2023年12月29日金曜日

今年この一冊 2023

https://forbesjapan.com/articles/detail/33602
年末には、毎年読んだ本の中から最良の1冊を選んでいる。今年も長距離通勤のおかげで、だいぶ本を読んだ。購入したもの、学園の図書館で借りたもの、市立図書館で借りたものなど色々なのだが、できるだけその年の出版に近い本を選ぶようにしている。

候補としては、昨年末に読みかけの状態だったゆえに選に漏れた、橋爪大三郎「アメリカの教会ーキリスト教国家の歴史と本質」(光文社新書)がまず挙げられる。1月も18回も内容をエントリーした。それくらい有意義だったということである。今年は、アメリカの各種プロテスタント、英国国教会、カトリックの関係性などから始まり、ウクライナ紛争に関わって、オーソドックスとの相違などを学び、さらに年末にはカトリック関連の本を急いで読んだ。かなりキリスト教理解に力を入れた年であった。

一方で、日本史理解を深めることにもチカラを入れた。日本思想史とのからみだが、山内昌之・佐藤優「大日本史」、加藤陽子の「それでも日本人は戦争を選んだ」(新潮文庫)・「不識塾が選んだ資本主義以後を生きるための教養書」(中谷巌)とこの本にまつわる「からごころ」(長谷川三千子)、「日本人のための憲法概論」(小室直樹)などであるが、いずれも教材研究の重要な要素になった。

というわけなのだが、今年この一冊となると、松田素二先生編の「アフリカをまなぶひとのために」になる。なんといっても本年4月発行である。最新のアフリカの情報が満載の、多文化共生が避けられない現在、その解決と鍵としてアフリカの潜在能力に注目した学術書である。やっぱ、これだな。

2023年12月28日木曜日

アフリカのライフスタイル

https://abp.co.jp/contents/dataroom/dataroom-3179/
だいぶ間が空いてしまったが、「アフリカを学ぶ人のために」のエントリー第8回目。松田素二先生の「今日のアフリカのライフスタイル」の章について。

1990年代以降急速に進展したグローバル化によって、アフリカ社会の隅々まで巨大な多国籍企業の国際ネットワークが覆っている。たとえばケニアの切り花産業は、オランダの卸売業者と繋がっており、大地溝帯やケニア山麓の大工場から連日空輸され、数日後には東京や大阪の花屋に並ぶ。あるいは、グローバル化(=西側援助国からの圧力)の結果、1980年代のアフリカの統治形態だった一党支配は一掃され複数政党制というグローバルスタンダードにとって代わられた。良くも悪くも世界は均質化されつつある。アフリカ社会の均質化は、政治経済以上に、(特に若者の)ライフスタイルに顕著で、アフリカの大都市には、マクドナルドやケンタッキーがあり、リンガラ(今後の大衆音楽とラテン、R&B、ロックなどが融合したアフロポップス)やハイライフ(ガーナなど英語圏西アフリカで生まれたギター、ジャズ、ブラスバンドなどが融合したアフロポップス)は影を潜め、レゲェやラップが大人気である。IフォンやIパッドを持ったビジネススーツ姿の男性がカフェで談笑しているし、下町や郊外に行けば、中国製の格安スマホを手にした客引きや路上商売をしている若者に出会う。

アフリカは現在、最も携帯電話の加入者の成長率が高い大陸である。2020年時点で20歳以上の携帯保有率は80%を超えると推定されている。ほぼ100%がプリペイドで、ケニアなどではSIMカードの販売枚数は人口の115%に上る。都市の下層民だけでなく、農耕民、牧畜民・狩猟採集民の一部にまで拡がっている。固定電話のような、面倒なインフラ設備や金融機関を使った料金回収システムを必要としない(基地局のアンテナは設置しなければならないが、有線の敷設よりはるかに容易である)携帯電話は、まさにアフリカのニーズに適しているからである。通話とSMS(160字までのショートメッセージサービス)だけの端末なら1000円程度、インターネットも使用可能なスマホでも、マーケットが巨大故に中古なら1000円から手に入る。2000年代後半から、旧宗主国のボーダフォンやオレンジから、中東やインドの通信会社がAA(エアテル・アフリカ)を設立低料金と細かなサービスで急成長している。

アフリカの携帯での情報革命とは、自分と深く関わりのある情報である。郵便は郵便局の私書箱を利用するしかない。下層都市民はいわば住所不定である。以前は農村から都市に向かう村人にメッセンジャーとして手紙を渡すしかなかった。その日暮らしの下層都市民は移動が頻繁だが、同郷のネットワークは強固なので情報伝達は可能だった。とはいえ、緊急の場合、例えば親族の葬儀の連絡は、死靈観念をもつ人々にとって最重要事である。携帯はまさに革命的な情報伝達手段となったわけだ。

都市と農村との送金は、それまでは困難で切実な問題だった。しかも安全確実でもなかった。それを一気に解決したのが、携帯電話会社が銀行機能(貯蓄・送金・振込など)を携帯で行えるようにしたからである。2007年に始まったケニアのサファリコムのM-pcsa(Mはモバイル、pcsaはスワヒリ語でお金)のサービスはシンプルである。代理店で身分証明書を提示して携帯電話内に口座を開設する。代理店の端末で入金、登録される。送金時は相手の携帯番号に送金するとメッセージ配信、最寄りの代理店で身分証明書と携帯を提示して受け取る。1000円を送る場合、送金に49円、受け取るのに18円の手数料で安い。しかも数分で送金できる。このサファリコムのM-pcsaは、2019年現在で2160万人が登録、16万軒の代理店ができている。

この延長線上に金融革命が怒るのは必然で、サファリコムは、M-pcsaでの公共琉金の支払い、スーパーでのレジの精算、学費の納入やタクシーの支払いなど特に都市部のあらゆる場面で利用できることになった。また2012年から、M-shwart(shwartはスワヒリ語で平穏)のサービスを開始した。これは、1000円ぐらいから50000円くらいまで可能な融資である。1ヶ月毎の利子は7.5%。この利率はケニアでは低い。民間の頼母子講でも20%である。また求職についても、携帯の利用は有意義で、電話による情報交換をする者だけでなく、スマホで履歴書などをPDFで保存している若者も増えてきている。

また、インフォーマル経済(統計に現れない小商いの経済活動)の世界も変化してきた。それまで、東部・南部アフリカではインド・パキスタン系、西部アフリカではレバノン・シリア系の商人が仕切ってきたのだが、21世紀に入ると、アフリカ全域のインフォーマル世界に新しい中間層、時には競合するものとして中国人商人が現れた。2010年代に入るとアフリカ諸国最大の貿易国となり、100万人がアフリカに存している。(日本人は7000人)

…ケニアの切り花産業に浮いては、JICAの視察の際に専門家の話を聞いて感動したことを覚えている。ケニアの貧農を豊かにするために、計画を練り実現に結びつけるという、まさに革命家であった。携帯電話はマサイの人々にとっても必需品になっているということを読んだ記憶もある。また郵便局の私書箱についてはブルキナでNPOの私書箱を飯田さんと見に行ったこともあるので、よくわかる。ケニアでは、中間層がインド系だった。病院の医者は白人だが、薬局はインド系。シーク教徒の親分さんのようなじいさんと話したこともある。松田先生の都市人類学、実に面白いのである。

2023年12月27日水曜日

井上尚弥選手の勝利を祝す。

https://www.sportingnews.com/jp/boxing/news/12-26-2023
-inoue-tapales-live-blog/063b213e9e52ce475195f08e
昨夜は、久しぶりの学生時代の友人との宴で、LIVEでは見れなかったのだけれど、井上尚弥選手が見事にフィリピンのチャンピオン・タパレスを10回にKOした。これで、たった2試合でスーパーバンタム級の4団体王者となったわけだ。モンスターと言われるのも十二分に納得である。朝からYou Tubeで詳しく視たのだが、タパレスは根性がある選手だった。接近戦を挑み、コーナーに詰め寄る場面もしばしば、事前の情報では、バッキャオ仕込の一発を秘めているということで、井上尚弥は慎重にコツコツ当てていったようだ。KOシーンは、え、あれで倒れるのか?といった感じだった。かなりのダメージが溜まっていたのだろう。試合の語の顔はボコボコで、最初と変わらない井上尚弥と実に対象的だった。根性で10回まで持ちこたえたと言うべきで、ボクシング関係者もこのことを称賛している。ここのところ、逃げ回ったり、防御に徹して結局KOされた相手の試合が続いていたので、余計そう感じるのかもしれない。

今年の日本は、良いことといえば、ホント大谷翔平君の大活躍(ホームラン王・MVP)&WBC優勝と、井上尚弥選手の2試合での4団体制覇くらいだった。大阪万博のような税金の無駄遣い、政治家にいいように搾取されている現状に腹立たしく思う。

そんな中、この2人はサムライとしての美学を見せつけてくれた。井上尚弥選手にあっぱれである。

2023年12月25日月曜日

「どろどろの聖人伝」6

https://commons.wikimedia.org
/wiki/Category:Simeon_
Stylites?uselang=ja
「どろどろの聖人伝」のエントリー最終回。まずは、変わった聖人をニ人。キリスト教が容認されてから都市の教会は腐敗したので、砂漠で孤独に真摯に修行する陰修士が出現し、次第に共同生活を送るようになったのが修道院制度の始まりだが、あくまで孤独な修行を望んだのが柱頭行者や登塔者と呼ばれるシメオン(画像参照)である。シリアのアレッポの近くで、高さ3mで4年間、さらに6mで3年間、 10mで10年間、20mで20年間も手すりの付いている塔の上で基本的に立ったまま暮らしていた。最初は訪問者(弟子希望者、皇帝、異教徒まで)を避けるためだったのが、反対に目立ち観光地化してしまったらしい。次に、13世紀にイタリアのアッシジで活躍した聖フランシスコは最も偉大な聖人とされているが、その傍らで生涯を送った聖クララは、家族の反対を押し切って信仰の道に精進し、女子修道院を創設した。晩年クララは病臥しており、ミサに参列できなかったが、彼女が祈ると病室の壁にミサの様子が映し出されたという。このエピソードにより、クララは「テレビの守護聖人」とみなされているそうな。

次に歴史に名を残す聖人を三人。一人目は、神学上の功績から列聖されたトマス・アクィナス。「神学大全」は、宗教改革時に行われたトリエント公会議では、聖書と神学大全だけが議場に置かれていたと伝えられ、19世紀には、彼の神学こそがカトリックの教義の解説だと教皇が宣言したほどである。二人目は英仏の百年戦争時の1412年に生を受けたジャンヌ・ダルク。13歳の時に天使ミカエルから「英軍をフランスから追い出し、王太子を王として戴冠させるように。」との指示を受けた。フランスでは当時、「武装した処女が国を救う。」という預言の噂が広まっており、次第に本人も信じるようになる。16歳の時、やっと王太子との面会が許されるのだが、王太子は兵士の1人に扮して隠れていた。彼女は、迷わず兵士に扮した王太子に語りかけたという。王太子は、神の加護を信じ決して負けないという甲冑姿の彼女に賭け、見事に勝利し、シャルル7世となった。側近となり、さらにパリに攻め入った彼女は、英軍に捕らえられ、宗教裁判で魔女と判定され、火あぶりとなり遺体はセーヌ川に流された。1453年百年戦争はフランスの勝利に終わり、1956年宗教裁判で、生前の判決が覆された。1920年に列聖され、フランスの守護聖人となっている。三人目は、イギリスから。ヘンリー8世の側近だったトマス・モアである。例の離婚話でトマスは国王のカトリック離脱に反対し、ロンドン塔に幽閉され斬首刑となった。1935年、カトリック教会より列聖されている。聖公会(英国国教会)成立の影に、カトリックの聖人がいたわけだ。

最後にあげるのは、ロヨラである。バスクで生まれたイニゴは、最初軍人を目指していたが負傷し、病床でキリスト教の書物に触れ感激。特にパウロの弟子でアンティオキアの司教となり、皇帝トラヤヌスによって、大観衆のコロッセオで立派に飢えた猛獣の餌となった聖イグナティオスの名と生まれた城の名を合わせ、「イグナチオ・デ・ロヨラ」と名乗るようになる。パリ大学で学び、信頼できる仲間を得、反宗教改革に立ち上がる。そう、イエズス会の初代総長である。日本ではザビエルが超有名だが、日本人信徒の奴隷貿易の疑いもある。ザビエルとロヨラは、帰天後、1622年そろって列聖されている。その後18世紀には、巨大な功績を上げた故にカトリック教会内部から批判が募り、イエズス会は国外追放され、教皇から解散を命じられた。イエズス会はロシアに逃れ、19世紀に教皇より再び活動を許可された。その後各国で大学を創設し、キリスト教教育で存在感を示している。

…急いでカトリックの学びをしてきたが、この理由についてはまた違う機会に述べたいと思う。カトリック教会は、西欧史では非常に重要な位置にある。どうしても歴史的事実として批判するところが多い。前述のレコンキスタ時の大ヤコブの遺体発見とかは、かなり政治的な戦略っぽいし、十字軍の聖遺物狩りも眉唾ものである。何より、この聖人には、各地の伝説に礎を置く守護聖人も多数存在する。ブディストである私自身は、シンプルなカルヴァン派のようなプロテスタントのほうが肌に合う。神仏習合的なイメージが重なるのである。そもそも人間は、多神教的なのかもしれない。聖人という概念も、かつての出エジプト記のユダヤ民族のように、モーセがシナイ山から戻ったときに牛を祀っていたように、生理的に多神教を好むのかもしれない。それがカトリックでは顕著で、聖人として存立されているのかもしれない。そんな感想を持ったのだった。

「どろどろの聖人伝」5

https://pankisa.ti-da.net/e12364902.html
「どろどろの聖人伝」のエントリーの第5回目。パウロは十二使徒ではないが、自ら使徒と名乗っていた。これは昇天後のイエスより異邦人のための使徒となるよう召し出された故らしいのだが、古参の十二使徒と人間的軋轢がかなりあったようだ。ただペテロとは悪くなかったようで、皇帝ネロの迫害を受け、67年頃の同じ日に二人は殉教している。ちなみにペテロは十字架刑、ローマ市民権をもっていたパウロは斬首だったと伝えられている。

迫害時代の有名な女性の聖人ニ人の話。聖アガタは、貴族の娘でシチリアの総督に見初められ、応じなかった故に様々な拷問を奇跡で乗り越えながら殉教した。有名な作家アガサ・クリスティーは「キリストの聖女アガタ」というペンネームであるわけだ。半世紀後の4世紀初頭には、同じシチリアの聖ルキア(英語名ルーシー)が、聖アガサの墓で母の病気治癒を祈ると聖アガサが現れ完治したという。彼女も貴族の娘で、イエスの教えに応じて貧しい人々に施したのだが、婚約者が訴え出て、クリスチャンとして迫害を受ける。アガサは乳房を切り取られ、奇跡で回復する(画像参照)が、ルキアは1000人の男に動かされようとしたが動かされなかったという奇跡で知られている。ニ人はシチリアのカタニアとシラクサのそれぞれの守護聖人である。

https://firenzeintasca.com/blog/peste-2
3世紀の半ば、ローマ司教(教皇)シクストゥス2世が逮捕・斬首された時、助祭のラウレンティウスに教会の財産を貧しい人々に分かたえるよう指示し、助祭はその通り行った。その行為が皇帝の逆鱗に触れ、火あぶりの刑に処せられる。火あぶりで殉教した者も他にいるが彼ほど平然としていた者はおらず、長く語り続けられた。聖ラウレンティウスの英語名はローレンスになる。4世紀、皇帝ディオクレティアヌスの親衛隊長セバスティアヌスは、密告されクリスチャンであることがバレて、木に縛り付けられ大量の矢を受け処刑された(左記画像参照)が、兵士が去った後一命をとりとめ、回復後、皇帝の元へ出向き諫暁する。撲殺され、暗渠に破棄された。しかしクリスチャンの夢に現れて、遺体は回収された。聖ラウレンティウスも聖セバスティアヌスも、その墓の上にローマの7大巡礼聖堂となっている大聖堂が建てられている。

西方皇帝の息子だったコンスタンティヌスは、父の死後神の啓示を受け、自軍の旗と兵士の盾に、イエス・キリストを意味するギリシア語のXとPを組み合わせた紋章を描き、政敵を撃破して西方皇帝となった。313年、東方皇帝と会合し、キリスト教て迫害を終了するミラノ勅令を出す。彼が洗礼を受けたのは、死の直前であった。彼の母ヘレナは326年頃エルサレムに多くの兵士とともに入り、ユダヤ人を脅して、ゴルゴダの丘の場所を聞き出す。ここには2世紀に皇帝ハドリアヌスが、受刑地で祈ると自然とローマの女神に祈るような形になるよう神殿を建てていたのだが、ヘレナはこれを壊させ、地中を掘り起る。こさせたところ、三本の十字架が発見された。どれがイエスのものかとしていたところ、ちょうど葬儀の列がやってきたので、その遺体を順に十字架上に置いたところ、三本目の十字架で遺体が生き返った。さらに、司教に祈らせたところ、4本の聖釘(イエス処刑に使われた釘)を発見した。この聖十字架もサンピエトロ大聖堂に保管されている。この場所に建てられたのが、聖墳墓教会である。

2023年12月24日日曜日

「どろどろの聖人伝」4

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culture.google.com
/entity/m01gxxq?hl=ja
「どろどろの聖人伝」のエントリーを、再開したい。洗礼者ヨハネの話から。ユダヤの神殿の高齢の祭司ザカリアに天使ガブリエルが、神の指示にっよって同じく高齢の妻エリザベトとの間に男の子が生まれる、ヨハネと名付けるようにと告げる。このエリザベトはマリアの従姉妹で、マリアがイエスを宿す半年前であった。マリアはこのエリザベトのもとで数ヶ月共に過ごした。外典「ヤコブの原福音書」には、この後、前述のヘロデによる幼児大虐殺の歳、ヨハネとエリザベトは天使の導きで難を逃れるが、ザカリアは神殿で惨殺されたという。洗礼者ヨハネとその両親も聖人に認定されている。洗礼については、ヨハネがイエスに受けたかったらしいが、反対にイエスに行うことになった。洗礼後、ヨハネは、死んだヘロデ王の息子が王となったが、兄弟の妻を不倫の末に妻にしたことを批判、捕らえられたが民衆に絶大な人気があり、処刑できなかった。そこでサロメの事件(連れ子の娘サロメの踊りが素晴らしかったので、褒美は何がいいかを聞くと、ヨハネの首と答えた。)が起こるわけだ。

イエスの起こした死人を生き返らせるという奇跡の相手がラザロ。カトリック教会の伝承では、後マルセイユで初代司教となったとれ、列聖されている。心肺停止からの自動的蘇生をラザロ症候群、脳死患者が手足を動かすことをラザロ徴候と呼ぶのは、ここからきている。

また、ニコデモの福音書によると、イエスが十字架刑になった際、2人の強盗とともにであったが、そのうちの1人・ディスマス(画像参照)は、イエスを称えたので、「あなたは今日渡しと一緒に天国に入ります。」と語りかけてもらえた。前述のように聖人は天国で神の側ににいるので、祈りを執り成してくれると信じられているが、このディスマスは例外で、帰天する前にイエスに天国入りを確約されたという例外で、強盗でありながら「善良な強盗」という矛盾する称号で列聖されている。さて、ダンテの神曲の中で、イエス以前に死んだ義人(正しい人:アブラハムやダヴィデから洗礼者ヨハネ等々)はリンポという冥界にいたのだが、彼らを天国に案内したのは、ディスマスだとされている。また同じニコデモの福音書によると、イエスの死を確認するために脇腹に槍を刺した(と言われている)百人隊長のロンギヌスは、目の病気を持っていたが、イエスの血が目に入って完治し、この奇跡体験から熱心に布教活動をし、殉教。列聖されている。ちなみに聖遺物とされるロンギヌスの槍は何本も見つかっているが、その1本はバチカンにあるそうだ。

https://www.min-travel.co.jp/lounge/report/details/220
十二使徒最初の殉教者は、大ヤコブ(英語名は、ジェイコブやジェームズ、西語名はティアゴ)エルサレムで斬首された遺体が以前布教したスペインに(弟子か天使かは不明)運ばれたという伝説があり、レコンキスタ盛んなりし9世紀に発見された。この地は、「聖ヤコブの道」を意味する「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」(画像参照)と名付けられ、エレサレム、バチカンと並ぶ三大聖地となっている。有名な帆立貝がシンボルの巡礼地である。この帆立貝が何故シンボルなのかには諸説あるようだが、帆立貝は、ドイツではヤコブの貝とよばれているくらい、ヤコブ=帆立貝は一般的認識である。

十二使徒(イスカリオテのユダは除く)については、長寿を全うしたヨハネを除いて全員殉教している。この辺は割愛したい。

2023年12月22日金曜日

THE ALFEEのこと Ⅸ

https://www.youtube.com/watch?v=4Y_JAa7FzHY
You Tubeで、THE ALFEEのアニメのチャンネルがあって、時々覗いているのだが、「現場猫」のポーズで、よし!で終わるものがあった。なんとも可愛い。と、いっても”THE ALFEE”の3人は私より年上のおっさんなのだが…。

今年も年末恒例の大阪城ホールで最後のLIVEをやるらしい。(枚方のLIVEはどうなったのかは不明。)大阪城ホールに行きたいなと思ったが、おそらく立ちっぱなしで、2~3時間。体力的に自信がないので見送ったのだった。大人しく、You Tubeで楽しんでおくのが、白秋の定めかと…。

定期考査の採点の際には、毎回、THE ALFEEを聞いていた。意外にはかどるのである。御三人には、少しでも長く頑張って欲しいと願うのみである。

山本由伸投手もドジャーズ。

https://antenna.jp/articles/18181328 ヌートバー、山本、大谷の三選手
オリックスからFAして、メジャーに挑戦していた山本由伸投手が、ドジャーズ入りすると米メディアが複数伝えた。You Tubeでは、様々な憶測記事が流れていたのだが、これで正式に決定のようだ。大谷君や一平通訳と共にやりたいということだな、と思う。

関西人としては、野球はやはり阪神であって、オリックスではない。今回の関西対決の日本シリーズでも主役はやはり阪神。オリックスは、選手育成も上手いし、WBCでも投手陣が大活躍だったが、やはり阪神。そういう、これまでの状況下にあった山本由伸投手は、どんな凄い実績を誇っていても、名門チームへのルサンチマンを持っていたはずだ。大谷君は、日本一というより世界一のスーパースターであり、人望もこれ以上ないのではないかと言うほどすばらしい。彼と対抗して勝つより、名門ドジャーズで、一緒にやって共に注目される方が絶対によい、と判断したのだと思う。大正解だと思う。

面談には大谷君を始めスーパースターも同席したらしい。この辺が大谷君である。あかん。こんなんされたら、もう行くしかあらへんで。頑張れ、山本由伸投手。

2023年12月20日水曜日

ロシア経済はインフレ傾向

https://honkawa2.sakura.ne.jp/8980.html
ロシア中央銀行が政策金利を引き上げたようだ。ウクライナとの戦争状態が影を落としているわけだが、まずは貿易黒字が減少していること。これはEU諸国への石油や天然ガスの輸出減、ならびに世界的な石油価格の下落によるもの、また武器弾薬の輸入増加が影響しているという見方が強い。ただ、G7などの経済制裁がロシアを大きく苦しめているのかというと、少し事情が違うようだ。EU諸国からこれまで輸入していた商品の代価産業が、ウクライナ紛争後活発化し、モスクワのマーケットでは品数は豊富らしい。そもそもエネルギーと農産物は十分自給できる国である。よって、景気は決して悪くはない。

マクロ経済的に見ると、ロシアの人口動態が最も重要な問題らしい。今回の戦争で、どれくらいの人口減になったのかはわからないし、戦争に伴い海外に逃れた人々もいる。今日の画像で、ロシアの人口ピラミッドを見ると、かなり歪(いびつ)であることがわかる。WWⅡでの被害、1990年頃の資本主義化移行に伴う混乱などが人口分布を大きく左右してきたが故である。今回の中央銀行が政策金利を引き上げは、当然のごとく、インフレ対策であるのは明白だが、実は人手不足が主因らしい。なるほどと、納得した次第。

2023年12月19日火曜日

歴史の中の新約聖書 Ⅴ

https://mitosya.blog.fc2.com/blog-entry-2556.html
「歴史の中の新約聖書」のエントリー第5回目。ルカの福音書について。先日エントリーした「使徒行伝」が後編になっている。両者を合わせて一般にルカ文書と呼ばれている。ルカ文書は、マタイ福音書と同時代、ユダヤ戦争後の80年頃に成立したらしい。ルカ文書の立場の特徴は、「指導者たちによる他の者たちの支配」だと加藤先生は述べている。マルコ福音書の「聖霊主義」(イエスだけに聖霊が与えられている。)に対し、ルカ文書では、他の者にも聖霊が与えられていることがはっきり記されている。ルカ文書では、洗礼者ヨハネの誕生物語が記され、イエス以外の者も神に優遇されていることが明白である。弟子たちに対しても肯定的に扱われており、聖霊を与えられていない者に対して指導者たちが様々な指導を行い、そうした活動に価値が認められている。「山上の垂訓」もルカ福音書にあるが、場所は平地で「平野の説教」になっているのも面白いのだが、ここでは「貧しいものは幸いである。」と「富めるものは不幸である。」という富めるものが貧しいものを救済する人間の行為で、聖霊がなくても救われるような記述がある。また、マルコ・マタイの福音書では、一部の者が救わっれるという結論なのに対して、全ての者が救われるととれる立場にたっている可能性がかなりあると、加藤先生は述べている。

ヨハネ福音書(画像参照)は90年あたりに記されたらしい。他の福音書とは違う独自な雰囲気がある。それは極めて抽象的で神学的なところである。ヨハネ福音書の立場は、次のようなものである。神がいて、世がある。神は世を作ったが断絶しており、人々は神なしの状態にある。そこで神はイエスを遣わした。神は相変わらず遠くにいるが、世の人々はイエスを受け入れ、結びつくことで救われる可能性が生じた、という「イエス中心主義」である。マルコ福音書では唯一の、ルカ文書では唯一ではないがイエスは聖霊を授かった者、マタイ福音書では、新しい掟を伝えた者という立場と違いがあるのである。

ヨハネ福音書のイエス中心主義の構造は、アブラハムへの神の祝福と相似している。これは、ソロモン王の時代、拡大したユダヤ国家で、征服民を糾合していったのだが、結局アブラハムにつながる十二部族か否かで区別をつけるようになった。当時のユダヤ人はすでにそういう区別を意識していなかったようだ。(ちなみにパウロは、自分はベニヤミン族だと十二部族出身だとあえて語っている。)神に祝福されたアブラハムと十二部族は人間であるが、イエスは、彼一人が本質的に別の性質をもつ存在であって、イエスと同等の者はいない。アブラハムの場合は、「神の側の者」と「神から離れている者」に区別されるが、イエスの場合、「イエスを受け入れる者」と「神から離れている者」に区別される。「神から離れている者」とは、律法主義のユダヤ人主流派を意味している。イエスは、モーセよりはるかに高い権威であるという図式が出来上がったわけだ。加藤先生の神学は、実に興味深い。

…今回でカトリックの学びについては、一旦止めることにする。短期間で研鑽を進めたが、著者による神学的立場の違いがかなりあることに気づいたし、以後の学びの土台となった気がする。あと何年か、私はブディストの立場から、カトリックについて日常的に考えることになりそうだ。

歴史の中の新約聖書 Ⅳ

https://sandacc.org/post-8709/
「歴史の中の新約聖書」のエントリー第4回目。マタイとルカの福音書は、昨日エントリーしたマルコの福音書の約2倍の文量がある。これは、マタイとルカの両福音書は、マルコの福音書とQ資料(Qはドイツ語の資料を意味するQuelle:イエスの言葉資料とも言われる。)を元に書かれたという特徴があるからで、マルコの福音書も含め、この3つは共感福音書と言われる。ただ、マタイとルカの福音書には互いに直接引用したような関係がないという。

マタイの福音書は、ユダヤ戦争後の80年代に書かれたらしい。マタイ福音書の立場は一言で言えば「新掟主義」で、ユダヤの律法に代わる優れたもので、全人類に与えられている。この掟を守ることが救いの条件であるという立場だと加藤先生は言う。末尾に、復活したイエスが十一人の弟子に命令(大伝道命令)を与えるシーンがあり、立場が端的に示されている。全人類をイエスの弟子とすること、具体的は洗礼と、「あなたたちに教えておいたことを全て守る」がなれなければならない。この「あなたたちに教えておいたこと」が掟である。マタイの福音書では、山上の垂訓など5つのイエスの演説(10遣わされるもの/13毒麦のたとえ/18協会における人間関係/24オリーブ山の説教)が記されている。山上の垂訓の有名な言葉、「貧しいものは幸いである。」の巻頭には、日本語では「心の」がつくが、加藤先生はギリシア語の性格な意味は「霊の」であって、聖霊がないものは幸い(=神との関係で問題がない=救われている)ということになる。結論的には、マタイ福音書では、イエス以外の者については聖霊を受けないのがよい。イエスの掟を守ればよいということになる。

ただ、この掟は守れるようなものではない。他の新約聖書の文書やキリスト教会の歴史からみても、このマタイ福音書の立場は絶対的なものではなく、相対化していると加藤先生は結論づけている。

2023年12月18日月曜日

歴史の中の新約聖書 Ⅲ

https://blog.goo.ne.jp/munehemmi/e/
60392f934f7877b5270be58e83f06b89
「歴史の中の新約聖書」のエントリー第3回目。まずは、ヘレニストについて。ヘレニストはギリシア語圏に住んでいたギリシア語を話すユダヤ人のことである。終末が近いと信じていた彼らは、アラム語圏のエレサレムに移住してきており、原始キリスト教団内部でも、ペトロたち穏健主流派と対立し、やがて分離する。彼らは、神殿について過激な反神殿の立場を取り、リーダーのステファノが逮捕・処刑された。(36年頃・キリスト教最初の殉教者である。画像参照)ペトロたち穏健派は迫害されなかったが、キリスト教のヘレニストは迫害を受けサマリアで伝道する。次のリーダーとなったフィリポは、「神の支配」「神の国」を説き、神が直接に介入する、神との直接のつながりが生じるという「情報」を伝えた。聖霊を受けていない彼らのできたことは、この福音を伝えることだけであった。聖霊を与えるかどうかは神がすることであってフィリポたちにはできないと判断して去った。そこにエレサレム教会から、ペトロやヨハネが来て、人々が聖霊を受けていないことを知り、人々の頭に手を置くという動作で聖霊を与えたとされている。(加藤先生は、金銭のやり取りが存在したかどうかという面でも議論の余地ありとされている。)どうもペテロは、組織運営・マネジメントがあまりうまくなかったようで、「主の兄弟ヤコブ」が二代目の指導者となり、ステファノの処刑後、No2の位置に下がった。最初の福音書、ギリシア語で書かれたマルコの福音書は、彼らヘレにストの流れにおいて成立したと考えられている、とのこと。

マルコ福音書を一言で言ってしまえば、聖霊主義という立場。神との直接的なつながりだけが重要だとする立場である。前回のエントリーに記したヨハネに洗礼を受けたシーンで示されたように、神戸の直接のつながりを持つのはイエスのみで、ペトロらも救われないと何度も厳しく書かれている。特に、「(イエスは)キリスト」だとペテロが言った時、イエスは「サタン」と呼ぶシーンがある。ペテロは「神のことを思わず人のことを思っている。」と延べ、神を大切にしているようだが、人間的配慮しかしていない態度がサタン的だというわけで、エレサレム教会へのヘレニストの立場と重なってくるわけだ。

歴史の中の新約聖書 Ⅱ

http://fukuinhint.blog.fc2.
com/blog-entry-867.html
「歴史の中の新約聖書」のエントリー第2回目。まずは、イエスの時代のユダヤ教の3つの流れについての確認。サドカイ派は神殿の祭司で、十分の一税のおかげで恒常的に経済的豊かさを享受していた。ファリサイ派は、祭司の子しか祭司にはなれないので、唯一ユダヤ社会で出世するには律法学者になるしかなく、シナゴーグでラビの仕事を担っていた。律法遵守の監視役でもある。律法違反の行為を行ったイエスに論争を挑んだのはこのファリサイ派である。この2つの流れに対し、エッセネ派は、荒野で厳しい生活を追求した者たちであった。

前回のユダヤ教の救いに関して否定的な著者の論理で行けば、サドカイ派・ファリサイ派について律法をだいたいのところで尊重する一般の人々は救われない。エッセネ派は、だからこそ荒野で修行して神に救いを求めているが、これは人間が神に救えと命令しているようなもので救いを得るには十分ではないわけで、この頃(紀元前2~紀元後2世紀)「黙示思想」が生まれる。黙示よは、アポカリプスの訳で、隠れている神が現れて力を発揮すること。旧約では「ダニエル書」、新約では「ヨハネ黙示録」がそのテキストである。

「罪」の状態、「悪」の状態にあるならば、どうすれば「義」になるのかということをユダヤ教では注目していたのだが、結局人間の側からはどうしようもない状態だった。ここにイエスが登場する。神が救う者を救う。人間の側が罪の状態にあるかどうかなどとは、いわば関係なく、神は救いの業を行うことが出来る。そして実際に神が救いの業を始めている。イエスにおいて始められた。こうしたことを主張したのである。イエスの意義はここにあって、長い間動かなかった神が、イエスにおいてまず、神と人との実質的関係が生じるようになった。マルコの福音書の冒頭近く、ヨハネから洗礼を受けた場面で、天が裂け霊が鳩のように下ってくるのを見た。すると天から声があった。「あなたは私の愛する子、あなたにおいて私は喜ぶ。」イエスに聖霊が与えられたわけだが、重要なことは神はイエスしか救わないということだと加藤先生は言う。イエスは、神と直接に結びついているゆえに、神殿や律法を尊重する必要はないということになる。

…なるほど。さすが加藤先生の論は深い。

2023年12月17日日曜日

歴史の中の新約聖書 Ⅰ

学園の図書館で、加藤隆先生の「歴史の中の新約聖書」も借りてきた。加藤先生は、傑出した書である「武器としての社会類型論」の著者である。そもそも千葉大の神学の先生である。今回は何よりも著者で選んだというわけだ。

表題の通り、歴史と新約聖書のか変わりについて述べられた本であるが、新しい発見も多々ある。まずは、ユダヤ教の一改革派のような存在であった原始キリスト教団は、ユダヤ戦争(紀元66年~70年)後に、それまでは寛大だったユダヤ教が律法主義に収斂し、反律法主義だったキリスト教団は、80年代からユダヤ教と分裂せざるをえなくなっていったと言う事実である。

さらに興味深い考察。ユダヤ教徒においては、神と人間の関係において、「タテマエ」と「ジッサイ」があると言える。「タテマエ」は、神はユダヤ人を選んで、ユダヤ人だけを救っていく。非ユダヤ人は異邦人で救われないということになっている。しかし、「ジッサイ」には、神と断絶し救われない状態になっている。これは「罪」によるもので、旧約聖書の中で繰り返し述べられている。その1つ「イザヤ書」の例が挙げられている。

このことは、ダヴィデ・ソロモンの王国の後、南北に分裂するが、多神教信仰の問題が絡んでいる。特に北のイスラエル王国では、多神教信仰が南のユダ王国より盛んになり、アッシリアに滅ぼされてしまう。ユダ王国も属国にはなるが、一応の独立を保つことになる。この際、ユダ王国では、ヤハウェの神がダメな神故にイスラエルが滅ぼされた(古代では信仰する神の強さが戦争の勝敗を左右するというスタンスであった。)のではなく、多神教に染まるという罪を犯した故である、という思考に変化していく。後に彼らもバビロン捕囚で、この思考を深めていったのである。

ところで、キリスト教の場合、一部の人が救われている。ユダヤ人出身者も非ユダヤ人出身者もいる。ユダヤ人だけを優遇するわけではないので、普遍主義である。ただ、すべての人が救われるのではないので、普遍的とは言えず、キリスト教の救いは「普遍主義的」である。キリスト教においては、神は普遍主義なのに、救いが普遍的に実現されていない。今でもこの状態が続いている。この問題をめぐってキリスト教のすべての展開が生じたといってよいほどである、と加藤先生は言われている。

聖書の読み方2

https://ashiyanishi.church/?p=693
「聖書の読み方」第2章は、著者の聖書の読み方への提案である。提案は次の5つに整理されている。1️⃣キリスト教という名の電車に降りる勇気と乗る勇気。2️⃣目次を無視して文書ごとに読む。3️⃣異質なものを尊重し、その心を読む。4️⃣当事者の労苦と経験に肉薄する。5️⃣回答を求めない。真の経験は遅れてやってくる。

1️⃣において、聖書の基本文法(思考の規則)が著者より提示される。2世紀後半以来、洗礼式で使われている「使徒信条」(カトリック、英国国教会、プロテスタントのみ。オーソドックスでは使われない。画像参照)である。この使徒信条を持つ者がクリスチャンであり、電車に乗っている者、乗っていない者という比喩で、見事に解説されている。聖書を読む際、この使徒信条を信じている電車に乗っている者は全く問題はないのだが、私のような異教徒・電車に乗っていない者には理解不可能なことが現出するわけだ。著者は、乗っている者には、乗っていない者への配慮(降りる勇気)が必要だし、乗っていない者には乗る勇気(決して信仰する必要はないが、理解しようとする意志)が必要だとしている。…なるほど。

2️⃣においては、旧約も新約も個々の文書が編集されたものであることが前提。通読は無意味であるわけだ。ちなみに旧約については、4世紀のヘブライ語をラテン語訳したウルガータ訳が現在のカトリックもプロテスタントも使う新共同訳聖書の配列になっているそうだ。なお新共同訳聖書には続編があり、13の外典文書をカトリックでは一定の権威(第二正典)が認ている。新約についても同様、ウルガータ訳で一致しているとのこと。

さて、私が興味深いと感じたのは、物語性の強い四福音書の全体のつながりの部分である。マルコの福音書では、最初と最後の「裂ける」という語が出てくる。イエスがヨハネの洗礼を受けた後、天が裂け、イエスが絶命した時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂ける。福音書の著者は、神の子に不可能はなく、まして殺されることなどありえないという見方を「引き裂こう」としているらしい。またマタイの福音書の最初と最後には、「神が我らとともにおられる。」「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と書かれており、イエスの生涯が神と人間が「共にいる」ことを実現するためだったというのが主題である。ルカの福音書では、イエスを誘惑しようとしたサタンが時が来るまで離れたが、ユダのなかに入り込んだ。イエス無き後はサタンが活動を再開するという主張が見て取れるそうだ。ヨハネの福音書では、プロローグで「言葉(先在の神の子・イエス=キリスト)は、自分を受け入れた人々、その名を信じた人々には神の子となる資格を与えた。」とあり、復活後、マグダラのマリアに、「私の父であり、あなたがたの父である方、私の神であり、あなたがたの神である方のところへ私は昇る。」とある。イエスの生涯は彼を信じる者がイエスの兄弟となり、神の子になるためだったとしており、それぞれの福音書には中心的なメッセージが込められているわけだ。

また、新約のパウロの手紙は、基本文法の12の要素のうち、「十字架」に重心を置いている。ヨハネの福音書は、「受肉」に重心が、ヨハネの黙示録では「再臨・終末」に重心がある。新約には書き手の数だけの「声」があり、このような「声」の「多声体」であると著者は言う。

3️⃣で興味深かったのは、イエスの治癒奇跡が弁神論(病気や心身障害はモーセの律法に反した罪によるもの)を真っ向から否定していたことである。4️⃣・5️⃣については、異教徒としては特にエントリーすることはなかった。とはいえ、第二章も実に勉強になったのであった。

2023年12月16日土曜日

聖書の読み方1

先日書いたが、今カトリックのことを訳あって調べている。学園の図書館で、「聖書の読み方」(大貫隆著/岩波新書)他を借りてきた。この本は、3部構成になっていて、最初に聖書の読みづらさについて、著者が聖書学やキリスト教額入門等で講義しているいくつかの大学生のアンケートから再構築された内容が出てくる。さらに、第2部では、著者の経験を元に、聖書の読み方の提案、第3部では、読書案内が記されている。

まずは、第1部の読みづらさについて、整理していこうと思う。私も、何度か、旧約を始め、新約の福音書等に挑戦したが、確かに読みづらい。内容が膨大なので、目次から、その内容を拾ってみたい。

1️⃣正典と古典であるがゆえの宿命:1.聖書はただ信じるべきものなのか。2.聖書は神が書いたものなのか。3.(礼拝の時)どうして部分しか読まないのか。4.聖書は難しく堅苦しい。5.(要約的な再話として)間接的にしか読まない。

2️⃣聖書そのものの文書配列の不自然:6.全体のつながりがわからず、どこから読んでも迷路に迷い込む。7.隙間だらけの旧約聖書。8.読むに読めないモーセ律法。9.詩文と預言書はバラバラの断章の集合体。10.本筋が見えにくい新約聖書。11.難渋なパウロの手紙。

3️⃣異質な古代的世界像:12.天地創造は進化論と矛盾するか。13.神が創造した世界になぜ悪があるか。14.イエスの奇跡物語は何故そうなるのか。

4️⃣神の行動の不可解:15.暴力的で独善的な神の押しつけではないか。16.神の国のたとえがわかりにくい。17.イエスの復活がわからない。18.どうして語り手の経験が見えにくいのか。

…現代に生きる信仰を持たない日本人学生が、書いたアンケート故に、私の疑問も多数含まれている。第1章を読み終えた時点で、私の感じる所を記しておきたい。聖書と仏典を対比すると、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書などは、仏典における如是我聞的なスタンスから、その記述に相違があるのは仕方がないことかなと思う。また、クルアーンと比較すると、その文書配列は神(というかその下僕たるジブリール=ガブリエル)の意志によって配列されている。この配列は決して人為的ではない。旧約・新約聖書に関しては編纂時に人為で行われたフシがある。クルアーンのほうが、文書配列が難しいと思っている。

…3️⃣聖書の異質感は、フーコーが主張するように、我々は19世紀以来の理性への信頼が確立されてしまっているがゆえの異質感のように感じる。プレモダンの世界では、異質感はなかったのだろう。こういう前提を踏まえたほうが良いのではと思う。奇跡についても、宗教学的にはありうると私は実感している。ただ、神が創造した世界に、何故悪が存在するかという疑問は大きい。これは一神教全般に言えることで、どうとらえるかは重要であると、今はそうしか言えない。

…4️⃣の15は、特に旧約聖書の歴史書の記述に関わるものと思われる。これをどうのこうのと論じることは私はナンセンスだと思う。たとえ異教徒であっても、人知を超えた話で、まさに語り得ぬことには沈黙するしかない、と思う。…つづく

2023年12月15日金曜日

「どろどろの聖人伝」3

http://www.art-library.com/bible/magi-adoration.html
全ての聖人の頂点に位置するのは、聖母マリアである。受胎告知を天使ガブリエルから率直に信じたわけだが、当時のユダヤ教の律法では、婚前交渉は石打ちの刑。命がけの覚悟であったという事実を私はは知らなかった。婚約者ヨセフも、告発することもなく、つまりマリアの処刑を回避、さらに天使の「あなたが母子を守れ。」というお告げを信じた。これには、聖書に救世主はダヴィデの子孫から出ると書かれてることが大きい。ヨセフもマリアもダヴィデの子孫であったからである。

ところで、聖書にはイエスの兄弟が何人か登場する。プロテスタントは、マリアはイエスを産んだ後、ヨセフとの間に子をもうけたと考え、「聖性」を失ったと考える。カトリックやオーソドックスでは、「兄弟」と訳される原語は「親戚」も示せることから、「聖性」は失われていないとしている。信憑性は疑われるが、初期キリスト教文書によると、マリアと結婚した時点でヨセフは高齢で、前妻との間にイエスの兄弟がいたのでは、とも言われている。

カトリック教会では、「聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟姉妹の皆さん。罪深い私のために、神に祈ってください。」という回心の祈りをするとのこと。聖母マリアは、天使たちより上位に置かれているわけだ。

ベツレヘムでイエスが誕生した時に登場する「東方の三博士」(画像参照)について。彼らは最初、よりによってヘロデ王の元を訪れ、「ユダヤの王となる救世主はどこにおられますか。東方でその星を見て拝みに来ました。」と言う。聖書には「救世主はベツレヘムで生まれる。」と書かれていることを知り、旅立つ学者たちに、「その子を見つけたら知らせて欲しい。」とヘロデ王は言うが、イエスとの対面後、天使に「ヘロデ王のところに帰ってはならない。」と告げられ、別ルートで帰国した。このことで、ベツレヘムの2歳までの幼児が虐殺される事件が起こる。

この三博士の存在は伝説的で、黄金、乳香、没薬(鎮痛剤)を贈ったので3人とされ、ヨーロッパ、アジア、アフリカの老人、中年、若者の男性で、イエスの弟子・トマスの洗礼を受けクリスチャンとなり、後に司教になり、聖人として崇敬され、その聖遺物がケルン大聖堂に保管されているという。前述の聖クリストフォロスが人気になる前は、この三博士が「旅人の守護聖人」となっていた。さて、肝心のイエスはエジプトに逃れ、ヘロデ王の難を逃れたが、救世主のかわりに犠牲となった幼児たちは、「幼子殉教者(ホーリー・イノセンツ)」という聖人名で今も崇敬されているという。

2023年12月14日木曜日

「どろどろの聖人伝」2

https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Master-of-the-Dresden-Prayer-Books/1463942
成績入力地獄が一段落したので、「どろどろの聖人伝」の書評エントリーを続けたい。レジェンドの語源はラテン語の「レゲンダ」で、キリスト教の聖人を示す語彙であったらしい。まずは、この聖人の概説から記そうと思う。

カトリックやオーソドックスにおける聖人というのは、「私の願いを神様が叶えてくださるよう、執り成して下さい。」という感じの仲介者である。日本の八百万のような多神教の神のように、直接願いを叶えてもうらおうとしているのとは、決定的に違う。よって、神への「礼拝」「崇拝」ではなく、「崇敬」という語を使う。ちなみに、プロテスタント(英国教会は除いたほうが良いと思う。)では、多神教に似ているゆえに聖人崇拝を否定している。

カトリックでは、生前に目立った人道的活動をしたクリスチャンが帰天(死去)し、あの人は聖人ではないかという評判が生じた者を、まず「神のしもべ」と認定し、その尊者への祈りで奇跡が確認された場合、「福者」と認定され、さらなる奇跡が確認された場合、初めて「聖人」と認定されるそうだ。聖人候補として名前が上がってから、列福(福者の認定)、列聖(聖人の認定)されるまで、列聖調査委員会によって厳正な審査がなされ、最低数十年、中には数百年かかるケースもあるという。

ちなみに、サンタクロースは、4世紀前半、トルコ南部のミュラの司祭であったニコラウスという人物が元で、裕福な家の出であった彼は、国賓の隣人の娘たちに、夜中に金塊を投げ入れたと言われている。こういう人助けから、後に聖人に認定され、聖ニコラウスとなった。このオランダ名が「シント・クラウス」で英語読みしたら「セイント・クローズ」となる。アメリカ移民によって大人気の聖人となった。よって、St.の呼び名の一つである「サンタ」というのは、聖人を意味しているわけだ。

さらに、バレンタインデーの元になったヴァレンタインは、イタリアの司祭で、ローマ時代に弾圧され2月14日に殉教した聖人。中世には2月14日というのは鳥たちがつがいを作り始める日とされており、この2月14日に殉教した聖ヴァレンタインが「愛の守護聖人」と見なされるようになったことに由来する。20世紀後半のカトリック教会の改革で、実在が疑問視されれる聖人の祝日は取り消されていまったのだが、聖ヴァレンタインもその一人であるそうだ。

このような例は、地球より重い幼子のイエスを背負い川を渡った「旅人や交通安全の守護聖人」クリストフォロス(クリストファー・コロンブスの名になっていたりする。上記画像参照)、「ドラゴン退治」ゲオルギウス(ジョージの名前由来)など、まだまだある、著者によると、このような伝説的な聖人をクリスチャンは過去に存在したと信じているわけではなく、日本文化における桃太郎や浦島太郎のような心の拠りどころ、精神性になんらかの影響与えている、と説いている。このような聖人伝と国名や地名、人名がつながっているという人類史上の事実は、たしかにあるわけだ。…つづく。

2023年12月13日水曜日

「どろどろの聖人伝」を読む。

訳あって、カトリックの本を探していたら、「どろどろの聖人伝」(清涼院流水著/朝日新書)を見つけた。私は一神教についてはそれなりの見識を持っているつもりだが、唯一といってもいいかもしれないが、カトリックの見識は低いと感じている。ユダヤ教、イスラム教、プロテスタントについては、かなりの量の本を読んでいるし、オーソドックスについても、それなりに語ることができる。しかしながら、最も多数派のカトリックの特徴については語り得ない部分が多いのである。で、この本は、カトリックで聖人とされている人物伝をまとめたものである。こういうところから見識を深めるのもいいと思う。

著者は、あとがきを読んでわかったのだが、カトリックの信者でありながら、プロテスタント的な理解をも共有しているし、(聖人伝については)信じられない部分があるのが普通という、臭みのない表現が各所に見られた。カトリック理解のために、安心して読めそうだ。

今は、成績入力地獄週間なので、余裕ができたら内容についてエントリーしていきたい。

2023年12月11日月曜日

大谷君の想いに感動する。

https://news.goo.ne.jp/article/ans/sports/ans-376070.html
大谷君は、凄い金額で契約したが、10年後の後払いだと言われている。これは本人からの要望で、球団に負担をかけず、チーム補強をしてほしいという、エンゼルスという反面教師から学んだ智慧であるようだ。金銭への執着がない大谷君らしい。その分、勝利への執着が強いわけだ。通訳の一平さんもドジャーズが契約するようだし、そういうことも方が重要なのだろう。強欲なこの世界において、清涼感あふれるFA劇であったと思うのだ。

大谷君が、2番DHだとすると、凄い1・2・3番になるらしい。エンゼルス時代のように相手投手も敬遠もできないからより楽しみだ。チームプレイに徹しながら、強いドジャーズの一員としてどんな覚醒を見せてくれるかが楽しみだし、再来年には投手としての復帰も実に楽しみだ。

アメリカが崩壊しつつあるのは事実。だが、私は大谷君の活躍を見たい。天をも動かす大谷君であってほしいと願うばかりだ。

2023年12月10日日曜日

ドジャーズ。大谷君の移籍先。

https://4travel.jp/os_shisetsu/10007333
ついに、大谷くんの移籍先が本人から発表された。(日本時間では今日の朝5時)大本命のドジャーズであった。移動距離の問題なんかで、レンジャーズやブルージェイズなどの対抗馬も有力そうに見えたけれど、結局、高校時代から縁のあるドジャーズになったわけだ。

ドジャーズは、もともとニューヨーク・ブルックリンが本拠地だった。ここには路面電車が走っていて、それをよける人というのが、ブルックリンの人々を意味する語彙となり、それがチーム名の由来になっている。ニューヨークに行ったとき、この話を聞いて、ドジャーズがブルックリンのチームであったことに驚いた。当然、今はロスが本拠地なのだが、こういう由来のあるチーム名は永遠に残るだろう。

私は、この大谷くんの選択を間違いないだろうと思うが、今アメリカは崩壊の危機にある。だから、まだ共和党のテキサスのレンジャーズや、カナダ・トロントのブルージェイズもなかなかいいではないかと思っていた。ロスはかなりやばくなっているはずで、その点だけ心配だ。

2023年12月9日土曜日

採点地獄 後半戦

昔から、定期考査試験を作ることは嫌いではない。生徒の学力に合わせて、それなりに凝った問題を作ることが多い。今回の3年生は、倫理分野の様々な世界の諸問題についてSDGsを中心に講じた。SDGsを語るためには、その前のMDGsについても語り、対比することが重要だと思うし、17のゴールだけでなく、それぞれの重要なターゲットにも触れたいところである。

学園の生徒は優秀なので、今回は、上記画像のような問題を作った。MDGsとSDGsの項目別の対比表で、これに関係するSDGsのゴール名を、英文で示した。普通、ゴール1は「貧困をなくそう」だが、英文では、”End poverty in all its forms every where”である。17のゴールを英文で示し、ダミーの英文も2つ入れて、19の英文を上記のA~Qに入れ込む問題だ。バラバラにたとえ正解でも入れられると採点時に大変なので、書かれている1~19の英文を番号順に並べてもらうようにした。それでも採点しようとして、最初は混乱して間違うこともしばしばだった。やがて、だんだん慣れてきて、なんとか無事に終了した。実に肩がこったのだった。ターゲットも英文で出題したが、こっちは日本語の事例と問題文を同数にしたので出来はかなりよかった。実は、この英語問題、早めに生徒に告知していたし、英語の先生にも意見を聞いた。SDGsは英語の長文問題などでよく出題されるそうだ。

2023年12月8日金曜日

アフリカの農業 在来知2

https://www.mitsui.com/jp/ja/sustainability/contribution/fund/results/1210545_13007.html
「アフリカを学ぶ人のために」のエントリー第7回目。引き続き、重田眞義先生の「在来知」の章に学びたい 。

現在のアフリカ農業を在来という視点でとらえると、2つの特性が浮かび上がってくる。第1は、それを支える諸要素(作物・生態・気候・文化・歴史・社会と、それらの融合した地域)の多様性を反映していて単調でないこと。第2は、農民の論理、あるいは農民の科学と言って良い在来の理論(在来知)の役割である。極端な言い方をすれば、農学者は、農民がすでに実感している様々な事象を「科学的」に証明しているに過ぎない。このことを「農学の後講釈」と呼んで、在来知の優位性と意義を肯定的に評価してきた。

エチオピア固有のエンセーテという作物に見られる品種の多様性の起源について、農民の科学とも呼べる繁殖特性の把握に基づいた栽培集団の巧妙な増殖方法と、儀礼的な野生集団の保護を通じて、結果を意図しない無意識な行動の積み重ねが、エンセーテ品種の多様性を維持している。農民の行動の動機や理由を実用上の便宜や経済的合理性に求めることができないし、収穫の損失に対する危険回避でもなく、維持されていた。アフリカの農業の多様性と在来知は深いところで繋がっており、その行動は、様々な要素に対して選択的でも排他的でもなく、追加的傾向性をもつからである。

…実にレヴィ=ストロースの”悲しき熱帯”的な趣のある内容だと思うのである。

ところで、持続的な集約性について、アフリカの在来農業は、労働生産性と土地生産性の積で表される生産集積が一定であるという特性を持つ。土地に余裕があれば、労働投入は控え、土地が狭くなれば労働をつぎ込むという生産様式は、生産の拡大を志向しない生活様式のもとでは非常に理にかなっている。外縁的な農地拡大によって生産を確保するだけでなく、集約的な農業も含めた2つの傾向性が見られるのである。ザンビアのチテメネ農法(ユニークな焼畑農法)やタンザニアのマテンゴが営むピット農法(山の斜面に穴を掘りながら梯子状の畝をつくり、土壌侵食を防ぎながら肥沃度を保つ農法)などがその例となる。

…エンセーテのお話も、チテメネ農法のお話も、京大の公開講座で以前お聞きした。実に興味深いお話であった。アフリカの農業開発について、近代的な技術と在来知をどうミックスさせていくか、また急激な生産性向上ではなく、その地域にあったものにしていくか、私などは農学の知識が皆無なのでわからないのだが、実に難しくもロマンあふれる話のように思っている。

アフリカの農業 在来知1

https://www.africa.kyoto-u.ac.jp
/archives/members/shigeta
「アフリカを学ぶ人のために」のエントリー第6回目。前回に引き続き重田眞義先生の「在来知」の章に学びたい 。

前回のエントリーで、我々は無意識のうちに、効率や生産性を重視する「近代」の視点を持っていることを学んだ。しかし「科学的に説明すること」ができると「伝統農業」の知恵が賛美の対象になる。これらの(伝統農業ー理論的正しさー近代農業という)三位一体の強固な理論的枠組が形成されていく。アフリカの農業に「在来」という形容をつけるのは、伝統ー近代という二元論的に絡め取られないようにするという消極的な理由だけではなく、在来という形容を、優れて関係論的な用語として用いることで、支配的な価値観や主義から自由になり、アフリカで行われている農業を相対的、文脈的にそして正当に捉えて理解することに他ならない。(趣意)

「在来」の定義:モノ(生き物を含む)、こと、ヒト、行為、思想、知識、生業、環境、制度、慣習、コミュニティなどあらゆる対象について、ある「地域」における対象相互間の関係性が「再編成」された状態を形容する言葉として用い、「在来化」は、その再編成が生じたプロセスを指す。多くの場合、在来化によって各対象は変成し、対象相互の関係性は変化する。

具体例:エチオピア西南部、南オモの農村では、近年政府主導でトウモロコシの改良品種と肥料が、普及員の指導、小口金融と組み合わせて提供されるようになった。普及員は、メートル尺で畝間を1.5mと指導した。この地域の基本的な長さは肘から手の先までで、およそ5倍と理解・納得した。(実際は10cmほど誤差)些細なことであるが、これなどは、外来の農業技術が瞬時に変成を遂げて在来化したと捉えることができる。この村では牛耕や鋤を使わない人々が少なからずいたが、現在ではどこでも行われている。在来農業は、これらの事例のように不断の変化を遂げている。固定的な伝統農業の否定によって近代化が図られるという立場は、「在来」という概念を用いれば無効になる。

外来のものが外部から暴力的に、しかも急速に持たされた場合、在来のものは非常に弱い立場になる。プランテーションなどは在来知を疎外することになる。在来化にとっては、時間的空間的ゆとりが必要なのである。グローバル化の進行による関係性のねじれによって、地域によっては疎外が起こっているようである。

…ブルキナファソのサヘル近辺では、乾燥した大地に、かなり平たい鍬を使う姿を見た。ほとんど土地をなぜているようにしか見えなかった。それだけ土壌は固く、農業を拒む地だったと思う。彼らには彼らの在来知があるはずだ。一方で、雨量の多い首都ワガドゥグーでは肥料を使い都市近郊の野菜栽培に挑戦していた。重田先生の在来知の理論を理解した上で、出来ることなら、もう一度、どこかのアフリカの農業を見てみたいものだと思う。…やっぱり無理かな。

2023年12月7日木曜日

アフリカの農業 正しき視点

私のオリジナルパワーポイント ケニアの一般農家
「アフリカを学ぶ人のために」のエントリー第5回目は、京大の公開講座で随分お世話になった重田眞義先生の「在来知」の章に学びたいと思う 。

重田先生のご専門は農学なので、アフリカの農業についてのエントリーとなる。一般にアフリカの農業は、十分な食糧を生産できないほどに遅れていると思われている。不毛な土地、不安定な降雨、劣悪な品種、非効率なの農具、科学技術が普及せず低い農業技術のもと営まれている粗放的な農業と否定的に捉える研究者や開発実務者は多い。たしかに、全てにノーとはいえない。そこには一面の事実が全体を代表する真実のように捉えられていしまう誤解がある。その中で育まれてきた在来知に備わっている可能性と希望を見出せると記されている。

具体的な事例として、ケニア西部でのシコクビエ栽培。生育段階が様々に異なる複数の品種が混播(こんぱ)されている。種も小さく、植え方は雑然として、間隔もまちまちである。収穫の労働作業が面倒である。まさに遅れたアフリカ農業といった情報がたくさん含まれているが、農学的に見るとこの見方は簡単に覆される。生育段階のばらつきには利点がある。天水耕作による地域では不均一な降雨や日照が作物の生育や開花に大きな影響を与える。受粉の時期に大雨が降ったり、種子の発芽や乳熟期に日照りが続いたりすると収穫は見込めない。品種の数を減らして生育段階が均一になればなるほど、被害は大きくなる。小さな種子は乾燥が容易なので結果的にカビや害虫などの被害に合うことは少なく保存性が高くなる。大粒の小麦やトウモロコシ(メイズ)に比べて、シコクビエやテフなどの雑穀は長期間にわたって発芽能力を保っている。農家は、次世代の種子に大きくて立派な種を手刈りして選び保存するので、優れた形質が受け継がれていく。種子をまく時は、畑全体にばらまく。もちろん作物によっては一ヶ所ずつ穴を開けて蒔く場合もあるが、小さな種子ははらまきが能力も少なくて合理的というのはアフリカに限ったことではない。熟した穂から数回に分けて収穫することは鳥の害を防ぐことにも繋がり、労働力も分散できる。

このように、彼らの営みが科学的に説明できることは、その合理性を示す証拠のひとつである。高緯度温帯地域の先進国に暮らす私達は、無意識のうちに自分たちが馴染んできた農業を模範として比較してしまう。その考え方のほうが問題であって、アフリカの多様な農業実践をひとくくりにして遅れた農業と断じることはできない。

統計によれば、アフリカの人口は堅調に増加しており、農業に適した鳥は有限なので、食糧生産は追いつかなくなると言われてきた。しかし、FAOが発表している人口1人あたりの主要穀物の生産量は、減少しているとは言えない。2014年から2016年の世界全体の食糧生産の平均値を100とした場合、1992年のアフリカの指数は81.41だが、2020年には101.56となっている。都市人口は増加しているが、全体の6~70%を占める農業人口の絶対数も増加している事実を考えれば農業生産性は向上しているといえる。FAOによれば、サブサハラ・アフリカの農業成長は、3.5%以上で、人口増加率の2%を大きく上回っている。この人口増加と食糧不足というステレオタイプの根拠が存外簡単に変化しているという事実が知られていないことが問題である。もちろん、地域差がある。生産が大幅に増加したのは、西と北アフリカで、東アフリカは低迷している。サヘルでは干ばつが続いており、ナイジェリア南部やエチオピア北部で飢餓状況があったことも歴史的事実である。

…JICAのケニア視察で、普通の農家を訪問する機会があって、まさに重田先生の記されているような農法を目の当たりした。これらがその土地にあったまさに農学的に見て合理的な農法であるとは、その時は気付かなかったし、ステレオタイプ的な視点で見ていたように思う。反省しきりである。

2023年12月6日水曜日

東の海編をちょっと見て

https://one-piece.com/index.html
東の海(イーストブルー)編は、ワンピースの始まりであるし、一味加入の有名なシーンが多いので、断片的にはすでに見ている。私的には採点地獄も始まったので、見たい箇所だけピックアップした。それは、ラブーンというクジラの登場シーン。ブルックと縁があり、ブルックも会いたがっている。ここでアラバスタ編のヒロイン・ビビも登場するはずで、実際、クロコダイルの組織に潜入していた。面白かったのは、ビビの顔が悪役から国を憂いる王女に変わった途端に顔が変わったこと。それ以上に驚いたのは、(悪役として)ロビンが登場したことである。この後、仲間入りするチョッパーより早い。へぇー、知らなんだ。

2023年12月5日火曜日

ワノ国編を見て

このところ、You Tubeでのアニメの2回目放映があって、ところどころ断片的に見させてもらった。ワノ国編は、実に長い。そもそも原作が長いし、ジャンプで休載の時もあったであろう。それに対して週1回放送のアニメ制作は大変である。いきおい毎回進む内容も小出しにせざるを得ないし、回想シーンやこれまでの焼き直しも多くなるのは必然である。ホントご苦労さまだと思う。これが、私の最大の感想である。

パンクハザード編での錦えもんとの邂逅に端を発した、光月家の20年越しの討ち入りに助太刀する麦わらの一味、鬼ヶ島の決戦も複雑怪奇にシーンが動く。様々な情報からすでに得ていたストーリーと実際のアニメ版との整合を断片的にしていた。特に、後編の鬼ヶ島の大火災を、忍者の雷ぞうが以前手に入れていた「ソウの水浴び」の莫大な水を、巻物に忍ばせる術によって放出、ジンベエが海流一本背負いして消火にあたったのは、ゾウ編との見事な絡みがあって実に面白く視た。ゾウ編のヒールをミンク族が倒すのもいい。討ち入りメンバーに入った(白ひげ海賊団16番隊隊長の)イゾウが、いつ死んだのか気になっていたが、CP0と相打ちで亡くなるシーンも見た。感無量である。

ホールケーキアイランド編では、ミュージカル風の演出がされていたが、ワノ国編では邦楽風に演出されていたのもいい。(途中、ラップ風演出も入るのだが、私自身は好きではないので、あまりいただけない。)海外では、このワノ国編はどう見られているのだろうか、実に気になるところである。

アフリカ経済の未来

https://www.kubota.co.jp/kubotapress/life/africanrice.html
「アフリカを学ぶ人のために」のエントリー第4回目 。峯陽一先生の開発経済学の章のさらにつづきである。

アフリカは、21世紀後半に自軸的な人口増加見込まれる世界唯一の地域である。国連の人口統計では、22世紀前半には40億人になり、そこで頭打ちになる。アジアと拮抗すると予想されている。アフリカ市場は、巨大な存在感を示すようになる。GDPの歴史的推計によれば、1000年前では、アフリカ経済が産出していた付加価値は、日本の4倍以上、地域的にもアジアに次ぐ規模だった。現在のアフリカの経済規模は過小に評価される傾向がある。50を超える国ごとに処理すると「弱小国」がランキングの後半にひしめき合うカタチになっているが、ンクルマの夢に従って単一のアフリカ合衆国として集計した場合、インド、ブラジル、韓国、ロシア、メキシコを抜いて世界で10番目の「大国」に位置している。さらに、100年後の国連推計を元に考えると、盛んに生産、消費する青壮年層の人口比率は圧倒的である。

しかしこうした長期的な変化は、アフリカ社会に大きな緊張をもたらすことになる。人口が増加するアフリカ社会は、土地豊富経済から土地希少経済へ構造変化を経験しつつある。フロンティアに囲まれて社会的流動性が大きいアフリカ社会は、土地が世襲制の財産になり、階級の再生産が固定化するアジア型の社会に移行しつつあるのかもしれない。ただし、人口増による資源をめぐる紛争が激化し経済社会が手詰まりになるという「コモンズの悲劇」は、避けられない運命ではない。人口増加は、技術革新の起爆剤にもなりうるからである。ルワンダの人口密度はすでに日本を超えている。アフリカは、多様な生態系の中で多様な生業を生み出してきたが、こうした初期条件の多様性を踏まえ、家族構成や制度、経済構造、価値観は大きく変わっていくだろう。その内実は誰にも予想不可能だが、ダイナミックな変化を遂げるだろうということは疑いない。

…アフリカの未来は、決して暗くはないが、明るくするためにはさらなる在来知の発揮が必要になる。次回は、アフリカ農業の在来知を中心にエントリーしていく予定である。

2023年12月4日月曜日

アフリカ経済の過去

https://www.bizreach.jp/job-feed/public-advertising/eek9oy3/
「アフリカを学ぶ人のために」のエントリー第3回目 。峯陽一先生の開発経済学の章のつづきである。

アフリカ諸国が独立する直前の1950年代、アフリカはグローバル経済の優等生だった。WWⅡで巨額のドル債務を抱えた欧州、とりわけイギリスは、債務返済のため熱帯植民地からの輸出を奨励した。アジア植民地がひと足早く独立に向かうと、アフリカとカリブ海植民地への期待が高まり、タンガニーカの落花生農場の機械化など輸出向け商業農業の振興政策が展開された。1950年の時点で、アフリカの人口が世界人口に占める割合は8.8%だったが、アフリカの輸出総額が占める割合は10%に達していた。グローバル化の波に乗ることがアフリカの発展の必要十分条件だとすれば、植民地時代に戻りさえすれば良いということになってしまう。1950年代はのアフリカは、輸出に支えられて成長していただけでなく、グローバルスタンダードに完全に適合していた。公式の言語は、英語や仏語であり、会計制度は宗主国そのままだったからである。

アフリカ諸国は独立後、ガーナ大統領・ンクルマの言葉通りにはならず、政治的栄光に、経済発展はついてこなかった。この大きな要因として、小農の増産へのインセンティブを奪う政策を展開してきたことが指摘される。西アフリカの国々はカカオなどの輸出産品に、東南部の国々はメイズなどの食糧作物に高率の税を課し、その税収を非効率的な国営企業や軍の維持に向けたのである。アフリカ史家のフレデリック・ターバーは、このような国々を「門番国家」と呼んだ。ただし、こうした収奪的な経済制度は独立国家が植民地体制から引き継いだものである。食糧生産が滞ったまま、人口が増えていくと長期的には物価が高騰し、賃金コストがかさみ、製造業も伸びない、これが経済の鉄則である。

1980年代、世界銀行(画像参照)とIMFは、構造調整と呼ばれる新自由主義的な政策枠組みを強制した。国営企業の民営化、公務員削減、歳出削減、規制の撤廃、補助金の撤廃、為替自由化といった政策を、政治的立場が弱いアフリカやアジア、ラテンアメリカの国々で、極端なカタチで実験的に導入したのであった。しかし、痛みばかりで果実は生まれなかった。むしろ失業者の増加、公的支援の後退で、乳幼児死亡率が上昇するなど福祉水準の低下が見られた。これに、ユニセフやWHO、ILOなどが警鐘を鳴らし「人間の顔をした調整」を求め、その延長線上にUNDPの人間開発の提唱に至るのである。

1980年代に進行した「政府の退場」は、経済のみならず政治も不安定化なものにした。冷戦の崩壊で、伝統的なパトロンとクライアント関係は一挙に流動化し、1990年代のアフリカは激しい紛争の時代を迎えることになる。21世紀に入ってからは、コートジボワール、ケニア、ジンバブエなどアフリカ経済の優等生国家でも暴力的紛争が続いた、しかし、概ね沈静化している。現在までに8割以上の国が複数政党制へと移行し、次に「壊れやすい平和」の時代が訪れたのである。

…アフリカ経済に対する旧植民地主義、さらに世界銀行やIMFの行った愚策が更にアフリカの開発を遅らせたことは明白である。美名の名において、見事にハシゴを外されたわけだ。

2023年12月3日日曜日

アフリカ経済の現在

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD123MD0S3A610C2000000/
「アフリカを学ぶ人のために」のエントリー第2回目は、やはり私が特に学んできたアフリカ開発経済学の章。峯陽一先生の「経済の激動と開発援助」から。

世界には、元気なところと元気がないところがある。21世紀のアフリカは前者、日本はどちらかといえば後者に属していると峯先生は感じていると記されている。アフリカのGDPは、1970年代末から1990年代末まで、全く成長しなかった。冷戦後には、ソマリア、リベリア、シエラレオネ、ルワンダなどで流血の紛争が起きた。先進国の援助疲れもあった。20世紀末の20年間にアフリカは貧しく争い事の絶えない大陸だというイメージが世界中に定着した。ところが、21世紀最初の十数年間、アフリカ諸国は全体的に経済規模を拡大させ、年5%ほどの経済成長を記録する。中国を始めとするアジア新興国の旺盛な資源需要という要素が大きいが、アフリカに資金が流入するようになり、アパルトヘイトから脱した南アが地域経済に深く関与するようになったという要素もある。ただし、2015年にバブルが弾けた。一般的に、資源価格の低下はアフリカの石油輸出国の所得を押し下げるのでGDPが落ち込むが、非産油国にはプラスになる。アフリカの底力が試される時代になったと言えるかもしれない。

アフリカで、お金が回り始めたという変化が、未来にとって歓迎すべきかどうかは、まだよくわからない。携帯電話やスマホが農村にまで普及し、大小の店の品揃えが豊富になってきた。自動車が増え、都市では新車もよく見かけるようになった。日本より遥かに進んだモバイルマネー(M-pesaなど)を庶民が日常的に使うようになった。幹線道路では、トラック輸送などの物流が明らかに活発化してきた。アフリカの好況は、アジア経済が全体として成長している限りは続きそうである。

アフリカ社会は、貧しいが平等で分かち合いの規範があるとされてきたが、これは反対に豊かなものへのたかりの対象となっている。このような社会ではイノベーションが生まれず、経済は停滞し、貧困からの脱却もできないと言われてきた。しかし、こうしたアフリカ社会の枠組みが激しく揺さぶられている状況である。ジニ係数(完全平等が0,完全不平等が1というデザイン)で見ると、米中で0.4、ヨーロッパで0.3~0.4程度、アフリカでは、ギニアが0.30、ナイジェリアで0.35、タンザニアで0.41、ブルキナファソで0.47、アンゴラ0.51など(2018年)となっている。南部アフリカの数字はラテナメリカ諸国と同じくらいの水準で、HDIの最も低い地域は、いまだサブサハラ諸国である。また、最も豊かな10%の市民の所得の総額が、貧しい方の50%の何倍かを示した所得格差の数値では、日本は13倍、ナイジェリアは14倍、モロッコが18倍、インドネシアは19倍、インドは22倍、ブラジルが29倍、南アは63倍となっている。南は極端だが、中部から南部アフリカの国々はすべて20倍を超えている。

アフリカの農村は自給農業が主で、基本的に貨幣所得は発生しないが、現在のアフリカではインフォーマル経済の海に浮かぶフォーマル経済が輸出部門を中心に大量の富を稼ぎ出している。この富の一部は身内に分け与えられたり、バブル的な投機や消費に向かうのだが、インフォーマルな経済活動は補足されないので、統計には表れてこないゆえに所得の不平等はやや誇張されていると考えることもできる。

…インフォーマル経済の海に浮かぶフォーマル経済、まさに言い当てて妙である。これは現地でよく実感できるところだ。 …つづく。

2023年12月2日土曜日

アフリカの潜在力 概論

「アフリカを学ぶ人のために」のエントリーを始めたい。採点地獄が来週始まるので、その隙間にコツコツと学びを積み上げていこうと思う。

まずは、編者の松田素二先生の「序」の中から、「アフリカの潜在力と新しいアフリカ認識」の項をまとめておきたい。

アフリカには人々が編み出し運用してきた知識や制度が元々存在しており、その潜在的な能力を活用する事によって直面する困難を解決することができるという、シンプルな視点に着目すべきである。この視点にたてば、紛争についても解決するための自前の処方箋を編み出し自律的に対処してきた経験に着目することになる。普遍的で一般的な制度や知識は西欧近代出自のものが「常識」である、という状況に抗して、アフリカにはもう一つの「(複数の)普遍」、もうひとつの「社会、人間、歴史の捉え方」をベースにした問題解決のための潜在的な処方箋があるとして、「アフリカの潜在力」として提唱したい。

この視点の核心は、アフリカ社会に備わっている知識や実践が、ヨーロッパやアラブ・イスラームといった外部世界からの影響をつねに衝突や接合を繰り返しながら、それを融合、共存、受容、拒絶しながら変革・生成されたものであることが前提である。すなわち、外部と接触しつつ問題対処能力を更新するための高い能力(インターフェースの機能)を備えているという、開放的で動態的な視点なのである。

これらの前提を踏まえた上で、アフリカの潜在力の特徴をまとめると、4つの特性に整理できる。第1の特性は、包括性と流動性である。たとえば民族移動の過程で異民族を糾合包摂し、また自集団も異文化慣習を受容しながら変貌を遂げていくという集団編成のあり方は、民族の垣根を低くすると同時に、垣根自体を相対化し対立や紛争拡大を予防する。第2の特性は、複数性と多重性である。民族変更や民族への多重帰属さらには民族内部に自分たちとは決して争わない「親しい集団」をもつことで、民族間の全面的対立を防ぎ紛争の拡大を抑制し、和解の回路を確保するというしくみは、アフリカの共生の知恵のエッセンスである。第3の特性は混淆(こんこう:異質なものが入り混じること)性とプリコラージュ(レヴィ=ストロースの概念:ありあわせの手段・道具でやりくりすること)性である。アフリカの集団編成や価値体系は決して静的で固定的ではなく、むしろ正反対で様々な出自・背景を持つ編成原理や価値基準が生活の必要によって混淆されている。第4の特性は、不完全性とコンヴィヴィアリティ(自立共生)である。西欧の社会観では複数の視点・価値観が共存するとき、競合して強いものが他を放逐して勝ち残り、当たり前になるが、アフリカでは「不完全」であることを前提として出発する社会認識・人間認識なので、異質なものと共在・共生することが重要ということになる。カメルーンの人類学者ニャムンジョ氏はこれを「コンヴィヴィアリティ」と呼び、アフリカの潜在力の核心と考えている。

…きわめて学術的な内容であるが、この視点は、欧米的な常識に覆いつくされている我々にとって、実に重要なものだと私は考えている。

ベルゲンの "JOHN"

https://skyticket.jp/guide/87494/
先日から、オージーのALT(Assistant Language Teacher)の代わりに新しいALTが来ていた。たまたま話す機会があって、彼がノルウェー人であることがわかった。かの世界遺産、フィヨルドの奥にある美しい街・ベルゲン(上記画像参照)の出身だという。私が、ベルゲンのことをよく知っている、と喜んでくれた。彼はイギリスのリーズ、マンチェスターで学んだ関係で英語が堪能で、ジョンという名前を使っていた。これも、ノルウェー人なのに、英語的なジョンという名前なのは何故?と私が聞いたことで判明した。ヨンが本名。要するにヨハネさんなのだ。(笑)そんなことを知っている日本人は少ないのだろう。すぐに仲良しになった。

詳しく聞くと、彼は病気などで契約しているALTが授業できなくなった場合、その代役を派遣する会社があって、西日本全体をカバーしているそのエージェントだとか。住んでいるは滋賀県の水口らしい。九州なんかで仕事があれば、ホテルに1週間ほど滞在することもあるという。そういうALTのシステムがあるとは…。驚いた。

下校時も同じ時刻になり、彼は特急コウノトリに乗って帰路についた。水口は三田からかなり遠いし、ある意味妥当な話だが、エージェント故の特権なのかもしれない。

久しぶりに出くわしたノルウェー人。もしかしたらと、このブログの常設ページ「地球市民の記憶」(私がこれまで対話したことのある国や地域の記録)を久しぶりに開けてみたが、すでにノルウェーの人とは対話していた。残念。105国・地域の数字はなかなか増えない。