2025年10月8日水曜日

誤読と暴走の日本思想 2 西周

https://dglb01.ninjal.ac.jp/ninjaldl/hyakuiti/001/PDF/hisr-001.pdf
西周(あまね)は、高校倫理では、明六社の中心人物というくらいしか出てこない。島根の津和野の人。医者の子であったが藩校でとてつもない秀才だった。ちなみに森鴎外の親戚で、鴎外は彼の伝記も書いている。藩校で朱子学を学び、後に荻生徂徠(古代の言語から儒家を再考する古文辞学を起こした)に宗旨変えをする。さらに医者の息子故、泣く泣く医学、当時の蘭学を学ぶ。しかし、蘭学でもとんでもない秀才ぶりを発揮し、幕府の命をうけオランダに3年ほど留学する。彼の地で「実に驚くべき、公平で正大な論」に衝撃を受け、洋学に宗旨変えする。帰国後、徳川慶喜の目付けとしてフランス語を教えている。大政奉還後、政府中枢からは外れていたが、山県有朋のブレーンとなり、軍人勅諭の草稿のような軍人訓戒を起草することになる。明治政府の法制度・教育制度の構築に大いに貢献、明治6年には前述の明六社を立ち上げ、福沢諭吉や森有礼らと共に西洋思想に関する論文を多く発表した啓蒙思想家である。

そもそもが朱子学の徒であり途方もない教養を身に着けていた西周が翻訳した語彙は、哲学、概念、主体、客体、分析、総合、分解、帰納、演繹など1400から2300語にものぼると言われている。これらは、中国などの漢字文化圏に逆輸出され、漢字文化圏の共通翻訳語となっている。この輸入された漢字文化が逆輸出された事実を、かなりエポックメイキング(画期的な話)だと著者は述べている。

一方で、朱子学的な教養と言葉で、西洋文化の翻訳語をつくるということは、味噌とバルサミコオイル(イタリアの調味料:バルサミコ酢とオリーブオイルを混ぜたもの)を混ぜ合わせるようなもので、基本的に元あったものとは異質なものが出来上がるはずで、中国から輸入し、日本で熟成・発酵し独自の歴史を背負った言葉でもって、全く違う土壌、歴史を持つ言葉の翻訳語を作っていった。これは本質的に、転用、代用、改竄、急場の応急措置、付け焼き刃の取り繕いから生じる誤読であり、そこから生じる創造であると、著者の論評は手厳しい。オランダに3年留学しただけで、英語やフランス語、ドイツ語などの細かな言葉のニュアンスまで理解していたとは到底思えない。ましてラテン語やギリシア語など…というわけである。

西周は、オーギュスト・コントやJ・S・ミルの哲学を学んだ、また百科全書派の啓蒙思想を万だとされている。だが、朱子学的な理解によって創造された語彙群は、ヨーロッパのキリスト教文化の深さをも学んできたとは思えないという議論が続いていくのだが、さすがに長いので割愛したい。

…著者の言わんとするところはよくわかる。「接ぎ木」という表現で、日本文化の上に西洋文化を載せた無理を強く指摘しているわけだ。実に興味深い論である。

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