2023年12月28日木曜日

アフリカのライフスタイル

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だいぶ間が空いてしまったが、「アフリカを学ぶ人のために」のエントリー第8回目。松田素二先生の「今日のアフリカのライフスタイル」の章について。

1990年代以降急速に進展したグローバル化によって、アフリカ社会の隅々まで巨大な多国籍企業の国際ネットワークが覆っている。たとえばケニアの切り花産業は、オランダの卸売業者と繋がっており、大地溝帯やケニア山麓の大工場から連日空輸され、数日後には東京や大阪の花屋に並ぶ。あるいは、グローバル化(=西側援助国からの圧力)の結果、1980年代のアフリカの統治形態だった一党支配は一掃され複数政党制というグローバルスタンダードにとって代わられた。良くも悪くも世界は均質化されつつある。アフリカ社会の均質化は、政治経済以上に、(特に若者の)ライフスタイルに顕著で、アフリカの大都市には、マクドナルドやケンタッキーがあり、リンガラ(今後の大衆音楽とラテン、R&B、ロックなどが融合したアフロポップス)やハイライフ(ガーナなど英語圏西アフリカで生まれたギター、ジャズ、ブラスバンドなどが融合したアフロポップス)は影を潜め、レゲェやラップが大人気である。IフォンやIパッドを持ったビジネススーツ姿の男性がカフェで談笑しているし、下町や郊外に行けば、中国製の格安スマホを手にした客引きや路上商売をしている若者に出会う。

アフリカは現在、最も携帯電話の加入者の成長率が高い大陸である。2020年時点で20歳以上の携帯保有率は80%を超えると推定されている。ほぼ100%がプリペイドで、ケニアなどではSIMカードの販売枚数は人口の115%に上る。都市の下層民だけでなく、農耕民、牧畜民・狩猟採集民の一部にまで拡がっている。固定電話のような、面倒なインフラ設備や金融機関を使った料金回収システムを必要としない(基地局のアンテナは設置しなければならないが、有線の敷設よりはるかに容易である)携帯電話は、まさにアフリカのニーズに適しているからである。通話とSMS(160字までのショートメッセージサービス)だけの端末なら1000円程度、インターネットも使用可能なスマホでも、マーケットが巨大故に中古なら1000円から手に入る。2000年代後半から、旧宗主国のボーダフォンやオレンジから、中東やインドの通信会社がAA(エアテル・アフリカ)を設立低料金と細かなサービスで急成長している。

アフリカの携帯での情報革命とは、自分と深く関わりのある情報である。郵便は郵便局の私書箱を利用するしかない。下層都市民はいわば住所不定である。以前は農村から都市に向かう村人にメッセンジャーとして手紙を渡すしかなかった。その日暮らしの下層都市民は移動が頻繁だが、同郷のネットワークは強固なので情報伝達は可能だった。とはいえ、緊急の場合、例えば親族の葬儀の連絡は、死靈観念をもつ人々にとって最重要事である。携帯はまさに革命的な情報伝達手段となったわけだ。

都市と農村との送金は、それまでは困難で切実な問題だった。しかも安全確実でもなかった。それを一気に解決したのが、携帯電話会社が銀行機能(貯蓄・送金・振込など)を携帯で行えるようにしたからである。2007年に始まったケニアのサファリコムのM-pcsa(Mはモバイル、pcsaはスワヒリ語でお金)のサービスはシンプルである。代理店で身分証明書を提示して携帯電話内に口座を開設する。代理店の端末で入金、登録される。送金時は相手の携帯番号に送金するとメッセージ配信、最寄りの代理店で身分証明書と携帯を提示して受け取る。1000円を送る場合、送金に49円、受け取るのに18円の手数料で安い。しかも数分で送金できる。このサファリコムのM-pcsaは、2019年現在で2160万人が登録、16万軒の代理店ができている。

この延長線上に金融革命が怒るのは必然で、サファリコムは、M-pcsaでの公共琉金の支払い、スーパーでのレジの精算、学費の納入やタクシーの支払いなど特に都市部のあらゆる場面で利用できることになった。また2012年から、M-shwart(shwartはスワヒリ語で平穏)のサービスを開始した。これは、1000円ぐらいから50000円くらいまで可能な融資である。1ヶ月毎の利子は7.5%。この利率はケニアでは低い。民間の頼母子講でも20%である。また求職についても、携帯の利用は有意義で、電話による情報交換をする者だけでなく、スマホで履歴書などをPDFで保存している若者も増えてきている。

また、インフォーマル経済(統計に現れない小商いの経済活動)の世界も変化してきた。それまで、東部・南部アフリカではインド・パキスタン系、西部アフリカではレバノン・シリア系の商人が仕切ってきたのだが、21世紀に入ると、アフリカ全域のインフォーマル世界に新しい中間層、時には競合するものとして中国人商人が現れた。2010年代に入るとアフリカ諸国最大の貿易国となり、100万人がアフリカに存している。(日本人は7000人)

…ケニアの切り花産業に浮いては、JICAの視察の際に専門家の話を聞いて感動したことを覚えている。ケニアの貧農を豊かにするために、計画を練り実現に結びつけるという、まさに革命家であった。携帯電話はマサイの人々にとっても必需品になっているということを読んだ記憶もある。また郵便局の私書箱についてはブルキナでNPOの私書箱を飯田さんと見に行ったこともあるので、よくわかる。ケニアでは、中間層がインド系だった。病院の医者は白人だが、薬局はインド系。シーク教徒の親分さんのようなじいさんと話したこともある。松田先生の都市人類学、実に面白いのである。

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