2023年12月25日月曜日

「どろどろの聖人伝」5

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「どろどろの聖人伝」のエントリーの第5回目。パウロは十二使徒ではないが、自ら使徒と名乗っていた。これは昇天後のイエスより異邦人のための使徒となるよう召し出された故らしいのだが、古参の十二使徒と人間的軋轢がかなりあったようだ。ただペテロとは悪くなかったようで、皇帝ネロの迫害を受け、67年頃の同じ日に二人は殉教している。ちなみにペテロは十字架刑、ローマ市民権をもっていたパウロは斬首だったと伝えられている。

迫害時代の有名な女性の聖人ニ人の話。聖アガタは、貴族の娘でシチリアの総督に見初められ、応じなかった故に様々な拷問を奇跡で乗り越えながら殉教した。有名な作家アガサ・クリスティーは「キリストの聖女アガタ」というペンネームであるわけだ。半世紀後の4世紀初頭には、同じシチリアの聖ルキア(英語名ルーシー)が、聖アガサの墓で母の病気治癒を祈ると聖アガサが現れ完治したという。彼女も貴族の娘で、イエスの教えに応じて貧しい人々に施したのだが、婚約者が訴え出て、クリスチャンとして迫害を受ける。アガサは乳房を切り取られ、奇跡で回復する(画像参照)が、ルキアは1000人の男に動かされようとしたが動かされなかったという奇跡で知られている。ニ人はシチリアのカタニアとシラクサのそれぞれの守護聖人である。

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3世紀の半ば、ローマ司教(教皇)シクストゥス2世が逮捕・斬首された時、助祭のラウレンティウスに教会の財産を貧しい人々に分かたえるよう指示し、助祭はその通り行った。その行為が皇帝の逆鱗に触れ、火あぶりの刑に処せられる。火あぶりで殉教した者も他にいるが彼ほど平然としていた者はおらず、長く語り続けられた。聖ラウレンティウスの英語名はローレンスになる。4世紀、皇帝ディオクレティアヌスの親衛隊長セバスティアヌスは、密告されクリスチャンであることがバレて、木に縛り付けられ大量の矢を受け処刑された(左記画像参照)が、兵士が去った後一命をとりとめ、回復後、皇帝の元へ出向き諫暁する。撲殺され、暗渠に破棄された。しかしクリスチャンの夢に現れて、遺体は回収された。聖ラウレンティウスも聖セバスティアヌスも、その墓の上にローマの7大巡礼聖堂となっている大聖堂が建てられている。

西方皇帝の息子だったコンスタンティヌスは、父の死後神の啓示を受け、自軍の旗と兵士の盾に、イエス・キリストを意味するギリシア語のXとPを組み合わせた紋章を描き、政敵を撃破して西方皇帝となった。313年、東方皇帝と会合し、キリスト教て迫害を終了するミラノ勅令を出す。彼が洗礼を受けたのは、死の直前であった。彼の母ヘレナは326年頃エルサレムに多くの兵士とともに入り、ユダヤ人を脅して、ゴルゴダの丘の場所を聞き出す。ここには2世紀に皇帝ハドリアヌスが、受刑地で祈ると自然とローマの女神に祈るような形になるよう神殿を建てていたのだが、ヘレナはこれを壊させ、地中を掘り起る。こさせたところ、三本の十字架が発見された。どれがイエスのものかとしていたところ、ちょうど葬儀の列がやってきたので、その遺体を順に十字架上に置いたところ、三本目の十字架で遺体が生き返った。さらに、司教に祈らせたところ、4本の聖釘(イエス処刑に使われた釘)を発見した。この聖十字架もサンピエトロ大聖堂に保管されている。この場所に建てられたのが、聖墳墓教会である。

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