2015年2月28日土曜日

昭和天皇 第六部 読後メモ(3)

大西瀧治郎中将
昭和天皇第六部 聖断(福田和也著/文春文庫2月10日発行)の読後メモの続続編である。最後に昭和天皇のエピソードを中心に残しておきたい。このあたりの昭和天皇の動きは、東京裁判における天皇の戦争犯罪と大きく関わる話なので、すでに何冊か読んでいる。明治天皇の背中を常に見ていた昭和天皇は、立憲君主として私心を極力抑制していたことは疑いようがない。天皇の心情は、君主として日本を守ること、国民の幸福を守ることだけであったと言っていよいと私は思っている。ただ、輔弼する人材の能力が明治期に比べ、著しく低下していたとしか言えない。昭和天皇ご自身は、極めて几帳面な性格で、様々な細かいことにまで気を使われていたことがこの第六部でも顕著である。

東條の独裁が進む時勢の中、「閣議を宮中で行いたい。」と述べたとき、昭和天皇は東條の内奏を最後まで聞かず、「原内閣の時代から現在の形になった。その理由を調査してから検討するよう。」と言われたという。これまでは内奏を最後まで聞くのが昭和天皇の内奏を受ける際のスタイルであった。さらに、東條は首相、陸相、軍需相を兼務し、参謀総長も兼務したいと言い出す。この時、しばらく黙った後、退出させている。木戸内大臣に「この兼務が統帥の独立に影響しないか」と聞いている。…だが、結局全体の意見に流されていった。昭和天皇は、自らの私的な意見を言ってはならない、と強く自戒されていた。この内奏を止めた件や黙って退出させた行為から、輔弼する人間は君主の意を汲み取らねばなないわけだ。絶対的権力を憲法で保証されていながら、使わない。この奇妙なスタンスが、明治以降の国体の実相である。

敗色が濃厚になった頃、侍従武官長が召された。昭和天皇が「昨今(海軍トップの)軍令部総長、(陸軍トップの)参謀総長の順に拝謁があり、常に(天皇は軍令部総長に合わせて)海軍様式の軍装にて参謀総長に拝謁しているが、これはさしつかえないか。」と聞かれたという。天皇が海軍の軍装ゆえに、参謀総長も海軍の軍装を着なければならないことを気にされているわけだ。その扱いに不公平があってはならないと心配されていたわけだ。国家存亡の危機にあるのに、天皇が細かい話で、「小心」な話だと侍従武官長は感じたとある。…私の見方は少し違う。昭和天皇の立場は、、常に完全に公平でなければならないという孤独な立場であったと思うのだ。たとえ、どんな場合でも、公平でなくてはならないというのは、どれだけのストレスなのか、想像すらできない。

後に神風と呼ばれる作戦が初めて行われたのはレイテ沖の空母を狙ったものだった。軍令部総長からその報告を聞き、昭和天皇は鎮痛の面持ちで「そのようにまでせねばならなかったのか…。」口を噤まれた後に、やっとのことで声にした。「しかし、よくやった。」

この天皇の言葉は各地の前線基地に打電された。この特攻を発案した海軍きっての豪傑といわれた大西瀧治郎中将は、悄然とする。「陛下はお怒りなのだ。指揮官としての俺を叱っておられる。なんという愚かな醜い戦法を採用したのだと。」そして心身を全てを震わせるように恐縮して「激しいお怒りを受けたのだ、陛下の赤子に、何という非常の行為を強いたのだ、と。」…この大西中将の恐縮は、当時の軍指導部の輔弼能力のなさを窺い知る好材料である、と思う。

…昭和天皇は、本土決戦の準備を進める陸軍の装備(どんな武器で戦うのか)を何度も確認しようとされた。それは、軍備もないのにいたずらに国民を死に追いやるのかというメッセージである。こういうことが分からない人間が国を動かしていたのだ。昭和天皇の孤独と苦衷は、想像を絶するものであったに違いない。

2015年2月26日木曜日

昭和天皇 第六部 読後メモ(2)

http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-3566.html
昭和天皇第六部 聖断(福田和也著/文春文庫2月10日発行)の読後メモの続編である。他国のエピソードを中心に残しておきたい。

フィリピンに再上陸したマッカーサーは、すぐに移動ラジオ局のマイクの前に立ち演説を始める。まだすぐそばで戦闘が行われているというのに、である。「私は帰ってきた。約束通り、神のご加護を得て私は帰ってきた。今、私は、フィリピンとアメリカ、両国の勇士たちの血で清められた、この土を踏んでいる。…」演説が終わった時、海岸には狙撃兵の偵察隊しか残っていなかったという。…このアメリカの、上陸作戦中にラジオ放送を流すという戦略、到底日本がかなう相手ではないことがよくわかる。

ルーズヴェルトとチャーチルは、スターリンを「アンクル・ジョー」というあだ名で呼んでいた。連合国三カ国の首脳会談はテヘランで第一回が開かれた。第二回をどこでするか、スターリンに対して米英は、アテネ、キプロス、サロニカ、イスタンブール、エレサレム、ローマ、マルタなどを提案されたが、黒海よりと遠くに行けないとして、オデッサを提案、その後、体調を崩していた大統領の医師団の反対を受け、ヤルタに譲歩した。米代表団の宿舎はニコライ2世の宮殿。ここにスターリンは貨車2台分のキャビアを届けた。英代表団の宿舎は立派な庭園のあるボロンツォフ館。スターリンは、その間に位置するコレイス館(ラスプーチンを暗殺したユスポフ公の館)に陣取った。米英の行き来を監視するためである。…このあたりがスターリンらしいところだ。

ヒトラーの自殺方法は、自らの口を拳銃で撃ち抜いたらしい。直前に結婚式を挙げたエバ・ブラウンはカプセルを飲んだようだ。そのカプセルは愛犬のアルザス犬ブロンディに与えると口に含んだ途端に硬直し即死したというものだ。…ムッソリーニの遺体がミラノで恥ずかしめを受けたことを受けて、自らの遺体を消し去るように指示したわけだ。

2015年2月25日水曜日

礼服と万年筆とSpeak up

アマゾンでキャンセルした万年筆
いよいよ卒業式が近づいてきた。入試の仕事の合間に、皆勤賞や精勤賞の賞状を用意したり、教室を見に行ったり、通知表を印刷したりと、最後のクラスの仕事もしている。

先日、ふと、礼服が気になった。妻に用意してもらって着てみると全然上下とも入らない。こんなに太ったのかと衝撃を受けた。妻も「貸衣装にせなあかんなあ。だいたい太りすぎなんや。」とボロクソである。ふと、妻が白ネクタイがないことに気づいた。「あ、これ息子のや。」…息子は痩せている。入るわけない。あらためて、礼服が出てきた。うん、ばっちりである。ちょっとキツめだが…。

ところで、卒業証書を渡しながら一人ひとりに、コメントしようと思ったのだが、莫大な時間がかかってしまいそうだし、通知表にコメントを書く事にした。通常、ボールペンを私は使っているのだが、特別なコメントだし、是非とも万年筆を使いたいと思った。それで、アマゾンで先日注文したのだが、間に合わないのでキャンセルしてしまった。結局、今日京橋まで出て購入したのだった。万年筆を使うのは中学以来だから、えーと何年ぶりなのだろう。(笑)

通知表のコメントの際、ある生徒に使いたいコトバがある。先日日経の「私の履歴書」で日揮の重久さんが書いていた”Speak Up”である。これは、重久さんによると独自の語彙(英語の先生と後で調べたらジーニアスには載っていた。)で、積極的に外国人に話しかける、という意味である。楽天的に、どんどん話していくことで、会話力は磨かれる。その自信がきっとその生徒をさらに成長させていくことになるだろうと思うのだ。

2015年2月24日火曜日

スーダンのドクター・カー

番組HPより
テレビ大阪で、沖縄のベンチャーIT企業が中心になって、スーダンで「ドクター・カー」を寄贈、地方の無医村を回っているという番組(日経スペシャル ガイアの夜明け)を見た。このプロジェクトを進めている企業の社長は、高校時代から日本に留学してきたスリランカ人の方だ。開発途上国では、医者の数も診療所の数も少ない。まして地方においておやである。

そこで、必要な日本の先端的な医療機器、特に血液検査の機材などを積み込んだ移動診療所として、救急車型の車を使っている。マラリアもすぐわかる仕組みだ。もちろん現地の医師が巡回している。

さらなる発展を目指して、何度もスリランカ人の社長はスーダンを訪れる。もっと広い空間で診療するためにトラック型に変えたり、さらに都市にいる専門医とドクター・カーを結ぶ通信システムも開発している。ドクター・カーで作成した電子カルテをもとに、直接専門医の意見を聞けるわけだ。しかも次に同じ患者が来たときは問診の時間が省ける。

アフリカといえど、携帯電話の普及で通信状態は問題ない。このドクター・カーというシステム、凄いな、と思った次第。是非、他のアフリカ諸国にも広げて欲しいものだ。

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/

昭和天皇 第六部 読後メモ

昭和天皇第六部 聖断(福田和也著/文春文庫2月10日発行)を読み終えた。今回は、太平洋戦争・開戦から終戦までのドキュメントである。今回も、読後メモとして教材となるエピソードを残しておきたいと思う。

大宅壮一は、開戦直後インドネシアに陸軍宣伝班として二年間ジャワで活躍した。とはいえ、大宅はジャワ人に「大きな家を探してこい」という命令を下している。すると、小さな小屋に案内された。中には大きな馬が2頭いた。大宅が怒鳴ると、ジャワ人は馬を指さした。発音が悪かったので、HOUSEをHORSEと聞き間違えたらしい。苦笑いをしていると川沿いに大きな屋敷があり、イギリス総領事館だった。結局この屋敷を手に入れることになった。領事館の向かいには、「理学博士スカルノ」という表札が出ていたという。その後放送局・新聞社・通信社を摂取し、自由闊達に(つまりは日本統治の)宣伝活動を行ったという。この二年間を後に大宅は自分の生涯における最大のハイライト、メインイベントであると述べている。…大宅壮一とその時代にとってはそうなんだろうなあ、と改めて思う。私はあまり大宅壮一を大きく評価していない。

原爆開発に関して、イギリスも開発を進めていた。チャーチルはアメリカと共同開発することを主張し、カナダでウラニュームを入手可能とし、実験地もカナダでと言っている。もしカナダが渋ったら英国本土でも良いと腹をくくっていた。しかし、ルーズヴェルトが一分の迷いもなく実験場を(荒野や砂漠があるので)自国に設けることを主張したという。…イギリスの原爆開発については、あまり書かれていないので、こういう両国のやりとりがあったことを知った。

ガタルカナル島で認識されていた死期の日程表。立つことのできる人間は寿命30日、身体を起こして座れる人間は3週間。寝たきり起きられない人間は1週間。もの云わなくなった者は3日間。またたきしなくなった者は明日。…まさに太平洋戦争の悲惨さを象徴する話である。

当時の米海軍太平洋艦隊司令官ニミッツは山本五十六の行程を知っていてあえて撃墜死させる必要はないと考えていたが、駐在武官だったレイトンの「山本を葬る事の意義は大きなものです。天皇を別にすれば、山本ほど日本人の士気に影響を与える存在はないでしょう。」という進言を受け入れた。「ハルゼーやミッチャーは、真珠湾を自分たち自身への侮辱だと思っている。復讐の機会を与えてやろうじゃないか。」…

東條の独裁に反抗した中野正剛の死に様の話。「刀の切先が丸くて切れそうにない。(中略)そこで腹の方は軽く真似かたにして仕損じぬようにんやる。東向九拝、平静にして余裕綽々、自笑。俺は日本を見ながら成仏する。悲しんでくださるな。」そう記した遺書が残されていた。頚動脈を切断しての自害だった。…ちなみに、東條が東京裁判の被告として自害を試みて失敗する話は、2010年2月27日付ブログに詳しく書いている。

大東亜会議でのインドのボースのコトバ。このチャンドラ・ボースだけが熱狂的だった。「日本が、日本の軍隊がいかに素晴らしいことをしたか、どれだけの希望を作り出したかを。あなたたちは、日本人は教えてくれたのです。シンガポールで、香港で、ジャワで、サイゴンで、ビルまで、フィリピンで私たちは見ました。日本人が西洋人たちを、完膚なきまでに叩きのめした事を。そして私たちもまた、日本に学べば、力をつけ独立できる事を。白人の機嫌を伺い、目を伏せ、怯えてくさらないで済む事を。奴隷ではなく自分たちの人生の主人になれる事を教えてくれたのです。それがどれだけ素晴らしい事だったのか、それはあなたたちですら、長い時間をかけなければ理解できない事でしょう。」…日本の戦争への評価は様々だが、ボースの熱狂的な肯定も一つの見方であろうと思う。一方で東京裁判時のパール判事の判決とともに、インドの人々の日本を見る目は、他のアジア諸国とは少し違うと思うのだ。

アメリカの北京の陸軍武官スティルウェルは、蒋介石をピーナッツとあだ名をつけていた。カイロ会議の際、蒋介石はスターリンの反対をルーズヴェルトが押し切って四大国の指導者として招かれていた。当初、アメリカは中国をキリスト教化するとされていた蒋介石を熱狂的に支持していた。しかし、まったくの期待はずれに終わる。ルーズヴェルトのスティルウェルへのコトバ。「指導者、軍事司令官としての資質も乏しい。意思が弱く、気まぐれで、猜疑心が強すぎる。一国の指導者どころか、まともな国ならば連隊長ですらつとまらないだろう。」「それが何時になるかは解らないが、結局は共産主義者たちに彼は駆逐される事になるだろう。それは避けがたい運命のように、私には思われる。」…ルーズヴェルトの洞察は、するどい。私は、ルーズヴェルトは米大統領の中でも特に優秀な人であると思っている。

結局、昭和天皇の話はエントリーできなかった。続編をまたエントリーしたいと思う。

2015年2月22日日曜日

中田考氏の新刊新書を読む。2

http://mphot.exblog.jp/3594890/ レバノンのムスリム墓地
昨日のエントリーを続けたい。今日はイスラムの死生観についてである。イスラムでは、肉体と霊が分離した後、霊は墓の中で最後の審判まで寝ているのだという。最後の審判は、イスラムでは二本立てらしい。最終戦争で善の側イーサー(イエスのアラビア語名)とマフディー(メシア:救世主)の側が勝って正義の平和が実現するけれども、キリスト教の千年王国とちがい、この平和は長く続かない。その後天変地異が訪れて完全に世界が滅ぶ。この宇宙の全てのもの、天使も含めて死ぬそうだ。それらが蘇って最後の審判を受け、永遠の来世となるという。イスラムでは、善と悪のポイント制になっていてアッラーは慈悲深いので、天国の扉は広いそうだ。

イスラムは死体を傷つけない。だから臓器移植も許さない。普通の遺体は沐浴を施して体を清め、白い布で全身を覆う。両端をくくるので、納豆のような感じらしい。埋めるときは、遺体の頭をメッカの方角に向けるのだという。

ところで、殉教者、ジハードで死んだ者は、白い布もなく埋めるのだという。殉教者は最後の審判を待たず、その場から天国に直行するとクルアーン(コーラン)にあるのだ。ジハードには、「自分の弱い心を乗り越える」という大ジハードと武力による「イスラムの大義のための異教徒との戦争」があるそうだ。普通言われるジハードは後者を指す。なお、イスラム教同士の争いはジハードではないが、背教者との争いは可とされている。だから、民族の独立国益のための戦争はジハードではない。殉教という概念は、イスラム独自のものではない。キリスト教にもあるし、日本でも一向一揆の際に生まれた。ただ、現在イスラム過激派が行っている自爆テロは、イスラム法学的には許されないと中田氏は言う。まず、自殺はイスラムでは禁じられている。永遠に火獄で焼かれる大罪である。ジハードは、死ぬまで戦うのが基本。死ぬことを目的に行うのは間違っているというわけだ。

…イスラムの死生観は、ブティストの私としては、ずいぶん異質な感じをもってしまう。とはいえ、異文化理解の教材としては素晴らしいものだ。

2015年2月21日土曜日

中田考氏の新刊新書を読む。

前から楽しみにしていた中田考氏の新刊(イスラーム 生と死と聖戦・集英社新書 2月17日発行)が出た。早速一読した。ノートにメモしながら読んだのだが、かなりの量になった。少し読書ノートの内容をエントリーしたい。

インシャーアッラー(神がそう望み給うなら)の真の意味について。ムスリムが、なにかと話の最後につけるこのコトバは、中田氏によると謙譲の美徳なんだそうだ。日本人の感覚からすると、例えば、「来週また会いましょう。」「はい。神がそう望み給うなら。」そう言われれば思わずムカッとくる。本来の意味は、「自分としては出来る範囲で全力を尽くすが、人間の力の及ばないことについては神様の思し召し次第なので神様のお力添えを願う。」となるそうだ。…なるほど。次から授業の時はそう教えたい。

信仰告白(ラーイラーハイッラーッラー、ムハンマドゥンスールッラー)について。日本語に直訳すると、「アッラーの他に神はなし。ムハンマドは神の使徒である。」になるのだが、この前半部分の”ラーイラーハイッラーッラー”は、さらに2つに分かれる。”ラーイラーハ”は、イラーハがラー(ない)という意味である。後半部の”イッラーッラー”は、イッラーという語とアッラーが重なって発音されている。イッラーは英語でいいうBUTにあたり、アッラーは除くという意味になる。これで、アッラーの他に神なないとなるそうだ。ここで、中田氏は、普通、神と訳される一般名詞”イラーハ”は日本人の理解する神ではないとする。イスラム世界ではルーフという霊やジン(アラビアンナイトなどに登場する魔人・妖精)がある。どちらかというと、日本人が理解する八百万の神の概念はこちらに似ているそうだ。

…これだけでも教材研究としては十分意味がある話なのだが、著作のタイトルにある通り死生観について、かなり詳しく述べられている。これは貴重だ。ジハードの真の意味や、イスラム法(シャリーア)についてもわかりやすく書かれており、面白かった。もちろん、まだ例の事件で、中田氏の汚名が晴らされていないイスラム国の話も書かれている。超お勧めの一冊である。

2015年2月19日木曜日

毎日 ボコハラムとカヌリ人

毎日の朝刊に、興味深いボコハラムの記事が載っていた。ボコハラムが、このところイスラム国同様、ニジェール・チャド・カメルーンの国境を越えて侵攻していることについて、ナイジェリア北東部と接するこの3国には、カヌリ人(カヌル語は、ナイル・サハラ語族に属する方言連続体で、約400万人が話すという。)が多く住んでいる。ボコハラムの戦闘員の多くもカヌリ人であるとの情報もある。ナイジェリア北部では、ハウサ人がマジョリティである。ナイジェリア全体でも実験を握ってきた。その反発と9世紀から19世紀までカヌリ人の国家として存在していたカネム・ポルヌ帝国の再興をめざしているのではないかという、一部専門家の分析があるという。

当然ながら、ナイジェリアとニジェール、チャド、カメルーンは、19世紀のベルリン会議でほぼ分割され現在の地政が決められている。ナイジェリアはイギリス、ニジェールとチャドはフランス、カメルーンはドイツという具合である。(その後カメルーンはWWⅠ後さらに英仏で分割された。)国境線は当時の列強によって引かれたものである。これは歴然とした事実である。

ボコハラムの非道は今更言うまでもないが、その背後にこのような事実が隠れている可能性があることを知っておきたい。

卒業文集を完成させる。

昨日の朝イチバンに、卒業文集を完成させた。学年末考査の最終日の放課後に製本作業を5人の生徒に手伝ってもらった42冊を、会議室でこっそりと製本テープで仕上げていたのだ。最近はA4版専用の製本テープがある。アマゾンで見つけたのだが、便利である。ただ、製本がまずいと若干見た目が悪い。まあまあいい出来だと自画自賛。出来上がりをじっくり見てみた。誤字脱字はあるものの、それも味だと思う。(笑)

今回の卒業文集、正確には卒業文集ではない。あくまでもWICKEDの本番直後のみんなの思いである。左の表紙からみんなの文章が、右の表紙からシナリオが綴じてある。だから、私の文章である編集後記は真ん中にある。(笑)

目次は、最後の座席表に各人のページ数を入れた。わかりにくくしたのは、出来れば最初から読んで欲しいという私の編集意図からである。ちょうど男子と女子の比率が2対3なので、男子2人の文章の後、女子3人の文章が続く。長い文章もあれば短い文章もある。アンケートで書いてもらった、その生徒をイメージするような文章を入れて、最後の最後に氏名という編集だ。

アンケート内容は、例えば、私は将来必ず(     )。私がこの3年間で最も誇れるのは(    )。私は(     )がやめられない。など15項目から1人1文を選んだ。なかなか個性的で面白い。

これまで、私は商業高校で2回、工業高校で2回、前任校で1回卒業生を出したが、前任校では受験でそれどころではなかったので仕方がないが、こういうふうに卒業文集を作ってきた。これで最後かなと思うとちょっと寂しい。(笑)

2015年2月18日水曜日

朝日 シオラレオネに陸自派遣?

シオラレオネのエボラとの闘いは続く
国境なき医師団HPより
このところ、ドミニク・モイジ氏の言うように世界の感情的な外交・軍事が顕著である(2月16日付ブログ参照)。ヨルダンの空爆再開、エジプトのリビアのイスラム国下部組織への空爆。韓国の反日的な外交。昨日の従軍慰安婦に関する出版の裁判など、さすがにいかがなものかと思わずにはおれない。感情的な動きが、今世界を覆っているようで不安が募るのだ。日本でも、集団的自衛権の件でも、ますます感情的に、自らの言葉に酔ってエスカレートしていっているような気がする。

そんな中、朝日新聞のWEBニュースで、防衛省が、陸上自衛隊の輸送部隊を現地に派遣する検討に入ったらしい。シオラレオネでは、医師や看護師を輸送する能力が低いがゆえに、路上に患者が放置されたりして、エボラ出血熱の拡大がなかなか止まらない。そこで、海自の輸送艦と補給艦を海上基地として、これらのミッションを行うという計画だ。なかなかすばらしいミッションではないかと私は思う。すでに日本は防護服などを送っているが、現地で今必要なのは、効率的に動ける車両部隊である。

シエラレオネの旧宗主国イギリスが、軍の輸送部隊を派遣していらしいが、不在の時が想定されるので各国に要請を出していたらしい。それをもとに防衛省は計画を練ったらしいが、それでも防衛省の判断は、「人間の安全保障」という観点から極めて有効なミッションだ。そもそも英国ケンブリッジ大出身のアマルティア・セン氏と緒方貞子氏がこの「人間の安全保障」という概念を生み出したのだ。自衛隊の”積極的”平和貢献は、こういうところでこそ活かしてもらいたいものだ。

ところが、官邸は消極的らしい。このミッションが実行されるかどうかはわからないという。国益だけを考えている近視眼の今の政府に、果たしてこういう自衛隊の貢献を決断できるだろうか。注視していきたい。

http://digital.asahi.com/articles/ASH2L0PVJH2KUTFK01G.html?_requesturl=articles/ASH2L0PVJH2KUTFK01G.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH2L0PVJH2KUTFK01G

追記 残念ながら、政府は派遣を断念したとのこと。海上輸送に50日かかるとか、政府部内の手続きがかかるとか、いろいろと理由があるそうだ。積極的平和主義とは、まさにこういう人道支援こそ重要だと思うのだが…。

2015年2月17日火曜日

ナンバーリングと跳び箱

今日は、入試の受付をしながら、空いている時間に卒業証書を完成させるという仕事をしていた。学校によって、卒業証書も様々である。驚いたことに、本校では、ナンバーリングをするのだった。ナンバーリングとは、今日の画像にあるような文具を使って、上から押していくと順番にナンバーが打たれていくというものだ。実は、私は印鑑やハンコ類をきれいに押すことが苦手だ。美術的なことは大の得意なのに、こういう作業は妙に緊張して失敗する。斜めになったり、かすれたり…。

何回か練習したのだが、どうもうまくいかない。で、結局私だけやめたのだ。手書きで卒業証書のナンバーを書く事にした。と、いうわけで4組だけ、手書きになってしまった。見た目はナンバーリングしたものより手間がかかったし、見た目もいいと思うが、ちょっとくやしい。

思わず、小学校時代の跳び箱を思い出した。そもそも体育は得意ではないが、跳び箱だけは、何度やってもうまく跳べなかった。毎回、跳ぶ寸前で躊躇してしまうのだ。他の運動は、ヘタなりになんとかなるのだが、跳び箱だけは例外だ。このナンバーリングも全く同様。人間、なにかしらのコンプレックスがあるものだが、私の場合、これにクロールが泳げないこと(平泳ぎや背泳はできる)を入れて三大コンプレックスといえると思う。(笑)

…4組のみんな、すまんなあ。

2015年2月16日月曜日

日経 イスラムに広がる「屈辱」

今朝の日経のグローバル・オピニオンは、極めて重要な示唆を含んでいると思う。タイトルは、「イスラムに広がる屈辱」。フランスの国際関係研究所特別顧問のドミニク・モイジ氏の主張である。以下その主旨をエントリーしたい。

今回の事件はフランスの9.11である。アルカイダの9.11は「NY・資本主義・ツインタワー」、フランスは「パリ・表現の自由・メデイア」規模は異なるが、いずれも象徴的な事件である。フランスは、事件後、国民の同化・連帯・平等に問題があることに気がついた。パルス首相が、都市郊外の貧しい一帯を「アパルトヘイト状態」と指摘したことは驚きだが、現実である。

2005年にフランス各地で移民系の暴動が起きた際、その背景を知った。移民系の若者たちは、政治・経済・性・文化という4つの側面で疎外されている。路上で話しているだけで職務質問を受け、移民とわかる名前や郊外に住んでいるだけで就職できない。将来が見えないので結婚できない。

フランスでは、公の場で宗教色を排除する「ライシテ(政教分離の原則)」を掲げているが、これ自体がキリスト教・イスラム教・ユダヤ教に次ぐ第4の宗教であるといえる。政教分離の原則は、協会が非寛容で抑圧的だった18世紀末の産物である。現代のほうが、宗教の存在は大きい。物質文明が発達し、格差と不平等が広がり、多くの人が自分の価値やアイデンティティを測る基準を求めている。

だから、政教分離の原則があるからといってイスラムの人たちを侮辱すると、穏健派の人たちは離れ、過激派は増長する。

恐怖・屈辱・希望という感情の文化がどう世界を変えていくかという私が定めた類型に照らせば、アラブのイスラム世界は屈辱の文化だ。それが欲求不満の若者に人生の意味を与え熱狂させるし、欧米では恐怖の感情が高まっている。中東の屈辱の文化はアラブの春の失敗で増幅され、チュニジアを除き、イスラム原理主義が広がり地域が不安定になる「冬」につながった。

感情だけで世界を語るのは傲慢な考え方だと思う。だが、感情を語らずに最近の世界は理解できなくなっている。

…フランスのエスプリは、徹底した個人主義に裏打ちされたものだと私は思っている。「表現の自由」もここに端を発している。だが、ドミニク・モイジ氏が指摘しているのは、個人主義的なエスプリに裏打ちされた「政教分離の法則」が、イスラム教徒に「屈辱」という感情を、そして欧米人には「恐怖」という感情を生んでいる現実認識である。「(感情だけではなく)安全保障・経済・不平等という要素を考慮に入れなければならない。」と、氏は言う。私は、この順序が違うのではないか?と思う。まず不平等を置いて欲しい。この微妙なコトバのアヤが、構造的暴力の真の正体だと私は思っている。

2015年2月15日日曜日

アノニマス ISISへ宣戦布告

ハッカー集団で匿名を意味するアノニマス(Anonymous)が、イスラム国に対して新たな攻撃を開始すると発表したという報道番組を見た。先日のフランスの事件の後、すでに宣戦布告したらしいが、日本ではあまり報道されなかったように思う。

具体的には、勧誘に使われているポータルサイトに打撃を与え、メンバーの身元を公開(イスラム国に関連のあるフェイスブックのプロフィールリスト、ツイッターのアカウント)を公開したという。

このアノマニスは、ハッカー集団であり非合法な行動もとる。アラブの春の際やメキシコの麻薬組織、北朝鮮への攻撃、日本政府機関や日本音楽著作権協会へも攻撃したこともある。特定のリーダーがいるわけではなく、無数の人々が離合集散しているようである。

…今回のアノニマスの「われわれはあらゆる国、人権、宗教、民族から集まっている。われわれはイスラム教徒であり、キリスト教徒であり、ユダヤ教徒である。ハッカーであり、フィッシング詐欺師であり、諜報員であり、スパイであり、あるいはただの隣人でもある。」という動画のコメントからは、表現の自由を重要視する欧米人がこれを発信しているように思われる。仏教徒やヒンドゥー教徒という語彙がないからだ。

…ともあれ、アノニマスという国境を越えたあいまいな集団が、イスラム国に宣戦布告したことに少々ショックを受けた。

それは、反イスラム国で組織された軍事・非軍事的攻撃能力をもつ近代国民国家群が形成した「有志連合」というという既存の潮流とは、全くスタンスが違うからだ。国家とは全く別のハイパー攻撃能力を持つ市民レベル(そう言ってしまっていいのか微妙だが…。)の集団が戦いだしたからだ。

このアノニマスの宣戦布告を拍手をもって迎えるべきなのかどうか、今の私には判断できないのだ。当然ながら私はイスラム国に与する者ではない。ただ今でも、本当の隠れた敵は、「構造的暴力」だと思っているからである。アノニマスは構造的暴力のひとつなのか、あるいはそれに敵対するものなのか判断がつかないのだ。

2015年2月14日土曜日

アフリカSDゲーム2014 報告Ⅲ

政治経済の学年末考査で、アフリカSDゲーム2014について生徒に改善点を問うてみた。ゲームの発展のためにも有意な意見が多かった。昨日は、VTRも完成したし、これらを集約をしていたのだった。

全体的に多かったのは、実施回数について3時間(およそ9回ゲーム板を回る)が妥当ではないかという意見。実は、その辺を見込んで、6組・4・5組、1・2・3組の順に実施回数を増やして実施したのである。6組には実施回数についての意見はほぼなし。1・2・3組には特に多かった。

もうひとつは、ゲームの勝敗が、農業生産P-人口P+商工業P=総P数で決められたが、彼らは効率性を求めて、ホテル建設で商工業Pを、農地改良で農業生産Pをひたすら獲得したことを悔いていたのだ。たしかにゲームの勝敗はそれでいいかもしれないけれど、後で集計したら、道路などのインフラは不備だし、教育や保健医療にあまり投資していないことに気づいたのだ。こんな国はあかんやろう、というわけである。

だから、保健医療をしっかりやらないと人口が減少するルールや、格差是正やガバナンスのバランスなどの良さをPとして導入すべきだという建設的な意見がわりと出てきた。これは嬉しい。アフリカの開発経済学を学んだ上で実施した効果が十分認められる成果である。

ゲーム性の面では、ボードに分岐点を作ったりして(人生ゲームのように)複雑にしたほうがよい、とか、もっとドッキリカードやラッキーカードの位置をバラけたほうがいいとか、鉱産資源を3つGETした後は、スタート直後のマスは無意味になるので、GET後のマスを設定してはどうか、などの意見があった。なるほどと思う。

ドッキリカードが徐々に厳しい内容になることや、ブタサイコロを使用したことは好評で、不利になることは覚悟の上で、ブタサイコロを振りたかったという感想も多かった。

細かいところでは、格差ポイントをもうすこし厳しく設定しても大丈夫だという意見もあった。ディーゼル発電は安価でいくらでも購入できるので苦にならないという。乾燥地の格差拡大のマスやカードが多いが、森林や農村の格差はあまり拡大しなかったという感想も。(これは現実に即するとそうなってしまうのだが…。)

ともかくも、多くの生徒が真剣に取り組んでくれたことを実感したのだった。

2015年2月13日金曜日

日経 エビデンスとTFP

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/13050026.html
日経の「経済教室」は、勉強になることが多い。今朝の朝刊の経済教室は、乾友彦学習院大学教授と中室牧子慶應大学准教授による「根拠に基づく成長戦略を」という内容だった。要するに、政策決定には、ちゃんとした科学的・統計的根拠を基に決定すべきだという話だ。

例えば、地域的な生産性の格差が存在する。東京が第1位で突出している。大阪が第2位だがガクッと落ちる。最下位は長崎県だった。地方創生といっても、この格差はどこから生まれるのか。その原因をきちんと探るべきだというのである。(上記経済産業研究所のPDF資料の画像参照)

グローバル化を進める上で、今最も重要な問題として中小企業の海外進出がある。中小企業の海外進出は、地域の金融機関が大きく関わっていることが統計的にわかっているそうだ。銀行などが、中小企業に海外進出を促すか否かは、その金融機関が握っている情報に比例するらしい。要するに東京に情報が一極集中しており、どんどん海外進出を勧める金融機関が東京の企業の生産性を押し上げているわけだ。反対に地方の金融機関ではそういう情報が生かされていない、ということになる。…なるほど。

この科学的・統計的な根拠を「エビデンス」というらしい。ウィキで調べてみると、医学や保健でよく用いられる用語らしい。効果があることを示す証拠や検証結果、臨床結果といった意味である。確率的な情報で、極めて経済から見れば統計的なものである。ちなみに、先ほどの東京イチバン、長崎サイカイの生産性については、資本生産性・労働生産性だけでなく、「TFP」(全要素生産性)で見ていた。このTFPは、労働力の増加や設備の増設による生産性だけでなく、新しい仕事の仕方、新しい設備投資による機械的生産性の向上を意味する。たとえば、回転寿司チェーンで、タッチパネルで注文できるようにしたり、高速で注文の品を運べるシステムをつくったりして売上が伸びたり、それらの売上データを商品供給にリンクしたりするような話だ。

記事では、さらに35人学級をエビデンスから考察する話もあって面白かったのだが、今日のエントリーの趣旨が不明瞭になるので省略することにする。

エビデンス。TFP。…今日も新たな学びがあった。経済学や経営学、政策学あるいは社会学など社会科学の分野に進む生徒諸君には、やはり日経を読むことを強く勧める。最初はわからなくてもやがて慣れる。わからないことが出てきたら自分で調べる。それしかない。”習うより慣れろ”である。

2015年2月12日木曜日

卒業式にむけてVTR制作終了。

4組のWICKEDのDVDからセレクトした画像の1つ。
ついに、VTRが完成した。朝イチでS先生に、昨日セレクトした舞台発表の画像を渡した。各クラス10枚ずつ、時系列にしたがって80枚保存してある。「ちょっと多いですかねえ。」「…だね。」というわけで、各クラス7枚に減らす。これがまた難しい選択である。クラスによっては、名場面が多いのだ。うーんと唸りながら、選択する。

実は今日は、ここからが長かった。S先生は、これに音楽を挿入してから、クラスとタイトルを挿入し、クラスごとに画像がめくれる様な感じに仕上げていく。「凝ってしまいますねえ。」とS先生。そうなのだ。キリがない。(笑)

DVDに保存し、講堂の機材で実際に映るか確認が必要である。ところが、1枚目のDVDは失敗した。DVDプレーヤーでもウンともスンとも映らない。もう一度焼き直し。今度はうまくいった。そして6限目、講堂の機材による実験も無事成功したのだった。

「やっぱり生徒に見せたいですねえ。」とS先生。私もそう思うが、実際のところ卒業式予行のあとは職員会議や入試事務もあるので、時間的に極めて厳しそうだ。

2015年2月11日水曜日

日本百名山ひと筆書き

卒業式のVTRのために、ひたすらDVDから画像を取っていたら、妻が横でTVを見て「槍や、槍。」とか、「綺麗なあ。」とか騒いでいる。何かと見てみると、NHKで、山登りの番組をしていたのだ。「日本名山ひと筆書き=グレイトトラバース」という番組らしい。仕事がひと段落したので、TVを見た。私が見だしたのは、北海道に入ってからだ。

7ヶ月にもおよぶ人力だけの旅。屋久島から始まって、海はカヤックで渡り、山から山までは徒歩という、途方もない旅だった。BSで、ずっと放送して、これは総集編らしい。我が家ではBSをほとんど見ないので全く知らなかった。

北海道最後の利尻富士に挑む姿は実に感動的だった。カヤックで利尻島に向かう。悪天候の隙をついての命懸けの航海である。二度も転覆し、見ていたこちらにも力が入る。途中から見たのに、利尻を制したときは、私も大いに感激した。

ところで、私が感じ入ったのは、田中さんが疲労で足を痛めて6日間の絶対安静を、実家の富良野で言い渡された時の話だ。冬が迫ってきている。結局きっちり6日間安静して旅立つ。焦って安静日数を減らしていたらどうだったか?また利尻島に向かう際、天候の予測を信じてカヤックを出すわけだが、なんとかたどり着く。もし躊躇していたら、どうなっていただろう。

人生は、まさにそういう決断を迫られることの連続である。

ふと、今年の3年4組を振り返ると、2度大きな決断を迫られたことがあったなあと思うのだ。一つはCMの件で担当のI君をSHR後、叱った時。(昨年のブログのWICKEDエントリー「佳境」と「前三後一」の間にあたる。)クラス代表のT君は「先生、みんなの前で叱らないでください。雰囲気が悪くなります。」と抗議してきた。団長のA君は「できれば、俺に相談してもらえればよかったです。俺がなんとかします。」と抗議してきた。2人の反応は当然。それでいい。だが、あえて皆の前で叱る必要があったのだ。もうひとつは、先日(昨年12月17日)エントリーした欠席と遅刻が累積した時である。…担任もまた、そういう決断に迫られることの連続である。そんな事をTVを見て思い出したのだった。

2015年2月10日火曜日

卒業式にむけてVTR制作中。

各クラスのメモリアルDVD
今年の授業は3年生ばかりだったので、全く授業がない日が2日続いている。何をしていたのかというと、卒業式で生徒と担任が退場した後、保護者の皆さんに見ていただくビデオを制作していたのだ。予餞会の時に、テニス部が作ってくれたのだが、いかんせん短すぎるので、担任団で作ることにしたのである。と、いっても、私と臨席のS先生の2人でコツコツやっているのだが…。

これまで私が撮った膨大な写真を中心に、テニス部が集めてくれた部活の集合写真や共同のPCに残されていた写真などを集めて、時系列に合わせて私がセレクトした。これにS先生の趣味で、音楽を入れながら構成していくという感じだ。一応15分間が目途である。

たった2日で、ほぼ完成した。最後に文化祭の舞台のビデオを挿入しようとしたら、トラブルが起こった。仕方がないので、これもDVDから数枚の写真に落とすことにした。これは、祝日の明日中に、私が担当して、おそらく木曜日には完成すると思う。

おかげで、私は8クラスのメモリアルDVD(各クラスの全員に自クラスのものを配布済みである。文化祭・体育祭・団のCMなどが入っている。)をいやというほど見るハメになったのだ。(笑)

2015年2月9日月曜日

冷蔵庫を買い替えたのだ。

新しい冷蔵庫 さっそく世界各地のマグネットが…。
先日から、冷蔵庫の調子が悪くなって、妻が激怒していた。10年近く使っているのだから「老衰」に近い。ついにはロシア製のような扱いをしだした。(笑)…で、「もうあかんわ。」電化製品の中でも、冷蔵庫と洗濯機は故障したら一気に困ることになる。仕方ないので、購入することになった。我が家のダイニングキッチンは2Fなので、階段を上げ下げすることを考えると、テキトーな大きさが決まってしまうらしい。ちょうどI屋というちょっと大きなスーパーから、お得意様2日間限定・1割引きという通知が来ていたので、これ幸いと先週の金曜日に見に行ってきたのだ。

店にいくと、テキトーな大きさのが2種類あって、妻は大いに悩んだのだが、結局ブラウンの冷蔵庫にした。シャープ製である。わりと我が家は電化製品運がいいので、この冷蔵庫も長持ちしてくれると思うのだが…やれやれである。

豊かで快適な生活が、このようなトラブルで一気に破壊される事態が起こると、本当に豊かのかどうか疑わしくなる。今回の冷蔵庫事件、妻にとっては大いにストレスが溜まったのだった。とはいえ、動かなくなった冷蔵庫の中にある食材をどんどん消費せざるを得なくなり、我が家の食卓は、ぐっと豪華になったのだった。これは私にとっては幸運である。(笑)

何か新しい便利なものを手に入れると、それはストレスの遠因となるわけで、うーむ。と唸ってしまう私なのであった。

2015年2月8日日曜日

毎日 赤道ギニアのサッカー騒動

Getty Images
毎日の朝刊・スポーツ面にアフリカの話題が載ることは珍しい。赤道ギニアでおこなわれたサッカーの試合の話だ。アフリカ選手権でガーナとの準決勝。「まるで戦場のようだ。」とツイッターでガーナのサッカー協会が伝えたような酷いことがおこったようだ。

前半、ガーナが2-0でリード。(そもそもガーナは強い。)ハーフタイムに、ガーナの選手に観客からモノが投げつけられ警察の盾に守られながら控室に戻る羽目になった。後半、30分にガーナが3点目を奪うと赤道ギニアのファンが、ガーナのサポーターに襲いかかった。安全地帯を求めたガーナのサポーターが観客席からゴール裏に降り、試合が中断。BBCによると、ピッチに投げ込まれた皿の破片や石などが散乱した。事態の鎮圧のため、警察のヘリコプターが競技場の上空を飛び、催涙ガスも用いられたという。結局、観客を追い出し、40分間の中断の後、観客のほとんどいなくなった競技場で残りの数分間を実施、ガーナが決勝に進むことになったというわけだ。

赤道ギニアは騒動により10万ドルの罰金と、30人以上出たと言われる負傷者への治療費負担をCFA(アフリカサッカー連盟)に課せられたという。

…赤道ギニアという国は、産油国で数字的には凄い経済成長率を誇っている。しかし、実際には多くの人々が一日$1.25以下の生活を強いられ、貧困にあえいでいるという、アフリカでも有数のガバナンスの悪い国である。実際、アフリカに行くと、子供たちはサッカーのナショナルチームのユニフォームを大事に着ている。貧困にあえぐ一般の人々にとって、サッカーは最大の娯楽である。思い入れも強い。まして準決勝である。強豪ガーナとの試合に、熱くなる気持ちもわからないではない。敗北が決定的になるとともに、日ごろの不満への爆発のスイッチが入ったのだろう。警察がヘリコプターといった最新装備を持っていたのも、赤道ギニア政府がどこに金を使っているかがよくわかる。

先日、アフリカSDゲーム2014の集計中に、鉱産資源のレントを利用して大いに経済発展をしながら、教育やインフラ整備を怠っていたチームに、「赤道ギニアかっ。」と指導したことを思い出す。次にこの国の名前を出すときは、良きガバナンスの例として使いたいものだ。

2015年2月7日土曜日

今年のワンフェスは3部作

ワンワールドフェスティバルに行ってきた。いつもの国際交流センターではなく、関テレの本社ビルと隣接する北区民センター、扇町公園の3つに分かれていたので、なんとなく勝手が違ったのだが、今日の私の動きも3部作といった感じであった。

第1部はムラのミライというNPOの「対話型ファシリテーション超入門セミナー」への参加である。10分前に到着したのだが、予約制であったこと、参加費が500円かかったことに驚いた。キャンセル待ちになったが、結局セミナーに参加することができた。ムラのミライというNPOは、インドやネパール、セネガルなどで活動しているらしい。だが、井戸を掘ったり、学校を建てたりするわけではない。ムラの人材を育成するという珍しいNPOである。その人材育成の方法を学んだのだ。一通りの講義の後、ワークショップを行った。たまたま臨席だった、神戸の会社員のSさん、京都のフィリピンに国際協力をしているNPOに勤めるNさんとともに学んだのだった。内容については、500円を払っただけ熱心に聴けた(笑)し、極めて有意義な内容だったとだけ書いておこうと思う。内容自体はこのNPOの存在自体に関わるものだと思われるからである。しかもこのセミナー、最後に凄いオチがついていた。前任校で最後に地理Aを教えた1年生だったT君も参加していたのだ。現在K大在学中ながら、ラオスとの国際協力に関わっているという。「実は先生の授業に大きな影響を受けました。」と言ってくれたのである。感激した。ここにも、「其 微衷ヲ憐ミ継紹ノ人」(11年3月17日付ブログ参照)が…。

第2部は、OB・OGとの再会である。私の携帯には3人からメールが入っていた。まずは、前任校で担任したK君とM君。もう25歳のレディーである。ウガンダのコーヒーを飲みながら、同窓生の様子をいろいろと聞く。メキシコ在住のO君やESDを大学で修め小学校教諭になったK君が近々出産するらしい。次に本校のOG、T君。彼女はK大政策創造学部の2回生である。友人とともに、ワンフェスに来て大いに有意義な1日を過ごしていたようだ。大学のことや将来のことを、これまたウガンダのコーヒーを飲みながら聞いた。夏に2人でフィリピンに行くらしい。いいなあ、学生は。最後は、何度もこのブログに登場する奈良教育大のG君である。彼とは外の喫茶店で、久しぶりに彼の将来やESDについてゆっくり話すことができたのだった。コーヒーも3連発である。(笑)

第3部は、もういちど関テレ本館に戻ってのアフリカ音楽を楽しんだことである。実は、事前にこれまで見たことがないほど多くのジャンベを降ろしている車に出会ったのだ。聞くと南アの人で、PM4:30から公演があるのだという。多くの子供たちがシャンベを叩くらしい。G君と別れたのが、ちょうど公演の時間になっていた。これ幸いと、聴きにいったのだ。いやあ、よかった。久しぶりの生のアフリカ音楽である。子供たちも可愛かった。(画像参照)聴衆の後方で、肩車された金髪の白人の女の子も手拍子していたりして、ホント、ワンフェスらしいシチュエーションだった。やっぱり、ワンフェスはいいのだ。来年もまた「其 微衷ヲ憐ミ継紹ノ人」との出会いを楽しみにしたいと思う。

2015年2月6日金曜日

ワンフェス・ASPnet不参加の連絡

明日・明後日ワンフェスが開かれる。中でも、私が最も楽しみにしていたのは、昨年岡山で開催されたユネスコスクールの世界大会に参加した高校生による報告だった。(本年1月12日付ブログ参照)ところが、最新のプログラムが変更されていることを知ったのはつい先日のことである。どうしたことかと思っていたら、今日学校に、ASPnet(大阪のユネスコスクールのネットワーク)の事務局から、共催をとりやめ、高校生による報告・パネルディスカッションへの不参加の連絡が届いた。結局ASPnetとしては、3月15日(日)10時から16時の予定で、大阪府立住吉高校同窓会会館(北畠会館)で改めてユネスコスクール世界大会報告会を開催することになったらしい。

報告会のプログラムは、第1部 ユネスコ世界大会での学びの共有(高校生)、第2部 持続可能な開発の10年と実践の歩み 第3部 高校生宣言を未来へつなぐ(高校生によるワークショップ)ー私、学校、地域での具体化提言ーとなっている。

3月15日は、入試の関係で登校しなければならなかったような気がする。参加できるかどうかまだわからないが、顔を出せたらいいなと思っている。なにより、私は参加した高校生の声が聴きたいのである。

と、いうわけで、私のワンフェス参加は、明日のみとなりそうである。OB、OGにとりあえず連絡しておくことにしたい。

2015年2月5日木曜日

毎日 チャド軍、ナイジェリアに介入

http://www.hobbyland.co.jp/catalog
/product_info.php?products_id=91670
毎日新聞の今日の朝刊・国際面に、ボコハラム掃討のために、チャド軍がナイジェリア領に侵攻したとAP電が伝えているとの記事があった。
このところ、ボコハラムは、チャドやカメルーンなどの隣国へも勢力を伸ばし、衝突が続いていた。AUも先週チャドも含めた5か国7500人規模の多国籍部隊の発足を決めたということで、チャド軍はその先陣を切ったということらしい。

ちょうど、その隣にイスラム国を巡る攻防で、対抗勢力もまた残虐な報復をしているという記事が載っていた。クルド人勢力が、イスラム国軍兵士の遺体をタイヤに乗せ、車で引きずったというようなこともあるらしい。またシーア派の民兵が、イスラム国の侵攻が迫る中、スンニ派の囚人を79人殺害したとか、スンニ派の村を襲い約70人を虐殺したとか、宗派対立を背景にした無残な話が伝わってくる。

ボコハラムの制圧は私も必要だと思うが、チャド軍がまたAUの完全無欠の正義の軍隊であるというわけでもないだろう。このAUのトップは、かのジンバブエのムガベである。このような紛争の被害者は、常に一般人である。21世紀の中世化は、資本主義経済でも、周縁化した途上国でもますます進んでいく。もう、ボコハラムやチャド軍の画像をエントリーするのも憚れるので、中世の戦争のイメージを挿入してみた。槍や剣、弓をカラシニコフに変えたら現代の図になるだけのことである。

2015年2月4日水曜日

「キャパ、その青春」を読んで

昨年、沢木耕太郎の「246」を読んでいて、沢木氏が翻訳した「キャパ。その青春」を無性に読みたくなった。アマゾンで注文して手に入れてからだいぶ経つ。最近やっと読み始めたのだが、ある箇所が気になってしかたがない。

ハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ人であるキャパは、当時バンディと呼ばれていた。(と、いうよりこれが本名であるが…。)第一次世界大戦後、混乱したブダペストではデモが頻発していた。以下、気になっている箇所を引用したい。

あるデモの最中に、群衆が切実ではあっても実現しそうもない要求を大声で叫んでいると、バンディは声を限りに「くず鉄」という文句を怒鳴り始めた。その叫び声は瞬く間に広がり、やがて誰もが「くず鉄!くず鉄!」と叫び始めたー。自分たちがそう叫んでいるのがわからないままに。

「試してみたのさ」とのちにバンディは友人たちに語った。「僕は彼らにどんなことでも叫ばせることができるということがわかったよ。」それは、政治的なスローガンを作ることに対する辛辣な批評であり、興奮した大衆が考えもなく反応するということについての説得力のある指摘ともなる、ひとつの「実験」となった。(文庫本:42P)

私は、こういうデモに参加した経験がない。だが、毎日のようにニュースで、こういう群衆の叫びが報道されている。。そのたびに、この箇所を思い出すのだ。おそらくは、スローガンは時間的経過とともに、アジテーターによって過激化し、暴徒化のきっかけとなっていくのだろうと推測するのだ。

おそろしく”シニカル”で危険な実験である。

2015年2月3日火曜日

NHK 清掃のプロフェッショナル

NHK プロフェッショナル・仕事の流儀 HPより
昨晩、偶然NHKを見ていたら、羽田空港に勤務する日本一の清掃のプロフェッショナルの話をやっていた。新津春子さんという、中国残留孤児を父にもち、母は中国人で、日本に来てから様々な差別を受けてきた方である。この清掃という仕事も、日本語が不自由で、これしかなかったからだという。「日本でもそうですが、中国でも下に見られる仕事です。」と笑顔で語っておられた。その彼女が日本一になったのは、上司の厳しい指導があったからだという。どんなに技を磨いても褒めてくれない。その厳しい指導があったからこそ、日本一になれたのだという。厳しい指導の中、彼女が自分で気づいたのは、利用する人々へのやさしさ、思いやりといった心の持ち方だったという。そしてついに日本一に。報告に行くと上司から、「今度はまいちがいないと思ってたよ。」と初めて褒めてもらったという。つい、彼女の目が潤む。彼女の清掃は、徹底している。自分のためではない。給料のためでもない。ひたすら気持ちよく空港を利用してほしいと願うココロである。だから、行きかう人々を常に気遣う。やがて、利用する人々に「ありがとう」と声をかけてもらえるまでになったというのだ。

http://www.nhk.or.jp/professional/2015/0202/index.html

この話、まさに私が生徒に常に問いかけている「責任ある行動」の理想そのものである。世界史Bの最後の授業で語ったのだが、私も敬愛する先輩から、一度も褒めて貰えなかった修行時代があった。いつも厳しく指導されてきた。ある大きなイベントがあって、それが終わった時、私の私心のない配慮・行動について一度だけ褒めて貰ったことがある。「うん、あれはよかった。」それだけで十分だった。それが、どれだけ嬉しかったか…。

少し傲慢な言い方になるかもしれないが、一流を育てるには、こういう厳しい師や先輩が必要だ。私は本当に恵まれていたと思っている。その先輩の仮面(ペルソナ)を被りながら、ひたすら自分を磨いてきたつもりだ。いつしかその先輩がするように、常に他者に配慮できるようになった。人に見抜かれ、欠点を厳しく指摘されなければ、人を見抜くことはできない。まさに因果応報なのである。

新津春子さんは、人に責任を転嫁しない。私心なく働き、自分の仕事を誇りにしている。素晴らしい人生ではないか。彼女の笑顔を見て、心からそう思ったのだった。私の教え子にも、どのような仕事であれ、私心なく仕事ができるような一流の人を目指して欲しいと思うのである。

2015年2月2日月曜日

地球市民の記憶 ヨルダン

ヨルダンの世界遺産ペトラ
常設ページに「地球市民の記憶」と題して、私がこれまで対話したことのある国や地域を記してある。先日、世界史Bの最後の授業で、地球市民として多くの国とつながりを持つことの重要性を訴えた。今日の世界史Bの論文試験でも、「地球市民の記憶」について書かれたものも案外多かった。嬉しいことだ。

さて、後藤さんの事件で、ヨルダンに日本中の注目が集まった。私はヨルダンの人とも対話したことがある。今はもう閉鎖されたJICA大阪に、前任校の3年生を連れて行った時のことだ。たしか1学期の終業式後くらいだったと思う。今思えば国公立や有名私大に現役合格した凄いメンバーだった。(フツーに参加を募ったのだが…。)

JICAの説明の後、研修員として来日しているヨルダンとグアテマラとラオスの方が現れた。3人とも文化遺産・街並みの景観保全などを学ぶために研修中だという建築家であった。おそらく、祖国では期待の若手建築家である。フツーの高校生が気軽に会える相手ではない。もちろん英語での対話になった。JICAの方が、「通訳しましょうか?」と申し出ていただいたのだけけれど、すでに生徒がジョークを飛ばして輪になっていた。(笑)私は、ヨルダンの方(女性だった)に、「私の息子が、ヨルダンの世界遺産ペトラは凄いと言っていました。」と述べると、丁寧にお礼を言ってくれたのを思い出す。もちろん、生徒との会話の糸口になったはずだ。「きれい!」「凄い!」「行ってみたい!」と生徒たちは、彼女のパソコンを覗いて歓声をあげていたからだ。同様に、グアテマラ、ラオスの方とも会話の糸口をつくって、私は喫煙場所に移動した。面白いことに、この3つの国、すべてに息子は旅している。もちろん好印象だったそうだ。

ヨルダンの建築家女史は、いまごろ後藤さんの死を悼んで、祈っていただいていることと思う。日本で研修された知識は彼女の血肉になったはずだ。日本はこういうソフトパワーで、世界各国に貢献している。平和で、親切で、丁寧なサービスの国。こういうイメージが広まっていったのも、日本人全体の努力の賜物である。こういう日本の良さを生かすことこそ、日本の歩むべき道だと私は信じている。

2015年2月1日日曜日

船尾修氏「スーダン人の人の良さ」

後藤さんの悲劇を受けて、船尾修氏(写真家)の「スーダン人の人の良さはいったいどこから来るのだろうか」という一文をささげたいと思う。この文はDoDoWorldNewsの最新号(道祖神)にの掲載されたものである。

スーダンという国はアフリカでも最大級の面積を誇る大国でありながら、存在感が大きいとはいえない。実際に訪れたことのある人も少ないだろう。90年代にはあのオサマ・ビンラディンが滞在していたので、アメリカからテロ国家と呼ばれて空爆を受けるなど、どちらかというと日本人には負のイメージが強いと思われる。ただスーダンの名誉のために書き添えておくと、当時アメリカ政府は「世界に脅威を与える化学兵器を作っている」という言い分で空爆したのだが、実際に破壊された工場は何の関係もない民間の医薬品製造会社だったことが明らかになっている。

最近では、西部のダルフール紛争や南スーダン独立など政治的に不安定な時期が続いているため、日本人からはますます遠い存在になっている。純粋に旅を楽しんむ目的でスーダンに入国する人はどのくらいいるのだろうか。
しかし僕が知る限り、スーダンをしばらく旅したことのある人は、例外なくスーダン人の人々のホスピタリティを褒め称える。外国人に対してとにかく人懐っこく、優しい笑顔を投げかけ、歓待してくれる。観光立国である隣国のエジプトでは話しかけてくる人のかなりの割合が商売目的であるのと対照的に、スーダン人はとにかく下心抜きで純粋に外国人に接してくる。好き嫌いは人によってもちろん異なるだろうが、人の良さという面ではアフリカ大陸においてスーダンはダントツに抜きんでていると思う。

エジプト国境のワディ・ハルファという村からイギリス植民地時代に敷設された列車に乗って首都ハルツームに向かったことがある。途中で列車が立ち往生し、数日間ヌビア砂漠の真っただ中で過ごす羽目になった。持参の水と食料が切れたが、同乗のスーダン人たちから次々と差し入れをいただいた。しかし彼らとて余分を持参しているわけではなく、僕の代わりにじっと空腹に耐え忍んでいた。そういう人たちなのだ。街では木陰で甘いチャイを飲ませてくれる店を数多く見かけたが、代金を受け取ってくれないこともしばしば、何事にも不慣れな旅の外国人をとにかくもてなしたいという気持ちがいつも伝わってきた。

やはり国土の多くが砂漠という厳しい環境にあることが、そのような性格を形成しているのだろうか。助け合わないと生きてゆけない世界。ニュースなどで巷に流れている負のイメージというものがいかにいい加減であるか、それはやはり実際に旅に飛び出して身体でナマの人たちと接しないとわからないものなのである。

…私は、船尾氏のいう「砂漠の民としてのスーダン人のやさしさ」は同時にイスラム教徒として、旅行者を大事にする神の教えを忠実に実行する信仰心からくるDNAであると思っている。今回の後藤さんの件で、フツーのイスラム教徒が、イスラム国のような残忍な行為をするわけではない。この当たり前の事実を再確認したい。そうでないと共生の未来はない。それを、後藤さんは何よりも望んでいたはずだ。後藤さんのご冥福を心から祈りつつ…。

毎日 AUの新議長にムガベ?

弱者に寄り添う報道を貫いたジャーナリスト・後藤さんに対する悲劇的な報道が朝からされている。もし、これが真実なら私もその暴挙に怒りを隠せない。
同時にこのことを利用して、日本=平和国家=ムスリムをはじめ世界中の人々から好意をもたれている国民という永年にわたって築きあげてきたテーゼをぶちこわすような動きに対しては、断固としてNO!を表明したい。

ところで、今朝の毎日新聞の国際面に、AU(アフリカ連合)の新議長(任期1年)にジンバブエのムガベ大統領が選出されたというニュースが出ていた。げげげっというのが、率直な感想だ。ムガベはもう90歳である。しかも、「失敗国家」という新語をつくったような独裁者である。どういう経過で、彼が選ばれたのか、興味のあるところである。

さっそく、ムガベはこんな就任演説をしたようだ。「アフリカの資源はアフリカやその友人のものだ。もう帝国主義や植民地主義者のものではない。」

…あたりまえのことだが、あなただけには言われたくないという感じである。思慮の浅い勢いだけの発言は、外交戦で時に大きなデメリットを生む。ムガベの就任が、サブ=サハラ・アフリカの諸国にデメリットがないよう祈るばかりである。