2019年8月31日土曜日

ムルデカ iin YouTube

ムルデカ・デー(独立記念日)である。今年もプトラジャヤで行われたので、F18もスホーイもタマンデサには来なかった。非常に残念である。と、いうわけでTVをつけてみたのだが、長いこと(1年くらい)つけていないので、うまくいかない。しかし、YouTubeでLIVE中継をしてくれていたので、最後の空軍の登場シーンを見ることができた。メデタシ、メデタシである。
マレーシアは、ムルデカ・デーに合わせて、町中が国旗で溢れている。あまり日の丸を表に出さない日本とはかなり違う。大阪へ帰ったら車を買う予定だが、すでにマレーシア国旗のステッカーを買ってある。右後方に貼るつもりだ。マレーシア独立記念日、万歳。

2019年8月30日金曜日

PBTの話(72) 最後の日


いよいよPBT最後の日になった。1時限目はDクラス、2限目はEクラス、それぞれ、これから教えてもらう社会科の先生方への自己紹介を兼ねたアイスブレーキング用の用紙に書き込んでもらった。(これについては後日またエントリーしたい。)その後で、恒例のウーリーシンキングを行った。今回のお題は、持続可能な開発、シャリーア、マレーシア経済、教育、環境、グローバリゼーション、貧困、日本文化、そして私の住処とJPA生の寮があるタマンデサの9つである。両クラスともなかなか白熱して皆、楽しみながら様々な関連を学んでくれたと思う。
その後、本来なら卒業文集に私が書いたであろう「私が教えたこと」をプリントにして手渡した。これは、昨夜思いついた事で、自宅で作成したものだ。今年の特徴的なことは、最初に「マハティールの涙」と書いたことと、最後の「そして持続可能な開発と、ゾロとわたしなりの武士道かな。」である。ワンピースのゾロは彼らに武士道を伝える最大のシンボルであったのだ。最後に男女別の集合写真、全体集合写真を撮ったのだった。両クラスとも盛り上がって、最高の最後の授業となったのだった。
さらに、昼休み、私のためにサプライズをJPA両クラスが催してくれた。マンゴーのケーキとマンゴー、マンゴーカルピス。私の大好きなマンゴー尽くしを用意して、皆で感謝の言葉を一人ひとり述べてくれたのだ。ありがたいことである。またいろいろいなプレゼントもいただいた。今までも教師として喜びを感じてきたが、こうしてマレー系の学生の最高のもてなしをしてもらえたことに、ただただ感謝である。ある意味、彼らの人生を左右する大学の志望に大きく関われたことが大きいと思うし、イスラム教を理解しようとする姿勢が受け入れられたようだ。私は本当に果報者であると思う。皆、あらためて、本当にありがとう。

2019年8月29日木曜日

PBTの話(71) 最終講義

哲学史の講義もいよいよ最終講義になった。今日は、大乗仏教の根本理念である「中観」「唯識」「如来蔵」を中心に、天台宗の「一念三千論」まで説いた。日本人でもかなり難解であるのだが、最後までついてきてくれた。

中観の空という概念は、いつもどおり電波で理解させることに成功した。ヨーロッパ哲学の有と無の存在論とは次元が違うことを、これも天台の「空仮中の三諦」で語った。このあたりは、仏教哲理の凄さで、ムスリムの彼らにも十分理解可能である。唯識の六識もカントの直観形式などと対比しながら十分。末那識はフロイドの無意識の発見などよりもはるかに古くから語られていること、さらに阿頼耶識はユングを使って語った。さらに、如来蔵。唯識の奥深くに仏が内在することを語るわけだ。仏教の平等観は、すべての人間に仏性があるという平等大慧からきていること。私がマレーシアで外国人労働者を軽んじない理由も述べた。

さらに、時間があったので、十界論、十界互具を語った。この辺は面白いので興味深く聞いてくれた。そして、十如是。「相と性と体は、これまで話したどれと結びつくか?」との私の質問に、ローカルボーイのA君が、「空仮中」と大正解。彼は哲学的な才能がある。(笑)さらに三世間を教えて、一念三千論となった。インドの思想が「我は梵なり」と宇宙との一体を説くことにもどって、一念三千の意味を説いたわけだ。

ムスリムの学生に、仏教を説くことはかなり難しい。依処が全く違うからだが、異文化として、その論理性に触れてもらえれば私は十分満足である。

2019年8月28日水曜日

PBTの話(70) 遠足2019

KL北部にあるFRIM
2年ぶりの遠足である。熱帯雨林を探索する施設がKLにあって、ガイドと共に歩くというアクティビティである。前回は、本部で昼食の準備などをしていたが、今回は最後だし、学生と一緒に歩くことにした。ガイドさんも熱心な方で、解説はもちろん英語だが、学生に聞くと日本語に直してくれる。(笑)途中、木の説明だけでなく、虫やにおいのする葉や実も紹介してくれた。日々、ジャングルロードを歩いたりして、ちょっとだけ鍛えているので、なんとか最後までついていけた。(笑)
最初に池のところで、水芭蕉らしきものを発見
最も印象的だったのは、他の木と葉が絶対混じらない木で、下から見ると実に珍しい。ナショナルジオの写真家も撮影に来たとか。
ツアーが終わって、若い学生たちは、サッカーをしたりバレーボールをしたり大縄跳びをしたり、あるいは水遊びに大はしゃぎだった。こちらは、ゆっくりと休憩してからバレーボールにちょっとだけ参加した。…が、見事に疲れた。
いよいよ明日・木曜日は、仏教の最終講義である。金曜日はウーリーシンキングをしようと思う。

2019年8月27日火曜日

PBTの話(69) S大のOB来校

K君の住む松本市はソフトクリームが旨い
http://www.koyanagi.biz/
blog/2012/07/post-367.html
F38AのS大のK君が、今日は来てくれた。こうして、OB・OGが来てくれくれることは、本当にうれしい。入学当初、迷いもあったようだが、今は応用経済学科にも慣れ、数学が面白くなってきましたとの報告を受けた。彼の成長に乾杯。昨日のM君同様、彼らが卒業するまでに、日本で会おうと指切りしたのだった。とはいえ、彼との時間を過ごせたのは30分ほどだった。と、言うのも、すこぶる多忙だったからだ。

今日は、まず明日の遠足の用意のため倉庫に走った。S先生に後の車載などの作業を託し、1限目、Dクラス最後の志望理由書の時間で、T先生と共に参加した。面白かったのは、昨日教えたヨーガの話で、全員が片手を上げていたことだ。T先生が戸惑っていた。(笑)その後、Lさんと銀行へ。預金をどっと下ろすためである。雲行きが怪しいので、車で行くとのこと。ならばタマンデサの方ありがたいし、ミッドバレーより(手続きも車で行くのも)早いだろうということで、そちらに向かった。Lさんにほとんど任せて、私はサインしただけで済んだ。コンドに寄ってもらい現金も自室に置いてくることもできた。その後、シュークリームとチーズケーキを買いにタマンデサのショップロットへ。税金の件ではIさんに。これまたおんぶに抱っこであったので、事務所にお礼の意味を込めて買いに行ったのだった。そんなこんなで帰校後にK君が来たのだった。

昼休みに学生の相談のアポがあったので、K君とは、カフェで急いで弁当を食べながらの懇談となったわけだ。昼からは、Dクラスの授業、そしてEクラスの授業+補習と続いた。ところで、海援隊の和英辞書のような冊子を長崎(亀山社中跡)に行ったとき手に入れた。今まで学生に見せようとマレーシアまで持ってきたのだが、見せられないままだった。今日はこれを最初に見せていた。イロハ順にアルファベット表記がされている。ところで、くしくも授業の最後は、仏教の講義で、雪山童子の無常偈になった。諸行無常、是生滅法…。これをもとに作られたのがいろは歌である。色は匂えど散りぬるを…である。ちょうど、海援隊の辞書と被ったのだった。今回のこの授業の流れは、まさに偶然であるが、仏教に偶然はなし。仏智かなと思う。ムスリムの学生たちも、原因と結果の連鎖=縁起である仏教の教義の特徴を感じてくれたようだ。

明日は遠足で、多忙なそして充実した日々が続いているだけに、体力的にはちょっと不安である。

2019年8月26日月曜日

PBTの話(68) A大のOB来校

A大の冬 -14℃にもなるらしい。https://www.youtube.com/watch?v=QQa-sjVPEIg
F38AのA大のM君が、私が退職することを聞いて顔を見せに来てくれた。実に嬉しいことだ。今年は私費生はA大志望者はいないそうだが、JPA生には沢山いるので、昼休みに教室に入ってもらい、質問会を開いてもらった。「正直に答えていいですか?」と、A県の冬の寒さや帰国するのに時間と金がかかることなどを語ってくれた。授業についてやマレー系の学生の絆の強さなども語ってくれた。A大では、JPA生も私費生も絆が強いらしい。聞いていた学生たちも喜んでくれていた。

こうして退職が決まって、多くのOBやOGが来てくれるというのは、南高校、汎愛高校に次いで3度目である。ありがたい限りである。教師冥利に尽きる。

ところで、哲学史講座の方は、東洋思想に入り、中国の2の文明、儒家と道家について語った。意外に儒家の教えはマレー系にとっては受け入れやすい道徳として、また道家の無為自然はちょっと難解だが、人為的なものの否定はバベルの塔の話でわかってもらえたし、無用の用も意外に理解してくれた。かなり興味深いという感想だった。今回もいい授業ができたと思う。これまた教師冥利につきる。

2019年8月25日日曜日

日曜日のタマンデサ4

店のトレードマークのロボット 店内は日本のアニメグッズで装飾されている
いつも世話になっているOさん家族と、日本料理店でランチをとった。妻によれば、この店には、「白マグロ」があるという。日本では食べられないものらしい。理由は不明確だが、かなり油が多くて食べすぎると体に良くないらしい。しかし美味しい。…と聞くと食べたくなるのが信条というものだ。
白マグロ=White Tuna
ランチセットのちらし寿司
妻のおすすめはランチメニューにあるちらし寿司。ブキッビンタンなどで注文すると、マグロなんかが細切れになって出てくる。しかし、この店は、ドッパーンと切り身で出てくるという。しかも白マグロ付き。一応、皆で試食するために単品でも頼んでみた。うーん、美味しいのは、美味しいがマグロのトロとは全くの別物。食感が違う。妻が言うに、のどぐろなのではないか、と言う。うーむ。
この3本の派手なモノは、やはり線香だった
ところで、店を出たら、昨日写真を撮った巨大な3本の線香がほとんど燃え尽きて燻っていた。中華系の人々の盂蘭盆会らしい。

PBTの話(67) 同窓会

日本人会屋上からミッドバレーの夜景を望む
昨夜、スピコンの後、日本人会の屋上で同窓会が行われた。直前に激しいスコールがあって、話ができないほどだったが、スコールが終わると風が涼しく、快適な空間になった。

F36から国費生のT大学に進んだA君、F38Aから、H君、Sさん、Lさんの3人、F40AからL君とEさんが参加してくれた。面白いなと思ったのは、彼らと話す中で、今の国際情勢で最も関心があるのは、韓国と日本の話ではなく、国費生のA君も含めて香港の話だったことだ。中華系の私費生は当然のこととして、国費生のA君もやはりマレーシアの国益に直結すると見ていた。実際、ジョホールのフォレストタウンに香港の人々がコンドミニアムを購入しているらしい。しかも、MM2H(マレーシアで仕事をするのではなく、資金をマレーシアの銀行に預け、リタイア後のセカンドライフを楽しむという制度)申請をしているらしい。マレーシア政府としては、中華系の選挙人の人口増は歓迎しないが、MM2Hならば国益にかなうわけで、許可数も増えていると言われている。
同窓会風景
それぞれの最近の話や、友人の情報などなかなか有意義な夜だったのだ。私もいよいよ、PBT生活のカウントダウンの1週間である。参加できて本当に嬉しい。

2019年8月24日土曜日

PBTの話(66) スピコン決勝

A君のスピーチ
マラヤ大学で、4つの日本語準備教育機関によるスピーチコンテストが開催された。私は、JPA生の付き添いで、タマンデサの寮から出発した。我がPBTから3人(内JPA生が2人)が出場した。前半後半に分けて計12人がスピーチを行った。どれもなかなかのスピーチだったが、PBTの私費生が5位、A君が4位、そしてF君が優勝した。私の感覚では、本当は1位から3位までPBTの独占だったような気がする。日本語の先生方は鼻高々というところだ。
優勝したFさんの表彰式
このスピーチコンテスト、3年前は私がバス停で目の上を切って行けず仕舞いであった。2年前は我がクラスの代表が出たので行ったが、昨年は代表者がいなかったのでお休みさせてもらい、今日は最後の大会ということでJPA生と共に見せてもらったのだった。
舞台を最初に占拠して記念撮影
最後にPBTの学生で舞台で記念撮影もさせてもらった。優勝者、入賞者2名と圧勝したが故の特権である。(笑)こういう融通がマレーシアで十分にきく。(日本ではあまり美徳とは言えないと思うが…。)ともかくも、帰国する私にとっても最高の大会になったことは確かだ。

2019年8月23日金曜日

PBTの話(65) 帰国準備

https://www.newpages.com.my/v2/en/index.html
西洋哲学史講座も、フーコー、ドゥルーズ、デリダとポスト構造主義を教えて終了した。デリダの脱構築の新しい例として、ベビーフェアのキャラクター、アフロヘヤーの赤ちゃんを示した。見事な脱構築の例であると思う。

さて、授業終了後、税金の申請を事務のIさんやLさんの手を借りてやっていた。とにかく英語の書類なので、苦労する。今日の最大の仕事は、マレーシアの出入国の記録をパスポートからひろい、何日マレーシアにいて、何日国外にいたかという表を作成するこであった。これは、マレーシアの税制で、1年に182日間滞在していないと税率が上がるらしい。幸い、私はすべての年でクリアできたようだ。最初何が何だかわからず、文字通り四苦八苦した。(笑)

妻の方は、昨日引っ越し業者のN通を呼んで、レクチャーを受けてくれた。こっちも、すべての送る品を英語でリストアップすることになっている。なかなかの大仕事だ。雑貨と記したいところだが、それはNGらしく、細かな名称を入れなければならないらしい。

これからも帰国に際しての作業がいろいろ入ってくる。私は来週、銀行に行かなければならない。預金を下ろしに行くのだが、これをまた日本円に替える作業もある。今円高でちょっとヤバイ状況である。うーん。

2019年8月22日木曜日

PBTの話(64) 最後のサルトル

https://www.pinterest.com/nikolamadas/sartre/
西洋哲学史講義の中で、私が最も好きな哲学者は、サルトルである。私の教え子には毎度おなじみの映画「典子は今」を使っての講義である。当然ながら皆、真剣に受けて止めてくれた。典子は今、対他存在の意味も十分理解してくれたと思う。

今回、サルトルを教えるにあたって、ムスリムにとっての自由について考えていた。彼らとやり取りをする中で、無神論的なサルトルをどう理解してもらうかが重要だった。イスラム教の六信の中の自らの天命について、日本留学をめざす若いマレーシアのエリートたちは、自らが努力し、自らの天命は自らが作るのだというムスリム的サルトルの理解に至ったような気がする。実存は本質に先立つということも、人間は自由の刑に処せられているということも、そういうムスリム的な理解ができたと思う。

思えば、授業で何度、サルトルを説いてきたことだろう。おそらくこれが最後になるのだと思うと、思い入れがあるだけに感無量である。

2019年8月21日水曜日

フッサールのフットサル

https://feeleasy-online.com/it
ems/5acc96a1122a7d1318000841
西洋哲学史講義も、現代哲学に入った。ショーペンハウエルの言葉が日本語の教科書に出てきたとのことで、属性もある。「お金は海水のようなもので、飲むほどにのどが渇く」というものらしい。盲目的な生への意思を説くと皆納得である。ニーチェの「神は死んだ」というアフォリズムは、ムスリムにはかなり衝撃的なので、梅毒で死んだことも強調しておいた。(笑)キルケゴール、ヤスパース、そしてハイデッガー。私は長年倫理をやってきて思うのだが、サルトルも含めて、実存主義を講じることが、何よりの醍醐味ではないかと思っている。

もちろん、ギリシア哲学の3大スターも面白いし、デカルトの3つの証明も哲学らしいし、カントの先天的認識形式そして道徳形而上学への流れも教えがいのある部分だが、やはり青年期の学生に生き方に迫るのは実存主義だ。

ところで、今日は初めてフッサールを少し講じた。社会学では絶対に必要な哲学だからだが、A君が面白いギャグを飛ばしてきた。フッサールのフットサル…。なかなか良い。関西人検定1級のボケだな。

2019年8月20日火曜日

PBTの話(63) 多忙な1日

https://www.cartoonstock.com/
directory/i/immanuel_kant.asp
カウントダウンの日々、今日はかなり多忙だった。1限目Dクラスで、国立大学学部への志望理由書を書く時間。私はアドバイザーとして参加したが、次々に学生が来る。嬉しい悲鳴である。2限目は、社会科のこれからの打ち合わせ。3限目だけ空いていたが、12月に行われる修了試験はほぼ出来ているのだが、その微調整。昼休みも、志望理由書の指導。4限目はDクラスで、カントの先天的認識形式から、道徳形而上学、ドイツ観念論、そしてショーペンハウエルまで。5限目はEクラス。それに続いて補習、Eクラスと同じところまで進んだ。ちなみに、Eクラスにはドイツ語のできる学生がいて、ドイツ語で語る時にちょっと緊張した。こんなことは、長い倫理の授業では初めてである。(笑)カントやヘーゲルを語る最後にふさわしいのかもしれない。

なかなか忙しいのだが、あと2週間を切ったPBTの貴重な時間である。無駄にできない。終末が見えるからこそ、一期一会、大事な時間となる。まさにハイデッガーの死に至る存在としての自覚が出てくる。(笑)明日の授業はハイデッガーまで行くかな?

2019年8月19日月曜日

PBTの話(62) R大のOBの来校

鳴滝のイメージ https://haveagood.holiday/spots/260738
今春からR大に留学したOBのG君がやってきた。土曜日の同窓会には来れないとのことでの来校である。かなり慎ましい生活をしているようだ。バイトはせず、バドミントンのサークルに参加しているそうだ。大学での授業は、面白いものもあり、無味乾燥なものもありとのこと。まあ、そんなもんだな。今回、彼にアドバイスしたのは、大学生活で徹夜で語り合える先輩や友をつくることである。

私の大学時代には、徹夜で語り合った友人がいた。あれは、「鳴滝」の安い下宿屋で、上の部屋からグランドファンク・レイルロードの”孤独の叫び”が聞こえてきたことがきっかけだった。私も同じレコードを持っていて、下から流して、やがて友人になった。秋田高校出身のI君である。R大の産社(産業社会学部)の学生だった。かれはマルクス主義者であり、私とは全く政治的には相いれなかったのだが、天下国家について何度も論じあった。ウマがあったのだ。互いに酒は苦手なので、牛乳を飲みながらの徹夜の対話をだった。(笑)

学生時代は、利害がない。最も自分を磨ける期間だと思う。PBTの教え子たちの成長を楽しみにしている。

2019年8月18日日曜日

PBTの話(61) ムーサーの一撃

https://matome.naver.jp/odai/21543107
04185989901/2154444448440663003
金曜日の授業で、イスラム教における終末時のイーサーの話が出たことはすでに書いた。この前に、創世記の復習もした。当然ながらモーセの話も出たのだ。シナイ山からパレスチナに向かう苦難の旅で、マナという固いパンを天から降らせたという奇跡の話は、ほとんどの学生は知らなかった。同じ一神教の伝統の上に立ちながら、簿妙な差があるのが、私には実に興味深い。

さて、モーセのアラビア名はムーサーである。以前、「ムーサーの一撃」というパキスタンの詩集を日本人会で購入したことをエントリーした。ムーサーの名前が出てきて、この時、ふとまだまだ我が家には本が残っていることを再確認した。たとえば、この本などは、学生にあげたほうがいいのかもしれない、そう思ったのだ。また36冊も抽出できるかどうかはわからないが、この前渡した36冊にプラスして、できる限り渡そうと思ったのだ。その提案をしたら、皆喜んでくれた。

「ムーサーの一撃」ちょっと読み返してみた。著者のムハンマド・イクバールという人はパキスタンの国民的詩人で、ムスリムの立場から現代に対して戦闘宣言としてこの詩集を書いたようだ。一つひとつの詩は短いが、まさにイスラム復古主義的な戦闘宣言である。ちなみに、彼の画像を探していて、ラホールの空港の名前になっていることを知った。それくらい、パキスタンでは尊敬されていると言えるわけだ。

たとえば、「西欧の政治」という詩。

西欧の政治は神よ あなたと同列を装っています
だがそこの祭司はただ金持ちや有力者だけです

あなたはただ一つの悪魔を火から創りました
だがそれは数十万もの悪魔を土から創りました

「時代の変革」という詩。

アジアにもヨーロッパにもない 生の悶えが
こちらは自我の死 向こうは良心の死

心に変革の熱望が生じている
おそらく近づいてきたのだ 古い世界の死が

うーん…と、私などは思わず腕組みしてしまう。欧米側に位置する日本人の一人として、この詩を消化することは難しいが、その味わいを感じることは可能な気がする。この本をスーツケースに詰め込み、日本に向かうことになる学生は誰になるのかわからない。だが、日本で社会科学を学び、ふとこの詩集を手に取った時、その学生は何を思うのだろうか。

2019年8月17日土曜日

追悼 P・フォンダ

https://blog.goo.ne.jp/harleykyan/e/e961c7eea05d7498b4d515589ac92db4
ピーター・フォンダが亡くなった。私はあまり映画を見ないのだが、イージー・ライダーという映画の衝撃は大きかった。公民権運動とベトナム反戦運動の最中に作られた強烈な映画であると思う。まさに時代を映した映画だったと思うのだ。ちなみに、映画の主題歌のようになっている「ワイルドで行こう」を聞きながら、サウスダコタやワイオミングを走った。これほどアメリカのドライブに合う曲はないと思う。

高校時代の友人のYが、「イージー・サイクラーという映画を作ろうではないか。」と私に持ち掛けてきたことがある。(笑)彼が最も作りたかったシーンは、(ピーター・フォンダが旅に出る寸前に)時計を捨てるシーンだった。時計を捨てることで、真の自由を獲得するのだ、と彼は言った。…なるほど。Yと、その後実際に8mm映画を作ったのだが、ついにこのバクリ作品となるはずだったイージー・サイクラーは構想のままで終わってしまった。最大の問題は、チョッパーの自転車を作る資金がなかったのだ。(笑)もし、作っていたら、Yは最後のシーンはどうするつもりだったのだろう。同じように、「髪の毛を切れ。」と言われて事故死することになったのかもしれない。当時、我々は高校生としてはかなりの長髪だった。
http://route375.hatenadiary.com/entry/2015/06/20/211456
ところで、ピーターフォンダの父親は、名優ヘンリー・フォンダだ。私は十二人の怒れる男という作品に、強烈な印象を受けた。アメリカの民主主義とは何かを問う名画中の名画だと思う。この父子は、そんなに仲が良くなかったようだが、私の好きな映画を飾る2人ことを改めて想う。ピーター・フォンダの冥福を祈りたい。

2019年8月16日金曜日

PBTの話(60) イーサー

メディナにあるジャンナ・トゥルバギー墓地からムハンマドの墓のあるグリーンモスクを望む
哲学史講義は、アリストテレスまで終了し、少しキリスト教(ヘブライズム)の理解に入った。。今回はムスリムの国費生相手であるので、いつもと少しだけ勝手が違う。ムスリムの立場から理解するにはどういう説明が最もいいのかを念頭に置いている。したがって、こちからから質問することも多い。イエス(イーサー)について、終末と救世主とはイスラム教ではどうとらえているのかを聞いた。すると、意外な回答が返ってきた。

「イーサーは、終末の前に悪魔と戦うのです。」「…?」と、いうわけで、調べてみた。
イスラム教では、当然ながらイエスを神の子であるとはしない。三位一体説は完全否定される。また磔になったということも否定されている。とはいえ、ムハンマドの先駆者として、終末の前にダマスカスに降臨し、学生たちが言っていたように戦い、啓典の民(ユダヤ教徒・キリスト教徒)をムスリムとしてまとめあげる。統治すること40年で彼は死に、メディナにあるムハンマドと初代・第二代カリフの墓の傍らにある空の墓に埋葬されるそうだ。
ちなみに、クルアーンには、イーサーの呼称の中に、「ムバラク」(幸運な)や「アブドーラ」(神の召使)というのがあった。私の中では、アラブの春で失脚したエジプトの大統領や地獄突きのプロレスラー・ブッチャーを連想させる。こういう新たな学びや発見は実に面白い。

ちなみに、今日の主役・アリストテレスの講義も実にうまくいった。ソクラテス、プラトンと対比しながら、3つのコンフリクトで整理しながら進める。私の教え子諸君ならすぐ思い出すと思うが、「京都のハンバーガーショップでの勇気の話」を中庸の説明のために講じた。私のすべらない話の中でも5本指に入る逸話である。(笑)

2019年8月15日木曜日

PBTの話(59) G大のOG来校

G女大のOGのY君がが一時帰国してその足でPBTに寄ってくれた。初めての進学先で当初、ビザや住居などいろいろと苦労したようだが、今は授業に大いに満足しているようだ。実に嬉しい。図書館でアルバイトしているL君ともゆっくり会い、激励もしてくれた。その気持ちもうれしい。

さて、哲学史の授業は、ソクラテス、プラトンまで両クラスとも終了した。明日はいよいよアリストテレスである。今日もいい授業ができた。

さて、このところ夕方になるとスコールが凄い。650番の待ち時間が11分と出ていたので、実際は30分以上待つことになると確信した。640番が来たので、ちょっと小雨だが乗ることにした。久しぶりにジャングルロードで帰ろうと思ったのだ。ところがびっくり。ジャングルロードがふさがっている。おそらく落雷で木が倒れたのであろう。時々こういうことがある。私はなんとか乗り越えられたが、バイクの人は無理だと思う。貴重な抜け道なのだが…。

2019年8月14日水曜日

PBTの話(58) 西洋哲学史開始

http://naturalyasmeen.blog47.fc2.
com/blog-entry-186.html?sp
ろうそくの炎が燃え尽きるように、大輪の輝きを彷彿とさせるような授業ができたと思う。PBTでの最終講義、西洋哲学史+αの開始である。毎回そうだが、3つのコンフリクトの話から私は始める。自然、社会、そして自己自身をフィールドとして哲学史は歩んできた。これをまず理解してもらうことが、ソクラテス、プラトン、アリストテレスを対比して教えるの有効なのだ。

この3つのコンフリクトの話に絡めて、心理学的な話を挿入した。自己自身へのコンフリクトのなかで凶暴な自我を内在云々という箇所があって、爬虫類脳の話になり、白雪姫コンプレックスに繋げたのだ。最終講義であるから、男子学生にも女子学生にも哲学とともに伝えたいことがある。心理学を志す学生もいるので、ギリシア神話と絡めて、一気にエディプスコンプレックスも講義した。かなり興味を持たせることに成功した。
…初日から疲れたが、心地よい疲れである。

2019年8月13日火曜日

火曜日のタマンデサ

4連休の最終日である。恒例の妻との買い物でタマンデサを歩いた。ランチは、いつものフードコートで、水餃子の入ったワンタンミーとクェティオ。スイカジュース付き。こういう食事も、いよいよカウントダウンである。
スーパーマーケットでは、9月の中華系人々の満月を祝う準備で早くも「月餅」コーナーが出来ていた。マレーシアは、各民族の文化的行事が次々と訪れる。商魂たくましきかな、である。
大通りでは、今日もマレー系のおばちゃんが、ジャックフルーツの屋台を出していた。ちょっと甘い歯ごたえがいいフルーツで、そもそもの実は無茶苦茶でかいドリアン風である。マレーシア語で「テリマカシ(ありがどう)」と言ったら「サマサマ(どういたしまして)」と返ってきた。実は、おばちゃんと初めてのマレーシア語会話だった。(これまではサンキューだった。)なんか嬉しい。

2019年8月12日月曜日

ところで一時帰国のお話

松山駅からアンパンマンの描かれた特急で八幡浜に向かう
今回の一時帰国は、最大のミッションが再就職の第4次面接であっただけに、ブログではわからないようにしていました。7月27日の土曜日に、KLIA2から帰国の途に就き、1日休養して、29日の月曜日、枚方市に住民票を戻し、その足で京都の息子の元に向かい、届いていたパソコンを取りに行ったぐらいです。翌日、ピーチ航空で関空から松山空港へ飛び、松山駅から特急で八幡浜へ。ここで一泊し、翌朝タクシーで伊方町役場へ面接に行きました。その後、また八幡浜から特急に乗り、同じコースで大阪に帰ってきた次第。翌8月1日の夕方の便でマレーシアに戻るという、なかなかハードスケジュールで、旧知の友人や教え子の誰とも会うこともままなりませんでした。

というわけで、赴任するはずの三崎にも行っていません。伊方町役場からローカルバスで八幡浜に戻ったのですが、のどかな海辺の町でしたので、おそらく同様だと思います。とにかく海が穏やかでした。四国・愛媛は全くの初めてで、まだなんともコメントできませんが、八幡浜駅前の「豚うどん」(500円)は極めて美味でした。(笑)

さて、マレーシアに戻るエアアジア便は、夜10時発、朝4時過ぎ着で、まあ寝るだけのフライトでしたが、私たちの前にいた男性のキャビンアテンダントはひどい奴でした。唯一の日系の男性アテンダントは走り回っていたのだけれど、彼は何もしない。見事なさぼりっぷり。何度もトイレに潜んでいました。しかもKLIA2への着陸態勢に入ってから、スマホをいじっているという信じられない光景を目にしました。当然ながら乗客には使用禁止のアナウンスは流れてます。うーん。仕事に対してはプロフェッショナルが普通の日本人から見ると、極めて不愉快。
エアアジアの折り畳み傘(RM35)
画像にあるエアアジアの傘は、なんとなくかわいいので買いましたが、もともと私の評価が低いエアアジアなのに、さらに二度と乗りたくないレベルまで低下。できれば、本帰国はJAL…と思っていたのですが、やはり価格には勝てず、もうすでに妻が予約を済ませていたのでした。(笑)

2019年8月11日日曜日

カウントダウンの1日

日曜の午前中なのに超満員だった650番のバス メディカルセンター前バス停より
ハリラヤハジでマレーシア全土が休日である。今日は日曜日なので、月曜日も振り替え休日。火曜日もPBTは休校になっているので4連休である。昨日に続き、本帰国するゆえに行っておきたいところの第二弾は、ミッドバレーのSuperdryである。いつかエントリーしたけれど、ここで新しいザックを手に入れたかったのである。
幸い、慈悲深き妻の許可が出て、11時くらいにミッドバレーに出ることになった。さて、部屋を出ようとしたらバスの来る音。(かなり特徴があるのでよくわかる。笑)すぐ近くのバス停には間に合わないので、タマンデサを一周して最後のバス停であるメディカルセンターのバス停まで行って乗ることにした。日曜だし、乗る客が少ないので間に合うかなと危惧していたのだが、実際バスが来ると超満員だった。おそらく、ハリラヤハジで、どこかで国王主催の無料の食事が用意されているのではないか、それに参加しようとするバングラディシュやインドネシアの外国人労働者人々だというのが、わが夫婦の推測である。このあたり、イスラムを国教としているマレーシアらしい話で、うん、マレーシア万歳である。

というわけで今日もミステリアスな650番バスに翻弄されたわけだ。(笑)ザックの方は無事に手元に入った。帰国時のフライトから使う予定でいる。何よりいいのは、一時帰国時に京都の息子宅に届いていた新しいDELLのパソコン(今これを使用中)がすっぽり収まる作りになっていることで、三崎高校・未咲輝塾に通う際のザックとする予定である。
ミッドバレーに出たついでに、妻は梱包用のバブルラップを買うという。普段我々が「コーナン」(日本にある工具や材料を取りそろえた店)と呼んでいる店で購入。今日初めて店名が「ACE」であることを知った。(笑)最後に「こむぎ」でハード系のパンを買おうとしたら改装中。こういう想定外はマレーシアでは日常茶飯事である。と、なんだかんだとマレーシアな、カウントダウンの1日であった。
追記:昨日、わがブログのアクセス数が、1417という凄い数で、びっくりしました。そのほとんどがアメリカからのようです。特定の記事に、というわけではないようですが、ありがたいなと思いつつも驚きを隠しえません。

2019年8月10日土曜日

Hard Rock cafe KL

本帰国が決まったので、帰国までに行っておかなければならない場所がいくつかある。まずは、ハードロックカフェのクアラルンプール(KL)店である。私は、ハードロックカフェのTシャツやポロシャツのコレクターである。故に、KLのものは当然持っていたい。ただ、KLでKLのロゴの入ったものを着るのは私の流儀に反する。で、今まで足を踏み入れなかったのだった。
KL店は、モノレールのブキッビンタン駅から2つ目の駅に近い。意外に簡素なディスプレイの店だった。目指すグッズを手に入れて、ピンクのKL無料巡回バスに乗り込んだ。650番のバスの始点・パサセニに向かうためである。ところが、意外な方向に向かって行き、知らないバスターミナルに着いた。どうやらチョウキットの北にあるバスターミナルらしい。我々夫婦はブルーラインのバスに乗ってしまったらしい。以前は、無料バスは色分けされていて、ピンクのバスはパサセニ行きと思い込んでいたのだが、とんだアクシデントだったわけだ。と、言っても無料バスなので、ちょっと知らないところを観光したという塩梅である。

同じブルーラインでブキッビンタンに戻り、食事をしてから地下鉄でパサセニに向かい、セントラルマーケットによって、メイバンクのATMで現金を下ろした。これまたアクシデントで、中国語のボタンを押してしまった。全くわからない。近くの店の店員さんに助けてもらってなんとかキャンセルでき、英語で再開したのだった。(笑)そんなこんなで、やっと650番のバス・ストップにたどり着いた。やってきたバスには、なんと小さな女の子がすでに乗っていた。運転手の娘っ子らしい。なかなかかわいいのであった。しかしながら、さすがに娘連れの運転手のバスは初めて。…カウントダウンの始まった日々。マレーシア万歳である。

2019年8月9日金曜日

PBTの話(57) マレーシア留魂録

突然ですが、PBTを8月いっぱいで退職することになりました。PBTの文系クラスが増え、本年度は3人体制にすることを私が昨年お願いしたのですが、予定が狂い、3人もいらない状況になりました。「もし、社会科教師が余るようなら自分が責任を取ります。」と私は言いましたので、武士に二言なし。「義」から、私が身を引くことになったわけです。
本来は11月に一時帰国し、いくつかの府県に講師登録をするつもりでしたが、よく考えるとPBTのようなやりがいのある教育現場に行けるとは限りません。それで、ある転職サイトに登録しました。そこで見つけたのが、総務省管轄の地域おこし協力隊。過疎地域の高校の公営塾の募集でした。最初は北海道の某高校志望でしたが、斡旋の会社から愛媛県伊方町にある県立三崎高校を勧められ、2次、3次面接を経て、先日一時帰国し現地での4次面接に臨みました。ここで私が示したのは、ユネスコスクールの申請の件です。これは長くESDに関わってきた私の夢でもあり「志」です。大阪市立南高校で実現できないままになっていたユネスコスクール。この三崎高校の素晴らしい教育実践をWEBで知るうち、是非とも申請のためにひと肌も二肌も脱がせていただきたく感じていることを述べ、昨日、採用通知をいただきました。

三崎高校の公営塾(未咲輝塾)は、学習指導・進学指導だけでなく、国際交流にも熱心に取り組んでおられます。私の方は、F42の卒業の2月、それがだめなら12月の修了試験、せめて11月のEJUまでPBTに残って指導したいとお願いしていたのですが、現在、2人のナイスガイの青年講師だけで行っておられる塾の運営上、10月から着任ということになりました。それで、PBT在任期間は、8月末ということになった次第です。(帰国と大阪からの移住の準備もありますので…。)

本日、F42の学生諸君にはその旨を伝えました。まず、私の蔵書36冊を抽選で配りました。日本に持って帰る予定のない、日本人会の古本コーナーで購入した本がほとんどですが、志望動機を考えている学生諸君には、結構ありがたがられました。その後、私が8月末で退職する事、その理由などを語りました。「マレーシア留魂録」というプリントも用意し、その第一章は「義と義の狭間に立って」という経過報告、第二章は「これからのこと」という私の代わりの先生方の紹介、定期試験・修了試験は私がつくることなどの約束、そして第三章は「マレーシア留魂録」として、吉田松陰の「志」を引用して、私の志・地球市民として持続可能な開発をマレーシアで実現してほしいことも述べました。

三崎高校は、佐田岬の近くで最も近い八幡浜市までバスで1時間以上かかるという過疎地域にあります。全校生徒は3学年で82名。昨年度の国公立大学進学8名。学校の存続をかけて、全国募集に踏み切り、寮もあります。各種イベントや老人ホームや保育園訪問、清掃活動などの地域活動もとても盛んな素晴らしい高校です。やりがいのあるPBTを離れるのはとても残念ですが、新たな理想に向かって走り出したいと思います。

学生に贈った蔵書には、1人ひとり「理想に生きることをやめた時青春は終わる」と記しておきました。偽りなき私の今の気持ちでもあります。

F36・38・40の一時帰国中の卒業生諸君には、昨日このブログで案内したPBTの同窓会で会えたらいいなと思っています。PBTのフェイスブックにアクセスしてみてください。

2019年8月8日木曜日

PBTの話(56) 同窓会告知

愛媛県伊方町役場から風力発電を望む
8月24日(土)18:30から、日本人会の屋上で同窓会のパーティーがあるそうで、私も参加しようと思っている。とりあえず、在馬のF38のL君とG君にはLINEで連絡したのだが…。もし、この時期に帰国中のF36・38・40の学生がいたら、是非来てほしいな。焼肉パーティーで、なんと参加費はRM30らしい。
…今日は、明日の用意のため多忙なので、ここまで。

2019年8月7日水曜日

PBTの話(55) 社会学考

ユング
http://jg-takeuchi.jp/i

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社会学という学問は面白いと思う。最大の理由は、学問領域の広さである。そこから導き出される何らかの理論も、他の社会科学よりも回答が多い。自然科学が唯一の回答を求め、人文学は無限大の回答がある。経済学や政治学、歴史学などには異なる回答はあるものの、一定数に限られるだろう。社会学も、もちろん社会科学であるから、法則性を追求するわけだが、他の社会科学に比べると、回答数はかなり多いと思う。

今朝、日本人会のロビーで、そんな話をL君としていた。フッサールに始まる現象学的なものの見方が、現在の主流であるとすれば、導かれた結論は必ずしも絶対的な真理だとは言えなくなる。だからこそ、面白いのかもしれない…と。

隣国の狂気の沙汰としか思えない「日本製品の不買運動」という社会現象は、まさに「反日」というゼロ記号が社会をリードしている。何故反日なのかを追求していけば、そこにはちょっと考えればわかるような嘘で塗り固められた歴史の「物語」に過ぎないことがわかるはずだ。しかし、彼らは「反省しない傷ついたコギト」である。何故なら、彼らのDNAの中に、「儒家のカインコンプレックス」があるからだ。私のこの社会学的な持論は、デリダ、リクールという2人のフランス人の理論を借りている。カインコンプレックスについては、ユングの理論である。まあ、これらのチャンポンなわけだが、自分なりには正しいと考えている。おそらく社会学の公的な論文として発表すれば、批判にさらされるはずだが…。(笑)しかし、こういう社会学的な視点をもつことは、重要だと思うし、面白いと思っている。社会学を志すL君に付き合う中で、いろいろ勉強して多少身に着いた。L君に感謝している次第。

2019年8月6日火曜日

PBTの話(54) 神大N君の里帰

神戸モスク https://4travel.jp/travelogue/11168703
1時間目、DクラスのT先生の日本語の授業で、国費生の志望動機を書く初授業に参加した。そこに、久しぶりにF36のN君が登場したのだった。T先生が一度職員室に戻ったら、ちょうと里帰り来校してきたところだったらしい。これ幸いと連れてこられたのだった。いやあ、懐かしい。彼とは2年前に大阪の京橋でカラオケを楽しんで以来である。

後輩たちに、いろいろと語ってもらい、彼が学んでいる経営学についても伝えてもらった。聞くと、今朝、関空からKLに着いたのだという。ありがたいことだ。2時間目はEクラスで、スピコンの心構えや、手話サークルの話などもしてくれた。こういう先輩後輩のつながりは、PBTの伝統である。

神戸は、神戸モスクもあるし、すぐ前にハラルの店もある。マレー系の学生にとっては恵まれた土地である。ぜひ、N君の後輩を送り出したいものだ。

2019年8月5日月曜日

PBTの話(53) 日本の防災

南海トラフ地震の津波予想(気象庁)
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/nteq/assumption.html
久しぶりの授業である。8月から時間割が変更になり、総時間数は同じだが、45分授業×4だったのが、ゼロになり、90分授業が2増えた。というのも、8月中は、週2時間、DEの両クラスにに1時間ずつ志望動機を書く日本語の授業にも参加することになったからだ。

授業は、いよいよ最後に残していた地理分野の自然災害・防災と日本地理を今週で仕上げる予定だ。今日は90分授業で、自然災害や防災の話をした。マレーシアの学生は、台風も地震も津波も火山災害も全く経験がない。これを私の経験を交えながら、興味を持たせるのは大変だが、今回はパワーポイントなしで、私の話術だけで盛り上げることに成功した。まるで、ろうそくの火が燃え尽きる瞬間のような授業だったような気がする。

さて、日本に留学する彼らに、日本の災害のデメリットはきちんと教えておくべきだと思う。台風や火山災害は事前にわかるからいいが、地震や津波はそうはいかない。都道府県では、どのあたりが台風が多いか、火山の被害があり得るのはどの地域か。そして今話題の南海トラフ地震と津波の被害予想についても話した。高知県などは、人口減少率が上がっていることもきちんと教えておくべきだと思う。ただし、被害想定では、意外なことに大阪が最も危険らしい。水の都で河川が多いことは、津波が来た際被害を拡大させるらしい。しかも沿岸部は0m地帯が多いし、地下街や地下鉄は最も危険な場所になると予想されている。とはいえ、この南海トラフ地震の起きる確率は、ここ30年で70%だという。

これに対する防災の備えについてもふれておいた。地方の自治体では、ハザードマップを作成し、細かな対策を練っている話もした。日本は、こういう防災に対しては世界で最も先進的であることを述べた。政策学でこれを学ぶことも価値のあることかもしれない。

結局のところ、日本のどこだろうとリスクはあるのだ。直下型地震もあるかもしれないし、比較的地震や台風の被害の少ない日本海側には毎冬の雪というデメリットもある。要するに、自分のやりたい学部のあるところに行くしかないよなと、激励をしたら、皆納得していたのだった。