2015年2月16日月曜日

日経 イスラムに広がる「屈辱」

今朝の日経のグローバル・オピニオンは、極めて重要な示唆を含んでいると思う。タイトルは、「イスラムに広がる屈辱」。フランスの国際関係研究所特別顧問のドミニク・モイジ氏の主張である。以下その主旨をエントリーしたい。

今回の事件はフランスの9.11である。アルカイダの9.11は「NY・資本主義・ツインタワー」、フランスは「パリ・表現の自由・メデイア」規模は異なるが、いずれも象徴的な事件である。フランスは、事件後、国民の同化・連帯・平等に問題があることに気がついた。パルス首相が、都市郊外の貧しい一帯を「アパルトヘイト状態」と指摘したことは驚きだが、現実である。

2005年にフランス各地で移民系の暴動が起きた際、その背景を知った。移民系の若者たちは、政治・経済・性・文化という4つの側面で疎外されている。路上で話しているだけで職務質問を受け、移民とわかる名前や郊外に住んでいるだけで就職できない。将来が見えないので結婚できない。

フランスでは、公の場で宗教色を排除する「ライシテ(政教分離の原則)」を掲げているが、これ自体がキリスト教・イスラム教・ユダヤ教に次ぐ第4の宗教であるといえる。政教分離の原則は、協会が非寛容で抑圧的だった18世紀末の産物である。現代のほうが、宗教の存在は大きい。物質文明が発達し、格差と不平等が広がり、多くの人が自分の価値やアイデンティティを測る基準を求めている。

だから、政教分離の原則があるからといってイスラムの人たちを侮辱すると、穏健派の人たちは離れ、過激派は増長する。

恐怖・屈辱・希望という感情の文化がどう世界を変えていくかという私が定めた類型に照らせば、アラブのイスラム世界は屈辱の文化だ。それが欲求不満の若者に人生の意味を与え熱狂させるし、欧米では恐怖の感情が高まっている。中東の屈辱の文化はアラブの春の失敗で増幅され、チュニジアを除き、イスラム原理主義が広がり地域が不安定になる「冬」につながった。

感情だけで世界を語るのは傲慢な考え方だと思う。だが、感情を語らずに最近の世界は理解できなくなっている。

…フランスのエスプリは、徹底した個人主義に裏打ちされたものだと私は思っている。「表現の自由」もここに端を発している。だが、ドミニク・モイジ氏が指摘しているのは、個人主義的なエスプリに裏打ちされた「政教分離の法則」が、イスラム教徒に「屈辱」という感情を、そして欧米人には「恐怖」という感情を生んでいる現実認識である。「(感情だけではなく)安全保障・経済・不平等という要素を考慮に入れなければならない。」と、氏は言う。私は、この順序が違うのではないか?と思う。まず不平等を置いて欲しい。この微妙なコトバのアヤが、構造的暴力の真の正体だと私は思っている。

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