2023年12月8日金曜日

アフリカの農業 在来知1

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「アフリカを学ぶ人のために」のエントリー第6回目。前回に引き続き重田眞義先生の「在来知」の章に学びたい 。

前回のエントリーで、我々は無意識のうちに、効率や生産性を重視する「近代」の視点を持っていることを学んだ。しかし「科学的に説明すること」ができると「伝統農業」の知恵が賛美の対象になる。これらの(伝統農業ー理論的正しさー近代農業という)三位一体の強固な理論的枠組が形成されていく。アフリカの農業に「在来」という形容をつけるのは、伝統ー近代という二元論的に絡め取られないようにするという消極的な理由だけではなく、在来という形容を、優れて関係論的な用語として用いることで、支配的な価値観や主義から自由になり、アフリカで行われている農業を相対的、文脈的にそして正当に捉えて理解することに他ならない。(趣意)

「在来」の定義:モノ(生き物を含む)、こと、ヒト、行為、思想、知識、生業、環境、制度、慣習、コミュニティなどあらゆる対象について、ある「地域」における対象相互間の関係性が「再編成」された状態を形容する言葉として用い、「在来化」は、その再編成が生じたプロセスを指す。多くの場合、在来化によって各対象は変成し、対象相互の関係性は変化する。

具体例:エチオピア西南部、南オモの農村では、近年政府主導でトウモロコシの改良品種と肥料が、普及員の指導、小口金融と組み合わせて提供されるようになった。普及員は、メートル尺で畝間を1.5mと指導した。この地域の基本的な長さは肘から手の先までで、およそ5倍と理解・納得した。(実際は10cmほど誤差)些細なことであるが、これなどは、外来の農業技術が瞬時に変成を遂げて在来化したと捉えることができる。この村では牛耕や鋤を使わない人々が少なからずいたが、現在ではどこでも行われている。在来農業は、これらの事例のように不断の変化を遂げている。固定的な伝統農業の否定によって近代化が図られるという立場は、「在来」という概念を用いれば無効になる。

外来のものが外部から暴力的に、しかも急速に持たされた場合、在来のものは非常に弱い立場になる。プランテーションなどは在来知を疎外することになる。在来化にとっては、時間的空間的ゆとりが必要なのである。グローバル化の進行による関係性のねじれによって、地域によっては疎外が起こっているようである。

…ブルキナファソのサヘル近辺では、乾燥した大地に、かなり平たい鍬を使う姿を見た。ほとんど土地をなぜているようにしか見えなかった。それだけ土壌は固く、農業を拒む地だったと思う。彼らには彼らの在来知があるはずだ。一方で、雨量の多い首都ワガドゥグーでは肥料を使い都市近郊の野菜栽培に挑戦していた。重田先生の在来知の理論を理解した上で、出来ることなら、もう一度、どこかのアフリカの農業を見てみたいものだと思う。…やっぱり無理かな。

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