗教への寛容さというより、無関心といったほうがいいのかもしれない。ペナンにも、モスクや道教寺院、ヒンドゥー寺院、シーク教の寺院などが各民族集団の居住地と重なるように建てられていく。この伝統はKLでも同じようだ。

マレーシア憲法を読むと、独立にあたって、中華系、インド系の居住者を、定住者(つまりはマレーシア国民となることを望む者)とそれ以外に必死に振り分けようとしているようだ。たしかに、呼び寄せられただけの者もいるし、季節的な移住者もいる。たしかに大問題だったと思われる。

ふと、バスに乗っていると、やはりみんなどこから来たのだろうと思う。ラマダン中のマレー系も、どこか田舎の村から大都会KLに出てきたのだろうか。額に赤や白のビンティをつけたインド系も祖先は何を生業にしていたのだろうか、そして個性豊かなファッションをしている中華系も…。中華系の学生に聞くと、最近は華僑の出身地を問題にする傾向はかなり薄れてきたという声が多い。一人一人に様々なヒストリーがあるんだろうなあ、などと(一応そう規定されているだけかもしれないが)単一民族国家の日本人は感慨にふけるのである。

2019年6月2日日曜日

愛機Think padが突然壊れた。

私の自宅のコンピュータ Think pad が、突然壊れてしまった。昨日の夜までちゃんと動いていたのだが…。まあ、アマゾンでももう取り扱っていない古いタイプのものだし、これまで何度もこういうことがあったので、仕方ないとしか言いようがない。

今、妻の赤いパソコンでブログを書いている。このパソコン、妻がマレーシアに来る前に購入したものだが、スペックが低くて、Windows 10の更新ができないという凄いマシーンだ。だが、なんとかインターネットが繋がったので、不幸中の幸いである。

ipadは、何度か試したが、私のパスワード入力画面までいくのだが、パスワードを入れると、真っ黒になったまま動かない。うーん。原因不明。日本人会のW堂のコンピュータ修理は土日限定なので、来週にでも持って行ってみようかと思う。

妻が、故障を知って、買い替える?と言ってくれた。さすがに、マレーシアでコンピュータを買うと日本語入力はできるけれど、キーの配置も違うし、いちいち英語でコンピュータが語りかけてくるので面倒だ。コンセントも違うし、日本では使えない。(日本で使用可能な機器があるそうだが…。)まあ少し様子を見ようと思う。

2019年6月1日土曜日

土曜日のタマンデサ2

今日も、妻と買い物に出た。Dマートで、まず昼食。Dマートには、カフェ(中華料理が多い)と、飲み物、パン、お寿司、スイーツまでいろいろと注文できるゾーンがある。今日はまず腹ごしらえをしてから、買い物となった。

いつものように、フルーツや牛乳などとともに、いろんな食材を買い求めたのだが、面白いお菓子を発見したので、思わず写真に収めてしまった。(上記画像参照)マイケルジャクソン風のキャラクターが描かれたスナック菓子。袋の後ろには中国語が書かれていた。どうやら香港の会社が関わっているらしい。肖像権はどうなっているのかは不明だが、かなりのインパクトだ。キャッシャーでこれを買っていたおじさんと会った。思わず手が出たんだろうと思う。(笑)

これも催しモノコーナーにあったお米である。達磨の絵が描かれているのは、マレーシアで初めて見た。そそらく、どこかで作っているジャポニカ米であると思う。
ひらがなで「こしひかり」と記されてあるが、ちょっと信用できない。
Dマートでは、時々こういう不思議な商品を発見することがある。こういうのも、週1の買い物の楽しみである。帰りはスコールがちょうど止んで、濡れずにすんだのだった。メデタシ・メデタシである。