2017年10月5日木曜日

書評 イスラム化するヨーロッパ

今日は、「イスラム化するヨーロッパ」(新潮新書/三井美奈著・2015年12月発行)の書評をエントリーしたい。これも、日本人会の無人古本コーナーで手に入れた新書である。題名の通り、ヨーロッパに於けるムスリム移民について書かれたもので、イスラム復古主義に共鳴しホームグロウン・テロリストとなった二世・三世の境遇と、それを取り巻く社会について書かれたものだ。その取材の中心地は、フランスである。

およそ内容については想像しうる内容であったのだが、私が特に感じたことについて書きたい。私はフランスという国は、ヨーロッパの中華思想を体現した文化大国であると思っている。その矜恃たるや尋常ではない。イギリスにはイギリスの世界帝国であったという矜恃はあるが、ローマ帝国以来のヨーロッパの辺境・田舎という認識は抜けない。宗教的な心情では反カトリックではあるものの、フランスほど強烈ではない。フランスの政教分離への執念は極めて強い。カトリックでありながら、それを強要される事への忌避は、歴史的にもかなり古い。一方で、同じ一神教であるイスラムへの嫌悪の情が強い。これは、フランス文化への自信と愛着の裏返しのようである。この二国を比較すると、イギリスの方が比較的移民に寛容であるように見える。

お騒がせなB級新聞社だったシャルリー社が、その風刺画のためにテロに襲われた事件の後、フランスの新聞は一部を除き一斉にこの風刺画を載せ、表現の自由・政教分離を大々的に主張した。イギリスでもタイムズからガーディアンまでが掲載した。ドイツでは、大衆紙が掲載したが、フランクフルターアルゲマイネは、シャルリー紙を広げる読者のカット写真にとどめた。アメリカでは、ニューヨークタイムズ紙が「宗教的感情を故意に害する表現は一般的に掲載しない」と表明、AP通信やCNNも報道を見送った。アメリカは、英仏に比べ歴史的に宗教心は強い故だろうと思われる。一方、ワシントンポストは、「(NYTと同様の見解を載せた上で)今回はそうではない。」として掲載、唯一の全国紙USAトゥディも「通常は掲載しないが、今回は報道に値する。」とした。日本はと言うと、主要全国紙が全て掲載を見送った。自粛という日本的な感情である。

この辺の対応の相違、実に興味深いと私は思う。表現の自由と宗教の尊厳。実に難しいテーマだが、フランスの政教分離の伝統も十分念頭に入れたうえで、私は暴力行為はさておき、フランスのこれまでの植民地政策・差別政策・移民との格差といった構造的な暴力を顧みない点を、やはり問題だと思う。多文化共生を拝する率直な感情も理解しないではないが、他者の不幸の上に自己の幸福を築いてきたという、過去から続く(植民地支配の歴史を背負う人々の)痛みにあまりに鈍感なのではないだろうか。これは、フランスだけではなく、欧米の先進国全てに言えることだと思う。日本もまたアジアの中で欧米側に立っている事は間違いない。

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