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「マラッカ海峡物語」の書評エントリーのつづきである。この本の中には、ジョージタウンの通りの名称についていろいろ書かれている。1790年代から1世紀の間に国際都市化していく中で、棲み分けが出来ていく。
1.イギリスの東インド会社の支配拠点・コーンウォリス要塞とその西に隣接する兵営。要塞の南部にヨーロッパ人の居住区・商業地区=ライト通り。(ライトはペナンの初期開拓者)
2.ヨーロッパ人の避暑地=司教通りと教会通り
3.華商の集住地=華人通り。インド人の集住地=チュリア通り(チュリアは当時の南インド系のムスリム海商のこと)。アルメニア商人の所有地=アルメニア通り。
4.華人・インド人・マレー人の混住商業地=市場通り。
5.インド人移民への恩賞地=ピット通り。(後にのカピタン。クリン。モスク通り)
6.ポルトガル系ユーラシア人の仮住地=シントラ通り(後の日本人街)
7.周辺の開拓地=カーナポン通り・大臣通り・華人墓地・プロテスタント墓地。
そのほかに、アルメニア通りの1本南にアチェ通りがある。アラブ系の名士の所有地で、モンスーンを使ったアチェやマレーの交易商人たちが数か月滞在していた。定住していなかったので、インド人街に吸収されてしまう。
こんな話を聞くと、またペナンに行き確認したくなるのである。たしかにペナンは面白い街だ。
いつもブログを興味深く拝見させていただいています。
返信削除ペナンに住んで3年になりますが、ジョージタウンの街歩きは飽きることがありません。紹介されているのはよく知る通りの名前ばかりで、この本を読んでみたくなりました。
次回の一時帰国の折りに探してみようと思います。
cocomi様 コメントありがとうございます。ジョージタウンは、ほんと面白い街ですね。この本はがが学術論文と言うか大学のテキストだったようです。これからもよろしくお願い申し上げます。
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