2024年4月26日金曜日

イスラムとErich Fromm

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の備忘録、第9回目。まとめに入るつもりだったのだが、フランクフルト学派のフロムの話が非常に印象的だったので、もう1回現代哲学編をエントリーしたい。

フロムは、フランクフルト学派の中でも、一番宗教的で、鈴木大拙とも対談していて、『禅と精神分析』という共著もある。フロムは、人間には「有る」と「持つ」という2つの生活様式がある、と言う。有る生活様式とは、生成変化の過程として現在を生きることであり、持つ生活様式とは、なにかを固定して永久に保持しようとすることである。フロムは言語分析を行う中で、セム語のアラビア語・ヘブライ語には英語の「持つ(have)」がない、フロムによると、「持つ」の多用は資本主義の特徴で、haveに名詞をつける表現がどんどん増えている。生きているものは不断に生成変化する。所有できるものは死んだもので所有するということは対象を殺すことになる。

その例として、ここで突如漫画『ドランゴん桜』で、発達障害の昆虫好きの少年の話が登場する。先生たちは、昆虫の標本を与えるが、彼は全く興味を示さない。少年は生きた昆虫とともに生きることが好きなのに、資本主義の健常者である先生たちは、昆虫を殺し、その死体を標本にし、所有して飾っておくことが昆虫好きだと信じているわけで、まさにフロムの持つ生活様式、資本主義的生活様式であるが、障害者扱いされている少年は有る生活様式で、それにドラゴン桜木が気づくという話である。…見事な説明である。

またフロムは、領域国民国家システムそれ自体、またその中で生きる人間の病理についても述べている。「人間の歴史の中で、様々な偶像が崇拝されてきたが、今日、それは名誉、国旗、国家、母、家族、名声、消費といったいろんな名で呼ばれる。けれど正式の礼拝は神であるというたてまえからいって、今日の偶像が人間の崇拝の本当の対象となっていることはなかなか見破られない。かつて、神に捧げられる人柱があったが、戦争におけるナショナリズムや国家という偶像に捧げられる現代の人柱の間には、我々が考えるほどのひらきが実際にあるのだろうか。」(ユダヤ教の人間観)

…これまで、古代哲学以来、批判的な論述が多かったのだが、領域国民国家システムを批判し、カリフ制論を展開しているイスラム哲学者でもある中田考氏が、このフロムの影響を受けていると言う。実によくわかる気がする。

2024年4月25日木曜日

イスラムと Lévi-Strauss

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の備忘録、第8回目。いよいよ終盤である。本日はレヴィー=ストロースの話になる。中田考氏は構造主義を当時流行していたマルクスの唯物史観のような歴史主義や実存主義のアンチテーゼだとして論じている。20世紀中盤には、構造主義がマスクス主義の力を削ぎ、とどめを刺したというわけだ。たしかに、人文社会化学の潮流は、歴史分析から構造分析に変化したといってよい。

さて、このレヴィー=ストロース、イスラムが非常に嫌いだったらしい。ただし、非常に屈折した言い方をしていて、仏教、キリスト教、イスラム教を並べて、仏教を一番高く評価し、歴史的にキリスト教、イスラム教は劣化した、それもイスラムが立ちふさがったことでキリスト教が仏教に戻る可能性が断ち切られ、キリスト教がイスラム化したという言い方で批判している。これは、人類学者的な民族的視点であって、聖書学者や仏教学者もとんでもない理論だとしているそうだ。

ブッダは、ギリシアの哲学者たちと同類のアーリア系だが、(ローマ軍人との私生児説から見ると)イエスは、セム人(ユダヤ人:マリア)とアーリア人の混血、ムハンマドはセム人、アーリア的な仏教に回帰したほうが女性的で平和な世界、多文化を許容する世界ができたはずなのに、セム的なイスラムがヨーロッパとアジアの間に生まれたために現代社会は殺伐たるものになったと、レヴィー=ストロースは、アーリア民族主義者的な視点を「悲しき熱帯Ⅱ」の中で述べている。そもそも、レヴィー=ストロースはユダヤ系の人なのだが、かなり複雑な思いがあったのではないかと、中田考氏は述べている。もちろん、とんでもない理論として反論もなされていない。

2024年4月24日水曜日

イスラムと Wittgenstein

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の備忘録、第7回目。いよいよ現代哲学に突入である。まず、ヴィトゲンシュタインとイスラムの関わりであるが、中田考氏の見識はすこぶる深く、論理実証主義を見事に解き明かしているのだが、難解に過ぎるので、その部分は割愛したい。以前から、ヴィトゲンシュタインについては、一度本気で読んでみたいと思っていた。その際にまた参考にさせてもらおうと思う。よって、イスラムとの関わりに絞ってエントリーしておきたい。かのヴィトゲンシュタインの前期哲学の集大成である「論理哲学論考」の有名な結論「およそ語りうること明晰に語りうるし、語り得ないものについては沈黙しなければならない。」で、沈黙すべきものを彼は「神秘的なもの」と名付けている。

ヴィトゲンシュタインの「神秘的なもの」の一つは、自己であると中田考氏は言う。自己は世界の中にはなく、世界の外との境界にある。世界の中にはいかなる価値もなく、しかし世界の外には、「語り得ないもの」すなわち神がいる。自己は、接点、接面といった比喩でしか語れないものであり、しかも実際には人間は4次元の世界で生きているので、時間にも厚みがあるはずで、それが哲学の一番の問題であるとと考えているとも。自己は存在しないという命題は哲学化されたイスラム神秘主義の中では、これが通説で、人間は存在せず、自己も存在せず、神だけが存在すると言われてきた。シーア派のイルファーン哲学では、これを理論化しようと試みているが、中田考氏は成功しているとは思っておらず、それに対して、スンニー派は理論化せず、沈黙し、言葉で語るのではなく実践の中で示そうとしてきた。よって、スンニー派は、ヴィトゲンシュタイン的と言えなくもないとのこと。

後期ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」については、言葉は生活様式の一部で単語にあらかじめ決まった意味もなければ決められた使用法もない、逆にそのような先入観を捨て虚心に実際の言語の使用法を観察することが哲学の仕事だ、とヴィトゲンシュタインは主張するが、イスラムは、全くの逆で言葉には正しい意味と正しい使用法がある、それがクルアーンの言葉であり、ムハンマドが弟子たちに語った使用法の中に示されている、と全く逆の立場を取っている。このため、イスラムでは、クルアーンの意味論的意味を確定するために、イスラム以前のアラビア語の語彙を収集し、数十巻にも及ぶレキシコンを編集すると同時に、預言者の言葉だけでなく。彼と弟子たちの言動を記録し、彼らが生きた生活様式をできる限り変えずにそのまま維持することに努めてきた。(…まるで荻生徂徠の古文辞学の如くである。)ここで、イブン・ターミヤが登場する。法学的に、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論と同様な理路(虚心で意味を探る)で、預言者とその弟子たちの生活様式を守ることでがクルアーンの意味を正しく理解できると考えた。イブン・ターミヤは、復古主義を唱え、神学的にこの宇宙を超えたこと、語り得ないことに関しては、この世界の外からきた言葉、クルアーンに自ら語らせ、その具体的な内容については自分の言葉を付け加えないとすることで、「語り得ないことについては沈黙する。」という同じ立場をとったといえると、中田考氏は語っている。

…なかなか興味深い内容だと思う。しかし、中田考氏の見識は感動的なほど深すぎる、と私などは思う次第。

2024年4月23日火曜日

久々に気候区分のPPを作成

地理総合の特進コースは、教科書どおり進んでいるのだが、総合コース・看護コースのクラスは、受験には全く関係がないので、ケッペンの気候区分から始めている。地理という教科は、空間上の法則性こそが主眼なので、ケッペンの気候区分はまさに法則性の権化のような存在なのである。このあと、農業、そして文化へと進んでいくのにも都合が良い。

まずは、A・B・C・D・Eの気候帯の名前を無理やり覚えてもらう。その後、A・C・Dに登場する、f・s・wを覚えさせる。BとEは大文字の連記でBW・BS・ET・EFを覚えてもらう。それぞれ2分程度の時間で、次々指名して確認している。その後、「Afは?」「熱帯で1年中雨がフルフル」などと答えてもらう。さらに、A・C・D・Eの分類(たとえば、C:温帯は最寒月が18℃以下-3℃以上であるとか、ET:ツンドラ気候は、最寒月-3℃以下で、最暖月は0℃以上10℃以下だとか)を頭に入れてもらい、最後にCfaとCfbの相違とBWとBSの降水量の相違を教えるわけだ。これは、今まで地理を教えた生徒全てにやってきた。

次の授業では、各気候区の分布図を見ながら、グループワークで、その法則性を探ってもらった。なかなか難しいのだが、考えてなんぼ、間違ってなんぼ、(大阪弁で「なんぼ」とは価値があるという意味)の授業である。黒板に、じゃんけんで買った順に好きな気候区の法則性を書いてもらった。するどいものもあったし、大笑いしたものもあった。

さて、いよいよ各気候区の詳細を語っていく。今日は、そのためのパワーポイントを作成していた。プリントに合わせて、AとBの気候区の様々な資料を組み込んだ。画像は、BW(砂漠気候)のブルキナファソのサヘル地帯のモスクのオリジナル写真。日干しレンガの話をしようと思っている。さて、明日の初パワーポイント授業が楽しみである。

2024年4月22日月曜日

イスラムとニーチェ

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の備忘録、第6回目。ニヒリズムのニーチェである。ニーチェといれば「ツァラトゥストラはかく語りき」であるが、このツァラトゥストラは、イスラムでも預言者に入れいているゾロアスターのことである。よってニーチェは、非西洋的なものを肯定的に捉えていたといる。キリスト教批判を通じてニヒリズムと対決したが、イスラムを批判していないと中田考氏は好意的である。

さて、このニヒリズムは、宗教や全ての価値観の否定に繋がる、と中田考氏は懸念しており、新自由主義に回収されつつある自己責任論が強まり、金を稼げない人間は生きる価値がないように思われ、AIの進歩は科学的・合理的に決定されるべきだという風潮になり、やがて人間とくに老人は不要になり、子供さえ負担であるというといった流れが想起されると記されている。ニーチェは、死に際して、今後2世紀はニヒリズムの世紀になると予言しており、中田考氏はこの流れを堰き止めるのはイスラムだと確信している。

さて、ニーチェとくれば、ルサンチマンである。キリスト教は、怨念、恨み、弱者の宗教であるとニーチェは批判する。また、今のキリスト教はパウロ教であるとも指摘しており、現在の聖書学の常識の先駆者でもる。新約聖書は、使徒行伝のほうが福音書より早く書かれており、パウロの弟子であるルカ文書がその中心を成している。パウロはまぎれもなく元パリサイ派のユダヤ人であるが、面白いことが記してあった。ユダヤ人というのは、母系制(母親がユダヤ人ならその子はユダヤ人)であるが、これは、アブラハムの長男・イシュマエル(アラブ人の祖とされる)の母親はエジプト人なのに対して、次男のイサク(ユダヤ人の祖)の母親はサラなので、アブラハムの血統は母系となったという論があるらしい。ユダヤ人が作り上げた母系制話だというわけだ。(人類学者エドモンド・リーチの「神話としての創世記」)イエスの父親はローマ人兵士だという説があり、ユダヤ人ではないという説さえあるようで、ニーチェは「アンチ・キリスト」の中で、「キリスト教徒は1人しかおらず、その1人は十字架で死んだ。」という有名な言葉を残している。

ユダヤ人は国を失い迫害を受け、力がなくて、だがその事が善であるという逆転した考えを持っていた。迫害されている人間が正義であるというルサンチマンの教え(=道徳)を広めていった。この弱者の論理をニーチェは指摘し、キリスト教も、ローマの下層階級に広まったとされる。ギリシアを中心とした古典学者だったニーチェは、「良い」というのは、本来劣ったものに対する貴族の自己肯定を表す言葉で、身分的な意味での「貴族」「高貴」が基本概念で、そこから派生した卓越性が「良い」だとしている。このユダヤ・キリスト教のルサンチマンは、これを見事に逆転させたわけだ。

イスラムは、ムハンマドが自分を迫害した多神教徒に勝った征服者であり、ルサンチマンの宗教ではない。強いものは強く、弱いものは弱いなりに自分の力に応じて義務を負う、そして人間の力というのは、人間自身の力ではなく、神に従って正しく生きるための神から授かったものであり、力と責任とは論理的に対になっている概念である。この考えを、中田考氏は、高校時代にニーチェに学び、イスラムの教えを素直に受け入れることができたとカミングアウトしている。イスラムこそ、ニヒリズムを超克できる唯一の道として、この項を結んでいる。

…イスラムとニーチェ。思いもかけないような繋がり。興味深く読ませてもらった次第。

2024年4月21日日曜日

イスラムとフロイト

https://middle-edge.jp/articles/oZAb7
中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の備忘録、第5回目。イスラムから見たフロイトである。さて、西洋哲学の基盤であるアリストテレスは、人間の霊魂について、植物霊魂、動物霊魂、人間霊魂といった重層性を説いたが、人間霊魂が下位の霊魂を支配している、とした。この西洋哲学の常識に対し、フロイトの無意識という概念は、革新的なアイデアだったと中田考氏は 記している。フロイトの言うエロスとは、もう少し広い「生:レーベン=ライフ」に近い概念で、精神分析学から当時最も抑圧されていた「性」に焦点を絞った。そもそもリピドー(欲動)の対象は多岐にわたるので、フロイトの定型発達論(肛門期から始まる性の発達理論)は、多型倒錯的であるという前提で示されており、LGBTなどは当たり前の存在であると中田考氏は見ている。

…昔「ここが変だよ日本人」というたけしの討論番組があって、在日外国人がが日本語での議論に参加していた。ベナンのゾマホンが出ていた番組である。ここで、同性愛のことがテーマになった回で、それを認める側と認めない側で大論争というか、あわや暴力事件というカタチになった。認めない側は、パキスタンのイスラム教徒の男性である。よって、私は、絶対的にイスラムでは認められないと考えていたのだが、中田考氏は、イスラム法学者として次のように述べている。

イスラムでも「定型発達論」を想定している。そもそも欲動があるから禁止がある。人間にそういう性向があるのは構わないが、欲望のままに行動してはいけない、と言っているわけで、実際に同性間で性行為を行うと処刑されるのか、というのもまた別の次元の話になる。イスラムでは有罪にするには4人の証人を揃える必要があるので実際には非常に難しい。イスラムは、人間の内面に干渉しない。性行為は最もプライベートなもの故である。そもそもイスラム法は、我々が考えている法律とは違う。最後の審判で神が裁くのがイスラム法で、同性性交をした人が最後の審判で裁かれるかどうかは我々が決めることではない。フロイトが暴いた闇の部分について、無理に暴き立てようともせず、理解しようともせず、最後の審判で神の裁きに委ねようとするのがイスラムの立場である。

…なるほど。あのパキスタン人は、「定型発達論」をもとにアクションを起こしたのだろうが、結局のところ、イスラム法学から見ると他者に干渉しないという原理、最後の審判で神の裁きがどう出るか、我々には知る由もない、ということを理解していなかったということになる。イスラムを学んでいると、かなり柔軟であることに気づく。彼のアクションが、日本の視聴者にイスラム教徒はガチガチである、という印象を与えたように思うのだ。

2024年4月20日土曜日

イスラムとマルクス

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の書評というより備忘録、第4回目。西洋近代哲学から、中田氏が選んだのは、マルクス、フロイト、ニーチェである。中田考氏が近代哲学から、この3人を選んだのは、啓蒙主義以来の理性を信頼した哲学から、その裏に隠された人間を突き動かす真の動因を明かした故とある。マルクスは、資本主義社会の、フロイトは人間の、それぞれ無意識をあばいたし、ニーチェはニヒリズムでキリスト教を批判した。今回は、まずマルクスの哲学についてエントリーしたい。

マルクスがまず批判対象としたのは、ヘーゲル哲学である。ヘーゲルの「アジア的停滞」を歴史哲学からマルクスは継承している。(自由を実現する絶対精神は、オリエントの専制主義=たった1人が自由な社会から始まり、より多くの自由を実現していく。)マルクスは、唯物史観で唯物論に立脚し、ヘーゲルを超克しようとしているが、中田考から見れば、唯物論は、結局のところ唯心論に帰結する(=唯物だと人間の心が決め、感じているに過ぎない。)と一刀両断である。「共産党宣言」にしても「唯物史観」にしても、理論というよりも正義感・熱情によるものだとしている。マルクスの無神論も同様で、深い哲学的思考によるものではないと断じている。

ただ、歴史を直線的に見る「終末論」では繋がる。唯物論、無神論を唱えながらも、一神教のロジックを完全に踏襲している。もう一つ、マルクス経済学による「搾取」(=剰余価値説)は、イスラム経済の搾取禁止と繋がる。イスラムでは、商売は互いの相互満足による契約として認められているが、利子は認められていない。労働者の賃金も同様で、「ウジュラ」(賃料)は、物の使用料も人間の労働に対してもクルアーン第4章29節が適応される。新自由主義的な自由契約絶対主義ではない。労使の関係が対等ではなく不正な圧力があって、双方が納得できない場合、契約に満足できなかったとして、標準価格の賃金を求めて抗弁することが可能で、不正な契約は法律上取り消しすることもイスラム法上では可能である。最低賃金法的な機能を有しているわけだ。

ところで、イスラム諸国でも、マルクス主義が流行したことがある。エジプト、シリア、イラク、リビア、インドネシアなどでイスラムとマスクス主義の融合しようとしたが、これは植民地から独立し、帝国主義に対抗するための解放の議論として、経済だったらマルクス主義がいいのではという流行であったと中田考氏は考察している。

…なかなか示唆に富んだ内容だった。何より、マルクスの正義感・熱情がマルクス主義を生んだという箇所は、当時のイギリスの悲惨な状況から十分理解できる次第。

2024年4月19日金曜日

イスラエルのイラン直接攻撃

https://trafficnews.jp/post/119779
イスラエルが、イランに直接反撃を行ったというのは事実らしい。詳細が明らかないされていない。ミサイル、ドローン、はたまた退役したはずのアメリカのステルス機・F-117(画像参照)を使った攻撃など様々に伝えられているが、例によって隠匿やプロパガンダの可能性があるのでこれ以上は踏み込まない。

ただ、現ネタニヤフ政権は、汚職を摘発された首相を過激な右派が支えるカタチになっており、エスカレートを続ける可能性が高い。実に馬鹿げたことである。自己の権力維持(汚職による裁判・収監を回避)のために戦争を行うという不条理が見え隠れするゆえに、イスラエルに正義があるようには見えない、というのが私の現時点での見方である。当然ながら、イスラエル国内の世論は分かれていることだけはたしかだ。イランへの直接反撃についての支持の%情報も出ているが、正しいのかどうかわからない。

イランも、先日エントリーしたように、スンニー派の六信にあたる信仰の原理に「正義」を掲げるシーア派の思考回路から、絶対に引かないだろう。よく映像で国民が「イスラエルに死を」といった、我々から見ると極めて過激なシュプレヒコールを連呼するように、国民の熱い支持が背景にある。日清・日露戦争時の日本も世論は開戦を熱望し、それを背景に慎重だった政府は立たざるを得なかった。

イラン政府は、少なくとも、イスラエルよりは冷静であると思われる。だが、国民の熱狂をどう抑えるかである。推移を見守るしかないが…。

2024年4月18日木曜日

イスラムと近世哲学2

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の書評というより備忘録、第3回目。スピノザとヒュームの哲学との関わりについて。

屋根裏の哲人として知られるスピノザは、ユダヤ教徒であり、旧約聖書を研究し、当時としてはかなり合理的な捉え方をしたので、キリスト教からは睨まれ、ユダヤの共同体からも破門・追放された不遇の人である。スピノザとくれば、汎神論であるが、彼が言ったのは、「神は存在するが、神と自然は一つである。すべてのものは神の表れである。全てのものに神は宿っている。」というもので、アニミズムや八百万の神などの多神教と違うのは、全体が一つの神であるという”アブラハム的一神教の変奏”と中田氏は捉えている。

ただし、スピノザの神は完全に人格がなく、理神論の始まりともいえる。神は存在するけれども、理性の法則みたいなもので、そこに人格とか意思を認めると合理性と対立するというわけである。近代物理学のニュートンは、神というものは世界と法則を創造した最初の一瞬だけ存在すればいい、その後は宇宙は物理的法則に従って動いていくという典型的な理神論者であった。このようなスピノザの考え方をイスラム神学から見ると、前提から違う。

スピノザは理性を働かせて真理を得ることが徳で、人間が何かを欲するのも神の力に由来する人間の力の必然の発露であり、人間には自由はない、としているが、イスラムでは、神は崇拝、服従するものであり、善とは人間が欲するものではなく、神が人間に欲するものであり、神を崇め自分が望むことを自ら欲し、神に服従することであるとする。スピノザ的な人格のない自然を神として服従することは無意味で、単に自分の欲望に従う自己神格化ということになる。

次に、英経験論の懐疑論・ヒュームについて、アリストテレス的な自然の者の中に法則どおりに動く力が宿っているという考え方を排している、物事の連鎖はただその順に並んでおり、それぞれの間に因果関係は存在しないというわけで、イスラムもそう考える。ただ、契機と順番があるだけで、「偶因論」としては同じ。ただ、その起因を直接的に神に帰さない点で根本的に異なるというわけだ。

…要するに、イスラムには因果関係、仏教で言えば「縁起」が存在しないわけだ。このことは、以外に知られていいないと思う。

2024年4月17日水曜日

イスラムと近世哲学1

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の書評というより備忘録、第2回目である。相変わらず、かなり深い洞察がなされている。

まずは、デカルト。デカルトの、精神と物質をそれぞれ独立したものとする「心身二元論」は、非常に神学的である、と中田考氏は言う。初期イスラム神学の宇宙論では、生成消滅する可能存在者のうちで、空間の中に場所を占めるものが物体と呼ばれ、物体の変化は空間を占める物体に偶有が宿ることによって生じる。偶有は単体では存在しえず、物体に宿ることによってはじめて存在する。これを可能にするのは造物主(=神)である。したがって、宇宙とは、可能存在者である空間を占めるもの(=物体)とそれに宿るもの(偶有)の総体であり、存在者とは宇宙と宇宙を超えた空間を占めない必然存在者である造物主を合わせたものである。後期イスラム神学では、空間を占めない存在者が認められるようになる。それが霊体で、人間の霊魂や天使などを指す。デカルトの「心身二元論」は後期イスラム神学の世界観と一致しているわけだが、デカルト自身は宇宙を脱霊化した世俗的西洋近代哲学の祖だといえる。

デカルトのいう「コギト」(思惟する自我:理性)とイスラムの人間観は全く異なる。イスラムの場合、人間を他の被造物から分かつものは、神の命令への応答責任を担う、という倫理性に求められる。イスラムでは、人間は特殊であるが、理性を持っているからではなく、石による行為選択の自由を持っているからとされる。植物や動物には責任能力はなく、来世での最後の審判で地獄に落ちることはないわけである。これはハディースの記述によると、動物も一度蘇って審判を受け、不当ないじめを受けた場合はその応報をすませて消えてしまうという。

論題は、次に無神論に移っていくのだが、イスラムでは、「神がいるかいないか」ではなく「何を神とするか」が問題であるという。イスラムにはそもそも教会組織がないので、誰がイスラム教徒かを決定する機関はないし、人間の心の中を考え、思いを知るのは造物主アッラーだけなので、信仰を裁くといった発送がない。よって、異端審問や宗門改めのような制度はない。また、背教についてイスラム法では死刑を定めているが、アッラーに帰依しない、イスラム法を守らないと裁判で公言する以外ありえない。背教には、悔悟を求め、理解が足りないとされる場合や、理性を欠く狂人として責任能力がないと見なされ免責されるのが通常であるらしい。

…つづく。次回はスピノザの話になる予定。

2024年4月16日火曜日

イスラムと古代哲学

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の書評というより備忘録をエントリーしておきたい。中田考氏といえば、イスラム法学者だと思っていたが、カイロ大学で哲学で博士号を取っているそうだ。そもそも灘高から東大という凄い頭脳を持ってはるのだが、改めて驚いた。イスラム神学、イスラム法学だけでなく、西洋哲学の見識も実に深い。倫理の教師である私も二度読み、三度しなければついていけないほどの高度な内容が書かれている。

今回は、まずギリシア哲学との関わりの内容である。イスラム世界では、哲学にあたる語は、「ファルサファ」というらしい。もちろんアラビア語だが、ギリシア語のフィロソフィアの音写で、「英知」をも意味する。イスラム世界では、定冠詞付きで「哲学者」と記されていれば、アリストテレスのことで、「ファルサファ」といえば、ネオプラトニズム(新プラトン主義)化されたアリストテレス哲学を指すのだという。

ここでいう新プラトン主義は、イデア(真の存在)を神と同一視し、万物が一者から流出したという流出論的世界観のことである。(キリスト教においては教父・アウグスティヌスがこの影響を受けていることを倫理でも教える。)アリストテレスは、生成変化するこの世界の原因として、全てを包摂し、いかなる具象性もなく、永遠不滅で完全で自己観照のみをする存在を措定した。アリストテレスの「自然学」においては、理性的存在である人間が、この全ての存在の原因となる唯一の「不動の動者」の存在を認識することが目標となる。すなわち、プラトン・アリストテレスの哲学は唯一神教と極めて親和性が高い論理構成になっているわけで、イスラムの哲学者たちは、この「不動の動者」をアッラーである、と考えた。

…高校の倫理では、新プラトン主義は教えるが、このアリストテレスの「不動の動者」までは出てこない。ギリシア哲学を学んだのは、イスラムであり、その後キリスト教徒に伝わっていくことは教えるのだが、こういう論理的な繋がりが本書では示されていたわけだ。なかなか興味深い。

2024年4月15日月曜日

地名の暗記 考

三崎高校の理系進学者クラス(といってもたった2名だったけれど…。)以来の地理を教えているわけだが。先日、学院の世界史の先生から、「地理総合で是非とも地名をやってほしい。」と言われた。これには、様々な背景がある。本日は、この件について少し考察してみたい。

昔、M高校にいた頃、よく中学校や塾に営業に出かけていた。ある学研都市線沿線の中学校を訪問させてもらった時、対応してくれた若手の先生は地理の先生だった。たまたま私が社会科の教師だと知ると、中学地理の内容の薄さについて熱弁を振るってくれたことがある。

地名の暗記などは「ゆとり教育」の名のもとに切り捨てられていた。地理を好きな子はともかく、好きでもない子は、世界や日本の地理情報から切り離されているようだ。

私は、高度経済成長期の子供だったので、当然ながら詰め込み教育を受けてきた。ちなみに世界中の国名と首都名については、小学校の3年だったか4年だったかに夏休みの自由研究で、国旗のデザイン付き(色鉛筆仕上げで、サウジアラビアの国旗については苦労した記憶がある。笑)で1冊のノートにまとめた。要するに、私は地理が大好きだったのだ。以来、地名とか都市名とかのテストで苦労した経験がない。

息子は、「ゆとり教育世代」のちょっと前なので、小学校時代、日本の都道府県名や県庁所在地、河川名、山脈名などを妻に鍛えられていた。地理の試験があったのだろう。妻が言うに、小中学校の時代は、休み時間に地図帳を開けて、友達と面白い地名クイズなどをしていたとのこと。そうそう、アホ(米国アリゾナ州にある。)とか…。私も地図帳大好き人間だったので、当然やっていたもんだ。

さて、マレーシアのPBTには、職員室の壁一面に様々な日本語教育の教材、問題集などが並んでおり、社会科のコーナーもあった。そこには中学受験のための地理の問題集(本日の画像参照:こんな感じの問題集)があり、中学受験をする小学生は、何と言われようと塾で詰め込み教育をされていたことを知った。十分すぎるほどの地名がそこにはあった。

3月までお世話になった学園では地理を教えていないが、政経の国際情勢などで地名を扱った。特に違和感がなかったのは中学受験で入学している生徒が大半だったからだと思う。今お世話になっている学院の方は高校から入学の生徒が大半であるので、公立中学の「ゆとり教育」の洗礼を受けている故、地名に関しては、かなり厳しいと思われる。(もちろん地理が好きで地名に詳しい生徒もいるだろうが…。)

ゆとり教育の是非について少し考えてみたい。そもそも、素直で規律正しく基礎的な教養がある「良き工場労働者の育成」が、戦後教育の主目的だったと東大の教育学の先生が言われていた。しかしながら、エリート育成を怠れば日本の将来もないわけで、私は教育の目的には、二面性があると感じている。高度経済成長期を過ぎて、失われた十年と呼ばれるような時期になると、競争社会への批判とともに、「良き工場労働者」にはゆとり教育、エリートには、これまで以上の「詰め込み教育」という二分化が推進されてきたのではないかと思われる。我々の世代では、まだ二面化の前で、自然と両者に各人が進化していったのだ、と思う。

少子化が進み、中高一貫校はひたすら進学実績を追い求める。親の願いは、学歴重視で変わらない。彼らは一般入試で難関校を受験するエリートである。最近は、「良き工場労働者」も大学に進学するが、できれば年内に指定校や総合型選抜で合格して安心したい層になっている。大学受験も二分化されている。

だから何だと言われると、そういう社会学的な考察が可能だ、というだけの話である。問題は、各人が何を求め、何者になるかである。

と、いうわけで、基本的なヨーロッパの地名を書き込む提出用紙(B4の縦書きで地図を最大限大きくした。)を作った。これに提出用ではない白地図を2~3枚バラ撒くつもりである。まずは自分で、書き込むのが王道だと私は思う。

2024年4月14日日曜日

ついにイランの直接的反撃

https://mainichi.jp/articles/20240414/k00/00m/030/017000c
先日の在シリアのイラン領事館への攻撃への報復として、イランが、イスラエルに向けてドローンとミサイル攻撃に踏み切った。この事実をどう見るか。

このイランの攻撃は、ある程度抑制されたものであると私は見ている。第一報では、ドローンがゴラン高原(イスラエルが占領しているシリアとの国境地域)を狙っているとあった。もしそれが事実なら、「かなり」抑制されたものである。ここには主としてイスラエル軍が駐屯しているだけだからだ。しかもドローンは、米英空軍とイスラエル空軍によって、かなりの数が迎撃されたらしい。

その後、ミサイル攻撃があり、エレサレム上空でそれらの多くは迎撃された。これは少なくとも通常爆薬を搭載しており、これも迎撃されるのを承知の上での「抑制」された攻撃だと思われる。

モハPチャンネルでも、もしイランのイスラエル直接攻撃があった場合、世界経済はどう動くかという考察があったが、皆が騒いでいるホルムズ海峡の封鎖は行われないだろうという見込みが語られていた。その最大の理由は、イランと親しい中国の石油確保にある。日本にとっても超重要なシーレーンだが、中国も同様であり、今は中立を保っているサウジやUAE、クウェートなどの産油国を敵に回すことになり、イランは躊躇し抑制せざるを得ない、というわけだ。ただ、イスラエルに関係する船舶を拿捕する可能性はあるし、実際行われたらしい。リスクは増しているといえる。

というわけで、私は、少なくとも今日の時点では、イランは抑制した直接攻撃を行ったと感じている。

ところで、今読んでいる中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」の中で、シーア派について触れた箇所がある。スンニー派の六信五行(6つの信ずべきこと、5つの義務)は有名だし、倫理でも教えるが、シーア派は、五つ(1.神の唯一性 2.預言者職 3.イマーム 4.正義 5.来世)を原理としている。イランは、最大のシーア派(十二イマーム派)の共和国である。ここに「正義」が入っていることに注目したい。シーア派は第4代の正統カリフであるアリー(とその系譜)を重視・信奉する歴史を持ち、ムァーウィアーが開いたウマイヤ朝を正当とは認めない。正義はアリーの側にあると信じているし、アシュラという行事を行い、その痛みを受け継いできた。

イランは、そういう「正義」を重んじる。今回は「多分に抑制的な正義」を貫いたが、イスラエルがさらに報復すれば、次は「抑制」しない可能性も十分にある。イスラエルも、その存在をかけて、こちらは創世記から出エジプト記の「正義」を掲げて報復する可能が強い。(アメリカやロシアは現在はそれぞれ紛争の当事者なので)サウジやトルコ、あるいは中国などが間に入って納めるしかないだろうと思うのだが…。

2024年4月13日土曜日

旧巣鴨プリズンからのデモ

https://blog.goo.ne.jp/arya2golf/e/20390c31a104ed8563d2b4400b
東京の池袋にある旧巣鴨プリズン跡地から、WHOが画策しているパンデミック条約反対デモ行進が行われた。この条約については、私も注目している。WHOが各国の主権を超えて、パンデミックに際してWを接種することを強制できるという条約である。これは主権侵害だし、基本的人権にも反していることが明らかで、民主主義の破壊だといえる。

このデモ行進、10万人を目指して結集を図ったようだが、3万人ほど集まったらしい。信号で途切れているらしいが、凄い数と熱気だと思う。デモは、民主主義の一つの権利である。私は教師なってすぐ、周囲に誘われて組合のデモに理由もわからず参加したことが1回だけある。どうもシュプレヒコールとかはなんとなく苦手だ。そのたびに右手だけ掲げて黙って歩いた記憶がある。(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=7i0By6o7d1o

おそらくTVや新聞などのマスメディアは、このデモを大きくは扱わないだろう。日本の民主主義も危機的状況にある。首相はアメリカ議会で、スピーチがオオウケして上機嫌だろうが、彼らは、国民とかなり遊離していると言わざるをえない。…全くどうしようもない。

私は、このデモが、旧巣鴨プリズンを出発点にしていることを重視している。アメリカの日本支配から脱せよというわけだ。日本がアメリカの支配を受けて、事実上の州のようになっていることの証拠を上げればきりがない。その始まりが、東京裁判=極東軍事裁判という茶番劇であったことをこのデモの主催者は、深く認識しているのだろう。巣鴨プリズンは戦犯が収容され、処刑された場所である。ちなみに、A級戦犯の処刑された日は、12月23日現上皇陛下のお誕生日である。昭和天皇にとっても忘れられない日をあえて選んだことに、アメリカの悪意といってよいだろう意図が読み取れる。(ただし、昭和天皇は処刑されたA級戦犯の御霊が靖国に祀られたことに激怒され、二度と行かれなかった。)

再度確認しておきたい。私は右でも左でもない。ただ、日本の民主主義が破壊されることに反対だし、すでに民主主義がかなり破壊されたアメリカに「ポチ」としてシッポを振って従うのは危険だ、と言いたいのである。

追記(21:30):yahooニュースに、今回のデモの記事が少し出ていた。https://news.yahoo.co.jp/articles/c370c78ccfb93012edde7055d6cb2b8a3900a018

2024年4月12日金曜日

学院の ITシステムを入手

学院では、学園とはまた違ったITのシステムを導入されている。今週は、授業と共に、PC等に3つのシステムを導入した。すでに、多くの学校で、こういうシステム化は当然の理になっているようだ。

まずは、成績関係の「賢者」というシステム。学園では、スクールリーダーというシステムだったが、学院ではこれを使っているらしい。すでにログインをして使えるようになっているのだが、ちょっと恐ろしげでまだ本格的に起動していない。おそらく定期考査時に格闘することになると思われる。幸い、社会科でITに詳しいM先生が手伝ってくれるという約束をかわしているので、なんとかなりそうだ。

続いて、試験の採点につかう「YouMark」というシステム。学園では、先生方が「Smarky」というシステムを、Iパッドを用いて使われていた。この「YouMark」はPCで採点業務ができるらしい。○はM、✗はXのキーを打つらしい。まあ、小テストで試してみようと思っている。これも、M先生がそのようなことを教授してくれたのでちょっと安心である。

さらに、日々の連絡につかう「Classi」というアプリを携帯に入れてもらった。(自分でできなかったのが、実に情けない。)学校行事の日程や、休校時の連絡などに使われるのだろうと思う。学園ではGメールだったのだが、学院ではその他にも様々な機能があるこのシステムを使っているようだ。

残りは、学園と同じGoogleの「クラスルーム」である。学院では、科目ごとのルームをつくるらしいので、それは来週以降に、と思っている。

デジタルデバイドの昭和の教師には、なかなかの試練が待ち受けているのであった。

2024年4月11日木曜日

ヌートバー選手に檄

https://news.yahoo.co.jp/articles/84b0e09f6e
3566b0af1708c7c750c74946572bba/images/000
ドジャーズがカージナルスと対戦していた時に、気になったことがあった。ヌートバー選手が出ていないようなのだ。

調べてみると、オープン戦で肋骨を骨折して故障者リスト入して、3Aに落ちていたのだった。とはいえ、徐々に回復して、インディアナポリス線では1番左翼で出場、3打数1安打、1得点、1四球だったそうで、8日にはメジャー復帰の見込みらしい。

アスリートには、どうしても怪我がつきものだが、ヌートバー選手には是非頑張って、レギュラーとして盟友・大谷選手を迎えてほしいと思うのだ。開幕は間に合わなかったけれど、シーズンは長い。頑張って結果を残してほいい。

2024年4月10日水曜日

学院での初授業

https://www.minkou.jp/hischool/school/751/
地理総合の初授業の日である。都会のど真ん中にある学院の中高の校舎は7階まである。1つのクラスは4F、もう1つは6F。生徒は、ほとんどエレベータを使わないようである。(特に運動部の生徒は、鍛錬のためらしい。)エレベータに乗って授業に行くというのは、なかなか不思議な感覚である。

今日も先生方が親切に、いろいろ教えていただけて感謝である。校内やシステムの新しい発見もたくさんあった。実に新鮮である。

授業をして驚いたのは、教師側が起立・礼・着席と声を発することである。やってみると案外良い。(と言って軍隊式は好かないので、やろか~、はい、スタンダップみたいな感じ、礼もおはよう、終わりはありがとうという感じだが…。)全員が注目する礼というか挨拶ののタイミングがずれなくて良い。(笑)これも学院の長年の伝統の賜物のような気がする。特進クラスと総合クラス、それぞれ、なかなかいい雰囲気であった。しっかりと聞いてくれるし、反応も良い。これから、3年生全クラスの行脚に入るがさらに楽しみである。看護コースなんてどんな雰囲気なのだろう。

2024年4月9日火曜日

大谷選手の復調を喜ぶ。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/
20240409/k10014416471000.html
ドジャーズの大谷選手が。開幕直後に不調に陥って、長くホームランが出なかったのを心配していたが、先日初ホームランが出てホッとした。その後は絶好調で、今3号。二塁打なども量産しており、さすがというほかない。とにかくパワーが凄い。よくあんな体勢で打てるよなあという凄みがある。これも精進の賜物なのだろう。YouTubeには、善意・悪意様々な大谷選手のことを話題にしているチャンネルがあるのだが、こちらもリテラシー能力を発揮して、不愉快な情報は入れないようにしている。

たしかに、YouTubeは、リテラシーが重要である。信用できる情報でないと意味をなさない。私が最も信用しているのは、マクロ経済面で、モハPチャンネル、中国情報では、妙佛DEEPMAX。この2つはかなり信頼できる内容である。これに次ぐのは、アメリカ政治で、カナダ人ニュース。さらに中東情勢を中心に越境3.0チャンネルといったところ。

さて明日はいよいよ初授業である。実に楽しみ。準備は万全である。

2024年4月8日月曜日

学院の入学式の午後に。

7日は学院の入学式で、9日が始業式である。(今日は昨日の代休日となっている。)授業開始までに聞いておきたいこと、準備したいこともたくさんあって、午後に社会科主任の先生と、オリエンテーションのお約束をしていた。実に丁寧に対応していただいた。社会科内で最もITに詳しい先生は、新1年生の担任であり、極めてご多忙ながらも共に対応していただいた。

私にとっては、事実上の学院初日で、極めて先生方が親切であることがわかったので、大いに安心した次第。教頭先生をはじめ、管理職の方々も文書で様々な情報を机上に示していただいており、親切丁寧である。学院の学校システムは、これまでの公立4校での経験や、三崎高校での経験、学園での経験が、微妙ににミックスされている印象を受けた。10日の初授業が、実に楽しみである。

さて、本日の画像は、先日手に入れた中田考氏の最新の新書である。学院への昨日の通勤時間は驚異の40分。この本を読みながら行ったのであった。タイトルからして、私は読まねばなるまい、と思わせる内容であった。書評については以後、ぼちぼちと記していこうかと思っている。

2024年4月7日日曜日

S学園OBの意外なメール

https://www.shutterstock.com/ja/image-photo/
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このところ、教え子たちからのメールが届いてありがたく思っている。昨夜は、関西の難関国立大に合格したM君から、ちょっとびっくりのメールが届いた。入学後、すぐにムスリムの友人ができたそうだ。

この大学には、マレーシアで私が勤務していたPBTの国費留学生のトップクラスが毎年進学している。もしかしたら、PBTの卒業生かもしれない。そうだったとしたら、実に奇遇だし、嬉しい話だ。まあ、ムスリムと友人になって報告してくれている事自体、私の倫理の授業での一神教の学びの成果のひとつであるといえる。

ハリラヤの時にレンダング(=ルンダン:画像参照)という料理をともに食べるという話もできているらしい。レンダングは、インドネシアの郷土料理なので、マレーシアでも食するらしいのだがインドネシアの学生の可能性が高いかもしれない。いずれにせよ、私はとても嬉しかったのだ。

2024年4月6日土曜日

S学園OG W大入学式のメール

http://www.w-ouen.com/member/
S学園のOGから、昨夜、W大入学式での記念写真が送られてきた。少しの間に、女子高生から女子大生に大きく成長している様子に驚いた。(笑)彼女には、アスリートとしての大きな夢がある。これからも様々な苦境や問題が起こるかもしれないが、強いメンタルで乗り越えて欲しいと思う。

ところで、W大には、生徒会で一緒だった1年先輩のOBもいる。彼は伝統ある応援団に入っていると聞いている。W大では、入学式に応援団が出て、かの有名な校歌を歌い、演舞しているところをYouTubeで見たことがある。うむ。最高に格好良い、と昭和の人間は思う。もしかしたら、2人は入学式で再会しているかもしれない。

思えば、今年の卒業生も、関西圏だけでなく、首都圏にも多く進出している。彼らが母校を愛し、その出身であることを誇りに大成長して欲しいと願うばかりだ。

2024年4月5日金曜日

H高校OBから嬉しいメール

https://guide.e-ohaka.com/column/asia/buddha_park/
朝、Gメールを確認していると、H高校のOBからメールが入っていた。学生時代にマレーシアに遊びに来てくれたF君である。商社に入って5年間勤めて、1月から海外を放浪しているとのこと。沢木耕太郎ばりの話である。会社では、総務の仕事をして、さらにタイでの新会社設立というプロジェクトにも企画で参加し、四苦八苦したと記されていた。

H高校では、文化祭のミュージカルの責任者として頑張ってくれていたF君。あの時は、好意と友情でサポートしてくれる同輩に囲まれていたが、ビジネス社会で失敗が許されない厳しい現場だっただろう。やはり、学業も大切だが、イベントで人を育てることの重要性を今更ながら感じる。

今はラオスにいるそうだ。彼には東南アジアが似合うようである。返信には、これから国際情勢がどう動くか微妙な時期なので、十分に気をつけるよう伝えておいた。まあ、東南アジア諸国なら、比較的安全だと思う。西に向かうとあったので、ちょっと心配である。なぜなら…。

在シリアのイランの領事館をイスラエルが爆撃し、革命防衛軍の指導者が亡くなった。イランはこれに報復するとの報道が流れているからだ。これはかなり信憑性がある。ブラックスワン(従来の知識や経験から予測できない極端な事象が発生し、多くの人々に多大な影響を与えること。)が、いよいよ現実になるかもしれないからである。

https://www.youtube.com/watch?v=2s6AaAUkwVE

https://guide.e-ohaka.com/column/asia/buddha_park/
8日には、北アメリカ(特にテキサス州からNY州北部あたり)で皆既日食があるらしい。州兵が動員され警戒にあたるという情報もあって、すわ国家総動員法のリハーサルか?との疑念もあるほどだ。

本日の画像は、ラオスを検索して見つけた「ブッダパーク」2枚目の画像は、日食月食を司る魔神ラーフ。たまたまだが、ブログの内容と辻褄が合うので追加掲載した次第。

F君、くれぐれも気をつけて。観光もいいが、是非各地で「人間」を見てきて欲しい。

2024年4月4日木曜日

地域おこし協力隊OBのこと

https://www.nhk.or.jp/matsuyama/lreport/article/002/40/
伊方町の地域おこし協力隊員として県立三崎高校の公営塾運営に携わっていた私だが、NHKの松山放送局のページで、「ジビエ(イノシシなどの野生鳥獣の料理)の活用で街の活性化を」というタイトルで同じ時期に協力隊員だったI氏の活動が紹介されていたことを嬉しく思っている。

https://www.nhk.or.jp/matsuyama/lreport/article/002/40/

Iさんはまさに徒手空拳で伊方町にやってきた。佐田岬半島という日本一細長い町を走り回り、鳥獣被害の駆除を一から学んで、ジビエ料理を研究していた。私などには全くの別世界で、月1回の連絡報告会で話を聞いていたが正直なところよくわからなかったのを覚えている。

面白いのは、このイノシシ肉を、まるで漫画ワンピースのルフィがかぶりついているような肉にしていることだ。(画像参照)あらかじめ火を十分通しておき、BBQの材料にしているらしい。BBQは、町内の農業体験もできる宿泊施設(=瀬戸アグリとピア)で試みて、評判も上々らしい。ここの管理者のKさんも協力隊OBである。懐かしいお顔を拝見した。お元気そうで嬉しい。(コロナ禍の時は経営が大変だったと聞いている。)

このルフィの食べそうなジビエの骨付き肉、人気がでるだろうと思う。Iさん、Kさんの益々のご健勝を祈るばかりである。

2024年4月3日水曜日

台湾東部地震に政府は即対応を

https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/column-20180319/
今朝、台湾でここ25年で最大という地震があった。今回の地震で被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げたい。台湾は、東北大震災の時に最も支援をしてくれた国である。政府は対策本部を設置したらしいが、救助犬をつれた救助隊など一刻も早く対応をしてほしいものだ。

現在のところ、確認された死亡者は多くないが、時間の経過とともに増大するのが地震被害の常である。日本のノウハウを活かし、とにかく迅速に行動をお願いしたいと願う。

2024年4月2日火曜日

探していた地理の参考書入手

探していた地理総合の参考書を近くの書店で見つけ入手した。阪大の教授である佐藤廉也氏の「大学の先生と学ぶはじめての地理総合」(KADOKAWA)である。普通の参考書とはひと味もふた味も違う参考書で新書感覚っで読める。

ロジカルに地理を楽しもうという副題がついているように、話し言葉で、なんとか地理が好きになって欲しいという想いが伝わってくる。地理というと暗記教科というイメージがあるがそれを払拭しようという意図が強く感じられる。私がこの本を検索していて、最も関心をもったのは、序章の「地理総合の見方・考え方をささえる3つの原理」を知りたかったからだ。ネタバレになるので、ここで止めておくが、私の考えていたことと重なる部分もあったし、新たな刺激をもらった。

コツコツと第一章から読み始めている。なかなか面白いし、アフリカ(エチオピア)の研究もされていたので、そんな話も出てくる。まさしく、これは5つ星である。

2024年4月1日月曜日

エイプリルフールなので…。

https://www.ndtv.com/feature/will-you-be-this
-years-april-fish-the-history-of-april-fools-pranks-5350064
今日は嘘をついても良い日である。折角なので嘘をつこうと思う。思いつくままに近未来予言をしてみる。

アメリカの大統領選はまたまた民主党の勝利となった。いろいろな不正の証拠があがっているが、マスメディアは全く無視、法の砦・連邦裁判所も当てにならない。共和党もあきらめ、さらなる移民が押し寄せ、財政が破綻、重税が課されるが、イスラエルへの支援、ウクライナへの支援を続けていく。ウクライナ紛争は、英仏独の財政を無視した支援により、大量の兵站が補充され、また各国のマークが青と黄色に塗り替えられた戦闘機や攻撃機がロシアの重要拠点を襲う。どう見てもスラブの顔をしていないウクライナの兵士がモスクワを目指し進軍する。プーチン大統領は、ついに敗北を宣言することになる。一方、イラン本土にまで攻撃を広げたアメリカは、イスラエル紛争を集結させ、ガザを閉鎖、周辺のアラブ諸国への移民を強引に行う。ヨルダン川西岸地域も事実上イスラエルの占領下になる。これらの費用の多くの部分をアメリカが日本に支援要求してくる。中国では、さらに習政権が強固になり、経済も国営企業を中心にかなり復活する。台湾占領が現実的なものとなり、まずは兵員輸送のための船舶と燃料を世界的に買い占めていく。

日本では、新たなパンデミックが猛威を振るうがWの効果が絶大で、ここ何年かの死亡率の急上昇が嘘のように改善される。Wを始め、様々な国家統制が進み、憲法改正で公共の福祉重視となり、国会や行政の指示に従わない国民は経済的報復や、中には拘束されていく人々も出てくる。さらにアメリカからの支援要請で財政はかなり悪化するが、さらなる国債の発行と増税で乗り越えていく。日本の技術力は、他国にどんどん盗まれ、また基地や原発などの近辺を中心に他国民に国土も買われていく。そういった混乱の中、日本の共通善が様々なところで失われていく。

…これらがみんな嘘で、単なる戯れでありますように…。

2024年3月31日日曜日

イースターの日に

https://ichi-point.jp/easter01/
アメリカでは、去る29日に、今日3月31日・イースターの日を「Transgender Day of Visility,2024」(2024年トランスジェンダー可視化の日)とする大統権限による宣言が出たという。

https://www.youtube.com/watch?v=VBPkU9N-FxY

私はブディストで、関係ないといえばそれまでなのだが、アメリカの精神界が大きく変わっていく話なのであえてエントリーしておきたい。アメリカは、イギリスやフランスなどよりはるかにキリスト教色=信仰心が強い国である。様々なプロテスタント宗派が存在し、アメリカ政府の正当性を支えてきた。(宗派として見た場合は、カトリックが最大宗派:25%であるが、メタに見ると各宗派の総計ではプロテスタント:50%の国だといえる。)

イースターは、キリスト教圏ではクリスマス同様の意義ある日である。イースターでは卵とウサギが主役だが、ウサギは繁殖力の強い動物故に尊ばれてきた。この日をわざわざ選んで「トランスジェンダー可視化の日」としたことは、キリスト教者への悪意以外の何物でもないだろう。特にカトリックは、生命は神によって与えられたものであることが前提で、強く堕胎に反対している。彼らから見れば、「産めよ増えよ地に満ちよ」に反するLGBTの様々な権利の容認は神の意志の否定に映るだろうと思う。いわゆる(共和党支持層の)キリスト教原理主義者も同様で、これでまたアメリカは大きく分裂に動くのではないかとも思える。

梅田政権は、難民問題といい、今回の問題といい、アメリカを大きく改悪しようとしているように私には見える。民主党は前回の大統領選と国会議事堂事件で無茶苦茶したが、政策の方も明らかに分裂の方向に舵を切っているように思う。冷静に推移を見守りたい。

2024年3月30日土曜日

アーネスト・サトウを読む。2

https://www.gale.com/jp/c/the-papers-of-sir-ernest-mason-satow
「一外交官の見た明治維新(上・下)」の書評、第ニ回目である。数多くの植民地支配を行ってきた大英帝国の外交官であるアーネスト・サトウは、当然のように対象国の知識を集めている。これは伝統的な大英帝国の外交官の重要な職務であるようだ。

第三章「日本の政情」で、私がまず面白いと思ったのは、次の記述である。「当時の外国人は、日本の政情を次のように想像していた。主権者たる将軍と2・3の手に負えぬ大名との間に政治的な闘争が始まっている。これは将軍が無力で、その閣老が無能なため宗家たる将軍を無視するにいたった大名が、神聖な日本の国土を「夷狄」の足で侵させ、貿易による利権をすべて将軍家の手に収めさせるような条約に対して不満を抱いたために起こった闘争である。(要約)」

…要するに、(琉球密貿易で藩財政を立て直した)薩摩藩や、雄藩として様々な商品作物を開発、財政を豊かにしていた長州藩、土佐藩などが、幕府の開国によるさらなる利権独占に反対していたという視点は、当時の政情の一面を見事に捉えている。だが、アーネスト・サトウは違う見方をしているのである。

まずは、その後、天皇制と絡んで、日本史の教科書を読んでいるような詳しい内容が書かれている。見事である。今と違い情報量の少ない当時に外国人がこのような、かなり詳しい歴史認識を持っていたというのが不思議ですらある。さらに深い洞察(経験知でもある)だと思うのは、「将軍家も大名も愚鈍な傀儡に成り下がり。大大名の権力は名目上のものとなり、その実は家臣の中でも比較的に活動的で才能に富んだ者(その大部分は身分も地位も低い侍)が大名や家老に代わって権力を行使するようになった時1868年の革命が出現した。(要約)」という記述が出てくる。

…当時の社会構造への考察である。まさに封建社会の金属疲労が露呈したわけだ。これは、彼が薩摩や長州の中心者と懇意だったことから得た「経験知」であることは間違いない。薩摩は、島津斉彬という名君が下級武士であった西郷を引き立てた。その盟友大久保は、島津久光に取り入り力を得る。大久保は下級公家の岩倉と組んで権謀術数を振るう。長州もそういう一面がある。最たるものは、伊藤や山縣であろう。(木戸や高杉、井上馨などは比較的身分が高い。)土佐は、浪人だった坂本や中岡が有名だが、山内容堂はかなり保守的で、鳥羽伏見以降、後藤や板垣に引っ張られた格好になっている。

このアーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新(上・下)」を読み進めるうちに、維新の功労者たちの新たな側面の発見があるかもしれない、そういう期待が湧いてくる。

2024年3月29日金曜日

親友のお見舞いに行く。

昨夜、親友が心筋梗塞で入院しているとの報が入った。こういう時、すぐ駆けつけるべきだと私は考えている。幸い病院は近くで、バイクで行ける。昨夜は雨が激しかったが、朝から晴れてくれた。

何の前触れもなく(ただし、後で自分の病気を勉強したら、それなりの兆候はあったとのこと。)、胸が痛み大変だったそうだ。手術を1回受けて、だいぶ楽になったらしい。もう1回手術をするんだとか。意外に元気だったので、驚いた次第。30分ほど雑談をして帰ってきた。

帰宅時、近くの桜が満開で、遥かに京都の愛宕山が見えた。この清々しさは親友の状態が良かったことで倍増されたわけだ。

2024年3月28日木曜日

追憶 ボルチモア

ボルチモアで、シンガポール船籍のコンテナ船が、電源系統の故障で操縦不能になり橋桁に追突し、橋が崩落したという大事故のニュースが流れている。ボルチモアは、(ロスの空港のトランジットを無視すれば)私がアメリカで最初に足を踏み入れた地であり、思い入れも深い。その橋の位置を確かめてみた。

https://jp.trip.com/travel-guide/baltimore/
fort-mchenry-tunl-18697572/travel-image-264796987/
ボルチモアは、商都と呼ばれている。デラウェア州とメリーランド州の間のチュサピーク湾は天然の良港で、その最深部に位置している。問題の橋は、ボルチモアのダウンタウン(Googleマップではボルチモアと記載されたあたりである。)さらに南には視察で訪れた、国歌”星条旗よ永遠なれ”が作詞されたきっかけとなったことで有名な「フォート・マクヘンリー」(画像参照↑)があるのだが、そのさらに南に問題の橋があることがわかった。(画像参照↑↑)

https://4travel.jp/os_shisetsu/10314088
ところで、ロスからボルチモア空港まで国内線で大陸横断して着いたのは夜だった。今も忘れられない光景は、ホテルに向かうバスの車窓で発見したEXXONのガス・ステーションだ。授業でよく語っていた当時世界最大の企業、エクソン。今も私のアメリカの原風景の1つだ。ボルチモアは、川崎市の姉妹都市で、ウォーターフロントの再開発が行われ成功していた。水族館や、退役潜水艦(初めて中に入る経験をして大感激した。その後ニューヨーク、シカゴと潜水艦の中に入る事になったが、これがアメリカ旅行の楽しみの一つになった。)、ハードロックカフェやプラネットハリウッドなどの店が並び、実に開放的で賑やかな空間である。

大阪市教育委員会の視察で最初に訪れた際は、コーディネーターの女性が、バスで通過するドイツ人街、イタリア人街、黒人街などを周る中で、その特徴というか差異を教えてくれた。初日から多民族社会の洗礼を受けたわけだ。そういう意味でも、ボルチモアは私の最初のアメリカなのである。

工業高校時代の担任教師集団で再訪した時は、鉄道博物館やMLBのオリオールズの球場、ベーブ・ルースの生家なども訪れた。エドガー・アラン・ポーの出生地でもあり、医学の分野では最高峰のジョン・ホプキンス大学もあるし、ボルチモアは、意外に見どころが多い。東海岸を旅するなら、ボストン、ニューヨーク、ワシントンDCもいいが、ボルチモアまで足を伸ばすべきだと思う次第。

最後に、この事故で亡くなったり、怪我をした方、またこれから仕事が激減するであろう港湾労働者の方々に心からお見舞いを申し上げたい。大好きなボルチモアよ、永遠なれ…である。

2024年3月27日水曜日

アーネスト・サトウを読む。

息子が自宅に残している蔵書棚を見ていたら、アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新(上・下)」があった。以前から読みたいと思っていたので、これ幸いと読み始めた。ただ字が小さいので読みづらいのだが…。(笑)

第二章 横浜の官民社会に、意外だったというか高校の日本史では殆ど触れないような内容が記してあり驚いた。「横浜で外国の商人が取引の相手をしなければならなかったのは、主として無資本の、そして商売に無知な山師連中であったのである。契約の破棄や詐欺は、決して珍しいものではなかった。外国商人は、荷の渡る見込みのない商品購入を目当てに、こんな当てにならない男どもに大枚の前金を払ったり、相場が下がれば荷受けを拒絶して自分のふところを傷めぬようにする者どもを相手に、本国へ製品の注文を発していたりしていたのだ。生糸には砂が混じっていたり、重い紙紐で結わえてあったりするので、代金を支払う前に行李(こうり)を一々念入りに検査せねばならず、茶も見本通りの良質品と信用するわけにはいかなかった。(中略)外国人の間に、日本人と不正直な取引者とは同義語との確信が極めて強くなった。両者の親善感情などは、あり得べくもなかったのである。」

…その後にサトウが記しているが、当時の日本人の外国人を「夷狄」とする軽侮の感情故の話らしい。日本人同士の取引を行うまともな商人では考えられないようなことが幕末の貿易では行われていたのである。わざわざ「夷狄」と商売しようとする輩は、たしかに山師的だったのだろうと納得する。まあ、金銀の交換で、こそっと外国商人が大儲けしていたし、どっちもどっちかもしれないが…。生麦事件や攘夷の行動などに対する当時の外国人の対応について、こういう根っこが存在していたのだった。ともかくも、興味深い内容なので、少しずつエントリーしていこうかと思っている。

2024年3月26日火曜日

世界の三大穀物3トウモロコシ

https://global-dive.jp/article/a2667/
意外だが、トウモロコシは、小麦・米より生産量が多い。まずは、生育適地の話。(これはこの本には載っていない。)温暖で適度の降水量があるところ。(トウモロコシは4℃で生育がとまり、20℃以下では生育が遅くなる。)しかし生育が急速に進む出穂以前に降水量が多いと根の貼り方が悪くなったり干害を受けやすくなる。出穂前後の約1ヶ月は、気温が23~24℃、降水量が100mmが適当、成熟期は高温・乾燥が良い。

さて、トウモロコシの用途では、飼料が食用より多い。日本も北海道や関東でスイート種(食用)を生産してはいるが、飼料用のデント種はほとんど輸入に頼っている。日本の肉類の自給率は53%だが、飼料の自給率を考慮すると8%になってしまう。日本が輸入している国は、主にアメリカ、ブラジルである。中国も生産量は多いが畜産の需要が伸び輸入国になっている。その他、アルゼンチン、ウクライナも輸出国に名を連ねている。世界的に最も生産量が多いのは、デント種(畑で枯れるまで乾燥させる。熟成すると糖分がでんぷんに変化するので食用にはならないが、コーンスターチ=でんぷんが有用で、様々に利用されている。)である。またバイオエタノールの原料にもなる。

アメリカの主産地は言うまでもなくコーンベルトである。アイオワ州、イリノイ州、ネブラスカ州を中心にミネソタ州、ウィスコンシン州、サウスダコタ州、カンザス州、ミズーリ州、インディアナ州といった周辺の州に広がる。日本へは、ミシシッピ(水上輸送)を経由して、ニューオリンズから海上輸送し、パナマ運河経由で運ばれるのが一般的である。一方、ブラジルでは、同じ土地で2度収穫できる(10月-2・3月と2・3月-6・7月)。1作目は国内消費、2作目はアメリカ産と時期がずれるので輸出に有利になる。

アイオワ州は、M高校がまだあった時、研修旅行で行った地だ。見渡す限り360度のトウモロコシ畑のI-80をシカゴに向けて走り続けたのを思い出す。

トウモロコシにはいろいろな種類があるのだが、アフリカでは白いメイズ(イギリス英語でトウモロコシの意味)と呼ばれていて、粉にして炊くのが一般的である。ケニアではウガリ、ジンバブエではサザ、ザンビアではシマと呼ばれている。こんなことも久しぶりに地理総合で話そうかな。バイオエタノールについても様々な面から考えるべきだろうと思う。

2024年3月25日月曜日

世界の三大穀物2 米

https://furusato.mynavi.jp/blog/rice-brand/
昔、米とと小麦のカロリー比較をっした場合、米の方が大きかった。しかし品種改良などの成果だろうか、現時点での100gあたりのカロリーは、米が356kcal、小麦が366kcalと逆転している。しかし、歴史的には小麦を主食とする地域は低カロリーを補うために、牧畜を行い、肉食や乳製品で補っていた。米には、そういう歴史的背景はなく、主食の王座を担ってきた。これがマクロに視た食の歴史なのだが…。この話の内容は、書評をエントリーしている「世界の三大穀物」には載っていない重要な地理的事項である。つまり、夏の高温と水が豊富な地域では米を栽培することが有利であり、冷涼な気候と水が少ない地域は、コメの生産が不可能な故に小麦を生産するという農業のヒエラルヒー的な視点があったわけだ。今はもう、農業は商業化しており、どれだけ儲かるかが、その尺度になっている。

さて書評に入る。米に関しては、日本の自給率は97%である。よって、この本では、いきおい日本国内の話が主流になっている。日本の米の生産高は、新潟、北海道、秋田と続く。寒さが厳しい地域が上位にきているのは、熱帯の作物である稲は光合成によってデンプンを作り、夜にはそのデンプンを消費する特性と関係がある。夜に気温が高いと稲は活性化し消費しすぎてしまう。よって、昼高温、夜低温という気候が最も適している。よって、北日本のこれらの県が上位にくるわけだ。しかも稲は大量の水が必要だが、これらの地域は積雪量が多く雪解け水恵まれている。

米はほとんどが主食用になる。作付面積で見ると、①コシヒカリ(33.7%:味の濃い料理や肉料理に合う)、②ひとめぼれ(9.1%:冷めても味が落ちないので外食・中食用に利用されている)、③ヒノヒカリ(8.3%:西日本中心で栽培、カレーに合うらしい)、④あきたこまち(6.8%:おにぎりに適してる)、⑤ななつぼし(3.4%:北海道に多く寿司などに重宝している)という順になっている。*中食というのは、コンビニなどで買い求め家等で食することを意味する。

なお、主食用以外では、飼料用の米(ブロイラーや採卵鶏、豚などに利用)もあるし、米粉(グルテンを踏まない米粉は世界的に市場価値が高いらしい。)をつくるためのうるち米や餅米も生産されている。うるち米は団子やせんべいに使われる。うるち米の生産高は新潟がトップ、餅米は、北海道、第二位は佐賀である。小麦でもSAGAが登場したが意外な話である。日本酒の原料となる酒造好適米は、山田錦という品種は兵庫、五百万石という品種は新潟がトップである。

ところで、日本の米消費量は大きく減少している。減反政策も進んでいるのだが、1995年から毎年77万tの海外米を輸入している。これはGATTのウルグアイ・ラウンドの交渉によるもので、「ミニマム・アクセス米」(MA米)と言われている。アメリカ、タイ、中国、オーストラリアなどから輸入しており、TPPでオーストラリアから6000t追加輸入している。MA米は主食としてより、加工用(味噌、焼酎、米菓等)に使用されているが、国際米より低価格で販売されているので多少の需要もあるが、保管に1tで1万円くらいかかるという財政負担のデメリットもある。飼料用や海外への食糧援助にも使われている。

一方、日本の品質の良い米は輸出もされている。香港、シンガポール、台湾、アメリカ、などに需要がある。マレーシアでも、そもそも日本食の人気が高く、かなり高価だったが日本米が売られていた。とても手が出なかったけれど…。(笑)

2024年3月24日日曜日

世界の三大穀物1 小麦

https://flour-net.com/column/australia_flour/entry-590.html
地理総合を教えることになったので、先日見つけた「地図でスッと頭に入る 世界の三大穀物」宮地秀作監修(昭文社)の書評をエントリーしたい。まず小麦の話。教材研究用に興味深い内容を整理しておきたいと思う。

地理を面白く感じる1つは、ケッペンの気候区分と農業の関連性だと私は思う。地理という教科は法則性を解き明かしていく、ちょっと理系なところがいい。小麦・米・トウモロコシといった穀物でも農学的にかなりの違いがある。この本は地理的な視点をメインに、家庭科的な要素もあって面白い。

さて、まず小麦の分類である。まずは、生産方法で、冬小麦と春小麦に分かれる。これは教科書でもよく出ている。もともと小麦は「越年生」(畑で冬を越す)の作物であるので、生育期間が長く収穫量が多い冬小麦が主流。春小麦は越年できない積雪や土が凍ったりする地域で栽培される。生育期間が短いので収穫量は少ないが、グルテン(グルテニンとグルアジンという2種のタンパク質で水を加えてこねることで絡み合ってできる成分のこと。弾力や粘り気を与え生地の伸びをよくすることがで様々な食感を生み出す)を多く含むのでパンの材料として優れているという特徴がある。次に外皮の色では、赤色小麦と白色小麦に分類できる。用途で分類すると、硬さとたんばく質の量が多い順に、強力粉、中力粉、薄力粉となる。日本が輸入している小麦でこれらをまとめると次のようになる。

①硬質赤色春小麦(1CW・DNS:カナダとアメリカ産の春小麦で強力粉でパンに使用)②硬質赤色冬小麦(HRW:アメリカ産の冬小麦で準強力粉、中華麺や餃子の皮に使用)③中間質白色冬小麦(ASW:オーストラリア産の中力粉でうどんに使用)④軟質白色冬小麦(WW:アメリカ産の薄力粉で、ケーキ、天ぷら粉、和菓子などに使用)となる。すでに法則性が見て取れる。こういうのが面白い。

このうち、オーストラリアのASW(オーストラリア・スタンダード・ホワイト)は、西オーストラリア州のパースに行った時、広大な畑を目にし、ほとんどが品種改良を重ね、日本のうどんに使われると教えてもらった。

これら普通小麦に対し、もっと硬質で、粒が非常に硬く柔軟で弾力性の強いグルテンを含んでいる「デュラム小麦」がある。パスタに加工される地中海沿岸産の小麦である。カナダのサチュカスワン州を中心に、一部マニトバ州やアルバータ州でも生産されていることを初めて知った。余談だが、カナダといえば春小麦だが、オンタリオ州の南部、ミネソタ州の対岸では冬小麦が生産されているそうだ。一方、アメリカは冬小麦地帯が広がる。サウスダコタ州南部からネブラスカ州、カンザス州、オクラホマ州、テキサス州中央部までと、ミシガン州、イリノイ州、インディアナ州、オハイオ州といった五大湖周辺、それにワシントン州でも一部生産されている。春小麦は、当然北部でモンタナ州、ノースダコタ州、サウスダコタ州北部、アイダホ州の一部といった地域である。日本向けの小麦はモンタナ州が主産地らしい。

世界的に視野を広げると、冬小麦の最大の産地は黒海に面したロシアとウクライナ。ロシアの西シベリア経済特区ならびにカザフスタンでは春小麦が生産されている。インド、中国(華北平原の冬小麦、黒竜江省の春小麦)も生産量は多いが輸出額は人口の関係で、EU諸国+イギリスより少ない。このあたりは、今まで教えてきた内容なので、ここまで。(笑)いやいや、笑い事ではない。ウクライナ紛争が、どえらい影響を特にアフリカ諸国に与えていることを授業では語気強く語らねばならない。

最後に日本の小麦生産だが、自給率は15%くらい。もちろん北海道が主産地で、うどん用の「きたほなみ」、パン・中華麺用の「ゆめちから」などを国内産シェア57%くらい生産している。意外だが、それに続くのが福岡や佐賀である。小麦の輸入港では、神戸、千葉、博多などと、大消費地近くの取り扱いが多い。面白いのは、香川県の坂出が、オーストラリアのASWに特化した港であることだ。授業で、その理由を質問しようかな。(笑)

ところで、日本の小麦の輸出入に関しては、米とともに「国家貿易」(特定の農産物を政府が独占的に輸出入する)をなっており、農水省が必要量をまとめて購入、政府売り渡し価格で製粉会社に販売することになっているそうだ。2007年以後は、相場連動性に移行した。政府売り渡し価格には、輸入価格(買付価格+港湾諸経費)にマークアップ(政府管理運営費・国産小麦の生産振興対策費用)を加えたもので、4月と10月の年2回価格改定がおこなわれるとのことである。これは知らなんだ。

2024年3月23日土曜日

ドストエフスキーの依存症

https://www.dsjn.jp/
何かの本で、ロシアの大文豪ドストエフスキーが、ギャンブル依存症であったと知った。実は、私はギャンブルには絶対ハマらない人生を送ってきた。麻雀は学生時代によくやったが、点3とか点5とか金をかけるのが嫌いで、「名誉」をかけてやっていた。(笑)パチンコも何度か行ったが、1000円も負けるとすぐやめた。友人に聞くと最近のパチンコでは負ける時は万単位だと聞いて信じられなかった。(笑)アメリカやカナダでカジノにも行ったし、スロットもやった経験があるが、授業のネタとしての経験を積んだに過ぎない。競馬は、誘われて1000円くらい付き合いでやったことが何度かある。信じられないが、初体験でマンハッタンカフェの単勝で勝ち、その直後の有馬記念では、1着マンハッタンカフェと2着に大穴のアメリカンボスがきて20万円ほど儲けたことがある。だが、その後はハマることはなく、JRAには勝ち逃げしたままである。

この私のギャンブルへの淡白さは、多分に、私が生まれる前に父親がボートレースにハマり、母親を随分泣かせたという話を聞かされていたからだと思う。ギャンブルは、非生産的であるというのが信条だ。

大谷翔平君の専属通訳の一平君が、違法賭博でドジャーズを解雇されたというニュースで大騒ぎになっている。大谷君をずっと献身的に支えてきたのに、実に残念である。まさに天国から地獄へ堕ちたというシチュエーションであるが、ちょうど結婚した大谷君をこれからは奥さんが支えるだろうと思うし、こういう話題を詮索するのは好きではないし、私の美学に反するのでここまで。ただ、どんなに有名人でも才能があっても、そういう依存症的な弱み(=煩悩の貪)を持っているのが、無明たる人間というものなのだろうなと思う。

偉そうに言う私も、喫煙とコーヒーの依存症からは、おそらく抜け出れそうにない。(笑)

2024年3月22日金曜日

心機一転 地理を教えることに

https://high.osaka-shinai.ed.jp/schoollife/guide/
66歳になり、Facebookを久しぶりに更新しました。そこで、明らかにしたのですが、4月からOS学院高校にお世話になることを報告しました。大阪市内ですので、通勤時間は学園の半分以下になります。実は、OS学院高校(以下学院と表記します。)は、カトリック系の女子校で、最初の勤務校の商業高校のすぐ近くにあり、当時の制服や頭髪の清楚さが強く印象に残っています。(今は共学校になっています。)

学園を紹介してくれたところに、もう少し近くでいい学校はありませんかと依頼していたところ、学院を推薦してくれました。年末に面接を受けたのですが、カトリックの学校であるということが少し不安でした。学校長のHPの挨拶にもヨハネの福音書が引かれており、ユダヤ教・プロテスタント・イスラム教についてはそこそこの見識を持っているつもりですが、カトリックについては見識が浅すぎると思い、面接までに焦ってカトリック関連の書を読みました。(笑:昨年のブログの一連の書評はその足跡です。)ところが、面接の際、あまり意識されなくとも結構ですと言われましたのでホッとした次第です。ただ、学校行事や日々の学校生活には、カトリックの精神が活かされているように思います。この際、せっかくなので学んでみようと思っています。

学校側からは、その後、3年生の7クラスの地理総合を担当するように要請がありました。私の専門から言えば、倫理の次は地理ですので、ありがたいことだと思っています。お聞きしますと、特進クラスの文系・理系クラスは難関国公立を目指しているとのことで、他の私大を目指す総合クラスや看護クラスとおよそ2分割して授業をしていこうかなと思っています。少数とはいえ、歴史総合・地理総合・公共で共通テストを受験する生徒もいるかもしれませんし、学校の要請を受けて、特進クラスは受験科目として対応するつもりです。残りの私大クラスは、とにかく楽しく地理の面白さと他の社会科との兼ね合いを重視しながらやっていこうかと考えています。

三崎高校以来の地理です。倫理とはまた違う広がりもあり、地理をベースに様々な教養や社会科学的視点を身に着けてもらえたらと思います。楽しみです。

2024年3月21日木曜日

後期試験でもサクラサク

https://www.unifes.jp/university/details/?code=u1105
国立大学の後期試験の発表があって、前期の第一志望はかなわなかったものの、近畿や関東の難関国立大学に合格したという報が相次いだ。嬉しいねえ。一人は昨年世界史の記述問題で関わった浪人生、もう一人は今年の文系の生徒である。

すでに関関同立などの私大抑えはあったのだが、最後の最後まで諦めず精一杯戦ったことを誇りに思う。最近は前期がダメだと、後期試験を受けず私大に流れるケースが多いらしいのだが、よく頑張ったなあ。ほんと学園の伝統の力を感じる。2人の成長を心から祈りたい。

2024年3月20日水曜日

軍務局長 武藤章を読む 4

https://studyhacker.net/prospect-theory
武藤章という人は、頑迷ではない。国際情勢を鑑み、当初自分が関わった日中戦争を終わらせ、日米開戦を回避するべきだと考えていた。これは意外である。日米開戦となれば海軍が主役で、やる気がないなら考え直すべきだとも言っている。どうも開戦時の首相・東條のイメージが悪いので、陸軍が開戦を主導したように見えるが、事実は異なるようだ。

しかし、アメリカの対日戦略により、日本は追い詰められていく。この新書では、興味深い理論が載っている。経済学における「プロスペクト理論」(画像参照)である。たとえば、A:確実に3000円支払わなければならない、B:8割の確率で4000円を支払わねばならないが、2割の確率で1円も支払わなくて済む。こういった場合、実験するとBを選択する人のほうが多いというのである。人間には「損失回避性」があり、Bに魅力を感じてしまうのである。

武藤は、開戦しなくとも3年後には資源が枯渇し、日中戦争も継続できず、アメリカとの外交交渉はさらに不利になると見ていた。開戦は希望なきリスクであり、国際情勢の推移(独ソ戦の結果が特に大きく影響する。)次第で、日本に有利に働くやもしれないと考えていた。

結局開戦したわけだが、武藤は3週間後には、東郷外相に「戦争はなるべく早く終結するのが日本に取って得策、東條には首相をやめてもらう必要がある。」と述べている。開戦の責任者が戦争を終わらせるのは難しいとの判断だった。同じ統制派であるとはいえ、武藤と東條は肝胆を照らす中ではなく、それが東條の耳に入ったのかどうかは定かではないが、現インドネシアの近衛師団の師団長として転出する。

サイパン島陥落の責任をとって東條が総辞職した後、武藤はフィリピンで指揮を取っていた「マレーの虎」山下奉文のの参謀長となる。皇道派だった山下とは実にうまくいっていた。綺麗好きの山下は、常にハエたたきを持っていたそうで、「老将の蝿叩きおり卓ひとつ」と詠んだ。この「老将」を山下は自分のことだと認めなかったというエピソードが残されている。

戦後、その山下奉文は、かつてマレーで敗北した英司令官立ち会いのもとで降伏文書に調印(彼はっその屈辱から自決しようと思ったらしい、)し、さらに軍事裁判にかけられ(銃殺なら軍事として戦死とみなされるが)絞首刑となる。見事な散り様であったことを米憲兵が記録している。彼は、後に武藤の東京裁判に関わる。

なぜ武藤章がA級戦犯となったかは、開戦当時、(凄腕で傲岸不遜という評判が誇張された)軍務局長であったということが最大の理由だと思われるが、なぜ死刑判決が出たのかはよくわからないというのが真実だろう。そもそも東京裁判が政治パフォーマンスであり、それを見切っていたが故に、山下奉文大将よろしく諦観して、判決時にニヤリとしたのだろう。私はその姿勢に「浩然之気」を感ずる。

2024年3月19日火曜日

軍務局長 武藤章を読む 3

https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=348936532
さて、新書のタイトルにもある軍務局長とはいかなる地位か。陸軍省のトップは、陸軍大臣、さらに次官、その次に軍務局長がくる。いわばナンバー3である。陸軍には、内局として、大臣官房、軍馬局、整備局、平気局、経理局、医務局、法務局などがあったが、軍務局がその中心で、国防政策、軍の編成、動員計画、予算など陸軍に関する行政(=軍政)を司り、帝国議会との折衝も行った。いわば心臓部である。

昭和14年9月、武藤章は軍務局長に就任している。最初の仕事は、陸軍出身の阿部信行首相の意を受け、内閣強化のために、立憲民政党の町田忠次の入閣要請に出向いている。政治との関わりの最初である。武藤は留学以来、国際情勢に通じており、様々な論文も発表している。少し意外だが、政党党首の入閣については、超然内閣(政党との関係がない内閣)では、積極政策が実行できない故に必要だと認識していた。しかしこれはそれまでの陸軍と政党間の遺恨のため拒否された。武藤以前から陸軍の政治介入が行われており、元老の西園寺公望らは快く思っていなかったようだ。まずは政界の洗礼を受けたわけだ。

武藤は、WWⅠが総力戦であったことを何より憂慮しており、国力の増強を必要不可欠と考えていた。政党と議会が中心的な役割を果たす一国一党に近い、大政翼賛会の構想を持っていた。これは第二次近衛内閣で発足したが、「幕府的存在」という曖昧なカタチであった。とはいえ、第二次近衛内閣成立への武藤の存在は大きかったようである。ところが肝心の大政翼賛会は武藤の思いどおりには行かず、軍部の政治介入と言うには物足りない。

2024年3月18日月曜日

軍務局長 武藤章を読む 2

https://ganshoji.com/publics/index/37/detail=1/b_id=905/r_id=2318/
武藤章という人物はなかなか捉えにくい人物であるようだ。陸軍という組織にあって、官僚的な地位にあった時期が長く、兵を率いる長の時期が短い。ともすれば傲岸不遜だと評されることもあるが、その評の多くが陸軍官僚の時代のものである。

この新書を読んでいて気付いたことをまず書きたい。2.26事件などが「青年将校」が主導したとよく言われるが、武藤章も陸軍官僚としてドイツ留学を終え、兵学研究に務めた後、佐官になった頃からは、発言力が増していく。これは、日本の伝統的な組織の構造からくるものと私は思う。トップダウンの組織は日本では稀である。だいたいが、会議中ほとんどトップは黙して語らず、下の意見を参考に最後に決断だけ行うという美学のようなものがある。その場の空気が重視されるのである。

満州事変では、武藤がドイツ留学で知遇を得た石原莞爾がその空気を作った。武藤は事変当時、陸軍中央にあって無関係だったが支持に回った。日支事変では、武藤がその空気を作った。

さて、陸軍の派閥というと、皇道派と統制派であるが、最初は永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次の陸軍士官学校16期生の3人が、ドイツのバーデン=バーデンで、陸軍改革(長州閥批判とWWⅠでの総力戦に耐えうる改革)を語り合ったことに始まるのだが、後に永田と小畑が対ソ戦略で対立したことが派閥争いの源となった。小畑はソ連の国力が未完成のうちに攻撃し満州への脅威を事前に取り除こうとしていたが、永田は時期尚早としていた。武藤は永田についていた。よって統制派である。

その永田鉄山(軍務局長・少将)が陸軍省内で(皇道派の)相沢三郎に暗殺される。(=相沢事件)当時軍務局軍事課高級課員・中佐だった武藤が局長室に駆け込み抱きかかえたが息を引き取ったとされている。その後の皇道派による2・26事件では、永田の仇討ちとばかりに、軍務局軍事課を武藤が鎮圧にまとめあげた。

武藤章には、こういう「空気」をつくる能力があったわけで、この後統制派が実権を握り、彼の発言力はさらに増していく。…つづく。

2024年3月17日日曜日

軍務局長 武藤章を読む

「軍務局長 武藤章」岩井秀一郎(祥伝社新書)が学園への長距離通勤・最後の本となった。武藤章という名前を聞いて、思い出すのはやはり東京裁判である。戦勝国の政治的プロパガンダに過ぎない東京裁判であるが、A級戦犯として、現上皇陛下の誕生日に処刑された1人であるのだが、なぜ武藤がそうなったのかが、この新書を購入した最大の理由である。

昭和初期の軍閥政治、特に陸軍の無謀が、戦争を招いたというのがステレオタイプの歴史観のような気がするが、果たしてそうなのか。皇道派と統制派の権力抗争や満州事変、日中戦争、そして米英蘭との太平洋戦争…。

武藤章は、石原莞爾とともに、その鍵を握っていたような気がする。明日から、少しずつエントリーしようかなと思う次第。

2024年3月16日土曜日

SPECAL THANKS 学園に捧ぐ

ー学園に捧ぐー

宝塚、生瀬を過ぎると風景が変わる。武田尾、道場。時には霧が濃い日もある。街中に風景がまた変わるとやっと三田。90分ひたすら座っている日々。居眠りもするが、尼崎を出て鉄橋を渡り、かの事故のメモリアルを通過する時は、必ず黙祷した2年間。

学園の坂はきつい。いろんな生徒と語り合いながら登った。最後の坂は回避して、図書館前から校舎へ。春は桜、夏は濃緑、秋は黄橙、冬は枝ぶり。四季を味わう。竹林は常に伸びることをやめない。学園の生徒の如くに。

学力は学習習慣の強固さで決まる。まさに文武両道。部活で疲れていても学習習慣がついているのが学園の良さ。それが伝統となって息づき、人気の秘密。

時折、学園の食堂へ。部活の生徒への配慮か。ボリュームのある定食。特別にスィーツがつくことも。

放課後は、広大な芝のグランドで、蹴球部、送球部、陸上部が歓声をあげている。野球部には専用の球場も。文化財指定の中学校舎からは、吹奏楽や軽音の音が漏れ伝わる。

高校校舎は決して新しくない。華美な私立高校の多い中、その分経費を抑え、保護者の負担を減らす質実剛健の精神が息づく。

これだけ優秀な生徒だと、教員集団はまとまりにくいのが公立。だが、教科指導も部活指導も両立している教員集団は仲が良い。そんな教員集団に支えられた2年間。

宝くじを当てて、近くに居を構えたかったのが本音。

4月から、また新しい挑戦が始まる。理想に生きる青春の気概を失わず、この2年間の経験値をさらに新天地で活かしたい。

*SPECAL THANKSとして、いろんな先生方へ御礼をエントリーしようと思ったのだが、今回は詩的に今の感謝の気持ちを書いてみた。

2024年3月15日金曜日

学園最後の日

成績会議への出席が学園最後の日となった。お世話になった多くの先生方に挨拶をした1日でもあった。また、2年生の生徒が部活の合間をぬって最後の挨拶にも来てくれた。ありがたいことである。

この2年間、朝5時前に起床し、6時過ぎの電車に乗り、往復4時間の通勤、午後9時には就寝という日々を送ってきた。休みの日も、夏季休業や冬季休業でもこの時間帯で生活してきた。これは老体にはなかなかこたえた。授業が多い日などは、就寝時によく足がつった。愛する学園を去る理由は、長距離通勤、ただこれだけである。

良い生徒と良い教師集団に恵まれ、幸せな2年間だったとおもう。思い残すことがないほどに走り続けてこれた。4月からまた新しい挑戦が始まる。苦労をかけた妻とともに、この半月間は、できればのんびりと過ごそうかなと思う次第。

2024年3月14日木曜日

久々のウーリーシンキング

2年生の公共の最後の授業は、成績も出した直後なので、久々のウーリーシンキングをやった。進学校である学園では、中学校時代こそ様々な取り組みをされているが、学年が上がるにつれ、こういうアクティヴィティはやる余裕がなくなっていく。たまたま、考査後にこういう時間が生まれたのでやれた、といってよい。ところで、ウーリーシンキングは、本当に久しぶりである。三崎高校では生徒の人数が少なすぎて実践できなかった。学園でも最後の最後になったので、約4年半ぶりになるのか…。当然ながら盛り上がった。

折角なので、他の先生方にも見ていただけたらと思っていたのだが、K先生が校内で広報していただいて、管理職の先生方(中学でこういう取り組みをされているらしい。)をはじめ、10人ほどの先生方が3クラス全ての時間に見学して下さった。ありがたいことである。見学に来ていただいた先生方にも生徒への質問という形で参加いただいた。各時間終了後、称賛していただき、実に恐縮した。

実は、明日の成績会議が、私の学園での最後の日となる。長距離通勤がさすが体にこたえてきたのである。他に何の不満もないのだが、さすがに遠い。往復4時間は老体には堪える。先日の最終講義の際、2年生にはその旨も伝えていた。最後の置き土産といった意味合いもあって、私も懸命にコーディネイトしたのだった。