2014年2月28日金曜日

日経 東アフリカの輸出品目数

EAC5カ国の旗。左端がEACの旗 http://www.eac.int/migration/
今朝の日経に「初歩からのアフリカ・総集編」という記事が載っていた。これまで何度か連載されてきたアフリカ経済の記事の最終回のようだ。その中で、東アフリカの経済成長の記事が目に付いたのでエントリーしておきたい。先日も毎日新聞だったかで、タンザニアの経済が順調だという記事もあった。アフリカでのビジネスに耳目が集まる中、やはり日本では東アフリカが最も注目されているわけだ。

アフリカ各地で展開する運用会社インベスティック・アセット・マネジメントのマイケル・パワー氏は、東アフリカの成長力について次のように述べているという。「海を隔ててアジアや中東に面する地の利に加え、教育や技術がいきわたり、産業化が急速に進み始めた。産業発展を示す指標として輸出品目の数がある。東アフリカのタンザニアやケニアは、資源や食品など何十品目もの項目に分散し、アンゴラ」がなお輸出の9割が原油が占めるのと対照的である。」

…この「輸出品目の数」は、開発政策にとって実に重要であると私は思う。以前、保護主義による輸出代価産業で失敗したアフリカ諸国の例は多い。しかし、この東アフリカの成長は、おそらくは、多くの投資を受け、機械部品の工場などで雇用が増え、産業の集積化が可能になりつつあるのだろうと推測される。保護主義ではなくグローバル化の中での発展である。ここに過去の輸出代価産業政策との違いがある。もちろんパワー氏の指摘にあるように、教育・技術の進展がその土台をなしているこも極めて重要である。

EAC(東アフリカ共同体)の5カ国(ケニア・タンザニア・ウガンダ・ルワンダ・ブルンジ)は昨年11月に10年以内に通貨同盟を設立する議定書に署名した。関税政策の共通化などでさらに投資を呼び水としようとしているという。

…2003年に初めてケニアを訪れてから、凄いスピードで東アフリカが成長していることを実感する。ジョモ・ケニヤッタ大学の設備はまだまだ工業高校並みだったし、JICAのスマッセの理数科教育もやっと軌道に乗り始めたところだった。それが、今実を結びつつあるわけだ。凄いなと思う。もちろんケニアなどでは園芸農業も輸出品目に入っている。たった10年あまりで一気に変わったのだ。東アフリカの人々が豊かになることを寿ぐとともに、乾燥地帯に住む市場経済と未だ無縁の人々との経済格差の問題も気になるところ。全ては一気に解決しないだろうが、まずは順調な飛翔だといえると思う。

2014年2月27日木曜日

毎日 木語「アンネの日記事件」

トリップアドバイザー提供 アンネの家 
最近の毎日新聞はキレがいい。長年愛読しているが、最近、示唆に富む記事が多いと思っている。さて、今日の朝刊3面の「木語」(金子秀敏専門編集員)には、「アンネの日記事件」について、「計算したようなタイミングだ」とあった。

アンネ・フランクはオランダの少女だった。(私もアムステルダムの彼女が隠れていた家の前まで行ったことがある。)そのオランダで来月下旬に核安全保障サミットが開かれるらしい。もちろん安部首相も出席する。前回の議長国は韓国で朴大統領も出席し、オランダと首脳会談をするだろう。オランダといえば、WWⅡ中、日本軍がインドネシアで捕虜収容所のオランダ人女性を慰安婦にした。従軍慰安婦問題で日本批判を続ける朴大統領がこの問題を取り上げないはずはない、とのこと。その直前にこの事件。「反省しない日本人」にオランダも黙っていられるだろうか。…というわけだ。

また中国の習主席は、このオランダ・核安全保障サミットの後ドイツなどを訪問する予定で、ロイター電によるとドイツ政府に中国の外交官がホロコースト施設を訪問したいと打診したという。「ドイツはどのようにユダヤ人に謝罪したのか日本人に教えてやってくれ。」と頼まれたドイツはこれを断ったという。

…アンネの日記事件と東アジア外交、意外な結びつきが明らかにされていた。「木語」では、「犯行の全容を解明しておかないと、のちのち大変なことになるかもしれない。」と結ばれていた。

…今回の「アンネの日記事件」にたいして、私も怒りがこみ上げている。ユダヤ民族の味方をするわけではない。これがコーランであっても同様だし、資本論であろうとも、またあの平泉澄の著書であっても同様。書籍を侮辱するすることは、文化全体に対する侮辱であり、天に唾する者である。一刻も早い全貌解明を望みたいものだ。

2014年2月26日水曜日

京大公開講座のフライヤー

京大のアフリカ地域研究資料センターから公開講座の案内(フライヤー)が自宅に届いていた。学術振興会の補助金を受けた基礎研究「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究」の一環としての公開講演会である。

3月29日(土)15:00から、いつもの稲盛財団記念館で行われる。タイトルは、「現代アフリカにおける紛争のリアリティ」。東大の遠藤貢先生の「アフリカの紛争の現在(いま)を考えるために」と毎日新聞の高尾具成氏の「アフリカの紛争現場で感じた、つながること、つなげて考えることの大切さ」とそれぞれ題した講演が30分ずつ、休憩の後に質疑応答というプログラムである。いやあ、デリシャスである。今から楽しみだ。
http://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/

2014年2月25日火曜日

NHKは会長の件を報道すべきだ

今、NHKの7時のニュースが終わったところだ。6時台の民放ニュースでは、国会で明らかになった、NHK会長が理事に日付なしの辞表を提出させていた問題を大々的に報じていたのだ。私は、この重大な報道をNHKニュースが取り扱うかどうか注視していたのだ。もし、報道すれば、NHK会長が言うように、中立公平な報道を行っていると判断できる。だが、予想通り、報道されなかった。

昔、芸術家の赤瀬川原平氏が前衛芸術として千円札をリアルに模写、印刷しようとして問題になったことがある。新聞で大々的に報道されたのだが、たまたまこの日は大した事件がなく、この件が報道されたと赤瀬川氏は主張する。(今日の画像の本。私も蔵書している。)たしかに新聞やTVなどのニュースは空間的あるいは時間的に報道できる内容がどうしても制限される。当然、ニュースを取捨選択する必要があり、その報道機関にとって、何が重要で、どれを取り上げ、どれを捨てるかという問題が起こる。マスコミ論では、ここが面白いところでもあるのだが、今回の国会審議・NHK会長と理事の辞表の話は、極めて重要な報道しなければならない内容だと私は思う。

就任時の私人としての発言にしても、トップが言ったコトバは、下の人間に見えない影響を与える。政権の意向にさからえないという発言を、公平中立を旨としているNHKのトップが発言したということは、その否定に他ならない。口がすべったというような問題ではない。下の人間は有形無形の圧力を感じざるを得ない。

民放と違って、私はNHKに受信料を支払っているのだ。NHKはよく見るし、信頼も寄せてきた。しかし、この会長の行動は異常だとしか思えない。一刻も早い辞任を求めたい。

追記:9時のニュースでも報道されなかった。受信料の引き落としを止めるしかないのかと思う。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2502M_V20C14A2EB2000/

2014年2月24日月曜日

日経 ブルキナが先行導入 BMC


ワガドゥグの中心街 荒熊さんのフィールドワークについていったことを思い出す
http://www.jeuneafrique.com/Articles/Dossier/ARTJAJA2551p068-070.xml2/ouagadougou-urbanisme-ville-ouaga-2000ouagadougou-la-pionniere.html
今朝の日経に、昨年10月3日にエントリーした関西の中小企業BMCインターナショナルの記事が出ていた。小売店のレジに無線端末をおき売り上げデータを管理するシステムの話である。当時、ガンビアで先行導入という話だったが、少し話が変わってきて、なんとブルキナファソで3月から500台が導入されるのだという。実際導入されるのは、おそらく、首都のワガドゥグだと思う。ブルキナ政府が、こういうガバナンスの充実に前向きだということに、朝からびっくりした次第。ブルキナ政府に対してちょっと失礼か。(笑)

ところで、日経を読んでいると学ぶことがたくさんある。消費税の導入に際して、ヨーロッパなどでは帳簿方式ではなくて、インボイス(送り状)という方法を取るらしい。今回の記事では、いかにインボイス方式が良いかについて書かれていた。WEBで調べてみると、はなはだややこしいのだが、消費税率が上がる4月に向けて日本では駆け込みで購入が増える見込みだが、そういうことはないらしい。徐々に小売店で商品ごとに判断することが可能らしい。私はこういう税務関係はド素人なので、これ以上書くのは留め置くけれど、そういう方式もあるということを知っただけでも、モーニングで日経を読むことの意味はありそうだ。

2014年2月23日日曜日

オタワのアイスホッケー少年の事

カナダ・ナショナルチーム
ソチオリンピックもいよいよ最終日で、なんとなくTVでアイスホッケーの決勝戦を見ていた。スウェーデンVSカナダ戦である。ふと、カナダの首都オタワで、アイスホッケーの練習をしていた少年と出合ったことを思い出した。もうかれこれ20年前になる。彼が当時高校生だとすれば今は三十台後半ということになる。今、彼はどうしているんだろう。きっとこの決勝戦を見ているに違いないと思ったりするのだ。

オタワは首都といっても、落ち着いた田舎町である。ちょうどハロウィンで、町中に黄色いカボチャがあちこちに飾られていた。そんな町並を散策していたときに、彼に出合ったのだ。彼はスティックを持ち、ローラースケートを履いて自宅の玄関前で1人練習していた。アイスホッケーという競技が、カナダやアメリカでは、極めてメジャーなスポーツであることを実際行って見て知った。私が「写真を撮りたいのだが…。」と言うと、わざわざキーパーの格好をしてくれたのだった。

今、カナダが貴重な2点目を入れた。彼が大歓喜している、と確信した次第。

こういう「地球市民の記憶」があれば、戦争しようなんて思わない。世界中に名もなき友人・知人の記憶をもつべきだ。私はそう思っている。

2014年2月22日土曜日

毎日 「教育にディベートを」

http://kirinuke.com/portrait/takahashi-korekiyo/
毎日新聞の今日の朝刊・オピニオンの紙面に、元内閣府事務次官の松元崇氏のインタビューが載っていた。なかなか示唆に富む内容だったのでエントリーしたい。

松元氏は「持たざる国への道 あの戦争と大日本帝国の破綻」という著書で、戦争にいたる経過を財政面から分析した。高橋是清蔵相が2.26事件で暗殺されて以来、財政は無茶苦茶になったのだという。戦後のハイパーインフレの原因は戦中の国債の日銀引き受けではなく、何の担保もない軍事手形(軍票)を引き受けたからであるし、2.26事件までの日本経済は好調で、蘆溝端事件以来の日中戦争泥沼化で行き詰る。英米のブロック経済が日本を追い込んだというより、経済合理性を理解しない軍部の満州国経営などでジリ貧になったとのこと。

軍の幼年学校から行われる偏った教育がそもそもの原因と断じる松元氏は、「相手を言い負かすことが重要」という教育の弊害を挙げる。たしかに実戦ではどう行動するか果敢な判断が必要だろうが、作戦を立て、指揮命令を行うところはそうではない。上手くいかないときは作戦を変え、退却を命ずる冷静さも必要である。しかし、それができない軍隊だった。松元氏は南鳥島を視察した際、ここの陸軍守備隊は餓死したのだと知らされる。陸軍はそもそも太平洋で戦争するつもりはなく、食料や物資を補給する体制がない中で戦争を始めてしまったのである。とことん合理的な米軍は攻略しなくていい島は「飛び石」作戦で無視した。結果、日米両軍に置き去りにされ、飢えと病気で守備隊は倒れたのだ。

それに対して、高橋是清は全く違う。高橋の評伝を書いたスメサーストという米国人によると、実にバランスの取れた人物に育った。その理由は、定型的な教育を受けなかったこと。寺子屋教育と小さいことから渡った米国で、だまされながら苦学したことが、高橋是清という人物をつくったのだという。

松元氏は、経済合理性を大切にすること、常識的な議論を行えるようにする教育が必要ではないかと主張する。大声で相手を言い負かすのではなく、相手を認め落ち着いて議論をする。人はそれぞれ違うということを身につけなければならない。小学校ぐらいから訓練させないといけないと松元氏は言う。以下、私が最も感じ入った箇所である。

「相手や他国からの見え方はこちらとは違う。こちらの話が向こうに正確に伝わっているかというと、そうでもない、ということを認識しないといけない。絶対に正しいこと、真理があると思わないほうがいい。科学は正しいこと、真理を教えてもらう学問だと思っている人がいるが、実はわかっていないことがあるから科学がある。正しいこと、真理がわからないが、議論しながら少しでも近づいていくプロセスを大事にすべきだ。」

…私はこの意見に大賛成である。ディベートは、相手の理論をも推察しながら、論理的に議論を進める訓練である。オウム事件の時の某やどこかの弁護士のように、口舌の上手いだけの人間を作ることではない。

…今の日本の政治や外交にとっても、最も大切な視点ではないのか。感情や大声でやり込めようとする軍部のような輩が多すぎると思う次第。

2014年2月21日金曜日

日経 アフリカの携帯マネー

今朝の日経・「初歩からのアフリカ」で、「携帯マネー急拡大」という記事が載っていた。何度かアフリカンモバイルのことをエントリーしたことがあるのだが、銀行を上回る存在として急成長しているということが最新の資料とともに紹介されていた。

世銀が行った新興国など100カ国を対象にした調査によると、ケニアは携帯電話で資金の受け取り・送金をする人口の割合が60%以上で世界一だった。同国の最大手サファリコムが2007年に携帯送金サービス(M-PESA:エムペサ)を開始。2013年現在、銀行利用者も人口比30%までに伸びたのだが、携帯電話はその2倍もある。月々の取引規模は通貨供給量の10%を超えている。

アフリカではこういう携帯電話による類似の送金サービスが行われている地域は100を越えている。普及が進んだ最も大きな理由はATMの少なさである。成人10万人あたりのATM設置台数は日本が133台。世界平均は44台。ケニアではわずか7台。銀行に行かずに資金を出し入れできる至便さは、第二の財布として使われているわけだ。また所得が少なく、銀行口座を持たない人の需要も吸い上げている。携帯電話の普及率はアフリカ全域で60%を超えたが、銀行口座の保有率は2・30%である。「携帯マネーが、金融システムと無縁だった低所得者を市場経済にいざなっている。」と見る専門家も多い。ただ、低所得者ほど決済額が小さいので、手数料の負担が大きい。広告収入などで決済手数料の無料化を勧める工夫が必要だという声も出ているとのこと。

今日の画像は、日経に載っていた資料をエクセルでまとめたもの。ケニアの利用率はずば抜けている。ガボンやコンゴ共和国、さらに意外にもソマリアの利用率が高いのがおもしろい。

2014年2月20日木曜日

経済は世界史から学べを読む。

日経の広告で、「経済は世界史から学べ!」(茂木誠著・ダイヤモンド社/昨年11月21日第1刷)という本の存在を知った。昨日、帰路に書店でさっそく購入した。
著者は予備校の世界史の先生であるという不思議な本だ。決して専門書ではないが、教科書くさくもない。解説は極力専門用語を使わず社会科が苦手な高校生が読んでも非常にわかりやすいと思うし、構成自体も面白い。
世界史や政治経済の授業のネタ本としてこれから大いに役立つのは間違いない。と、言うわけで早くも2/3くらい読んでしまった。(笑)

第1章はお金(1)。円、ドル、ユーロの成り立ちについて。
第2章もお金(2)。世界経済と国際通貨の話。
第3章は貿易。経済の自由化の話。
第4章は金融。投資とバブルの話。
第5章は財政。国家とお金の話。

もちろん知っている話も多いのだが、そういういくつもの話が、体系的に整理されてひとつの流れが見えてくるところが面白いと思う。あまり内容をバラすのは良くないと思うが、1つだけ紹介しておきたい。
ギリシア危機の話である。ギリシアがEUに加盟し、ユーロ導入に際して財政状況が審査された。政府が抱える累積債務がGDPの60%以内という加盟基準があるからである。ギリシアはこの基準をクリアしていたはずなのだが、粉飾(デタラメ)だったことがあとでバレるのである。ギリシアは、中世にはビザンツ帝国、近代にはオスマン帝国という専制官僚国家の支配を受け、勤労を美徳とする市民階級は生まれなかった。19世紀に黒海の出口という戦略価値に着目したイギリスのおかげで独立。第二次世界大戦後は、ソ連の防壁としてアメリカが支援。常に「おんぶにだっこ」だった国なのである。

…なるほど。そう指摘されれば、人口の20%を占める肥大化した官僚機構も、公務員労組と結託してバラマキ福祉を続けた左派政権も、勤労よりも余暇を楽しみ脱税のための所得隠しが常態化している国民も、粉飾決算のごまかしも大いに理解できるところだ。

2014年2月19日水曜日

口舌の徒 平泉澄の戦争責任

「天皇と東大Ⅲ」(立花隆著/文春文庫)を読み終えて、数日たった。じっくりと思索してからエントリーしたかったのだ。滝川事件から話が始まり、天皇機関説論争、そして2.26事件、満州事変…。一気に軍が政治を掌握していく。表面的(教科書的)にはそうなのだが、この底流に流れているのは、国体観の変化である。

軍は、基本的に天皇を神格化しておきたい。山縣有朋以来、天皇の皇軍として国民皆兵は進んできたのだし、天皇を立憲君主というシステムだと認識する天皇機関説は都合が悪いのである。民間の右翼と交流しながら、国の進路を軍の都合の良い方向にもっていく。ここで、ひっかかるのが、統帥権である。天皇の側から見れば、軍はどんどん自分の意思を反故にしていく。満州事変からその後の日中戦争へ、どんどんと下聞くらいではどうにもならない状況に追い込まれていく。完全に天皇の統帥権は名ばかりになり、軍から見ると統帥権を振りかざすことで政党を押さえ込む。完全に軍の権利を守るテーゼと化す。2.26事件の評価は難しい。天皇主権主義の原理主義的な皇道派が一気に粛清されていくのだが、残った統制派は、非皇道派といった方がわかりやすい。結局、天皇を神格化していく必要性は同じである。

「天皇と東大Ⅲ」では、東大の文学部教授の平泉澄のことが詳細に紹介されている。この平泉澄は、国体観を変化させる上で極めて大きい存在だったがよくわかる。彼が様々な場所(東大だけではなく陸大やその他の軍関係の学校)で精力的に説いた平泉史学というのは、一言で言ってしまえば、天皇のために死ぬことが日本人の美学であり、本懐だということである。楠正成を敬愛する神官でもあり、彼の教え子(信奉者)は陸軍を中心に膨大な数にのぼる。東条英機もそうだし、あの敗戦直後「日本の一番長い日」でクーデターを起こそうとした青年将校たちも、それの責任をとって自刃した阿南陸相もそうだ。もう将校のほとんどがそうだったといってよい。特攻隊も人間魚雷回天も、天皇のために死する美学=平泉史学の上に構想・実行された。

立花隆の文章を最後に抜粋しておきたい。(P440)「私が不思議に思うのは、平泉があれほど特攻と、玉砕を煽りに煽って、多くの若者を死に追いやったというのに、本人はそのことに何の責任も感じていなかったらしいことである。」「平泉には、同じように英霊と天皇に死を以て謝すという考えは浮かばなかったのか。それとも、平泉は所詮口舌の徒であって、行動の人ではなかったのか。」「(東大を退官して)さっさと故郷に帰って、もとの白山神社の宮司に戻ったことだ。その後平泉は昭和59年(89歳)まで生きたが、その言動は終生あの時代と変わらなかったといわれる。」

冷静に見て、同じ民間人としては大川周明などよりはるかにA級戦犯的な人物であると言わざるをえない。こういう口舌の徒は今もいるに違いない。

2014年2月18日火曜日

ナイロビのリサイクルアニマル

我がクラスでただ1人、インフルエンザにかかって出席停止になっているK君に、学年末考査試験準備のための教科書やノート類を届けに家庭訪問してきた。負けるな、K君。そんなこんなで、今日はショートショートなエントリー。これまた昨日に引き続きDoDoWorldNewsから。ナイロビで、使い捨てられたビーチサンダルを加工してつくられた動物たちが出回っているらしい。(小川弘氏の記事)これが、なかなか美しい。まさにアートである。針金を使ったり、缶を使ったりしたアフリカン・アートも私は好きだが、これは凄く良い。イボイノシシ、いくらくらいかな?WEBで同じアートについて書かれているページも発見。作成過程までわかるので、非常に面白かった次第。

http://redonepress.com/blog/ben_curtis_animaltoy

2014年2月17日月曜日

ナイロビのピキピキ

2年生の授業も今日を入れてあと2日。金曜日のSHRで、最後の授業ではお世話になった先生方にクラス代表を中心にしっかり挨拶するように、生徒にオネガイ(指示や指導ではない)した。こういうことは生徒に無理やりさせるものではないと私は思う。聞くと、しっかりと挨拶した後、毎回みんなで教科担当の先生を囲んで写真を撮ったらしい。これは全くの想定外。(笑)英語のM先生など、かなり感激してしただいたようだ。5時間目は柔道(男子のみ・隣のクラスと合同)の最後の授業。隣のクラスの担任T先生と、生徒が試合をするらしいので見学に行った。専門のS先生の指導がすばらしい。審判・時間計測も含めて、全員が試合をどんどん進めていく。本校ならではの本格的な柔道の授業だった。これまた想定外。(さすがにこれらの話の画像は残念ながら無い。)

ところで、今日のメインのエントリーは、今日届いた道祖神の情報誌DoDoWorldNewsから。ナイロビ駐在員の生野雅一氏のエッセイ「Nairobi Diary」にナイロビの交通事情の話が書かれていた。

http://www.eps.nagoya-u.ac.jp/~geochem/member/kyamamoto/kenya/others2.html
まずは、有名なマタトゥの話が書かれている。私がケニアに行った2003年頃は、無茶苦茶派手なカラーリングだったのだが、最近では地味なカラーリング(白のボディに黄色のライン)に統一されている。しかし、夜になると車内が怪しい色のブラックライトに照らされ、以前と同じくガンガンに音楽を鳴らして走るらしい。(笑)やはりマタトゥは元気なほうがいい。

ところで最近は、ピキピキというアジアなどで良く見かけるバイクタクシーも走っているらしい。スーパーや交差点などにたむろしていて、初乗り100円くらいだそうだ。渋滞が多いナイロビでは、短い移動ならかなり重宝するとのこと。ただ、無免許のライダーもいるらしく、ヘルメットも貸してはくれないとのこと。なかなかリスクもあるわけだ。とはいえ、このバイクタクシー、名前がいい。ピキピキ。(笑)

東京外大のWEBのスワヒリ語辞書でピキピキの意味を調べると、無茶苦茶ストレートな結果だった。”オートバイ”…なーんや。あほらし。想定内すぎてがっかりしたのだった。

2014年2月16日日曜日

記憶遺産をめぐる子供のケンカ

このところの極東地域のナショナリズムの高揚はだんだん子供のケンカのようになってきた。今度は、ユネスコ世界記憶遺産をめぐっての話だ。
まず韓国が昨年11月11日に慰安婦関連記録を登録する計画を発表した。今年に入って、2月4日に鹿児島県南九州市が、市立知覧特攻平和会館に収蔵する特攻隊員の遺書を記憶遺産登録に向けて申請すると発表した。(この申請は1各国から年2件だけなのでユネスコ国内委員会で審議されることになる。)そして14日、これに対抗するかのように中国が南京大虐殺の関連記録を申請する準備を始めたとAFP通信が報じたのだ。

このユネスコの世界記憶遺産、ユネスコの国内委員会のHPによると、目的は、1.世界的に重要な記憶遺産の保存を最も相応しい技術を用いて促進すること。2.なるべく多くの人がアクセスできるようにすること。3.加盟国における記憶遺産の存在及び重要性への認識を高めること。であるそうだ。選定基準について、次のようにある。文化的価値を測定する絶対的基準は存在し得ないため、審査は比較に基づく相対的なものとなる。よって登録簿に含むかどうかのの判断は、案件ごとに選定基準及びMOW(世界記憶遺産:Memory of World)ガイドラインが規定する一般方針に照合する形で進めるが、これまでに認可、不認可となった他の推薦案件との関係も考慮する。とある。
…世界遺産の起源同様、危機に瀕した貴重な歴史文書・画像・フィルムなどをデジタル化していくのが、ユネスコの考えた本義であろう。だから、マグナカルタやフランスの人権宣言、グーテンベルグ聖書、資本論の初版本、東インド会社の記録、リグ・ヴェーダ等が登録されているわけだ。

…その記録の価値に対する絶対的な判断基準がない以上、各国が何を申請するのも自由だが、おそらくは、ユネスコも困惑するような事態が極東に出現していると言わざるをえないだろう。私はこれらの3点の価値自体を云々する立場にない。だが、日本人であることを離れて、地球市民としてみるならば、まさに子供のケンカにしか見えない。少なくとも仏教や儒教を共通の基盤にしてきた東アジアの兄弟とも言うべき国が、何考えてんねん。と大阪弁で言いたいくらいだ。最近、子供じみた政治家が増えてきた。ここらで、一喝を入れるべきではないだろうか。

http://www.mext.go.jp/unesco/002/006/002/005/shiryo/attach/1308430.htm

2014年2月15日土曜日

アフリカ学会 公開講座2月

寒椿と雪解けの後の 京大稲森財団記念館
今年になって始めてのアフリカ学会公開講座である。第6回目の今回は、「アフリカ音楽の魅力-無文字社会との関連から-」というタイトルで、鈴木裕之国士舘大学教授の講義である。正直なところ、あまり属性がないので期待薄だったのだが、無茶苦茶面白い話だったのだ。話の内容ももちろんだが、何より鈴木先生のトークが軽妙で飽きさせないからだったと思う。しかも、先生の奥様がギニア出身の歌手であり、その一族もそうであるところが私を最初から驚かせた。最高のマクラ(興味付けの導入)だったと思う。

鈴木先生は、アフリカ音楽の特徴を、まず無文字社会の情報伝達手段手段として取り上げられた。トーキングドラムはモールス信号のようなものではなく、太鼓で”しゃべる”のだ、と教えていただいた。日本語は極めて抑揚のない言語だからわかりにくいのだが、アフリカの多くの言語は中国語のように抑揚がはっきりしている。VTRで有名なナイジェリアのヨルバの人々のトーキングドラムを紹介された。太鼓の周囲に垂直に張り巡らされた多くの紐を調節しながら叩くことで抑揚をつけるらしい。実に面白い。

さらに今日の主題は、、アフリカで一般名詞的に使われる「グリオ」(語源は不明。大航海時代以来西洋人の探検家などがそう呼んだ。各地方ではそれぞれ固有名詞がある。)という語り部集団の話である。無文字社会の中で、大きくは歴史の伝承を行ってきた。語り部であり、楽師であり、儀式などでも伝統的な役割をする職能集団である。そう、先生の奥様は「グリオ」(西アフリカのマリ帝国の系譜に繋がる諸民族=マンデでは、ジェリと呼ばれている)の一族なのである。伝統的なマンデのグリオは、3人で木琴を奏でる。それのリズムに乗って語り部がしゃべり、合間に女性の挿入歌があるそうだ。木琴は、私がブルキナで購入したもの同様、下部にひょうたんがある。マンデのものは穴があけれられくもの巣(今はガムやサランラップを使うそうだ。笑)を貼り付けてゆがんだ音を出す。語り部のしゃべりは、おそらく現在のラップ音楽の起源ではないかとされている。挿入歌も大きなよく通る声量で、これもゴスペルの起源ではないかと言われているらしい。この辺、無茶苦茶面白いと思う。そもそも、ロックの起源を探究するところから鈴木先生の研究は始まったそうだ。グリオの人々は、伝統的なグリオの仕事もしながら、今やポップスのスターとして活躍する人も多いのだという。実際、奥様の一族もスターとなっているらしい。「北島三郎がTVで活躍するとともに、地元の祭りで歌っているようなもんです。」…なるほど。

このマンデのグリオが語る歴史は、マリ帝国の創始者、スンジャタ・ケイタの物語である。鈴木先生はパリで見つけた絵本の画像をもとにこれを紹介していただいた。これがまた、なかなか面白いのだ。マンデという国の隣国で野牛が災いをなしているという。王は2人の狩人にその征伐を命じる。狩人はその途上で老婆を助ける。実は、その老婆こそが野牛に化身しており、彼らに討たれることを望み、自分の弱点とその後行うべき行動を教える。狩人は変身した野牛を討ち、隣国の王に感謝される。隣国の王は褒美に娘を与えるという。老婆の予言通りである。老婆の指示通り最も醜い娘を選び、マンデに帰国した狩人は、その娘を王に託す。第二婦人となった娘は、足が悪い王子を産んだ。食事に使うバオバブの葉をめぐって第一婦人から足の悪いことで侮辱を受けた王子は、足を直し、国一のイケメン青年となる。これがスンジャタである。その後、第一婦人に暗殺されかかった王子と第二婦人は国をでる。その頃、スマオカンテという呪術師が天下統一をはかろうとしていた。彼は人間の血を好む木琴をあやつっていた。彼は女好きで300人も妻がいた。スンジャタの妹(皇女)を新しい妻に迎えた。妹は、泣く泣く妻になり、床の中で彼の秘密の弱点を聞き出し、スンジャタに伝える。それは真っ白な鶏の蹴爪に刺されると死ぬということだった。クリナの戦いで、この蹴爪のをつけた弓矢で呪術師を射止めたスンジャタは、マリ帝国の王となったのだった。メデタシ、メデタシ。
…こういう伝承神話には民族の様々な知恵とアイデンティティが詰まっている。グリオは、こういう民族のエキスを伝承しているわけだ。だから派手な衣装を着ているし、一般の人々からは絶対ないがしろにされることはないそうだ。奥様も、毎年銀座で20万円もする金の装飾品を買ってやらないと怒るそうだ。実に面白いなあと思うのだ。

ところで、日本語で、「音楽」というと「音を楽しむ」という漢字から、アフリカ人は能天気で野生的だと思ってしまうのだと鈴木先生は主張される。アフリカには、喜びの音楽もあれば、憎しみの音楽もある。祝福の音楽もあれば、呪いの音楽もある。全ての生が音楽と結びついている。内戦下で歌い踊りながら機関銃を乱射する場合もあるという。

元々人類はアフリカが故郷だ。エネルギー保存の法則から言えば、アフリカ人は歌やダンスにそのエネルギーの多くを消費していると鈴木先生は言われた。文字を持つ私たちは歌やダンス以外の様々なことにパワーを使う。だから、その偏差値はすごい差があるらしい。なるほどと思う。

…意外なほど、今日は鈴木先生の話に入り込んだ。先生の極めてユニークな講義に感じいった次第。私は、アフリカでこういう音楽に触れていない。先日NHKで見たセネガルのダンスの話からも、こういうアフリカンパワーの炸裂は夜に盛り上がることが多いからかもしれない。そういえば、ナイロビのホテルでは、深夜の街でガンガン音楽が鳴っていたように思う。きっと、東アフリカ風の音楽パワー全開状況だったと思う。惜しいことをした。

貴重なお話を聞かせていただいた鈴木先生に改めて感謝申し上げたい。また今回も京大のスタッフのみなさんありがとうございました。

ソチ報道で気になっていたこと

オリンピック報道の洪水が続いている。私は冬のスポーツは特に苦手であるので、ほとんど興味がない。正直ちょっと迷惑なのだが、なんとなく見てしまうこともある。先日も、フリースタイルスキーのスロープスタイルという競技を見ていた。なんとも凄い競技だった。その中で、カナダ人と日本人のハーフの選手が出ていた。ユキ・ツボタさんというカナダの女子選手である。おばあちゃんが大阪・帝塚山から応援に来ているとかいう話だったので、なんとなく応援していた。それが、いい演技をしながら最後の最後で転倒してしまったのだった。それも、かなり危ない転倒で、動かなくなってしまった。解説者からも選手生命というコトバまで飛び出したのだ。わざわざソチまで来ているおばあちゃんの心痛のことも重なって私は非常に心配していたのだった。

当然日本のTVでは、彼女のその後の情報は流れなかった。しかし、WEBの情報網は凄い。私同様心配していた人がいて、ロシアの通信社の報道やカナダのコーチの談話なども書き込んでくれていた。「深刻な状況ではない。チーム・ドクターとともにいる。」ということらしい。ちょっとホッとしたのだった。早く回復して、そしてまた再起して、こんどこそおばあちゃんを喜ばせて欲しいもんだ。

http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/36304781.html

2014年2月14日金曜日

大阪も雪のバレンタインデー

大阪では、「雪が降るで、降るで。」と言われながら降らなかったのだが、ついに降った。私の自宅は山麓というほどではないが、とにかく山沿いなので、久々にかなり雪が積もっていた。
しかし雪が一番厳しかったのは、生徒の登校時間くらいだったと思う。私は、前任校で生徒指導部長だったこともあるので、雨の日だけでも校門指導を手伝うことにしている。本校は自転車通学の生徒が多いので、今日の雪の日などはなおさら人手が多いほうがいい。30分ほど傘をさして立っていたが、雪で重くなったくらいだ。

校門指導を終えて、職員室に戻ってみると、我がクラスでも自転車でこけたという生徒からの連絡が入っていた。怪我はなかったようだが、一度自宅に戻って保護者に車で送ってもらう羽目になったらしい。昼休みには、それでも女子は雪合戦をやったらしい。うちのクラスなら絶対やると思っていたが…。(笑)ちなみに男子は体育館でバスケットボールをしていたようだ。今日はなんとなく男女間に緊張がある。と、いうのも…。

今日はバレンタインデーである。男女の比率が同じくらいの本校では、なかなか盛り上がるのである。私は女子ばかりの商業高校、男子ばかりの工業高校、女子が圧倒的に多い進学校と渡り歩いてきたので、こんなに盛り上がらなかったので新鮮だ。最後のSHRで、おしゃれな紙のバッグにたくさんチョコやクッキーを入れていた女子生徒たちに「これから配るんかあ?」と聞いたら、「これは今日の戦利品でーす。」という返事。最近は女子同士で交換するんだとか。へー。男子にも今日の戦果を聞いてみた。皆、素直に教えてくれる。こういう時の生徒との距離感は近い。当然、私に「毒」であるチョコレートは回ってこない。私の糖尿病のことは、みんなよく知っている。(笑)「今日は特に気をつけて帰れよー。」と、言ってSHRを終わったのだった。

2014年2月13日木曜日

フルーツバスケットで人間学

昨日は、最後のLHRだった。生徒に自由に企画・運営するように指示した。で、前半は運動場で「探偵と泥棒」という追いかけっこを楽しんで、後半は教室で、椅子取りゲームとフルーツバスケットを楽しんだ。みんなテキパキと準備し、進行していく。フルーツバスケットは、鬼がなんらかの条件を出し、その条件を満たす者が椅子を移動しなければならないルールだ。「制服を着ている人」「ジャージの人」などの声に、わあーと移動する。「5組が大好きな人!」と鬼が言うと全員が移動した。…嬉しいな。気を使ってくれたのだろうか。次に「(私の名を呼んで、私が)担任でよかった人!」という声がかかった。同じく全員が移動して大騒ぎになった。ホント、ありがたいことだ。

さて、今朝のSHRで、来年は(団活動の)団長になりたいと言っているH君と少し話をした。「昨日は、なかなか良いリーダーシップやった。嬉しかったでえ。」「ありがとうございます。」「この1年、大きく成長したなあ。」「はい。ありがとうございます。」「団長になるということを常に意識してたなあ。」「はい。」「では、宿題。昨日のフルーツバスケットで、誰の顔を見ていた?」「気にしていたということですね。」「うん。そのとうり。終わりのSHRで答えを聞きたい。」「わかりました。」

終わりのSHRで、H君は3人の生徒の名前をあげてくれた。「正解。いいところを見てるな。実は本当の正解はないんや。」私たちの会話にO君とK君も入ってきた。いっしょに考えていたのだという。「一生懸命、皆の表情を読み取って、楽しんでくれているか、常に考えることをわかってくれれば、それでいい。リーダーの人間学やな。」「なるほど。」H君の目が輝いた。「今日1日、ずっと考えていたんすよ。」…嬉しいな。こうして人は育っていく。授業では決して教えきれない人間学だ。…私は55歳、来年度に向けて、今しかできない指導をしている。

2014年2月12日水曜日

ジャパニーズBOX プレゼン

豆腐が日本だ!5組のH1漫才コンビ
総合的な学習の時間、アメリカ学入門も最終回である。先週にプレゼンを予定していたのだが、なかなかプレゼンの方法までは決まっていないようだったので、もう一時間議論し、プレゼンは今日ということになったのだった。

最初に代表者で男気じゃんけんを行った。勝った者順に発表。最初は4組である。ゆかた。次に7・8組、剣玉。1組Bが、しょうゆ。5組は豆腐。3組はお茶。1・2組Aが扇子。というオミヤゲをそれぞれ考えた。日本の自然、日本の社会・産業、そして日本の文化。これらを熟慮してのオミヤゲ選びだったが、正直なところ、わりとストレートな結果かなと思う。

しかし生徒は、真剣に取り組んでくれたし、なかなかプレゼンもうまくやってくれた。『醤油』や『豆腐』はなかなか面白く、良いプレゼンで、皆の評価も高かった。一緒に講座を見ていただいたO先生も満足していただけたようだ。

最後に、G0(ジー・ゼロ)という話をしてアメリカ学入門を終えた。今や、世界はバクス・アメリカーナではなく、様々な勢力が跋扈している。私には、そのナショナリズムの高揚が不気味に写っているという話をした。それが現実である。もう少し、アメリカの宗教事情や内向きになった理由などを講義したかったのだが、評価をしない総合的な学習では、どうしても限界もある。世界史や政経でフォローするとするか。(笑)

2014年2月11日火曜日

途上国の旅;開発政策の物語

毎日新聞の8日の「今週の本棚」に興味深い書評が載っていた。『途上国の旅:開発政策のナラティブ』(浅沼信爾・小浜裕久著/勁草書房)の白石隆氏の書評である。以下、私なりにまとめてみた。

一部の途上国経済がキャッチアップに成功し、新興国として台頭してきた。しかし経済成長は、理論が描くように、またマクロ的にはスムースに見えても、経済のプロセスでは、生産、雇用、諸国配分、地域経済、消費構造等、すべての面で大きな構造的変化が起こっている。極めて複雑な現象であり、その国の開発戦略、経済政策はその国の発達段階に応じたものでなければならない。ある政策がある国でかつて成功したからと言って、同じ政策が別の国で上手くいくとは限らない。いろいろな国での開発の経験についてナラティブ(物語)を積み上げ、なにが上手くいき、何が上手くいかないかを学ぶほかない。これが本書の狙いである。一次産品輸出は成長のエンジンにならないという一般的な理解を覆し、パームオイルとゴムの輸出をテコに経済成長を成し遂げたマレーシア、輸出主導型工業化を進めた朴政権下の韓国、かつての世界第2位の高所得国ながら輸入代替工業化で経済衰退したアルゼンチンなどの物語が語られる。これらの物語から導かれる教訓のひとつは、経済発展が急速に進展する決定的な時期があり、その時に開発の重要課題が出てくること。もうひとつは、政治指導者はしばしば短期的に、自分と自分の支持者の政治的・経済的利益を犠牲にしなければならないこと。また有能なテクノクラートに支えられるかどうか。これによって、経済発展の首尾が大いに違ってくるのだ、という。

実は今、新しいアフリカ開発のシュミレーション教材の構想を練っている。(3学期から春休みという時期、毎年のことだが…)是非とも参考にしたいと考えているところだ。

2014年2月10日月曜日

TV東京の「秘境」アフリカを評す

http://xvwowvx.blog108.fc2.com/blog-category-8.html
TV東京で、カメルーンとザンビアの日本人女性の活躍を紹介する番組を見た。いつも思うのだけれど、民放は、アフリカに過剰な演出を行うことが多い。カメルーンの修道女の話も、ザンビアの医師の話も、それぞれ感動的な話なのだが、妙に「秘境」というコトバを連発する。

「秘境」カメルーン。「秘境」ザンビア。何度も何度も連発する。カメルーンやザンビアの、どこが「秘境」なのか。確かに彼女たちが活躍する場所は、首都ではなく地方である。「秘境」カメルーンの「僻地」?変な日本語だ。この番組の演出担当者のアフリカへの上から目線、アフリカへの悪意すら感じる。

アフリカを愛する者としては、「秘境」などというコトバを簡単に使って欲しくはない。無性にハラがたった。『世界なぜそこに日本人』という番組だ。私は二度と見ない。

2014年2月9日日曜日

カザフスタンの国名変更

http://www.namys.kz/?p=15789
今朝の毎日新聞朝刊に、カザフスタンが国名変更するらしいという記事が載っていた。要するに大統領が変更する考えを表明したらしいのだが、周囲にあふれる「~スタン」(ペルシャ語系言語で言う国の意味)をやめて、「エリ」(カザフ語で土地の意味)に付け替えるということらしい。

カザフは、中央アジアの大国なのだが、同じような「スタン」のつく国に囲まれ存在が希薄になっているのだという。たしかに、キルギスも以前は、キルギスタンだったがキルギスになった。周囲のタジキスタンやウズベキスタン、トルクメニスタンなどとの差異が、スタンのない新鮮な印象を与える。
「スタン」は英語で言う「ランド」なのだが、「スタン」のほうは中央アジアに密集しているだけに、地理が苦手な人には同じように思えるよなあ。

少し、カザフ語について調べてみた。言語学は全くの素人なのだが、カザフ語はペルシャ語系というよりは、モンゴル語系らしい。近い言語にキプチャク語群など書かれていると、キプチャク・ハーン国の歴史とオーバーラップする。凄いな。大きくはアルタイ語族なので、日本語に近いようだ。イスラム教受容の影響で、アラビア語やペルシャ語の語彙が増えたようで、「スタン」もその影響なのだろう。

現在、カザフでは、ロシア語が各民族の共通語してもよく使われていたらしく、ソ連崩壊後はカザフ語の普及に熱心に取り組んでいるようだ。うーん、ここでもナショナリズム?韓国の「東海」の話といい、日本でも世界でも、ナショナリズムの強い風が吹いているようだ。あまり歓迎すべき話ではないと私は思う。

http://mainichi.jp/select/news/20140209k0000m030025000c.html

2014年2月8日土曜日

JFK没後50年だそうで…

今TVで知ったのだが、JFK没後50周年だそうだ。TVで紹介されたワシントンDC郊外にあるアーリントン墓地のケネディの墓に私も行ったことがある。

このJFKは、最年少大統領であるとともに、WASPではない最初の大統領だ。WASPとは、白人で、アングロサクソンでプロテスタントであることを示す。ケネディ家はアイリッシュで当然カトリックある。JFKの父親は、アイリッシュとして誇りを持っていた。株で大もうけし、資産家となった。第二次世界大戦時の駐英大使である。かなりFルーズベルトに資金援助したらしい。植民地の民であったアイリッシュが駐英大使となったわけだ。当然、チャーチルのアメリカへの参戦要望を何度も蹴ったりして、大いに溜飲を下げるのだ。こういう感情的な民族意識は、そう簡単に解決できるものではないという見本のような話だ。

大戦後は、息子から大統領を出すことに執念を燃やす。長男が夭折し、次男のJFKにその使命が回るのだ。今でもケネディの人気は高い。冷戦の最も厳しい時に、キューバ危機を乗り越えたことが大きい。だが、実際にはベトナム戦争への道を開くことになる。

結局、ダラスで暗殺されるのだが、それがまた悲劇の大統領として判官贔屓になるのだろう。もし、今、マウントラッシュモアを作り直すとしたら、ワシントンとリンカーンは絶対として、ケネディとFルーズベルトが入るのではないかと思ったりする。

TVでは、ジャックリーン夫人のことも含め、かなり綺麗ごとで終わっているが、実際はいろいろなことがあったのだ。今日の画像は、大森実の人物現代史のケネディである。このシリーズは、現代史を考える上で非常に有効な名著であると私は思っている。

2014年2月7日金曜日

3年に向けてクラス替えの話

本校のクラス替えは今までの勤務校とはだいぶ異なる。3年生普通科は、2月のこの時期にクラス替えを決定するのだ。理由は、かなり選択科目が複雑だからである。教務から、選択別におよその枠組みを今週もらった。これを2年生の普通科5クラスの担任団で検討するわけだが、こういう場合、数学の先生がいるとスムーズである。

まず2学期の期末の成績(順位)をもとにソートする。さらに、教務の枠組みをもとに、このクラスに絞られるという生徒をセレクトする。あるいは、この2クラスに絞られる生徒をセレクトする。できるだけ成績(順位の和)が平均になるように、生徒を動かしていく。男女比も平均化する。4科目もの選択ブロックでは、クラスごとに人数のばらつきがないように、生徒を動かしていく。

非常に複雑な作業なのだが、わが担任団のS先生がエクセル上で一人でコツコツと原案を作成してくれた。ありがたいことだ。

で、今日の放課後、5人の担任が集まって、さらに団活動のことや生徒の微妙な人間関係なども考慮して微調整をしたのだった。進学クラスだけは全く同じメンバーだが、残りの4クラスは大きく変化した。5クラス全部を教えている私には、それぞれのクラスのイメージが浮かんでくる。なかなか、いい出来栄えではないか、と思う。

一方、わが5組は残り少なくなった日々を大いに楽しもうとしている。先日も昼休みにクラスでフルーツバスケットをやったそうだ。(笑)日直日誌を読むと、みんな5組が大好きなんだそうだ。担任として、クラス経営は大成功だったと自負している次第。アトは、全員が進級して有終の美を飾るだけだ。

2014年2月6日木曜日

ナポレオンと山縣有朋

http://www.behance.net/gallery/Napolon
-Bonaparte-in-Vilnius/9644103
世界史Bは、ナポレオンの話になっている。私はどうもナポレオンという男は友人にしたいとは思わない。(笑)ところで、このナポレオンがヨーロッパ大陸を席巻した理由について話している。フランス革命期に対仏大同盟に際して、ジャコバン派が「徴兵令」を出す。当時のヨーロッパでは常識だった傭兵ではなく、「国民皆兵」に移行するのである。貴族の土地を農民に与え、その土地を守るため、一般の農民は自らの土地とフランス革命を守るために立ち上がることになったのだ。普通選挙による無産階級を代表するジャコバン派らしい方程式だ。なんか、ペルシャ戦争の時のギリシアを彷彿とさせる話だ。だから、ナポレオンが国民皆兵を考え出したわけではないのだが、ナポレオンの凄さは、学校教育を行い、標準的なフランス語を徹底して教育したことだ。いくら士気が高くても軍隊として集団行動が出来なければ勝てない。

この国民皆兵こそが、近代国家の「国民国家」を作り出した。プロイセンなどは、ドイツ人らしく論理的に、このナポレオン軍の強さの秘密を解明し、自国民も無理やり「国民国家」化し、最後の最後のワーテルローの戦いで仏軍を逆転し溜飲を下げるわけだ。国民国家というのは、軍事思想であるといってよい。

ところで、少し日本史とオーバーラップさせてみる。日本にこの「国民皆兵=国民国家」という概念を輸入したのは山縣有朋である。戊辰戦争後訪欧して、この列強の強さの秘密を得て帰国するのだ。で、山縣有朋は、西郷に談判し「廃藩置県」の断行を迫るわけだ。廃藩置県とは封建制度の破壊であり、政府軍をつくるための方便でもある。明治の黎明期は、ほとんど新国家プランのない時代だが、学制だけは素早い。日本語の確立、東北弁の克服。ハト、マメ、マス。国民皆兵への道筋をつける事だけは迅速だった。それだけ、列強の植民地支配への危機感が強かったともいえる。

こんな話を今日、文Ⅰ(進学クラス)でしていたら、授業終了後、「先生、廃藩置県の真の意味がわかりました。面白いです。どんな本を読んだらいいですか?」と、ある生徒が聞いてきた。嬉しいではないか。興味をもってくれることが、私の最大の眼目である。

2014年2月5日水曜日

マンデラ氏の17の知恵

久しぶりにGloval Voicesを覗いてみたら、「誰もが知るべきネルソン・マンデラの17の知恵」という記事が載っていた。1964年の反逆罪裁判での法廷での演説を始め、様々なコトバが載っていた。すばらしいコトバばかりなので、エントリーしておきたい。

「成し遂げたことで私を判断するのではなく、失敗して再び立ち上がった回数で判断して欲しい。」
「私を聖人と呼ぶなら、聖人とは挑戦し続ける罪人という意味になるだろう。」
「憎しみは心を曇らす。憎しみによってあれこれ余計なことを考えてしまう。指導者には誰かを憎んでいる余裕はない。」
「人は憎しみを学べるのなら、愛を教えてもらうこともできるはずだ。なぜなら、人の心にとって愛することは憎むことよりも自然なことだから。」
「勇気ある人は平和のために許すことを恐れない。」
「報復するよりも情けをかける方が、この世界では多くのことを成し遂げられる。」
「スポーツはそれまで絶望しか存在しなかった場所に希望の光を灯す。」
「後方に控えて指導するーそして先頭にいるのは君たちだと信じさせる。」
「私は人種差別を嫌悪する。それは、白人からであれ黒人からであれ野蛮なことだと思うからだ。」
「何事も達成するまでは不可能に思える」
「勇敢な人とは、恐れを知らない人のことではなく、恐れを克服する人のことだ。」
「暗く厳しいと思えるときでさえも真実を求め続ける人が名声を得る。」
「自由になるとは、単に束縛から開放されることではなく、他人の自由を尊重かつ促進しながら生きるようになることだ。」
「教育は、世界を変えるために使える最も強力な武器だ。」
「刑務所に入ってみないとその国のことを本当に知ることができないといわれている。」
「ある人が、国民と国に対する義務だとその人が思うことをやり遂げたとき、その人の魂は安らかな眠りを得られる。」

http://jp.globalvoicesonline.org/2013/12/25/26603/

2014年2月4日火曜日

毎日 天国の聖なる食材

ハディース
毎日新聞の夕刊に、茨木市にあるモスクの関係者でつくる国際イスラム交流協会(IICA)が、調査捕鯨船日新丸で船内加工した鯨肉について、ハラール(イスラム法:シャリーアで認められたもの)として認定したという報道があった。要するに、ムスリム(イスラム教徒)は、この船で作られた鯨肉は食べても良いというわけだ。おそらく、この船内で加工する際にイスラムの祈りが捧げられ、他の食肉に順ずる方法で加工されているのだろう。この日新丸を保有する共同船舶の専務が、ムスリムが食することが可能な食品が日本では少ないと聞き、認証を受けたのだという。

私は知らなかったのだが、ハディース(ムハンマドの言行録といわれている。シャリーアの体系では、コーランに次ぐ位置を占める。)には、鯨は人間が天国で最初に食する聖なる食べ物だと書かれてあるのだという。ただ、現在世界中で、鯨肉が出回っているのは日本くらいなので、ムスリムがその天国の食材を食べれるのは日本だけということになる。IICAでは、国際のイスラム食材店や飲食店に卸す予定だという。神戸モスクの前の店にも鯨肉が並ぶことになりそうだ。

世界中から鯨を食することについて、非難が浴びせられている日本だが、意外にもイスラム圏から国際会議で応援されることになるかもしないし、もしかしたら、鯨肉を食べるために来日するムスリムが出てくるかもしれない。

子供の頃、貧乏人だった我が家では、鯨肉は、牛肉や豚肉より安い最低の肉でしかなかった。よく母親が公営市場で買ってきたものだ。「えー、またクジラ?すき焼き食べたい。」「うちは貧乏やからクジラや。すき焼きはお父ちゃんの給料日だけ。」と言われてきた。(笑)だから、供給が減り高価になった鯨肉には大いなる違和感を感じているのだが、なんか「天国の聖なる食材」と言われるとおもしろいな。

2014年2月3日月曜日

朝のSHRの話

3年生の学年末考査が始まった。それは即ち3年生の授業が無くなったことを意味する。苦しかった月曜日の5時間授業が、一気に軽減された。体調が良くない私としてはありがたい。ところで、今日の朝のSHRでの話。

女子生徒が朝から掃除をしていた。「?」とよく見ると、紙の鬼の面が教卓の上に。どうやら豆まきをやったらしい。そうか、今日は節分なのだった。聞くと、男子2人が鬼になって、豆まきをしたのだとか。(笑)で、私が来る前に掃除というわけだ。生徒自身の手で勝手に楽しんで、その後始末もきちんとやっているのだ。実によろしいではないか。

昔々、20代で初めて担任した商業高校の女子クラスでは、終わりのSHRで、私が教室に入った途端、豆まきをされたもんだ。えらい目にあったが、若かったから嬉しかったものだ。50半ばともなれば、こうして私抜きで行われることが嬉しい。ちょっと淋しい気もしないではないが…。(笑)

2014年2月2日日曜日

ベナンのブードゥー教の聖地

昨日ワンフェスで手に入れたIFE編集のベナンの観光ガイド、楽しく読ませてもらった。特にウィダ(Ouidah)という、コトヌーの西にある町のことが最も気になったので、エントリーしようと思う。ここは、今日のタイトルにあるように「ブードゥー教の聖地」である。ベナンは、ガーナやトーゴ以上にブードゥー教が盛んらしい。
ウィダには、「聖なる森(Forest de Sacret)」というのがあるそうだ。ブードゥーの神々がまつられている森らしい。摩訶不思議な姿の神様が何十体も並べられて、写真撮影には2000CFA(400円くらい)いるという。”天空の城ラピュタ”に出てくるような金属ロボットのような神もいると書いてあったので、探してみた。(画像参照)凄い。むちゃくちゃ面白いではないか。

また、この町は奴隷貿易が行われていた地で、3.5キロにも及ぶ「奴隷街道」があるそうだ。奴隷市場だったチャチャ広場から、忘却の木、ゾマイという奴隷が閉じ込められた場所、帰郷の木、そして、帰らずの門。…アフリカの歴史を知るためにも是非とも行ってみたい町だ。ベナン、いいよな。

2014年2月1日土曜日

ワンフェス 2014

ベナン支援のIFEの方 ブログ掲載了承済
昨年はインフルエンザで行けなかったワンフェス(ワンワールド・フェスティバル:大阪国際交流センター)に行ってきた。兵庫県立兵庫高校の多文化共生を考えるというパネルディスカッションが11時からなので、それまでに他のブースも回る算段で10時に到着した。

兵庫高校は1Fにもブースを出していた。予想通り、一昨年JICA関西の高校生セミナー(12年12月23・24日付ブログ参照)でご一緒したO先生がおられたので、挨拶。公立高校がこうしたイベントに参加していることを賞賛したのだが、このブース、3万円の出展料がかかるらしい。それにプログラムの印刷代などで+1万円。凄いな。この費用の捻出は公立高校では大変だ。聞くとパネルディスカッションは1年生が、ブースの方は2年生が担当しているらしい。

その後、2Fに上がり、ワンフェスのTシャツを購入。2Fは、様々なNGOやNPOがパンフレットやら民芸品やらを並べている楽しい空間だ。私の目はやはりアフリカ関連に向かう。ベナンのブースがあった。そこで、パンフレットをもらい、ベナンの観光案内を購入した。また1Fに降りて、UNHCRで、命のメジャーの説明を受けた。子供の栄養失調の状態を腕の太さで簡易的に調べるもので、教材に5つほど分けてもらったのだった。隣のWFPでは、最新の飢餓の世界地図を購入した。こういう国際理解教育の教材集めもワンフェスの魅力だ。ナイジェリアやスーダン、ホンジュラスのJICA研修員さんとも言葉を交わした。ホンジュラスの女性は、「英語がわからないの。」と英語で言った。近くにいたスペイン語の出来る「なんとかしなきゃプロジェクト」のスタッフによると、最近はスペイン語でも日本で研修が可能だそうだ。へえー。

兵庫高校のパネルディスカッション
さて、兵庫高校のパネルディスカッション。兵庫高校のある長田区は外国人が多く住むらしい地域らしい。多文化共生を進めるNPOの方や教育委員会の方もパネラーとして参加されていた。生徒の発表自体は、1年生らしく初々しいもので、大いに好感がもてたのだが、後半のパネルディスカッションは、もっと生徒中心にして欲しかった、というのが私の正直な感想だ。会場には、管理職らしきスーツ姿の教育関係者が多かった。
あえて理想論を言えば、たとえ稚拙な議論であっても、同じような多文化共生について学んでいる高校生がもっと集まって語りあえればよかったのになあと現場の教師は思うのだった。

帰路につこうとセンターを出た瞬間、なつかしい顔に出くわした。奈良教育大のG君である。「教育実習のときにまた。」と言って(1月14日付ブログ参照)別れたのだった。