2013年6月29日土曜日

再考・西アフリカの食糧危機

サヘルの村で、農具を見せてくれるガイドのオマーン。耕すという感じではない。
6月20日付のalteranaというWEBのニュース記事によると、サヘル地域で大干ばつになっているとの話だ。先日、ブルキナの物価高の話をエントリーしたが、食料に関しては、ブルキナの経済成長と言うよりも、この不作による高騰という面が大きそうだ。セーブ・ザ・チルドレンが食糧危機宣言を出し、、ニジェール、マリ、モーリタニア、ブルキナファソで緊急支援を開始したらしい。

アフリカの資源開発に伴う経済成長と、投資拡大というスポットライトの陰で、このような食糧危機を克服することがいかに困難であるかを再考することになる。私のアフリカSDゲームでも、教育・保健医療という基礎的な政策の次に、農業の生産性の向上、特にアフリカの慢性的な穀物輸入体制をどうにかしなければならない、という道筋を設定している。

とはいえ、このサヘル地域における農業生産性の向上をいかに行うべきか、まさに難問中の難問なのである。実際に足を運んだブルキナの北部の乾燥地域は、地力の低い、耕すにも耕せないような土地なのだ。今日の画像にあるが、ガイドのオマーンに農具を見せてもらって、その大変さを実感した。土地が砂地で固く、耕すという感じではない。車窓から何度も農地で働く人々を見たが、土地をなぞっている感じである。ミレットやソルガムなどの雑穀を植えているのだが、カロリーが低いうえに生産性は極めて低いのだ。(当時、NGO:緑のサヘルで活躍していた農学の専門家・Mさんにも講義をしてもらった。Mさんを紹介してくれたIさんにも感謝している。)だから、先日のエントリーで告白したように、ブルキナを舞台にした開発経済学のアクティビティの構想が頓挫したのである。灌漑と土地改良で、農業生産性が向上するのはわかっている。しかし、この地域ではその投資に耐えられるほどの生産物を生み出す力がないのだ。結局、ブルキナの開発をどうすればよいか、私には見当すらつかなかったのだ。

それでも、ブルキナはまだ南部地域の雨量が多いので、ましなのだが、ニジェールやマリとなると、ニジェール川の灌漑を利用するしか方策がない。一方で、人口支持力をゆうに越える人口爆発で、ますます食糧問題は深刻化しているのだ。絶望的な貧困は、紛争に加担する若者を呼ぶ。遊牧の民にとって、紛争とそのための死は日常でもある。こういう本質を論じていくと、どうしても先が見えなくなってしまうのだった。
<alteranaのNEWS>
http://www.alterna.co.jp/9253

2013年6月28日金曜日

ベツレヘムの「スタバ」

イスラエルの息子夫婦から、一週間遅れの父の日のプレゼントが届いた。妻から「何か送ってくれているらしいで。」と聞いていた。「まだ着いてないか?とメールで聞かれた。イスラエルの郵便事情が悪いらしい。」とも。…と、いうわけで今日ついに到着したわけだ。ありがたいことである。

何が入っているのか、届いたのは不思議な箱だった。開けてみるとマグカップ。それも、ベツレヘムのスターバックスのマグカップである。パレスチナの文字も入っている。(注:ベツレヘムはパレスチナ自治区にある。)おお。日本では思い切り、レアである。

さっそく冷コ(大阪でアイスコーヒーの事はこう呼ぶのがならわしだ。)を入れて飲んでみた。なかなか良いぞ。妻の言。「ベツレヘムに、スターバックスってあったかなあ?」「うーん。HPのアドレスも書いてあったし、あるんやろう。」で、調べてみたら、『スターズ&バックス・カフェ』であって、『スターバックス・カフェ』ではなかったぞ。(笑)香港も真っ青のパクリ&バッタもんであったわけだ。

実は私は、こういうバッタもんが大好き。ハードロックカフェの正規品(ポロシャツやTシャツ)もたくさんもっているが、バッタもんもたくさん持ってる。その多くは息子の土産物(ハードロックカフェ・カトマンズとか、ホーリーロックカフェ・エレサレムとか)だが…。このマグカップは、その延長線上にあったのだった。(笑)

最後に妻の言。「ベツレヘム言うたら、聖誕教会の周りが一番賑やかなトコロやろ。マックもないのに、スタバがあるわけないやん。」…まあ、そのとおりやな。(笑)
<スターズ&バックス・カフェ:但しアラビア語です。>

2013年6月27日木曜日

ブルキナの物価高

ワガの民芸店で買った穀物の地図
現在、荒熊さんがブルキナファソのワガドゥグに滞在中である。物価高について詳しくブログに記されている。私は、荒熊さんの書かれている民芸品屋さんにも連れていってもらったことがあるので、思わず思いだしてほくそ笑んでしまった。そうか、かなり物価高なんだ。しかもマリの影響もあって観光客が減っているらしい。また、荒熊さんも書いておられるように、NGOがらみの国際協力で来ている人々もたくさん見た。韓国の赤いシャツを来たキリスト教会系の若者集団とは、空港で共に1時間以上入国待ちを経験した。急にゴスペルを歌い出したのでびっくりしたぞ。(笑)

ブルキナの物価が上がっているということは、荒熊さんがおっしゃるように、経済成長の現われだと私も思う。最近、ブルキナでも金や亜鉛の鉱山が盛んに開発されているようだ。ブルキナもレンティア国家になるのだろうか。何もないけど、食糧だけはあるので、治安が良いというのが、ブルキナの特徴だったのだが、お決まりの経済格差拡大へと進むのかもしれない。

開発経済学を学び、いかにブルキナを開発すべきかをテーマに、ブルキナに行ったのだが、結局教育と保健医療だけはきっちりと進め、世界最底辺のHDI順位を向上させるべきだが、経済については簡単に結論が出なかったのを思いだす。ブルキナを舞台にしたアクティビティは、ついに私には構想できなかったのだ。

それが、ブルキナも徐々に経済成長を始めているのだ。思わず、うーんと唸ってしまうのだ。喜ぶべきことかもしれないのだが…。

<荒熊さんのブログ/ワガドゥグの物価>
http://cacaochemise.blogspot.jp/

2013年6月26日水曜日

修学旅行の部屋割りの話

修学旅行で行く 白老ポトロコタン
本校では、体育科・武道科の2年生の水泳実習の日程の関係で明日から期末考査に入る。私も今日、最後の世界史Bの授業を終えて、ひと段落だ。同時に、今日が修学旅行の宿舎の部屋決めの締め切りでもあった。各クラスの修学旅行委員が、どんどん私に提出しに来てくれる。全クラスが予定通り提出。休み時間などを利用しながら、よく取りまとめてくれた。本校の素晴らしい一面である。

先日読んだ『教室内カースト』という新書では、修学旅行の部屋決めというのは、そのカーストが最も顕著に出てくる場面だとある。とんでもない新書なのだが、その件に関しては間違っていないと私も思う。我がクラスでも、全員が全員明朗活発というわけではない。こういう部屋決めの際、どうしても後ろ向きになる生徒もいる。だが、修学旅行委員やクラス代表などがうまくリードしてくれた。特に男子生徒はくじ引きをしたりして、おとなしい生徒も含めて盛り上がっていた。(笑)少し心配していたのだが、私が見ても何の問題もないようだ。小まめに声をかけておくこと、小まめに生徒の表情を追うことで、十分対応できるものだ。

これで、一気に修学旅行の準備を進めることができる。期末考査と採点、7月初頭の学会研究発表大会、古着を送るハランベー・プロジェクト、文化祭準備…。そして修学旅行。様々なやるべきことを段取りよく進めていかなくては…。これが教育現場である。

2013年6月24日月曜日

京都守護職と二等空尉


私は、芸能界には全く疎い。日曜の夜は、8時から『八重の桜』を見るのだが、その後妻がドラマをずっと見ていた。航空自衛隊の広報室が舞台なので、ブルーインパルスをはじめ空自の航空機が毎回出てくる。私もそういう場面だけ熱心に見るのだが、後は主として恋愛ドラマなのだった。こういうのは苦手だ。(笑)
何週か前に、ふと気付いたことがあった。…主人公の空井君をやってる俳優の顔、どっかでみたことがある。どこだったあなあと考えるうちにさらに何週か経ち、先々週くらいにやっと気付いたのだった。そう、毎回直前に見ている『八重の桜』の松平容保なのだった。その大発見を話すと妻にこてんぱんになるほどに馬鹿にされてしまった。

自分でも思うが、なんと鈍感なのだろうと思う。(笑)悲劇的で、つねに深刻な表情の松平容保と、ちょっと天然な好青年という対比が、わかりにくくしていたのだと思う。彼の名は綾野剛というらしい。

そのドラマも昨日が最終回だった。震災時の松島基地の話で、思わず見入ってしまった。最後は、ブルーインパルスの練習風景を地元の方々に見てもらう話である。やっぱりいいよなあ。ブルーインパルス。愛を取り戻した二人の後ろに広がる青空にハートと矢が描かれると、ベタな演出だが、不覚にも感動してしまったのだった。

2013年6月23日日曜日

アフリカ学会 公開講座6月 追記

黒川理事 JICA・HPより
昨日のJICA理事・黒川氏の公開講座のエントリーで書ききれなかったことを追記しておきたい。それは、TICADの歴史を解説していただいた時に、TICADⅡを主催した小渕首相の基調演説で、若いころアフリカに一人旅をしたことが出てくるという話である。小渕氏に関しては、在任当時、人柄はいいが凡人であるなどという報道が多かった。突然の逝去後、若いころからの想いをこめて沖縄でサミット開催をアメリカの反対を押し切って強行したことなど、再評価が行われている。(12年5月15日付ブログ「凡人?小渕首相の沖縄」参照)以下、その冒頭。

「私事になりますが、私がアフリカと初めて触れる機会を持ったのはアフリカの独立の10年と呼ばれた1960年代のことであります。政治家を志した20年代半ば、私は世界一周の一人旅に立ち、1963年にケニア、ウガンダ等を訪れ、当時独立直後であったこれらの国の人々の熱気を身を持って感じ取りました。その時、アジアから来た一青年に強い印象を残したものは、まずアフリカの人々の温かいホスピタリティー、そして民衆の活力、更に大きな潜在的可能性でした。」
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/exdpm/19981019.S1J.html

1963年という「時」に、アフリカを一人旅した小渕氏。私は尊敬に値すると思う。今でもかなりの労苦を伴うアフリカの旅。ケニアもウガンダもまさにその1963年に独立している。一人旅は冒険に近い。そんな人物が日本の首相であり、アフリカに力をかしたいと言ったのだから、アフリカの指導者は大いに盛り上がっただろうと推察する。凄いスピーチであったわけだ。

…今朝の毎日新聞に、『日本人としての「矜持」持とう』という読者の投稿があった。その論旨は、「現首相が「美しい日本」としきりに言うが、原発輸出のトップセールスを行っているのは解せない。あの事故以来原子炉の内部を誰も見ていないし、ネズミの接触で配電盤がショートするような技術を誇るとは…。日本人としての「矜持」はどこへいったのか。全く「美しく」ない。」というものだった。私も同感。同じ自民党の首相なのだが、時代の相違なのだろうか。随分と器に違いがあるものだ。そんなことを考えてしまう。

若者よ、書を捨てず読み込んで、旅に出よう。

2013年6月22日土曜日

アフリカ学会 公開講座6月

梅雨の京大稲森財団記念館
6月のアフリカ学会の市民公開講座は、開発経済学がテーマである。私にとって言わばホームの講座である。アフリカ学会の公開講座の予定が明らかになった日から楽しみにしていた。「アフリカの開発と援助」というタイトルで、講師は、JICA理事・アフリカ担当部長の黒川恒男氏である。腰の低い誠実そうな方であった。初の出張がマダガスカルで、以来アフリカ一筋。セネガルの所長も経験されているという。

講演内容は、アフリカの情勢、現在の開発の状況の概説、そしてTICADⅠからの歴史を語っていただいた。私がJICAの教師派遣研修旅行の時知った、SMASE/理数科教育が、現在14カ国で行われ、さらに10カ国に拡大(私がブルキナでもSMASEの現場を見れたのもこの流れだ。)しているという。これはTICADⅡかららしい。興味深かったのは、TICADⅢ以来JICAが進めている国境での事務手続き(関税や審査)のスムーズ化の話だ。陸路で国境を越えた経験があればよくわかる。私は南アとジンバブエの国境通過の経験がある。実感としてよくわかった。ひどい場合2~3日かかるところもあるらしい。地味な話だが、経済的にも重要な国際協力だと私は思った次第。

講座の最後に、是非TICAD以前のJICAとアフリカの関わりを見て欲しいと、映画を少し見せていただいた。谷口千吉監督の「アサンテ・サーナ」(1974年)である。監督の妻である八千草薫が、JICAタンザニアの所長の妻役で出てくる。村落でうまくいかないままマラリアに倒れた坂田という主人公とバックパッカーが住む住居へ、見舞いに来るシーン。八千草薫は「協力隊の人はトンネルの真ん中を掘る人だと思うの。掘り始めと終わりは、注目されるけど、真ん中を掘ってる人は注目されないわ。だからこそ大事にしてあげたいの。」そういいなから粥を炊くのである。

さて、一気に質問会の話に飛ぶ。私は、黒川理事に質問したいことを3つ書いた。①TICADⅤで北アフリカやサヘル地域のイスラム遊牧民社会で日本がテロ対策を行うことへの懸念。(6月4日「TICADⅤが終わった日に。」参照)②ソマリア問題でも同様の懸念。ソマリランドの承認の方が有意義ではないか。(6月16日付ブログ「謎の独立国家ソマリランド#5」参照)③モザンビークのプロサバンナ事業への懸念。(6月9日付ブログ「モザンビークの護民官2」参照)である。こんな機会はめったにない。黒川氏は日本のアフリカ政策の中心におられる方である。このところ考えていたことを質問用紙に書き込んだのだった。

大変ありがたいことに、黒川氏は私の質問に具体的に答えていただいた。
①の治安対策について。具体的には2か月前に、セネガル・モザンビーク・チャド・ニジェール・ブルキナファソの5カ国から、それぞれ治安(国境警備や警察など)と開発(民生分野:教育や経済、環境などJICAと関連した部門)の専門家2名ずつと、モロッコ・リビア・アルジェリア・チュニジアの各大使館から人を集め、会議を開いたのだという。治安問題と開発(民生分野)は密接にリンクしているというのが、JICAの基本姿勢だという。遊牧民社会の事に関しては、アフリカ学会のネットワークを生かしてこれからも学んでいきたいとのこと。この会議の中心者は、JICAの課長で防衛大学出身の元自衛官。社会人採用枠で、セネガルやキンシャサ勤務の経験もある人物らしい。私の懸念はだいぶ払拭された。大いに期待したいところだ。
②ソマリアの問題について、現在、ケニアで研修した人材をソマリランドやブントランドにも投入しているらしい。ソマリアの実情を考えると「同感」だと言っていただけた。アフリカ学会からもソマリアの専門家の知恵を乞うとのこと。私自身は、同感だという言葉に嬉しさを隠せない。
③モザンビークの件では、数日前にも現地の小農の方の意見交換会を開いたとのこと。大農場のことばかりマスコミが注目しているが、この計画の中核にあるのは農業技術協力プロジェクトで、ナカラ回廊周辺で地道な努力を進めています、とのこと。…なるほど。大いに安心。小農の利益を護ってあげて欲しい。JICAこそ護民官であって欲しい。蛇足だが、レソトがTICADⅤ前の資源産出国15カ国に入っていることを講演後質問したのだが、黒川氏はちょっと考えられた後、「…私にもわかりません。」と答えていただいた。ほんと誠実な方だと確信した。

JICA理事・アフリカ担当部長という重責を担う黒川氏、JICAが外務省に吸収されたとはいえ、決して外務省の官僚ではなかった。私の大好きなJICA関西(大阪)や、ケニア事務所・ブルキナファソ事務所のみなさんと同じ、アフリカの人々を途上国の人々をこよなく愛する「JICAマン」だった。

なぜなら、黒川氏が、講演の最後に我々に見せた映画「アサンテ・サーナ(スワヒリ語でありがとうの意味)」の中で出てきた八千草薫の「トンネルの真ん中を掘る人」というセリフに全てが凝縮されているように私は思う。

TICADⅤは、アフリカへの成長、そして投資という面で(まるでトンネル工事開始のイベントのように)華やかにスポットが当たったが、実は問題はこれから。JICAは、TICAD以前からの国際協力への想いをこめて、地道にトンネルの真ん中を掘って行く。

…そのメッセージ、確かに受け取らせていただきました。今日は、黒川氏にお会いできて、JICAへの信頼が再構築された素晴らしい1日でした。黒川氏と関係の皆さんに改めてお礼申し上げたいと思います。

2013年6月21日金曜日

ルネ・マグリット「光の帝国」

光の帝国
先日、日経の最終面の文化欄に、ルネ・マグリットの「光の帝国」について書かれていた。青空の美しい絵画について語るというシリーズのひとつなのだが、なかなかいい。ルネ・マグリットは、シュールレアリズムに分類される画家であるが、ダリほど人格的にも絵画的にも「毒」がないので、さわやかにシュールである。(笑)
私は、今でこそ社会科教師だが、高校時代はデザイン科だったので、一応美術史については詳しいと思っている。当時のクラスの仲間うちでも、やはりシュールレアリズムは人気があって、中でもダリが一番人気。うちの妻は同級生なので、そういう絵画については今でも話があう。シュールではマグリットが二番人気かなと思う。昨夏のイスラエルに行った時、博物館でマグリットの作品が展示してあって、大いに二人で感激したりした。
キリコの代表作
一方、マグリットに大きな影響を与えたとされるジョルジョ・デ・キリコなども、当時人気で、高校1年の時に、京都の美術館に見に行った。その年の文化祭では、クラスで壊れたバスケットボールの野外ゴールを使い、高さ5mのキリコ風の張りぼてを作ったこともある。(笑)キリコの絵も独特の趣があって面白い。私は彼のグラデーション的空の表現が好き。よく真似をしたものだ。

おっと、大きく話がずれてしまった。マグリットのこの作品の主題、夜景と青空の共存。このありえない共存に面白さがある。マグリットの意図したところはよくわからないが、あくまで感性の問題。哲学的には、ポストモダンな再構築だが、そんなに深刻に見る必要もない。そこに不思議な美が構築されていればそれでいいのだ。

2013年6月20日木曜日

世界難民デーに寄せて

6月20日は世界難民デーである。毎日新聞に「瞳輝くまで」-ブルキナファソ報告-の一環として、北部のゴーデボ難民キャンプの様子が特集記事で紹介されていた。何度かエントリーしてきたが、マリ北部のトゥアレグの人々が難民キャンプに退避してきている。マリの反政府ゲリラの多くがトゥアレグ人であるので、同じトゥアレグ人に対して迫害が起こっているのだ。

トゥアレグの人々は、言うまでもなく遊牧の民である。我々日本人とはおそらく最も異なる価値観をもって生きているとは、今や古典とも言える「アラビア遊牧民」の中で本田勝一が述べている結論部分だが、私も全く同感である。

昔ニューヨークからの帰路のソウル空港で、ニュージーランド人牧師と一神教について語り合った時、「神は戦争を否定していない。」と軽く言ってのけられたことに衝撃を受けたことがある。確かに聖書の話を読んでいると、殺し合いが日常化していることがわかる。

ふと考えると、問題解決の手段として、先進国と呼ばれる国々が、暴力的解決を否と結論付けたのはつい最近、WWⅡ以降の事である。世界史的に見ても日本の戦後60年ほど平和が絶対的命題となっている地域はないのではないかと思ってしまう。

だからこそ、紛争地域を野蛮であるとか、上から目線で難民の人々を見ることは厳に慎まねばならないと私は思っている。

今、マリやブルキナで起こっている難民の人々の苦難は、同じ地球上に共生する地球市民として見逃せない。たが、彼らの事を憐れむのは違うのではないかと思うのだ。深く理解することと、同情することは違うと私は思う。生徒には、その辺の違いをなんとか伝えたい。

http://www.unhcr.org/cgi-bin/texis/vtx/page?page=49e483de6&submit=GO

2013年6月19日水曜日

ナオミの夢 聖書物語Ⅲ

私が中学生のころ、「ナオミの夢」という曲が大ヒットした。歌っているのはヘドバとダビデ。日本語の歌なのだが、B面はヘブライ語だった。ユダヤ人の2人が歌っているのだった。中学生にはその辺の教養は皆無で、「ナオミ」は日本人の女の子の名前だと思っていた。

ナオミは日本人の名前でもあるが、ナオミ・キャンベルなんていうイギリス人モデルもいたりして外国人の名前でもある。欧米では、聖書に出てくる名前をつける場合が多い。ニューヨークのユダヤ博物館で英文の「聖書からとる赤ちゃんの名前」などという冊子を買って今も持っている。そこにナオミの項目があった。とはいえ、英文。真剣に読んだりしていない。(笑)

日本人に贈る聖書ものがたりⅢ(モーセの出エジプトの話から始まる。)を読んでいたら、最後の士師時代の話でナオミとルツの話が出てきた。ダビデ王のひいばあちゃんにあたる女性がルツ。このルツは、ナオミの長男の妻であったのだが、長男が死んでしまい、ボアズという男と再婚する話である。ナオミは、このルツがボアズと結ばれるよう(ルツには子供がいないので、死んだ夫のためにも再婚することは、モーセの律法に即している。親族がこういう未亡人と再婚することが奨励されている。)、骨をおるのだ。まさに、「ナオミの夢」である。

おそらく屋根裏部屋に聞き込んだレコードがあるはずだが、邪魔くさいので、YouTubeで聞いてみた。未だにヘブライ語の歌詞を覚えていた。ちょっと自慢。(笑)

<Youtubeはこちら>
http://www.youtube.com/watch?v=EJJQwKxmsmg

2013年6月18日火曜日

沢木耕太郎「旅の窓」を楽しむ。

だいぶ前に新聞広告で、沢木耕太郎の新刊が出たことを知った。「旅の窓」という写真とエッセイらしい。枚方の本屋で何軒か探したが見つからなかった.。先日の柔道部のIH予選の帰り、京橋のK屋でついに発見した。期待どうりのものだったので即購入した次第。

私は沢木耕太郎の大ファンである。なにより文章は流れがいい。こういう文章を書けたらなあといつも思う。この「旅の窓」は、沢木耕太郎が世界を旅する中で、思わずシャッターを押した写真に、その時の想いを加えたものである。

1つ、2つ紹介したいが、営業妨害なので、あえてやめておく。だが何気ない写真が、珠玉のエッセイで新しい命が吹き込まれているのを1ページずつ眺めていくのが楽しい、ちょっと贅沢な一冊だ。

私も、ちょっと真似をしてみようかなと思ってしまう。たとえば、この一枚。
ブルキナファソ北部のサヘルの村で、早朝に撮った写真だ。
サヘルの朝陽は実にストロングである。全ての影がまだまだ長いのに、すでに濃い。村の牛が二頭、砂漠の村とは反対方向にゆっくりと歩んでいる。今は雨季。砂漠化が進むサヘルとはいえ、多少の草が生えている。その草を求めて出勤しているように見えたのである。

なぜなら、村人は誰一人いない。牛は、昨日の食事の続きをするのだろうか、黙々と歩んでいく。今日も暑くなりそうだ。今のうちに腹いっぱい食っておこうなどと云い合っているようにも見えたのだ。

アフリカでは多くの牛を見たが、このような牛の出勤風景を見たのは、このサヘルの村だけだった。

「旅の窓」の雰囲気はこんな感じ。筆力ははるかにおよばないが…。
また、私自身の「旅の窓」もエントリーしようかな、と思ったりする。

2013年6月17日月曜日

アフリカへ古着を送ろう 3

ポスターを手に、生徒会のメンバー
いよいよ、アフリカの難民キャンプに古着を送る、H・ハランベー・プロジェクトの開始である。ちょうど1週間前、生徒会のメンバーの定例打ち合わせ会で、スタッフ募集のポスター配布を依頼した。ポスター(6月3日付ブログの画像参照)は3学年×8クラス=24枚+6枚で計30枚用意した。配布の方法や残ったポスターのことも全て生徒会にお任せである。

検討の結果、今日の昼休みに配布することになったらしい。各クラスの代表を生徒会室前に呼んで配布してくれた。昼から2年生の授業に行くと、SHRだけの我がクラスも含めて、3クラス全てでちゃんとポスターを貼ってくれていた。うれしい。

事務長先生によると、土曜日にはPTAの役員会があり、この古着のプロジェクトについて説明していただけたようである。いろんな取組についての建設的な意見が出たそうで、本当にありがたいかぎりである。

SHRを終えて、掃除の様子を見ていると、2年生の他のクラスの生徒たちが、さっそく「スタッフやります。」と言いにきてくれた。これまた、本当にありがたい。アフリカの難民の方々との共生のプロジェクトである。最後まで、こういう気持ちでやっていきたいものだ。

追記:柔道部の個人戦では体重別で優勝者が出た。IH出場決定である。やったなあ。朝から稽古している柔道部をさっそく激励に行ってきたのであった。国体にも出場できるよう祈っているぞ。

2013年6月16日日曜日

「謎の独立国家ソマリランド」#5

「謎の独立国家ソマリランド」に書かれている巻頭の戦国時代風地図
TICADⅤで、日本政府がテロ対策支援を打ち出したことを私は批判的に見ている。(6月4日付ブログ参照)最大の問題は、日本とアフリカの遊牧民の発想の相違が甚だしいということである。言い過ぎかもしれないが、日本人の理解を超えたところに遊牧民の生業があり、下手に口出しすべきではない、まずは深い理解が必要だ。この事を私は「謎の国家ソマリランド」で学んだ。

この本の書評の最後に、著者が足を運んだソマリアの3地域、①氏族の話し合いで治安が安定したソマリランド、②海賊を送り出しているブントランド、③激しい内乱が続く首都モガディショのある南部ソマリアの政治システムを比較したい。

まず②の海賊国家・ブントランドでは氏族が政治を行っている。議会が氏族ごとに細かく割り振られている。だから、氏族益で政治が動く。海賊行為もまた氏族の収入になるので収まりそうにない。
①のソマリランドでは、長老院と呼ばれる貴族院のような議会と、政党数を3つに絞った(特定の氏族に偏らないよう、6つの選挙区の最低4つの選挙区で20%以上の得票率を獲得した政党だけが公認政党となる。要するに全氏族の支持が必要なのである。)衆議院のような議会がある。大統領もこの3つの政党から出た候補者による選挙である。事実上、衆議院と大統領が政治を行うが、長老院の賛意を得なければ法案は成立しない。(ただし予算は関与しない。氏族の長老に数字のことはわからないかららしい。)ソマリランドでは政治は政治家にまかせ、氏族はこれを監視し欠点を補う。氏族は武力を持たず、国家で唯一武力を持つ政府軍は政治に関与しない。まさに著者の表現を借りれば、先進国の指導など受けていない下から積み上げたハイパー民主主義国家だといってもいい。
それに対し、③の南部はどうかというと、氏族間の紛争の際のヘサーブ(精算:男性1人が死んだらラクダ100頭といったような遊牧民的な精算システム)が確立していないし、仲介する第三者の氏族もいない。政府がそれを代行しているので混乱の極みである。この政府もブントランドよりレベルの低い氏族の集合体でしかない。兵士も氏族からの出向である。要するに互いに信用していないのだ。これでは、混乱が収まらない。要するにエゴ丸出しの軍事力を持った氏族がバラバラに勢力争いをしているわけだ。…なるほど。

著者の高野秀行氏は、この本の最後で、こう提言している。「ソマリランドを認めて欲しい。独立国家というのが難しいのであれば「安全な場所」として認めて欲しい。そうなれば技術や資金の援助が来るし、投資やビジネス、資源開発が始まる。それはソマリア社会に対して明確なメッセージになる。「平和になり治安もよくなれば、カネも落ちる。」利害に敏感なソマリ人に対し、これほど効果的なメッセージはない。海賊を退治するのも、これが一番効くはずだ。ソマリランドは平和だがカネがないから南部の連中に馬鹿にされているが、平和でカネが儲かるようになれば、彼らも眼の色を変えるだろう。ソマリランドを支援することが、ソマリ社会全体を支援する最良の方法なのだ。

外務省のアフリカ関係の高官に是非とも読んでもらいたい本だ。この本に書かれていることを実際に確認したうえで、ソマリランドの承認を検討してもらいたい。TICADⅤのテロ対策費などよりはるかに安くつくし、有意義な対応が可能になるだろう。日本には、ソマリアとの歴史的問題(旧宗主国のイギリス・イタリア・フランスなどのEU、紛争介入して痛い目を見たアメリカなど)がない。だからこそ日本がやればいい、と私は思うのだ。

2013年6月15日土曜日

柔道部男子IH予選’13

先週の女子のIH予選に続いて、今日は男子の団体予選である。昨日、選手の状況を聞いた男子の顧問のW先生の言によれば、やはり男子は体重がものをいうので、小柄な選手の多い本校には不利だということだった。とはいえ、1回戦・2回戦と見たが、先鋒から大将まで5人が5人とも全部1本勝ち。先日、稽古を久しぶりに見にいった時、強くなったなあと感じたY君は、ともえ投げで1本をとった。どもえ投げで1本をとったところは生まれて初めて見た。もちろん、相手も大きくないから可能なのだろう。ベスト8をかけての戦いでは、相手も重量級の私学。どうしても跳ね返されてしまう。道場では感じなかったのだが、こうして試合会場で見るとY君も小さく見える。

結局ベスト16どまりだったのだが、明日が個人戦の本番である。女子は優勝者は出なかったものの、それぞれがベストを尽くし、国体出場の可能性を残しているそうだ。男子も、体重差さえなければ、明日は…。応援には行けないけれど、大いに期待しているのだった。

2013年6月13日木曜日

旧大阪府警察学校の今

すこしまえの警察学校
我が家の近くに、大阪府の警察学校があった。そう、過去形なのである。この年度末に関空の方に移転したのだ。別に校内に入ったこともないし、関わりはほとんどなかったのだが、このところ、取り壊しの工事が進んでいて、ついに本部棟の姿が今日消えてしまった。

本校の武道科や体育科の生徒には大阪府警は人気の進路先だ。今春もかわいがっていた柔道部の生徒が大阪府警に採用された。「自分は、りんくうタウンの新しい学校に入ります。先生の家のそばではなくて残念ですが…。」と卒業前に挨拶に来てくれたのだった。警察学校の生徒は、だいたい彼のように「私」とか「僕」とか「俺」という一人称を使わない人種である。(笑)

全寮制で、ときおり実家に帰れるようだ。全員、紺のスーツで白のワイシャツ。電車が空いていても、絶対座らない。警察官になるという誇りがそうさせるのだろう。休暇明けには、近くのコンビニで、ビニール袋いっぱいにカップラーメンやスナック菓子や1リットルのペットボトルを入れて学校に帰る姿をよく見かけた。私は「腹が減るんだろうなあ。」と、本校の生徒を見るような気持ちで見ていたものだ。そんな風景も今はない。
今朝の6:20頃、夕方にはもう…
大阪府警察学校の本部棟は、ある意味近所のランドマークだったわけで、廃墟のような姿を目にするのは、実に寂しい。

2013年6月12日水曜日

シャラポワっていいなと思う。

昨日、何気なくTVを見ていたら、マリア・シャラポワ選手のストーリーをやっていた。私は昔々少しだけテニスを嗜んだことがあり、テニスは楽しいとは思うけれど、今はやっていないし、特に興味があるというわけではない。
まして、プロテニスプレイヤーについては無知である。シャラポワ選手は、スラブ女性の美しさを体現した選手くらいの認識しかなかった。だが、彼女の人生はとてつもなく凄いものだったのだ。

そもそも、シャラポワ選手は、本当ならベラルーシ人である。ところがチェルノブイリの事故が起こり、彼女を身ごもっていた母を避難させるため、父がシベリアに移住した。そこで誕生したところから、彼女はロシア人となったわけだ。放射能による健康不安を跳ね返し、元気に生まれたシャラポワ選手であったが、その生活はかなり苦しかったらしい。父の楽しみは唯一テニスで、興味をもった彼女にテニスを教え込むことが生きがいとなった。なかなか才能があると気付いた父は、そこから彼女の才能を信じ、モスクワのテニススクールに連れていったり、ついには英語も話せないのにアメリカのテニススクールにまで彼女を連れていく。もちろん、星一徹も真っ青の頑張りで、全てを娘ために捧げるのだ。やがて、彼女は特待生となり、ジュニア選手ながら高額で契約することになる。全ての苦労が報われるのだ。その後の活躍も素晴らしい。父も凄いが、やはりシャラポワ選手自身も凄い。チェルノブイリの事故が彼女を作ったわけだ。先の大震災の時も、福島の被災者の方のために飛んできた。彼女にとって原発事故は他人ごとではないのだ。今更ながら、ファンになってしまった。

ところで、超有名な開発経済学者・アマルティア=センは、貧困を潜在能力を生かす機会が与えられない状態だと規定している。父の驚異的な頑張りがなければ、今のシャラポワ選手はなかったのだ。センの規定の正しさを改めて再認識したのだった。

2013年6月11日火曜日

アフリカSDゲーム報告 その5

アフリカSDゲームは、今日体育科・武道科で最後の授業を終えた。生徒には最終報告書を書いてもらった。今回のゲームに対する評価を書いてもらったのだ。詳細は、普通科の報告書と合わせて国際理解教育学会での発表で行うつもりだが、特に多かった意見を書いておこうと思う。

今回のゲームでは、まず各国のレントの国際価格変動を、私のサイコロ1つで決定するのだが、最も高くても300sim(通貨単位は仮想世界ゲームと同じなのでsimである。笑)増えるくらいで、反対にマイナスの場合も多かった。農産物価格の変化もマイナスなら、かなりきびしい。これに、企業マンがトランプを引くのだが、おおきくマイナスの場合(-1000simとか…。)も多い。要するになかなか収入が少ないのだ。

SDボードにある政策を実行しようにも、先立つものが少ないので、かなり苦労したようだ。これをなんとかしようと、後半戦は、2000simや3000simの賞金を大盤振る舞いしてクイズを実施、盛り上がった。(笑)もちろん、アフリカの開発やニュースに関わる内容だが、それでなんとか各チームとも一息つけたらしい。

だいたい7回の授業で、9項目のレベル2まで、およそ18政策はクリアできたようである。

「ゲーム自体の勝敗をもう少し明確にしたほうがよかったかなあ。」と生徒に聞くと、「毎回のトップ賞を設定するとかしたら、さらに盛り上がったかもしれませんね。」との答えだった。うーむ。なるほど。

2013年6月10日月曜日

ローマの内乱の1世紀を考える

グラックス兄弟
世界史Bは、ローマの内乱の1世紀の話になっている。ポエニ戦争で勝ったローマは、ギリシアやマケドニアに攻め込み戦争を拡大していく。そのために自作農の平民が重層歩兵として長い間兵役につく。その結果、残された家族だけで耕地を耕せなくなり、貴族がこの自作農の土地を購入していくわけだ。ラテフンディアだ。属州から奴隷はどんどん供給されるし、労働力には事欠かない。自作農民の家族は「遊民」となり、これまた属州らの農産物供給でパンとサーカスの日々を送るようになる。

ローマにとっての最大の問題は、ローマ軍=自作農民の武器自弁による重層歩兵という法則が、崩れていくのだ。ここで、生徒に質問を投げかける。「どうすればいいかなあ?このままだと、ローマ軍が崩壊するぞお。」社会科の授業は決して暗記科目ではない。ここで、じっくり生徒に考えさせたいところだ。「答えは、およそ2つあるぞぉ。」「…。」真面目な生徒が答えた。「もういちど自作農にもどしたらいいと思います。」「おお。それがスジやわなあ。」他の生徒の意見。「武器を与えたらいいと思います。」「おお。誰が与えるの?」「貴族。」「なるほど。」

と、いうわけで、スジ論の方は、護民官グラックス兄弟の政策。武器を与えるのは私兵化を進めたスラやマリウスの立場である。と、説明をしていく。

こういう掛け合いで、生徒に考えさせながら世界史を学ばせていきたいといつも思っている。今日はうまくいったかな。

2013年6月9日日曜日

モザンビークの護民官2

3月30日に見た舩田先生のP/P
昨日の夕方、TV(毎日放送)の報道特集が、日伯によるモザンビークのプロサバンナ事業について報道していた。ブラジルの自作農が土地を安易に売ったことで呆然自棄になっている様子や、モザンビークでは、ノルウェイの企業にユーカリを勝手に植えられてしまった女性が、政府に訴えたところ、実際上私有地化しているにもかかわらず、社会主義政権下のドクマ(土地の国有原則)を持ち出して否定されたりしている現実などが暴き出されていた。(TICADⅤが終わるのを待っての報道だと推測する。大局からの判断なのだろう。)

3月30日付ブログで、舩田クラーセンさやか先生の「日本の援助はいまアフリカで何をしているのか?プロサバンナ事業から考えるODA」について記した。モザンビークで進められている日本とブラジルのモザンビークの農業開発事業への批判が、いよいよマスコミにも取り上げられたのだ。JICAのアフリカ部長が、なんとも歯切れの悪いインタヴューに答えていた。この事業にはJICAが深く絡んでいる。

私は、JICAには大恩があるし、関係者との繋がりも多い。JICAが絡んでいるので微妙な立場なのだが、いくらJICAが絡んでいるからと言ってすべてが正義というわけではないと思っている。
最近のJICAはすでに外務省のODA部門に変質してしまった感がある。

JICAがこれまで必死に努力してきた「善意による遠回りの国益づくり」が、あの民主党の公開処刑のような事業仕分け以来、効率化という美名のもとに、結局外務省に吸収されてしまい、外務省の「直接的な国益追及」に飲み込まれているような気がするのだ。非常に残念である。

私は、アフリカに民間投資を行っていくことは間違っていないと思うし、TICADⅤのスタンスは時代の要請であると思っている。だが、そこに「護民官」的なアフリカの人々の本当の豊かさや幸せを願い、「企業利益」や「国益」より「国際貢献」に普遍的スタンスを置くことこそが、Win-Winの持続可能な開発を可能にすると思うし、それこそが遠回りかもしれないが真の国益になると思っている。JICAは舩田先生に代わって、モザンビークの護民官になるべきである。

アマルティア=センが「市場を飼いならす」という概念を提起したが、まさに今こそ重要なのではないか。市場原理を絶対のものと見てはなるまい。現に、株価や円は、禿鷹のような投資家にいいようにされているではないか。JICAには、日本の企業がBOPビジネスを展開する中で「企業利益」と「国際貢献」のバランスを常に取っていくことを期待したい。まずは、モザンビークのプロ・サバンナ事業から勇気ある撤退をすすことだ。

舩田先生のプロサバンナ事業批判のパワーポイントはWEBで公開中。是非ご覧いただきたい。
http://afriqclass.exblog.jp/m2013-02-01/

2013年6月8日土曜日

キブラが解る スマホのアプリ

サウジアラビアの人々に今日、大阪城で会った(柔道部IH予選のエントリー参照)のだが、ちょうど今朝のNHKで面白い情報が流れていたた。スマホのアプリの話だ。私は、スマホを持っていないので、実際に見たり使ったりしたことはないのだが、もしスマホを買うことがあったら、絶対このアプリ欲しいと思った。と、いっても私が使うことはないだろうけど…。

それは、「キブラ」(メッカのカーバ神殿への方向)がすぐわかるアプリなのだ。以前、息子がマレーシアで、オリエンテーリングのコンパス風の道具を買い求めてくれたので、そういう道具があることは知っていたが、スマホのアプリになっているのだ。たしかにムスリムにとっては、極めて重要なアプリだと思う。1日五回の礼拝時、モスク以外の場所でも、これさえあれば一瞬でキブラがわかる。便利になったなあ、というのが実感。

ちょっと意地悪な発想も浮かぶ。モスクでこのアプリを作動させて、ミフラーブとずれてたら、困るよなあ。そもそも、モスクのミフラーブはどうやって設定されたのだろうか、という疑問が浮かんできたりするのだ。

https://play.google.com/store/apps/details?id=com.EaseApps.prayertimespro&feature=related_apps#?t=W251bGwsMSwyLDEwOSwiY29tLkVhc2VBcHBzLnByYXllcnRpbWVzcHJvIl0.

柔道部女子IH予選’13

柔道部の女子のIH予選。昨年同様大阪城の修道館で団体戦が行われた。少し早めに到着したのだが、大阪城は観光客が多い。中国系の人が多いのだが、ふと前にヒジャブ(イスラム女性のスカーフ)のグループがいて、剣道のふりをして修道館の説明をしているガイドらしき男性がいた。聞くと4年ほど日本に在住していたサウジアラビア人で、日本語OK。(笑)今日は女子の高校生が柔道をやっているよと教えてあげたのだった。かなり珍しいらしく、嬉々として練習風景を見ていた。修道館は、日本の伝統文化・武道に接することが可能な外国人観光客にも人気のスポットなのである。

さて、団体戦。1回戦は楽々乗り越えたのだが、2回戦は大接戦となった。先鋒は、相手校の選手が急きょ変更になった。大きな選手だったのだが中量級の選手になった。理由はよくわからないが、うちの先鋒は小柄なR君なので助かったと思った。どんどん攻めて、優位に試合を進めている。ところが、4分の試合時間がもうすぐ終わり勝てると思った瞬間、相手の絞めが決まってしまったのだ。一本負け。なんと惜しい、惜しすぎる。だが、中堅も先に有効を取って優位に試合を進めている。まだまだ勝てると思ったのだが、あと少しの所で逆転負けしてしまった。大将は、これまた接戦を制し勝ったのだが、すでに遅い。残念ながら2回戦で敗退してしまったのだった。

試合後、顧問のS先生の厳しい指導がはいった。そりゃそうだ。みんな勝てていた試合だった。素人目にも、どうしたんだという気持ちになる。明日は、個人戦。2・3年生がほぼ全員エントリーしているとのこと。一人ひとり激励してから帰路についたのだった。明日は応援に行けないが、朗報を待っている。絶対リベンジしてやぁ。このままでは終われんで。

2013年6月7日金曜日

キング・カズの「志」

日本史研究という授業では、幕末史を教えている。吉田松陰の話をしていたのだが、飛耳長目や草莽などの語彙を教えていた。さらに、こんな松陰の言葉を教えていた。「志をたててもって万事の源となす。」志が全ての源だというわけだ。ふと、今朝モーニングで読んだキング・カズ、三浦選手の記事の内容を語ろうと思った。カズ選手は、日経のスポーツ欄に「サッカー人として」というコラムを持っている。この中で、こう書いている。

W杯出場が決まったということは、中学生にも46歳の僕にも、日本のみんなにW杯に出る権利ができたということ。扉は開かれた。この1年で勝つために力をもう1ランク上げるよう「みんな」が担い手となって頑張らなきゃね。

私は、このコラムに感動した。だから手帳に書き写してきたのだ。体育科・武道科相手の授業なので、「志」の強さ、深さを示すのに絶好の話だったようだ。キング・カズは、本気でW杯にいける権利を得た。私にもチャンスがある、こう言っているのだと私は思う。志というのは、そういうものだと思うのだ。みんな、真剣に聞いてくれた。

ところで、昨日のエントリーのことだが、20歳代の教員にはまだ理解できないだろうけど、「教室内カースト」をなくすための、様々な方策がある。一番重要なことは、目立たない子にこそ声をかけ続けること。なにか良い面(掃除をちゃんとしているといった小さなことでもいい。)を見つけて、褒めること、ありがとうと真心から感謝すること。陰の貢献を見逃してはならない。そういう日ごろの実践が目立たない子との信頼関係を結ぶし、教室内の平等性が保たれる。
様々なイベントで決め事がある時は、6×6討議やバズセッションという、大きな声を出せない子の意見を集約する討議方法もある。これにはリーダー群の訓練が少なからず必要なので、もっと簡単に普段意見を言わない子の意見を抽出するのは、意見やアイデアを紙に書かせて提出させることだ。面白いアイデアを書いてくるし、それをみんなの前で紹介することもある。ぐちゃぐちゃ文句を言う者はいないが、もしいたらきちっと叱る。人の心の痛みが解らない者に自由を獲得する権利はない。あたりまえのことだ。

この本の中には、目立たない子には未来がない、企業に就職もできないなどといった傲慢な意見もあった。20代の未熟な教員の戯言である。はっきり言う。彼らを教師と呼ぶのは、本当の教師に対して失礼だ。私は、おとなしかったけれど、自分の意見をはっきり言わなかったけれど真面目に働き、結婚し、頑張っている卒業生をそれこそ星の数ほど知っている。「教室内カースト」の下位の生徒に未来がないというのは嘘だし、それを著者も指導教官の東大教授も、実際に確認して間違いないと認識したうえで公に発表しているのだろうな、と私は言いたい。

ちなみに昨年度担任した生徒何人かに「教室内カースト」について聞いてみた。「女子は、グループは分かれていたけど、上下関係はなかったですね。あ、男子よりは女子が上です。(大笑)」

この「教室内カースト」の著者の院生も指導教官の教授も現場のベテラン教師の(そんなカーストなど作らせないという)「志」を知らない。いや、知ろうともしていないのだ。この本の関係者に猛省を促したい。

2013年6月6日木曜日

「教室内カースト」を批判する。

光文社新書の「教室内(スクール)カースト」(鈴木翔・2012年12月第1刷)を読んだ。タイトルがなかなか刺激的であること、8万部を突破し各方面から大反響だと帯にあったことが購入の決め手だったが、この新書、まことに出来の悪い修士(博士?)論文である。著者は東大の博士課程で教育社会を専攻する院生で、ご丁寧に東大の本田由紀という教授(指導教官?)が解説をしている。

要するに学校(小・中・高)に存在する同学年の地位の差について書かれているのだが、私が問題にしたいのは調査の方法である。中学生を対象としたアンケート調査はまだいい。神奈川県の公立中学23校2874名の調査である。問題は、インタヴュー調査である。大学生10名。さらに、現役の教員のインタヴュー調査。首都圏の公立小・中・高校に勤務する4名。いずれも20代男性。

この本の中で、この大学生のインタヴューと教員のインタヴューの占める位置は大きい。だが、教育社会学という学問では、これくらいのインタヴューの数でその科学性、法則性を示せると考えているのだろうかと私は大いに疑問に思う。

教員のスクールカーストへの関わりについて、本田という東大教授は解説の中で次のように整理している。以下は原文のママである。

教師も「上位」グループにおもねり、自分が標的になることを避けるように努めていることを生徒は見抜いている。教師自身の言葉からも、自己主張ができて「カリスマ」的な「強い」生徒は「上」で「やる気がなく」「意思表示をしない」「弱い」生徒は「下」であると教師が考えていることがわかる。そして教師はこうした生徒間の上下関係を利用して、教室内の秩序を維持しようとしている。
「いじめ」をめぐる諸議論においては、教師は「いじめ」を早期に察知し、それを是正するための策をとるべき存在として位置づけられがちですが、「いじめ」の培地である「スクールカースト」の維持に教師が加担してしまっているという本書の指摘は、この問題の根の深さをあらためて示してくれるものです。

批判1 20代の男性教員4名だけのインタヴューで、このような結論を導いている。私のような50代から見ると、(自分の過去を振り返っても)20代などまだまだ未熟である。たしかに傲慢で聞きづてならないインタヴューだった。しかし、本書で語られるこの若い教員の言を全て「教師」という語彙でくくる分別の無さには、全く恐れ入るし、現場への悪意さえ感じる。

批判2 教育現場の実相を社会学的に法則性で示すのであれば、全ての校種の、男女、様々な年代からアンケートを取るなりしなければ、まったく信憑性がないのではないかと思う。特に高校など、私の経験からも、商業高校、工業高校、進学校、中堅校などかなりのサンプリングが必要だと思う。20代の男性4人だけで結論づけるなどというのは暴挙ではないか。最低でも二桁ほど間違っていないか?それを最も国家予算を得ている東大の、大学院が新書にして公にするなど、笑止千万である。

批判3 この解説の教授の文章だが、国語の先生が最も忌み嫌う文章である。生徒ならボロクソに怒られるはずである。”である”と”です・ます”混合文。よくこんな文章が公になったものだ。

はっきり申し上げる。この新書は最低である。光文社が、帯の「先生の本音に驚いた。(10代男性)」と書く神経がわからない。売れれば何を書いてもいいのか。

追記:6月7日付のブログに、さらにベテランと呼ばれる年代の教師としての反論をエントリーしています。合わせてご覧ください。

2013年6月5日水曜日

日経 ルワンダ女性の社会進出

昨日のエントリー「TICADⅤが終わった日に」を書いていたら、W杯予選が始まってしまい、もうひとつの重要なことを書けなかった。今日のエントリーは、まず昨日の追記から始めたい。(突然だが、豪州戦は凄い試合だった。祝・W杯出場である。)

天皇陛下主催の晩さん会での話である。陛下は、アフリカ諸国の代表に対し、先の東北大震災の際の支援について、まずお礼を述べられた。私は、本当に凄いなと思うのだ。陛下のご心中には、東北の被災者へのの熱い想いが常に大きな位置を占めておられる。そして、震災直後アフリカ諸国からも様々な支援が寄せられた。そのまごころに感謝されたのだ。金額の大小ではない。真心に真心で答えられたと、私は思うのだ。

ともすれば、ビジネスの話が多かったTICADⅤ。利益や効率が声高に語られる中で、陛下はTICADの原点に立ち返るようなアフリカへの親愛の情を示されたように思う。

ところで、今朝の日経に、グローバル化の中での女性の社会進出という特集記事が載っていた。ここにルワンダの話が載っていた。かなりルワンダでは女性の社会的地位が確立しているようだ。アフリカと言うと、女性がいつもよく働いている。私は様々な荷物を頭に載せ、忙しそうに働いているアフリカン・ママをたくさん見てきた。商売や家事だけでなく農作業も女性が頑張っている場合が多かった。だが、買婚の慣習をはじめ男性優位の伝統は強い。そんなアフリカで、ルワンダでは全く状況が違うようだ。
というのも、ルワンダは虐殺事件で、天地がひっくり返るほどの価値観の転換が起こったからだ。あらゆる伝統的価値が否定された。ディアスポラと呼ばれるカガメ大統領ら海外で教育を受けた逸材に国家再建が託された。だから女性の社会進出が当然だとされてもおかしくはない。

日本は、今回の大震災で何が変わったのだろうか。ルワンダの虐殺事件にも匹敵するほどの大きな変化ではなかったのだろうか。最近の感情的なナショナリズムの高揚や無責任な原発の話などのニュースに接するにつけ、あの世界を驚愕させた日本人の逆境への真摯で忍耐強い対応や、再確認された深い絆はどこへいったのだろうかと鬱勃たる想いに沈んでしまう。陛下のアフリカ諸国へのお礼のお言葉の意味を改めて考えてみたいと思うのだ。

2013年6月4日火曜日

TICADⅤが終わった日に。

TICADⅤが終わった。このところ自宅で毎日新聞、モーニングで日経、学校で朝日新聞と3つの新聞を読むことが多いのだが、マスコミのアフリカへの認識がかくも変わったのかと思ってしまう。私がアフリカに興味を持ち勉強を始めた10年前とは雲泥の差がある。貧困。内乱。少年兵。エイズ。人間の安全保障の問題がその中心だった。BOPや民間投資は話題にもならなかった。

それが、ダンビサ・モヨ氏のアフリカへの援助を否定した著書が出たころから、大きく変わったような気がする。世界の開発経済学も彼女の発想に追随することになった。中国のアフリカ進出は最初批判に満ちていたが、鉱業の技術的進歩と相まって、アフリカの資源が大きく注目されてくるようになった。そういうグローバルな変化が、そのままTICADⅤの最終報告には現われていたように思う。

私などただのアフリカ好きの高校教師で、このTICADⅤについて、とやかく言う資格はない。しかし、ひとつだけ気になるのは、「北アフリカやサヘル地域におけるテロ対処能力向上のために2000人の人材育成および機材供与等の支援」についてだけは、どうも…と思ってしまう。

東南アジア地域において、日本の警察の治安技術(放水・催涙弾などの非銃器使用のシステム)が供与されて成功したことはあるが、アフリカの極めて遊牧民的な治安問題に日本の経験が通用するのだろうか。私の疑問はそこにある。

先日の不幸なアルジェリアの事件があり、その対応をこのTICADⅤで示さねければならないという、政治的な理由があるのかもしれないが、どこかの誰かのように「実現不可能で無意味なパフォーマンス的花火」を打ち上げるのは、至誠がないことを露呈し、信用を失うだけだと私は考えるのだが…。

2013年6月3日月曜日

アフリカへ古着を送ろう 2

月曜日の私の授業は凄い。1時間目、2年生の日本史研究。2・3時間目は、現代社会演習。6・7時間目は世界史Bである。計5時間授業である。土曜日に、何も食べないで病院に行って血糖値を測ったら、158だった。うーん、高いのか低いのか微妙な数値である。そんなこともあって、今日はかなり体調が厳しかった。

できるだけ無理をしないようにしようと思っていたのだけれど、1時間目から、吉田松陰の話で気合いが入ってしまった。「私心のない人間は怖い。吉田松陰のリーダーシップとはこの至誠にある。」などと汗だくで飛ばしてしまった。2・3時間目は、アフリカSDゲームであるが、これまた気合いが入ってしまった。クタクタになって戻ってきてから、食事もそこそこに、ユニクロのプロジェクトのネゴに回っていたのだった。

と、いうのもユニクロから金曜日にメールが入って、本校の希望どうりの日程で特別授業を組んでもらえることが決定したからである。問題は、この5日までに受け入れに関する書類を完成して送付しなければならないという時間的な問題だった。結局、明日の職員朝礼で連絡事項として私が説明することになった。そのためのレジメづくりに追われていると、もう6時間目直前になった。あわててミネラル・ウォーターを買ったが、口の中がカラカラ。完全に高血糖値状態である。無理せずにいこうと思ったのだが、これまたローマの重要な3つの視点「共和政」「貴族と平民の濃い関係」「支配のうまさ」を熱弁してしまった。7時間目も同様。もうフラフラであった。何度持っていたチョークが手から落ちたことか。

最後はSHRである。ふと、重大なことを思い出した。中間考査の成績を返さなければならない。これは1人ひとり切り分けておく必要がある。その作業をすっかり忘れていたのだ。明日に伸ばそうかとも思ったが、生徒に月曜に配布すると約束してしまっていた。みんな楽しみにしているはずである。仕方がない。ハサミ持参でSHRへ。切り分けながら配布。ずいぶんと時間がかかってしまった。久しぶりに段取りをミスったのだった。仕方がないので教室の掃除は免除。(笑)我がクラスの担当である図書館のみ掃除ありとして、後で自分で教室の掃除をしていたのだった。部活のない生徒が手伝ってくれたのが嬉しい。

とにかく、そんな日だったのだ。最寄駅からはタクシーに乗って帰宅した。「もう若くはないんやで。昔と一緒のようにやってたら、しまいに倒れるで。」とは妻の言。うーむ。

2013年6月2日日曜日

日本人に贈る聖書物語Ⅰ・Ⅱ

昨夏イスラエルへ旅立った日の話になるが、関空の書店で「日本人に贈る聖書ものがたり」(中川健一/文芸社文庫)を購入した。何巻だったか記憶にない。結局読まないままだったのだが、妻がこの文庫本、どうも気になるということで、最初の巻から全巻、すなわち全8巻を地元の書店に注文して読み出した。そもそも、一神教の世界の知識は我が家では私が一番であったのだが、息子がその道の専門家になってしまい、妻もまたこの本を全巻読んで私より詳しくなってしまった。やたら、一神教の話をしてくるのだった。このまま無視してもいいのだが、やはり沽券にかかわるので私も追読することにした。最大の利点はタダだということだ。当分書籍代が浮かせる。(笑)

というわけで、Ⅰ巻Ⅱ巻と読み終えたのだが、なかなか面白い。この2巻は、アブラハムからヨセフまでの族長時代を描いている。472P+348P=820Pもあるのだが、比較的スイスイと読み進めることができる。この辺は、まさにタイトル通りである。

読後メモ的に書くと、凄い量になってしまう。とりあえず、アブラハム-イサク-ヤコブ-ヨセフという族長時代の祝福の流れについて私の感想を書きたい。当然これまでアウトラインは押さえていたが、この本では小説的にかなり詳しく書かれている。
彼らは、まず基本的に羊飼い(遊牧民)なのだ。「謎の独立国家ソマリランド」やアフリカ各地の遊牧民の文献を読んでいるので、彼ら特有の生きる力、知恵、戦いなどは理解するのが比較的容易かった。遊牧民の彼らの欲望はストレートだし、その為の策動もなかなかエゲツナイ。
個人的には、やはりエジプトの宰相にまで登りつめたヨセフが凄いと思うが、ヤコブもなかなかのもんである。ヤコブとエサウは双子で、生まれる時、ヤコブは兄の毛深いエサウのかかとを掴んで離さなかったという話は凄い。

一方、これだけは読後メモとしてエントリーしておきたいことがある。神の名「YHWH:ヤハウェ」についてである。神の名を後にユダヤ人は「アドナイ(わが主)」と読みかえることにした。YHWHにわざわざアドナイと振り仮名をふっていたらしいのだ。16世紀に非ユダヤ人の学者がこのアドナイという振り仮名のついた「YHWH」をそのまま発音し、今や一般的な「エホバ」となったらしい。したがって、エホバという神の仮名は聖書的でもユダヤ的でもないらしい。まるで、インドのジャーティーに対するカーストみたいな話である。

2013年6月1日土曜日

剣道部と柔道部の稽古を見る

武道館1Fが柔道場2Fが剣道場
6月である。この三週間、剣道部と柔道部のインターハイ予選が続く。私は名前だけの柔道部顧問なのだけれど、来週・再来週(女子・男子)のインターハイ予選だけは応援に行こうと思っている。

このところ体調がすぐれないこともあって、4時間も授業があると放課後は教材研究に集中できなくなっている。金曜日は授業が2時間と少ないのだが、5日間の疲れが溜まって絶好の教材研究の時間を無にすることが多くなってきた。せっかくなので、いろんな部活をボーッと見て回っている。これも名ばかり顧問のラグビー部を見ていることが最も多いのだが、陸上部や野球部、サッカー部などのグランド系をよく見る。そして武道館にも足を運ぶことがある。

前に少しエントリーしたが、我がクラスに珍しい普通科なのに剣道部だというK君がいる。彼の姿を見たくて久しぶりに稽古を見た。剣道の稽古は、とにかく打ち手と受け手に分かれて直線的に動く稽古が多い。本校の剣道部の打ち込む速度はむちゃくちゃ速い。よくもまああんなに速く後ろに下がれるものだ。その繰り返しが連続的で、凄い心肺能力が問われる。もちろん全身で竹刀を振る。素人目には単純な動きを、声を上げながらひたすら繰り返す。これは本当にきつい、と思った。我がK君の動きは、武道科の2年生と比べても全く遜色がない。武道科の2年生もよく知っているので、彼らが毎日こんな激しい稽古を繰り返していることに、ものすごく感動した次第。

その剣道部、今日は、インターハイ大阪府予選の個人戦である。顧問のK先生に聞くと、2人だけしか出れないのだという。あれだけ剣道部員がいる中で、たった2人とは、なんと厳しい戦いかと思う。インターハイに行く可能性があるような部活というのは、こういう厳しい戦いがまず校内で行われるのだ。

昨日の放課後は、柔道部を見に行った。こちらも凄い。立ち技で1時間以上、次々に組んでいく。汗まみれで激しい稽古。凄い心肺能力が要求される。1年生の時から見ているY君の動きがいい。素人目にも強くなったなあと思った。顧問のY先生に聞くと、「わかりますか。だいぶよくなりました。」と笑顔が返ってきた。予選が楽しみである。怪我するなよぉ。