2014年2月22日土曜日

毎日 「教育にディベートを」

http://kirinuke.com/portrait/takahashi-korekiyo/
毎日新聞の今日の朝刊・オピニオンの紙面に、元内閣府事務次官の松元崇氏のインタビューが載っていた。なかなか示唆に富む内容だったのでエントリーしたい。

松元氏は「持たざる国への道 あの戦争と大日本帝国の破綻」という著書で、戦争にいたる経過を財政面から分析した。高橋是清蔵相が2.26事件で暗殺されて以来、財政は無茶苦茶になったのだという。戦後のハイパーインフレの原因は戦中の国債の日銀引き受けではなく、何の担保もない軍事手形(軍票)を引き受けたからであるし、2.26事件までの日本経済は好調で、蘆溝端事件以来の日中戦争泥沼化で行き詰る。英米のブロック経済が日本を追い込んだというより、経済合理性を理解しない軍部の満州国経営などでジリ貧になったとのこと。

軍の幼年学校から行われる偏った教育がそもそもの原因と断じる松元氏は、「相手を言い負かすことが重要」という教育の弊害を挙げる。たしかに実戦ではどう行動するか果敢な判断が必要だろうが、作戦を立て、指揮命令を行うところはそうではない。上手くいかないときは作戦を変え、退却を命ずる冷静さも必要である。しかし、それができない軍隊だった。松元氏は南鳥島を視察した際、ここの陸軍守備隊は餓死したのだと知らされる。陸軍はそもそも太平洋で戦争するつもりはなく、食料や物資を補給する体制がない中で戦争を始めてしまったのである。とことん合理的な米軍は攻略しなくていい島は「飛び石」作戦で無視した。結果、日米両軍に置き去りにされ、飢えと病気で守備隊は倒れたのだ。

それに対して、高橋是清は全く違う。高橋の評伝を書いたスメサーストという米国人によると、実にバランスの取れた人物に育った。その理由は、定型的な教育を受けなかったこと。寺子屋教育と小さいことから渡った米国で、だまされながら苦学したことが、高橋是清という人物をつくったのだという。

松元氏は、経済合理性を大切にすること、常識的な議論を行えるようにする教育が必要ではないかと主張する。大声で相手を言い負かすのではなく、相手を認め落ち着いて議論をする。人はそれぞれ違うということを身につけなければならない。小学校ぐらいから訓練させないといけないと松元氏は言う。以下、私が最も感じ入った箇所である。

「相手や他国からの見え方はこちらとは違う。こちらの話が向こうに正確に伝わっているかというと、そうでもない、ということを認識しないといけない。絶対に正しいこと、真理があると思わないほうがいい。科学は正しいこと、真理を教えてもらう学問だと思っている人がいるが、実はわかっていないことがあるから科学がある。正しいこと、真理がわからないが、議論しながら少しでも近づいていくプロセスを大事にすべきだ。」

…私はこの意見に大賛成である。ディベートは、相手の理論をも推察しながら、論理的に議論を進める訓練である。オウム事件の時の某やどこかの弁護士のように、口舌の上手いだけの人間を作ることではない。

…今の日本の政治や外交にとっても、最も大切な視点ではないのか。感情や大声でやり込めようとする軍部のような輩が多すぎると思う次第。

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