2015年2月26日木曜日

昭和天皇 第六部 読後メモ(2)

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昭和天皇第六部 聖断(福田和也著/文春文庫2月10日発行)の読後メモの続編である。他国のエピソードを中心に残しておきたい。

フィリピンに再上陸したマッカーサーは、すぐに移動ラジオ局のマイクの前に立ち演説を始める。まだすぐそばで戦闘が行われているというのに、である。「私は帰ってきた。約束通り、神のご加護を得て私は帰ってきた。今、私は、フィリピンとアメリカ、両国の勇士たちの血で清められた、この土を踏んでいる。…」演説が終わった時、海岸には狙撃兵の偵察隊しか残っていなかったという。…このアメリカの、上陸作戦中にラジオ放送を流すという戦略、到底日本がかなう相手ではないことがよくわかる。

ルーズヴェルトとチャーチルは、スターリンを「アンクル・ジョー」というあだ名で呼んでいた。連合国三カ国の首脳会談はテヘランで第一回が開かれた。第二回をどこでするか、スターリンに対して米英は、アテネ、キプロス、サロニカ、イスタンブール、エレサレム、ローマ、マルタなどを提案されたが、黒海よりと遠くに行けないとして、オデッサを提案、その後、体調を崩していた大統領の医師団の反対を受け、ヤルタに譲歩した。米代表団の宿舎はニコライ2世の宮殿。ここにスターリンは貨車2台分のキャビアを届けた。英代表団の宿舎は立派な庭園のあるボロンツォフ館。スターリンは、その間に位置するコレイス館(ラスプーチンを暗殺したユスポフ公の館)に陣取った。米英の行き来を監視するためである。…このあたりがスターリンらしいところだ。

ヒトラーの自殺方法は、自らの口を拳銃で撃ち抜いたらしい。直前に結婚式を挙げたエバ・ブラウンはカプセルを飲んだようだ。そのカプセルは愛犬のアルザス犬ブロンディに与えると口に含んだ途端に硬直し即死したというものだ。…ムッソリーニの遺体がミラノで恥ずかしめを受けたことを受けて、自らの遺体を消し去るように指示したわけだ。

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