2015年2月22日日曜日

中田考氏の新刊新書を読む。2

http://mphot.exblog.jp/3594890/ レバノンのムスリム墓地
昨日のエントリーを続けたい。今日はイスラムの死生観についてである。イスラムでは、肉体と霊が分離した後、霊は墓の中で最後の審判まで寝ているのだという。最後の審判は、イスラムでは二本立てらしい。最終戦争で善の側イーサー(イエスのアラビア語名)とマフディー(メシア:救世主)の側が勝って正義の平和が実現するけれども、キリスト教の千年王国とちがい、この平和は長く続かない。その後天変地異が訪れて完全に世界が滅ぶ。この宇宙の全てのもの、天使も含めて死ぬそうだ。それらが蘇って最後の審判を受け、永遠の来世となるという。イスラムでは、善と悪のポイント制になっていてアッラーは慈悲深いので、天国の扉は広いそうだ。

イスラムは死体を傷つけない。だから臓器移植も許さない。普通の遺体は沐浴を施して体を清め、白い布で全身を覆う。両端をくくるので、納豆のような感じらしい。埋めるときは、遺体の頭をメッカの方角に向けるのだという。

ところで、殉教者、ジハードで死んだ者は、白い布もなく埋めるのだという。殉教者は最後の審判を待たず、その場から天国に直行するとクルアーン(コーラン)にあるのだ。ジハードには、「自分の弱い心を乗り越える」という大ジハードと武力による「イスラムの大義のための異教徒との戦争」があるそうだ。普通言われるジハードは後者を指す。なお、イスラム教同士の争いはジハードではないが、背教者との争いは可とされている。だから、民族の独立国益のための戦争はジハードではない。殉教という概念は、イスラム独自のものではない。キリスト教にもあるし、日本でも一向一揆の際に生まれた。ただ、現在イスラム過激派が行っている自爆テロは、イスラム法学的には許されないと中田氏は言う。まず、自殺はイスラムでは禁じられている。永遠に火獄で焼かれる大罪である。ジハードは、死ぬまで戦うのが基本。死ぬことを目的に行うのは間違っているというわけだ。

…イスラムの死生観は、ブティストの私としては、ずいぶん異質な感じをもってしまう。とはいえ、異文化理解の教材としては素晴らしいものだ。

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