2019年6月27日木曜日

PBTの話(38) フッサール

社会学を勉強しているL君から質問があった。今読んでいる「社会学史」の中でフッサールの現象学を社会学に応用する云々の話が出てくるのだが、意味がわからないとのこと。たしかに私の西洋哲学史ではフーコーやデリダ、ドゥルーズは教えるが、フッサールには触れていない。現象学は、かなり難解であるし、現代思想では様々な影響を与えているものの、高校生対象なら省いてもいいのではないかと長く判断していたのだった。

最近「現代フランス哲学」(久米博著/新曜社1998年)という本をつまみ読みしている。もちろん、日本人会無人古本コーナーにあったRM1本である。(定価は2400円もする。)レヴィナスの項を読んでいると、そもそもレヴィナスは、ベルグソンからフッサールの現象学に乗り換えて、直接講義を受けている。現象学の真理性を認めているが、ただ、ユダヤ人としての誇りをもつレヴィナスは、プロテスタントに改宗したフッサールの講義には失望したらしい。その後フッサールの後任となったハイデッガーの存在論の虜になるのだが、ハイデッガーがナチ党員になると、一気に批判に回る。収容所で「実存から実存者」へという論文を書く。

内田樹先生の師匠であるレヴィナスの哲学を学ぶにも、フッサールやハイデッガーの現象学的な視点が必須なのである。

今回は、L君に哲学用語図鑑(田中正人著/プレジデント社2015年)を使って説明した。説明する限りは、私が理解していなければならない。当然であるが、これによって、レヴィナスの志向する現象学の神学的転回の意味が見えてきた。L君のおかげである。(笑)

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