私家的(街場の)平成論


1.はじめに
 令和という新年号が発表された。その出展は中国の古典ではなく、万葉集であるという。この意味は大きいのではないかと私は思う。

 今回の「私家的平成論」という小論は、内田樹氏の「街場の平成論」に勝手に呼応するものである。内田氏の提言により、平成時代と過去30年ならびに未来30年を統括しながら、平成という時代を私なりに振り返ってみようではないか、と思う。

2.平成の過去30年(昭和34年~)
 平成時代は、198918日から2019年4月30日までである。その過去30年というと、1959年1月8日となる。これは私が1才に満たない時期である。1959年は、今上天皇がご成婚された年で、翌年徳仁親王(現皇太子)が誕生している。今上天皇は、それまでの皇室の慣習を破り、家庭的な環境の中で親王を育ててられていく。また今上天皇は昭和天皇が現人神であった過去を払拭する事が完全にはできなかった故に、この頃から日本国憲法における象徴としての天皇のあるべき姿を追い求められたといってよいと私は思う。
 
1960年は、日米安保の改定期であり、沢木耕太郎の「テロルの決算」で有名な社会党の浅沼稲次郎が暗殺された年でもある。左翼がかなり元気な時代だったのだ。これは、米国のベトナム反戦運動や仏の5月革命、中国の文革など世界的な傾向でもある。日本共産党は六全協(19557月)以来、武装闘争路線を放棄した。以来、反帝反スタのトロッキストと呼ばれる新左翼が分離している。この安保闘争は、岸信介の辞任と引き換えに自然成立する。左翼陣営には、樺美智子の死は、何だったのかという無常観がただよったはずだ。

 その後登場した池田勇人の所得倍増計画から東京オリンピック(1964年)へと、政治の季節から経済の季節へと移り、高度経済成長期に入る。ここから1970年の2度目の安保改正へと進むのだが、70年安保は全共闘という学生運動が主体であり、大阪万博の開催にかき消されていく。よど号ハイジャック事件(1970年)あさま山荘事件(1972年)と左翼の後退は続く。一方で、沖縄返還、中国との国交樹立(1972年)、成田空港建設阻止の三里塚闘争も1978年には終結している。これ以後、大きな左翼運動による事件はほとんど見られなくなる。

 私家的に言えば、1970年は中学1年生である。60年安保は知らないが、学生運動をTVで目の当たりにした。高校時代は、「紛無派」(70年安保に関わる高校紛争が終わった後の世代を意味する)で、同時に「シラケ世代」と呼ばれる世代である。「新人類」よりは前である。大学時代は左翼でもないのに「朝日ジャーナル」の読者だったし、本多勝一を読まねば、相手にしてもらえなかった。左翼の洗礼らしきものは受けていたわけだ。大学では三里塚へ向かう学生も多かった。あの頃、私は京都にあって京大と同志社は新左翼が強く、立命は民青が強かった。

1980年に私は、大阪市立の商業高校に奉職した。当時御三家と言われた組合の強い学校であった。大阪市立の高校の教職員組合は、三宅坂ではなく代々木が強かった。故に、大阪市が強く推進していた同和行政・解放同盟とは対立関係にあり、なにかと同和教育に対する批判が耳に入ってきた。私は社共両党の支持者ではなかったし、組合活動の存在意義は認めつつも、自分が関わるのには若干抵抗があった。新任だったので、デモに一度だけ参加させられたが、以後遠慮させてもらった。組合活動に不熱心な新任教師に見えたのだろう、代々木的な授業を大々的に行っている先輩教師にいじめ的な行為をされたこともあるし、府知事選でほぼ無理やりのカンパをさせられたこともある。組合から抜けることはかなりの勇気が必要だったが、転勤した工業高校の分会長(その学校の組合の世話役)のS先生が、中学時代の親友のTの担任であった関係から、個人的に可愛がってもらえ、組合脱退を許可してもらえた。ただし、後輩には一切他言無用という条件だった。すなわち、私以上に左翼的洗礼を世代的に受けていない後輩たちが、私の脱退を知れば続くに違いないとS先生は確信していたのだ。徐々徐々に左翼が下火になっていく、そういう時代だったのだ。

同じようなことが、フォークソングの世界でもいえる。新谷のり子の『フランシーヌの場合』(1969年)や岡林信康の『チューリップのアップリケ』(1969年)、加川良の『教訓』(1971年)などのプロテストソングや反戦歌は、高校時代には身近な存在だった。なかでも北山修の『戦争を知らない子供たち』(1970年)という歌は、YOUNG OH!OH! というTV番組で大ヒットした。(私はあまり好きではないが…。)それが、拓郎・陽水・かぐや姫の時代になって、一気に薄れていく。拓郎の『晩餐』(1973年)、陽水の『傘がない』(1972年)かぐや姫の『あの人の手紙』(1972年)などは、プロテストソングの一種だといえるが、ストレートな表現を避けている。社会へのプロテストは、徐々にフォークソングからも消えていきつつあったのだ。

平成以前の30年間は、左翼が強かったし、その気分は徐々に薄れていくが、十分残存していたと私は思う。

3.平成時代の30年とは?
 平成が始まった1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊し、マルタで冷戦が終息した年である。平成の始まりと共に左翼運動は「過去の幻想」となった。世界的にはパクス・アメリカーナとグローバリゼーションが席巻し、同時にその負の面である構造的暴力への怒りが様々な民族紛争として各地で燃えさかることになる。

 一方日本では,バブル崩壊後、失われた10年の不況期に突入し、それまでの終身雇用制や年功序列の価値観がゆらいでいく。1995年には阪神大震災とオウム事件が発生した。まさに世紀末的状況にあった。そして1999年8月に国旗国歌法が成立する。学校教育の現場では、管理職と教職員組合の完全なる形勢逆転劇が起こる。いわゆるウタハタ問題である。以後式典での起立や斉唱が教職員に義務付けられる時代になる。

 2001年の911以降はイスラム復古主義勢力とアメリカが対峙するという構造が生まれる。日本も遅ればせながら新自由主義化を進めるが、大成功したとはいいがたい。すでに日本経済はすっぽりとグローバリゼーションに組み込まれており、その波を漂うばかりである。世界的にはまだまだ標準以上ではあるが、国内のジニ係数はかなり上がった。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid981.html
 そして、2011年の3.11東北地方太平洋沖地震とフクシマの原発事故が起こった。このフクシマの事故は、誰もどうしたらいいのかわからなかった。それまでの日本の持つ全てのテーゼ、全てのスキルの根幹を揺るがせた大事件だったと私は思っている。
 これを少なくとも精神的に救ったのは今上天皇陛下と皇后陛下である。(当時の首相が立ったままでしか激励しなかったのに)避難所で両陛下ともひざまずいて激励されていた。このお姿が平成の最大の危機を救っていただいたような気がする。

さて、ドゥルーズの『脱コード化』という理論がある。プレモダン(中世から近世絶対主義的な)社会、資本主義社会を示すモダン、それ以後の予見的なポストモダンの社会を、コード(法律や慣習など人を規制するもの)から分析しているものである。

構造と力より
https://rhizomebrain.ne
t/2017/10/23/struct
uralism-about-understa
nding-with-thinking-about
-what-is-money/
プレモダン社会は、神・王・父などが頂点にある円錐形の社会で、頂点からコードが送られ、それに従う社会と捉えられている。モダン社会は、この円錐型社会が、クラインの壺という非ユークリッド型の循環する社会へと変化し、その壺社会の中を貨幣が上から下へ、そしてまた上へと循環していく。壺の頂点には、神や王・父に代わって貨幣が君臨する。実際にはその時点で貨幣を多く持つ者が君臨する。彼らのコードは貨幣をもってなされるが、貨幣を失えば他者が君臨することになるという。ポストモダン社会は、そういった円錐形もクラインの壺もない。ただただ個人が好きな方向に向かう脱コード化社会(リゾーム)となるという理論である。

平成とその前の30年を見るとき、この理論はすこぶる有効ではないかと私は思う。1959年の段階で、日本はまだまだプレモダンの社会だった。やがて高度経済成長とともにモダン社会=クラインの壺に変化していく。
左翼運動は、このコードのベクトルが下から上に向かうもの、反作用だったといえないだろうか。これは徐々に力を失いつつ残存していたといってよい。

しかしながら、他の先進国同様に、日本も、高齢社会を迎え、新自由主義的な政策をとっていくにつけ、リゾーム化が進んだような感覚を私は持っている。それまでの日本的な経済のコードは、グローバリゼーションと米国中心の金融政策、為替の変動、産業の空洞化などの影響を受け、これまでの経済政策の変更を強要された。結局のところ、経済格差が拡大したというのが現状であろう。

この経済格差が、ジャパン・ドリームをかなり消滅させたような気がする。(集団の中で、空気を読みながら、)真面目に努力していれば必ず報われる。これは、日本において経済的にも精神的にも通用する、福沢諭吉以来のテーゼである。
これが徐々に崩壊していったのが平成時代であったのではないか。『平らかに成る』のではなく、反対に格差拡大の時代だったといってよい。

したがって、この格差拡大はそれまでのテーゼを信用しなくなった人々は、IT化と相まって、Facebooktweetで発信できる自由を得て、スキゾにリゾーム化した。ルソーの特殊意思をそのままに発信、貧者であれ何であれ、WEB上で自己主張が可能になった。これらがやがて全体意思となり、一般意思を押しのける格好になっているようである。大した問題に見えない芸能界の不祥事や失言への炎上騒動などは、特殊意思の発露に見える。また隣国の問題もしかりである。大した分析もなく感情のままの言論が目立つ。
https://twitter.com/president_books/status/817209919946375168
先日日本で会った後輩のU先生が述べた『大正末期のような喪失感』に近い感覚であろう。国際情勢に対しても、為替相場に対しても、国内の政治問題にしても、そしてフクシマの問題にしても、自身には無力感が漂う。自信を失い、仮想世界たるWEBの世界に依存し、自己実現する姿こそが、スキゾなリゾーム化の現実ではなかろうか。

よって、私は平成の時代とは、ドゥルーズの予言通りになった時代と考えている。

 しかも、いよいよ平成が終わろうとしてる今、左翼的なコードがどんどんと先細りになり、スキゾでリゾームな全体意思がナショナリズムを宣揚している。権力からではなく、下からも改憲の声が上がっている。これは青年時代に少なくとも左翼の洗礼を受けた私にとってあまり良いことだと思っていない。改憲の主張は、口がさけても言える言葉ではなかったし、核を持つべきだなどと言えば、どこかの狂人のように扱われた時代を生きて生きた私には、いかに国際情勢の変化があろうとも、大いに憂うるべきものだと思っている。おそらく世代的なものなのだろう。

これは隣国の『儒家のカインコップレックス』と『恨という民族的DNA』と『歴史的事実を無視した教育』が生んだ反日政策へのアンチテーゼそして想起したともいえなくはないが、そう単純な話ではない。各人の勝手気ままな特殊意思が全体意思となり、それが社会を動かすとなれば、それは隣国とそう変わらない。しかも私は日本の民主主義をそこまで信じているわけではない。

4.令和の時代(平成後の30年)へ
仏教用語に、『成住壊空』という語がある。全てのものは作られ(生まれ)、成長し、そして壊れ(死に)、空(あるというのでも、ないというのでもない存在)に戻る。そしてこれを繰り返すと意味である。

ドゥルーズは、リゾーム化(脱コード化)の先に対してはどんな発言をしているのか、私は不勉強で知らない。私は、このまま行くと、日本を含め世界がまたプレモダン化する(成住壊空する)のではないかという危惧を抱いている。

アメリカでは、ジェファーソンら先人の残した民主主義のルールを平気で踏みにじり、メキシコ国境の壁の予算を得るために非常事態宣言を出すような大統領を生み出した。イギリスは、EU離脱にあたって議会制民主主義で大迷路に入っている。フランスもまたパリから暴力革命を生むような気配に覆われている。ドイツもここまで築いてきたEUという第四帝国に陰りが見え始めてきた。ロシアも結局のところ専制国家に戻る素地を露呈している。中国の共産党体制も様々なほころびが見えており、先が見えない。インドもまたパキスタンとのカシミール紛争が再燃している。これらの世界の主要国がプレモダン化する可能性は否定できないと思うのである。

ここマレーシアも2025年に先進国入りを目指すのであれば超えなければならないハードルがあるが、私は厳しいとみる。マレーシアは現在ドゥルーズの理論ではプレモダン状況にあると言えないこともない。

そして日本も、この東アジア情勢をどう乗り切るのかにかかっていると思われる。下手をするとプレモダン化する可能性は否定できない。日本のプレモダン化を防ぐのは憲法の規定だが、第9条の改定が行われ、少なくとも自衛のための戦争を可能にしてしまえば、次に非常事態法の制定などに動くだろうと思われる。左翼勢力の説得力ははなはだ小さくなっており、小選挙区制は、最大与党の党総裁の権力が強くなりすぎかなり危険であると言わざるを得ない。これを、産経や読売といったマスコミとネット民の全体意思が押し上げていく可能性も否定できない。(朝日は、例の慰安婦問題で信用を失い、本来のマスコミの社会的役割であった体制批判への指導力を失っている。)

今の状況下では、理解不可能な半島の二国にアメリカが軍事制裁を行わないという保証はどこにもない。本年5月からの今上天皇の御退位・新天皇の即位の儀式、東京オリンピック・パラリンピックが2020年7月24日~9月6日。アメリカの大統領選挙が11月3日である。恐ろしい予測をすると、共和党内で大統領が党の指名を受けることができたと仮定して、2020年9月6日以後、11月までに、この東アジア情勢をクリアすれば再選への道が大きく開くことは想定しているだろうと思われる。(アメリカはそういう国柄である。)

それ以前に必要なら、本年1011日の即位礼正殿の儀(各国代表が集まる)を含めた式典が10月には終わる。日本にアメリカが遠慮するとすれば、これ以降はオリンピック開催までの期間もフリーハンドを持てる。とはいえ、半島の二国、就中、北がなんらかの軍事的挑発行為やクーデターが起これば、話は全く別である。アメリカの大統領も、何をするかわからないからだ。こういう想定がもし現実化すれば、アメリカに追随するしかない日本もプレモダン化していく可能性を否定できない。

これらの忌まわしき想定を担保してきたのが、自由貿易体制であると私は考えている。先のWWⅡが、保護貿易化の賜物であるという反省は、先人の知恵の帰結であり、戦後の西側社会のテーゼとなった。冷戦後、さらに中国の近代化後は、東側も参加してきた。しかしながら、その陰にある構造の暴力は、世界各地で民族紛争を起こしている。結局のところ、自由貿易・グローバリゼーションは、平和の担保としての効力が先進国や中進国には及ぶものの、途上国の人間の安全保障にまでは及んでいないわけだ。
自由貿易体制・グローバリゼーションを進めながら、持続可能な開発を進めなければ、世界は持たない。そのための人類の英知を結集して地球市民を育てる必要があるわけだ。

令和時代の日本が目指すべき未来は、持続可能な開発を、国際社会の中で静かに押しする勧める大国であるべきだ。声高に世界をリードする力は、アメリカの事実上の州である日本にはない。アメリカをうまく動かして、平和で持続可能な開発を進めるしかあるまい。そのために、必要なスキルの発展・保持を進めながら、日本の良さは良さとして保持しつつ、世界に貢献できる国であるべきだ。

平和憲法を持っていることが、世界の称賛に値することだと私は思うし、非核を貫くのも世界の称賛を得ることになるだろう。アメリカの海外州でありながら、アメリカとは違う価値観をもつ国・日本になるべきだと私は思うのだ。自由貿易を進めながら、いずれ市場を飼いならし、格差是正、構造的暴力の解決にも邁進すべきだ。

最後に、令和という元号が、国書たる万葉集から選定されたことに、ナショナリズムの復刻を見る向きもあるが、「万葉集」ならいいのではないかと私は思う。本居宣長や賀茂真淵などの国学ではない。記紀から取ったとなれば、ナショナリズムの高揚を狙っているとしか他国に見られない可能性があるが、令和は万葉集である。このイメージを大切にしたいところだ。

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