2019年8月29日木曜日

PBTの話(71) 最終講義

哲学史の講義もいよいよ最終講義になった。今日は、大乗仏教の根本理念である「中観」「唯識」「如来蔵」を中心に、天台宗の「一念三千論」まで説いた。日本人でもかなり難解であるのだが、最後までついてきてくれた。

中観の空という概念は、いつもどおり電波で理解させることに成功した。ヨーロッパ哲学の有と無の存在論とは次元が違うことを、これも天台の「空仮中の三諦」で語った。このあたりは、仏教哲理の凄さで、ムスリムの彼らにも十分理解可能である。唯識の六識もカントの直観形式などと対比しながら十分。末那識はフロイドの無意識の発見などよりもはるかに古くから語られていること、さらに阿頼耶識はユングを使って語った。さらに、如来蔵。唯識の奥深くに仏が内在することを語るわけだ。仏教の平等観は、すべての人間に仏性があるという平等大慧からきていること。私がマレーシアで外国人労働者を軽んじない理由も述べた。

さらに、時間があったので、十界論、十界互具を語った。この辺は面白いので興味深く聞いてくれた。そして、十如是。「相と性と体は、これまで話したどれと結びつくか?」との私の質問に、ローカルボーイのA君が、「空仮中」と大正解。彼は哲学的な才能がある。(笑)さらに三世間を教えて、一念三千論となった。インドの思想が「我は梵なり」と宇宙との一体を説くことにもどって、一念三千の意味を説いたわけだ。

ムスリムの学生に、仏教を説くことはかなり難しい。依処が全く違うからだが、異文化として、その論理性に触れてもらえれば私は十分満足である。

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