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https://dglb01.ninjal.ac.jp/ninjaldl/hyakuiti/001/PDF/hisr-001.pdf |
そもそもが朱子学の徒であり途方もない教養を身に着けていた西周が翻訳した語彙は、哲学、概念、主体、客体、分析、総合、分解、帰納、演繹など1400から2300語にものぼると言われている。これらは、中国などの漢字文化圏に逆輸出され、漢字文化圏の共通翻訳語となっている。この輸入された漢字文化が逆輸出された事実を、かなりエポックメイキング(画期的な話)だと著者は述べている。
一方で、朱子学的な教養と言葉で、西洋文化の翻訳語をつくるということは、味噌とバルサミコオイル(イタリアの調味料:バルサミコ酢とオリーブオイルを混ぜたもの)を混ぜ合わせるようなもので、基本的に元あったものとは異質なものが出来上がるはずで、中国から輸入し、日本で熟成・発酵し独自の歴史を背負った言葉でもって、全く違う土壌、歴史を持つ言葉の翻訳語を作っていった。これは本質的に、転用、代用、改竄、急場の応急措置、付け焼き刃の取り繕いから生じる誤読であり、そこから生じる創造であると、著者の論評は手厳しい。オランダに3年留学しただけで、英語やフランス語、ドイツ語などの細かな言葉のニュアンスまで理解していたとは到底思えない。ましてラテン語やギリシア語など…というわけである。
西周は、オーギュスト・コントやJ・S・ミルの哲学を学んだ、また百科全書派の啓蒙思想を万だとされている。だが、朱子学的な理解によって創造された語彙群は、ヨーロッパのキリスト教文化の深さをも学んできたとは思えないという議論が続いていくのだが、さすがに長いので割愛したい。
…著者の言わんとするところはよくわかる。「接ぎ木」という表現で、日本文化の上に西洋文化を載せた無理を強く指摘しているわけだ。実に興味深い論である。
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