2023年3月31日金曜日

トランプ起訴の報。

https://www.flickr.com/photos/donkeyhotey/50549404747
トランプがNY州大陪審によって起訴されたというニュースが流れた。ついに梅田政権がなりふり構わずに攻撃に出てきたといっていい。アメリカは分裂の様相をさらに増していくだろう。下手をすると内乱、分裂という事態も想起される。授業でも社会契約説・ロックの抵抗権で触れるところだが、アメリカの銃規制が進まないのは、合衆国憲法制定以来の伝統である。民主主義は流れた血で形成されてきたのだ。

経済面でも、金融危機の拡大、FRBの紙幣増刷によるインフレ、USドルの価値の低下と世界を巻き込む大混乱を引き起こしかねない。またある情報筋では、ポーランドとウクライナ国境沿いにNATO軍30万人の結集が行われているとか。こんな時期に、台湾の総統が訪米中。イスラエルでも国論を真っ二つにするようなデモ、暴動。ドイツやフランスもゼネスト。国際情勢の危機感が尋常ではない。

今日は年度末だが、なんとも暗い世相だ。しかし平和日本は、どこ吹く風。

2023年3月29日水曜日

自由 平等 所有 そしてベンサム

「おどろきのウクライナ」(大澤真幸&橋爪大三郎)の書評は今日が最終エントリー。第5章「ポストウクライナ戦争の世界」、昨日の続きである。

結局のところ、ポストウクライナ戦争の世界は、これまで通りのリベラル資本主義・アメリカを中心とする西側につくか、権威主義的資本主義の中国(共産党)につくか、といった世界である、というのが両者の結論である。ビューリサーチセンターによる米中両国への好感度の比較調査では、まだアメリカの方が高いが、中国の好感度の方が高い国も中東などでいくつかある。これは中国が好きというよりアメリカが大嫌いであるといえる。(先日のサウジとイランの国交再樹立のように、トランプ時代のアブラハム合意は梅田政権になって、信頼は急速に瓦解している。)

ところで、ハーバーマスは、近代を「未完のプロジェクト」とし、未完ゆえに自由や平等に関して綻びがあるとしている。しかし、近代=リベラル資本主義は、本質的に未完であるとしたらどうだろうか。国内外での差別や移民の冷遇、途上国への構造的暴力など、中国の「反社」的な非人権的政策やウィグルへの人権侵害と変わらないのではないか。もちろん理念としては、リベラル資本主義の方が勝っていると思われるが、その構造的欠陥をグローバル=サウス側は実感しているといえよう。

ここで、大澤氏はマルクスの「自由、平等、所有、そしてベンサム」の言を出す。自由・平等といった近代の基本的理念が、私的所有とベンサムを加えた時に自由も平等も形骸化し、さらに一種の化学変化が生じアンチテーゼ化するということである。…「ベンサム」というのは、快楽計算を提唱した英の功利主義哲学者である。(画像参照)なるほど、と私は膝を叩いた。実に上手いレトリックだと思う。

これに対し、橋爪は反論する。前述の「反社組織」的な中国が、権威主義的資本主義を行うことに直接文句はないが、先進国が中国を利用して競争優位を得たり、利潤を得たりすることに問題がある。西側の価値観から見て大変問題がある社会運営をしている国があれば、その国とは交際しない。相手は反社なのだから合理的行動であり、デカップリングが必要だと主張する。

橋爪氏の結びの言。アメリカの資本主義は奴隷制と骨絡みになっていた。ある時決断して奴隷制と絶縁した。それは、儲かるからではなく、自分たちの資本主義、政治社会のあり方に関する倫理的な決断だった。権威主義的資本主義は、奴隷制の現代版である。人権も自由も平等も良心の尊厳も無視しているのだから、世界の資本主義がそれと絶縁できるかが人類の未来がかかっている。ポスト・ウクライナのグローバル世界は、この目標に向かって、苦しい前進を続けていくことになるであろう。…100%同感である。

…中国の「反社」的な権威主義的資本主義は、おそらく近々デカップリングによる海外からの需要減と不動産バブルと金融面でで破綻する。日本企業の離脱も進んでいるようだ。経済面で下降すれば、一帯一路で資金をばらまき朝貢貿易化する戦略も瓦解するに違いない。ただ、この反社組織=中国共産党はそう簡単に退場するとは思わない。この中国、ロシア、そしてイランとサウジなどの非リベラル資本主義の国々は西側を揺さぶり続けるだろう。西側もまた「ベンサム」を捨てないと大変なことになるだろう。かの性犯罪者エプスタインの犯罪が露呈後に顧客に迎い入れたドイツ銀行の話など、西側の本性を露呈した出来事であると思う。まあ、アメリカもイギリスもフランスもドイツも、「ベンサム」だと思う。「自由も平等もないベンサム」である中国を笑えないし、米中両者の顔色を伺う日本も結局のところ「ベンサム」なのかもしれない。

2023年3月28日火曜日

ポストウクライナ戦争の世界

内容とは関係なく、学園・食堂前の満開の桜
「おどろきのウクライナ」(大澤真幸&橋爪大三郎)の書評、最終章「ポストウクライナ戦争の世界」についてエントリー。ウクライナ侵攻が始まってすぐに、国連で非難決議が採択された。棄権した国が40カ国あった。これは(ワグナーという傭兵集団を派遣して軍事援助してきた)ロシアへのシンパシーというより、アメリカを始めとした西側への「構造的暴力」(この本の中では、こういう語は使われていないが、開発経済学で言うグローバリゼーション下の途上国への搾取的な構造)への反発ではないか、と両者は見る。

この西側世界に挑戦する候補として、橋爪氏は第三世界(経済的実力、ネイションの形成、団結する共通の価値観、が無いゆえに当分主役に離れない)、ロシア(経済力がない、核戦力は世界を主導できない、冷戦後、世界をどうしたいのかという理念がない)、イスラム(人数も多く、普遍的価値も信念もあるが、中心になる国がない、ネイションとの折り合いも悪い)、インド(インドの本質は小宇宙、分裂していた歴史が長い)などを挙げるが、結局のところ、中国しかないと結論づける。十分な経済力があり、十分な核戦力と通常戦力があり、戦略とビジョン(一帯一路)を持っているからだというのが理由である。

橋爪氏は、ジェネリック薬品を例にとって、中国経済のメカニズムは、後発の優位性を活かしている。逆に言うと国際市場から切り離されて、資本技術が入ってこないとこの発展モデルは終わりになると断言。大澤氏は、中国の歴史を鑑みて、始皇帝の時代から中央集権を行い、同時に地方の統治機関、地方政府の自律性・主体性が認められていた。この伝統が資本主義にうまく適応できている所以だと主張し、この2点は両氏の共通理解となっている。

…私は中国経済のこれからについては、極めて懐疑的である。デカップリングをアメリカがさらに本気でやったら、かなりの打撃を受けるはずである。世界第2位の経済力がある、世界の工場だといっても、実際のところ最先端の半導体を中国は国産化できない。安かろう悪かろうのスキルしかないわけだ。しかも共産党の政治優先の姿勢は、このところ外国企業の離反を促進している。不動産バブルのこともあって、長くはないと私は見ている。と、同時に西側諸国もこのところ、疲弊している。フランス、ドイツなどでデモやストライキが起こっている。ドイツ銀行もあぶないという噂もあって、一寸先は闇の国際情勢である。…つづく。

2023年3月27日月曜日

ルーシの洗礼と西欧の特殊性

https://www.ukrinform.jp/rubric-society/2544197-ukuraina-zheng-
jiao-huino-du-litoroshia-zheng-jiao-huino-di-kangsono-li-shi-de-bei-jing.html
「おどろきのウクライナ」(大澤真幸&橋爪大三郎)の書評、本日は第4章:もっとおどろきのウクライナ(2022年5月19日対談)について。ロシア=ルサンチマン説をもとに、両氏の対談の中で登場した興味深い社会学的議論を抽出したい。ウクライナでの戦闘の情報等については、このご時世、プロパガンダやフェイクも多いと私は考えているので割愛したい。

前回のエントリーでも少し触れたが、橋爪氏は、ヨーロッパの西と東の違いは、カトリックと正教の違いだと指摘している。今回のタイトルにある「ルーシの洗礼」とは、10世紀の終わり頃、キエフ大公国(古東スラブ語で、大公国=ルーシ)のウラジミール大公が、世界宗教を導入しようと、ハザール人のユダヤ教、ドイツ人のカトリック、ブルガール人のイスラム教、ビザンツ人の正教を比較検討し、ずば抜けて正教が良いと判断し受け入れたという話である。(画像参照)ロシアは、一時期「タタールのくびき」というイスラム教のモンゴルの影響下にあったが、モンゴルはイスラム化に熱心ではなかったし、正教の伝統を守り通した。これは、WWⅡの大祖国戦争に勝利した(よって、ロシアでは、反ナチズムというレトリックが多用される。)ことと並んで、ロシアの誇りである。このビザンチン帝国の正教は、世界システム(エマニエル・ウォーラースティンの概念:グローバルなシステムではなく、局地的な政治的経済的まとまりを超えた、まさに「世界」と見なしうる包括的な規模を持ったシステムのこと。その典型は世界帝国で、ローマ帝国、中華帝国、イスラム帝国など。)から見た場合、ビザンチン帝国=正教は、他と同じタイプだといえる。

しかしこの世界システムで、例外的な世界システムが存在する。それが、西ヨーロッパを中心とする資本主義の世界システムである。政治的には統合されず経済的にだけ統合されている。「世界帝国」ではなく「世界経済」というカタチで存在している。

西ヨーロッパのナショナリズムは、二重底になっていると大澤氏は述べる。各国それぞれがナショナリズムを持っているが、(ナチスが言った虚構のアーリア人という)本物のヨーロッパ人は誰か、争っている。ナショナリティへのコミットメントが、ヨーロッパへのコミットメントの媒介になっている。このような二重のコミットメントの形式が実際に受肉し、内実を持ち、順調に機能するということは奇跡的ですらある。それだけ、西ヨーロッパは特殊なのである。
…つまり、政教一致の専制的なロシアは実は普通で、政教分離の民主政、人権尊重の西側が特殊なのである。

また、ロシアの社会は、都市が少なく、また川が少なく交易が未発達(西欧の資本主義の発展には多くの河川と運河による流通が重要視されている。)だった。市民社会の成立には都市が必須条件で、その点でもロシアは遅れていた。ナショナリズム論では「シビック・ナショナリズム(西欧的な市民権に基づく)」「エスニック・ナショナリズム(”民族の血”のような幻想的な同一性に基づく)」の二種類が提起され、シビックな西と、エスニックな東に(大雑把に言えば)対応しているといえる。

ロシアで、なぜマルクス主義が成功を収めたのか。橋爪氏は、こう述べる。ナポレオン以来の自由・平等・博愛が、ナショナリズムが十分に育っていないロシアでは、ロシア人の良心にふさわしくなかった。またロマノフ王朝べったりの保守反動的なロシア正教ではない、「非宗教的な普遍的思想」こそが必要だった。それがドイツで生まれ、やがて英仏にも革命が起こるというヨーロッパを覆す普遍思想、マルクス主義であり、ヨーロッパに遅れを取ったロシア人のプライドにフィットしたというわけだ。だが、冷戦の崩壊で、この普遍思想はなくなってしまった。とりあえず、プーチンは、ロシア正教を復活させ、石油資源輸出国として立て直そうとしているが、結局ルサンチマン化しているのが現状である。…なるほど。

2023年3月26日日曜日

ロシア=ルサンチマン説

https://www.youtube.com/hashtag/russiaball
「おどろきのウクライナ」(大澤真幸&橋爪大三郎)の書評も、やっとタイトルに近づいてきた。第3章:おどろきのウクライナ(2022年3月7日対談)、第4章もっとおどろきのウクライナ(2022年5月19日対談)。まずは、第3章の対談で明かされた核心的命題である「ロシア=ルサンチマン説」についてエントリーしたい。

ルサンチマンというのは、ニーチェの哲学用語で、弱者の強者に対する憎悪を満たそうとする復讐心が鬱積した心理のことである。両氏は、ロシアを分析するにあたって、ヨーロッパに対する、このルサンチマンを重視する。

ロシアは、ヨーロッパへのコンプレックスの裏返しで、ユーラシア主義などということを言い出している。またプーチンの側近のドゥーキンという哲学者が、このユーラシア主義の地政学として世界の中心軸を、モスクワと東京、モスクワとテヘラン、モスクワとベルリンと規定しロシアを中心とした世界をつくっていくというポストモダニズムを唱えている。モスクワは、第三のローマ(第二はビザンチン帝国のコンスタンチノープル)であるという精神的伝統も持っている。もちろん、重要なのはヨーロッパとの力関係である。中国と仲良くやっているように見えるが、それは現実的な方便でしかない。

ロシアは、大国である、との意識がすこぶる強い。大国、プーチンは主権国家という語を使っているが、これは、自らの意思を持ち、好き勝手に行動できる国家を指す。日本はアメリカに隷属しているし、ドイツもNATOやEU、そしてアメリカの意思を無視できない。よって、大国とは核保有国であり、アメリカ、ロシア、中国、英仏くらいしか主権国家はないという立場である。…プーチンが核の使用をほのめかすのには、こういう背景がある。

しかし、ヨーロッパはロシアを下に見ている。軍事力はともかく、資本主義は成功しているわけではない。価値観が違う。何よりも「良心の自由・信仰の自由、人格の独立」がない、と橋爪氏は指摘する。ロシア正教(というか正教全般)は、そもそも信仰と権力が一体化してきた。教会が良心をチェックし統治権力がそれを矯正するということが当然と考えられてきた。(それが現代的になったのが、プーチンやアンドロポフの出身である秘密警察である。)東ヨーロッパの正教の小国ならば、ヨーロッパの周縁、西ヨーロッパの下位に置かれてもヨーロッパの一部になったと満足できるかもしれないが、ロシアは大国としてのプライドがある。ヨーロッパと対等、いやそれ以上のスタンスを欲している。それ故、ウクライナやベラルーシといった子分的な地域が、ロシアを裏切ってヨーロッパの下に入ることは絶対許せない。これが今回のウクライナ問題の骨子であるというわけだ。

そもそも、ロシアとウクライナとの関係については、これまでも何度かエントリーしてきたので、キエフ大公国の話や宗教問題(ウクライナ西部のカトリック)の話は省くが、面白いことを大澤氏は指摘している。ウクライナという国の名前が登場したのは、ロシア革命後、ボルシェビキに反対した「ウクライナ共和国」を名乗る人々によってであって、ソ連成立後、統治ユニットとしてウクライナ共和国が出来、ネップ時代にエスニック的なアイデンティティを重視した中央政府によって、ナショナリズムが形成されていった。皮肉な話であるがこれが事実であるとのこと。

第3章の終わりの方に、アフガン難民に対しては極めて厳しい態度を取ったEUが、ウクライナ難民にはかなりウェルカムであったことについて、ギリスト教的な隣人愛のファンタジーさについて、両氏は言及している。

2023年3月25日土曜日

中国資本主義 論考(後)

https://storystudio.tw/article/gushi/cultural-revolution-and-red-guards-in-china
「おどろきのウクライナ」(大澤真幸&橋爪大三郎)の第2章の書評の続きである。橋爪氏の中国資本主義の論考。その中心になるのは毛沢東である。毛沢東は、社会主義・共産主義の看板を掲げ、中国の伝統的な国家運営のシステムで西側諸国に対抗することができる、というアイデアを採用した。「革命的ロマン主義」と橋爪氏は表現しているが、伝統社会の塊のような中国で、地主や既得権益者から所有権を全て取り上げてしまった。大躍進の時代、それは見事に失敗したけれど、後の(単なる権力闘争に「造反有理」「紅衛兵」を組み込み、当時の権力層・既得権益層を根底から破壊した)文化大革命こそが、毛沢東の意図とは全く関係なく、資本主義の重要な準備過程になったと評している。ダイナミックな資本主義には、伝統的な生活様式とかエートス(習慣・道徳)とか、価値観とかは足かせになるからである。大澤氏も大躍進の前に文革をやっておけばよかったと同調している。…いやいや、既得権益層に対しては訴苦運動とかがあったのだが、直後にバリバリの「紅」(社会主義経済政策)になったので、(大澤氏の冗談だと思うが)そんなことはありえないと私は批判的にこの大澤氏の文章を読んだのだった。この辺は、中国近現代史の知識が必須の箇所である。

橋爪氏は、毛沢東の革命的ロマン主義は、マルクス・レーニン主義か否かはともかくアメリカの「大覚醒」による回心運動に近いと見ている。これは「相転移」(物質が置かれた環境で氷・水・蒸気のように変化すること)であり、文革は毛沢東という「聖霊」から生まれ、紅衛兵の正統性は自分は革命に献身しているという信念であり、毛沢東の承認があるという事実だったと。…1月6日にエントリーした「アメリカの教会」の書評”橋爪大三郎の回心と洗礼考”を参照されたい。極めて面白い論議であると私は思っている。

これは両者の対話のまとめになるが、1949年に共産党が支配を確立したパターンは、易姓革命的ではあるが、共産党は唯物論だから(易姓革命的な)天に選ばれた故、とは決して言えない。つまりイスラム圏のようにうまくいっているから正しいのだ、としか言えない。正統性に問題はあるがゆえに、証明し続けなければならないので(政権は)不安定であるといえる。ただ、共産党は無謬ではないが、毛沢東は(鄧小平の言を借りれば70%の)無謬を維持している。

大澤氏は、ここでロールズの「正義論」を持ち出してくる。基本財(人間が生きる上で不可欠な財)には辞書的な順番がある、という命題。第1に自由、第2に最低限の生活に必要な経済的条件。金持ちの奴隷より、貧乏な自由人を選ぶというわけだが、中国には当てはまらない。西側諸国は、自分たちの方が優れているという自信を失いかけ、生き残るのは中国ではないか、という疑念をいだている気がすると主張する。

橋爪氏は、証明ができないロールズの「正義論」をひ弱な思想としたうえで、古代の奴隷制が一般的だったのは、安全を保障し食べ物をやるから奴隷になれと言われて人々は従わざるを得なかったからで、(歴史的な俯瞰からも)自由は決して1番重要ではないと返す。これに対し、ヘーゲルは、「命を賭けた闘争が、自由な2人の間で戦われて、命を惜しんだほうが奴隷になって、主人に服従する。これは社会の必然だと。でもその奴隷の側に、次の社会を生み出すバイタリティや、危機感や、真実の認識が宿るのである。こうして立場が逆転していくのが弁証法である。」と言っている。たしかに、西側は冷戦終了時には、福祉国家こそが理想的な社会システムだと思えたが、今は喪失している。だが、中国資本主義も、西側より優れていることを証明し続けなくてはならず悪戦苦闘しているといえるのではないか、と論じている。

…たしかに、西側の、特にアメリカの閉塞感が大きい。しかし、中国の資本主義もかなり危ういところにきている。不動産バブル、高齢化社会の中での高学歴失業率の増加、理不尽なコロナ政策で外資系工場の撤退や流通の停滞、海外からの受注量の激減など、共産党の不可解な権威主義的な政策のほころびが噴出しているのが現状だ。

…ところで、日本を代表する2人の社会学者の新書故か、マルクス・レーニン主義(と同時に毛沢東の農民主体の戦略との対比)、訴苦、大躍進政策、文化大革命、ロールズ、ヘーゲルなど、今回のエントリーも世界史や倫理などの学習内容が満載になった。結局のところ、こういう社会科学的な教養を身につけるために高校の学びがあり、それらを常に深化させていかないと大学以降はもたないと言える。新学期から、こういう指摘を常に心がけようと思う。

2023年3月24日金曜日

中国資本主義 論考(前)

http://blog.livedoor.jp/pacco303/archives/84924839.html
「おどろきのウクライナ」(大澤真幸&橋爪大三郎)の第2章は、「ウィグルと中国の特色ある資本主義」というタイトルである。(ウィグルの話はほとんど出て来ないのだが…。)中国の資本主義を解明するのはかなりの難題である。2人の社会学者は、これまでの学説を振り返りながら論考を進めていく。

資本主義と民主主義は車の両輪のように連動していいるというのが、社会科学の常識であるが、中国は違う。まず大澤氏は、中国の伝統的な論理に歴史の短い近代的な要素がブレンドされた、専制政治と資本主義が結びついた”権威主義的資本主義経済制度”と呼ぶにふさわしいと述べている。

橋爪氏は、専制政治こそが資本主義の揺り籠となったのか。西洋中世史や日本の近世初期のように、立法権を絶対王政が握り、軍隊維持のために金が必要であったことが背景にあると説明。中国でも2000年にわたって専制政治と経済的繁栄が共存してきたという歴史的経験値を確認。中国が新しい資本主義のオルタナティヴを示している意識など無いとした。

大澤氏は、「国家は何故衰退するのか」という先行研究を提示し、包摂的制度を持っている国家は繁栄するという経済制度の一般論から、政治制度の方が重要との結論を紹介。この成功する政治制度は、リベラルデモクラシー(権力の配分が社会的多元性を持つ)と、十分な中央集権化という2つの条件が必要だと述べている。さらに先行研究「世界システム論」にある、後発国が資本主義に参加したら隷属的な位置に陥るという社会科学的な一般論では、今の中国を説明できないとした。最後に「資本主義だけ残った 世界を制するシステムの未来」が説く、2種類の資本主義を紹介。メリトクラティック(能力主義的)でリベラルなアメリカ型資本主義とポリティカル(政治的)キャピタリズムで、大澤氏はポリティカルよりオーソリテリアン(権威主義的=中国の資本主義)の方がいいと思うと述べている。…資本主義は民主主義が成立しなければ成立しないというこれまでの常識は中国によって覆されたわけだ。

橋爪氏は、西洋史を俯瞰しながら、資本主義の発達のパターンを示す。まずイングランド型。英国国教会がカトリックを離れ、世俗権力が教会のトップについた。これで権力が絶対化し、資本主義の揺り籠となった。フランス型。カトリックもユグノーも廃し、絶対王権は哲学と組み合わさった。そしてアメリカ型。アメリカ植民地では、カトリックはアンチクライスト(反キリスト)であり、プロテスタントの各教会は神とつながっているものの普遍的ではない。さらにメイフラワー契約や合衆国憲法にあるように契約で法人(各コロニーや各教会)を構成した。この(普遍的でない)教会と(契約でできた)法人という組み合わせは、イギリスの(国教会でないと公務員になれないというような)硬直した英国国教会+立憲君主制より資本主義にとってはうまくいった。イギリスは国教会の硬直性を取り除きアメリカ型になり、フランスも哲学は(普遍的ではない)教会のことだと読み替えることでアメリカ型になった。3つのパターンに統一されていくわけだ。…前編はここまで。

2023年3月23日木曜日

タリバン復権の真実を読む。

さっそく橋爪大三郎氏が推薦していた中田考氏の「タリバン復権の真実」が届いた。重要と思われるところをさらっと読んだのだが、1996年から2001年頃の内戦期のタリバンと、今回アメリカ軍撤退前後に平和裏に復権を果たしたタリバンとの差は、世間知らずの若造の田舎傭兵・神学生(タリバンの名の由来)が、海千山千の手練の政僧・ウラマー(法学者)に成長したという時間的経過によるものだということであった。実に興味深い。

2015年頃にはすでに、二重支配が始まっていたいう報告がある。村々で、仲裁案件を政府系の役場や裁判所に持ち込んでも賄賂を要求されたり放置されたりするのが常であるのに対し、タリバンは1週間ほどで判決し、異論があっても銃の力を背景に判決を守らせてきた。それに対し政府は、完全に腐敗していた。それだけでなくアメリカなどからの支援金は、国連職員やNGO、政府軍の訓練を担当する傭兵組織などに流れ、政府におこぼれが来る程度。支援機関も政府も腐敗しており、一般の人々には全く無意味なものになっていた。タリバンは、カブールに入城すると、旧政権の人間への恩赦を発表したが、それは、地方で時間をかけて人心を掌握し、影の政府を構築した手法と同じである。給料の支払いが長年支払われていなかった政府軍兵士は、タリバンと戦闘など考えられなかったし、また公共事業を維持するために、恩赦された役人らを留任させた。数週間ぶりにカブール市民はほぼ滞りない電気供給を受けることが出来たという。一般の人々はタリバンの復権を喜んでいるわけだ。

こういうタリバンの本当の姿は、アメリカの産軍複合体、腐敗したアフガン政府、国際機関、人権団体のような利害関係者などの、党派的発言や現地語も事情も知らないジャーナリストの聞きかじりの断片的な情報の垂れ流しによって、歪曲されてきた。かの故・中村哲氏も『タリバンの恐怖政治は嘘、真の支援を』(日経ビジネス/2001年10月22日号)で、その旨を述べている。

この本には、成長しウラマーとなったタリバンが作成した「イスラム首長国(タリバンによるアフガニスタン新政府)とその成功をおさめた行政」「タリバンの思想の基礎」=(タリバン指導部のイスラム理解・西欧文明の生んだ退廃による思想と知性汚染の不在・国際秩序、国連、その法令、決議等の裁定を認めないこと・アッラーの宗教のみに忠誠を捧げ、虚偽の徒との取引の拒絶・領主と世俗主義者の追放と学者と宗教者による代替・民主主義は現代の無明の宗教であり民主主義の拒絶・純イスラム的方法に基づく実践・政治的制度的行動の方法における西洋への門戸の閉鎖・女性問題に関する聖法に則った見解・ジハードとその装備)といった文書の翻訳が記載されている。中田氏はカリフ制を重視されており、そういった意味で、イランとタリバンの政治体制についてさらに深く論じておられる。今回は、この翻訳とその論議には触れないが、勉強し、いずれ紹介できれば、と思う。

2023年3月22日水曜日

祝 WBC 全員野球で優勝す。

https://mainichi.jp/articles/20230322/k00/00m/050/078000c
WBC決勝。予想を覆して、3対2という僅差のゲームになった。最後の最後は、大谷くんVSトラウトという、日の丸と星条旗をもって入場してきた2人の勝負。フルカウントから空振り三振を大谷くんが奪ってゲームセット。いやあ、もう完全に故・水島新司でも描けない漫画の世界であった。14年ぶりの侍ジャパン、世界一。スタッフも含めて、全員がMVPやね。

イチローが言っていたけれど、MLBでは、ホームランの比重が大きくなりすぎて、野球が変化してしまったらしい。それに対して、今回の侍ジャパンは繋ぐ野球で世界一になったと思う。

栗山監督の人柄、ダルビッシュの貢献、大谷くんの熱い想い、ヌートバーを快く受け入れた日本的風土、近藤や吉田、村上、佐々木や山本を始めとした選手たちの成長・活躍。まさに映画が一本できるほどのストーリーだった。監督に続き、ダル、大谷くん、ヌートバーくんが胴上げされていた。(ヌートバーのお母さん泣くぞ。ホント、イイネ!)きっと全員胴上げしてあげたいところだったのだろう。

…侍ジャパン、ありがとう。本当にありがとう。

追記:以後、表彰式やインタヴュー、シャンペンファイトなどを視聴した。表彰台にも、シャンペンファイトでも、今回参加できなかった2人のユニフォームが常に一緒であった。これこそが日本の全員野球、侍ジャパンであると私は思う。

2023年3月21日火曜日

WBC 心臓に悪かった準決勝

https://www.youtube.com/watch?v=S3Hpbxh2BNU&ab_channel=VicenteJunior
WBC準決勝。不調だった村上の最後の決勝打。イチローを彷彿とさせる、漫画のようなドラマだった。本当に心臓に悪い試合だった。もちろん、You TubeのLIVEで聞いていたのだったけれど…。

上の画像は、7回の吉田の同点ホームラン。これでホッとしたのだけれど、最後の最後まで大変な試合だった。勝利の後、佐々木朗希が泣いていたとか…。わかる、わかるよー。明日の決勝戦も、この流れのままに勝って欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=m425sPHuFPQ&t=365s&ab_channel=TheGaming
追記:最後のシーンがYou Tubeに出てきた。2ベースを打った大谷くんが、ヘルメットを自ら飛ばし走る姿に、侍を見た。追加画像は、代走の1塁ランナーの周東くんがホームインした瞬間。

2023年3月20日月曜日

文具アート展・西岸良平展へ。

「知られざる文具アートの世界」展と「西岸良平50周年記念展」に行ってきた。普通美術館が休館する月曜日なのだが、両方とも京都・四条河原町近辺の高島屋と大丸で開催されているので、関係なしである。
ONEPIECEの一味の名前が彫られた鉛筆

ダンボールで作られたGショック
まずは、「知られざる文具アートの世界」展。鉛筆、チョーク、マスキングテープ、輪ゴム、ボンド、セロテープ、ホッチキス、オイルパステル(クレヨン)、ハンコなどの素材を使った絵画や立体が展示されていた。中には精巧な鉛筆画もあって、写真と見間違うほどの作品(これは撮影不可だった。笑)も。とにかく楽しめたのだ。
西岸良平展には、かなり思い入れがある。昔から「三丁目の夕日」はビッグコミック・オリジナルで親しんでいたし、ほのぼのとした一話一話が大好きだったのだ。他の作品も何冊か手に入れて読んでいた。実になつかしい。この展覧会は今日が最終日ということで今日が京都行の日になったのだった。さて、画像は、その内容上、多くを拡大して見れるようにしておいた。…月曜日だというのに、京都の中心部は実に多くの人で溢れていて、夫婦共々少し疲れたのだった。(笑)

2023年3月19日日曜日

イスラムと国民国家の論議

エントリーの内容とは関係なく、学園に咲く「花水木」
「おどろきのウクライナ」(大澤真幸&橋爪大三郎:集英社新書)は、5章立てになっている。2人の社会学者が対談したものを時系列を追って収録されている。まずは、第1章「アフガニスタンとアメリカの凋落」である。タイトルの”ウクライナ”の戦争以前に行われた対談(2021年9月)である。ちょうど、アメリカのアフガン撤退があり、タリバンが復権を果たした時期である。橋爪氏は、まず中田考氏の「タリバン 復権の真実」(今日、アマゾンに注文した。)の内容を挙げている。『現在では、アフガニスタン国民という意識も生まれているが、国民に意識は弱く、エスニック集団ごとに言語も生活習慣も違い、エスニック集団の中でも部族の族長が権威を持つ部族社会である。(中略)アフガニスタンはパシュトゥーン人の国であるが、パシュトゥーン人はアフガニスタンだけに集住しているわけではなく、パキスタンにもほぼ同じ規模の千数百万人のパシュトゥーン人が存在する。(中略)「タリバン」はパシュトゥーン人の運動として始まったのであるが、タリバンがパシュトゥーン人の運動を超えて他のエスニック集団の部族長たちの調略に成功したことが今回のタリバンの復活の根本要因である。』大澤氏も、今回のタリバン復活の原因については、中東専門家の酒井啓子氏の主張する、宗教ではなく、政治的なものとする意見に同意している。

橋爪氏は、アメリカを始めとする西側諸国には、「西側バイアス」があるのではないかと言う。キリスト教圏の人々が当然想定することがいくつかある。まずネイション(国民国家)があるのが当たり前。ネイションに支持された正当な政府がひとつあるのが当たり前。その統治権力に反対するのは、反政府でもテロリストでも正しくないのが当たり前で、打倒されて当たり前。中田氏の指摘通り、アフガニスタンにはネイションは存在しない。この西側バイアスで中東を見ると、ネイションがあるようにみえるのはイランと強いていえばエジプトと例外的なトルコくらい。ネイションになっていない原因はイスラムにあるのではないのか。イスラムは、民族を超え、言語を超え、地域や文化や歴史を超えており、一つの政治的団結(カリフによる統一)が正しいという強固な信念があるが、今やカリフは存在しない。この原理で見ると、各国政府は、地方政権にすぎないし、自らを正当化できない。反政府勢力は同等に見える。どちらが正しいのかイスラム的に決められない、これがイスラム圏の政治的不安定の根本原因である。

なぜ、イスラム圏でネイションができないのか。橋爪氏は、ネイションを(キリスト教の)教会が世俗化したもので、団体・法人と捉える。(社会契約説の)ホッブズの影響下に、教会を真似した政治をするための法人が生まれた。ところが、イスラムでは、法人は存在してはいけない。アッラーがつくらなかったからである。一種の偶像崇拝である。イスラムの人々も困っていると思う。なければいけないものが存在できない。植民地から独立する時に、法人として認められなければ独立できないから、一瞬ナショナリズムにはなり国際社会に加入し、ネイションとして横並びになったものの、中身がない。ナショナリズムは今は用済みで、ないほうがいい、という状態だと思うとのこと。

…私が感じた第1章の重大なポイントは以上である。イスラムではネイションができないという理論は、中東ではないマレーシアには当てはまらない。スンニ派だけでも4つある法学派の違いの影響もあるかもしれないし、ほぼ直接的にイギリスの植民地支配を受け、独立時の指導層がネイション的素地を持っていたが故かもしれない。マレーシアにいる時、「国家と対峙するイスラーム」(潮崎悠輝)を読んで、勉強したが、このあたりの論議は非常に興味深い。中田考氏の本が来てからもう少し深めたいところである。

2023年3月17日金曜日

WBC 日本代表、フロリダへ

https://www.asahi.com/sports/baseball/wbc/schedule/
イタリアとの準々決勝を9対3で勝ち抜き、侍ジャパンは昨夜慌ただしくフロリダに飛び立った。飛行機の中で祝勝パーティーをするとか…。時差ボケ解消のために一刻も早く現地入する必要があると、昨夜ずっと見ていたYou Tubeで谷繁氏が言っていた。…なるほど。

大谷くんが力投していたが、谷重氏の解説は的確で、握力が落ちて握りが甘くなっているらしかった。ホント最後はやばかった。これのピンチを伊東が見事に火消しした。こういう頼りになる選手が日本代表にいるこがとが凄い。控え選手もペッパーミルを回して盛り上げてくれたり、いい雰囲気を保っている。ダルビッシュの勇姿も日本では最後の可能性が高い。パドレスのチーム事情の関係で、最後の登板か。ダルビッシュの与えた影響は計り知れない。ほんとご苦労さま。村上と岡本の復調も嬉しい。準決勝の相手は、プエルトリコかメキシコのどちらか。日本同様全勝で来ているベネズエラでなくてよかったかな。(笑)

追記:大谷くんが、チェコ・チームの帽子を被って、到着。こういう心遣いができるとは本当に素晴らしい。チェコの人々はきっと喜んでいるに違いない。リスペクトは本物なのだ。私も嬉しくなった。ホント、日本を精神的にも代表していると思う。頑張れ、侍ジャパン。

https://news.livedoor.com/article/detail/23889941/

2023年3月16日木曜日

「おどろきのウクライナ」

成績会議が終わって、学園での1年間も一区切りついた。ちょうどJRがまた遅れたので、尼崎駅の本屋で1年間のご褒美として新書を1冊購入した。「おどろきのウクライナ」(大澤真幸&橋爪大三郎:集英社新書)である。帯には、橋爪氏の次のような文章が書かれていたからである。

人々はなぜ、驚いたのか?それは、自明だと考えていた前提があっさりと崩れ去ったから。自由と人権と民主主義と、資本主義と法の支配と、言論の自由とナショナリズムと。世界は陽の当たる西側の世界を中心に回っている。それ以外の場所にも少しずつ、陽は射し始めている。世界はだんだんましな場所になっていく。ーそういう思いを共有しない、異質な他者がいる。もしかしたら、この世界の本質は、その異質な他者のほうがよく見えているのかもしれない。それならば、西側がこの戦争に勝てばよい、という話ではない。大事なのは、この世界に隠れているマグマのありかを突き止めること。それは実はもう始まっている。「ポスト・ウクライナの世界」を見極めること。

この文章の続きは、次のようになっている。ポスト・ウクライナ戦争の世界の全貌が明らかになるには、もう少し時間がかかりそうだ。アメリカは覇権を失って凋落し、中心のない他局世界となるだろう。中国が巨大なプレーヤーとして、我がもの顔でふるまうだろう。インドも存在感を増すだろう。国連は機能せず、紛争が続発するだろう。旧大陸の文明や伝統が息を吹き返し、堂々と存在を主張し始めるだろう。はっきりとした見通しと哲学がないと、自分がどう歩むか、針路を見つけられない。

…このところ我がブログには、アメリカからの閲覧が多いので、申し訳ないのだが、私は橋爪氏の予言「アメリカは覇権を失って凋落する」ということについては、梅田大統領就任後、顕著に現れていると思う。そもそも大統領選挙であれだけの不正を行い、メディアや裁判所を味方につけ、勝利したと居座った犯罪の動かぬ証拠が出てきた。一昨年1月6日の国会議事堂襲撃事件がペロシの指示の下行われたことが、中間選挙で勝利した共和党下院議長のもと、当日の監視カメラの映像公開によって、アメリカ国民の前にさらされた。このアメリカ民主主義の崩壊の証拠をアメリカ国民はどう見ているのだろう。しかも、長引くインフレに対して、FRBがまた金利を上げる予定だったところで、シリコンバレー銀行、さらにトランプ家と長年取引していたが1月6日以後裏切ったことで有名なNYのシグネチャー銀行も破綻した。リーマンショックの再来になるかどうかは分からないが、梅田政権は預金を保証するなどと、信用できない言い逃れをしているようだ。もし本当に保証するのなら当然税金からであり、国民の怒りを招くだろう。インフレは一過性、と言及した梅田の責任はどうなるのか。外交面でも、梅田=アメリカは、サウジとの関係を悪くし、あろうことかイランとサウジが中国の仲介で国交正常化した。すでにアメリカは中東での影響力を失いかけている。中国がさらに覇権を拡大するかは、中国経済が砂上の楼閣なのでわからないが、BRICSがさらに力をつけ、G7と並んでいく可能性は十分にありうると私も思う。ウクライナに加えて、イスラエル対イランの戦争が起こったとして、前述の構図が顕になるかもしれない。

…というわけで、この本の内容も、他と併読しながら、エントリーすることになると思う次第。

2023年3月15日水曜日

山本七平 「禁忌の聖書学」

「山本七平の思想」のエントリーも長くなった。最終回は、キリスト者としての七平についてである。七平は、神学の中でも歴史神学の徒である。当時流行していたバルトの危機神学や、実存論的神学には懐疑的であった。
面白い記述があった。マリアの処女懐胎について、である。イエスがエルサレムに登場した時期のユダヤ人はヘブライ語ではなく、ギリシア語を話していたので、聖書をギリシア語に翻訳(=七十人訳聖書)が普及した。その際翻訳のトラブルが発生した。ヘブライ語のイザヤ書の「アールマー(乙女)」には必ずしも処女という意味はないが、ギリシア語の「パルテノス(処女)」と約されたことから、新約聖書のマタイ伝で処女受胎の意味になり、後から書かれたルカの福音書でも既成の事実とされ、そういう信仰が定着したようである。七平は、歴史神学者・ハルナックのこの説をとりながらも、さらに他の宗教との習合が行われたのではないか、と言う。出エジプト記の前段のヨセフの物語も奇跡が起こらない点やあまりに整合性がとれすぎているので聖書としては異質と断じている。ヨブ記についても、最後はヨブが救われるが、それは後世に付け足されたものではないかと疑義をはさんでいる。太平洋戦争後復員船上で、まさしく七平はヨブの如く神を呪ったという。旧約聖書では、因果応報などは全く意味を持たない。サタンの挑戦に応じて滅びるのもまた「義」である。これに対し、七平は「そうかも知れぬ。」というアイロニーを含んだ懐疑を示している。*ヨブ記については、一神教の根幹を示しているような気がする。私も興味があって、2015年8月24日付、2017年3月12日・13日付に少しずつエントリーしている。

ところで、七平は内村鑑三に対して、山崎闇斎同様のエキセントリック性を感じていてあまり評価していなかったようだ。また、遠藤周作が描き、求めた日本的キリスト教にも批判的である。こうした日本的キリスト教を求める日本人の心性そのものが、「沈黙」に登場するロドリゴの師フェレイラの言う”恐ろしい沼地”だとする。それは、常に新しい「空気」を生み出し、「水」をも空気に変えてしまい、天皇そのものというより「現人神」への絶対的忠誠への圧力を醸成するものである。七平は、ユダヤ教のシナゴーグで過ぎ越しの祭に招待された時、「継続性の保証のない文化が果たして永続するであろうか?」という疑問にとらわれる。ヘブライ大学の日本学の教授はこの疑問の回答を天皇制に見た。七平は、承久の変後に北条泰時が天皇を政治から切り離し、象徴天皇制にしたことを称賛している。いわば「天」が自然秩序の象徴ではなく、天皇を日本的自然秩序の象徴にしてしまったわけで、この機能は今も続いている。逆説的だが、もしこの機能が失われるとすれば、それは「空気」によるものであり、それを醸成してやまない日本教が元にある。

著者は最後に、内村鑑三が唱えた「2つのJ」について述べている。内村は第一高等学校奉職時代に、Japanではなく、Jesusを選択し、友人の新渡戸稲造も「武士道」を書きながらも最終章で武士道の終焉を説き、キリスト教への帰依を説いている。では七平はどうか。日本教(=天皇制=空気)と戦いながらも、合理的な象徴天皇制を称賛し、日本的資本主義の良さも認識してきた。彼なりの基準の中で、2つのJが最後まで相対していたのだろう。あえて結論を導かないまま彼は鬼籍に入ったのだと。…山本七平、なかなか興味深かった。

2023年3月14日火曜日

山本七平 山崎闇斎と水戸学

http://www.winbell-7.com/roman/mokuroku/win-1/edo-2/win0090001.html
「山本七平 の思想」の書評は、いよいよ天皇制の話になる。『現人神の創作者たち』について本書で記された内容を元にエントリーしたい。あらかじめ最初に記しておきたい。山本七平は明治以降の天皇制については、歴代天皇は立憲君主制に忠実であろうとした、というスタンスである。天皇制の否定を主張しているのではない。七平はキリスト者として、戦前・戦中に内心、外面的にも常に現人神と対決せざるを得なかったが故に、この本に20余年を費やしたという。

主たる内容としては、前述の石田梅岩よろしく江戸時代の儒学者・山崎闇斎とその門下。ちなみに、和辻哲郎は『尊王思想とその伝統』(1943年)や『日本倫理思想史』(1952年)の中で、山崎闇斎に触れているが、エキセントリックな側面を嫌い、警戒心が強くあまり詳述していないらしい。この山崎闇斎は、倫理の教科書では、江戸期の朱子学で林羅山の後に少し出てきて朱子学と神道の一致を説く(=垂加神道)でちょこっと記されるくらい。この闇斎の弟子・孫弟子と、現人神創作の真犯人が結びつくのである。

その真犯人とは、清に支配された明からの亡命者・朱舜水である。徳川光國に招かれ、17年間朱子学上の師となった。林家の朱子学は江戸幕府の正統性を証明しようとしたのだが、困難であった。江戸幕府は戦乱を勝ち抜いたが、正統性は、家康を征夷大将軍に任じた朝廷にあることは疑いようがない。光圀によって編纂が開始された大日本史も同様である。光圀は国内の儒学者を集めて編纂が進めたが、山崎闇斎派や元闇斎派が多かった。闇斎が朱子学の正統主義をとことん追求した故らしい。ところでこの「崎門」の三傑のうち、三宅尚斎(しょうさい)を残して、佐藤直方(教条主義的で日本的朱子学などありえないとする立場)、浅見絅斎(けいさい:絶対的忠君思想(前回に記した君主がどうあれ、忠を貫く立場)であり、彼自身は天皇以外を主君としない立場で尊王。幕末の志士に読みつがれた『靖献遺言(せいいけんいげん:画像参照)』の作者)の二人が、垂加神道化に反対して師から離反した。

水戸学の大日本史は、朱舜水の弟子・安積澹泊(あさかたんぱく)、山崎闇斎の孫弟子・栗山潜鋒(せんぽう:)、浅見絅斎の弟子・三宅観瀾(かんらん:)が中心。朱舜水の門下が筆頭で、それを支えるスタッフは崎門中心といっていい。水戸学の幕末維新史への多大なる影響を考えると、侮るなかれ「崎門」である。

ちなみに、赤穂浪士の事件が起きた時、崎門の三傑のうち、浅見絅斎は当然ながら浪士を絶賛し支持、三宅尚斎は高く評価するも条件付き指示、佐藤直方は本来の幕府的朱子学的立場から否定。この否定が効いてか効かずか、後の幕末の志士たちの佐藤直方の評判は良くないそうだ。この赤穂浪士の事件への評価と、昭和の2.26事件の評価についても相関性があって面白い。いずれにせよ、現人神的なるもののルーツは、朱舜水と山崎闇斎門下による水戸学にあるということである。これは、来年度の倫理の授業で触れたいと思う。

2023年3月13日月曜日

WBC いい話がいっぱい。

WBC日本代表は、チェコに10対2、オーストラリアに7対1で勝ち、4連勝でプールBを一位通過した。この結果も嬉しいが、You Tubeを見ているといい話がいっぱいで、余計に嬉しい。

まずはチェコ戦とその後の話題。チェコの電気技師をやっている凄いヒゲの先発投手。オリックスの星野みたいな遅いボールで、最初、手も足も出なかった。大谷くんも2打席目に三振させられてしまった。その記念のボールをダッグアウトで嬉しそうに眺めていたのが印象的。その後、大谷くんは、そのボールにサインをしてあげたそうだ。

佐々木朗希くんも、いいピッチングをしていた。しかし、セカンドの選手にデッドボール。160キロ超の速球で膝に、である。あれは痛いなんてものではない。だが、ようやく立ち上がり、スタンドから大拍手。一塁の山川くんも帽子を取って謝っていたし、佐々木くん本人もチェンジの時に同じく帽子を取って謝っていた。スポーツマンシップ溢れるいいシーンであった。しかも後日、佐々木くんはロッテのお菓子を両手にいっぱいもって、チェコのチームが滞在しているホテルに謝罪に訪れ、チェコのチーム全員が驚き、感動したとか。佐々木くんのサインボールがセカンドの選手に送られたらしい。佐々木くんの行動に大拍手である。

たしかに、チェコはアマチュアチームなのに日本相手に全力で頑張っていた。日本の観客もチェコの活躍にも大拍手を送っていた。そうさせる「空気」があったのだ。大谷くんは、試合後、インスタでチェコの国旗とリスペクトの文字を入れ、試合後、日本ベンチに礼をしにきたチェコチームの写真を載せた。(画像参照)これにも、日本、チェコだけでなく、世界中から好反応が返ってきたようだ。ほんとイイネ!

ヌートバーくんもこの4連戦全力で頑張ってくれた。嬉しい。ロッカーには「勝」の字を貼っているとか。大谷くんのオーストラリア戦での初回の看板直撃のホームランも凄かった。さらに凄いのがこのホームランボールを拾った女子大生。近くの観客に回して写真を撮らせてあげていた。世界から見てもこれは極めて日本的驚異であろうと思う。

1・2番のヌートバーくんや近藤くんの働きが無茶苦茶いいし、中位打線もいい仕事をしている。下位打線もよく四球を選んで、上位に繋いでいる。オーストラリア戦での山本由伸の安定感も凄い。中継ぎ・抑えのピッチャー陣も頑張っている。心配なのは、ヒットは2本打てたけど、まだまだ本調子ではない村上くんと、韓国戦で小指を骨折した源田くん。源田くんの代役で阪神の”うちの”中野くんがその穴を懸命に埋めて、3塁打も打ってくれたが、源田くんもなんとか守備練習をやり出せたらしい。とにかくいいチームを栗山監督を中心に、その教え子・ダルと大谷が作り上げていると思う。

ところで、アメリカがメキシコに5対11で敗けた。ちょっとびっくりである。プールA2位のイタリアとの準々決勝は、3.16。

2023年3月12日日曜日

山本七平 日本資本主義の精神

https://shuseisha.info
/sekimon-shingaku
「山本七平の思想」のエントリーを続ける。1979年、七平は「日本資本主義の精神」を出した。M・ウェーバーを彷彿とさせるタイトルだが、ここでまず論じられたのは、石田梅岩(右記画像)の「石門心学」であった。(石田梅岩の心学は倫理の教科書にも登場する。共通テストは梅岩が比較的好きなようで、よく出てくる。)梅岩の思想の核となるのは、「心」すなわち内心の秩序と、天然・自然の秩序は同一であるということで、上下関係に見える武士、農民、職人、商人には共通した「道」があり、この道に従って生きていくことが心と自然の秩序にかなっているということである。倫理の教科書では、町民の思想というカテゴリーに入れられている。商人は他の身分同様に社会秩序の中で十分な存在意義があり、その規範は「倹約」「奉仕」であると説いている。この梅岩の士農工商は身分ではなく職分であるという思想の、先駆者が、「世法則仏法」を著した鈴木正三である。七平は、正三についても詳しく言及している。

ここでも七平は、宗教的な考察から始めている。鈴木正三は禅宗であった。梅岩は禅宗嫌いであったが理屈者で前述の「道」にたどりついている。面白いのは、M・ウェーバーも、資本主義とプロテスタントの関係を研究した後に、カトリックや他の宗教(儒教や大乗仏教など)との関係を検討したらしいが、当時のドイツの資料収集の限界もあり中断されたらしい。

七平は、江戸期の「藩」に注目した。「藩」の中に企業の原型を見ている。機能集団と共同体の一致が見られるからである。日本社会は、欧米のような契約社会ではなく、話し合いによって組み立てられている。それは内側にいる人達をウチと見なし、外側にいる人々をソトと見なす差別する社会でもある。こういうウチの家族的な思考は、たしかに儒教の忠孝の影響下にあるが、孟子の易姓革命思想のような天から見放された主君は見捨てて良いということは、日本ではない。また「血縁」で作り上げた家族主義かというと、養子縁組で家を守るが、血には拘らない。非中国的な日本独自のものである。藩はまさにそうした擬似的血縁によって成立した家族集団であり、日本資本主義の萌芽であるというのだ。上杉鷹山の米沢藩の改革を例に上げ、藩存続のためには、(石門心学的な)官民一体の経済活動が欠かせない。この経済活動を主導する者には無私の公共性が要求され、さらにコミュニティ的な要素がその活動を活発にする。こういう精神が日本資本主義につながるというわけだ。

…なかなか面白い。今回のWBC日本代表もこういう思想で貫かれている気がする。ダルビッシュは、チームのリーダーとして早めに来日した。シーズンのことを考えれば、かなりの勇断である。無私の姿勢が共感を生んでいる。(本番前の阪神との強化試合の後の全員で臨んだ焼肉パーティーも、ダルと大谷が出したらしい。)大谷と(養子縁組の)ヌートバーが遅れて来日した。ヌートバーを迎えた全員のたっちゃんTシャツ。ヌートバーを支える大谷。もちろん、スキルの凄さも実際に見せながら2人は溶け込み、ヌートバーのペッパーミル・パフォーマンスを皆がするようにまでなった。コミュニティ的逸話満載である。万が一、栗山監督に作戦ミスがあっても、「君、君たらずとも、臣、臣たらざるべからず」メンバーはそれに不服は言わないだろう。

山本七平 「臨在感」

「山本七平の思想」のエントリー再開。『空気の研究』の中で、日本人がたやすく「空気」に支配されてしまう理由を「臨在感」という言葉で説明しようとしている。「臨在」とは、英語ではPresenceで、宗教的には神だまさにそこに居ることを意味する。しかし、七平の造語である「臨在感」は、単なる物や言葉に影響力が潜んでいるかのように感じてしまう心理的な習慣のことである。七平が例として挙げているのは、カドミウムの塊を記者団に見せたところ、慌てて飛び退いたという話である。カドミウムが人体に影響するのは、酸性土壌の中でイオン化して農作物に蓄積され、あるいは飲料水に溶け込んで、それらが摂取された場合で、カドミウムそのものに触れても問題はない。公害の元凶とされるカドミウムが置かれると、日本人は反射的に恐怖を感じて体が動いてしまうのである。こうした日本人の「臨在感」について、七平は日本人の宗教観がアニミズムに根をもつからだと論じている。日常の思考が論理的かつ科学的なものになりにくいというのである。

この指摘は従来から指摘されている。天台の「草木国土悉皆成仏」は、インドや中国仏教にはない。全ての生物の成仏が唱えられている。中村元は、こういう習合あるいは宗教的混淆(こんこう)は、仏教思想に限らず日本に入ってくる思想は、ほとんどすべて現実肯定的な日本的思惟に作り変えられてしまうと指摘している。『日本人の思惟方法のうち、かなり基本的なものとして目立つのは、生きるために与えられている環境世界ないし客観的諸条件をそのまま肯定してしまうことである。諸事象の存する現象世界をそのまま絶対者とみなし、現象をはなれた境地に絶対者を認めようとする立場を拒否するにいたる傾きがある。』(中村元/日本人の思惟方法)

世界を自分と同類のものとして肯定的に見るため、同情的な気持ちが優先して、欧米人のような厳しく突き放した、批判的な見方ができないというわけだ。…示唆に富んだ指摘、ではある。インドのウパニシャッド以来の多神教的伝統に則っているといってもいい。欧米思想が絶対的、優位であるなどとはブディストの私は全く思わないが。

「空気」から抜け出す方法について、七平は「水」を挙げる。水を差すという表現にあるように、蔓延しつつある「空気」に対して、「水」をさすことによって批判的な気持ちを生み出し、現実に引き戻されるというわけだ。

2023年3月11日土曜日

WBC 中韓戦 終わってみたら

https://news.yahoo.co.jp/articles/20cc4a30c1420d467e5858347cd27e9adfb3d097
この2日間、夜は落ち着かない時間を過ごした。WBCの中国戦、韓国戦のおかげである。我が家にはTVがないので、もっぱらYou Tubeの速報を見ていたのだが、ヤキモキ、ひやひや。

中国戦は、ヌートバーの初球打ちのヒットで幕が開いた。(画像はその時の初ペッパーミルパフォーマンス。)満塁に何度もなりながらも得点が少なく、絶対勝てる相手なのに、イライラ。途中で見るのを止めて作業をしていた。通勤時間の関係で21:00就寝という習慣もあって、結局翌朝に8対1で勝利したことを知ったのだった。

韓国戦は、反対にまさかのダルビッシュが打たれて3点取られ、その後逆転してからYou Tubeを見だしたのだが、結局見るのを止めた。ふと、サッカーW杯を思い出したのだ。私が見ていないと、ドイツやスペインに勝ったからである。(笑)そして翌朝に13対4で快勝していた。

ヌートバーが、出塁、打点、得点と、さらに値千金のファインプレーを2戦とも連発して頑張っている。さすがメジャー・カージナルスの1番である。侍ジャパンの一員として日本中で愛されているのが嬉しい。大谷くんも頑張っている。やはり凄い。韓国戦では、デッドボールを心配したが、ヌートバーが変わりにあたってくれた。当てられた時の気迫ある睨み返しはまさに侍。…イイネ!

今日は、3.11。9歳の時被災し、津波で祖父母と父を失った佐々木朗希投手が先発するという。12年目の今日、いいピッチングをして勝つのが何よりの供養。日本中がそう思っているはずだ。ガンバレ。

ミュシャ展・知の大冒険展

先週に続いて、金曜日は展覧会。京都に行ってきた。まずは、京都駅にある”美術館「えき」KYOTO”で開催されているミュシャ展へ。以前少し紹介したが、アール・ヌーボーの代表的な作家である。フランスで活躍しているが、チェコ出身で、チェコに関連した作品も多かった。ありがたいことに、今回の展示は。ポスターやリトグラフなどが多いゆえか写真撮影可であった。とにもかくにも、どの作品も美しい。

せっかくなので、少し調べてみたが、WWⅡの時代、ナチスの過酷な取り調べを受け、老齢ゆえにそれがもとで死去している。ちなみに、彼はフリーメイソンのメンバーで、パリで入会後、プラハの支部創設にも尽力したことがわかる彼によるデザインのメダルの展示もあったのには驚いた。

その後、東広場でLEGOでつくられた京都駅を見に、反対の東の広場へ。八条口から入ることが多いので、これまであまり興味はなかったのだが、京都駅はかなり複雑な建築物であることが垣間見えた。その後、京都駅から地下鉄で”京都文化博物館”へ。何回も来ているが、ずいぶん久しぶりである。ここでは、「知の大冒険ー東洋文庫 名品の煌めき」という学術的な特別展が行われていた。あと少しで京都に文化庁が移転してくるので、館内にはそういうWELCOMEの装飾がなされていた。

この「知の大冒険」むちゃくちゃ良かったのだ。やはり本物を見るという経験は貴重である。今回見させてもらった本物の主たるものを挙げると次のようになる。ハンムラビ法典、ヒエログラフ辞典、チベット大蔵経、三国志演義、史記、殿試策、リグ・ヴェーダ、ラーマーヤナ、ハディース、東方見聞録、ロビンソークルーソー漂流記、魏志倭人伝(二十一史 三国志 魏史 烏丸鮮卑東夷伝)、論語集解、万葉集、天正遣欧使節記、重訂解体新書…。
http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/mablog/%E7%AD%94%E6%A1%88%E2%91%A2.jpg
なかでも私が最も興味を惹かれたのが、殿試策。清代の1772年に行われた科挙の最後の試験(殿試)の答案。皇帝に自分の論策を上奏するカタチで、早朝から日没までに仕上げるという恐ろしい試験である。内容もだが、字も楷書で非の打ちどころがない美しさである。画像は撮影不可だったので、東洋文庫HPからの借用。(拡大可能)この殿試策を始め、中国の文献(魏志倭人伝なども)は当然漢文なので、何となく意味がわかるので、余計に楽しめる。実に意義深い展覧会だったのだ。教え子諸君に、入場料はちょっと高い(一般1400円/大高生900円)けれども是非見ておいてほしい展示である。4月9日までやっている。

2023年3月10日金曜日

山本七平 「南京百人斬」 

https://www.history.gr.jp/nanking/100.html
山本七平は青山学院大出身。学徒動員で将校としてフィリピンに行っており、「私の中の日本軍(上・下)」「一下級将校の見た帝国陸軍」という戦争三部作を書いている。私自身、山本七平の著作とは意識せず「一下級将校の見た帝国陸軍」は読んだ記憶がある。

ところで、「山本七平の思想」では、本多勝一の「中国の旅」でも有数のセンセーショナルな「南京での百人斬り」の話が出てくる。山本七平は、この百人斬りゲーム(実際には向井が89人、野田が78人)は、成り立たないと指摘、論争を続けた。状況的には、33kmを行軍しているが、8ないし9時間かかるはずで食事や休止時間を考えれば、90秒から130秒ごとに1人ずつ殺し続けた計算になる。これは信じられない、というわけだ。しかも日本刀の耐久性はない、ということを専門家の成瀬関次氏の著作を引いて論証している。

この他にも山本七平のフィリピンでの話が出てくるのだが、悲惨な話も多い。これは後に記すことになると思うのだが、キリスト者として特に軍の中での第三者的な違和感が強く現れているという著者の視点に同感である。

2023年3月9日木曜日

山本七平 「実体語と空体語」

併読していた「山本七平の思想」(東谷暁著:講談社現代新書)のエントリー。「日本教について」の中に、確定要素と不確定要素の悪しきバランスシート的発想法を「実体語」と「空体語」という言葉によって分析されている。甘い見通しのほうがどんどん重くなっていってしまうと、その分のバランスをとるために、非現実的な言葉だけが膨らんでいくという現象である。最もわかり易い例が、小室直樹との「日本教の社会学」という対談でとりあげた大併用戦争末期の「一億玉砕」という「空体語」である。無条件降伏という「実体語」に対してのこれ以上はない空体語。極限まで達したこのバランスは、支点を失い両方が落ち、実も空もない自然的虚脱状態になってしまった、というわけだ。企業においても、こういう状況はありえる。最近では中国の企業の倒産確実な状況や、イスラエルとイランの戦争前夜なども、実体語と空体語のバランスが見え隠れする。

空体語と実体語がバランスをとって人を社会学的に機能させている状態が「空気」だという山本七平の指摘は重要だ。

日本においても懸念するべきことが多い。ここ2・3年のC禍、Wについても、「空体語」と「実体語」のバランスが気にかかる。厚生省の官僚の接種率がかなり低いとか、高齢者を中心に、毎月死亡者数が戦後最大を記録しているという情報もある。

ダボス会議で食糧危機に対処するという理由で決定し、すでに日本でも補助金漬けで食品会社が混入しているというコ○○ギの粉末のことなど、マスコミは何も報道しない。そもそも農林省は、休耕地を増やし、飼育頭数を減らしている。小学生でもわかる矛盾である。ダボス会議に我々は専制的権力を与えた記憶はないのだが…。

民主主義はすでに、「空体語」となっているのではないか。経世済民も「空体語」となっているのではないか。そんな「空気」を感じざるを得ない。

2023年3月8日水曜日

サクラサク 嬉しいメール

https://twitter.com/chiikishakai
三崎高校のE君から、昨夜嬉しい卒業報告メールが届いた。甲信越の公立大学に合格したとのこと。彼は、神奈川県の出身で地域留学(三崎高校から見れば全国募集)で来た生徒だ。優秀でしかも温厚なオトナの性格。塾長の時は、これまでのこと、これからのことをかなり話し込んだ。それだけに、無事大学に合格できて本当によかったと思う。PBTの教え子・D大のL君同様、私は社会学を勧め、非常に興味を持ってくれ、その道を選んでくれた。これからは、社会学という広めのフィールドから社会科学を俯瞰する必要があると私は思っている。金融界や法曹界を目指さないのならば社会学が最も自由に集合知を組み立てることができると思っている。E君も新しい天地で新しい学びに精進っしてほしいと思っている。

ブルボン朝「曾孫から孫へ」

https://manabino-tsudoi.blog.ss-blog.jp/2017-02-13
ルイ14世の在位期間は72年。長いが故の悲劇もある。嫡男・グラン・ドーファン(王太子)は49歳で病没、王位継承権はそのの長男に移った。(次男は前述のようにスペイン王フェリペ5世になった。)ところがこの長男も29歳で天然痘で夭折。王位継承権は彼の幼い息子に移ったが、その翌年に病没。最終的にその次男(14世から見れば曾孫)が、たった5歳で、ルイ15世となる。14世の幼い15世への遺言は「戦争をしすぎるな。」…なんともはや、である。

世界史の教科書では、15世の記述は、たった1行。「外国貿易は急増したが、国王は政治的指導力にかけていた。」美王と呼ばれ、ポーランド王女の妃と11子をもうけ、公式寵姫のポンパドゥール(画像参照)に政治を任せた。(フリードリヒ大王に、墺・仏・露の三カ国の女性指導者が戦争仕掛けた=ペチコート作戦のフランス側主導者が彼女である。)15世は、玩具を与えられすぎた幼児が無気力になると同様で、天然痘で死ぬまで、求不得苦が全く無いという退屈で不思議な人生を送った。

ルイ15世も長生きしたゆえに、長子が36歳で病死、その長男は”出来杉君”だったのだが病死。次男も早くに亡くなり、三男がルイ16世となる。おどおどした性格で、美王の孫とは思えない見栄えの悪さだった。しかも帝王学など、書物で学んだだけだった。女狂いの15世以上に宮廷儀礼嫌いで、王の秘蹟(王に触れると病気が快癒するという民間信仰的儀礼。民衆と触れ合う唯一の機会)を中止してしまう。16世の人気の無さの遠因でもある。錠前づくりが趣味の16世については、フランス革命でいやというほど出てくるので割愛する。「ブルボン朝の12の物語」のエントリーはここまでとしたい。

絶対君主として、王位継承するのは幸せなのかどうか、そんなことを夢想してしまいますな。

2023年3月7日火曜日

ブルボン朝 「奇跡の子」

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少し前のプロイセン王朝のエントリーはかなり長くなってしまった。今度は同時に借りた「ブルボン朝の12の物語」(著者同)に移りたい。ブルボン朝については、さすがに西欧史の中心だけにプロイセンほど新鮮さはない。そこで、教科書には書かれていないような内容を、かいつまんでエントリーしようと思う。

ルイ13世の妃はスペイン・ハプスブルグ王家から来た美貌のアンヌである。しかしルイ13世は冷淡で二度目の流産を機に顧みなくなった。(フリードリヒ大王と同様の事情であったようだ。)リシュリューという有能な宰相に実権が移ると、スペイン・オーストリアのハプスブルグ家の勢力牽制に動く。三十年戦争でフランスがプロテスタント側についたのもそのためである。よって妃の立場は辛いものだった。そこにやってきたのが教皇特使のイタリア人、「人たらし」の才があったマザランである。この二人が愛し合っていたのは公然の秘密であった。1638年、国民は王妃懐妊のニュースに驚く。結婚して23年、最後の流産から17年。妊娠推定期間の前年12月は国王夫妻は共に避寒地にいた。マザランはイタリアにいた。アリバイ成立?未だに謎である。(当時はDNA鑑定など無いのだから)王は認めた。12月「奇跡の子」は元気に生まれた。後の太陽王・ルイ14世である。

ルイ14世はマザランから帝王学を授かり、11歳で初陣、公式行事における振る舞いを学び、自分が神から王権を授かった「選ばれし者」の認識を確固たるものにしていく。マザランは、ルイ14世23歳、独り立ちの絶好のタイミングで、ウェストファリア条約とピレネー条約による平和を残して死去した。

ルイ14世の妃は、マリア・テレサ。三十年戦争後のピレネー条約で、勝ったフランスはスペインに賠償金を要求しないが、妃の持参金でよいとした。さらに生まれた子供にはスペインの王位継承権はない、という「契約」であった。妃は地味な人物で、結局三男三女を生むが、育ったのは長子だけで寂しく44歳で死去する。この妃は、死後17年目にフランスに大きなプレゼントをする。結婚の際に契約した持参金(=賠償金のかわり)をスペインは支払っていなかった。したがって、契約は無効。ルイ14世は、世継がないまま死んだスペイン王・カルロス2世の後継に、長子の次男をフェリペ5世として送り込むことになる。もちろん13年にわたるスペイン継承戦争が終わってからだが、スペイン・ブルボン家の誕生である。

2023年3月6日月曜日

春は展覧会だと思う。

大山崎の美術館のレストハウスには、関西の美術館のパンフがいっぱいあったので持ち帰ってきた。妻とどこにいこうかと相談するのもまた楽しい。(笑)

まず最初に決まったのが、横尾忠則現代美術館の「満満腹腹満腹」展。これまでの企画展をダイジェストで振り返るという展覧会。2人共高校時代から親しんできた横尾忠則を見なければということで、一致したのだった。兵庫県立美術館も近くにあるのだが、もうひとつ属性のある展覧会ではない。5月7日まであるので、もう少し様子を見ようと思う。神戸には、ハラールの食品店もあるので北野町まで行くことになるかもしれない。

3月26日までだが、京都の美術館「えき」で行われている「ミュシャ展」も、学園の成績処理が終わったら行こうということになった。アール・ヌーヴォーの代表的作家である。妻に言わせれば、子供の頃、このミュシャのカードが入ったチョコレートがあって、ずいぶん集めていたんだとか。たしかにいい。この展覧会に合わせていくとすれば、京都文化博物館の「知の大冒険展」か。アジア最大級の研究図書館・東洋文庫の展覧会である。京都の大丸と高島屋でも面白い展示会がある。3月8日から3月20日までの「三丁目の夕日と鎌倉ものがたり展」と15日から27日の「知られざる文具アートの世界展」も面白そうだ。うまく組み合わせることができるかな。

ところで、行けるかどうかわからないのだが、3月4日から26日まで三木市立堀光美術館で開催されている「THE CATS 山田貴裕展」のパンフが最もインパクトがあった。「フェルメール猫」いいなあ。神戸電鉄で学園とは繋がっているけれど、三木市は明石市の北にある。かなり遠い。うーん。

2023年3月5日日曜日

黒田辰秋展 大山崎へ

https://www.asahibeer-oyamazaki.com/
(昨日のエントリーの続きである。)JR茨木駅からJR山崎へ2駅の移動。アサヒビール大山崎山荘美術館で行われている「黒田辰秋展」を見に行ってきた。妻が京都銀行で偶然パンフレットを発見したのだ。黒田辰秋は我々夫婦にとって、高校の同級生であった親友K君の師匠なのである。K君が入門したのは黒田師のまさに晩年で伏見の工房で教えを受けていた。その親友も我々がマレーシアにいた時に他界してしまった。そんなわけで、親友への鎮魂の意味も込めて、是非とも行かねばなならないわけだ。

大山崎というと、サントリーが連想されるのだが、この美術館はアサヒビールの所有。名前の通り、山の上にある。かなりの坂道を登る。毎日登っている学園の坂よりきつかった。

黒田辰秋師は、木工芸の世界で人間国宝だった人だ。ポスターにあるように貝を使った「螺鈿」が素晴らしい。その製法については、K君によく聞いているので、膨大な手間がかかる。漆の技法も同様である。シンプルな茶器などは、K君が自宅でつくっていたのと全く同じデザインであった。(当然K君が模倣したにちがいない。)夫婦で懐かしがった。

この美術館は、木津川、宇治川、桂川が合流し、淀川となる地点の北側にある。バルコニーからその様子が眺められる。風光明媚な位置にある。同時に、阪急、JR、京阪、そして新幹線が走っている。季節がもう少しよければと思う。

ありがたいことに、美術館に入る前にレストハウスがあり、無料のロッカーがあった。重い「哲学事典」を持って展覧会を見ずに済んだのだった。(笑)

2023年3月4日土曜日

路線バスで高槻市へ

妻が6月に高槻市で行われる「狂言」のチケット予約ができたと喜んでいた。面白そうなので、もちろん私も行くのだが、事前に場所を確認する目的もあって、最寄り駅から京阪枚方市駅、さらに阪急高槻駅へと路線バスを乗り継いでチケットの料金を支払いに行ってきた。

本年度の2年生の授業も昨日で終了(試験前だし、かなり盛り上がった。笑)したし、学年末考査も印刷して収めてきた。今日は、少しリラックスして遠足気分で行ってきたのだ。公演が行われるのは、高槻城公園の近くである。私は近代以前の日本史に関してはあまり関心がないのだが、高山右近の名前くらいは知っていた。調べてみると、織田から豊臣といった時代のキリシタン大名で、一時期高槻城主だったようだ。最終的に禁令が出て、すべてを捨てマニラに渡航、そこで病没している。ゆかりのマニラの教会を模したカトリック教会と高山右近の像が公演会場の側に立っていた。まさしく遠足の趣である。

その後、JR高槻駅方面に歩いた。本日のもうひとつのイベントのためであるが、途中古本屋の前を通った。私は、そこに平凡社の「哲学事典」があることに気づいた。古そうなのでいくらくらいだろうかと興味本位で入ってみた。背には「奥付欠けとあり、2100とも300とも取れる漢数字が書かれていた。(画像参照)店主のおじいさんに聞いてみた。「これはいくらですか?」すると過去に2000円と記したメモが挟まっていた。私は、「もし300円なら買いますよ。」と言った。おそらく、この客を逃したら、この本は永遠に売れまいと、店主は直感したようだ。結局、「うん、300円でいいですよ。」ということになったので3コインで定価4800円(奥付がないので発行された年月日はわからない)の事典をゲットしたのだった。瓢箪からコマというか、遠足の途中で、無茶苦茶重い「哲学事典」を持って歩くことになったのだった。(笑)

2023年3月3日金曜日

WBC 大谷もヌートバーも合流

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/
03/03/gazo/20230303s00001004529000p.htm
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私はWBCをかなり楽しみにしている。毎日You Tubeで最新情報を確認しているのだが、米国キャンプで調整を続け、藤浪と投げあった大谷翔平選手も、母方が日系のヌートバー選手も来日し、名古屋で共に練習したようだ。大谷選手はもちろん、私はヌートバー選手にも大いに期待している。宮崎キャンプで、チームはダルビッシュ選手を中心に、いい雰囲気で固まっているようで、うまく溶け込んでほしい。

https://www.sanspo.com/article/20230303-WJ6ANQFEPBN6TABPRVSRPNMEPY/photo/IP5KGRTNFZMC5EVU74OILYC4QM/
ヌートバー選手のミドルネームが「タツジ」なので、歓迎の意を込めて、日の丸と星条旗をあしらい、「たっちゃん」Tシャツで今日は全員が練習。しかもヌートバー選手にはダルビッシュがついてキャッチボールしていたので、あまり心配していないが…。

それより韓国の選手が、大谷に死球をあてるなどとほざいて、韓国球界OBに怒られ、謝罪したなどという報道がなされている。ほんと、ろくでもない奴だ。サッカーもひどいが、野球もWBCから外してもいいのではないかと思う。こういう分別のない奴が国を代表するという事実が隣国を表しているとしか言えない。スポーツをやる資格すらない。本人もチームもWBCを辞退せよ。私はかなり怒っているぞ。

2023年3月2日木曜日

1888年「三皇帝の年」

http://www.ken-22sekais
hi.com/huusiga109.html
1888年ヴィルヘルム1世は、崩御の前日もビスマルクと軍拡法案について話あっている。その際「孫が皇帝になったら補佐を」と改めて頼んだ。何故孫だったか?息子の56歳の皇太子は咽頭がんで長くないと思われていたのである。実際フリードリヒ3世の在位は3ヶ月。戴冠式も行われていない。長子のヴィルヘルム2世が帝位についた。こうして、1888年は、3人の皇帝が在位するという年となった。

このヴィルヘルム2世は、ラストエンペラーであることは世界史を学んだ者なら当然知っている話である。この父・フリードリヒ3世は皇太子時代は国民的人気があった。自由主義に傾倒し、恋愛結婚に近い婚姻だった。しかしイギリスから来た妃は「イギリス女」と呼ばれ、国民人気は全くなかった。夫婦仲はよかったののだが、この妃と長子・後のヴィルヘルム2世は仲が悪かった。なぜなら、彼には左腕がほとんど利かないという肉体的ハンデがあったのである。逆子で生んだ母は、あらゆる苦痛を伴う医学的治療を行い改善しなかったので、今度はスパルタ教育を施し、姿勢の矯正から乗馬、(特殊な銃ではあるが)射撃など帝王学修得と並行して訓練を課した。それ故の憎悪が生まれていたのだ。青年期を迎えた息子を母は「謙虚さも善意もなく傲慢でエゴイストだ」と言い放った。敵の敵は味方である。イギリス風立憲主義を夢見ていた両親ではなく、祖父のヴィルヘルム1世に接近し、祖父は、ハンデを精神力で乗り越えたという(多分にプロイセン的な)理由でことのほか可愛がっていたのだ。

国民に圧倒的人気があったビスマルクが解任されるのは、1年9ヶ月後。ルール炭田のストライキへの対応で若い皇帝は貧しい者の味方だと示すためであった。この頃にはビスマルクは、皇帝の弱点を見抜き、将来を不安視していた。一流は一流を知るが、二流の人間に一流の力量はわからない。画像は、「水先案内人の下船」というビスマルク退任時の風刺画である。

2023年3月1日水曜日

ビスマルクの時代

https://sekainorekisi.com/glossary/
「プロイセン王家12の物語」の書評第5回目 。ユンカー出身のビスマルクは、骨の髄まで反革命・王権維持派で、フランクフルト議会のプロイセン代表(代議士)から宰相に任命された。小ドイツ主義による統一というのが、ビスマルクとヴィルヘルム1世の共通目標で、65歳の老王と47歳の宰相の二人三脚がスタートする。意外に対立することも多かったのだが、老王の崩御までこの絆は崩れなかった。

「政治上の腕試し」と言っていたデンマーク戦争に勝利し、次はオーストリアである。普墺戦争の一ヶ月前にビスマルクが暗殺未遂に合う。犯人はビスマルクに組み伏せられ手首をひねられてしまった。普墺戦争も同様であった。わずか7週間で終わった。オーストリアは、この後支配下にあったハンガリーを王国として独立させ、同君連合とした。ハプスブルグ家はまだまだ滅びない。一方、プロイセンは22の諸邦と北ドイツ連邦を結成、連邦主席にヴィルヘルム1世、宰相にビスマルクがつく。バイエルン王国、ヴュルテンベルグ王国、ヘッセン大公国など南部のカトリック国は、棄教させられるのではと考えていたようだが、ビスマルクにはそんな考えはなく杞憂だった。この南部諸国が、ルター派のプロイセンより嫌っていたのがフランス(ナポレオン3世の時代)であった。次の狙いはフランスで、いわゆる普仏戦争である。そのきっかけは、スペインの空位になった王座に、ホーエンツォレルン家の傍系の公子が候補にあがり(ビスマルクの工作らしい)、フランスが猛然と抗議してきた。辞退をしたが、フランス大使が図に乗って、「二度とホーエンツォレルン家からスペイン王家の後継者候補を出さない。」という念書をとりにきたのである。ヴィルヘルム1世からこの件について受け取った電報をすこし書き換え、いかにも王の憤激、そしてフランスの傲岸さの現れとして新聞に載せたビスマルクは、両者の国民を見事に焚き付け、対立を煽った。(=エムス電報事件)外交の魔術師の面目躍如である。その数日後、フランスは宣戦布告してきた。

プロイセンは、事前に観光客を装い、フランス各地の戦場となるような地を調査していた。準備万全である。初戦(小さな局地戦)はフランスが勝利したが、後はプロイセンの驀進に次次ぐ驀進。兵器の性能もそうだが、仏軍の紺色の上着と赤いズボンは格好の標的となった。6週間で追い詰めたプロイセン軍はセダン要塞に立てこもったナポレオン3世を1日半で降伏させた。仏の側近は「ここで討ち死になされば帝政は守れます。」と進言した。パリで留守を預かっていた妃は(捕縛の報を受けて)「嘘です。夫は戦士したはずです。」と叫んだらしい。結局、妃と皇太子は亡命、(ナポレオン3世も亡命)第二帝政は崩壊した。

1871年、ベルサイユ宮殿・鏡の間でドイツ帝国皇帝即位式を行うことになる。(画像参照)ドイツの第一帝国は神聖ローマ帝国、第二帝国はこのヴィルヘルム1世の帝国、第三はナチの帝国、今はEUの経済的盟主で第四帝国などと呼ばれている。この帝国即位式にあたって、ビスマルクは、各王国、大公国、公国の推戴であるということを重視し、事前協議にに励んだ。やはりこの辺が大政治家であるわけだ。ちなみに、この即位式ではヴィルヘルム1世は不機嫌だったらしい。

年老いてからプロイセン王になり、ドイツ帝国皇帝にのぼり詰めてもなお、ヴィルヘルム1世にはメンタル面で闇の部分があった。若い頃、相思相愛だったポーランド・リトアニアの公女だった6歳下のエリザとの結婚を望んでいたのだが、エリザの父方の祖先に問題がありプロイセン推定相続人の妃とはできないという話になり、一時はロマノフ家の養女としてから結婚という話も出たのだが、結局破談した。その後エリザは若くして(母・ルイーゼと同様に)急逝する。皇帝となった後も死ぬまで机の上には、エリザのミニチュア肖像を飾っていたという。

卒業式LIVEを見る。

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三崎高校の卒業式のLIVEを初めから終わりまで見せてもらった。三崎も晴天だったようで良かった。全校で6クラス体制、しかも在校生も全員参加して、という分校化とコロナ禍を乗り越えての意義深い卒業式だった。卒業生の入退場も間隔が広く、一人ひとりゆっくりと顔を見ることが出来た。ありがたい。何より嬉しかったのは、昨年度地理Bを教えた理系の3人が全員表彰されたことである。学業で、生徒会や地域貢献で、部活で頑張ってくれた証である。全ての3年生に…卒業おめでとう。…これ以上は何も書くまい。

超難関国立大 世界史問題

https://jp.123rf.com/photo_58553032
ずっと関わってきた首都圏の超難関国立大の世界史の問題を、昨日卒業式後に聞いた。なんと第2問はアフリカの問題で、モザンビークとジンバブエのOAU参加が遅れた理由についてだった。これを検討するのは何の意味もなさそうだけれど、私個人の「学び」としてエントリーしておきたい。ものすごく簡単にいってしまうと、ポルトガルを宗主国とするモザンビークは、ポルトガルがなかなか植民地全体を手放さなかったので独立が遅れたこと、その後の内戦もあってさらに遅れたのではと受験生だった生徒に伝えた。ジンバブエもローデシアとして南ア同様の白人支配が続き、ムガベが政権をとったけれど遅れたのではないかと、あまり正確でない回答をしたのだが、果たして合っているだろうか。

OAUは現在のAUの前身で、1963年に設立されている。1960年が「アフリカの年」で各地で独立が相次いだ。前述のようにモザンビークが独立したのが1975年。内戦が終了したのが1992年。ジンバブエの白人政権崩壊が1980年である。大まかに言って、私の直感的回答は正しかったようだ。ここに、モザンビークではソ連の社会主義路線、ジンバブエでは南アのアパルトヘイト政策などが絡むはず。(モザンビークもジンバブエも近隣の大国・南アとの関係を抜きには語れない。)いろいろ(日本語の検索のみ)調べたが、この両国のOAU参加年はわからなかった。1991年にアパルトヘイトが廃止宣言されたのが1991年。このような関連性の中で回答を構成していくことになるのではないか、と思う。まあ、大まかには合っていると思う。それにしても、私の大嫌いな年号は受験では大切であることを再認識した次第。