2017年10月31日火曜日

「イスラーム法の存立構造」

日本人会の無人古本コーナーで、中田考著「イスラム法の存立構造」-ハンバリー派フィクフ神事編-(ナカニシヤ出版/2003年10月発行・定価8300円)という本を発見した。このような極めて専門的な書籍を日本人会の誰が買うのだろう?(笑)それは私である。それも、中田先生に誠に申し訳ないが、たったRM1(30円足らず)である。信じられない話であるが…。

今日の放課後は、私のEJU対策オリジナル問題・26問を50分で学生にやってもらうことになっていた。さっそくこの本を持って、我がクラスに行った。中華系の我がクラスの学生は、その定価と購入金額の差に驚いた。確かに「カイモノ」というにはあまりにカイモノ過ぎる。比較的早く解答を終えた我がクラス、解答用紙を回収してから隣の国費生の教室に向かった。こちらもほぼ解答が終わっていて、すぐ回収したのだが、ムスリムである彼らは、私の持っている本に注目が集まった。「イスラム教の本ですか?」「そう。フィクフについて書いてある本だ。あのシャリーアとフィクフのフィクフ。」と言うと、「おおおっ」と声が上がった。このハンバリー派というのはサウジの法学派なので、マレーシアの法学派であるシャフィイー派とは異なる。(イスラム教には四大法学派があるらしい。)とはいえ、フィクフというアラビックの語彙を当然のように知っているところは流石である。ある女子学生が、「日本語の本ですか?」と興味津々で聞いてきた。「そうだよ。当然。(私は日本語しか読めない。)読んでみるかい?」と言うと、本の厚さに対してかなりびびっていたようだ。日本に留学したら、文系の学生はこういう本に立ち向かわなくてはならいのに…。(笑)

20ページほど、試験監督をしながら読んだが、なかなか面白そうだ。もちろん、この本に出会うまでに、かなりイスラムの学びを深めてきたが故だが…。今のところ読んでいて、なんとか理解できることが嬉しい。

追記:アマゾンでこの本を検索してみたら、日本では中古本でも全て1万円を越える価格がついていた。(驚)

2017年10月30日月曜日

IBTの話(136) EJU後に向けて

EJUまで2週間を切った。早くもEJU後の指導についても話が出ている。日本語では、グループに分けて研究発表をする予定をK先生が立てられている。昨年、国費生がやった研究発表である。5グループに分けてやるおつもりらしい。研究発表のお題の検討に私もかんでいる。いろいろな案があった。日本の文化を形成するものというのが最初だった。私としては、武士道や、わびさび、伝統芸能(世阿弥を中心に)、記紀(古事記と日本書紀)などを挙げてみたのだが、かなり難解である。やはり、人物か…。

今日の職員集会の後、K先生と相談していたのだが、いろいろな日本の偉人ランキングを見てみて感じるのは、やはり織田信長や坂本龍馬の人気の強さである。今の日本をつくった偉人というカテゴリーで考えると5人に絞るのはかなり難しい。ところで、総合科目(社会科)では、日本史は近現代史のみで、幕末・明治維新以前は全くシラバスにない。とはいえ、それ以前の日本史に触れておくのも文系の留学生にとっては悪くない話だ。

と、いうわけで、大局から見て今の日本をつくった人々というお題で、今は話が進んでいる。(昨年、私が推した新渡戸稲造と緒方貞子は、今回はやらないことにした。ホントは、武士道を体現している山岡鉄舟を今年は推したいところだが…。)結局、1人に絞るのではなく、グループで考えてみようということになったのだった。

1.織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下統一武将トリオ。少なくとも統一的な政権を近世の段階で打ち立てたという功績は大きい、ということで…。正直なところ、私はあまり興味はない。それなりの知識はあるけれど…。
2.西郷隆盛。大久保利通と坂本龍馬。あえて、現実主義の薩摩藩の主役と、長州を結んだ土佐の坂本龍馬を選んだ。この3人は人物としても傑出していることは間違いがない。長州の桂小五郎や高杉晋作、吉田松陰もいいけれど、長州はまさに「狂」で過激派っぽい。私などは意外かもしれないが山縣有朋を買っている。と、彼は日本陸軍創設者だし、ここは長州をあえて省くことにした。
3.中江兆民と平塚らいてう。自由民権運動と女性の人権という立場でこの2人。権力の中枢ではなく、ちょっとアウトサイダー的視点で選んだ。彼らの存在は大きいと思う。
4.池田勇人と田中角栄。あえて、吉田茂をはずし、昭和の高度経済成長を牽引し、幕引きした2人の宰相を選んだ。
5.昭和天皇と今上天皇陛下。なんといっても、戦後の日本の礎をつくられたのは昭和天皇だと私は思う。そして今上陛下はそのご意志を継がれ日本国憲法の精神そのままに、動かれている。国体だとは言わないまでも、やはり今の日本をつくられた大功労者であると思うのだ。

K先生と意見はほぼ一致している。ただ、昭和天皇や今上陛下を研究発表するのはいかがなものかという点で、互いにうーんと唸るところであった。もう少し考えてみようかということになっている。軍人を入れたくないというのも2人の意見。そうなると、私などは徳川慶喜と勝海舟になるかな。

2017年10月29日日曜日

遠隔透視能力者のこと。

https://matome.naver.jp/
odai/2143823025880441401
お笑い芸人の「麒麟」の田村といえば、「ホームレス中学生」という本で有名な過去を持っている。父が破産し、「解散!」と告げて、一家離散になる話だ。だいぶ前になるが、JICA大阪の高校生セミナーで、日本国内の経済格差を学ぶ資料としても使われた記憶がある。

その田村の父親が、FBIの超能力捜査官がバージニア州から氏名と生年月日だけをたよりに遠隔透視して探し当てられたらしい。この捜査官は事件解決率80%というからすごいではないか。

TV番組の中で、田村は奇跡的な出会いに、これから出来る限りの親孝行をしたいと涙目で言ったそうだ。うん、めでたしめでたしである。

ところで、邪推すると、この捜査官はきっとロケットマンの居所も透視出来るに違いない。FBIの捜査官であるから、当然その任務は与えられているはずだ。隠されているミサイルの位置なども透視出来るのではないか。私は、人間の超能力(透視能力とか)を信じている。奇跡でも何でもない。宇宙と我々は一体であり、その能力を開発できれば、十分可能だと考えているのである。

2017年10月28日土曜日

「アラブの春」の正体を読むⅢ

ヨルダンの抗議デモ http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=IA77111
アラブの春に関連する国は、前にもエントリーしたが、チュニジア・エジプト・リビア、そしてシリアの4ヶ国であると思っていた。しかしながら、日本(欧米も含めたほうがいいようだ。)では報道されていない「春」があったようだ。あるいは不都合なこと故に報じられなかった「春」もあったという。今日は、それらの国の状況を要約していきたい。

バーレーンでも大規模なデモが起こり逮捕者は1000人を越えた。このデモの参加者は宗派に関係なく、人権を求め、民主主義や自由を求める演説中心のものだったようだ。しかし、報道はシーア派との宗教対立によるものであったし、その後サウジの戦車と1000人の軍、UAEの500人の警察が投入され鎮圧された。ちょうど東北大震災で原発の事故が世界の耳目を集めていた時で報道されなかったという。バーレーンは、王家のハリーファ家はスンニ派、国民の多数派はシーア派というねじれ現象の中、議院内閣制をとる立憲君主制である。元はペルシャの支配下にあった故にシーア派が多く、18世紀後半にカタールから今の王家がイギリスの後押しを受けて支配しているという構図である。湾岸諸国ながら、貧富の差が大きく、シーア派の経済格差への不満が強かったようだ。

イエメンでも、チュニジアの大統領が政権を追われたのを受けて、その4日後、大統領の退陣を求めたデモが起こった。イエメンは産油国ではなく貧しいが、サウジにとっては、国境を接する上に、シーア派の流れを汲むザイド派が北イエメンにおり、「フーシー派」と呼ばれる一派はイエメン政府とサウジ政府を挑発していたし、サウジも軍事行動でこれを鎮圧した経過もある国である。しかし、このデモは鎮圧できなかった。サーレハ大統領は、結局辞任することになる。アルカイダも加わり内戦状態の一歩手前にまでになる。北と南のイエメンの部族対立が再燃し、今のイエメンの悲劇的な状況になったというわけである。

オマーン。湾岸産油国では最も貧しい国である。オマーンの人々も生活水準の向上と、腐敗に対して不満を表明した。デモで2人の死者が出ているがほとんどメディアでは取り上げられなかった。大規模にならなかったのは、国王が迅速に動き、改革を約束したからで、実際2人の大臣のクビをすげ替えた。オマーンは、スンニー派から分離したイバード派が多数派で、残り1/4のスンニ-派との宗教対立がないのも幸いしたようだ。しかもサウジが資金援助して、不満を抑えるための施策をバックアップしたようだ。サウジとしては、オマーン領海のホルムズ海峡の安全を重視したからに他ならない。

サウジでもデモは起こった。国内に少数派のシーア派が約1割おり、かなりの差別的(就学や就職の機会が与えられていない)らしい。彼らの不満が各地で散発的なデモが起こったという。しかし、こうしたデモの報道は、アルジャジーラも含めてほとんど報道されなかった。

パレスチナ人が3/4を占めるヨルダン。チュニジアと同じ頃に物価が高く賃金が低いヨルダンでは、左派によるデモが起こった。王政にまで批判が高まったが故に中東のメディアは報道をしなかった。しかしヨルダンはタイのように国王が一定の尊敬を受けている。ハーシム王家はムハンマドの血統である。減税と軍人と公務員の最低賃金を$28アップ、内閣の総辞職で、この危機を乗り切った。

備忘録的に整理してみて思うのは、アラブの国々の構造がそれぞれ違うことと、オイルマネーを握るサウジやUAEのパワーである。もちろん、そこには欧米の思惑が見え隠れする。私は左派ではないし、リベラルだと自称する気もないのだが、アラブの春の本質とは何かと問いかければ問いかけるほど「構造的暴力」という開発経済学の概念が浮かんでくるのであった。

2017年10月27日金曜日

「アラブの春」の正体を読むⅡ

https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=26095004902&GroupCD=0&no=
「アラブの春」の正体を読むの書評・続編である。
アラブの春はチュニジアで始まりエジプトに飛び火した。この主原因は「若者達の失業率の高さ」と「政府の腐敗」である。しかし、リビアは状況が全く違う。リビアは大学まで教育費が無料。医療費や電気代・水道代も無料、家や車のローンも国が半額補助するという、産油国故の福祉国家であった。長年続いたカダフィ政権は腐敗していたし、湾岸諸国に比べると物質的な満足度は低かった。カダフィは、インフラ整備より、外交や個人の影響力を高めるために石油の資金を使っていた。アフリカ諸国や反米の国に援助をしていた。なぜなら、資本主義的な金銭の使い方をムスリムであるカダフィは好まなかったし、経済制裁を受けていたリビアは資本主義諸国からの投資を受け入れていなかったからである。カダフィのアフリカでの人気は高かったのである。

欧米がカダフィの銀行口座を凍結した際、南アは凍結しなかった。その後欧米の圧力を受けて凍結はしたものの、カダフィを倒そうとしたリビアの国民評議会に、バーレーンやカタールのように、その口座の資金を渡さなかった。国民評議会が武装できたのは国外にあった国債やリビア政府の資金を得たからで、リビア内戦を演出したのは欧米等の影の支援があったからだと、著者は指摘している。しかもカダフィの資産はあくまでもリビア国債で、私有財産としての口座ではなく、口座を凍結するのが容易だったようだ。エジプトのムバラクの場合は個人口座だったので有罪になるまで凍結したり没収したり出来なかったことと比較すると、カダフィの「隠し財産」としてマスメディアが報道したことは極めて恣意的に見える。

なぜカダフィ政権を倒す必要があったのか。リビアの石油会社は国営で海外からの投資には制限があった。英米が参入できるように動いたという推測もある。さらにリビアの中国との接近を危惧していたという推測、さらに決定的な要因はリビアのアフリカでの影響力の増大である。カダフィは「AUによるアフリカ合衆国」構想を進めており、資源を武器に欧米やアジア、中東に対しても対等な関係を築こうとしていたし、「イスラム経済的な金本位制のディナール」という地域通貨に変えることを提案していた。

アメリカにとって基軸通貨がドルであることは超重要である。イラクのフセインが石油の売買をユーロで行うと発言した年にイラク戦争が起こされた。このことを著者は事実として覚えておく価値があると書いている。このリビア内戦も、前述の地域通貨・ディナールの提案が実行されそうになったタイミングで起こっているとのこと。

さらに、反カダフィの国民評議会は結成後、すぐに中央銀行を結成すると発表した。リビアはイラン、アフガン、イラクとともに中央銀行のない国であった。IMFの管理外にいたわけだ。外国に借金もなく、国債による投資が失敗しない限り、世界経済の影響をあまり受けない国だったのだが、これを国民評議会は覆した。故に資金を得て武器が流れ込み、国営企業が民営化され、続々と海外からの投資が参入してきたわけだ。彼らの背後に利権に絡む欧米がいるのは明白である。

2011年3月、国連の安保理がリビアへの空爆を容認する決議(棄権したのは中国・ロシア・インド・ドイツ・ブラジル)を行い、フランスを中心にしたNATO軍が空爆を開始、鉄道、高速道路、病院、大学と言った公共インフラを破壊したという。これらは内戦後に大きな投資効果が見込まれるものである。

…かなり引用と要約が長くなった。私が、指摘したいのは、この著者・重信メイ氏の調査は信用できるのではないかということだ。ならば、「リビアの春」という名の内戦劇は、欧米が中心となって仕組んだ経済戦争で、新たな投資のため(儲け話)だった、ということになる。恐ろしい推察ではあるが、十分な可能性がある。

今回の北朝鮮への「予防戦争」もまた同じような経済戦争の可能性があるのかもしれない。もしインフラ破壊がいかにもというカタチで行われた時、大きな疑義が生じるに違いない。どうやら、この世界にある構造的な暴力は、人間の命よりも投資による利益の方がはるかに重要であるらしい。

2017年10月26日木曜日

空母3杯で夜も眠れず。

空母ニミッツ http://barbarossa.red/nimitz-class-aircraft_carrier/
北朝鮮情勢が俄然緊迫してきた。アジアに別に来て欲しくもない男の権力を示すかのように空母が第七艦隊の領域に3艦集結してきたからである。横須賀を母港とするロナルド・レーガンが現在も展開中。ここに、ニミッツが中東からやってきた。さらにCAの海軍基地・サンディエゴから、セオドア・ルーズベルトが入ってきた。

空母が来たから、戦争が始まるわけではないが、ロナルド。レーガン1艦では戦えない。最低でも2艦体制というのが、アメリカのこれまでのセオリーである。今回は、もう1艦増えている。これがデモストレーションならば、かなりの大出血サービスであるが、本気で先制攻撃を考えているならば、必要不可欠な戦力だと言える。

私が、このところ北朝鮮情勢についてエントリーしなかったのは、空母が複数配置されていないことが理由だったからだ。いくら罵倒し合おうが、空母が複数いなければ絵に描いたモチでしかない。そう考えて安心していたのだが、ちょっとヤバイ状況になってきたことは間違いない。

最高司令官は人間性にかなりの問題をかかえている。通常の人間のロジックで動かない可能性もある。自己の権力誇示のためにアジア人の命など考慮に入れない可能性が高い。空母が(たった)3杯(艦)で夜も眠れずというのは、ロケットマンと呼ばれる男のことをさすのではない。私自身のことである。

2017年10月25日水曜日

「アラブの春」の正体を読む。

この本もだいぶ前に、日本人会の無人古本コーナーで購入したものだ。「アラブの春」の正体-欧米とメディアに踊らされた民主化革命-(重信メイ著/角川ONEテーマ21・2012年10月)。もうお気づきの方もあるかもしれないが、著者は日本赤軍の重房信子の娘さんである。ベイルートのアメリカン大学と同大学の院(国際関係学)を卒業、日本国籍習得後は、同志社大学の院の博士課程に学んだという中東関係のジャーナリストである。

アラブの春については、前々から興味があった。およそ、チュニジアからエジプト、リビア、シリアと飛び火したというのが通説になっているし、私もそう教えてきた。だが、これはあくまでも欧米のマスメディアによる報道から得た情報であって、実際にはもっと拡がっているようだ。しかし、様々な要因から報道されないままになっているというのがこの本の主旨である。中には操作された報道もあるようだ。

EJUでも出題頻度の関係で「情報リテラシー」について語ることが多い。だが、この本を読む限りにおいて、いくら多くの情報に接しても、その裏にある真実にたどり着くのは至難の業であることがわかる。「知る権利」などと叫んでみても、あまりに我々は無力であると感じる。

この重信メイという著者は、当然ながら母親の血とレバノン在住のパレスチナ難民の父親の血を受け継いでいるはずで、日本赤軍というレッテルを貼るのは全く間違いだと思うが、少なくとも、欧米的利害とは一線を画している。一般的な表現を使うとリベラルな立場にある。当然反イスラエル的だとは感じる部分もあるが、このことはアラブ世界の常識なので、そういう意味では普通のアラブ人の目線で書かれているように思う。もちろん、著者はアラビア語は半分以上母語のようなもので、細かな情報を得ることも出来るし、フィールドワークも十分可能であり、またそれに裏打ちされた内容なので、その思想性があまり出ていない分、かなり信用できると私は思う。

一気にその内容を記すのは、少しもったいない気がする。これから少しずつエントリーしようかなと思う次第。

2017年10月23日月曜日

「排除」は今年の流行語大賞?

http://itdoc.hitachi.co.jp/manuals/3021/3021317000/NEMM0043.HTM
衆議院の総選挙が終わった。そもそも解散の意味が問われるような選挙で、自民党は間違いなく議席を減らすはずだったが、都知事の乱入で大パニックとなった。さらに民進党の解党的な合流騒ぎ。希望の党は自党の首相候補を定めないまま、リベラル派を「排除」した。この「排除」という言霊、かなりのパワーを持っていて、結局排除された側の立憲民主党に錦の御旗を与えてしまった。おそらく、今年の流行語大賞になるのではないかと私は思う。

日本人の源義経以来の判官贔屓はまさに、その民族的DNAに染みついているようだ。かの元I東京都知事までも、枝野氏を絶賛した。たしかに日本的美学の要素が強い。

自民党が大勝したのは、あくまでも敵失によるものである。これでまた増長されては困る。国難的な北朝鮮危機(本当はトランプ危機と言ったほうが正確だと私は思うが…。)にあたって、ここは慎重の上にも慎重に、できるだけ関わらないように舵取りをお願いしたいところだ。

2017年10月22日日曜日

ムガベがWHO親善大使?

http://polandball.blog.
fc2.com/blog-entry-117.html
ジンバブエのムガベ大統領が、WHOの親善大使に指名され、大きな批判を浴び、再考すると表明したらしい。WHOの事務局長はエチオピア出身。アフリカから選出するのは良いとしても、ムガベというのは、ありえないと私も思う。ムガベは、気候よし・人よし・治安よしのジンバブエを世界有数の失敗国家にして、それでもなおかつ独裁政権を維持しているデモクレイジーの代表的人物である。信じられない。とんでもない。速やかに再考すべきだと思う。
https://www.cnn.co.jp/world/35109155.html

一方、日本の衆議院選が行われている。鳴り物入りで結成したK党だが、後半ではかなり失速気味らしい。党の代表は都知事としてパリにあるそうだ。TVの開票速報などで矢面に立つのはなんと、代表代行のT氏らしい。彼は大阪の地元(正確には隣の選挙区である)でよく知っている。日本新党以来の風見鶏的政界生き残り戦略屋として、代表のお友達なんだそうだ。地元の人間として、とんでもない人事だと感じるのは私だけではないはずだ。ムガベとそう変わらない。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22552310R21C17A0EA3000/

ところで、韓国が、竹島(韓国では独島)に海兵隊を常駐させる計画を発表したらしい。私はこの外交戦略が理解できない。これだけ北朝鮮危機が叫ばれている中で、日本を無駄に挑発・不快感を与えるだけのことだ。日本でもさすがに嫌韓感はかなり強まっているようで、外相が猛反発している。韓国には同盟国としての意識はないのだろうか。万が一の時、日本の自衛隊はアメリカを助けるのだろうが、背後も気をつけなければならくなる。韓国の人々の「恨」を理解するのは不可能に近い。とんでもない話だと私は思う。
http://www.sankei.com/smp/politics/news/171019/plt1710190069-s1.html

信じられない、とんでもない、と思う話の三連発。

2017年10月21日土曜日

IBTの話(135) 国債という視点

https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-31425420080421
EJU直前の土曜日補習、第二週目である。今年は地歴をパートナーのT先生に任せた関係で、全4回の補習のうち前半2回を私が、後半2回をT先生がやることになった。というわけで、直前補習としては最終回となる。前回は、ドイツという視点から、地理・歴史・政治・経済を復習した。今回は、「国債」という視点から復習をしてみた。

10月7日付ブログで紹介した「国債の歴史」という大著を元に教材を作った。この大著、ありがたいことに、総論と、各章の冒頭にも総論的な内容が書かれていて、全巻読破しなくてもおよその論旨を学ぶことが出来る。もちろん、各章の詳細も面白いのでつまみ読みしながら教材を作ったわけだ。

前回のエントリーで紹介したように、民主主義を最も早く完成させたイギリスで国債が発達する。当時は、夜警国家であるから、戦費を賄うためである。(これも重要な復習事項である。)恒久的な新税を議会が設定して、それを担保に国債を発行する。この例が、アメリカ独立戦争のボストン茶器事件の茶税や後の印紙税である。(これも当然復習事項である。)こういう大局から見ると、細かな事項が繋がっていく。単なる復習ではなく、これが社会科学の面白いところだということをマレーシアの学生諸君に伝えたいと私は思う。

フランスはまだ絶対主義で、デフォルトを繰り返していた関係で、国債はイギリスのようにうまくいかない。なんと金利80%である。革命を経て、ナポレオンが金利を下げるのに苦労したことを伝える。このあたりで、国債のリスクプレミアムについて語り、日本の国債デビュー時は、金利が9%。それが、日露戦争前は4%にまで下がる。その理由も重要だ。日清戦争後に日本も参加した金本位制は、国債を有利に集めるための手段でもあったわけだ。(当然これも復習事項。)学生諸君は、興味深く聞いてくれた。

WWⅠの総力戦での戦費の増大、国民国家が国債の限度を遙かに超えてしまったことも述べる。社会構造が夜警国家から福祉国家に移らざるをえなくなったことも論じると、みんな納得である。そして、最後はアベノミクスの解説である。政策金利を低く抑え、量的緩和を行うことなど、経済の復習を行う。インフレによる国債の実質的な価値の低下、円安による同じく価値の低下なども語り、フィニッシュ。

みんな、一応に喜んでくれたのだった。まあ、高校レベルの社会科をちょっと越えたかもしれない。

2017年10月20日金曜日

眠れない夜

昨年のディパバリの時は、前日にちょっと花火が上がったくらいだったのだが、今年はまるで中華系の旧正月並みに花火が上がっている。ちょうどベッドに入る10時くらいに、監視カメラでも付けて見ているんではないかというくらいのバッドタイミングで花火が上がる。ホント騒音公害である。私はマレーシアが大好きだが、(マレー・中華・インド系を問わず)深夜の花火だけは嫌いだ。

しかも、ここ数日は夜でも暑い。日中34℃の日が3日ほど続いている。スコールもあったけど、あまり涼しくならない。我が家は、クーラーが苦手なので扇風機に頼っているのだが、とにかく暑い。日本で言う熱帯夜である。まあ、マレーシアは熱帯なので、至極当然すぎるほど当然のことだが…。(笑)

眠れない夜。風が窓もたたかない。ここ(マレーシア)は熱帯無風帯。

2017年10月19日木曜日

IBTの話(134) 日経「春秋」

なんと、明日大阪の実家近くで巡業があるらしい。
K大の小論文指導が続いている。今日は日経の「春秋」から問題を作ってみた。少し古い12日の「春秋」である。

先日、関東地方の某県であった大相撲の巡業をのぞいた。朝8時の開始である。寄せ太鼓が響き、会場にはファンが続々詰めかけた。土俵ではすでに力士らが稽古で激しくぶつかり合っている。やがて大関や横綱が現れ、四股を踏むと場内に期待と緊張の空気が漂った。
禁じ手などを面白おかしく説く「初切」や相撲甚句の披露、横綱の土俵入りや白熱の取り組みなど進行はアナウンスと拍子木で滞りない。どよめきと歓声の渦の中、午後3時弓取り式を見て会場を後にすると、はや力士達はバスに乗り、次の巡業先へと向かうところだった。手を振りながら、鮮やかな段取りに舌を巻く。
今夏、東京・お台場での巡業を仕切ったフジテレビのプロデューサーが、インタビューで当時の驚きを語っていた。力士280人、客三千人異常の興業が析(き)の音とマイク2本で済んでしまう。スタッフが無線で出番を合図する必要もない。AKB48の何倍もの集団が粛々と動いていく。まさに250年の歴史である、と。
長年、蓄積された効率化のノウハウなのだろう。力士らが状況に応じて自らの準備するモチベーションも見逃せない。観客を飽きさせないサービス精神も見事だ。築いたチームワークのたまものと思える。一見、古めかしい世界に見える角界だが、業務の遂行や組織運営のヒントは土俵のそこそこに埋まっていそうな気配だ。

問題は、この文章に書かれている「日本の強さ」について、あなたの考えを述べなさい。である。かなり難しいとは思うのだが…。

2017年10月18日水曜日

IBTの話(133) 印鑑

https://ameblo.jp/aya-nakata/
entry-12318799156.html
今年のどこかのモールのマレーシアの
飾りらしいです。私のカメラが故障中
なのでお借りしました。
インド系の人々にとって、今日が新年(ディパバリ)なので休日である。このところ、EJUに向けて、月月火水木金金と受験指導が続く学生にとっても、我々にとってもちょっと一息という感じ。といいつつ、宿題を昨日はどどどっと出しておいた。(笑)

さて、IBTでは、卒業式の日に印鑑を記念品として渡すのだが、もちろん日本の銀行印として使用する実用品でもある。我がクラスはほとんど中華系の学生なので、漢字1字になる。とはいえ、マレーシアでは、アルファベット表記が普通である。彼らは、漢字の名前、アルファベットの名前を持っている。ところで、IBTではカタカナの愛称を使用している。入学時に、申請することになっているらしい。アルファベット名をカタカナに読み替えて使う学生が多い。これだと、なんとなく欧米風に聞こえる名前もある。入学順に申請するので、同じ名前の学生がいた場合、全く本名とは異なるカタカナの名前を申請する場合もある。

普段私は、そのカタカナ名を使っているわけだが、進学の書類・EJUの受験票などは、パスポート記載のアルファベットの本名になる。「ん?これは誰?」という場面があるわけだ。

今回の印鑑は、さらに漢字の本名が登場した。もちろん、普段カタカナ名で呼んでいるだけに、私にとっては新鮮である。劉という名字がダブっていたり、張とか李とか、普段のイメージとは全然違うからだ。なかなか面白い。ところで、唯一のインド系の学生は、印鑑をどうするかというと、カタカナである。5文字まではOKなんだそうだ。
…マレー系の国費生のクラスでは、ムハンマドという印鑑が大量に注文されることになると思う。

2017年10月17日火曜日

「美しい日本の私」から49年

川端康成がノーベル文学賞を受けたのは、1968年の10月17日だそうである。WEBを何となく見ていて、時事通信社の「今日は何の日」に載っていた。川端康成のノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」は有名である。

このタイトル、”美しい日本「の」私”が深い。「と」ではなく、「の」であるところが重要である。幾度となく、小論文指導などで語ってきた。残念ながらマレーシアには、この講談社現代新書を持参してはいない。ウィキで調べてみたら、意外なことが書いてあった。この講演については、川端康成がスウェーデン到着後もずっと書き続け3日も徹夜したそうだ。さらにこの翻訳に関しては、コペンハーゲン大学の仏教学者・藤吉慈海氏が関わって事なきを得たとある。

この藤吉慈海という仏教学者を私は知っている。久松真一門下であり、禅と念仏の共通性を探ろうとしていた人だ。自力本願の禅と他力本願の念仏。同じ仏教でありながら、修行方法については、極めて二律背反しているわけで、不思議な研究をしている人だと思っていた。その藤吉慈海氏が「美しい日本の私」の翻訳を影でささえていたわけだ。確かに、多くの仏教用語が在中している。どう翻訳すべきかは、専門的な知識抜きではありえない。

…意外な発見をしたのだった。

2017年10月16日月曜日

IBTの話(132) 空仮中の三諦

四門出遊 http://www.shop700.com/news/shuhua/zixun2060.html
このところ、EJUの模擬問題をやっている。ある問題で、上座仏教が云々という解答があって、学生から質問が出た。「小乗仏教ではありませんか?」さすが、ブディストが多い中華系の我がクラスである。意外に詳しい。ムスリムが大勢のB組でも、仏教に興味があるようなので、仏教の基本テーゼ、仏陀とは人間であるから説いて、30分くらい脱線してしまったので、普通でも遅れている我がクラスでは、ここはさらっと流そうと思っていたのだが…。

結局、みんなの知識を試してしまった。四苦八苦を知っているようだ。私が八苦を怨憎会苦からどどどっと漢字で書いたので、「おおおおっ」という歓声が起こった。四門出遊の説話もしっているようだった。日本人の生徒よりはるかに知っている。さすがに、アーラダ・カーラマの「無処有処」やウドラカ・ラーマプトラの「非想非非想処」は知らなかったが、「菩提樹」を知っていた。調子に乗って、結局「空・仮・中の三諦」まで説き、ついでにインド哲学や様々なヨーガなども説いてしまったのだった。EJU前の貴重な時間だったのだが、学生は大いに喜んでくれて普段以上に盛り上がった授業になった。

仏教に関して全くの白紙で一神教徒であるムスリムのマレー系の学生と、ブティストが多い中華系の学生では、仏教を語るにしても教授法には大きな差異がある。これまで、学んできた宗教学の知識を総動員して対応するのは、実に面白い。彼らも隣人の宗教には大いに興味があるようで、マレーシアに来て実によかったなあと思う次第。

2017年10月15日日曜日

インフレが起こらない原因考

アマゾンの集配ロボット http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1612/06/news107.html
ロイターのWEB版に、田巻一彦氏の「物価上昇を阻む構造変化、背景にグローバル化と技術革新」というコラムが載っていた。先日も指摘した日銀の黒田総裁が微妙な言い方をしていた「景気は悪くないが、2%のインフレターゲットになかなか届かない現象」に対しての考察である。田巻氏は、リフレ派のFRBが一時的だと言うのに対し、根底に大きな構造変化があると見る。以下、私なりの要約。

まず賃金の安い途上国から輸入される製品が影響しているのではないかという点。いわゆる日用品の分野の価格に影響を及ぼしている。このことが、国内製造業の賃金抑制を誘発しているし、非正規雇用を増やし総労働コストを下げる方向に圧力をかけているというわけである。

もう一つは技術革新の問題である。ロボットなどの普及で単純労働的な労働者雇用の必要性が低下、またATの活用が荷物の集配での荷さばきなどの労働の雇用を劇的に奪っている。(今日の画像はアマゾンの集配ロボットである。)

こうした現象はさらに加速する可能性が強い。特に、デフレ感が強く、しかも少子高齢化社会の日本では、AIによる雇用のカットもあまり重視されない故に、欧米の先進国以上に物価押し下げ圧力は強いことを視野に入れるべきである。
http://jp.reuters.com/article/column-price-tamaki-idJPKBN1CK04N

…なるほど。昨日もエントリーしたが、こういう構造的な社会変化に逆らって、インフレターゲットを定め、インフレ=好況、デフレ=不況というドグマにとらわれるべきではない。なにも国債を買いオペして量的緩和などする必要はないと私は思う。それより財政の健全化を図るべきだ。そうでないと2~3年後には取り返しの付かない国難がやってくる気配だ。経済の素人である私などが論ずるまでもないが、理性的な政治判断を請う次第。

2017年10月14日土曜日

世阿弥の「初心」

http://diamond.jp/articles/-/145714
ダイヤモンド・オンラインのWEB記事で、「能」の話が載っていた。普段なら読まないところだが、先日生まれて初めて「能」を見に行った。それもマレーシアで…。(9月27日付ブログ参照)そんなこともあって、かなり現実感を持って記事を読めたのだった。まさに百聞は一見にしかずである。
http://diamond.jp/articles/-/145714

記事自体、かなり面白い。観客は能の舞台を想像して楽しむ。太鼓や鼓、笛などの音響も当日の天候をも含んだバランス感覚に富んでいるとの指摘も面白い。だが、私が最も感じ入ったのは、650年の歴史を持つ「能」を支えてきた世阿弥のコードと呼ぶにふさわしい言葉である。

それは「初心忘るるべからず。」である。この言葉は、基本的に始めたときの初々しい気持ちを忘れるな、という戒めとして一般には受け止められているが、世阿弥の言うところは違うとのこと。初心の初という漢字は、衣編とつくりは刀から出来ている。これは、まっさらな衣(生地)に刀(ハサミ)を入れることを表している。折ある事に古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならないという意味だそうだ。実際、「能」はこれまでに4度の「初」を経験しているらしい。派手好きな秀吉時代に重要量感のある現在のような装束になり、江戸時代初期には急に「能」のスピードがゆっくりになった。それ以前は2~3倍ものスピードで、ラップ&ヒップホップダンスの如きものだったらしい。さらに、明治、戦後とさらなる進化を遂げ現在に至る、とのこと。

こういう話は、教養という意味でも、日本文化の特質としても実に面白い。授業のネタに使おうかなと思う。とにかく今日は、F君のW大合格の報に私のテンションが異常に高いのだった。(笑)

財政再建を誰も言わない。

http://core-net.jp/world-
situation/prophecy-of-
failure-of-avenomics/
東洋経済のWEB記事「日本の破綻は、もはや杞憂とは言い切れない」(経済ジャーナリスト/岩崎博允氏)で、日本の国債の行く末の危うさを説いている。要するに、リフレ派の経済政策で、インフレターゲットを設定し、デフレから脱却しようとしているアベノミクスを、今回の選挙では誰も批判していないという主張である。
http://toyokeizai.net/articles/-/192635

おりしも、今日、G20の財務相会議が閉幕したが、例の失言の多い蔵相は総選挙のために欠席。日銀法の改正で政府が自由にクビを切れるようになった独立性のない黒田日銀総裁が出席した。総裁は、世界経済が上向く中で、各国が財政再建を進める中、日本だけが2020年までの基礎的財政収支の黒字化目標を先送りしたことを説明し、(各国からは)強い異論はなかったと言っている。

おそらく、総裁はWEB記事にあるような危惧を当然知っているはずである。”我が身かわいさ”は、元民進党で今は希望の党になった政治家とあまり変わらない。「強い異論はなかった。」という言質から、日銀の金融政策方向性に絶対の自信があるとは感じ得ないのは私だけではないだろう。反対に、「思ったより間違いを責められなかったので(自分としては体面を保持できたので)よかった。」というふうに受け止められる。

日本の国債を量的緩和策で日銀がどんどん買いオペしている。2%のインフレターゲットに届かないうちに(そもそもインフレって素つり出すことが出来るのだろうか?)、全ての市中の国債を日銀が買い上げるようなことになりそうだ。日本の財政は異常事態であることは間違いがない。しかも、消費税のUPは、そもそも財政再建のハズだったのが、首相はさらに最低所得保障制度に使うといいだした。選挙で票を稼ぐための策だと思われるが、これでいいのか。日本が破綻したとき、誰が責任を取るのだろうか。おそらく、日本の資産を狙って欧米の投資家は舌なめずりし円安を画策ているように私は思う。

IBTの話(131) W大合格の報

朝から、EJU直前の土曜日補習だった。歴史を基軸に政治・経済の総まとめと言うことで、ドイツのWWⅠからWWⅡにかけての「ドイツの31年戦争」を講じていた。全権委任法が三権分立を破壊し、ワイマールの基本的人権を破壊し、法の支配から人の支配へと移る様を90分で描いて見せたのだった。これまでの学習の総復習といった感じだ。

さて、一昨日が我がクラスのW大受験生F君の発表日だった。珍しく封書のみで発表されるとのことで、日本からマレーシアまでの郵便の所用時間を考えると、「この土日かなあ。」などと話していたのだった。ついさっきまで、補習を受けていたF君から電話があって、お母さんからのメールでわかったらしく、合格の報を受けた。いやあ、嬉しい。超難関私大・W大である。

そういえば、今まで、W大を受験した私の教え子は、F君を入れて3名。実は全員合格してくれている。私とは妙に相性がいいのである。「二度あることは三度ある。」などという日本のことわざを教えたりして励ましてきたのだった。
…いやあ、嬉しい。今週の疲れが全部ふっとんだのだった。

2017年10月13日金曜日

IBTの話(130) 進路指導の話3

今回願書を送ったS大学 https://manabi.benesse.ne.jp/daigaku/school/1290/index.html
今週は、極めて多忙な週だった。国立大学で出願の早い大学もあって、出願の書類の件で走り回っていた。いくら日本語検定で1級や2級を取っていても、大学の出願にまつわる様々な日本語は難しい。学生諸君も懸命に募集要項を見てもわからないことも多い。まして、今回はエージェントが変更になっての初回なので早めに日本に送付することになった。エージェントの住所の最後に「~様方」と書くことや、封筒の宛名の宛の字を消して「御中」と書くこと、縦書きに封筒に住所を書く際の棒線は縦か横か?など、考えてみれば日本人が普通にやっていることが難しかったりする。

とにもかくにも3通の入学願書を一気に仕上げて、日本に送る段取りをしたのだった。

一方で、小論文指導も続いている。志望動機などは日本語のK先生にお願いしているが、社会科学的な小論文の指導は私だ。様々な仕事がどどどっと押し寄せている。いよいよEJUまであと1ヶ月を切った。

2017年10月11日水曜日

近隣でハヌマーン発見

バトゥ洞窟のハヌマーン像 http://gait-of-my-earth.blogspot.my/2015/04/2.html
多忙な一日を終えて、650番のバスに乗って帰ってきた。今日はS先生とご一緒だったのだが、S先生が、タマンデサの病院(私も2度ほどお世話になっている)の二階部分に、しっぽの長い野生の猿を発見されて、私もしっかりと見た。

我が街・タマンデサは、KLの中心部から少し外れているとはいえ、十分都会である。いくらなんでも野生の猿がいるとは驚きである。妻に、このことを話すと、病院の裏は川辺で森になっているし、いておかしくないと言う。…なるほど。そもそも、このKLには、まだまだ自然が残っていて、熱帯雨林があちこちにある。いつだったか、友人の車に乗っているとき、1m近いトカゲが道に出てきてびっくりしたこともある。

妻が、「ハヌマーンやな。」と言った。ハヌマーンは、ヒンドゥー教の猿の神様である。そういえば、タイプーサムの祭りの時に行ったバトゥ洞窟には野生の猿がいっぱいいる。祭りの時はあまりの人出におびえたのか、姿を見せなかったけれど…。

2017年10月10日火曜日

都道府県魅力度ランキング

https://www.traicy.com/20171010-brand
マレーシアにあって、私費生・国費生の進学指導しているわけだが、縁故のある学生を除いて、多くの学生はまったく白紙で大学を選んでいく。特に、国立大学をめざす学生にとっては、どの都道府県に行きたいかは案外重要だ。マレーシアが南国故に、雪が降る地方がいいとか、生活費が安い地方が良いとか、その趣向は様々である。

WEBのニュースを見ていたら、ブランド総合研究所というところが、魅力のある都道府県ランキングを発表していたので覗いてみた。1位は北海道。2位は京都府。3位は東京都で、沖縄県、神奈川県、奈良県、大阪府と続く。なんとなく、観光地のランキングのような気がするのは、統計に参加した人々が普通の人々で、結局のところ行ったことがある都道府県のうち気に入った場所を選んだからではないだろうか。

そういう私も59年生きてきて、まだ足を踏み入れてない県がある。一応、ジャラン・ジャラン(散策)したことがあるという線引きをしたとして、行っていない県は、北から山形県、福島県、千葉県、山梨県、島根県、高知県、沖縄県と7県もある。当然、私がこの統計に参加したとしても、映像などで情報は持っていても、行った事のない県に投票は出来ない。そういう意味で、観光地の少ない県は絶対的に不利であるといえる。

私が学生に推薦する場合は、基本的に大学で学べる内容が中心になるが、やはりその地域性も大きな話題になる。私が推すとしたら、やはり九州なら長崎県、中国地方なら岡山県、中部なら長野県、静岡県、石川県。東北なら秋田県、そしてやはり北海道になる。近畿圏はどこでもいいと思うし、関東圏はどうも大阪人としては妙なライバル心があって推しにくい。(笑)

現在の我がクラスの学生の志望校は、やはり私の指向にそっているようだ。無意識下の指導の方向性とでも言うべきだろうか。
http://tiiki.jp/news/wp-content/uploads/2017/10/2017_pref_ranking.pdf

2017年10月9日月曜日

カタルーニャの独立は「?」

https://www.newstandard.jp.net/
news/world/why-are-good-
companies-withdrawing-one-
after-another-from-spain-
catalunya/1590
東洋経済のWEB記事によると、カタルーニャは、独立できないと市場は見ているようだ。今私が勉強しているスペインの「国債」の利回りはたしかに上昇している。これは、スペイン経済のリスクを懸念して、と見るのが正しいだろう。但し10年もので1.7%への上昇だから、以前の8%といったような危機ラインではない。多くの投資家はカタルーニャの独立はないと見ていると言えるらしい。

その最大の問題はEUである。スペインはユーロ圏ゆえに、もしカタルーニャが独立するとしてもユーロ圏でありたいと願うはずだ。EUの加盟審査(EUの法制の適合性)は問題ないが、新規加盟手続きにおいて、既存の全ての加盟国の承認が必要らしい。スペインは当然反対するだろうし、他にも独立を思考する地方を持つベルギーやドイツも反対する可能性が高い。と、なれば、カタルーニャは独立したとしてもEUに加盟できないまま、ユーロも使えないことになる。いくらスペインのGDPの20%を占めるといっても、金融機関が極めて厳しい状況(ヨーロッパ中央銀行との関係が切れ、信用が落ちる)におかれては、お手上げになるだろう。
http://toyokeizai.net/articles/-/192234

…なるほど。経済的豊かさを求めての独立運動も、反対に貧困化を招く恐れが強いわけである。こういう理性的な判断がだんだん世界から失われているように見えるのは、私だけだろうか。

2017年10月8日日曜日

IBTの話(129) 進路指導の話2

10月に入って、進路指導の方も忙しくなってきた。日本の進路指導と比べると様々な相違がある。我がIBTは、文部科学省が認定する準備教育機関としては唯一海外にあるという存在である。言い換えると、日本の大学に留学したい外国人学生は、日本の日本語学校に通っているのが一般的、いや、ほとんどであるということである。

彼らは、日本語学校に通うための就学ビザをすでに持っている。大学に合格した後は、それを書き換えるという感じらしい。
よって、留学生を受け入れてくれる大学は多いのだが、日本で就学ビザを取得済みということを前提にしている大学がある。つまり、海外からは受験不可という大学もあるわけだ。今回、進路指導の中でそういう私立大学にも出くわした。そうなれば指導も一からやりなおしである。
さらに、就学ビザの世話をしてくれない大学もある。合格証だけ出して、あとは自分で…というわけだ。実はこれはマレーシアからの留学生にとっては大きな経済的負担になる。一度観光ビザで入国後、入国管理局に申請して、再入国する必要がある場合もあるのである。当然ながら、役所での日本語も、なかなか大変である。

また、国立大学でも、普通、6月のEJU(日本留学試験)と11月のEJUの結果を見比べて良い方をとってくれるのだが、11月の結果がわかるのが、マレーシアでは郵便の関係でどうしても遅くなる。日本国内だと問題はないのだが、入試が早い大学では、間に合わないケースがある。先日も二校に電話で問い合わせたが、結局6月の結果しか見てもらえそうにない。普通、11月の方が進度も進み、結果がよいはずだし、6月の結果ではまだまだ合格に届かない場合が多い。そうなるとあきらめざるをえなくなるわけだ。

そんなこんなで、私立大学の入試が、まずはどどどっと押し寄せてくる。気合いをいれていかねば…。

2017年10月7日土曜日

続 混迷の日本の政情を憂う。

http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-1865.html
10日に衆議院公示である。日本の政治の混迷はさらに勢いを増していると思う。私は政治的に、あくまで中立的な立場で所感を述べたい。与党では、首相の演説をステルス化しているらしい。例の「こんな人たちに…」発言以来のトラウマらしいが、首相が行った解散である。このような逃げの姿勢でいいのか。

希望の党は、はっきり言って信用できない。私は都政については、全く興味がなかったが、美麗美句を並べて、築地市場の跡地を残すことにしたらしい。それまでの知事は土地の売却益を念頭に計画していた。しかし彼女は借地にして再開発して残すという。これが極めて杜撰な計画らしい。東京の一等地扱いのありえない価格で貸し出し、50年たてば収支がなんとか合う計算。全く持ってありえない失政だとの評価が主流だ。こんな政策しかできないというのは笑止千万。

しかもその都政を投げ出して国政に党首が出れば、無責任のそしりは免れない。都民ファーストも素人議員集団。人材がいないようで、政党の丁をなしていない。2名の脱退者の言を聞いていると、まさに大阪同様だ。希望の党の方の公認候補選定にいたっては、かなりの情実と不合理がまかりとっているようだ。まあ、こちらも素人集団と安保法案で騒いだことを忘れてしまった人々で、結局、都民ファーストも、希望の党も所属議員は彼女にとっては、所詮道具でしかないようだ。

私は、それ以上にこの希望の党、議院内閣制を理解していないと思う。衆議院の総選挙は政権の争奪戦だ。首相指名は衆議院の重要な責務であるのに、未だ首相候補を決めていないとのこと。党首は100%出ないと言っている。ならば、誰に投票するのか?こんな重要な大前提がないまま、選挙に臨むのは無責任甚だしい。反安倍なら、それを明確にすべきだ。反安倍と言いながら首相に投票するかもしれないとのこと。あるいは自民党の候補を首相指名するかも、などという憶測が流れていること自体、不見識である。これはまさにポピュリズム以下である。

こんな不完全な党に流れてきた野党の面々を信じて投票すること自体ありえない。まさに現在の日本の政治の混迷は世界の笑われモノだと私は思う。世界に蔓延する「真実が見えない」政治状況に日本も同化するのだろうか。

「国債の歴史」を読み始める。

総合科目の授業のほうは、EJU対策の範囲を既に終えて、過去問題や模擬問題を学生に配布して、その解答をずっとやっている。今年は公民分野のみを受け持ったわけだが、教師というのはいくら歳を重ねても進化していくべきものだと思う。高校の政治経済分野もこれまで何度も担当した。ベーシックな経済の教科指導はもちろんできるけれども、自分の学びというか、興味をそそられる分野もこっちにきて新たに生まれてきた。それが、「国債」である。当然ながら、私は「国債」を購入したことなどないし、教科書上の理解しかなかった。しかし、日本はGDPの2倍以上の国債を発行しており、世界一の借金を抱えていること、現在のアベノミクスが国債の価値を一気に下げる可能性があり、日本が破綻する危険があることなどを知るにつけ、「国債」についてはもっと学ぶべきだと考えていたのだ。

昨日、またまた日本人会の無人古本コーナーに、新しい書籍が入っていた。「国債の歴史~金利に凝縮された過去と未来」(富田俊基著/東洋経済新報社・2006年6月発行)である。2006年度の日経・経済図書文化賞受賞と帯に書かれていた。定価はなんと6000円。これが、RM10(=270円くらい)で売られていた。(RM1が古本コーナーの基本原則なので、ここでも特別扱いである。)

冒頭にある「はじめに」を立ち読みしたのだが、すぐに引き込まれてしまった。

国債の歴史は議会とともに誕生したこと。絶対王政の時代は国王の借金は、元本も金利もきちっと支払われなかったし、国王の寿命が尽きた後後継者は借金を踏み倒すこともできた。しかし議会は恒久的な機関で、その決定から国民は逃れることは出来ない。故に信用力が高く、国王よりも低い金利で借金ができた。イギリスでは、名誉革命で国債が誕生した。国王は国債の発行の際は議会の承認が必要になったし、利子を生み出す恒久的な税を設定するよう議会が要求した。これによって確実な利払いが保障され、最も安全な資産という地位を確立した。

…なるほど。目次を見ると近現代の世界史にそった内容になっている。これは、私の学びにうってつけの本だと思ったのだった。おそらく他の本と併読することになると思うので、次の書評をエントリーするのはいつになるかわからない。だが、今日のところは、読み始めた、ということで…。

2017年10月6日金曜日

中東系ユダヤ人とその音楽世界

息子が東京で明日・明後日とコンサートと講演会を開くとのLINEが妻から届いた。うーん。親ばかではあるが、我がブログでも紹介したい。タイトルは、「中東系ユダヤ人とその音楽世界」であるそうだ。
https://twitter.com/eventbar_eden

10月7日(土)SSY外国語教室 
18:30~20:00 
10月8日(日)イベントバー・エデン 14:00~15:30

会場がどこにあるのかもしれないけれど、首都圏在住の読者のみなさんにお知らせしておきたい。曲目は、上記のアドレスに詳しく書かれているけれど、当然私はどんな曲かもしらない。極めていいかげんな紹介だが、とにかく親ばかということで…。もし、興味のある方がおられましたら…。

2017年10月5日木曜日

書評 イスラム化するヨーロッパ

今日は、「イスラム化するヨーロッパ」(新潮新書/三井美奈著・2015年12月発行)の書評をエントリーしたい。これも、日本人会の無人古本コーナーで手に入れた新書である。題名の通り、ヨーロッパに於けるムスリム移民について書かれたもので、イスラム復古主義に共鳴しホームグロウン・テロリストとなった二世・三世の境遇と、それを取り巻く社会について書かれたものだ。その取材の中心地は、フランスである。

およそ内容については想像しうる内容であったのだが、私が特に感じたことについて書きたい。私はフランスという国は、ヨーロッパの中華思想を体現した文化大国であると思っている。その矜恃たるや尋常ではない。イギリスにはイギリスの世界帝国であったという矜恃はあるが、ローマ帝国以来のヨーロッパの辺境・田舎という認識は抜けない。宗教的な心情では反カトリックではあるものの、フランスほど強烈ではない。フランスの政教分離への執念は極めて強い。カトリックでありながら、それを強要される事への忌避は、歴史的にもかなり古い。一方で、同じ一神教であるイスラムへの嫌悪の情が強い。これは、フランス文化への自信と愛着の裏返しのようである。この二国を比較すると、イギリスの方が比較的移民に寛容であるように見える。

お騒がせなB級新聞社だったシャルリー社が、その風刺画のためにテロに襲われた事件の後、フランスの新聞は一部を除き一斉にこの風刺画を載せ、表現の自由・政教分離を大々的に主張した。イギリスでもタイムズからガーディアンまでが掲載した。ドイツでは、大衆紙が掲載したが、フランクフルターアルゲマイネは、シャルリー紙を広げる読者のカット写真にとどめた。アメリカでは、ニューヨークタイムズ紙が「宗教的感情を故意に害する表現は一般的に掲載しない」と表明、AP通信やCNNも報道を見送った。アメリカは、英仏に比べ歴史的に宗教心は強い故だろうと思われる。一方、ワシントンポストは、「(NYTと同様の見解を載せた上で)今回はそうではない。」として掲載、唯一の全国紙USAトゥディも「通常は掲載しないが、今回は報道に値する。」とした。日本はと言うと、主要全国紙が全て掲載を見送った。自粛という日本的な感情である。

この辺の対応の相違、実に興味深いと私は思う。表現の自由と宗教の尊厳。実に難しいテーマだが、フランスの政教分離の伝統も十分念頭に入れたうえで、私は暴力行為はさておき、フランスのこれまでの植民地政策・差別政策・移民との格差といった構造的な暴力を顧みない点を、やはり問題だと思う。多文化共生を拝する率直な感情も理解しないではないが、他者の不幸の上に自己の幸福を築いてきたという、過去から続く(植民地支配の歴史を背負う人々の)痛みにあまりに鈍感なのではないだろうか。これは、フランスだけではなく、欧米の先進国全てに言えることだと思う。日本もまたアジアの中で欧米側に立っている事は間違いない。

2017年10月4日水曜日

IBTの話(128) 中秋と月餅

http://klmom.blog120.fc2.com/blog-entry-618.html
日本では、9月24日が中秋の名月であったようだが、ここマレーシアでは本日・10月4日が「中秋」となっていて、中華系の人々が「月餅」を頂いて祝うようだ。先月から、スーパーでは月餅コーナーが出来ていて、様々な月餅が並んでいた。(きっと明日からは残り物の値引きセールになると思う。まあ、12月25日以降のクリスマスケーキみたいな感じである。)

我がクラスの学生のお母さんが、IBTの先生方にと、手作りの月餅をつくっていただいた。IBTでは現役の学生からのプレゼントは、本来的に受け取らない決まりになっているのだが、元校長のK先生が特別に許可して頂いたおかげで、多くの先生方も月餅をおいしく味わった次第。残念ながら、妻はこの月餅が好きではないので、持ち帰ることをひかえた。まあ、糖尿病の正規軍である私にとっては、完全なる「毒」である。ひとかけらだけ頂いた。極めて美味であった。(もっと食べたい。)

秋の来ない夏・夏・夏・ココナッツのマレーシアの「中秋」。残念ながら今晩は曇天で、月を拝むことはできない。(現地時間9時前/おぼろ月になっている。)ちょっと残念である。しかし…。

中華系ばかりの我がクラスの学生は、「今晩はきっと花火が上がると思います。」と言っていた。うーん、それだけはご勘弁頂きたいところだ。また睡眠不足になるのは間違いない。

追記(10月5日):日本でも10月4日が中秋の名月であったらしい。花火は、9:30くらいに1カ所だけ上がっただった。

2017年10月3日火曜日

混迷の日本の政情を憂う。

マレーシアにあって、WEB記事で日本の政情を知るしかないのだが、どうも納得できないことが多い。政治とは権力争いであるし、党利党略で解散することは常道ではある。しかし、北朝鮮情勢が危うい中で、某2つの学校問題を丁寧に説明するといいながら、結局はその禊ぎのために解散したような感じを受けてしまう。ちょうど、野党・民進党が浮ついた時期を狙っての解散であったが、ここで「希望」という名のポピュリスト政党がスポットライトを浴び、その勢いに救いを求めるべく民進党は解党してしまった。はっきり言って、全く美しくない。自らの政治信条はどうなっているのだろうか。まだ、立憲民主党という「希望」から排除され結成されたリベラル派のほうがマトモに見える。

こんな中で、ダイヤモンドオンラインの保守派の論客・西部氏のインタビューを読んだ。我々の年代からすれば、微妙な立場の人物だが、その言わんとすることはなんとなく理解できる。少なくとも、政治屋家業に執着しているヒトビトの言を追っかけるよりは、充実した時間となった次第。
http://diamond.jp/articles/-/144344

せっかくウクレレを買ったし、少しは弾けるようになったので、「あ~あ、やんなっちゃった。あ~あ~驚いた。」と嘆いてみようかな。

2017年10月2日月曜日

クルドとカタルーニャ

http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-1932.html
イラク北部のクルド自治政府が、独立の賛否を問い、90%近い賛成票を得た。一方、スペインのカタルーニャ州政府も独立の住民投票を行い、投票率は40%と低かったものの圧倒的多数の賛成票を得た。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/post-8532.php
http://www.bbc.com/japanese/41464293

イラクの政府もスペインの政府も不安定である故の行動であると思われる。この動きは、さらにスペインのバスクやスコットランド、さらにベルギーのフランドル、イタリアのベネチアやドイツのバイエルンにまで影響を及ぼしそうだ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171002/k10011164741000.html

…クルディスタンの独立に関しては、極めて根が深い。トルコやイランもからんで独立に向かうのは極めて困難であるだろうと思う。新たな中東での紛争が起こりえる危険をはらんでいる。今や、アメリカが世界の警察として、その意志も力も完全に喪失しており、英仏も過去の栄光はない。それどころか、先進国では、投資先を失い資本主義の終焉のような低インフレとデフレが進み、金融市場だけが肥大し経済格差をさらに拡大している。政治的にはポピュリズム化が進み、中国やロシアは、近代領域国家の逆走をして、領土拡大をはかろうとしている。

…まさに、脱コード化、スキゾでリゾームな時代に突入しているという実感が湧く。ドゥルーズの予測は、かなり当たっているのではないかと思うのだ。これから世界はどう動くのだろう。この2つの独立運動はその分水嶺のような気がしてならない。

2017年10月1日日曜日

アフリカに万里の緑の壁

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51217
BBCニュースJAPANに、BBCの番組「アフリカに巨大な緑の壁 地元経済再生へ」というビデオが掲載されている。アフリカに興味を持っている方は是非見て頂きたいと思う。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51217

セネガルから紅海まで、いわゆるサハラ砂漠の南縁のサヘル地帯に8000km、幅15km、11ヶ国にまたがる巨大な植樹計画である。現在のところセネガルではうまく進んでいるとのこと。枯れた井戸に水が戻り、樹木による影の影響で農地に必要な水の量も減り、砂漠化の進行によって故郷を捨てざるを得なかった人々も戻ってきて、地元経済の再生に役立っているという。

2007年に始まり、総工費$80億。世銀や国連、AU、英国王立植物園は寄付を約束しているそうだ。

…サヘルに対して、このような大規模なプロジェクトが進展することは、極めて重要であると私は思う。深刻な砂漠化に対しては、このような大規模な施策でないと追いつかないからだ。ただ様々な懸念がある。最大の問題はこの地に住む遊牧民とその生業の保障である。彼らの説得にはかなりの時間と経験を要するだろうと思う。また、太陽エネルギーなどの利用で、エネルギー需要を賄い、樹木の消費を減らす事前の準備も必要だと思う。このビデオでは、セネガルの農耕民の様子が中心だったが、遊牧民への理解と説得なしにはこのプロジェクトは進まないのではないか。繰り返すが、遊牧民は誇り高い。彼らの価値観は我々とは大きく違う。開発の名の下に正義を振りかざすことは絶対に避けて欲しいと思う。

こういう想いは京都大学のアフリカ地域センターでのセミナーで遊牧民の生活を学んだ故のことである。文化人類学と持続可能な開発を今こそ融合していく時代に入ったということだろうか。