2023年3月19日日曜日

イスラムと国民国家の論議

エントリーの内容とは関係なく、学園に咲く「花水木」
「おどろきのウクライナ」(大澤真幸&橋爪大三郎:集英社新書)は、5章立てになっている。2人の社会学者が対談したものを時系列を追って収録されている。まずは、第1章「アフガニスタンとアメリカの凋落」である。タイトルの”ウクライナ”の戦争以前に行われた対談(2021年9月)である。ちょうど、アメリカのアフガン撤退があり、タリバンが復権を果たした時期である。橋爪氏は、まず中田考氏の「タリバン 復権の真実」(今日、アマゾンに注文した。)の内容を挙げている。『現在では、アフガニスタン国民という意識も生まれているが、国民に意識は弱く、エスニック集団ごとに言語も生活習慣も違い、エスニック集団の中でも部族の族長が権威を持つ部族社会である。(中略)アフガニスタンはパシュトゥーン人の国であるが、パシュトゥーン人はアフガニスタンだけに集住しているわけではなく、パキスタンにもほぼ同じ規模の千数百万人のパシュトゥーン人が存在する。(中略)「タリバン」はパシュトゥーン人の運動として始まったのであるが、タリバンがパシュトゥーン人の運動を超えて他のエスニック集団の部族長たちの調略に成功したことが今回のタリバンの復活の根本要因である。』大澤氏も、今回のタリバン復活の原因については、中東専門家の酒井啓子氏の主張する、宗教ではなく、政治的なものとする意見に同意している。

橋爪氏は、アメリカを始めとする西側諸国には、「西側バイアス」があるのではないかと言う。キリスト教圏の人々が当然想定することがいくつかある。まずネイション(国民国家)があるのが当たり前。ネイションに支持された正当な政府がひとつあるのが当たり前。その統治権力に反対するのは、反政府でもテロリストでも正しくないのが当たり前で、打倒されて当たり前。中田氏の指摘通り、アフガニスタンにはネイションは存在しない。この西側バイアスで中東を見ると、ネイションがあるようにみえるのはイランと強いていえばエジプトと例外的なトルコくらい。ネイションになっていない原因はイスラムにあるのではないのか。イスラムは、民族を超え、言語を超え、地域や文化や歴史を超えており、一つの政治的団結(カリフによる統一)が正しいという強固な信念があるが、今やカリフは存在しない。この原理で見ると、各国政府は、地方政権にすぎないし、自らを正当化できない。反政府勢力は同等に見える。どちらが正しいのかイスラム的に決められない、これがイスラム圏の政治的不安定の根本原因である。

なぜ、イスラム圏でネイションができないのか。橋爪氏は、ネイションを(キリスト教の)教会が世俗化したもので、団体・法人と捉える。(社会契約説の)ホッブズの影響下に、教会を真似した政治をするための法人が生まれた。ところが、イスラムでは、法人は存在してはいけない。アッラーがつくらなかったからである。一種の偶像崇拝である。イスラムの人々も困っていると思う。なければいけないものが存在できない。植民地から独立する時に、法人として認められなければ独立できないから、一瞬ナショナリズムにはなり国際社会に加入し、ネイションとして横並びになったものの、中身がない。ナショナリズムは今は用済みで、ないほうがいい、という状態だと思うとのこと。

…私が感じた第1章の重大なポイントは以上である。イスラムではネイションができないという理論は、中東ではないマレーシアには当てはまらない。スンニ派だけでも4つある法学派の違いの影響もあるかもしれないし、ほぼ直接的にイギリスの植民地支配を受け、独立時の指導層がネイション的素地を持っていたが故かもしれない。マレーシアにいる時、「国家と対峙するイスラーム」(潮崎悠輝)を読んで、勉強したが、このあたりの論議は非常に興味深い。中田考氏の本が来てからもう少し深めたいところである。

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