2023年3月7日火曜日

ブルボン朝 「奇跡の子」

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少し前のプロイセン王朝のエントリーはかなり長くなってしまった。今度は同時に借りた「ブルボン朝の12の物語」(著者同)に移りたい。ブルボン朝については、さすがに西欧史の中心だけにプロイセンほど新鮮さはない。そこで、教科書には書かれていないような内容を、かいつまんでエントリーしようと思う。

ルイ13世の妃はスペイン・ハプスブルグ王家から来た美貌のアンヌである。しかしルイ13世は冷淡で二度目の流産を機に顧みなくなった。(フリードリヒ大王と同様の事情であったようだ。)リシュリューという有能な宰相に実権が移ると、スペイン・オーストリアのハプスブルグ家の勢力牽制に動く。三十年戦争でフランスがプロテスタント側についたのもそのためである。よって妃の立場は辛いものだった。そこにやってきたのが教皇特使のイタリア人、「人たらし」の才があったマザランである。この二人が愛し合っていたのは公然の秘密であった。1638年、国民は王妃懐妊のニュースに驚く。結婚して23年、最後の流産から17年。妊娠推定期間の前年12月は国王夫妻は共に避寒地にいた。マザランはイタリアにいた。アリバイ成立?未だに謎である。(当時はDNA鑑定など無いのだから)王は認めた。12月「奇跡の子」は元気に生まれた。後の太陽王・ルイ14世である。

ルイ14世はマザランから帝王学を授かり、11歳で初陣、公式行事における振る舞いを学び、自分が神から王権を授かった「選ばれし者」の認識を確固たるものにしていく。マザランは、ルイ14世23歳、独り立ちの絶好のタイミングで、ウェストファリア条約とピレネー条約による平和を残して死去した。

ルイ14世の妃は、マリア・テレサ。三十年戦争後のピレネー条約で、勝ったフランスはスペインに賠償金を要求しないが、妃の持参金でよいとした。さらに生まれた子供にはスペインの王位継承権はない、という「契約」であった。妃は地味な人物で、結局三男三女を生むが、育ったのは長子だけで寂しく44歳で死去する。この妃は、死後17年目にフランスに大きなプレゼントをする。結婚の際に契約した持参金(=賠償金のかわり)をスペインは支払っていなかった。したがって、契約は無効。ルイ14世は、世継がないまま死んだスペイン王・カルロス2世の後継に、長子の次男をフェリペ5世として送り込むことになる。もちろん13年にわたるスペイン継承戦争が終わってからだが、スペイン・ブルボン家の誕生である。

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