2023年3月12日日曜日

山本七平 日本資本主義の精神

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「山本七平の思想」のエントリーを続ける。1979年、七平は「日本資本主義の精神」を出した。M・ウェーバーを彷彿とさせるタイトルだが、ここでまず論じられたのは、石田梅岩(右記画像)の「石門心学」であった。(石田梅岩の心学は倫理の教科書にも登場する。共通テストは梅岩が比較的好きなようで、よく出てくる。)梅岩の思想の核となるのは、「心」すなわち内心の秩序と、天然・自然の秩序は同一であるということで、上下関係に見える武士、農民、職人、商人には共通した「道」があり、この道に従って生きていくことが心と自然の秩序にかなっているということである。倫理の教科書では、町民の思想というカテゴリーに入れられている。商人は他の身分同様に社会秩序の中で十分な存在意義があり、その規範は「倹約」「奉仕」であると説いている。この梅岩の士農工商は身分ではなく職分であるという思想の、先駆者が、「世法則仏法」を著した鈴木正三である。七平は、正三についても詳しく言及している。

ここでも七平は、宗教的な考察から始めている。鈴木正三は禅宗であった。梅岩は禅宗嫌いであったが理屈者で前述の「道」にたどりついている。面白いのは、M・ウェーバーも、資本主義とプロテスタントの関係を研究した後に、カトリックや他の宗教(儒教や大乗仏教など)との関係を検討したらしいが、当時のドイツの資料収集の限界もあり中断されたらしい。

七平は、江戸期の「藩」に注目した。「藩」の中に企業の原型を見ている。機能集団と共同体の一致が見られるからである。日本社会は、欧米のような契約社会ではなく、話し合いによって組み立てられている。それは内側にいる人達をウチと見なし、外側にいる人々をソトと見なす差別する社会でもある。こういうウチの家族的な思考は、たしかに儒教の忠孝の影響下にあるが、孟子の易姓革命思想のような天から見放された主君は見捨てて良いということは、日本ではない。また「血縁」で作り上げた家族主義かというと、養子縁組で家を守るが、血には拘らない。非中国的な日本独自のものである。藩はまさにそうした擬似的血縁によって成立した家族集団であり、日本資本主義の萌芽であるというのだ。上杉鷹山の米沢藩の改革を例に上げ、藩存続のためには、(石門心学的な)官民一体の経済活動が欠かせない。この経済活動を主導する者には無私の公共性が要求され、さらにコミュニティ的な要素がその活動を活発にする。こういう精神が日本資本主義につながるというわけだ。

…なかなか面白い。今回のWBC日本代表もこういう思想で貫かれている気がする。ダルビッシュは、チームのリーダーとして早めに来日した。シーズンのことを考えれば、かなりの勇断である。無私の姿勢が共感を生んでいる。(本番前の阪神との強化試合の後の全員で臨んだ焼肉パーティーも、ダルと大谷が出したらしい。)大谷と(養子縁組の)ヌートバーが遅れて来日した。ヌートバーを迎えた全員のたっちゃんTシャツ。ヌートバーを支える大谷。もちろん、スキルの凄さも実際に見せながら2人は溶け込み、ヌートバーのペッパーミル・パフォーマンスを皆がするようにまでなった。コミュニティ的逸話満載である。万が一、栗山監督に作戦ミスがあっても、「君、君たらずとも、臣、臣たらざるべからず」メンバーはそれに不服は言わないだろう。

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